ヴェネツィアの獅子たち

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Reiko Fujiwara Marini

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カテゴリ: 島物語

 その上、15から17世紀にかけてキプロス島やギリシャの一部がヴェネツィア領で、アルメニアの領土ももっと広かったことを思えばヴェネツィアにとって遠い国ではありませんでした。

 このアルメニア教会メキタル修道会の創立者、メキタル(ピエトロ・マヌーク)は、裕福な商人だった親の反対をおして、修道僧の道を選びます。1696年20歳で司祭に任命され、伝道者の育成の他、とりわけ祖国アルメニア人の精神と文化的な向上に力を注ぎます。その溢れるような情熱とあたたかい人間性で、人々や他の修道士の心を動かしてゆきます。
 しかし、コンスタンティノープルでは、オスマン帝国下でのカトリック教徒に対する迫害が増しており、メキタルも人々を煽動したとして、ブラックリスト上の一人でした。
 見つかれば即逮捕という中、彼は女装で身を隠し修道院を出、まずカプチン会の修道院でかくまわれます。それからフランス大使館経由で、なんとか当時のヴェネツィア領モドーネ(現ギリシャ、ペロポネソス半島の南西部)へたどり着いたのでした。
 そこで、1701年9月8日25歳のメキタルは、弟子達とともに新たな修道会をたちあげます。修道院と教会の建設、運営のための借金をようやく返済し、貧しい人々へ還元が出来始めた時は、すでに10年以上が過ぎていました。
 さてこれからという時、しかし、この土地も追われることになります。ヴェネツィアとトルコの最後の戦争が勃発したからです。
 1715年39歳のメキタルは、血のにじむような思いで築き上げた修道院で、最後の祈りを捧げます。ヴェネツィアまでの弟子達の船旅に、神のご加護がありますように。(その3に続く)





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Last updated  2008/02/04 04:43:55 PM
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