ヴェネツィアの獅子たち

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Reiko Fujiwara Marini

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カテゴリ: 人物伝


 12日になって、容態が悪化した彼は、修道院長を呼びます。自分の持ち物すべてを修道院に寄付することを伝え、臨終の聖体を依頼しました。服を着替えベットの上に座り、修道院の僧たちが集い見守る中、臨終の聖体を受けました。

 14日になると、もう起き上がることは出来ませんでした。しかし精神はとてもクリアで、知らせを受けて最後の挨拶に訪れた多くの要人たちに、いつもの明るさで対応したといいます。

 サルピのベットを取り囲み、涙を流す修道士たちに『おやおや皆さん、そんな湿った顔をして。私は今まで、あなた方を出来る限り慰めたり、勇気づけたりしてきましたよ。今こそあなた方の番ではないですか、私を励ましてくれるのは』と、冗談まじりに言ったそうです。

 医師が診察に訪れ、サルピに残り時間がわずかであることを告げます。すると彼は、微笑みながら医師にこう言いました。『神がお望みになるのなら、この最後の仕事(死ぬこと)を、きちんと成し遂げましょう。』

 「信仰」というものは、このためにあるのか。これほどまでに心おだやかに、むしろ喜びさえともなって、人生の幕を引くために、存在しているのかと、信仰というものを持たない私などに思わせるほど、死を前にしたサルピの心は、晴れ晴れとしたもののようでした。

 しばらくしてほんの少しの間、サルピは意識を失います。そしてうわ言で『サンマルコへ急ぎましょう。たくさんの処理すべき交渉があるのです。』とつぶやいた後、我に返ります。時計を見るともう夜の12時を過ぎていました。そしてこう言ったのでした。『さあさあ皆さん、もうお休みになって下さい。私は以前いた場所―神のところへ帰りますから。』

 誰もその場所を動く者はいません。そしてそれが最後の言葉になりました。僧たちの祈りとすすり泣きの中、サルピは息をひきとりました。1623年、日付は1月15日になっていました。


 神学者でもあり、サルピの愛弟子であったミカンツィオが、後に『パオロ・サルピ神父の生涯』という伝記の本を出版しています。その後19世紀後半に再評価のブームがあったのか、多くのサルピに関する研究や伝記本が出されました。その中で1894年にロンドンで出版された、ロバートソンの『サルピ神父~The Greatest of The Venetians~』で、「サルピは、最大で最後の偉大なヴェネツィア人であった」と、締めくくっています。

 実際、ヴェネツィア共和国がサルピと組んで、法王庁と対決した1606年の出来事は、おそらく最後のヴェネツィアらしいエピソードという気がします。


 パオロ・サルピを失ったヴェネツィアは、まるで誇りまで一緒に無くしてしまったかのように、国としての力を少しずつ後退させてゆき、国際舞台から遠ざかって行きます。

 時代はすでに、建築様式から大げさなカツラの流行まで、これでもかと誇張され飾り立てられた、バロックへと移り始めていました。

 パオロ・サルピという人は、ヴェネツィアという独特の沼沢地の中に、ずっと昔に蒔かれた種が満を持して咲いた、奇跡の蓮の花ではなかったか、と思うときがあります。





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Last updated  2008/07/25 03:49:50 PM
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