ヴェネツィアの獅子たち

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Reiko Fujiwara Marini

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カテゴリ: 街について


 実際、私も歩いてみました。橋がオープンしてからすぐに「転びやすい」ことが報じられていたので、前半はそれなりに気を付けて歩いていました。が、後半下る時には景色や行き交う人を眺めながら、「気を付けること」を忘れていたためか、つまずきそうになったのです。
 ちょうど、階段の幅が今までの幅から倍になっている部分で、歩くリズムが変わってしまうことと、材料の大理石とガラスのつなぎ目の微妙な段差が原因のようです。
 雨の日や、高齢者の場合、つまづきそうになったでは済まないで、転倒してしまうのは容易に想像がつきます。

 ということは、そもそも著名建築家のプロジェクトが間違っていたのか?だいたいそんなこと(人間の一般的な歩幅やリズム)は、設計の段階で何度も精査されるべきことではないのか?橋の設計で有名な氏も、車の通行しない「人間だけの橋」は初めてだったから? 地元の疑問は尽きません。

 市側は、踏み段を取り替える費用はどこが出すのか、責任はどこにあるのかなどをはっきりさせないままでは、踏み段の取り替えはしない、という方針のようです。

 「転びやすい」という、この橋の機能の問題からすれば、景観や現代建築うんぬんなど、些末なことになりますが、この「憲法の橋」という名前についてもどうかと思うのです。
 決定には紆余曲折あったらしいのですが、どうしてまた「Ponte della Costituzione」などというイタリア語でも固い響きの名前にしたんでしょう。
 今年はイタリア憲法60周年だから、とのことですが、これではまったく耳かき一杯程の想像力もかき立てられないというものです。間違いなく、地元の誰もこの名前では呼ばず、「ローマ広場の橋」か建築家の名前で呼ばれることでしょう。

 カラトラヴァ氏が、ヴェネツィアの街へのオマージュとして「寄贈」したと言われるこのプロジェクトですが、 とは言え、橋の両側の手すりの最初と最後の計四カ所にある、彼の紋章の存在については、違和感を持たずにはいられません。

 この橋の、特に機能性についての問題は、まずデザインや概念ありきで、実際に使う人間やその後のメンテナンス等を後回しにした結果ではないかと思います。

 実際に使えること、続けられること、そして効果的であることに重きを置いてきたかつてのヴェネツィアの政治。プラグマティズムという言葉が生まれる前から、それを貫いてきたヴェネツィア人。それから思うと、この橋にまつわるあらゆることが、「ヴェネツィアらしさ」からは遠いもの、になってしまっている気がします。






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Last updated  2008/10/03 05:52:46 PM
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