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2025.05.14
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カテゴリ: 旅行専科
ↈ世界遺産 ●チチェン・イッツァ


ↈ世界遺産




●チチェン・イッツァ  
国:メキシコ  登録:1988年






です。その中でも「後古典期マヤ(900~1100年頃)」の最大の遺跡です。
1988年、世界遺産に登録されました。





チチェン・イッツァとは



チチェン・イッツァは、マヤ語で「イッツァ族の泉の湧き出るところ」とい
う意味です。遺跡の北部はトルテカ期、南部はプウク期と構成が異なってい
ます。これは、南部で栄えたチチェン・イッツァがいったん放棄され、10世
紀に北部で再び都市を建造したためです。

ジャングルの中には、カスティージョ(ピラミッド)や天文台、球戯場や戦
士の神殿などの遺跡群が点在しています。

マヤ文明の都市の特徴として、都市を突然放棄したことが挙げられます。こ
れについては謎が多く、チチェン・イッツァも例外ではありません。




チチェン・イッツァの遺跡群


カスティーヨ



カスティーヨはスペイン語で「城」という意味です。ここでのカスティーヨ
はピラミッドのような外観をしています。

マヤの最高神である、羽を持った蛇の姿をした神・ククルカンを祀ってお
り、四方は55.3m、高さ24mで9層に及ぶピラミッドです。「ククルカンのピ
ラミッド」、「ククルカンの神殿」とも呼ばれています。

カスティーヨの四面には各91段の階段があり、最上部に神殿が設置されてい
ます。これにより、階段+神殿の総数が365となり、カスティーヨ全体でマヤ
暦の1年を表す仕組みになっています。このため、「暦のピラミッド」という
別名もあります




ククルカンの降臨



年に2回、春分の日と秋分の日に「ククルカンの降臨」という現象が起こり
ます。

太陽が沈む時にカスティーヨの階段の西側に、カスティーヨ自体の影がクク
ルカンの胴体のように映ります。そして、階段の下部にあるククルカンの頭
像と合わさり、完全な姿となるのです。

このような現象が起こることを把握して建造されているため、当時の天文学
の発達が驚異的なものであったことがわかります。

カスティーヨは実は二重構造になっており、初期のトルテカ=マヤ方式のピ
ラミッドが内蔵されています。玉座や、生贄の心臓を捧げたチャック・モー
ル像などがあります。




戦士の神殿



カスティーヨの東に、戦士の神殿と、柱が林立した千柱の間があります。

神殿の入口にはククルカンの石柱やチャック・モール像があり、ここで生贄
の儀式が行われていたことがわかります。




球戯場



球戯場では、サッカーのような競技が行われていました。手を使うことは禁
止で、石でできた輪にボールを入れる(当てるとも言われています)と得点
になりました。この競技は、豊作を祈る儀式として行われたといいますが、
いまだ不明の点があるそうです。競技の勝者は(敗者という説もあり)、リ
ーダーが生贄として神に捧げられました。




セノーテ(聖なる泉)



ユカタン半島は石灰岩の大地でできており、その地下水脈が陥没してできた
池がセノーテです。チチェン・イッツァのものは直径60m、水深80mにも及
ぶそうです。雨の神チャックの住処とされていました。

当時、干ばつや豊作を祈願する際、神の声を聞くためとして生贄が投げ込ま
れました。男女や子供など、様々な人々が捧げられたそうです。

後に、アメリカ人の探検家エドワード・トンプソンがここに潜り、財宝や人
骨を発見しました。




天文台(カラコル)



マヤ人は、農耕や戦争のために暦を正確に計算していました。このカタツム
リ型の天文台(カラコル)はそのために造られました。土台が9m、建物自
体の高さは13mあり、中心には螺旋階段が設けられています。ドーム部分に
は細長い窓があり、春分の日の日没や、月が最北端に沈む方向などを正確に
観測することができました。

ユカタン半島には多くのマヤの遺跡群がありますが、ビーチもとても綺麗で
す。ちょっと立ち寄ってダイビングなどを楽しむのもいいですね!










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最終更新日  2025.05.14 05:00:12
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