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2025.07.23
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カテゴリ: unclassified
ↈ世界遺産 ●ロイ・マタ首長の領地


ↈ世界遺産




●ロイ・マタ首長の領地
国:バヌアツ 登録:2008年





ロイ・マタ首長の領地はバヌアツにある世界遺産で、最後の大首長であったロイ・マタの生涯を象徴する
17世紀初期の遺跡です。ロイ・マタとは、バヌアツのエファテ島周辺の島々を支配していた最高位の首長の
称号で、地元で語り継がれてきた物語の中にも登場します。

んなロイ・マタの領地だった場所のうち、特にその生涯にゆかりのある象徴的な場所(邸宅、死んだ場所、
墓の3箇所)が対象となっています。これらは首都ポートビラのあるエファテ島と、その北東に浮かぶ2つの
小島(レレパ島、エレトカ島)に散在しています。
ロイ・マタ首長の領地はバヌアツで初めて登録された世界遺産です。





フェルズ洞窟(面積:888.31 ha)



レレパ島(Lekepa)にある高さ35 m、幅52m、奥行き47mの洞穴。
ロイ・マタは地元で語り継がれてきた物語の中に登場する。それによれば、
エファテ周辺で長らく続いてきた諸部族間の抗争を終息させ、エファテ
周辺の島々に平和をもたらしたが、弟の放った毒矢に倒れたとされる。
1967年の発掘調査によって、墓に関する伝承の正確さは証明された。






エフェテ島とその周囲の島々



バヌアツの首都があるエフェテ島とその周囲の島々には、17世紀初頭に
存在したと考えられる首長ロイ・マタの生と死にまつわる場所が世界遺産に
登録されています。ロイ・マタの住居があったマンガース、彼が亡くなった
洞窟や墓などを含めて、バヌアツでは古くから続く口承がロイ・マタに
まつわる遺跡に反映されているというのが特徴。









Chief Roi Mata's Domain (UNESCO/NHK)









大首長 ロイ・マタの伝説を訪ねて



文字のなかった時代の出来事は、口承によって後世に伝えられる。こうした「伝説」に真偽が入り混じるのは仕方がない。エファテ全島を取り仕切ったという大酋長、ロイ・マタの生涯も、こうした伝説の一つと考えられていた。

それによれば、ロイ・マタは、その偉大な人格によって、戦いに絶え間のなかった諸部族を統一し、平和な時代を築いた。しかし嫉妬に狂った兄弟の毒矢に倒れ、衰え行く体力を振り絞って周辺の島々を巡り、ついにレレパ島で亡くなった。その亡骸は巨大な洞窟に葬られたと言われるが、海底の洞窟を抜けてエレトカ島で埋葬され、その際に46人が殉死したという説もあった。

1967年にフランス人考古学者がロイ・マタの実在を確認するため遺跡の発掘を申し出、酋長たちの許しを得てレレバ島とエレトカ島の調査を行った。レレパ島の洞窟には墓は見つからなかったが、驚くべきことに、エレトカ島には伝説通りの光景があり、そこを発掘すると、ロイ・マタと推定される墓が、46人の殉死体と共に見つかったのである。

エレトカ島の遺跡は元通りに埋め戻され、今は聖地として渡航が制限されている。ロイ・マタが生きた時代は13世紀中期と考えられていたが、発掘物の年代を炭素測定した結果、もっと後世の17世紀中期だったようである。

ロイ・マタが住んだと伝えられるエファテ西部の海岸の村と、対岸のレレパ島の洞窟を巡るツアーが、バヌアツ民族博物館と地域住民の協力によって開発され、9月の週末、ポートビラ在住のJICA関係者19名がそのツアーに参加した。案内の現地人や村人たちにはまだ不慣れなところも見えたが、我々は大酋長の伝説を学び、且つ村人たちの村おこし(現金収入獲得)に少々の貢献をした次第である。






メレ海岸村人によるロイ・マタ時代をしのばせる寸劇。異集落の
間で戦いが始まった






ロイ・マタに扮した老人が争いを仲裁する。






和解が成立すると、両者が貢物を持ち寄って「手打ち式」を行う。






ロイ・マタの時代から村人を見守り続けるガジュマル。人間の全てを
見通す知恵を持つと考えられている。








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最終更新日  2025.07.23 05:00:11
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