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今日も長い一日が終わる。大雨の中、ホテルは倉敷。明日は岡山と倉敷と再度福山。最近思う事。俺の仕事って何?(笑)営業として、自社の商品を売る。これ、当たり前。しかし。最近はフォローばかり。確かに売上は後からついてくるけど、ここ最近、本来目指してきた提案営業が激減。ふと我に返ると、物足りない。現場フォローも大切な仕事ではあるが、やはり「攻め」の営業をもっとしたい。4月までに営業資料をパワーアップさせて、新年度明けから役所や設計のドアを叩こう。先週の会議で初めて会った新人くん。鹿児島。熊本・福岡・北九州、そして広島。年齢も営業経験もバラバラではあるが、どうしたら営業の面白さを伝える事ができるんだろう?出張手当などはあるけど、残業手当の無い営業。定時5時に携帯を切る営業は、長続きしません。実際、もういないし(笑)春から担当を持たせる新人。どこを持たせようか・・・考えながらの営業。無難な得意先にするか、無理難題業者にするか、悩み中です。新人用の車も来たし、電話も3月には来る。春近し。
2013年02月26日
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土曜日は朝早く、関門海峡の朝日が目に沁みた。途中のサービスエリアで朝食。バイキングしか無く、全員で食う。皆に30分で食いまくろう~と指示。俺も何年ぶりだろう、朝食で御飯3杯。腹一杯で会議スタート。そして、すぐに昼ごはん。まさかの「超からあげ丼」。蓋、できないくらいのメガ盛。大学生の胃袋を満たす有名店。この量で500円。先に言って欲しかった。さて、週が明けて母親の施設。叔父の件には触れない事にした。俺自身も伝えるべきか考えた。そして悩んで悩んで悩んだ末、ホーム長に相談。ホーム長も悩んで話合いをしての結論。認知症であるが、喜怒哀楽は必要だとは思う。だけど・・・わざわざ「哀」を伝え、不穏が続くと周りは勿論、本人が一番辛いのではないか・・・個人的な考えです。笑顔に繋がる事は伝えたい。実際、今日も母は俺の話にケラケラ笑った。・・・それでいいんじゃないか?だって笑った事さえ、すぐに忘れてしまうんだから。仮に、もし、どこかのスイッチが反応せず、悲しい事が記憶に残ってしまったら?その辛さから母を守る方が優先かも。個人的な意見です。「あんたと会うのは3年ぶりくらいかなぁ?」と言う母親だけど、実際伝えてどうなるかわからないし。医学的、介護業界的、つまりマニュアルはどうなんだろう?ホーム長は家族の意見優先だと言う。実の弟が亡くなった事を知らない母は可哀想だ。だけど、ハーゲンダッツを食べながら「私、紫イモ好きやねん。あんた知ってたんか?」と言う母親は天使の微笑み。母親が選んだ紫イモ。俺はあの日と同じようにバニラ。心の中でごめんなさい、と言ってみた。しかし、何か複雑。間違っているような、これでいいような。ところで・・・コイツだけはマイペース。いろんな意味で俺を救う犬。
2013年02月25日
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今日は昼から尾道・福山。橋梁の現場×2、得意先×1。明日は岡山。モルタルを塗りつけて雨が降り、しっかり養生をしていなかったので雨で変色。クレームっちゃあクレーム。塗りなおしたら今度は気温が低く、一部硬化不良だと。この時期、施工は夕方までに終えて、硬化スタートには5℃は欲しい。氷点下で硬化を望むなら、下地のコンクリートを温めてから塗りつけてください。硬化時に温度不足が予想される場合は、投光器で温度確保。寒風からはシートで養生。それができないのであれば施工しないで(笑)NEXCO中国道で今、工事が中断しているのは低温だから。春になれば動き出す。トンネルは別だけど。尾道では俺の指示通り、モルタルを温水で練っている。だから問題ない。明日の現場、変色、硬化不良はメーカーの責任になるのかな。硬化促進剤のリクエストを何故しなかったか?提案しなかった俺の責任なんだろうか・・・言いたい事は山ほどあるが、現場を工期内に終わらせる事が今は一番大切。とりあえず明日は、「申し訳ありません」から始めよう。今夜はチェックインが遅かったから、デラックスツインに昇格。無意味に広い部屋の中。酎ハイとピスタチオ。そりゃ礼服もピチピチになるはず。週末、礼服とスーツを買いに行こうと思う。
2013年02月20日
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先週、叔父が亡くなった。年明けから毎週、病室へ足を運ぶ「当たり前」が途切れた。大阪にいる長男、仕事で会社を抜けれない次男。一番辛かったのは同い年の長男だろう。そんな長男の代わりに、たくさん話をした。冴えない駄洒落も言って笑わせた。看護師さんや家族が勧めても食べない食事。俺が持って行ったアイスクリームは食べた。これには看護師さんも驚き。口、開けてくれんかったんですよ・・・って。「紫いも」と「バニラ」。両方見せて、どっち?と聞いた。声が出ない叔父。力を振り絞って言った。「いもっ!!」これには二人、笑い続けた。美味しいを連呼。無理しなくていいと言うのに何度も口を開ける。スプーンで口に入れると目を閉じながら笑う。そしてまた口を開ける。あぁ美味しい・・・と言う、かすれた声を思い出す。結局、「紫いも」が最後の意思疎通になった。でも俺にしてみたら楽しいお別れだった。叔父がいなかったら母親が広島に来る事も無かったかも。困り果てた俺に「説得してやる」と言ってくれたのは叔父。一緒に大阪に行って、広島まで母親の移動に付き合ってくれたのは叔父。俺の言う事を全て拒否していた母親。叔父の説得で広島を受け入れた母親。そこに見たものは、年老いた姉と弟の強い絆。叔父には感謝している。だからこそ、岡山の担当を持ち続けた事も事実。やがて来る最期に少しでも役に立ちたかった。だから自分の中で満足している。きっと自己満足だろう。でもそれはそれでいいと思っている。明日、岡山と尾道で打ち合わせ。移動中、病院に立ち寄る「調整」は明日から不要。叔父さん、ゆっくりと休んでくださいませ。
2013年02月19日
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