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いつもご覧いただきましてありがとうございます。瀬賀倫夫は2008年12月6日、天国へと旅立ちました。中南米の音楽をこよなく愛し、病気で入院した中においてもライブを敢行するほどであったことは、ご存じの通りです。おかげ様で皆様に愛されまして、告別式では本当にたくさんの方々にお集まりいただきました。「生涯現役」というこのブログのタイトルどおり、最後まで好きなことに生き、皆様に可愛がっていただいた充実した一生であったと思っております。これまでの皆様の暖かいお気持ちを心より感謝申し上げます。本当にありがとうございました。
2009.02.09
18日の熱狂の文福ライブのご報告前に大至急の連絡=宣伝。明日夜の10時から新潟放送ラジオの「音楽夢語り」という番組で小川さんとのデュオで「古いチャカレーラ」(私のCDより)と山田恵範(よしのり)さんとのデュオでタンゴ「ガージョ・シエゴ」の2曲が流れます。山田さんとの曲は06年8月27日長岡市風の街ホールでのライブ。そういえば山田さんは今日は津南町でアルパの増永さんとのライブのはず。雪にはたまげたであろう。それはともかく、AM1116KHZ、BSNラジオ「音楽夢語り」(途中CMいっさいなしのいい番組です)。遠い地域の方、すみません!写真は山田恵範さん
2008.11.21
ありがたいことです。開会直前になって追加の椅子がジャンジャン運び込まれました。私にはおなじみの男性水色女性ピンクのパジャマ(病院服?)の皆さん、中には点滴中の方も、看護師さん、いろんな色の制服を着たお医者さん、技師さん、そして非常に多くの病院無関係者(なぜでしょう?)で会場はまたまた超満員の100人。そして取材の新潟日報さんも!ほんとにありがたいです!!!関屋公民館のときより少し緊張しながらの45分はあっというま!入院時お世話になった看護師長さん、副看護師長さん、O看護師さん、そして主治医のk先生からごあいさつをいただきました。涙を浮かべて聞いてくださった方も多い、とのこと。それは演奏の力ではなく、私の境遇へのお心遣いでしょうが・・・・患者のみなさん、ほんと、一緒にがんばって病気に打ち克ちましょう!!☆反省点南米の旅、と銘打っても必ずや「禁じられた遊び」「アランブラ・・・」の声が上がると覚悟していた。しかし今回、死角を突かれましたね!手を挙げた男性のリクエストは「古賀メロディー」・・・う~ン、研究の必要あり。「悲しい酒」と「酒は涙か溜息か」の前奏だけ弾いてあとは「禁じられた遊び」でカンベンしてもらいましたが。※写真撮影=RYOSUKE※アフィリエイトたらいうクリック目当て、あるいはゲスな書き込みに困りはて、書き込みをできなくさせていただいています。文句やご意見も多かろうと存じますがメールにてお願いしたく存じます。
2008.11.15
先週まで入院していた県立ガンセンター新潟病院でライブ。なんか恥ずかしいですな。2階の豪華な講堂で規定により45分間だけなのですが・・・・。恩返しのつもりで頑張ります。明日、結果報告も書きます。※アフィリエイトたらいうクリック目当て、あるいはゲスな書き込みに困りはて、書き込みをできなくさせていただいています。文句やご意見も多かろうと存じますがメールにてお願いしたく存じます。
2008.11.14
当初21日(土)の午前に行う予定だった県立がんセンター新潟病院でのライブが会場に暖房施設が無いため、豪華な2Fのホールに会場を移しついでに日程も早め14日(金)15時から、となりました。18日は五泉市の高級割烹「文福」さんで18時30分から。下の玄関写真からもその格式がわかる文福さんの豪華お弁当とワンドリンクがついて3500円は、私のギターをどう低く見積もってもお得!?デス。26日の東北電力新潟グリーンプラザでのバンドネオンの小川紀美代さんとのデュオは変更ありません!
2008.11.07
病室で11月を迎えるたぁねえ!菊香る、も文化の日もねえもんだ!!!とグレたいところだが、冷静にライブの予定など(重病人ですが)。22日(土)10時半、県立ガンセンター新潟病院1Fホールで30分のミニライブいよいよ県内病院制覇のスタート!26日(水)18時半、新潟市東北電力グリーンプラザで小川紀美代さんとのデュオで。いつもこの組み合わせのライブは満員なのですが、今回はダンスも登場、私が死にそう、など話題満載ですからこむだろうなあ・・・・・(^^;あと18日に五泉市でギターソロミニライブの予定もあり。病人なのだから闘病関係を書けば第3週で抗がん剤の2コース目が終了、また一時退院かな、と期待。写真は小川紀美代さんとのデュオ(古いヤツですが)
2008.11.01
昨日あたりともなると、少なからぬ皆さんがメールや直接病室にいらしてたずねた。「土曜日のライブ、ど~なったん?」心配かけてすみません。やり終えました、70分。盛況でした、150人。いただきました、花、華、クラフト、うーめん、さわやま大福 etc。好評でした、ブエノスアイレス午前零時。こんな俺のギターでも人を感動させることができるのかも・・・の手ごたえを得ました。ああ、いつまでもギターと生きていけたら・・・・・みなさん本当にありがとうございました!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!注、 ウーメンは福島からいらした斎藤ご夫妻の提供。温麺はwomenと違います。注2 花もたくさんいただいたが、ステージわきを「華やかに」飾った 高見康夫氏提供(いつもいただいてます)のランは圧巻。よって「華」注3 お名前聞きそびれてしまったがギター刺しゅう入りの手作り写真立て、感激。注4 来ると思ってました!さわ山大福。ブログ愛読ともどもありがとうございます、 INAMURA様!写真は、TADA氏提供のもの。写真中に写ってるRyosuke氏激写のものはなぜか編集が不能だった(ゴメンナサイ)
2008.10.28
ああさわ山、a・a・sa・wa・ya・ma。aが続く響きが美しい。なんのこっちゃい?だろうねえ。新潟市中央区にある「さわ山」さんの大福は佳品、いや絶品である。リポーター時代に取材に伺ってその凄みにうならされたが所在地はいわゆる「下(しも)町」にある。かつてこのあたり堀で隔てられたいくつかの島々であり、島ごとには街路はキチンと区画されていたのを間の堀を埋め立て島同士を強引にくっつけてしまったら道路は複雑極まりない一帯となってしまった。だから車でなかなかたどりつけないでいた。それが昨日「もらいものだが・・・」とある方が持ってきてくれた。すばらしい!!!!持てば形を変えるほどの繊細なうすい皮からあふれそうな粒あん。アンの甘さもちょうどいい!絶品佳品である。千客万来の店頭も当然である。ついでにいえば見舞いは「花より大福である」。もともと私は大福好き。子供も福島大学に入れたほど。ん?わかりません?福島大学=福大=大福でんがな。実は写真を撮ったあと「チン」したら繊細な大福は容器にくっついてしもた。それを無理やりひきはがして皮もあんこもいっしょくたに食ったら遠い日のばあちゃんのおはぎの味がした。ところでたぶん今日中に、このブログのカウンターが33333になりまする。ちょうどヒットした方、メールでお知らせくだされば粗品謹呈。Iモードでごらんの方にはカウンターは表示されないようですので申し訳ないのですが・・・
2008.10.23
昨日火曜日から始まった抗がん剤治療第2コース。まあ、前回幸いにも副作用の皆無だった薬と同じなので安心感はあるのだが、やはりドキドキ。今日2日目を終えた段階で、副作用はありません!!!「副作用に負けない勇気?強い意志」デス。でも、4週間全20回のうちの2回を終えただけですから前途は茫々(ぼうぼう)でございマス。ところでまもなく、このブログのカウンターが33333になりまする。ちょうどヒットした方、メールでお知らせくだされば粗品謹呈。Iモードでごらんの方にはカウンターは表示されないようですので申し訳ないのですが・・・
2008.10.22
昨日からまた入院生活。前々日のCTでやはり少し悪化していることが判明。重病人であること再認識。それはともかく!来週25日土曜日13時から地元「関屋地区公民館」でソロライブです。あと7回今朝と同じ目覚めをすればたどり着けます。当日は外泊許可をもらって朝から準備というつもりだった。ところが、やはり自分の思う通りにはいかないもの・・・・というか、オレのほうではすっかり予定しその気になっていた「来週月曜日からの抗がん剤治療第2コース」は病院サイドではあまり予定していたことでないのかどうか「来週月曜日からは無理、土曜日にかかると演奏会もあるだろうし、1週伸ばして開始かな」というなんとも微妙なお話になっている。「そりゃないよ、(スペイン語で)NO HAY DERECHO!それだったらもう1週間家にいられたジャン!」と言いたいところだが優等生患者を目指す私は言いません(^^;ライブの準備も目論見どおりいくかどうかスッキリしないのだが関屋公民館のソロは頑張りまっせ!当然、人生最後のソロライブのつもりでリラックスしてギターに語らせてみたい・・・・・そんな意気込みデス。※写真はアルゼンチンのFM局でなぜかふんぞり返る筆者。お医者さんや看護師さんの前でこんな恰好してみたいもんだが(^^;
2008.10.18
束の間の自由はそれこそアッという間に終わります(泣)明日から再び入院生活。・奔放に?暮らしたこの10日間で体内は悪化していないのか?・あの生活に慣れるのにまたしばらくかかるなあ。・今度も再び出てこれるだろうか(病院ではコノ世にお別れしたくない!)とか不安だらけ・・・・・。まあ、1日1日目覚めるたびに感謝の生活を送っていくしかないな!で、退院の日に作ったおでん、ついに最終日の今日まで持ちました。持たせました!もちろん書いてきたとおり、だし汁もタネも何回も入れ替わりました。間違ってもなべの底に11日前のチクワが沈んでいたりはしない!ま、沈んでいたりしても、皆さんに食わせようというのじゃないからエエじゃないですか(^^;あ~ッ!!!今日は午後からCTのために病院へ行くのだった!・・・ほとんど今日から入院と同じだ(涙)・・・・
2008.10.16
雑誌LATINA~ラティーナというラテン音楽専門誌(一応全国誌)に毎月輸入CD紹介記事を書き始めて約10年。いつのまにかこれも「ライフワーク」と言えなくもない。執筆陣の中でも「長老格」?の年齢らしい・・・。ま、こちらは聞き始めて45年!だからしょうがないか。時折りはン千字単位の本文記事の依頼も来るが最近それは古いアーティストの追悼記事専門の様相を示している。で、CD紹介だが担当のCDは選べない。むこうから送られてくるのを書く。はっきり言ってオレにはシブいのしか来ない。それこそたくさんのアーティストが「お友達」のチャカレラというジャンルは回ってこないんだな!!きっと東京在住の若いライターがそれら人気あるものをさらっていくのだろう、と邪推する。で、今月もシブめの二人のアーティストのCDが届いた。ひとりはラモン・アジャラという日本ではマイナーだが本国では長老格。実はラモンにブエノスのレストランで会ったことがある。日系の兄妹、アレハンドロとクララが一緒だった。オレが「わ~ラモン・アジャラだよ!」といって近づいてあいさつすると兄妹も適当に調子を合せてくれたが、席を離れるとすぐ「大きな声で」「セガさん、あのひとカツラだよ」と兄。「そう、それもあまり高くな~イ!」妹が補足。・・・・・・ダイジョウブ。これは日本語の会話だから。とは言え私はおおいにあわてたが(^^;忘れていた、この兄弟がバスでも地下鉄でも乗客内のカツラ着装者をつぎつぎ看破する異能をもつ兄妹だったことを。20年たった今、ジャケットのラモンの写真を見ながら「もうあんたもたぶん80近いしカツラをとってもいいんじゃない。音楽だけでなく絵画の才能にもあふれているんだし・・・」と語りかけてしまった。ラモンは画家としても有名なのだ。
2008.10.13
いやあ参りました。おととい「片付け隊」のM氏S氏の二人からわが部屋を埋め尽くす「万巻の書」(98%が文庫本)の大整理をお願いしたのだがやはり私も動いて重いものを持ってしまい、その報いであろう、昨日は朝から全身倦怠感。病院へ検診のために往復した1時間半と食事の時間を除いた21時間を寝て暮らした。今朝は「復旧」!・・・・フ~ッ!で、いつもの起床時間の4時半に起きだして「懸案」のおでん再生事業に着手。ねりものもいっしょに「コトコト煮⇒冷ます」を繰り返したせいであろう煮汁の濁りと「アク味」の増加が目立ってきた。どうして再生しよう?と悩んだ末に、まず鍋の中の具材を全部取り出して、煮汁は濾して別鍋に。大鍋には新たなだし汁をはり、ねりもの以外の材料をいれて煮始める。ねりもの系は古いだし汁の中である程度煮込んでから大鍋に、という作戦。作戦成功!!あまりはっきりわからんでしょうが写真のようにきれいなだし汁にうまそうな材料が浮かぶ?という結果に。あと約1週間は持たせるつもりだからもう1回はしなければダメかな?しかし気の毒なのは片付け隊のお二人。少しイヤそうだったが無理やり持たせたおでんは濁った汁と強いアク味という最低の状態のものだった!!スミマセン、いつでも取り換えます!!!!こんなことしていていいのか?病人なのに?!といつも思っているのだが「緒方拳さん肝臓がんで死去」のニュースがその思いをあぶり出した。緒方さん、ずっと秘密にしていたそうだ。そりゃそうだ、冷酷非情を絵にかいたような芸能の世界。緒方さんクラスでも「病気=失職」にオビえていたのだ。田舎のリポーターもどきだったに過ぎない私なんぞ推して知るべし。「そんなやつぁ初めからいなかった」扱いである(^^;
2008.10.09
退院した午後、ゆっくり午睡を取った後にやったことはまず料理・・・・好きなんだなあ!脂肪が少なく、刺激もなく、ほどよき栄養とくればおでん、であろう。強引だが。家人が整えた材料のまずは下ごしらえから。肝腎です。大根を米のとぎ汁で丁寧にゆでる。ゆで卵を作る。揚げ物は徹底的に油抜きをする。ジャガイモも煮崩れのしにくい(最後は崩れるけれど)メークィーン。なお、大根の面取りについては私は画期的な手法をあみだしている。3センチほどの輪切りにした大根の角に皮むき器をあてがい、大根を1回転させるだけ。庖丁のように幅が不ぞろいでない細く均一な面取りがアッという間の短時間で出来る。誰かほかにも考え付いた人がいるかもしれないが自分で考えたことは偽りじゃない。で、写真のように丁寧に並べてあとは煮込むだけ。このあと、少なくなった材料や里芋(水を何度か替えて下ゆでしてぬめりとりをする)などを次々足したり加えたりでコトコト煮込んでいくつもり。なんせ、次に入院する約2週間後までおでんで生き抜こう!というのだから・・・・・。香るおでんの匂いにコトコトという鍋。そのかたわらでギターの練習をすればつかの間の自由ではあるけれど、その解放感はサイコーっす。
2008.10.06
ちゃんと夕飯が終わる時間をわきまえて高校の同期生だった医師のW君が訪ねてくれた。以前、サナダ虫に関連した記事で「彼はまだ5メートル位のサナダ虫しか肛門から巻き取ったことはない」などと言及したら、「ヨタ記事書きやがって!オレはサナダ虫など巻き取ったこたぁない!」と厳重に抗議された。・・・・そう聞こえたんだがなあ!?まあ、それはともかくそのあとも変わらずにしばしば様子を見に来てくれるのはとてもうれしい。自身、優秀な内科医なのだが、他の病院、他の医師の診療には言及せず、という節度、倫理も潔い。W君と初めて会ったのは高校の屋上のさらに上の階段室上屋という梯子しかかっていない手すりもないきわめて危険なひと隅でだった。(いまなら怖くて足がすくむ。上がれるもんじゃない)授業をさぼって上がっていたら先客がいた。W君だった。「オタク何組?」と彼のほうから尋ねてきた。W君は「授業内容が幼稚すぎてツマらず」オレは「授業内容が高級すぎてわからず」という違いはあったが、サボリ仲間となってしまった。それから40年後も頭脳内容の差は歴然と保ったまま、付き合っている。彼には20代のころ「つくづく学習能力のない奴だな!」とあきれられたことがある。(学習能力あったらオレも医学部へ行けたワイ)と思ったが、実際はグーのネも出なかった。W君はこの最初の出会いをおぼえているだろうか?もしおぼえてなかったらこう言いたい。「記憶力のねえやつだなあ!!!」今年は同い年の悲報が相次いだ(涙)ふっと高校時代を回想すること多い。
2008.10.04
このまま順調に推移すると週末にいったん退院できるらしい。もちろんそれは「治った」「回復傾向」「良い兆し」などを全く意味しない!ただ抗がん剤治療の4週間1コースを終えて次に取り掛かるまで数週間の休み期間を置かねばならないという理由だけによる。そして、どうせ先が短いのだから家での生活をできるだけ味あわせてやれ!の意味も多いと思う。闘病生活というのは何事も「めでたさも中くらいなり・・・・・・」が多いのだなあ。とはいえうれしいのは事実デス。結果として「人生最後の自宅生活」にならないよう自重しなければ・・・・ウナ丼、カツ丼、天丼、焼肉などとは無縁の生活を続けるのだ・・・・!!!!他県の方にはなんのことやらわからないでしょうが月曜日始まった新聞連載のせいか、このところこのブログへのアクセス数多いのです。うれしいのは明らかにクリック目当てとわかるさもしい(あるいは下司な)サイトからのたぶん自動送信と思われるアクセスが超少数派になるほど一般アクセスが多いことです。ありがとうございます。でも申し訳ありませんが「さもしい(あるいは下司な)サイト」からの迷惑書き込み拒否のため書き込み機能は使えなくしてあります。ご意見・お叱りなどは「メール」にてお願いできれば・・・。
2008.10.02
外泊の楽しみが「うんめもん」探求になっている。・・・いちおう重病人なんだけど・・・・いいのかなあ?ま、いいのだ!!この間病室に遊びにきたウクレレの同志Ryosukeさんがホテルマンだった時代上司に連れられて行ったすし屋でとんでもなく美味しい豆腐に巡り合ったという。醤油なんかいらなかった、いやかえって邪魔だったという。あえてつけるなら少量の塩、ともいう。新潟市中央区すずき食品さんというところで製作販売の「袖振り豆腐」というらしい。早速家人に買いに行ってもらい昨日の夕食で食ってみた。なお、すずき食品さんは間口の小さい昔ながらの豆腐屋さんという感じだったらしい。袖振り豆腐木綿、同絹ごし、おぼろ豆腐の3品。いやあ!!!なんだこの香り高い豆腐は!!!!!!!大豆というか豆腐の香りが口中に広がる。醤油も薬味も邪魔だ!木綿、おぼろ、絹の順で気に入った。テレビリポーター時代なんどか豆腐の名店にお邪魔して「醤油かけねで食ってくれ!」には出会っている。しかしこれほどのものには・・・・・・・・・・・・・・・Ryosukeさんありがとう。新潟には本当にうんめもんがたくさんあるわい。そのRyosukeさん、今日はうまい豆腐を求めて某市の某豆腐店に出かけているという。私はその店を知っている。で、あえていわせてもらえば新潟市中央区東掘通に走ったほうがよかったであろう(^^;なお当然ながら「アフィリエイト」なんちゅうさもしいことはしておらんで!
2008.09.28
バンドネオン演奏家小川紀美代さんの食欲をこの前の前の記事「申告、外泊食」のかつカレー蕎麦がいたく刺激したようだ。「ウ~食べたい!」というメールからたった1時間で「カレーかつうどん、いただきます!」というメールが到着。手早い!そして・・・・・・・・・・みごとだ!!きれいに切ったカツ、緑のいろどりのカイワレ大根、さりげなくレンゲ・・・などなど、美しいのだ。食欲をそそるのだ。オレの「かつカレー蕎麦」の写真を載せなくてよかったぁ!バンドネオン演奏家小川紀美代さんのことは「お友達?有名人シリーズ(?)」の超大物として後日ヤリ玉にあげる予定だが洗練されたそのHPや演奏と「カレーかつうどん」の写真とに大きなギャップを感じるムキもあるかもしれない(^^;※後を絶たない迷惑書き込み対策として書き込みができなくなっています。ご意見、お叱りなどはぜひメールで!
2008.09.26
アクセス数が30000を超えた!と管理者からメール。ウァア、そいつはめでたい・・・・・・・・といいたいけれど複雑。なぜなら3万のうちほんとに読んでくれている人のものはたぶん6割の1万8千くらいだろうと思われるからだ。あとはなにか?アフィリエイトだかなんだか知らないがカタログ状の自分のブログに誘導してクリックさせて小金を稼ごうというさもしいサイトさんの自動配信ソフト(たぶん)によるものだと推察するからだ。さもしい、ほんとさもしい!そんなふうに踊らされているから巨悪はさらに巨富を蓄えるんじゃよ。ちなみにタイトルは小林一茶の「めでたさも中くらいなりおらが春」から取っているがこれはジョーシキ!知らなかったらアフィリエイトよりベンキョーしてほしい。先の短いジーサンだからたまにお説教するノダ。
2008.09.25
1泊の外泊なんてほんとアッという間。終わってみると悲しいモノ。でも、食いものは健全かつ充実。土曜の昼カレー7週の空白、そばへの飢え、を一挙解消のためレトルトカレーうどんのもと、松代善屋の乾麺、にヒレカツ。そう、じゃああん!特製カツカレー蕎麦。店屋にはない!土曜の夜息子一家、兄夫婦に老母も加わりまるで退院したかのようなにぎやかさにまた作っちゃいました、パエージャ!!!材料もいいのでなおさら美味で好評。自分で言うのもなんだがおれって料理ウマい。少なくともギターの何倍も上手だ!日曜朝息子の嫁さんが作ってくれた。あさりのうしお汁、卵焼き、なっとう、サラダ健康第一。日曜昼(最後の昼餐)宮城生まれの息子の嫁さんが「隠れた新潟の名品=三日月のイタリアン」をリクエスト。おれにとっても20年以上ぶりの味。当然おれはカレーイタリアン。う~ん、うまかった。うまかったが病院に戻る前の食事としてはいかがなものか?の反省も残る。まあ、ほかにうまいものが目白押しの新潟からあえて「イタリアン」を名物に打ち出す必要もないと思う。三日月さんには悪いがやはり位置づけとしては新潟B級グルメだろう。B級とはいえ、F県のK方ラーメンの水準をはるかに超えているけれど。K方のあんなゲロはきラーメンを、行列までして食ってウマイと思う人カワイソー!
2008.09.23
宣伝です。今日のことなんですが夜の10時から新潟放送ラジオの「音楽夢語り」という番組で入院前日の8月4日に新潟市万代市民会館で山田恵範ラテンギターコンサートにゲスト出演した折の小生のソロのライブ録音が流れる予定です。会場にいらしたBSNのOBさんのご好意です。(古くからの知り合いでもあります)AM1116KHZ、BSNラジオです。遠い地域の方、すみません!
2008.09.20
ほぼ毎週金曜日は血液検査。血液を3本の検体にわける。どうして、3つなんでしょうねェ?ひとつは、白血球とかの数の検査、つぎは、ガンマgtpだかなんたらの肝機能の検査、3つ目は、塩分が多いとか、少ないとか・・・・と看護師さんが教えてくれた。断わっておくが、「なんたらかんたら」や「多いとかすくないとか」は私がよく聞いてなかったり、聞いてもわからなかったので省略したのであって看護師さんのお言葉ではない。キチンと答えてくださっている。なるほどね・・・・塩分が多いとか少ないとかねえ・・・・・食物摂取の実態も分かるのだなあ・・・・・だとすると「カレー分」の不足、それも圧倒的不足もほんとはわかるのではないか?7週間、カレーを全く食ってないからなあ!!!!!洋食屋さんのカレーライス、いいねえ!カツカレー、おおおおお!!!!自分で作るんだったら安くておいしい「オリエンタル」がいい。それはさておき、明日は、3週間ぶりの外泊じゃあ!!!!!※ご意見、お叱りなどはメールでどうぞ
2008.09.19
この前の記事「メン食いだったのだ」を読んだ常連さんに深読みのヒトがいらした。う~ん、なるほど・・・・というしかない。「ラーメン、そうめん、日本そば、ウーメン、いなにわ、塩焼そば・・・どれかひとつは最低食っていたな・・・・」のうちの「ウーメン」をwomenと解釈されて「ラーメン、そうめん、日本そば、女性(複数)も当然食ってたよ・・・」と解釈されたそうだ。ワタクシ、そんな元気とっくにありませんが・・・・・・・(^^;深読みの方は、カメラマンH間さん、通称nobuさん。エラいです。なお「ウーメン」は漢字で温麺、宮城県白石市名物です。私、これも食ったことありませんが。※クリック目当てのトラックバック、エロサイトに誘う書き込みの多さに耐えかね現在書き込みをできなくしています。お叱りなど、おっしゃりたいことも多かろうと存じます。「メール」でお寄せいただけると幸いです。筆者の公式?サイトへもどうぞ
2008.09.18
入院生活も早いもので7週目!窓の外は秋になるわけだわ。で、豚の食欲だから病院食をうまいうまいと食い続けついさっきまですっかり忘れていたことがあるのに気づいた。この7週間、まるでJAの広報マンのように米の飯だけ食い続けだった。思い出した!おれは1日1麺どころか1日2麺、3麺あたりまえの「麺食い男」だったことを!(ついでに納豆は「新潟納豆」=高橋商店=を1日3食)ラーメン、そうめん、日本そば、ウーメン、いなにわ、塩焼そば・・・どれかひとつは最低食っていたな・・・・しかるにこの7週間は外泊の折に食ったS吉のラーメンと自分でゆでた妻有そばの2食だけ!!!!!!これは大変なことになっておる。ああ、メンがくいたい。麺が食いたい!めんが食いたい!なんか食い物関係の話題が続くが麺が食いたい。しかし7週間気づかなかったというのが一番ショックだが。
2008.09.16
サイボーグとなったワタクシ、胸にできた受け口にシャキ~ン!とチューブ&ポンプをつないで抗がん剤連続5日投与という治療にかかっておる。毎日5時間かかる。昨日で5日中の3日を終えた。毎日何回も医師の先生と看護師さんがそれを期待するかのごとく聞きにいらっしゃる。「吐き気しませ~ん?」「食欲ありますか~?」残念ながら吐き気もしないし、ブタの食欲も健在である。抗がん剤ごときにまけるオレではない。(なんて、ホントは毎日ビクビクですが・・・)このくらい「優等生」だとひょっとして許可が下りるかな?と次の連休の外泊について主治医の先生に伺ってみた。「ダメ、ダメ!、ダメ!!」トリプルダメだった。「副作用が無くっても白血球が減ります。外で何かに感染したら一大事!」は~い・・・・(泣)今日も10時から始まる抗がん剤投与5日中の4日目。ここまでくりゃ副作用はこないだろう!でも外泊できねえんじゃな!くっそ~・・・・・・・。「グレてやる。外泊させないのならグレてやる!グレて病院食堂でカツ丼たらふく食ってやる!!!!」とナースステーション前あたりで叫んだら楽しいでしょうなあ?できるわけないけれど!!!!
2008.09.11
今朝病室のお引越しをした。ま、ベッドやテレビ机ごと20メートルほど移動しただけだからものの5分で済んだ。これにより個室料が1日1500円安くなった!部屋のトイレはなくなったがトイレなんか無くてかまわない。もひとつうれしいのはこの病院の建物の構造的欠陥に起因すると思われる「個室についているトイレは隣の部屋との共用であり防音配慮がゼロ」の問題から解放されたことである。ここで今朝までの隣室の入院患者さんの個人攻撃をするつもりは全くない。お顔も知らない。お名前も存じ上げない。そしてたぶん御病気のせいで不如意なことも多いのだと思う。だから事実のみ記す。繰り返すが個人攻撃は一切していない。隣室の方はとにかくひんぱんにトイレを使用なされた。(多い時は1時間に2~4回)たぶん御病気のせいと思われるそれも必ず「大」であった。なぜわかるかというと悲しいかなトイレの中の音は病室内に筒抜けなのだ(明瞭に!)。見舞いのお客さんも談笑中にチョイと気を取られ、音の実態に気づいて「まさか!」と心で打ち消すが「やはりこいつぁナニの音に違いない!」と鼻白むことも多々あった。そして御病気のなせるワザに間違いないが信じたくない箇所に汚点が散っていることもあった。ご病気のせいだろう、と私はそのトイレをほぼお隣専用として差し上げることにして一般トイレを使用していた。繰り返すが個人攻撃ではない。しいていえばこの病院の設計コンセプトミスだ。掃除もチョイ不足の感もある。まあ、今日からは天国だあ・・・・・あ、そうか、どうせ間近な天国にあわてて行くこたぁないか(^^;今日からは静寂な別天地だぁ!
2008.09.09
2週間前は脚の付け根の動脈から肝臓へ・・・・・だったが、本日は午後から鎖骨下の動脈から大動脈を経由して肝臓へパイプを固定する。しかし現代医学はすごいことをするもんですな。この治療方法、最初に開発した人は腕の動脈から心臓までカテーテルを挿したそうだ。「ホラ、見て」といっても当時の医学界は全く無関心だったそうだ。それが今では脚の付け根から脳にまで挿し込み治療する・・・・・・という話を昨晩遊びに来てくれたW君から聞いた。W君は高校の同期生であり、優秀な内科医師でもある。先端医療の話も色々出たが、サナダ虫とかなじみのあるお話がホッとする。「ま、昔は肛門から10メートルも手繰り寄せられれば名医と言われたが・・・・」口ぶりからはW君は5メートルモノくらいしか手繰ってないようだ。漱石「坊ちゃん」の時代からいうように生肉(特に豚)には気をつけましょう。ところで今回、脚の付け根は関係ないはずなのに、「セガさ~ん、毛そった?」とズボンを下げようとする看護師さんがいて困った。「そこは今回は関係ないでしょうが!」あわてて押さえ事なきを得た?が、いずれにしても二人がかりパンツずり下げ、尿管ブスリ突っ込み、からは逃れられない。あ~ア!
2008.09.03
帰宅2日目の昼ともなれば少し気もめいりがち。飯を食ってしまえば病院に戻る時間はそれこそアッという間にやってくるだろう。しかし食わないわけにはいかない。そばをゆでて、副食には得意中の得意「だし巻き卵」を作ろう。だし巻き卵、いわゆる卵焼きだけどオレはこれを小学校低学年のころから焼いているのでまあ、生意気言わせてもらえばそこらのヒトは束になってもかなわないと思うヨ。やれ銅製の卵焼き器だ、使い込んだフライパンだ!などとゴタクを並べる人もいるけれどオレは道具は選ばない。卵焼き器でも中華鍋でも腐れかけたフライパンでもなんでもこい。とうぜん、コげ付かせるなんてことはない。ようくお弁当などにチョコレート?と思うほどコげている卵焼きを見るけれど、逆にどうすればあんな色にこげちゃうの?と思います。なんて、メいっぱい自慢をこいてきましたが今回は土下座をして「名人位」返上の失態。いろどり、巻き加減は写真のように相変わらず見事ですが・・・・砂糖と塩を間違えました!約1か月のブランク、出るのはため息だけです。さて、病院に戻るまであと3時間半、このまま「脱走」したくなる。
2008.09.01
外泊の夕食、なんにしよう?「パエージャ!」なんと!家人と同時に声が出た!!!!その朝、病院と家でそれぞれ見ていたNHKの朝の連続ドラマ「ひとみ」効果である。主人公の母がホームパーティーで作っていたのだ!テレビはおそろしい。で、家人に買出しを頼んだ材料が整ったところで調理にかかる!そうだよ!オレが作るんだよ!!おれは何十年も我が家の調理人だったのだよ!入院までは何年も隣家の母の朝飯をも作ってきたのだよ!オトコの料理、なんて趣味の問題じゃなく、仕事なんだよ!御馳走をただアホなことを言って食ってるだけ、はテ・レ・ビ!つい興奮してしまったがそれも1カ月ぶりに包丁を握った喜びのせい!ま、パエージャは気張るほどもない簡単な料理だけれどね。今回も次のようなキズがあったがなんとか完成。1、イカが近隣のスーパーになく、タコになったこと。2、シジミのような小粒「あさり」しかなく食うのに往生したこと。我ながらウマかった。オレが3分の1くらいしか食わないのに家人は「重病人のくせに食いすぎだ!」と鍋を取り上げた。そのぐらいウマかったのだろう。ああ、こんど包丁を握れるのはいつの日か・・・・・?※パエリア、パエリャ、パエラ・・など日本語表記もさまざま。しかしマドリードの王立言語アカデミーの周囲1キロ以内はいざ知らず、広~いスペイン語圏のほぼ100%の人がパエージャと発音しますゼ!英語・フランス語などへの気遣いに比べ日本のスペイン語表記は無神経です。スペインで試してください。パエリアといってもたぶん90%通じませんぜ。パエラでは全滅です。どうする?・・・・・パエージャというか、書いて示すしかありませんね!PAELLAと。
2008.08.31
入院26日目にして外泊許可が出た。うれしいもんですな!たった1泊だから、アッという間に過ぎるのだろうけれど。だいたい、家人はそれを聞いて「なんのために帰ってくるの?」「病院にいるのが一番体にいいじゃないか?」などと言う始末だ。あのねえ、今帰宅が許されるということはいまのうちに身辺の整理をしておけということだよ!最後の畳の感触を味わえ、ということだよ。つまり、昔の軍隊なら戦地出撃前の最後の外泊だよ!話がヘンなふうに変わってしまった。ラーメン、カレー、かつ丼、カツカレー、天ざる、チャーハン・・・・あれも食いたい、これも食いたい・・・・・でも全部食ったら病院に戻るのは救急車ですな!だからおとなしく病院食と同じようなものしか食べません。ホント、目的は身辺整理。
2008.08.30
昨日病床でテレビを見ていたら来年の国体の炬火(きょか、五輪でいう聖火。なぜ使い分けるか不明)の採火式があの旧山古志村で行われたという。44年前の国体の時、私は中学2年生。あまり愉快な思い出はないのだが、当時は県外からの選手は旅館に泊まる人たちのほかに「民泊」という一般家庭に泊まる人が多くいて同級生の中にも民泊を受け入れた家庭の子もいたなあ・・・。恥ずかしさで忘れられないのが学校近くの道路を通る天皇陛下を全校生徒で迎えた(というか眺めた)ときだ。道の両側をクラスごとに並ぶ生徒。各級長がタイミングを見計らって「ばんざああい」の先導をする役目を担っていた。私は級長だった。「なにが悲しくてひとりだけバカ声をだして『万歳!』などと叫ばねばならんの?恥ずかしや」けっして「戦前への回帰だぁ!日教組はどうした?!」などと思ったわけではない。国体が終わって4日後、大地震が起きた。新潟地震だ。昼休みのことだった。直後にグランドに集合した私たちが見たのは北の方角に上る黒煙だった。「こいつぁ、ソ連軍の攻撃ではないだろうか・・?」マジに私はオビえた。そういう少年だったのだ。※photo=新潟日報社
2008.08.27
オリンピックも閉会した。病床にあるからといって、観戦時間が増えたということはない。もともと私には、スポーツは自分でやるものであって見るものではない、という観念が染みついてしまっている。スポーツ実践に戻れるかもう分らないのだけれど。で、新潟での話題と言えば1年後開催の2回目の新潟での国体かな?44年前の最初の新潟国体、いま思えばかなり前から大騒ぎだった。あれはたぶん開催の2年前、小学校6年生の時だな?私たちはかなりの授業時間をさいてマスゲームの練習に駆り出された。当然自分たちが2年後にやるものと思って練習していた。陸上競技場で全市の小学生合同の練習もした。でも私たちがそのマスゲームをすることはなかった。演じたのは2年後の6年生。シミュレーションだったのですなあ!そんな練習の1日だったと思う。グランドに安西愛子さんが来て国体の歌の歌唱指導をしてくれた。いま、メロディはすべて歌えるが歌詞は最後を除いて忘れてしまった。最後はこう締めくくる。「若人の宴よ、新潟国体、新潟国体」に~いがたこ~く~た~いの部分を私は心では次のように歌っていた。「新潟航空隊、新潟航空隊」そういうコドモだったのだ(^^;
2008.08.26
Hテレビカメラマンさんのお見舞いのお土産は前から予告されて楽しみにしていたコミック「戦空の魂」(天沼俊)11巻だった。おもに太平洋戦争末期の日本軍航空兵器の末路を描いた作品。松本零士の名作「コックピット」にコンセプトは似ているかもしれない。メカニカルな部分の書き込みはとても丁寧で正確(たぶん)で好感は持てる。ただし日本軍の戦闘機同士が空中で何の不自由もなく無線のやり取りをしているが終戦時までそのレベルには到底達していなかったはずだ。しかしなによりもどかしいのは陸軍も海軍も等しく地獄のようだった毎日のように行われていた陰惨なリンチが画面の背後に全く見えないことだ。作者の生年を知らないがたぶん昭和30年以前ではないと思う。私のように父親の世代から「陰惨なリンチ」の実態を直接聞くことができなかった世代のはずだ。「ゼロ戦」への距離はやはり時を経るほど違ってしまうと感じた。「愛と死を見つめて」ではないし少なくも「愛」は見つめないけれど「死」は見つめているので(毎日エヘラエヘラしているようですが)ズバリ死を見つめる戦記ものには評価が厳しくなった。Hさんごめんなさい。でも11巻を一気呵成に読んでしまいましたよ。※バカ書き込み、アホトラックバック対策のため書き込み機能は使えません。ご意見などは筆者のHPの「メール」からお願いします。
2008.08.24
師長さん(ムカシ流なら婦長さん)じきじきに「お届けものデス」と持ってきてくださったのはアサヒビールの箱。「????差出人は?」高井研一郎さんだった。バドネオン奏者小川紀美代さんからの連絡網とその反応の速さに舌を巻いた!「高井研一郎さんって?・・・」という諸氏もどこのコンビニの書棚にも並ぶ「総務部総務課山口六平太」というコミックを知らぬはずはないだろう。ほのぼのタッチのサラリーマン漫画だ。書いているのは高井研一郎さん。以前から作画中にさりげなくタンゴの曲名を書き込んだりしているのでこのヒト、タンゴマニアだな!とは気づいていた。まさかその高井さんとアルゼンチンにご一緒するとは思わなかったが・・・。2003年1月、小川さんや私らがコスキン音楽祭に出場するのを機に高井さんは漫画原作者の中原さん、編集者の大沢さんとの3人組で応援に来てくださった。3人組は「トリオ・ロス・バカデス」という名前で、ブエノスアレスやコスキン市でたぶん地元の人も忘れられない楽しい逸話、思い出を残してきた。箱の中には高井さん著作のコミックのほかに「中国からの引き揚げ・少年たちの記憶」という大冊も入っていた。ちばてつやさん、赤塚不二夫さんらと同じく高井さんは敗戦前後に中国から帰国した子女のおひとりで幼少時代は上海で過ごされたことを知る。上海は私が知る数少ない中国のひとつ。陰影に富んだかつての「魔都」の深さに思いやりと洞察力あふれる高井さんの人柄を併せ思った。高井さん、プレゼントありがとうございます!!!!
2008.08.22
昨日は午後いっぱいかかるかなり大がかりな治療があり開始2時間以上前の午前11時に尿管カテーテルというのを入れられた。おちんちんに管を突っ込み寝たままおしっこを出せるというアレですがな!アレ~っ!そんなに突っ込むの?という感じでブスリ!聞くと挿入後は中で先端が広がり脱落防止と漏れ対策になるという。よくできた器具である。なんという名前か?と病棟の看護師さん3人に聞いたところ「ウチではフォーリと呼ぶ」とのこと。ま、それはともかく入れたとたんに感じる「おしっこしたい」の違和感はたまりませんね!ところが2時間もすると慣れてしまうのですな!知らず知らずにたまっていくのですな!動かなくてもいいのですな!24時間後には生活の一部?!う~ん、これって飛行機のエコノミークラスにいいかもしれない!5人掛けの真ん中なんぞに座らせられた日にゃ、チョイト失礼、トイレへ・・ってわずらわしいじゃないですか?これを装着しておしっこバッグをベルトにでもかければ7,8時間はもつ!「大」はしょうがないですよ!その時はトイレへ行ってついでに「バッグ」もジャーですよ・・・・。吐き気、食欲不振が起こりうると聞いた薬の副作用は全くない。こんなアホを考えたのが唯一の副作用かな?ところでこれも聞いた話だが、看護師さんには圧倒的に血液型B型の人が多いという。で、病棟の看護師さんと元看護師さん5人に聞きました。なんと5人中4人がBだった!!このあいだテレビカメラウーマンK野さんからお見舞いのお土産にもらったいま話題の血液型の本、マジに読もうっと!当然ながら本稿に写真はない!見たかった?
2008.08.21
サラリーマン時代は観光施設のPR戦略、イベント担当だった。どだい売り物にならない=中途半端な金のかけ方しかしていない施設だからなかば、いやほとんどがアイデア勝負である。そのアイデアで私はふたつ施設に貢献したと自負する。ひとつは広大なグランドとほどよい大きさの池があったことから「ラジコンランド」化である。グランドは夏の一時期しか使わないし、池は下の集落の用水だ。お墨付きのために、当時も今も世界最大のラジコン機器メーカーであるFUTABA=フタバの協力をいただくことにした。メーカーとしても安全な飛行場の増加は歓迎である。んなワケで、当時の日本で敵なしのチャンピオンでフタバ社員でもある成家儀一(なるけぎいち)さんはしばしば施設を訪れてその妙技を披露してくれた。このアイデア、ヒットした。関東地区から普段は様々な制約の下で飛行させているらしいいくつかのクラブが常連となり週末や連休に合宿の形で利用してくれ始めたのだ。水上機用の池もすこぶる好評だった。お金の使い方も豪快だった。おかげで私は仕事中も飛行機を飛ばしたりしていた。「テスト」である。しかし私が離れ、経営主体も変わるとこのラジコン飛行機ランドいつのまにか消滅へと向かった。日本人の悪いクセ、桜の木を周囲に植える、をグランドにも池にもやられてしまったからだ!!!なお、成家さんはその後世界選手権3回という偉業を果たした現在名実とも世界で一番有名なラジコンフライヤーとなった。ちなみにヒットしたもう一つのアイデアとは・・・・「津南ラテン山菜祭り」という。みんな趣味じゃん?そうだよ、文句あっか?※写真は85年ころの成家さん(左)と筆者。津南町の「ラジコン施設」にて。
2008.08.20
入院してんだね、やっぱり・・・・と思わせるタイトルでありますね。そうです「闘病生活中」です、間違いなく。8日前、静脈瘤(varice)がないかなどの検査のため内視鏡(endoscopio)を十二指腸(duodeno)まで入れてから、ベッドの昇り降りにも苦労するほどの激痛があったのだが2日前におさまった。カッコ内はスペイン語表記である。アルゼンチンの友にいくつもメールしてたらおぼえてしもた。人間、死ぬまで勉強である。もちろん、自慢である。その夜、やはり安らかに眠ったのであろう・・・・。夜半、読書灯をつけたまま眠りこんでしまった、と気づいた!あ、消さなくちゃ!と「スイッチ」を引き寄せ「赤いボタン」を押す。ん?消えねえナ・・もう1回、あれ?もう1回・・・そこでハッ!!!!とワレに帰った!「あ~ッ!、ナースコールボタンを押していたァ!!!!」・・・・・・・・・・・・当然、「ヒラあやまり」が午前中続いたこというまでもない!リポーター時代、泊まりのロケに際しての私の睡眠中の「いびき、寝言、歯ぎしり、狼藉」は有名であった。しかし、それが熟睡の証拠では看護師さんたちたまりませんね。スミマセン。
2008.08.19
コンピュータートラブルで更新ができなかったが今日から復帰です。お盆に入ったころ飛行機仲間の、というか私が最もお世話になっているといってよい心やさしい、製作・飛行技術も高い若い友、I田さんが奥さまとお見舞いに来てくださった。その日の朝ぶちまけてしまったテレビ局への怒りもI田さん夫妻の顔をみたらおさまってしまった。わがRCクラブは「飛友」という名称だがまさに飛行機の友のありがたさが身にしみた。エンジンをいただいたり、墜落機を修理してもらったり五泉での宴会では決まって息子さんの車でずいぶん遠回りして送ってもらったり・・・お土産に36年前の「ラジコン技術」をお借りした。当時、私は22歳。ラジコン入門にはまだ10年近くが必要だった。で、I田さんはというと・・・・機材をかついで自転車で飛行場へかよう中学生!まさに「飛友」だったわけだ!!!!!
2008.08.17
先月末までお世話になっていた、テレビ局のサイトの「出演者」欄からオレが抹殺されている。早~いっ!そりゃないでしょう!「復帰を待ってる」ハズじゃなかったかね?同じ出演者の某役者さんは2年ほど出演がなくても出演者欄から消えたことはなかった。然るにオレは2週しないうちサイナラ・・・・もうオレは死んだことになってるのかね!死者なら死者でそれに対する扱いがあるだろうがなあ!少なからずアッタマにきたから以降は「お世話になっていた」というカンムリをつけることは止める。「世話していたのはこちらのほうでえ!!!」(この怒り編、まだまだ続きます)
2008.08.13
ゼロ戦撃墜王坂井三郎さんを助手席に乗せて越後湯沢から十二峠を津南に向かっているときだった。・・・なあんて沢木耕太郎サンに対抗すべく坂井さんをお友達のように書き始めたがもちろんオトモダチなど恐れ多い。サラリーマン時代にホテルのイベントの一環として坂井三郎氏の講演会を企画し(もちろん私が!)お迎えに上がっただけである。戦時中のまさにサムライのような風貌(写真)とはうってかわった温厚な坂井さんは自分を飾らずまた過度な謙遜もせず実に素直なお人柄だった。「セガさん、このあたりの標高を当ててみましょうか?」名もない峠、十二峠の最高部あたりで坂井さんはほぼ正確に標高を言い当てた。高度感覚はある程度染み付いているのだという。坂井さんはその晩年の著書で、呪縛から逃れたかのように「正しいこと」を書き始めた、と思っている。それまでのが偽り、という意味ではない。「海軍兵学校出身者なんか実戦では何の役にも立たなかった」「それなら作戦能力に優れていたか?とんでもない!!自分は死なない特攻に下士官・兵を送り出しただけ!」いわばホンネを書いてから亡くなった。実名こそ挙げなかったが参議院議員にまでなった源田実もこき下ろしている。おおぜいの兵隊がキチガイの指導者によって落とさなくていい命を失った戦争。今年もまた終戦の日が近い。もちろん乗りたくて志願したはずの飛行機も必死特攻となれば話は別。無念さ、怒り、生への執着はいかばかりか。ラジコン飛行機に私はその思いをいつも乗せている。
2008.08.13
創元推理文庫かハヤカワミステリーシリーズかな?と思ったRyosukeさんの差し入れ本は沢木耕太郎だった。まともに読んだのは初めてだが、大変面白かった。ひとつ面白くないのが沢木サンさりげない体で、「井上陽水とこのあいだ飲んだとき・・・・」「山口瞳と句会にでたら・・・」てな感じで有名人との付き合いを誇示するのだ。気に入らん!こっちだって世間的知名度はやや低いかもしれないがその世界では錚々たる有名人がオトモダチにいるもんね!その第1弾は、南米ハープ「アルパ」の大御所ルシア塩満(しおみつ)さん。日本のアルパ世界を語るときいや日本とパラグアイの文化交流を語るときルシアさんの貢献を誰も無視できない。ま、「デビュー」が同じ時期、ということでお付き合いをいただいてる。音楽的に妥協のない方なので、コワモテ、アネゴ的イメージを持たれがちだが実に家庭的で優しい人だ。「セガさん、早く治して私の手料理を食べにきて」先週末新潟県内公演の合間に見舞ってくださったときのお言葉わすれられない。幼いとき一家でパラグアイに移住していた、つまり筋金入りの「ニッポン南米人」でもある。
2008.08.12
4人部屋病室の最新参おじいさんはかなり高齢。点滴を常時3つほどつなぎ尿も管でとり、とうぜんおむつ、の状態。だから動けるわけなど無いのだがこれがまた看護師さんの言うことを聞かない。しょっちゅう立ち上がろうとして叱られている。ばたん、ガランと音がした。なんだ?と身を起こすと、例の老人、尿の管を股間からちぎれるほど引き伸ばし点滴をむしりとろうとしながらベッドを下りかけているではないか?これはたいへん、と私の枕もとのナースコールを押す。「どしました~?セガさん」「いや私じゃなく××さんが、たいへんデス!」2、3人駆けつけてきて大騒ぎ。「セガさん、いうこと聞いてよ!」エ~ッ!?セガはこっちだけど・・・・・。ナースコールボタンを押したのが私だったせいかな?ま、これはしかたないでしょう・・・・。しかし、最後に極めつけの一発が待っていた。ひときわ元気な看護師さんが廊下中に響く声でこう言った。「セガさぁん!!!オムツも替えてお尻キレイにしてあげるからね!」同じ階の患者さんがみな昼寝していることを祈った。
2008.08.10
小学校低学年のときド田舎から新潟市に転校してきて給食がうまかった。脱脂粉乳うまかった(時々出るビンのホンモノダメでした)マーガリン最高!(時々出るバターのホンモノダメだった)鯨カツ?他人のぶんも食ったるよ(時々出るトンカツもっとうまかった)なんとまあ安上がりな少年だったことか!テなふうな子供時代をすごすとたとえば病院食じゃ足りないでしょ・・・と奥さまが買ってくる高級デパ地下のローストビーフはもちろんウマいがウクレレの同志Ryosukeさん差し入れの魚肉ソーセージもこれまたうま~く感じてしまうのですなあ!文字通りこの性癖「死ぬまで」変わらないようで・・・・・・
2008.08.08
毎日楽しみなのがやはり3度の飯でしょう。これが冗談でもポーズでも反語でもなくう・ま・い!そりゃ、小さいときから「人が作ってくれたものには感謝する」という教育を叩き込まれてきたけれど実際うまいんだなあ、これが。このあいだまでそうだったリポーター口調で絶賛したくなるほど。だいたい「病院食→まずい」「学校給食→脱脂粉乳がマズくてよぉ」「NHK→国営放送」みたいなステロタイプは大嫌いです。ちなみに上記3つ、わたくし、みんな大好きです(でした)。
2008.08.07
入院3日目。たとえば外来患者さんの多い1階の廊下などを歩くと後ろから「ホラ!あの男、テレビで温泉入ってた・・・」「ウソらろ、こんげとこにいろば!」「ほれあんた、あのヤロをみたことあるろ?」「オラ、しらね!あんげなオヤジ」とか、まあいろんなお言葉がさざなみのように追いかけてくることもある。しかし、これはすべて過去の話と割り切らねばならない。いつクビになるかとおびえていた(なんせ契約書なぞ皆無)13年にまさか自分の体調でみずから終止符を打つことになろうとは!ほんと人生一寸先は闇でした。世上「死に至る病」というイメージの病名にピンとこないままそれでも不安。持ち前のズボラで不安や苦痛にどこまで立ち向かえるか書いてみます。ギターをどんな段階でも弾き続けられるものかだめなのか挑戦してみます。乞うご期待・・・・・・!!!!!!ま、だれも期待しないでしょうが(^^;
2008.08.06
休止宣言をしたら3日のコンサートは出ないのか?のおたずね多数。出ますよ!がんばりますよ!!!!!
2008.08.01
まったく突然で、私も茫然自失?なのですが、闘病生活に入ることになりました。ときおり舞い込む「迷惑」というか「バカ」な書き込みを削除することも不可能になりますので本日を持ってすべてを「禁止」の措置にしてとうぜん私の「日記」もお休みとさせていただきます。ご愛読?いただいた皆さん(いらっしゃるとすれば、ですが)ありがとうございました。早く、復帰できるようガンバリマス!あ、8月3日の山田さんのコンサート、よろしく!!※どうしても!のご連絡は筆者HPトップの「メール」で。
2008.07.29
2年前に知り合った大阪在住のラテンギターの若い名手山田恵範(よしのり)さんのソロCD発売記念コンサートツァー。名古屋(終了)大阪(満員で終了)に引き続き東京(8月2日)そして新潟が8月3日。地元紙「新潟日報」に告知記事が掲載されその反響の多さに正直驚いた。ギター、それもラテンギターというくくりには多くのマニアをひきつける何かがあるのだろうか?しかし、私のソロCDも地元紙で「不当なほど」大きく取り上げてくれたけれどほとんど反響が無かったがなあ(^^;なんでこうも違うのじゃ!まあ、ルックスもよく(当然新聞には写真も掲載)性格もよく(やさしい青年です)もちろんギターテクはすばらしくもう、この演奏会に「来ないやつは××だ!」といえるくらいのギタリスト。新潟会場のゲストとして重鎮畠山徳雄氏と一緒に私も2部出ずっぱりの8曲を一緒にやらせてもらう!ウチの子とほとんど年が違わなくても山田さんは私の師匠格。緊張しちゃうね・・・詳細がわかるサイトを見て聴きに来てください。お願いします!!!!!!!!!!!!!
2008.07.18
新潟の大正琴といえば琴源(きんげん)さんの名をまず挙げねばならない。TeNYテレビ新潟「新潟一番」のなんでも挑戦のコーナー「団塊の愉しみ」でその琴源さんの教室にお邪魔した。挑戦するのはしかし普通の大正琴じゃない。弓で弾く大正琴だ。普通ピックで弾く部分を二胡(胡弓)の弓でこするという。音色はリバーブの効果もあってなんとチェロのようないい音である。しかし自分でやってみると、左手は鍵盤を押さえるというやったことの無い操作のせいもあって苦戦、苦戦。大苦戦(^^;オンエアのときは実際にスタジオで演奏する!という段取り。そこで私は考えた、よせばいいのに考えた。まあ、楽譜はお借りしてきたがアルゼンチン人(?)の私がやるなら・・・・・そしてチェロの音色なら・・・・・・・答え=タンゴ→ピアソラ→リベルタンゴ!!!!ヨー・ヨー・マの演奏はCMで大人気だった。で、ヨー・ヨー・マのCDから伴奏を耳コピー。その自作伴奏にのせて猛練習をしていると、私に内職を下ろしてくれている岩船アネチャが来て秘密練習を激写されてしまった。ヨー・ヨー・ミだそうで・・・。オンエアは明日。先週の予定が都合で1週延びた。その間、なんとなんにも練習しなかった!!ところで「団塊の愉しみ」はあえなくワンクールで終了。つまり明日が最後です(泣)もひとつ「ところで」ヨー・ヨー・マってひとはたいした人ですね。音楽だけでなくハーバード大学で人類学の学位もとってるんだから。
2008.07.02
66年の歴史の中で最後期は終着駅だった新潟交通電鉄の月潟駅。駅舎はそのまま残り、ホームにもラッセル車など3両が保存され当然のごとく「鉄道マニア」の訪問が絶えないという。であるなら自らを「テツ」と卑下はするが豊富な知識とそのプライドは人後に落ちないTディレクター氏にとっても「聖地」のひとつ。ほぼ全線を中之口川という川に沿って走った電鉄だが月潟駅も川のそば。廃線あるいは廃駅がかもす詩情は世界に共通のようでアルゼンチンフォルクローレの世界でもよくテーマになる。ノスタルジーが凝縮して動かないような独特の雰囲気には甘酸っぱいような鉄サビのにおいのようないろんな空気が残っている。今回のロケではその保存車両のなかでアルゼンチンフォルクローレを演奏した。見る方にそのノスタルジアがわきおこるかはわからない。しかし新潟の新潟らしい風景のひとつである新潟平野の平和な静けさには合っていたのでは・・・・・?放映は26日木曜日午後4時ころ。なお写真撮影はTディレクター氏。動かぬ電車への愛惜がにじみ出ている(^^)
2008.06.22
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