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昨日は定期の病院受診。採血結果・・腎機能は回復気味だし貧血もなんとか正常範囲内・・しかし、肝心の腫瘍マーカー検査の腫瘍できてるかも値が順調に上昇を始めてる。年明けにPETCT撮りにいくのですが、再発なのかはっきりしてよ~~って思う。私にはどれくらい時間残されてるンやろ。新年から新しい抗がん剤を使用する予定で、副作用が末梢神経障害だって。今でもかなりきつい末梢神経障害で歩行もやっとこさで昨日杖まで購入(^^;)ホンマ身体障害者やわ~病気って分かってもらえるのはありがたいけど?なんせ見た目はただのスレンダーな人って感じやし、人がいると元気な自分を演出したい性格が仇になり・・・みんなどうして乗り越えてはるんやろ・・・このまま楽しい日々が続きますように・・・
2011年12月20日
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最近しんどいことが多くて・・・朝起きてお弁当作って子供たちが学校に行ったらやたら寝てる・・これでは仕事復帰どころ違う~手足のしびれは日に日に強くなって火傷しても包丁で切ってもあんまり痛みすら感じず・・足はほとんど感覚なく歩くのもやっとな感じ。買い物行っても荷物運べないし・・・堂々と身体障害者の駐車場に止めてしまえるくらい動きも鈍いし~あ~~~~!!!何とかして欲しい!!味覚障害も復活で何食べてもおいしくないし砂噛んでるみたいやし・・・でも負けてられへんしなあ・・・絶対死なないって子供たちにも約束したし笑顔でがんばらんとなあ・・・仕事復帰も願ってくれてる人もたくさんいるし・・・がんばらなきゃ~~~もっともっと笑いたいなあ
2011年12月15日
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仕事を休職して2ケ月。のんびりまったり生活に慣れてきて仕事も気になるけれど・・・年度末くらいまでは休もうかな・・と思い始めてる私。抗がん剤シスプラチンはもう限度らしく、9月以降はTS1とハーセプチンの点滴をしているだけ。入院しなくていいからストレスもたまらない。でもでも・・・何故だか腫瘍マーカーは順調に上昇してきてるし、東京での診察のときもCTでは転移してるところの大きさはかわらないけど、リンパ廓清してかなり転移してたから、身体のどこかで新しい癌が動き始めてるかも・・・とのこと。眼に見えるようになっても困るけど、どこにあるかも分からないのも正直いやな感じ・・・再発まではいってないけど・・本当に私大丈夫なんだろうか・・・手足のしびれもひどくなってきてて、触ってる感覚も歩いてる感覚もはっきりしないし、午前中はほとんど動けない。できないことがドンドン増えてきているからあんまり気分もよくないし・・・だから仕事どころ違う気持ちになってきてるんかな。東京の主治医にもしたいことはしといたほうがいいって言われてるから、今は家族と過ごす時間やら友達と会う時間が大切。行きたとこ行ってやりたいことやって・・体力のあるうちにいろいろしたいなあ。今まで仕事中心の人生やったし好きなことしていいのかなあ。あとどれくらい頑張ればいいんやろう。みんなが私に気をつかってくれる。気をつかわれないのも寂しいけど、つかわれすぎてもイライラしてしまうときもあるし。一緒に闘病してきた人が次々と亡くなっていくのを見ているのも辛くなってきて自分もこうなるんかなあ・・って考えてしまう。最近も元気にしゃべってた闘病仲間の人が年内かも・・って聞いてホンマかいなって思ったけど本人に会ったら、最近いたみもあって食事もとれんなってきて・・・って。私こんな心弱かったかなあ・・・免疫力あげる為に笑わなきゃ。
2011年11月30日
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2011年11月15日。癌研有明病院に行ってきました。もちろん術後の定期受診。久しぶりに東京の主治医とも会えてちょっとした旅行気分。日帰りだけど・・・先生から去年の今日手術やったね~と・・・そっか1年たったんや。生きてたな~手術できなかったら余命半年とか1年以内と言われてたなあ。なんとか取れたし、今も休職しながらでもなんとか家事もできるしとにかく生きてる。でもシスプラチンはやすんだまま・・・腫瘍マーカーも一度正常範囲まできたけど最近またまた上昇してる。先生いわく『シスプラチンは10クールしたし限界やわ。今内服してる抗がん剤も効果なくなってきてる可能性がある。CT上は特に新しい転移は見当たらないけど、身体のどこかで新しい癌ができてるかも』さらっと言われたけどどうなの??やっぱり長生きはできそうにないな(笑)とにかく腫瘍マーカーチェックして見えない新しい癌と格闘しなくちゃいけないらしい。抗がん剤を変えていって効果のあるのを使って、あかんかったらまた別の抗がん剤を使って・・・なんだか気が重いなあ~。あんまり旦那のことは書いてないけど、私がいなくなったら・・・と考えると旦那だけは置いて逝けない気分で。超愛してるからとかではなくて、仕事は出来るし賢いのだけど、子供たちの世話や地域の付き合いはかなり心配。うちはさざえさん1家だから、旦那にとっては義母との暮らしになるし・・・東京へ行く前に思い切って話はしてみた。メールやけど・・・『元気なうちに離婚も考えて、好きなように生きて欲しい』って。が・・・返事はいまだ無く・・・私も聞いてナインやけどね。いろんなことを考えると死ねないって思うけどどうも長生きは出来そうになく(^^:)いまからいろんなこと整理せねば・・と思いつつ何からやったらいいのかも分からなく・・・副作用で手足の感覚はほとんどなくなってきた近頃。歩くのもやっとで、当たり前にできたことが出来ない自分が情けなくて・・・私にできることって何なんやろ・・・最近涙もろくて困るわ。
2011年11月16日
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有明病院退院の日。東京に住んでいる妹ファミリーが車で迎えに来てくれた。京都へはすぐに帰るだけの体力がなさそうなのでそのまま妹の家に退院。でも1週間でやっぱり京都の自宅へ帰りたくて・・・帰ってきました・京都へ(^^;)抗がん剤は早い方がいいみたいだったけどお正月も近いことだし毎年お餅つきもするしおせち料理も作るので忙しいし楽しみたかったから本格的な抗がん剤は年明けからすることにしてとりあえず12月からTS-1という内服の抗がん剤を開始。手足の感覚胃常やら味覚障害やらいろいろと副作用ののっている冊子ももらたけど、自分だけは大丈夫な気持ちでいたし、実際開始当時は、今よりも食べれてたかも・・・体重もそんなに減少しなかったし・・でも抗がん剤はやっぱり甘くなかった・・年明けからシスプラチンという抗がん剤開始。腎機能に影響が大きいらしく入院して尿量測定しながらなので1週間くらい入院。結局3週間に1回の入院を繰り返す治療が開始。年明けには仕事も復帰して・・・思ってるよりキツイのだけど、頼ってくれる患者さんも多くて弱音ははけなくて・・・家に帰ってぐったり動けなかったりイライラしたり・・・ムードメーカーも自負してるから仕事中は笑顔満開元気をよそおって・・・今休業して自分が無茶してたのわかるけど、いつから復帰しようか模索してしまう。自分の身体やら家族の心配やらわかってるつもりやのに世間から切り離すことができない自分がいて・・・あかんなあ
2011年11月10日
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手術後1週間たって胃の病理組織の結果説明の日。妹、旦那も一緒に面談室へ。妹は看護師。旦那も医療関係者。私もケースワーカー。それなりに知識はあるので主治医も説明しやすかったかも。結果はスキルス性の進行癌。スキルス性は見つかったときには手術できなくて手遅れのことが多い・・らしい。私も先生いわく、8割摘出不能の可能性があったらしく、全摘出できたのはかなりラッキー。な結果といわざるを得なかった。もし摘出できなかったら開腹だけで抗がん剤のみしかなくて抗がん剤が効果なかったら余命半年から1年以内だったとのこと。う~ん。摘出できてよかった。開け損はいややもん。でも、胃だけではなく腸間粘膜やらリンパにも転移ありで100個採取した組織のうち66個から癌細胞見つかり、抗がん剤は避けられない様子。まあ抗がん剤治療くらい楽勝やろうと思ってた。しかし、やっぱ半端なくしんどいことを後で思い知るんやけど。抗がん剤治療は内服だけ年内から始めて、入院しての抗がん剤治療は年明けにすることになり、今後の治療は自分の勤務する病院でしてもらうことにして定期的に有明病院でも診てもらうことにした。
2011年10月24日
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2011年11月15日。ガン告知から1年がたちました。抗がん剤治療を始めてからももうすぐ1年です。今は、3種類の抗がん剤を使用中でしたが、そのうちのシスプラチンというのが腎機能低下させているおかげで副作用少なく過ごせています。が・・・腎機能を休める為、仕事は休業中です。仕事生きがいの私にとっては、かなり辛いことでしたが、神様がくれた休暇なのだと思うようにして割り切ると不思議に気持ちも安定して、心配な患者さんのこともあるけど、自宅静養できてます。育児休暇をとったことがないので、子供が学校から帰ってきたら『お帰り』が言ってやれることが嬉しいし、時間がなくてしていなかったお菓子作りやパン作り。事情があって帰省して同居している妹家族総勢9人家族のたくさんのご飯の支度が楽しくて仕方ない感じ。このまま仕事辞めてもいいかも・・くらい思う今日この頃。18歳から仕事始めてつっ走ってきたような人生。のんびり、まったりも悪くない。家族のそばで出来るだけ笑って生活できることが幸せだと思うなあ。
2011年10月18日
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痛みは日に日に薄れていってやっと1週間。本当時間がたたない。時計の病身と睨めっこ。やっと1日が終わる~朝が来てまた1日始まる~の繰り返し。痛みは夜の方が強く感じる気がして・・・夜が明けるまで寝付かれず不自由な身体を起こして車のヘッドライトの夜景を眺めては時計をみて・・・やっぱり痛いけどNSコールできなくて・・・本当につらかったなあ・・で・・・とうとう抜ホッチキス針の日がきた。朝の回診時、主治医以下5人くらいの若いドクターも一緒。心の準備もまだなのに~~~『ちくっとするだけやから』にkっこり笑顔の主治医。こうゆうとき子供になりたい。抜かなあかんのはわかってるけど逃げたい衝動にかられる。顔は笑顔できるんだけどね~ 『はい行くよ~』ちくちく・・よりは痛い『先生痛いって』『え~大丈夫やろ~』『先生経験したことないやろ~ホンマ痛いねんて』『そういえばしたことないなあ・・』でもホッチキス針を抜く手は休まらず・・はよ終わって~~~20数針ものホッチキス針抜くの終了。『1回先生らも切って縫って抜糸してみい。』結構痛かったので悪態ついてしまった。『外科医してたら患者さんの痛みわからなくなってくるねん。慣れてきてしまうしな~』そういいながら笑ってぞろぞろドクター陣退散。はあ~慣れるのは仕方ないけど患者の痛みは忘れないでね。私も仕事復帰したら患者の気持ちにもっと寄り添えるケースワークしなくっちゃと!!
2011年10月15日
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毎日1本ずつ身体についている人間らしからぬ装置が外れていく。なんせ5本もいたるところから管がでてるんですもん。歩くだけでその装備ももれなく付いてくる。3日目にはお腹を1本残すのみとなって、なんだか嬉しい。本当に普通の健康な身体がどれだけ大切かこんなことにならないと実感できないのはどーなんやろ・・しかし!!クリスチャンの妹いわく、『神様はその人に乗り越えられる試練しか与えない』らしい。果たして本当??自慢ではないが人と接触するのが大好きな私。でもこんな姿は人に見せたくなくて欝にでもなりそう。『神様なんであたしなん??他にも適任の人がいるでしょう。何か意味があるんですか?約7年も実父を介護し、見送り、祖母も92歳大往生まで自宅で看取り、母親にもやっと苦労をさせずにゆっくりしてもらえるなあ・・って思ってたのに・・私何か悪いことしましたか??』頭の中は神様への不平不満だらけと化していく。身体が痛みで思うように動かせないのでぽやんと考えることくらいしかできない。術後の麻酔はうまく聞いてないみたいで、やたら痛み止めが欲しい。でも、医療提供側にいてたのでNSコールがなかなか出来ない私。次のラウンドにまで・・と痛みともやもやと格闘の毎日でした。入院は上げ膳据え膳だけどやっぱり向いてない。
2011年10月13日
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闘病日記って難しい。自分の思い出になればとおもいつつ、コンピューターに手が向かない。で・・・回復室での家族の面会。うなずくくらいが精一杯だった。麻酔のおかげか創部の痛みは感じないけどとにかく眠い。せっかく身に来てくれた家族ともそこそこに当日はうとうとしながら終了。あっという間に39年間連れ添った胃とお別れしていた。わかってはいたけど次の日から歩かされる。身体はとにかくチューブだらけ。傷口が破裂して裂けないかなあ・・・とかめっちゃ不安・・・しかし!!看護師さんは厳しい。フツーに『はい、歯磨きに洗面台まで行こう』『次は顔洗いに行こう』起き上がるのも尋常のスピードでは無理・・なんて過酷なことをさせるのか・・ほっといて~~と思いつつ、自分もケースワーカーとして『動く方が早く回復するんですよ~次の日からはがんばって歩いてもらいますからね~』なんて笑顔で励まし??ていたなあ・・分かってるって・・動いた方がいいんですよね・・でもかなりつらかった。二度と開腹手術は受けたくないと強く思った。3日目には自室に戻る。胃がないのに食事は点滴かと思いきや、早速おもゆとかでてくる。食べるのもおっかなびっくりの状態でつなげてある食道と小腸のつなぎ目は大丈夫なんだろうか・・・とか執刀の先生に失礼なことを考えたりする。かなり失礼であったが実際先生に聞いてみた。『そんなしょうもない手術はしてないから大丈夫』とてもさわやかなやさしい笑顔で答えてくれはりました。(主治医が先生でよかった)傷口は保護してあってすぐには見れなかった。見るのも怖かったけど・・初めて傷口とご対面したときはやっぱりショック・・胸からへそ下まで一直線に線が入っててホッチキスで23個も止めてあった。鏡に映しながらビキニはきれないなあとか真剣に考えた。恐らく1週間後あたりに控えている抜針も怖かった。当たり前だけど今まで手術経過を見守る側にいて実際経験するのは怖いことだらけで・・しかも医療提供する側はこれも当たり前だけど当たり前すぎて患者さんの本当の不安を見てないのかも・・やっぱり実体験してみないと分からないよ本当・・・
2011年10月12日
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声帯の炎症もようやく治まり とうとう手術する日がやってきた。怖くないといえばうそになる。自慢じゃないが注射も逃げたいくらい嫌いな私。でも子供たちもいるしそんな子供みたいなこといまさら言えない・・・手術まではこれでもか・・・というくらい友達にメールしまくって励ましメールをいっぱいもらって涙でいっぱいになるほど激励してもらったし 頑張らねば!!!手術室まではガウンはおって徒歩で入室。怖い・・・スタッフのみなさんは笑顔で緊張をほぐしてくれる。腰に術後の麻酔薬をいれる注射。思ったほど痛くない。その後は本当に意識がなくなっていった。次に気がついたのは回復室の中で家族の顔があった。
2011年08月21日
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2010年11月6日 記念すべき??お産以外での初の入院。しかも関西を離れ家族とも離れ、単身赴任(T^T)おまけに仕事の引継ぎで毎日酷使した結果声門浮腫により声がでないなんてことになり不安いっぱいに東京へたどりついた私。主治医は知人の先生が担当してくれることになり若干ほっとしていたら・・・「その声何??週明けの手術無理かも~」『うそっ!!』そうです。手術は全身麻酔。しかも気道確保で管を装着・・・声門が脹れている状態だと、管が抜けなくなる可能性があるのです。手術延期かも・・は相当ショックでした。でも自己管理ができていなかったのよね(ため息)結果はやはり手術延期。あ~自分の体力を過信するんじゃなかった。病室はお台場の夜景が見えて癒され、レインボーブリッジを眺めながらしきりに反省の1週間をすごしました(笑)でもこれで仕事人間の自分がリセットできる時間が過ごせてたかも~と今になっては思いますね。ただ家族とこんなに長い時間離れたことなかったので正直ホームシックでした。 (2011年08月12日 17時28分13秒)
2011年08月12日
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癌告知を受けたその日 仕事を終えて帰宅。我が家はさざえさん一家なので、実母が同居している。母に『私癌なんやって』『初期なんやろ?』『どーも初期じゃないみたい』てな会話がなされ、旦那にもメール。ベッドで休むと意味なく涙がでてきた。死ぬのが怖いとかじゃなく不思議な涙でした。私がいなくなることよりも、いなくなった後、残された人のことを考えると死ぬわけにはいかないな・・・って涙かな・・次の日からとても忙しい。仕事の引継ぎにどこで治療するかも決めないといけない。早い方がいいと皆にせかされ私が選択したのは東京での治療だった。京都での治療も考えたが、子供と旦那の世話を母に任せないといけない。頑張り屋の母は、私の世話もしてくれるだろうが、倒れられても困る。そこで東京にいる妹が手を上げてくれた。『私が姉ちゃんの世話するから』ありがたい!!たまたま知人の医師も東京の癌研究所有明病院の消化器センターに赴任されていて早速相談。『先生のとこで治療してもらおうかな』で私は東京で手術を受けることになった。先生もかなり早く動いてくれたはったと思う・・(ありがとうございます)かくして東京での治療開始。もちろんいきなり入院ではなく、診察へ赴いた。採血CT胃カメラと忙しく検査をこなす。患者って大変!!いままで、医療を提供する側にいた私。わかってるつもりでも実際これほどハードとは・・・かなりとほほ・・な感じでした。しかもしんどいし・・・
2011年07月13日
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それは突然やってきた。2010年10月15日 勤務先で人間ドックを始めて受診した1週間後の午後。病院長から『話があるんだけど時間あるかな??』『もうすぐ会議出張なので15分くらいなら・・』と私『じゃ、院長室に来て』う~ん一緒にドックを受けた母になにかあったのかなあ・・院長室に入る。『どう言おうかな・・隠しても仕方ないし・・癌なんやけど』一瞬沈黙・・だれが癌かわからない『私ですか??』『そうなんや。どうする??』 どうするって言われても・・って感じだけど超仕事人間な私は会議に遅れたら困る・・と真剣に考えていて冷静だった。『院長、もう出ないといけませんので、また明日でいいですか』困り顔の院長にそう言って院長室を後にした。一緒に出張の同僚に『私 癌なんやって』家族より先に告知してしまった(笑)そこから私の初めての患者体験が幕を開けた。
2011年06月19日
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