晴走雨読

晴走雨読

June 9, 2006
XML
カテゴリ: つれづれ・・・






天神駅で唐津までの切符を買い地下鉄に乗り込んだ。

向かう先は名護屋城址。

ラッシュの後の比較的空いていた車内。

僕は隅の方に腰掛ける。






豊臣秀吉が日本を統一した後に”唐入り”と称して

当時の明を攻め込むために作った城。


大阪城にも匹敵する巨大な城から約30万人以上の軍が

海を渡り、朝鮮半島を蹂躪した。






”敵の首を取る”という言葉があるが、



自分の手柄を主張して褒美にありついていた。

海の向こうであげた武功を日本にいる秀吉に伝えるのに

大量の首を持ち帰ることはできなかった。

その為に海を渡った猛将達は討ち取った敵兵の鼻や耳を塩漬けにして

秀吉の許に送った。







・・・・





うとうととしてしまっていたようだ。


目を覚ますと車窓のむこうに広がる青い海。

強い日差しが肩に差し込む。


まぶしい光が差す車内にはネクタイをしたサラリーマンや

タイトなスカートを履いたOL達の姿はなかった。



タオルを首に巻いたジャージ姿のおじさんが電車に揺られていた。



映画「デッドマン」の冒頭のジョニー・デップの表情を思い出していた。







程なく唐津駅に着き、名護屋城址行きのバスに乗る。

停留所を2つも過ぎると商店はなくなり、

ささやかな家々と日傘を差したおばあちゃんを




緩やかな坂道の入ってからは歩くものの姿はなくなる。

蛇行しながら登る道の両側には

田植えを済ませた棚田が青々と広がっている。

棚田のところどころに石垣が見受けられた。

おそらく名護屋城の城郭の跡であろう。




40分ほどしてバスは名護屋城博物館前に到着した。

帰りのバスは3時間後。


簡単に昼食を済ませ、博物館へ。

一般客は僕のほか数名ほど。

しかし小学生が見学に来ていた。

おそらく5年生ぐらいではないだろうか。

展示品を見ながら思い思いにノートを取っている。







日本、朝鮮に多大な影響を与えてしまった秀吉の暴挙。

海を渡った武将達は捕らえたものの中で有益な人間は根こそぎ

それぞれの所領に連れ帰った。

儒学者、陶芸家、そして奴隷たち。

のちに九州を中心として新しい磁器の製法、朝鮮式の瓦の装飾など日本文化

に大きな華やぎを与えた。

日本から唯一朝鮮に伝わったものは唐辛子だとされている。








人に愛されたいと思うのは皆同じ。

秀吉もそうであったと思う。


一度味わった感動や喜びは忘れられるものではない。

おいしいものを食べれば、またそれを食べたいと思うもの。

秀吉もそうであったはず。


才覚と運で、少しずつ登りつめていった秀吉が

戦国時代の中で頂点にたどりついた時に見たものは

僕らには想像できるものではない。


しかし、人間の欲は膨張し続けるもの。

世界的な大航海時代の波が日本に押し寄せ始めていた当時、

秀吉が世界に目を向けた気持ちは想像できる。







今、天守跡では地元の人たちが遺跡の掘り出しをしていた。


たまに腰を伸ばして遠い海のむこうを眺める。







秀吉が見ていたのと同じ海のむこうを・・・









tenshu

















お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  June 10, 2006 01:57:54 AM
コメント(36) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: