てにをは


2004・5・26

 もうすぐ終わる人生
 がんばって生きたのだから
 がんばって死んでください。
                岩井俊二「リリイ・シュシュのすべて」より

岩井俊二の映画にも本にもなっている「リリイ・シュシュのすべて」という作品の中で、リリイという歌姫が歌っている「セーター」という歌の歌詞の一部。
すごい世界観、と思う。世界がどうなってるんだろう。脳みそが。
私には分からないし、言えない。でも分かってみたいと思う。その、私の脳みそを裏返したような所にある世界は、なんとなく、凸レンズを通して見たような、扇形の歪んでるけど透き通ったパノラマの世界な気がする。なんとなく、だけど。

 「(略)ねぇ、あれは本当に淋しいお葬式だったんだ。人はあんな風に死ぬべきじゃないですよ」
 レイコさんは手のばして僕の頭をなでた。「私たちみんないつかそんな風に死ぬのよ。私もあなたも」
                          村上春樹「ノルウェーの森」より

私にとって死は、頑張ってつっこんでいけるものじゃない。夜みたいな、なんか抵抗できないでっかいやつ。

 朝顔は
 夜を追い払って
 夜明けを連れてきてくれるみたいで好き
                望月花梨「夜夜中」より

夜はでっかいでしょ、飲み込まれるでしょ、 
朝が、待ち遠しいでしょ、
そんな感じ。 今はちょっと大人になって夜もそれほど怖くないけどサ。
年取った死も怖くなくなるのかな。

泉鏡花の「夜叉ヶ池」は妖怪も人間もひっくるめた、最大のラブストーリー、と私は思ってて、大好きです。
人間との約束で愛しい相手に会えない妖怪白雪は、彼からの恋文が来て、どうしても会いたくなってしまってたまりません。でも、彼女は池の主だから、会いに行ったりしたら麓の村の人たちが死んでしまう。それで必死に止める乳母に、恋焦がれた白雪は言いきります。

 白雪  人の命がどうなろうと、それを私が知る事か!
     …恋には我が身の生命も要らぬ。

一方、妖怪との約束を守りつづける唯一の人間カップル、百合と晃。白雪が麓の人たちを潰さないための約束とは、朝六つ暮六つ丑満つに鐘を鳴らすこと。でも村人達はそれを信じず二人を笑い、挙句に別れさせようとする。そのラストの修羅場。

 百合  (サソクにその鎌を拾い)皆さん、私が死にます、言い分はござんすまい。(というより早く胸さきをカッと
     切る。)
 晃   しまった!(と鎌を捩取る。)
 百合  晃さん――ご無事で――晃さん。(とがっくり落入る。)
  (一同色沮みて茫然たり)
 晃   一人は遣らん!茨の道は負ぶって通る。冥土で待てよ。(と立直る。お百合を抱ける。学円と面を見合わせ)
     何時だ。(と極めて冷静に聞く。)
 学円  二時三分。
 晃   むむ、夜ごとに見れば星でも了る…丁ど丑満…そうだろう。(と昂然として鐘を凝視し)山沢、僕はこの鐘を搗く
     まいと思う。どうだ。
 学円  (沈黙の後)うむ、打つな。お百合さんのために打つな。
 晃   (鎌を上げ、はた、切る。瞠と撞木落つ。)
                          泉鏡花「夜叉ヶ池」より

願わくば、こんな風に死にたいだなんて、あまりにロマンチストかしら…


2004.6.1

 ひとりの人間が死ぬたびに
 ひとりの世界が滅んでゆく
          ショーペン・ハウエル

よく、分からない。
まだよく分からない。
初めて読んだ時は、なるほど、と思ったけど

私の中で、太宰治の世界はまだ生きてるし
私の中で、いわさきちひろさんの世界はまだ生きてる

そういう事じゃないって?


 死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。
 そのときまで僕は死というものを完全に生から分離した独立的な存在として捉えていた。(中略)生はこちら側にあり、死は向こう側にある。僕らはこちら側にいて、向こう側にはいない。
 しかしキズキの死んだ夜を境にして、僕にはもうそんな風に単純に死を(そして生を)捉えることはできなくなった。死は生の対極なんかではない。死は僕という存在の中に本来的に既に含まれているものだし、その事実はどれだけ努力しても忘れ去ることはできるものではないのだ。
                                村上春樹「ノルウェーの森」より


 人間は死に依って完成させられる。生きているうちは、みんな未完成だ。虫や小鳥は、生きてうごいているうちは完璧だが、死んだとたんに、ただの死骸だ。完成も未完成もない。ただの無に帰する。人間はそれに較べると、まるで逆である。人間は死んでから一番人間らしくなる。
                                太宰治「パンドラの匣」より

一部、だから、死でやっと完成。
完成、で、終り??
終りはやだなぁ。

 「あーあ、あたしたちってなんのために生きていくのでしょーか」
 冗談めかして言ったつもりだったが、記実子は笑わなかった。
 思いがけず真剣な瞳がこちらを見返している。
 「続きを知るためよ」
                            恩田陸「光の帝国」より

終わってしまったら、続きが知れない。
でも続きを知りたいと思う自分もいなくなる。

最近、前の自分のHPを見て、忘れてた出来事をいくつか思い出した。
すごくショックだった。
忘れてた時は全然なんともないけれど、忘れてた事に気付いた瞬間怖かった。
忘れてる事は忘れてるんだから何も感じないのは当然。だけど思い出したら、忘れてたって事実が生まれる。忘れっぱなしだったら、忘れてたって事も存在しない。

「それが大事」の「ここにあなたがいないのが寂しいのじゃなくて/ここにあなたがいないと思うのが寂しい」と同じ感じ。かな??

死ぬって、その逆考えかな。自分がいなくなるって、そう思っていられる時は怖いけど、実際自分がいなくなったら、いなくなったって事も気付かない。
そう考えるのが、怖い。

堂々めぐり。

 「いつも思うんだけど、すごいきつい旅行をしてね、しばらく人と一緒にいて、うとましく思ったりしても最後には大好きになったり、へとへとになったり、下痢したり、ハイになったり、もうやめたいと真剣に思ったり、やっぱりもう少し旅を続けよう、とか思ったりいろいろ、するじゃない?」
 「そうでしょうね。(中略)」
 「しれで、どんなにうまくいかないことがあった旅行でも、どうしてか家に帰って我に戻ると、『ああ、なんてすばらしい旅行だったんだろう!夢みたいだった!』と思う、いつも。」
 ユキコはちょっと考えて、続けた。
 「死ぬ時も、そんなふうに思って死にたいな。」
                         吉本ばなな「SLY」

吉本ばななさんの言葉はいつも、頭で分からなくても、心にすっぽりと入って、温かい。

こういう気持ちで死にたいなぁって思う、言葉をもう一つ。
「天の瞳」で倫太郎の大の先輩であり、大の友達でもあり、私の大の先生でもある倫太郎のじいちゃんの言葉。

「じいちゃんはじいちゃんなりに仕事をしてきた。そうして生きてきたから、この世に未練はない。執着がないから、アリの命もトンボの命も自分の命もいっしょに見ることができるのじゃ。死ぬのもこわくない」
                         灰谷健次郎「天の瞳 幼年編2」より



2004・6・29




私たちは生きる意味を求めている。ただ生き、ただ死んでいくだけという生き方には耐えられない。しかし宇宙や時間の大きさを知ってしまっていると、何をしても無意味であるように一瞬思ってしまう。そんな思いにとらわれたときに、拠り所になるのが、考えるということであり、意識である。
                                     「パンセ」



知らなくていい。
知らない者、分からない者だけが、考える。
そして「考える者」だけが少しだけ前へ進める。そうではないか?

                            吉田音「Think 夜に猫が身をひそめるところ」





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