
photo;clareyuko
19日 おはよう、森の妖精さんたち♪
子どもたち、早起きできるかなぁ。。。。
5時半 少し早めに森の広場へ行って写真を撮ったり、体操しながら皆を待ちました。
オヒサマの光を受けながらゆっくりと体をほぐしていると、
やってきたやってきた。。。すごい♪
約束どおり6時半には子どもたちも全員揃いました。
まずはゆる体操で体をブルブル。。。
さっそく森の妖精たちと遊び始めた子どもたちをそのままに、大人たちだけでゆっくり体操、
そして朝食までのひとときをゲームをして過ごしました。
大人たちだけで、こっそりと、子どもに帰って楽しんだ二つのゲーム。
イタズラっ子のような、茶目っ気たっぷりのときえちゃんの大勝利に
マー君完敗、みんなの拍手がこだましました。
楽器はいろいろ持ってきたものの、森の音楽会はあきらめて、
虫眼鏡を持って探検したり、森の朝をそれぞれに満喫しました。 
さて、賑やかな朝食を終え、いよいよメインの一日のスタートです。
午前中はユコタンの思いつきにから生まれたワークです。
見る(目)聴く(耳)嗅ぐ(鼻)味わう(口)触る(体)・・・五感を使って大自然と対話します。
空、風、鳥、花、木、、、、森の声を聴くながら過ごすひとときです。
東京で暮らすようになって8年。
引っ越してきて驚いたことは山が見えないこと。
関東平野の大きさに圧倒されると同時に、淋しくてしょうがなかった私でした。
そして私の住んでるところは新興住宅地。
耳を澄ませると聴こえてくるのは、車の騒音、工事の音、救急車のサイレン、
船のエンジン音から飛行機のエンジン騒音。
そして時には子どもをしかりつける孤独な母の悲鳴に近い声まで聴こえてくることがあります。
静けさとは程遠い毎日を過ごすようになって、いつか耳も慣れてきてしまっていました。
目に見えない世界の扉を開けた私は、時折ベランダに出て過ごすようになりました。
緑の少ないこの地ではあるけれど、目の前のは荒川が流れ、そして、大きな空があります。
夕方西の空に太陽が沈むとき、富士山が美しいシルエットで見える、
そんな美しい風景に出会うときもあります。
いつか、私は空とお話するようになっていました。
中村光也君の家へ向う河原のサイクリングも、風が、すすきが、鳥が、蝶が、語りかけてきます。
そのうちに、街を歩いている時も、街路樹や、足元の小さな雑草たちと、お話するようになりました。
どうってことないお話です。
「おはよ、今日も青空、きれいね」
「あれ?お水がほしいの?そういえば、雨ふっていないね」
「大丈夫、きっと明日は雨が降るよ」
「いってらっしゃい、スピカちゃんが、待ってるよ」 ・・・・・・・
なんだっていいのです。
誰だってお話できます。
創作でかまわないのです。
ただ、目を閉じて、風を感じてみるだけで。
耳をすませてみれば、何か聴こえてくるかもしれません。
「ゆっくりお散歩してきてね。耳をすませて、森とお話したあとは親子で宝探ししてきてね。
石ころ、葉っぱ、木の実、なんでもいいよ~」
みんな、みんな、いってらっしゃい ♪
kazesanもひとりでどこかへ消えて生きました。
すぐそこにある大きな楓の木が風で優しく揺れています。
「なぁに?」
「また、おいでよ。いつでも待ってるよ」
「ありがとう、きっとまたくるね。約束のしるしに一枚もらっていい?」
「いいよ」
葉っぱのフレディを思い出しました。
フレディの友達にクレアと言う名前の葉っぱがいました。
「ごめんね、一緒にきてくれてありがとう」
そっと一枚の葉を抜いて、本にはさみました。
あやさんは宝物を見つけ、すぐに戻って、ももちゃんにおっぱい。
おかあさんと一緒にちゃんと戻ってきて遊んでいるヒカルは本当に、優しいね。
のぶ君親子はおとうさんのお土産に野の花をつんできました。
「親子で森の散歩は都会の散歩とちがって、とってもいい時間でした」って。
森のお散歩、ふたりでゆっくり過ごせて、よかったね。
「セミの声が都会のほうが騒がしく感じるのはなぜかしら?ここは空が広いから?」
確かにアスファルトだらけの都会は声も反響するかもしれません。
そういえば、いつもディクシャを受けにこられるKさんがおっしゃっていました。
「今はジャッジがなくなって、物事がドミノ倒しのように、ただ、淡々と起きてくる感じ。
そして、いろんな騒音さえも、心地よい音に感じるんです」
女神山でのセミの声、すべての音が心地よく感じられるのは、
きっと、ここにいるひとりひとりが、森の自然の中で、
気持ちよく過ごしているからなのかもしれません。
シオリン一家はけっこう上の遠いところまで行ったらしく、不思議の国へ迷い込んだ様子。
そこだけが静かな空間、風がぴたっとやんで、木々のざわめきも葉っぱのささやきもない、
音ひとつない、動きひとつない、不思議な静寂の空間に入り込んだそうです。
親子3人の不思議な体験に感動が伝わってきました。 
11時半 kazesan
リードの曼荼羅お絵かきの時間です。
画用紙をたくさん貼りあわせ、ジグソーパズルに切り取ったピースに、
光の世界と闇の世界をひとりずつ自由に描きます。
楽しい世界と悲しい世界を、子どもたちもそれぞれ絵の具やクレヨンを使って、黙々と描きました。
ユコタンは悲しみの涙の海と、その向こうに隠れている温かな光の世界を描きました。
どんなに悲しみに暮れようとも、涙のむこうで、きっとプレゼンスが微笑んでいる。
天使が腕を広げて抱きしめてくれようとしている。
そんなイメージがわいてきました。
って言っても、ただ、グルグルクレヨンをぬりたくっていただけだけど・・・・・
絵がヘタクソなユコタンだけれど、自由に描いて見ました 。
人って、ものを創るのが好きなのかなぁ。
7歳のミズキだけでなく、3歳になったばかりのヒカルもノブヒロも黙々と絵筆を動かし続けています。
すごい集中力!
特に、のぶ君は紙いっぱいに、隙間なく絵の具を塗り続けています。
すごいすごい♪
ジャッジのない世界だったら、何を創っても、、みんな、うんと楽しめるにちがいありません。
そして何をやってもジャッジのない世界だったら、生きることが、どんなにか楽しいことでしょう♪
自分自身にも、人に対しても、ジャッジをしないで生きられれば、
どんなにか素敵なことはわかっています。
でも、それができずに苦しんでいる人がたくさんたくさんいることも事実です。
私たち大人は、せめて子どもたちに対して、ジャッジのない愛で包んであげればいいと思います。
いえ、どんな社会であろうと、せめて家庭の中では、
子どもたちがどんなに自由に感情を表現しようと、我慢させることなく、
それを温かくつつんであげられる・・・・
そんな場所が子どもたちにとっては必要なのではないでしょうか。。。。
私のハートの一部分でいい、ジャッジのないスペース、いつも用意していたいな。
いつでも魔法のステッキを振って、そんなスペースを創れるように、
せめてココロ準備だけでもしておきたい♪
お昼を食べて、いよいよ午後のプログラムの開始です。
ジグソーを張り合わせたら、いったいどんな絵ができあがるのか・・・・・
楽しみ、楽しみ♪
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