クラシカル・・・
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世の中、災難というものがあるものだが、TVCMやドラマなどでの使われ方は、ときにその曲の存在を高めもし、おびやかしもしてしまう。この曲も某CMがきっかけで、今では、ちょっとしたカリカチュアライズされた「嘆き」「回想」場面で使われえるようになってしまい、コンサートに行くのが怖くなってしまった。(もし、あの瞬間、会場に押し殺した「笑い」を感じた日には…)ベートーヴェンの交響曲第5番の冒頭を聴く時に、かなり、「あっち」に行っておかないと、気恥ずかしさが否めなくなってしまってることと同じで。。。。この曲、チャイコフスキーの天才がほとばしる曲で、冒頭のたんなる「ドレミファソラシド」の変形からすでに魅力的な音楽が湧き出てきて、それがみるみるうちに動き出し、色を変え、生命を得て、時を進む。多彩な旋律も、展開も、リズムの多様さも、全て、なんの不自然さもなく、つながり、しかも、構成としては、ちゃんと「主題回帰」してくる。第一楽章の中でも、また、全曲でも。いわゆる「名曲」であっても、「音楽史」を変えるような曲としては扱われないが(チャイコフスキーそのものがそうといえばそうだが)、ちょっと、比較に困るほど、よくできた、しかも「輝いている」曲だと思う、もちろん、ドヴォルザークも、グリーグの「ホルベアの時代から」も大好きだが、「完全なる自然さと、多彩さと、構成」という意味で、やはり、この曲、別格な気がする。(一番、どれが好きか・・は、結構「時による」けど)第二楽章のワルツも、チャイコフスキーはもともと得意ジャンルだが、いつ聴いても、優しく、楽しく、美しい。そして、面白い。懐かしみながらも、明るいひととき。「ワルツで踊る」などという経験を肉体的にも、精神的にもしたことはないが、「踊ってもいいし、聴いてもいいですよ。あなたのお好きなように。」そんな、「ワルツ(円舞曲)」。自分の身の丈から、背伸びも、屈みもせずに向き合える曲。第3楽章のラルゲットは、一転、静かな水面が風とともに、波うち、そして、踊る。やはり、ここでも「踊る」のは「音」たち。そして、歌う。弦が鳴り、歌う。独り、夕暮れを、思いながら、そして、昔の悲しみや悦びを思いながら、周りが日暮れていって、手元が見えなくなってきて、ろうそくに「灯」をともしたものの、また、思いを・・・。そして、やがて、心も静まっていく。。第4楽章のフィナーレは、第3楽章の状態を引き継ぎ、ながら、徐々に、動きはじめる。そして、目が覚めたように、活発に動き、踊る音楽。この間の推移も見事としか言いようがないし、動き始めた後の、豊かな歌も、快活なリズムも、充実した響きも、全てがお互いを高めあう。そして、それらが波乱に満ちたドラマを語り、大団円で、全体主題も回帰し、極めて安定したしめくくりを示す。聴いていて、心が励まされ、浮き立ち、なぐさめられる。この曲は、本当に、奇跡的な曲のような気がする。今聴いているのは、N響の客演で有名だったスウィトナーが50歳頃、ドレスデンの歌劇場のオーケストラを振ったもの。最新録音に比べれば、「録音らし」く、鮮度には欠ける音質だし、残響もどこまでが元のもので、どこからが付加したものかは怪しいとも言えるが(これは最新録音でも同様)、楽しむには、不自由は無い。ドレスデンの弦の美しさや、アーティキュレーションの揃った表現、「過剰」にならない表現など、聴き応え十分なもの。フィルアップ(というか、半分くらい)は、ヨゼフ・ランナーや、ヨゼフ・シュトラウスの曲集で、後に、ストラヴィンスキーがペトルーシュカに引用(盗作?)したものもある。ウィーンフィルではないが、これまた、曲がきっちり伝わる美しい演奏。スウィトナーという人、ワリと、楽譜の指示をきっちり守る人のようで、慣習的なテンポ変更を安易に取り入れないが、それでいて、きっと「センス」(劇場的センスというのか、音楽センスというのか)が、優れているのだろう。余り聞きなれない曲でも、面白く聴けるし、先のチャイコフスキーのような「誰でも演奏する曲」でも、身構えず、さりとて、退屈せずに聴く事ができる。(以下、余談)正直、以前、N響に客演したものをよくFMで聴いていたときは、当時のN響の「ドイツ的(大味とも言う)」な枠組みで大柄かつ端正な演奏をする指揮者、くらいの記憶しかなく、余り、楽しめなかったような気がする。先日、マイスキーと共演したドヴォルザークのチェロ協奏曲の映像がTVで流れたが、いつものマイスキーの勝手気ままな(良く言えば自由な)やや音が不安定な、「個人的な」(良く言えば即興的な)演奏とあまりに演奏様式が異なり、合奏を成立させることに「責任」をもっている・・といった風情の演奏を目にして、必ずしも、彼にとって、N響は、「良い相手」ではなかったのかもしれない(ドレスデンとかと比べての話だが)と、今更ながら、ふと思った。が、もう一度、今度はナマで(初めて)N響とのライブを聴いてみたい気がする。今のN響なら、また・・・そう思わないでもない。。。
2003.07.12
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