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当日のメンバーは、trpが関山さんと井川さん、trbが池上さん、Hrが今井さん、そして、なんとTubaがずっとN響の「顔」だった多戸幾久三氏であった。多戸氏は永年(38年間だそうだ)N響のtubaを勤めてこられたが、昨年定年退職なさった。どんなに有名な首席奏者でも他のパートだと必ずしもその人とは限らないが、過去40年間N響でチューバの入ってる曲を聴いた人は、ほぼ多戸氏の音を聞いているはずであり、N響という色々な時代の変遷の中で「日本のトップ」を宿命付けられたオケのソロチューバ奏者をただ一人背負ってこられた重圧と実績は、ちょっと「現代」では想像しがたいほどだ。そうした多戸氏のナマの音を、しかもこれほど間近に聞かせてもらえたのは、とてもありがたく、うれしかった。もちろん、技巧的な部分も、アンサンブルの支えも十分なもので「定年」というのはいかにももったいない限りである。(ご本人にすれば自身の全盛に比べて歯がゆいことおありかもしれないし、その「水準」を「保つ」ための日頃の鍛錬や精進や自己管理はいかばかりか、と思うが。。まさに「プロ」である。)ただ、N響の公演には今でも時折嘱託として出ておられるそうで、まったくの「現役」であるようだ。(このあたり、引退してからも出てた、ライスターやザイフェルトやダムらを思わせる。)ちなみにこのほぼ40年ぶりのtubaのオーディションは「にんげんドキュメント」というNHKのTV番組で紹介され、今の新しいソロ・チューバ奏者の方のお披露目も含めて(大阪市音楽団のtuba奏者をされていた方ですのでこちらはこちらで親しみが湧くのですが)放映されたのでご記憶の方もおられることだろうと思う。曲はまず第1曲目が有名な「トランペットボランタリー」。初めから華やかで透明な金管の響きが抜けわたる。ほか、ドヴォルザークのユモレスクやフレールジャックの主題による変奏曲などとともに、パーセルの組曲や、シャイトの戦いの組曲といった、ルネサンス期の曲が、とても楽しくかつ美しく演奏された。ルネサンス期の曲といえば「純正調」であり、金管楽器やコーラスの得意分野でもあるわけだが、たとえばタリススコラーズのように、この上なく美しいが、音楽としては慣れないと単調に聞こえるようなものもある一方、この日演奏された曲のように、演奏や編曲の妙もあるのだろうが、初めて聞いても十分に理屈抜きで楽しく、また、よく聞けば、超絶技巧(ただ音にするだけならまあなんとかなるにせよ、軽々と「音楽」するには)を惜しみなく披露しながら、音型・リズムの対比や変化、それに響き、と極上の音楽を、よい意味で「娯楽性」も高く聞かせてもらえた。後半も、ドビュッシーからバーンスタインはてはリンゴ追分(なぜかこの曲、JAZZにせよよく編曲される)まで、編曲ものを中心に多彩なステージが、関山さんの絶妙スレスレトークと共に楽しく展開した。ナマの音を、小さいホールで聞くというのは本当にうれしく贅沢なことなのだが、また、件のリンゴ追分のアレンジは、関山さんのソロをフィーチャーしたもので、舞台真正面から仁王立ちでベル(朝顔)をこちらにしっかり向けて不動の姿勢で、楽器を聞かせてもらえたことは、ちょっと他ではありえない体験だった。「ブラスバンド部」で誰かの音をそんな風に聞く機会 というのはたくさんあるからこそ、その圧倒的な彼我の違いを感じ、また微妙な共通点(同じ楽器だからこれもあたりまえなのだが)がさらに、その違いを却ってリアルに意識させる、という一般の「舞台」や「録音」ではありえない感覚だった。ああ、この体験を、高校や中学時代に出来ている、この同じ会場の子らは、なんと幸せなことだろう。等身大の空間での、「プロ」のそれも最高のプロの音に触れることは、百の言葉や千の教則本や一万のCDよりも、イメージがはっきりと定着して一生のものとなる。(関係ないけど、「Jリーグ」でもナマで見ると、「1キック」がいかにすごい距離を軽く行き交っているかがわかり、関心する。お茶でも飲みながら寝そべってTV見てる分には「世界レベルに比べて緩慢だ」とか言い放てるが・・・)また、これは僕の普段の聴き方の集中力の欠如にもよるのだろうが、TVやCDで聞いてる分には、「金管五重奏」といういわば全体としては匿名的な音空間を漠然と受け入れているような聴き方になるのだが(そのせいでやや地味な印象すらある)、ナマだと、ごく自然に、全体の響きや掛け合いと同時に、一人一人の息遣いから、演奏そのもの、そして当然「音」を、リアルに感じ取れ、「目の前の人が今まさに音を出している」ことのスゴさをまざまざと実感する。これと似た経験としては、アルバンベルク弦楽四重奏団を聴いたときと、アフラートゥス木管五重奏団を聴いたときが思い起こされるが、各々最高でありながら、各々、その感じ方は異なるところがまた面白い。楽器の構成も楽曲も異なるのだからアタリマエではあるのだが。しかし、どの場合も、プロとしての鍛錬とイメージ構築のたまものであろうが、ごく自然な自在感をベースに、自らの音楽を奏でているため、聴くものは、「難しいことをやってはる」とか要らぬことを感じずに、ただ、心を許して、音楽に浸れることができる。本当に「音楽のプロ」なのだと、改めて思う。N響となると一応「クラシック愛好家」から見れば、もっともTVで見る機会の多い=顔を知る機会も抜群に多いオーケストラであるわけで、本日の皆さんももちろん顔は存じ上げている方ばかりではあるのだが、それでも、やはり、目の前で「一人一人」の音を聞き、顔や表情も見て、また「メンバー紹介」のやりとりなども聞くと、N響への親しみと愛着が、格段に増すのも、自分としてはうれしいことだ。先の「金管五重奏団」というまとまり以上に「オーケストラ」というまとまりは巨大であり、個性の集まりとか言いつつも、ある程度、集団の中での匿名的な受け止めになってしまう。少なくとも、ずっと、鳴っている楽器全てに神経が行くということは、実際にはありえない上、音も重なったりもする。その点、アンサンブルで、かつナマでの体験は、音体験としても、個をごく自然に感じ続けられる上、そこに「人間」「奏者(演奏する生身の人)」を感じることができるわけで、それが、オーケストラを見、聴く際に、よみがえってくるわけである。今更なのだが、以前に録画したN響のビデオを見返しては、うれしがっている。こうした「顔」「人」を演奏内容ともセットで意識し把握し体験できる機会というのは、こうしたアンサンブルで言えば、先のチェコ・フィルのメンバーを中心としてアフラートゥス木管五重奏団がまさにそうで、この場合、木管楽器というさらに個々人でかなり音質が露骨に異なる(同じ楽器でも)の集まりということで、また「眼」が合ったりしたこともあり、後にTVでチェコ・フィルを見た(聴いた)とき、「あ、このオーボエの音!」とふと惹きこまれて見ると、アフラートゥスの時の彼女であった、とか(フルートも然り)だったりで、これまた「今までも見てきた(聴いてきた)はずのものが新しく見えてくる」といううれしい体験である。日本のオーケストラでは、少し変わった例では、年に1回、大阪フィルの金井さん達がまさに手仕事&手弁当で、日本中のプロオーケストラのトップの管楽器奏者に声をかけて、「吹奏楽」をやる、という夢のような企画がここ数年行われている。吹奏楽の曲も「演奏側の需要(聴き手の需要でなく)」が優先したり、ともすれば、未熟なアマチュアや指導者も十分ではない学生などもとりくむ機会も多いため、曲そのものも玉石混淆であることが多いのだが、一方で演奏の未熟さにより曲の魅力のごく一部しか理解していないまま、という場合も多い。このスーパープロ集団による吹奏楽は、そうした「曲の可能性」「演奏(再現芸術)の可能性」というものの幅の広さを、惜しげもなく、示してくれる。また、曲そのものの素晴らしさも。。。そしてまた、すばらしいのが、目の前のスーパープロの方々がみな「楽しそうに」「自前感100%で」かつ「超真剣&真摯に(曲に対しても客に対しても)」演奏をし、かつその成果を示していることである。さらに、不思議なことではあるのだが、この「吹奏楽団」の場合、人数で言えば中規模のオーケストラくらいのはずなのに、なぜか、「一人一人」の「顔」が見えてくる気がするのである。「メンバー紹介」があったりすることもあるのかもしれないが。N響からも大フィルからも参加しているが、そのあと、オケ本体の演奏会に行くのが(といってなかなか行けないのだが)さらに楽しみになる。音楽を聴く上でのこうした「顔」「人」という存在の感覚は、なにも「こころ」とか「人情」「人柄」とかそういう「ヒューマニズム!!」なんかとは全く異なり、音楽をプロの能力を持った「人」が生み出す営み、として、自分の存在をも鏡として把握実感できることに、なにか、録音録画の類、または、大合奏!!とは異なる、リアルな実態把握・受け止めをもたらしてくれる「体験」を支えるものなのかもしれない。
2006.09.19
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大阪という街は、掛け声では、「街の文化」「ホンモノを見抜く目」「民が支える活力」!!! のようなことが言われる(地元の人しか知らないかな・・)。まあ、特に、在阪マスコミ、財界、お役所(特に自称"文化通"とか"企画部門(?)"とか)の方々がよく口にしてる気もするが。。。自分の身の回りの人間が言う訳ではないから余計、目につくのかもしれないが。が、しかし、演劇でも、クラシックコンサートでも、「TVに出てるような」超有名どころは人気を集めるが、他は、中身がすばらしくても、空席がチラホラ、当日でも余裕でOK! というのがほとんどである。当日券でOKというのは、平日の前売り購入が仕事のリスクでほぼ不可能、という僕からすると大変ありがたいことではあるのだが、それは昨今のデフレと同様、やがて「正業」(ビジネス)として成り立たなくなる、ということを意味する。案の定、演劇やクラシックに接することができる機会がどんどん減っている。関西・大阪は、進取の気性にあふれ、というのはかなりウソで、「完成品」好みであることが多い。(ちょっと前の阪神タイガースが、若手を育てず、他所の全盛を過ぎた有名選手を調達していたことや、政府の中心ブレインを勤めている企画・財力ともに素晴らしい(!)ハズのオリックスが、阪急ブレーブスの遺産を食い潰した旧オリックスブルーウェーブズと近鉄バッファローズを「買取り」、ジャンクよろしく継ぎ接ぎした上、中村紀&清原の「人気もの」を調達して足れりとしていることも、象徴的な例と言えるかもしれない。)オーケストラでいえば、大阪府(大阪市の方がよほどメジャーなのだが)がバブル機に無理やり作ったセンチュリー交響楽団は、それなりに室内管弦楽団として、団員はがんばってきたとは思うのだが(税金を使ってムリに作った責任を誰が負っているのかは知らないが)、金聖響という若手の指揮者を、「経験が浅く、オケの団員からも苦情が聞かれる」という理由で、「カラヤンコンクール優勝」の小泉和裕に挿げ替えたのも、文化通のお役人が訳知り顔でやりそうなことである。彼には少なくとも、プロが備えるべき「ビジョンとイメージ」がはっきりあり、将来がとても楽しみであったのだが(「好み」で単純&短期間に断じるのは無責任と言えるだろう。)、完成&権威好みのお役人には御不評だったようである。観客動員という意味でも好調だっただが、おそらく、お役人はそうした「聴衆の支持」もバカにしてるのだろう。つまりは「聴衆=市民」をバカにしてるのだろう。お役所の中でもきっと「自分たちは指導的な層」とか「自覚」してる方々なのだろうな、とか思ってしまう。どこの職場でもそんな勘違いクンが「中枢」(のチョットだけ周り)に座りがちなので。ついお隣の兵庫県が「西宮市」というそんなに大都市ではないところで、県立のホールをつくり「成功事例」となっているのですら、きっと「佐渡裕なんて、人気ばっかりで」とか言って冷笑しているのであろう。なんせ「人気を支えるヤツはバカ」だから。。って。。? やっぱり、権威じゃなくては(東京か世界で認められたら権威・・)というところだろうか。(西宮市は決して小さい街ではもちろん無いが、大阪市内に比べれば本来地の利は無いはずのところである。 & 僕個人は佐渡裕氏は好みではないのだが、それはそれとして。)指揮者が若く未経験であることは、ラトルだってそうだったはずなのだが、「育てる」という気は端から無いようである。バーミンガム市が大阪府にあったら、さぞかし・・・であろう。きっと、金氏は、「東京」や「地方(大阪除く)」で花を咲かせるに違いない。そして後から「大阪出身の大指揮者」とか言うのだろうなあ。「完成品」好き、メジャー好みで、「東京や世界で活躍する一流」が大好き = 地方レベルのものや、半完成品の未来の可能性をバカにする、それが、大阪のお役人や財界の基本姿勢のようだ。先の「バナナホール」の例も、まさに同じく、である。。。。クラシックでは、突然、関西経済連合会(関経連)が、「非効率」を理由にオーケストラの統合を言い出したりしており、きっと、お役所と相談の上なのだろうが、今の状況をもたらした側が自らの責任もとらずに、また組織的には何も支援していない団体の方が、現場で実際に努力している人たちを「攻める側」にまわるというのは、まさに今の世相を象徴しているとさえいえる。明るい材料としては、大植英次氏が大フィルを軸に、なんとか、文化・音楽活動を盛り上げようとしているし、氏は、「世界レベル」なので、一応、お役所や財界にも、影響力を(良い意味で)もたらしているようで、とてもうれしいが、このことは、上記の大阪の体質(といっても財界やお役所)が変わったことにはならない。。そんな体質の下で、どんどん、接する機会が減っているのだが、直接の具体的な原因としては、企業が金を出さなくなった、ということとともに、プロモーションが不在となった、ということが挙げられるように思う。大阪は「客」が少ない、という議論もあるのだが、人口を考えるならば、また移動時間(職場or居住地からの)を考えるならば、比率はともかく、絶対数で言えば少なくとも、京阪神奈和の中では、一番有利な立場にあるはずである。(先の西宮市と比べても、すくなくとも「不利」ということは無い)大阪創業の梶本音楽事務所が事実上大阪でのプロモーションを廃止したように、また、近鉄劇場が閉めてしまったように、「良い演目を招き、場所をとり、ちゃんと宣伝し、チケットを売り、客を集める」という作業を行う「興行主」「プロモーター」が不在になった、ということが大きいようだ。昨日(17日)、そんな大阪で夢のようなコンサートが催された、NHK交響楽団のトップの金管奏者による金管五重奏のコンサートである。実際には、ジャンルに関係なく子供から老人まで心から楽しめるコンサートだったのだが、ジャンルそのものとしては本来金管五重奏といえば、「地味」なジャンルである。在阪オケのメンバーでも時折開かれることがあるが、それほど宣伝されることもない。プロのナマはしかしナマで聴くと理屈ぬきで関心~感動させる力を持っている、ということは「ナマ」の演奏をどのジャンルであれ接したことのある方なら、ある程度お分かりいただけることであろう。NHK交響楽団のtrpの関山氏を中心にしたアンサンブル、通常なら、たとえば「NHK交響楽団金管五重奏団」とか名前がつきそうなものだが、常設ではないようで(メンバーは実際、少し流動するそうだが)、長い叙述文のような「団体名」になっている。演奏は超一流の上、メンバーも豪華、曲目もサービス精神満点のもの、と通常なら5000円くらいは普通にするコンサートのはずだが、三井住友海上文化財団のメセナのイベントだったので、なんと1000円均一!。644人入るホールだが多分2割以上空席だった上、招待券も出していたので、まあ多く見積もっても、現金収入40万円。5人の新幹線往復(市内旅費除く)だけで、138,500円 ホールが当日朝から夕方までだけ借りたとして46,000円 控え室2,100円。 これだけで、すでに186,600円。 もう213,400円しか残らない。これで、宣伝費もスタッフの弁当も5人のギャラも全て出そうとするは絶対に不可能である。それほどまでに、良心的というか破格値のありえないような価格設定のコンサートとなったのは、一重に企業メセナのおかげであり、三井住友海上文化財団さんには、心から感謝する。(これは、別儀ながら、「子供のためのシェイクスピア」が、2000円で見られる、松下さんのおかげであることともつながる。そして、後述する不安も共通するのだが・・・)しかし、たとえば、この「1000円コンサート」、中学・高校にちょっと声をかけたら、一瞬でSOLD OUT!となるはずのところ、空席が(前の方は)目立つものとなった。大阪のコンサートとしては上々の部類とはいえ、価格と内容からすると信じられない状態であった。これは、チケットぴあ では流れていたとはいえ、どうも、クラシックのコンサートの「情報流通」が断絶しつつあることの表れのようである。これほどの価格とするのであれば、ぜひ、満席にしてもらいたい。絶対に「客が居ない」ことは無いのだから。マイナス要因としては、このコンサート「大阪市」の主催であっただが、当日は、同じ、大阪市の肝いりで「中之島音楽祭」なるものが、まったく別の場所で、別の企画として行われており、そちらに注目(といってもシレているが)が行ったのも影響しているかもしれない。(自分自身は地下鉄のポスターで見て知ったし、本当に中学・高校に宣伝してたら、きっとチケット入手できなかったろうから、個人的にはありがたいことなのだが)また、この破格値の設定による企業メセナが無い限りは、内容がいかに素晴らしくても、大阪へ催しを呼ぶプロモーターが居ない(子供のためのシェイクスピア も同じく)という状態は、実際には、大変、基盤の脆弱なものである。子供のためのシェイクスピアについても、本当に心から、パナソニックさんには感謝しているが、ずっとこのまま誰もプロモーターが現れなかったらいずれ、大阪では見られなくなってしまうだろう。「加藤健一事務所」のように。。。そんな不安な状況の中でのまさに「一期一会」、N響のおなじみの奏者達による「金五」に出会えたことは本当に幸運であった。関山氏の爆笑トークは有名だが、実際に関西に居て聞くのはウワサばかりであったのだが、今回、会場全体を爆笑の渦に巻き込む、脱力系弾丸スパイス&スパイラルトークを聴けたのもまた「ご褒美」だった。とはいえ、もちろん、本当のご褒美中のご褒美は、5人の演奏そのものであった。(つづく)
2006.09.17
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