プラプラ☆摂食障害と過ごして22年。。。

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ヴィーニャ・ヴェルデ

ヴィーニャ・ヴェルデ

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2011年08月08日
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カテゴリ: 私のこと
自分が極小から過食嘔吐症になったころを、思い返してみよう.

多分、昔から、周りに「いい子ちゃん」で見られていたと思う.

小学生の頃は体は大きい方で、誕生日も早かった事もあり、
また兄がいた事で、やたら目立つ人間だったんだろう.
おしゃべりだったし(今もだけど)。

ただ小学校高学年の担任が怖かった事は今でも覚えている.
クラスメイトがぼこぼこにされた事を、今でも覚えている.

ちょうど近所の中学も荒れていた事もあり、兄とともに学習塾に通い、中学受験.
第一希望の私立は落ちたが、国立には三次試験もパス、晴れて入学.

勉強が楽しかったし、クラスメイトもいい人たちばかりだったし.
ただ、小学生の頃より、リーダーシップはとりにくかったのかも。。。

水泳部でとても楽しかった記憶は、今でもある.
ただ、好きな洋楽で自信のあった英語は全くチンプンカンプンで、
帰国子女のクラスメイトに強い敗北感はあった.

中学二年の頃、友人と駅ビルのサーティーワンでダブルの値段でトリプル!というのに引かれ、
ぺろりと平らげた.
ただそれだけなんだけど.

その後、家族旅行で行った温泉地のバイキングで体重が50キロを超えた。
一時的な物だったんだろうけど、ショックだった.

どちらも一時的な物にしろ、なんか私が拒食症になる前のイメージですごく残っている.


(後日、その同級生が私がおかしくなった事に対して責任を感じていたと話してくれた...
悪かったなー)

その頃は割と几帳面な性格前回でしたので、
食事制限をまず始めた.
カロリーの事をいろいろ調べ、学校の家庭科の先生からも食品についての書物を借りて、


2~3ヶ月すると目に見えてほっそりしたのかな.あまり記憶はないけど.

それに高揚してしまった私のダイエットはエスカレート、
運動も激しくなる一方で、摂取カロリーは極端に減り、
母の作るお弁当にも文句をつけ、姉妹には自分で作る事に.
家での食事もご飯一口、野菜だけ、キノコだけ、食べるタンパク質系はささみ、甲殻類、イカなど...
鳥のアブラ何ぞでるなら、半狂乱に近い状態になった.

だんだん教室で食べづらくなり、屋上に続く階段でお弁当をこっそり食べ、
その後階段を上り下りしてひたすらカロリー消費.

近くの教室の人たちの目なんか気にせず、
ずーっと上り下りしていた.
体力あったな、その頃(笑)

今思えば、本当に狂人でしたね.
私はそれでも不幸と思わなかった.おかしいとも思わなかった.
私は渡し、自分のやりたいようにやっている、見たいな信念(?)に凝り固まっていた.

でも両親や家族はとても辛い思いをしていたんだろうと、
落ち着いてから感じるようになりました.





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最終更新日  2011年08月21日 11時21分34秒
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