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名前のカタカナ表記について、ルーチョ・バッティスティの方が発音に近いですが、日本で発売当時のルチオ・バティスティを使用します。悪しからず!
★ ルチオ・バティスティ (vm) Lucio Battisti
ルーチョ・バッティスティ、 1943 年 3 月 5 日ローマの北北東40 km の山中にある小さな町
ポッジョ・ブストーネ( Poggio Bustone )生、 1998 年 9 月 9 日ミラノ没。 自作自演歌手、作曲家、マルチ楽器演奏家、レコード・プロデューサー。
55才の若さで亡くなり、イタリア歌謡界でドメニコ・モドゥーニョと並び大転換期の主役として今なお圧倒的な人気を持つ伝説の人です。賞賛、評価は他の方にお任せし、今まで紹介してきた「サンレモの歌手たち」と同じスタンスで臨もうと思っております。
モゴールとの亀裂は売上げ配分の問題と言われていますが、遠因は75、76年の南米、アメリカへの旅行で外国の影響を受け、作曲傾向が変化していく頃から徐々に音楽路線の違っていき、ルチオの結婚、息子の誘拐未遂事件など彼を取り巻く環境、人間関係の変化まで遡るのかもしれません。77年初めての英語盤“ Images ( 心の絵 ) ”のごたごたと、英米での売上げ不振、再び英語圏進出をねらった“女ともだち”英語盤の頓挫は後々の火種になったように思います。
モゴールと決別し仕事から解放され、久々の長期休暇を親友アドリアーノ・パパラルド( Adriano Pappalardo )とサーフィンを楽しんでいたようです。82年9月にシングル盤“ E già ”と同名のアルバムを発売します。全曲作詞はヴェレツィア( Velezia )、ルチオの奥さんグラツィア・レティツィア・ヴェロネーゼ( Grazia Letizia Veronese )のペンネームです。作詞はただ彼自身も関わったと思われています。シングル盤は年間ヒット・ランク52位になっています。
ZBN-7287 (1982 年 Numero Uno – RCA Italiana) E già/Straniero
ZBN-7287
ZPLN-34182
ZPLN-34182 (1982 年 9 月 Numero Uno – RCA) E già
1 .Scrivi Il Tuo Nome
2 .Mistero
3 .Windsurf Windsurf
4 .Rilassati E Ascolta
5 .Non Sei Più Solo
6 .Straniero
7 .Registrazione
8 .La Tua Felicità
9 .Hi-Fi
10.Slow Motion
11.Una Montagna
12.E Già
アルバムの仕上がりは、以前とは違いほとんどが短いメロディーの曲で、プロデュース、アレンジ、バックの演奏は英国のグレッグ•ウォルシュ( Greg Walsh )が電子音楽をつけ、ギターは使われていません。アルバムは82年ベスト・アルバムの14位になっています。
82 年から83年の間バッティスティはアドリアーノ・パパラルドのアルバム“
Immersione ”と“ Oh! Era ora ”のプロデュースをしました。“ Oh! Era ora ”の詞を作ったローマの作詞家パスクアーレ・パネッラ( Pasquale Panella )と知合いになります。この後最後のアルバム“ Hegel ” まで作詞家パネッラとの創作活動を行います。またアルバムのジャケットが白または無地にバッティスティ自身のイラストが描かれており、『白の時代』とも呼ばれました。
この時代の音楽傾向はテクノやユーロ・ダンス・ミュージック系で歌詞は掛け言葉や駄洒落の言葉遊びになり、明らかにモゴールの時代とは異なる音楽でした。
86年久々のアルバム“ Don Giovanni ”を発表しました。ファンは彼の新譜アルバムを待ち焦がれ、その年のベスト・アルバム3位になっています。プロデューサーは前作と同じく英国のグレッグ•ウォルシュ、アレンジはロビン・スミス( Rob y n Smith )で、バックはウォルシュの電子音楽に、他の演奏家も参加しています。
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