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昨日は朝から、元同僚のお連れ合いが開いてみえるピアノ教室の毎年恒例の発表会(コンサート)のお手伝いに出かけておりました。 趣味で、以前より音響効果をやったりしてて、学生の頃には先輩のバンドがライヴを名古屋のショッピングセンターでやることになった時「照明もやれ!」(※注:字だけ見ると“命令口調”だけど…(^_^;)それほど有無を言わせない感じじゃない程度の雰囲気…。) と仰せつかり、それが初めての照明担当。以来、幾度かの経験(修行?)を重ね…、今回もお声をかけていただきました。 (o^∀^o) 朝、会場(ホール)の開場から、楽器など機材の搬入作業、音響関係の準備(仕込み)など一連の舞台設営に携わった後、午前中のリハーサルに立ち会います。 勿論、午後の全ての演奏についてリハをしないそうなので…(^_^;) 多くの場合、ぶっつけ本番!?となります。 9時半頃から約2時間のリハーサル内で、各照明の照らす位置をチェック(メモり)、何番を使えば照らせるかを調べておきます。 ※一応言わせて頂くと、本来ならば照明担当は、ステージ上の楽器の位置&人の立ち位置を事前に主催者から確認を取り、ステージ頭上のライトを、その指定された場所を照らせるように位置や向きを変える作業が必要なのです。 しかし、このような会場を前日から借りたり出来ない場合、私が今回しているように…現状でどこを照らせるかを調べて利用するしかありません。 今回で困ったのは…ピアノの発表会なのに…ピアノの位置をバッチリ目立たせるライトがなく“ピアノの少し前辺り”“ピアノの少し後ろ辺り”が一番近いものだったので、全体的にふわっと明るくする照明を加え、後はピンスポットで演奏者をダイレクトに照らすことでカバーすることにしました。 そんな綱渡りもむしろ楽しみつつ、調光用卓(色を変えたり照らす場所を変えるもの)と、ピンスポットを一人で操作しながら…(^_^;)4時間近いステージを見続けて、汗だくです♪ でも終わった時の安堵感・充実感はひとしおです(笑)
2012.03.31
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やって来ました♪ ようやく、食卓に、 これが…。 そう、土筆です。 土筆ですよ! 土筆…(^_^;) 「上の漢字が読めないょぉ~って?」 “土から真っ直ぐ伸びている筆みたいな形” というイメージなんでしょうね♪ 私の住んでいる山あいの地域では平野部に比べれば数℃気温が低かったりするので…「ツクシ 」はまだ少し早い感じなので…。 父が採って来て、母が調理してくれました♪ (*^o^*) 「いただきまぁ~す!」 V(^-^)V だから… 「ツクシ」
2012.03.27
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AKU12 最高!! ~上を向いて歩こう AKU12 Ver.~ 作詩:AKU(補作詩:あさい),作曲:中村八大 AKU12 最高!! 素敵な仲間が集まって 認め合い高め合う ひとりぽっちじゃない 1. 【生徒aの名前】さん 頑張り屋さん 作品の仕上げを 熱心に 爪点検 その厳しさで責任強さ 感じた 【生徒bの名前】さん とてもフレンドリー 誰ともサッと挨拶出来たね 配付物取りに行く事を 忘れずしてくれた 土日の予定 楽しそうに語り合う 愉快な仲間 【生徒cの名前】さん 駅名バッチリ 電車好き 自転車でどこまでも… 「曜日当て」みごと正解さ 忘れず 予定(黒板) 貼ってた 2. 【生徒dの名前】さん はにかみ王子? 汗だくで 体育で大活躍 水筒をさりげなくそっと みんなに配ってた 【生徒eの名前】さん 元気はつらつ 挨拶 きっちり 良い笑顔 全身で 熱く踊ってた 「戦隊物」好きガール 『ラブ・フラゲ』よく踊ったね 頑張った 一つになれた 【生徒fの名前】さん モノマネ上手_昼休み 陽気に演じてる お手伝い とても頑張り屋 「よしもと」大好きボーイ 3. 【生徒gの名前】さん 優しいね 友だちをよくみて支えてたね♪ 料理でも 手芸でも 器用に仕上げてたね♪ 【生徒hの名前】さん 可愛いね 楽しい食事を もっと賑やかに 踊り出す 沖縄の曲が大のお気に入り 「イケメンやで!」「うぅん違うよ」「好きやでぇ~」「そうなんやぁ~」 【生徒iの名前】さん 癒し系さ おしゃべり みんなを和ませた♪ みんなのアイドルさ 笑顔が輝いてた♪ AKU12 最高!! 優しい仲間が集まって 認め合い高め合う ひとりぼっちじゃない いつまでも 仲間さ♪ (6:35) 演奏:あさい ギター(リード&サイド),コーラス ☆「AKU12」って何?☆ ⇒2011年度のあさいが担当したクラスの生徒9名&教員3名からなるグループ。 “AKU”とは,あさいのイニシャル「A」、そして残りのお二人のイニシャルが「K」, 「U」だったことから…例えば「あさい学級」みたいな意味と同様に“AKU”と命名したのです♪生徒と先生がいい意味で張り合ってともに成長していけるクラスになることを目指したのです♪ (*^o^*) ※注 文中の【生徒●の名前】にはちゃんと生徒の名前がフルネームで入って歌われるのでご安心を!? ここではやはり非公開ですから…。 CD盤のデザインも私で…12名が中心からぐんぐん伸びていくイメージ “ひまわり”みたいに見えなくもない。 その花びらみたいな一枚一枚に12名の顔を並べてみました♪
2012.03.26
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先週末は、2011年度の最後の授業日でした。修了式・離任式と全体でのセレモニーがありましたが、自分たちのクラス毎に過ごす一時間があり、担任からの生徒への贈る言葉の他、茶話会的にお楽しみ会をしました。 その内容は…、 お約束だった“(子どもたちの好きな)AKB48の曲をギターで弾いて歌う♪”が一つと、 CDの完成記念試聴会…の二つが、主な内容でした。 じゃあ、 そのCDってどんなもの?? ☆解説☆ では、 説明しよう。 …(^_^;) ・文化祭で学年全体での斉唱を発表した『上を向いて歩こう』は、 音楽の時間の練習だけでは、「障がい」のある子どもたちが歌をマスターするには時間が足らないため、教室でいつでも聴く事が出来るようになっていました。何人かの生徒は文化祭後でも時々聴いたり、歌ったりしていてみんなにとって馴染みのある曲だった訳です。※2学期には私のギターの生演奏でみんなと歌ったことも…。 やはり今年度を象徴(・代表)する曲だと言っても過言じゃないと思います。 そこで…、私の趣味【ギター演奏&作詩作曲】を活かして、クラスの生徒と一緒に歌った音源をCD収録したのです。 本音を言うと、作詩作曲したオリジナル曲を作りたいという考えもありますが、歌詩もメロディも両方覚えるのはかなりの練習時間が要ります。 そこで曲については「上を向いて歩こう」のメロディをそのまま使い、歌詩のみ、私が原案を作り、担任団に見てもらい、一部表現を修正しました。 ※原曲は約4分ほどですが、生徒全員についてのエピソードや頑張りを描いたので、一人約30秒×9名分で、⇒既に4分半を超えていて…最終的に、6分35秒の曲が完成しました。 週末に、保護者の感想を伺っていると、「記念になりました。」「子どもが何度も繰り返し流して歌っています♪」と喜んでもらえたようです(笑)
2012.03.25
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15日の夜に参加した“人権問題の学習会”。 「福島差別」と呼ばれている一連の、福島からの避難住民に対するいじめや偏見、蔑視の問題についての話題をもう少し続けさせてください。 “福島から来た”=“放射線の被爆者”だから、危険な人?自分や自分の子どもに被害を及ぼす存在? いずれも『NO!』 何故に制度として義務教育があり、一定の知識を身につけてきたのか…。 「“放射能汚染”が感染するかのごとく人から人に移らない」などすぐに、理解できる事実です。 何故に、人の噂みたいなある種のメディアに振り回されていないで!…自分の頭で、目で、耳で得た情報をきちんと判断すればいいのに…。 11日の大震災支援フォーラムの会場でのやり取りを思い出しています。 例の「がれき受け入れ問題」のやり取りです。 知事以外に発言された女性の主張です。 ◇「東北から避難している方々は“放射能(汚染)”から逃げたい,少しでも遠くに行きたいと願って、三重に来ている。それが、東北の“がれき”を受け入れれば、それ(がれき=放射能)が追いかけてくるという思いを抱くから…。」 一見、もっともだ…と、認めてしまいがちなのですが、よく読んで(聴いて)みてください。 【東北のがれきに福島からのものは含まれない】という事実。※国が直接責任を持って処理することになっている。 つまり、科学的根拠に基づく反対ではなく、“感情論”で被害者を守ろうとしているのか自分たちを守ろうとしているのか? 反対する側は、「国が正しく測定していない」「公表していない」と簡単に批判をするけれど自己防衛的に放射線測定器を備え、食品等々の安全チェックに取り組む団体や個人もある事実。それらも含めて判断すれば、福島以外の地域のがれきからの健康被害のリスクは“0”に等しいことは容易に理解できるし、仮に低レベルの放射能を含んでいても、本当にそうだとしても…それを“被災地から出すな!”と突き放すならば、例えは悪いけど、【毒ガスがあふれた部屋】の住人をその空気の中にとどめて…それを減らしてあげないで見殺しにする感覚です。受け入れない私の県も、そんな【きれいな空気の部屋】の住人なんです。私もその罪の一端を負っています。 私は8月と10月にそれぞれ一週間ずつ岩手県山田町に災害ボランティアの活動をさせて頂きましたが、10月の滞在中、がれき集積場所で自然発火!?とみられる火災が起こりました。 そんな恐怖も現地では存在するのです。臭いの問題もあるでしょうし、それが目に入る日常生活が精神的にもどれだけ苦痛か…想像以上だと思います。 三重の受け入れ表明に向け、私もこうした発信だけでなく、出来ることをやります!
2012.03.16
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そんな切り出しから今夜の講演会が始まりました。 【「あのさぁ『三重差別』のことなんやけどな。」と尋ねられても、きっと… 「はぁ~!?それ何?」と尋ね返すでしょう。 でも、今の日本の状況は、『福島差別』という言葉が、そしてそれが示す差別の実態が、大抵の人々に知られるくらいに浸透しているのです。 『福島差別』というだけで通じるものは、 放射能汚染の事を指すものではありません。この差別は自動的に作られたものではなく、人々が新しく作ったもの(差別)なのです。】 このように語り始められたのは、近畿大学で人権問題…とりわけ部落差別の問題…に取り組まれている奥田先生です。 新聞紙上に取り上げられた差別の事例を配付資料を示しながら紹介してもらいました。 ◇子どもが「福島くん」と呼ばれていじめを受けたとか、 ◇来るのを拒否されただけでなく、手紙さえも送ってくるなと拒絶された、 ◇ネット等で「福島の女はお嫁に行けない」なんて言ってほしくないと話すなど、 10を超える許し難い差別事象の実態に絶句…しました。もちろん、これは氷山の一角ですが…と奥田さんの弁。 数々の差別の現実の中、当然、この差別の不合理を訴える人々も現れます。 ☆広島・長崎の原爆被爆者の団体から…。 ☆ハンセン病回復者(元患者)の団体から…。 ☆水俣市長から…。 それぞれの過去に、そして現在も受け続けている差別・偏見の視線と重ね合わせ、「福島差別」をなくしたいとの声明を発信されました。 更に、5月30日福島県弁護士会会長による声明では、 (1)福島県民特に子どもへの差別の“実態調査”を! (2)県民への差別的な被害についての“相談”業務をシッカリと。 (3)宿泊拒否…旅館法違反等の“法令違反”への適切な対応を! (4)放射線・放射性物質について“学習機会の確保と広報”活動の充実を! (5)福島県民への“差別が人権問題であることを広く国民に認識させる”教育や啓発活動の充実を! 以上5点を国・地方公共団体に求めます。 奥田さんは、上記の5点とも、部落問題での当事者や反差別の立場からの主張と重なります。 また、こんな提起もされます。 部落差別,障がい者差別,女性差別などの差別の起源<その始まった頃>、私たちは生まれていませんでした。でも、『福島差別』については、なかった時に私たちは生きて存在し、出来た後の社会にいます。まさに、新たな差別の誕生に立ち会ったのです。 この差別をなくす事は今、生きる人間として作らせてしまった一人として取り組まなければならないのです! 21世紀に入り、国連の人権啓発・教育に取り組む10年計画が出されましたが、まさに今、その10年を迎えて…これまで取り組みの成果が問われているのだと痛感しました。
2012.03.15
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昨日、3月11日は全国各地で、慰霊、追悼の集いが営まれました。 ※「全国各地で…」が、『日本中で』と言い切れないと思わせる悲しい現実もありますから…。(ρ_;) 私は、災害ボランティアに参加させていただいた際にお世話になりました“みえ災害ボランティア支援センター”主催された「東日本大震災支援フォーラム」(10時~15時)に参加したのです。 大震災発災1年という中で、三重の仲間が、今後の支援のビジョン(どんな支援を、いつ頃まで…など。)を討論するものでした。 NPOさんに限らず、小さな企業さんや個人が、1年前の11日の現状“惨状”を見聞きし、数日後には、自社トラックの無償提供や支援物資の搬送にと、献身的に行動されていたことを知り、今更ながら“人の温もり”を感じた次第です。 「現地を知る(ボランティアに入る)」ことは大事なこと。 しかし、 「行った人だけが偉いのではない。(間接的・後方支援も大切)」 “いつまで活動しますか?”のテーマでは、 「活動資金が続くまで…。」という現実的な本音も出されはしましたが、 『支援して欲しいと願う人が“0”になるまで…。』という参加者の多くが願う方向でまとまりました。もちろん、タスクゴール的に、一つひとつの達成目標を示しながらの歩みになりますし、山本センター長が話した、 「『広島長崎の被爆者支援』に似た数十年間に及び息の長い取り組みも見据えています。」…と、同感です。 フォーラムは15時まで…。つまり、14時46分を視野に入れての開催でした。その時刻に全員で黙祷をして、あの日に思いを巡らせました。 私は、その会が終わるとすぐに、名古屋に向かいました。 名古屋の大学生が、陸前高田との交流の中で、この11日に、陸前高田と名古屋の両会場で、キャンドルナイトを開こうと企画したわけです。名古屋の会場は金山総合駅前にあるボストン美術館の入り口の階段を使っての開催です。 告知では、16時~20時となっていましたが、私が現地に到着した17時過ぎはまだ全部に火は灯されていませんでした。 何しろ、陸前高田での被災者(死者・行方不明者の合計)の数1844個のキャンドルが並べられていましたから、しかも雨降りで、準備も大変そうでした。 河村名古屋市長も最終のいくつかのキャンドルに点火して、覆い(風避け)となる筒“陸前高田の米崎小学校の子どもたちのメッセージが書かれていました。”を被せ終わると、セレモニーで、黙祷をしてきました。 私なりに東北の皆さんとともに歩む営みを考え、行動してみました。
2012.03.12
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