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長野県のフリーペーパー「月刊かみいな」に掲載された、弁護士・長谷川洋二先生のお話です。
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私は無神論者で無宗教で何の思想もない。
が、弁護士を続け他の人生を眺めているうちに、神は存在し天罰は下ると確信した。
神は法律で裁けない悪行を確実に裁き、天罰を落とすのだ。これは恐い。
なぜなら、法の罰は罰金とか懲役など受ける罰が事前に決まっているが、天罰はいろいろと形を変えるからだ。
今から22年ほど前、私は飲み屋でケンカし包丁で相手方を刺し殺した男の弁護をした。
彼は私に、殺意はあったが、なかったことで弁護してほしいと依頼した。
悩みつつも私は殺意を否定し殺人罪は成立しないと法廷で戦った。
なんと裁判 所は私の主張を認め殺人罪ではなく障害致死罪で懲役6年だけの刑に処した。
殺すつもりで殺したのに殺人罪にはならなかったのだ。
弁護士としては勝利したが、人として後味の悪い勝利だった。
かくして、彼は6年も経たないうちに出所した。
が、恐るべし、7ヵ月後、肺ガンでゴミのように死んだ。
私にもその頃、不幸があった。天罰が落ちたと思った。
また、ある組織に数十億の不正融資の問題があった。
関与した3人は数年はその金で贅沢三昧をしていたが、やがて1人は失明し、
1人は喉頭ガンで声を失い、1人は社会的地位を失った。
彼らの行為は法的には裁かれなかったが、神が裁いた。
妻が妊娠中に彼女を作り、その彼女にも妊娠させた男がいた。
彼は妻には出産を、彼女には中絶を強いた。
彼女は不倫関係故に彼には何の請求をもできなかった。
請求すれば彼の妻から逆請求されるからだ。
まもなく、彼は、プレス機で両手をつぶされ、生まれた赤ちゃんを両手で抱けなくなった。
こんな事例がいくつもある。
悪事をしたものが法律で裁かれるのは、その者にとって安心できる裁かれ方だ。
なぜなら、裁かれ方が法律で決められているからである。
しかし、神は違う。
天罰はいろいろな形で悪人を苦しめ、時には命を奪う。神は万能なのだ。
「天網恢恢、疎にして漏らさず」とは、神はどんな悪事も見逃さない網を張っているという格言だが、私はこの言葉を信ずる。
金で買えないものは無いと断 言した傲慢な経営者は実刑判決を受けたが、
彼は法律の裁きを受けただけでも想定の範囲の処罰で助かったというべきである。
仮に法律の裁きを免れたなら、彼の身に天罰が落ちたであろう。
最後に、神がいるということは逆にいうと、
真面目にコツコツ誠実に思いやりを持って生きている人には幸運が保障されるということだ。
神はそれぞれの生き方に応じて、天罰と天恵を選択して与えてくれるのである。
愛、幸福、微笑み、自然、心の安らぎ、これら生きていく上で一番大切なものはすべて金で買えないのだ。
神が誠実で優しい貴方にそっと与えてくれるのだ。
悪人には天罰を下すようにね!
・・・
引用元サイト: https://blog.goo.ne.jp/t…/e/ff79a9b60b34a3d758269f083ae357dc
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因果応報、網恢恢疎にして漏らさず ( てんもうかいかいそにしてもらさず) 、、、
人生誰しも、理不尽な想いをしたことがあると思います。
でも、そうしたものも、人智を超えた大きな力が働いて、良くも悪くもいずれその人のところに返って来るようです。
私自身も、数年間苦い思いをずっと抱えた時期がありました。
世の中、言いたい放題、やりたい放題の人というのは一定数存在します。そうした方との距離感を上手に保てなかった自分が未熟だったのだ、と思いつつも、あまりにも理不尽な出来事にショックはかなりのものでした。
でも「自分の正当性を訴えなくても、相手の不正をあえて指摘せずとも、すべては天がお見通しのはず」とずっと思ってきました。
そして今回、長谷川弁護士のこの記事を読んで、それが裏付けされたかのような、そして救われたかのような気持ちになりました。
自分がアレコレ心を煩わさずとも、すべては巡り巡って返って来るもの。
天の配剤は確実に存在するのだ、と。
だとしたら、自分は今の目の前のこと、やるべきことを精一杯、粛々と誠意をもってこなしていけばよいのですよね、きっと。^^
誠実で心優しい皆さまに、天からの祝福と恵みがありますように。
お読みいただきありがとうございました。皆さまにとって本日が素敵な 1 日でありますように。