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いろいろなことがあった4年間。厳しい4年間でした。でも、ここに来て楽になり、これから新しい時期にはいります。夫とは離婚しました。法廷での手続きがとんでもなく長く、辛いこともありました。でも私自身は、ずいぶん変わりました。法廷で戦った時期が長かったせいか、人に物を伝えるのが鍛えられました。その結果、問題対処の仕方がうまくなった気がします。また、いろいろが気にならなくなりました。前よりストレスがたまらなくなりました。でも、一番かわいそうだったのは息子でした。「一時的」に出来た同意書に基づいて二つの家を一日ごとに行ったり来たり。その「一時的」が3年間も続き、幼い子供にとっては長い修行となりました。そして、一番悲しかったのは、4年間も日本に帰らせてもらえなかったこと。その間に、息子に会うのを首を長くして待ち続けた祖母と、そうして、次の年父方のもう一人の祖母も亡くなりました。それでも、息子がお葬式にも帰ることを同意しない夫。ところが実はそれが法廷に「真実が伝わる機会」となり、好機がこちらにめぐってきました。今まで信じてもらいにくい厳しい状況に居た私の立場を、弁護士と法廷が理解してくれるようになりました。祖母が命をかけて守ってくれたのだと思えました。長い訴訟となったものの、こちらにスムーズな形となりました。そして、今年(2014年)2月に長い間待って待った判決がようやくでました。一番意味があったのは母親と息子が平日のほとんど毎日を過ごすというもの。もう一つは、日本に行くことが出来るという事。長い戦いが終りかけたこの夏、そしてようやく久しぶりに息子と日本へ行くことができました。息子にとって、しばらくぶりの日本。長い間会っていなかった家族親戚との再会!そして、待ち焦がれていた色々なこと。美味しいものも食べました。行ってみたいところにも行きました。やってみたいことやってみました。2年前に取るはずだった七五三の写真も、着てみたかった着物姿に刀を持って、練習した立ち姿で張り切ってポーズをとりました。一方で、なつかしい唯一の幼い友人にも会ったものの、お互い覚えていないという残念もありました。大好きな日本のお風呂の入り方を忘れてしまって、石鹸たっぷりのタオルを湯船に投げ入れてしまったり。けれど、あっというまに日本語も上達し、親戚と親抜きで思い切り楽しむこともできました。楽しみだった「キッザニア」に行き、思う存分色々な職業を体験しました。例えば救急隊員になってみて、車のオペレーターを任された時はがんばりました。「車が通ります。ご注意ください。」の全部は言えなかったけれど、「車が通ります。車が通ります。」を一生懸命言って、お仕事を果たしました。祖母のお墓参りも行きました。もう一人の祖母の一周忌にも行くことができました。もうすぐなくなる古い日本家屋で、沢山の従兄弟達と遊ぶこともできました。日本から帰ってきて、しょっちゅう泣いて怒っていた息子が、安定してきました。毎日の生活の中でも、息子に安堵の笑顔の表情が増えました。学校から呼び出されることも減りました。何より、子供と私の充実した時間が増えて私自身が幸せです。そして、私ですが。。。2年前に卒業し、その後のPost Doctoral インターンで四苦八苦していたのですが、それも最近終わりました。国家試験を受ける許可が最近下りたばかり。正直、嬉しいです。これから試験勉強に本格的に取り組みます。この試験がもし通ったら、長かった本当に長かった勉強生活もこれで終わり。これを更に長引かせないように、私には責任があります。そして、本格的に自分の仕事を始める為に今の私には目標があります。それが通ったら、新たな人生の始まりです。色んなことがあっても、最後は笑って過ごしている。その事に今、心から有り難いと思っています。
2014.09.21
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