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2022年05月26日
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カテゴリ: 横川典視
木曜担当のよこてんです。

 今回の話題は『調教師の新記録&大記録誕生!』。5月22日の水沢競馬第7レース、管理するゴーフォーゴールド号が優勝した小西重征調教師はこの勝利が地方競馬通算1915勝目。これは、これまで阿部時男調教師(元・故人)が保持していた “岩手競馬における調教師通算勝利記録” 1914勝を超える新記録となりました。


★岩手競馬所属調教師通算勝利記録1915勝達成/2022年5月22日水沢7レース


 小西重征調教師は約2年前の2020年7月13日、 “岩手競馬調教師平地通算勝利記録” というものを更新しています。

 通算?平地通算?と分かりづらい部分だと思いますのでこの機会に改めてご説明を。

 阿部時男元調教師の『1914勝』は「岩手県競馬組合創設(1964・昭和39年)前の勝利数・けいが競走の勝利数を含む」記録。




★2001年12月に開かれた阿部時男調教師の1900勝記念パーティーとそこでの阿部時男調教師


 2年前の“新記録”の時の数字は櫻田浩三調教師(元・故人)が持っていた『1843勝』、これは「岩手県競馬組合創設(1964・昭和39年)後の、けいが競走の勝利数を含まない平地のみ」の勝利数の記録でした。


★櫻田浩三調教師の1843勝目・ラストウィンとなった2016年4月17日10R(トーホクアロー)


★櫻田浩三調教師1800勝達成(2015年6月7日)


 もうちょっと掘り下げてみましょう。


 しかし、岩手競馬に残る記録では少なくとも1966(昭和41)には優勝馬調教師欄に「阿部時男」の名が見られるようになっており、1973年以前から調教師として活躍されていたことがうかがえます。


★昭和41年の主要競走成績より。阿部時男の名が騎手欄(負担重量の右)・調教師欄(右から二列目)に。同時に「けいがD1.2級」での勝利時は騎手・調教師兼業だったことも分かる(「いわての競馬史」P136-137より)

 それはどういうことか?という答えというかヒントのひとつが「けいが競走の勝利数を含む」という注釈です。1971(昭和46)年6月までけいが競走を実施していた岩手競馬では同じ頃まで平地・けいがの双方で「騎手・調教師兼業」が認められていました。阿部時男調教師も、ある時は平地の騎手として勝ち、ある時はけいがの騎手として、自身が調教師として管理している馬に乗って勝ち・・・と、残っている記録をそのまま見る限り「一人四役(平地の騎手・調教師、けいがの騎手・調教師)」で活動していたようです。

 当時(昭和40年代前半頃まで)はそれがむしろ普通で、例えば小西重征調教師の義父である小西善一朗氏も平地・けいが双方で騎手・調教師を兼ねて活躍されていた記録が残っていますし、「幻の女性騎手」といわれる高橋優子騎手の父である高橋武調教師もけいがの騎手・調教師を兼業されていました(ちなみに母の高橋クニさんは平地の騎手)。

 下の画像は岩手競馬がかつて毎年作成していた「競馬手帳」に掲載されていた調教師の勝利記録です。2004年度版から切り出した画像ですが、カッコ内はけいが競走の勝利数とされているもの。その時点ですでに引退されている調教師がほとんどとはいえ(2004年=平成16年)、逆に言えば昔の世代の調教師は平地・けいが兼業が普通だったということですね。


★「競馬手帳2004」より


 過去の記録を見る限り、1971年のけいが競走廃止後はそれまでけいがを中心に騎乗していた騎手達が平地に転じており、また騎手・調教師の兼業も同年か翌年頃には廃止になっている模様です。地全協のデータで阿部時男調教師の開業が1973年になっているのは、恐らくそのタイミングで平地競馬の調教師専業になったためではないか?と想像します。

 ということで阿部時男調教師の記録はけいがを含む、もう少し付け足すならば「騎手・調教師兼業時代の調教師としての勝利数を含む」の1914勝。
 一方、櫻田浩三調教師は調教師としては平地競馬専門かつ騎手時代に兼業もしていない(と思われる)ので「平地のみ」の1843勝。
 そして今回、小西重征調教師(小西重征師もけいがの調教師の経験無し・騎手調教師兼業も「自分はやっていない」とのご本人談)が、平地のみの勝利数で1915勝を達成した・・・ということになりました。

 改めて先ほどの、2004年競馬手帳のデータを見ていただきましょう。第1位に君臨する阿部時男調教師の1914勝。その時点で小西重征調教師は989勝。
 阿部時男調教師が引退された時点での現役調教師との差は、その時一番近かった櫻田浩三調教師でも656勝、ほとんどの調教師にとっては900勝とか1000勝とかの差がある、とても届かないと思われたほどの差。小西重征調教師が阿部時男調教師の記録を「他人事のような数字」と表現されていましたが、まさしくそんな感じにも思える“遠い”数字でした。

 しかし、一歩一歩、一つ一つ近づいてついに超えた。記録というものはいつかは破られるもの・・・ではありますが、自分などは「とうとうあの記録を!」と感じるものがありますね。


 現役では佐々木由則調教師が1651勝、村上実調教師が1527勝。いずれも小西師より少し若い世代ですし、例えばデビューから20年ほどになる佐藤雅彦調教師・三野宮通調教師が1000勝目前ということを思えばいずれ記録に迫る可能性は十分にあるはず。また、デビュー12年の板垣吉則調教師が約870勝に届いているのを見れば2000勝突破も決して夢ではない話になるのではないでしょうか。今回の小西重征師調教師の記録は間違いなく大記録であり前人未踏のものですが、いずれは追いつかれる日が来ることは、それも確かなのだろうと言わざるを得ません。

 とはいえ、記録というものはその時・その場で価値が変わってくるもの。阿部時男調教師の1914勝、櫻田浩三調教師の1843勝はもちろんのこと、“いつか誰かに超えられた日”のあとの小西重征調教師の1915勝も、だからといって凄さや価値が薄れるものでもありません。同時に、かつて1914という数字を遙か遠いものと感じたのと同じように、小西重征調教師の1915勝(プラス、師が引退するその時まで積み重ねていくであろう勝利数)もまた、“次の誰か”が近づいてきた時になって、その凄さを改めて感じることになるのでしょう。
 そんな次の誰か・・・となってくると自分もその頃まで競馬の仕事をしているのかどうかはなんとも言えないスパンになってきますけども、できればそんな瞬間を見ることができればいいですねえ。

 改めて、小西重征調教師新記録達成、おめでとうございました!


★小西重征調教師(左)と、騎手時代は小西重征厩舎の主戦だった齋藤雄一調教師(右)。手にしているパネルはIBCラジオ加藤アナ作成





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最終更新日  2022年05月27日 17時06分16秒


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