・夏川草介『スピノザの診察室』は、医療小説の体裁を取りつつ、実際には“合理と感情の折り合いをどうつけて人は生きていくのか”という哲学的テーマを扱う作品だ。タイトルに掲げられたスピノザは、理性を重んじ「人間の感情も自然の必然」と捉えた哲学者。夏川はその思想を軸に、人間が抱える葛藤・恐怖・痛みを現代医療の現場に重ねて描き出す。
・舞台は地方病院。主人公の若手医師・藤堂は、多忙な診療の中で患者の“身体”と“心”の両面をどう理解すべきか悩む。ある日、スピノザの思想を独自に研究する老医師・皆川と出会い、彼の言葉をきっかけに医師としての視界が少しずつ変化していく。物語は、藤堂が出会う患者たちのケースを通じて進む。慢性疾患で治療を拒む患者、家族のケアに追われて疲弊する介護者、病名がつかない痛みに怯える女性——。どのケースも「合理的に説明できない現実」を抱えている。
・皆川医師は藤堂に語る。
「人間は理性では割り切れない。だが、理性を捨ててしまえば恐怖に飲まれる。 だからこそ “ 理解しようとする姿勢 ” が人を救う。」藤堂は、医療とは “ 正しさ ” を押しつける行為ではなく、 “ 生きようとする力を引き出す対話 ” なのだと気づいていく。物語後半では、藤堂自身も医療者としての限界と向き合い、傷つきながらも「人が人に関わることの意味」を学び直す。 スピノザの思想が示すのは、感情もまた人間の自然であり、それを否定するのではなく “ 観察し、理解し、扱う ” という姿勢だった。
・本作の核にあるのは、次の問いだ。
「人間の非合理とどう折り合いをつけるのか」
- 感情は排除できない
- 人は常に恐れと共に生きている
- 正しいだけでは人は動かない
- “ 理解しようとする行為 ” そのものが力になる
夏川草介の医療小説らしく、専門的なディテールを織り込みながらも、ストーリーは人間の心の複雑さを丁寧に拾い上げる。スピノザという哲学をメタフレームに置くことで、読者は“自分の感情の扱い方”まで考えさせられる構造になっている。
・ビジネス環境も医療現場と同じく、不確実性と非合理が支配する世界だ。本書は医療小説でありながら、現代の働き方にストレートな示唆を投げかける。
- 人は合理で動かない。感情・恐怖・欲望が意思決定を支える。
- “ 正しい答え ” よりも、 “ 相手を理解しようとする態度 ” が信頼を生む。
- 感情を否定するのではなく、メカニズムとして扱うことで行動が安定する。
- 矛盾や不安は排除するものではなく、観察し制御する対象である。
チームマネジメント、顧客対応、自身のキャリア選択——。あらゆる局面において、「スピノザ的視点」は役に立つ。人間の感情をコントロールするのではなく、“理解しながら付き合う”という態度が、結果的に最も合理的なアプローチなのだと本書は教えてくれる。
スピノザの診察室 [ 夏川 草介 ]
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