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昨年の夏、妻の実家に帰省した際、娘と山へ虫捕りに行って、運良くオスのヒラタクワガタを捕まえた。ヒラタくんと名付けて飼育箱に入れて飼っていたが、10月ぐらいから姿が見えなくなっていた。どこかへ逃げたのか?それとも土にもぐったまま死んだのか?冬眠してくれているのでは?と僅かだが期待していた。そのヒラタくんが久しぶりに姿を現した。飼育箱の中で本当に冬眠していたのだ。良かった。良かった。今年の夏はお嫁さんを探してやるからな。ちなみに飼育箱の中ではヒラタくん以外に、カブトムシの幼虫も順調に成育している。うまく成虫まで育ってくれるといいのだが。
2007.04.19
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娘の小学校への入学式に行った。職場も新年度で忙しいし、卒園式ほど感慨は無いので当初は行かないつもりだった。しかし妻が「どこの家庭も両親で行くんだよ」とうるさかったので、半日休みを取って行った。とりあえずビデオカメラも用意していたが、式が始まる前に「形式に則って行うので、立ち上がっての撮影はご遠慮ください。」と学校側から釘を刺されたので、あまり撮れなかった。入学式の感想は、涙を流しまくった卒園式が嘘のように冷めたものだった。小学校に上がることで、娘との距離が少し遠くなりそうな気がしている。それから教室に行き、教科書などが渡された。私たちが小学生だった頃と比べると、なんとも薄っぺらな教科書だ。しかもまるで絵本みたいに文字が少ないの。これが「ゆとり教育」なんだろうか。そういえば円周率も3.14ではなくて3だったっけ?時代のギャップを痛感した。
2007.04.10
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大泣きした卒園式以来、涙腺がゆるくなっている。♪はーるのーことーでーすー おもいだしてごーらんー あんなーこーとー こんなーこーとー あーったーでしょーそのメロディが頭の中を流れるたびに涙が出そうになる。単に年をとったせいかな?
2007.03.29
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娘の卒園式があった。私はなんと父母代表の謝辞を述べる大役を任されていた。卒園式では娘の成長した姿を見ながら静かに涙を流すだけのつもりだったのだが、これまで園の行事でこれといった役目をしていなかったので断れなかった。引き受けたときはメモを見ながら適当に話せばいいと簡単に考えていたが、保育園に預けられている過去の謝辞を見て、これは大変なことになったと思った。蛇腹状に折り畳まれたられた紙に、長文の謝辞が毛筆で書かれていてた。ずっと保育園に残るのならば、適当なんかじゃ済まされないと思った。それから過去の謝辞や、ネットに公開されている謝辞を参考にして必死に考えた。これまでのことを思い出しながら何度も何度も書き直した。色々な事が思い出され、書きながら涙が流れそうになった。何とか書き上げた謝辞は、妻の姉のご主人に筆で書いていただいた。そして当日。私は謝辞の緊張のため涙を流している余裕は無いんじゃないかと思っていた。しかし、それは甘い考えだった。卒園生一人一人が卒園証書を受け取る姿を見ていて、涙が流れ始めた。娘の姿に感激するどころか、ほかの子供たちを見ていて泣けてきた。私の娘と同じ小学校に行く子は23人の内7人しかいない。どの子にも思い出があって、この子たちにもう会えないと思うととても寂しくて悲しくて堪えられなかった。特に、娘にとって初めての友達だったことねちゃん。いつも元気いっぱいで明るくて、娘を引っ張りまわしていたことねちゃん。そのことねちゃんが泣きじゃくっているのを見て、私の涙腺は完全に壊れてしまった。その後の私の謝辞は、言うまでも無くボロボロだった。きっとその場にいた人間の中で一番泣いたんじゃないだろうか。ちなみに娘はちっとも泣いていなかった。
2007.03.24
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今日は私の誕生日だった。ついに大台に乗ってしまった。それでも娘の誕生日プレゼントに感激した。パパおたんじょうびおめでとうと書いた紙をカーテンに貼ってお祝いしてくれた。娘に愛されて本当にうれしい。
2007.03.12
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娘が通う保育園を含めた6園で、ドッヂボール大会があった。平日だったが仕事を休んで見に行った。これまでに娘の保育園は7連覇ぐらい続けているそうだ。園でもドッヂボールの練習をよくやっていて、娘は「今日は○○君にぶつけたよ。」などとよく話していたし、家でも練習に付き合わされていたので、娘の雄姿を楽しみにしていた。試合が始まると我が園は圧倒的な強さで、次々と対戦相手を倒していった。ところが我が娘はコートの隅っこばかりにいて、ほとんどボールを触ることもないばかりか、くるくると回って踊っていた。おいおい、ずいぶん話が違うじゃないか。でも、考えてみればうちの娘らしい。人を差し置いて前に出ようとはしないからな。それでも何回かはボールをキャッチして、そしてぶつけていた。しかしこの日最も驚いたのは、平日だというのに応援に来ている父母の多かったこと。それもほとんどが我が園の親たち。我が園の子がぶつける度にものすごい声援を張り上げていた。やはり連覇中とあって親も応援に気合が入っていたが、他の園の子どもたちがかわいそうに思えた。ところで我が園は4連勝で迎えた決勝戦で、同じく4連勝の園と戦ったが、惜しくも敗れて2位だった。
2007.02.19
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全国的に注目を浴びている宮崎県の東国原知事の県産品PRイベントに、娘たち園児も参加するというので見に行った。平日だったがちょうど昼休みの時間だったので、職場を抜け出して見ることができた。県産品がタダで貰えるということと「そのまんま効果」でイベント開始前から大変な混雑だった。しかもその中には、他の園児のお母さんたちもたくさん紛れていた。知事が到着するとおばちゃんたちが手を振ったり携帯で写真を撮ったりと、さながら韓流スターを出迎えるようだった。考えてみると私自身、新知事を生で見るのは今日が初めてだった。言い尽くされているがやはり話が上手く、その日PRした「たまたま」というブランド名の完熟キンカンについて、「キンカンたまたま、略したら大変ですよ。」と言うと園児たちが大爆笑していた。←完熟キンカン「たまたま」いざ県産品の配布が始まると、人々は知事からもらいたいようで子供たちの差し出す袋をなかなか貰ってくれなかった。そして一人一人が知事に握手を求める始末で、さながら知事の握手会のようだった。ついにはスタッフが知事を別の位置に誘導し、知事は配るのを辞めて握手に専念するようになった。私は知事と娘とを携帯で撮って、娘に手を振って職場に戻った。その日の夕方は、妻と各局のニュースを見まくったが、残念ながら娘は映っていなかった。
2007.02.13
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家族3人でボウリングに行った。娘は数日前からボウリングがしたいと言っていた。先月、草野球リーグの懇親会で家族ボウリング大会があり、その時に投げて楽しかったらしい。娘にとってはこれが3度目のボウリングだ。私は野球はへたくそだが、ボウリングは長くやってるのでそこそこ上手い。私が初めてボウリングをしたのは小学校に上がる前だった。ちょうど中山律子プロなどの影響でボウリングブームだった昭和40年代後半で、両親と姉と兄、全員でボウリングをやっていた。その頃はスコアは手書きで、もちろんスコアの計算も自分たちでしなければならなかった。ボウリングのスコアの計算がわからない大人も多い中、幼い私がスコアを付けていたので、周りの客が驚いて覗きに来ていたらしい。当時は今とは違ってボウリングをする子供なんて非常に少なかったので、貸しシューズも21CM以上しかなく、私はスリッパを履いて投げていた。最近は年に2、3回しかやらないが、それでもアベレージ150はキープしている。私の自慢話はこのぐらいにして、今日はガターの無いファミリーレーンで投げることができた。娘は物凄くやる気満々で、イスに座って悠長に待ってはいられないようで、ボール置き場所で自分のボールに手を置いたまま投球順が来るのを待っていた。当然ながら6歳児の投げるボールはなかなか真っ直ぐに進まず、ピンに当たっても少ししか倒れてくれなかった。それでもやる気を失うことも無く、少しでも早く、そして少しでも多く投げたい様子だった。きっと30数年前の私もこうだったのだろう。娘は家でゲームを一緒にすると、自分の思い通りにならないと直ぐにやる気をなくしたり、すねたりするのに、えらい違いだ。妻は2ゲームを投げたところで止めたが、娘は3ゲームを投げきった。残念ながら娘はストライクもスペアもとれなかったが、大満足の表情だった。会計に行くと、今日はたまたま家族の日だとかで1ゲームが250円だったので、2,000円しか請求されなかった。これだけ娘が喜ぶんなら、毎月1回はボウリングに行ってもいいな。でも貸しシューズ代300円がもったいないから、妻も誘ってマイシューズを買おうかな?
2006.12.17
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今年もまた発表会の日がやってきた。一体何を見せてくれるのか? なんてドキドキは残念ながら無い。保育園で練習している発表会の出し物は、毎日のように家で披露してくれていたからだ。今年も先生たち力作の衣装を着て、園児たちは色々な出し物を精一杯見せてくれた。お遊戯では娘は速いテンポの音楽にあわせてダンスを一生懸命踊った。親バカだが、娘はとてもリズム感がいい。振りも大きくてとても上手だった。英語劇ではナレーションを担当していた。小学校に上がる前にこんなにも英語を話せるようになるのかと驚いた。プログラムの最後に、娘たち年長組が合奏を披露してくれた。それを見ていて私は胸が熱くなった。娘の通っている保育園は町の中心部なので、勤務地が近くの親が預けているケースが多い。そのため住んでいる家は広範囲に散らばっている。春になればこの子たちはそれぞれの小学校にバラバラに分かれていく。その子供たちが今、力を合わせて1つの曲を演奏している。このメンバーでの演奏は、もうこれが最後だろう。私の娘は4年間、長い子では6年以上をこの保育園で過してきた。娘の成長はもちろんだが、他の子の成長も同じように見てきた。みんな本当に大きく成長したもんだ。子供たちは本当に大きな可能性を秘めている。どの子供もみんな本当に素敵だった。
2006.12.09
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月に一回通っている病院の待合室にいると、妻からメールが届いた。なんとランドセルを買ったというのだ。私は、「え、マジ?」と返信した。病院を出た後に携帯で話を聞くと、娘のピアノ教室が終わった後に妻と娘とでデパートの子供服売り場に行ったそうだ。そこにはランドセルも置いてあって、その中の一つを娘が気に入り、「これが欲しい」と言い始めた。するとすかさず店員が、「これが最後の商品です」などと追い撃ちをかけたため、娘もそのランドセルを離さなくなってしまい、もうその場で決めてしまったそうだ。いずれ買うものだし、買うときは娘が気に入ったものにしようと思っていたので、ま、いっか。ランドセルで思い出すのが、さだまさしさんの「親父の一番長い日」という曲の中の、「赤いランドセル 背負ってか背負われてか」という歌詞だ。この曲は今から25年ほど前に流行った曲だが、自分が父親になってからたまたま聴き直したとき、その歌詞の部分を聴いたとたん、自分の娘の姿を想像して涙が流れてしまった。それがもうすぐ現実となるんだ。ただ私の娘の場合、とても体格がいいので、ランドセルに背負われるなんてことはありえないな。
2006.11.18
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娘のピアノの発表会があった。発表会といえば、かつてヤマハの音楽教室に通っていた頃の発表会が思い出される。無料で会場に入れる家族は一人まででそれ以上の入場は有料。そしてカメラ、ビデオの持込は禁止。しかたなくヤマハが撮影したビデオ(たしか4千円位だった)を買ったところ、娘がほんの少ししか映っていなかったという、とても酷いものだった。でも今習っているのは個人の先生で、発表会の開催のための費用として7千円負担はしたが、会場に入れる人間も、カメラ、ビデオの撮影も制限などなかった。ただし、今回の発表会は娘だけでなく、私も出演しなくてはならなかった。娘一人で弾く曲と、私との連弾がプログラムに入っているのだった。曲目は「ちょうちょう」だったが、私のパートはそれなりの難易度で、練習に結構な時間を費やした。それでも私は自分の演奏なんかよりも、娘が緊張して失敗しないかが心配だった。まず連弾が先にあり、それから数曲後が娘のソロだった。演奏前は「パパがいるから大丈夫だよ。」と何度も娘に言い聞かせていた。私は演奏のテンポが速くならないように、そして娘に合わせるように心がけて弾いた。なんとか、それほど大きなミスをすることなく演奏を終えた。娘は緊張なんてしていないようだった。そしてソロの演奏。私は舞台の袖で娘を見送り、演奏は近くにあったモニターで見ていた。娘の姿を見ていると、ちょっと不思議な気持ちになった。一人で舞台の中央まで歩いていき、おじぎをして、ピアノを弾いて、終わるとまたおじぎをして戻ってくる。保育園の発表会などでは他の子と一緒だったが、娘一人だけというのは初めてだ。娘の成長を実感するとともに、娘が私の元を離れて一人でどこかに行ってしまいそうで少し淋しかった。今回の発表会はとても満足だった。ただ一つ残念だったのは、私がワイシャツのボタンを掛け違えたのに気付かないで演奏していたことだ。
2006.11.05
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オールスター第1戦で、ヤクルトの青木がMVPを獲得。第2戦が地元の宮崎で開催されるだけに「自分のためのオールスター」と公言していたが、そのとおりの活躍だった。今年は2年目のジンクスもどこ吹く風の活躍を見せている。確実に昨年よりも成長しているのが見た目にも分かり、宮崎県人としてとても嬉しいね。さて第2戦だけど、雨が降り続けているねぇ。私は球場まで見に行けないけど、やれるといいんだけどね。
2006.07.21
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朝5時に起きて車で三井グリーンランド(以下GL)まで遊びに行った。わざわざ人の多いGWに行楽地に出かけるのは好きではないのだが、休みが5日も続くのにどこにも連れて行かないのでは娘が可哀想なので、意を決して行くことにした。当初は8時ぐらいから出かけようとも考えていたが、GL行きの車で高速から渋滞が続くとの話を聞き、開園前に着くように出発した。途中立ち寄った高速のSAなどはいかにも家族連れという車が多く見られた。ほとんど混むことなく順調に開園30分前の9時にGLまでたどり着いてみると、予定を繰り上げたのか既にGLは開園していた。この日の天気は薄曇で、気温も暑くも寒くも無い絶好の行楽日和だった。園内も私の想像より客の数は少なかった。娘は臆病なのであまり乗り物などに乗りたがらなかったが、ドラゴンリバーというラフティングの疑似体験のような乗り物はとても喜んだ。GLではこの時期、ドラえもんのキャラクターショーをやっていた。娘はドラえもんのアニメを見たことが無いし、先日のプリキュアショーもわずか5分ほどで見るのをやめたので興味を示さないと思っていたが、急に見たいと言い出し、ショーの始まる30分前から待ってまで見た。さらに記念撮影まで撮るハメになった。その後再びドラゴンリバーに乗りたいと言うので戻ってみると、1回目とは大違いで長い行列ができていた。気付くと園内はとても混雑していた。結局2回目のドラゴンリバーは30分以上待ってやっと乗ることができた。私のような田舎の人間は、待つということがとても苦手である。やがて3時になったので、予定通り今夜の宿泊地の山鹿温泉へと向かった。数日前に宿から電話があり、GWはとても渋滞すると聞いていたので、1時間ぐらいかかるのかと思っていたが、まったくそういうことも無く、40分ほどで到着した。初めて来た山鹿という町は、とても風情のある町並みだった。いつもなら温泉に浸かって夕食まで部屋でのんびりというところなのだが、宿の近くを散策してみることにした。町の中心部に足湯があったので、歩き回ったGLでの足の疲れを癒し、途中で買った灯篭饅頭を食べた。更に少し歩いて、八千代座という明治時代に建てられた芝居小屋を見学した。建物の中はとても面白い造りになっていて、案内人がそれをこと細かに説明をしてくれて、とても興味をそそられた。宿に帰ってきたのは6時半ごろだった。その後は温泉に入り、夕食を食べ、ビールを飲んで寝た。とても満足の一日だった。
2006.05.05
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連休の最中だが、今日は妻が勤務の日。そして2日後が妻の誕生日だったので、娘と共に妻への誕生日プレゼントを買いに行った。結婚して以来、妻へはろくにプレゼントなどしていなかったので、ちょっと奮発して宝飾品でも贈ることに決めた。指輪のサイズは覚えていないし、それを妻に聞くと指輪を贈ることがバレてしまうのでネックレスを買うことにした。イオンSCで宝飾店を探していると子供向けの雑貨屋が目に入った。娘もネックレスが欲しいと言っていたので、先に娘におもちゃのネックレスを買ってあげた。さっそく着けてやろうとしたが、恥ずかしいのか娘は嫌がった。次に宝飾店を見つけて妻へのプレゼントを探すことにした。女性店員が寄って来て、娘に話しかけてくれた。「かわいい」と言ってもらって気を良くした娘は、さっき買ったネックレスをわざとらしく取り出して店員に見せた。店員から「着けてあげようか」と言われると素直に着けてもらって喜んでいた。さて本題だが、どれを選べばいいのか解らないし、きっと何でも喜んでくれるだろうから、娘に選ばせようと考えた。娘に「色の付いたのと白いの、どっちがいいかな?」と聞くと、「白いの」とダイヤモンドを選んだ。う、なんて目の利く娘なんだ。店員に予算を告げていくつか取り出してもらった。その中からも娘に選ばせると、一番高い物を選んだ。うう、こりゃ将来この娘と付き合う男は大変だな。結局すべて娘の好みで妻へのプレゼントを選んだ私だった。夕食の時にクラッカーを鳴らしてプレゼントを渡した。これも娘がやりたいと言い出したことだった。妻はもちろん喜んでくれたが、それ以上に娘がこのイベントを喜んでいたようだった。
2006.05.04
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保育園でドッヂボールをやっているらしく、娘は「○○ちゃんに当てたよ」などと話してくれる。家でも私を誘ってドッヂボールの練習をやりたがる。娘は小さい頃、歩けるようになる前からボール投げが得意だった。そのためか、5歳児にしては強いボールを投げることができる。そのうえ私が投げるボールも上手にキャッチする。小さい子というのは大抵ボールをキャッチする時、怖がって目をつぶったり顔をそむけたりするものだが、うちの娘はそんなことはしない。なかなかの名ドッヂボーラーになれそうだ。
2006.05.03
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プリキュアのキャラクターショーを見に行った。1ヶ月ぐらい前に娘がチラシを見つけて行きたいと言い、そのチラシを切り抜いてとっていた。ショーの場所はオーシャンドーム内。GWだし混雑しているかと思っていたが、とても空いていた。ところがショーが始まって僅か5分ぐらいで娘は見るのをやめてプールへと走っていった。娘は浮き輪に浮かびながらも一生懸命に前へ前へと泳いでいた。水に対する恐怖心もほとんどなくなったようだ。幼い頃の私は水が怖くて、全くのカナヅチだった。水泳の授業は本当に嫌で嫌で仕方なかった。そんな私からすると娘は幸せだなと感じる。
2006.04.29
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土曜日の午前中は、娘に英語とピアノの習い事を受けさせている。これらは妻の意向によるもので、妻が連れて行っている。その習い事に行っている間というのは、1週間のうち私の唯一の自由な時間と言っていい。ところが今日は、妻が私に娘を連れて行ってほしいと言い出した。何故と聞くと、「寒い」と言う。私は今朝の未明、強烈な頭痛に見舞われて嘔吐を繰り返し、それこそ死にそうだった。なんとか回復はしたが、「寒い」というだけで私が代わりに連れて行くのは面倒だった。一度は断ったが、妻はさも「私は不幸」とでも言いたげな表情をしている。「風邪でもひいたのか?」と尋ねると、「昨夜からひいていたじゃない。」と言い出した。たしかに妻は昨夜鼻をグスグスさせてはいたが、元気だったし機嫌も良かった。私はついに頭にきて、「だったら薬を飲んで寝てろ。」と言い、娘を連れて行った。そして帰りには3人分のお昼の弁当を買って帰った。私は一日中不機嫌でいた。私は2週に一度病院に薬を貰いに行かねばならないが、それができなかった。習い事はもともとは妻の意向受けさせているものだ。妻が勤務の時は私が連れて行く約束ではあるが、少々体調が悪くても連れて行ってほしい。少なくとも私ならば熱が出た程度では絶対にやめない。妻のその無責任さと、一人の時間を奪われたことがとても我慢できなかった。明日は野球だが、娘は私と居たいので必ずついて来る。妻には私の数倍は自由な時間がある。
2006.04.08
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開幕2連勝で喜んでいたら、あっという間の4連敗。しかも巨人に3タテを喰らうなんて、こんな屈辱はない。初回に3点を奪って今日こそは勝てると思ったが、前回好投した木田が無惨に打たれて逆転された。やっぱり得点力不足が深刻だな。追加点を取れる場面を何度も逃したのが逆転を許す原因だった。でも30年来のヤクルトファンは4連敗ぐらいじゃぜんぜん動じないさ。
2006.04.06
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いいじゃないの、開幕2連勝。しかも相手が前年の優勝チーム。そしてなにより良い材料が多い。ルーキー武内の初ホームランに、復帰した高津が勝利投手。リリーフ陣の頑張りで2試合続けての1点差勝利。かつて圧倒的に不利と思われながら開幕で巨人を叩いて波に乗り、そのまま優勝した95年と97年を思い出すよ。よしこれで優勝だ、とは思わないけれど、いいシーズンになりそうな予感はするな。
2006.04.01
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新生ヤクルト、見事に開幕戦勝利。まずは石川がナイスピッチングでした。そして目を見張ったのが、木田だね。1点を取られはしたけどあの歳では恐ろしく球が速くて、コントロールも良く、フォークも切れていた。貴重なセットアッパーになれそうで嬉しいね。木田で思い出すのが、1990年の野村監督が就任した年の開幕戦だ。例の篠塚の疑惑のホームランがあった試合。疑惑じゃなくて嘘だったけどね。延長の末敗れてしまった試合で、勝利投手となったのが当時巨人の木田だった。しかもそれがプロ初勝利だった。考えてみると息の長いピッチャーだよ。打線は3人の助っ人頼りというところかな。でもその3人がすべて右打者で、ガトームソンが投げる時は一人外れないといけなのが不安だな。さて、半年後にはいったいどういった状況になっているだろうかな。
2006.03.31
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先日捕まえてきたてんとうむしが、みんなどこかへ逃げていってしまった。しかたなく再度実家の庭で捕まえてきた。成虫は飛んで逃げるので幼虫を探したが、幼虫はなかなか見つからず、結局成虫7匹、幼虫3匹を捕まえてプランターに放した。今度はうまくいくといいのだが。
2006.03.25
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ヤクルトのユニフォームが一新された。前回の変更が若松前監督の就任時だったので、今回も監督の交代に合わせたのだろう。すっきりしていていいデザインだとは思ったが、これまではマイナーチェンジだけだったホーム用のユニフォームが完全なるモデルチェンジで、縦じまが消えてしまったのがちょっと残念だ。
2006.03.23
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ベランダに植えている花にアブラムシがたくさん発生している。殺虫剤は使いたくないので、アブラムシを見つけたら手で潰しているが、とても駆除しきれない。そこで実家に行った時に、庭でてんとうむしを捕まえてきた。成虫が4匹、幼虫が1匹。さっそく放してやると、すぐにアブラムシを食べていた。娘も興味津々で見ていた。でも娘よりも私のほうがワクワクしているようだ。
2006.03.21
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トイザらスへ行ってシナモンのキックボードを買った。前日に新聞のチラシに載っていたのを娘が見て欲しがったのだ。キックボードに併せてヘルメットも買った。娘はチラシに載っていたシナモンのヘルメットを欲しがっていたが、それは小さすぎたので別のピンクのヘルメットを買った。娘はとても喜んで、家に帰ると早く組み立てるようせかされた。もう夜だったので、娘は家の中でそろりそろりと廊下を行ったりきたりしていた。
2006.03.18
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今年2回目の野球。今日も2試合連戦。初勝利を目指して、選手のムードを上げようと選手ごとのテーマ曲用意してCDラジカセを持ち込んだ。第1試合は裏方に徹して、ラジカセを操作しながら一方でDスポのネタのためにビデオ撮影カメラ撮影、さらにスコアブックもつけた。しかし、その甲斐もなく敗れてしまった。第2試合はマスクをかぶった。相手が異常に若くて上手いチームだった。我がチームとしては結構頑張ったとは思うのだが、太刀打ちできなかった。残念ながらまたもや今季初勝利はならなかった。私個人としては、ショートバウンドをよく止めていたと思うし、バッティングはヒットが打てないまでもいい感触でバットが振れていたので、次こそは初勝利といきたいな。もちろん今日も私のそばには娘が付っきりだった。
2006.03.12
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おととい、娘がダンゴムシを捕まえていた。暖かくなったので活動を始めたようだ。「かわいそうだから逃がしてあげなさい」と言ったが、娘はプラスチックの容器に入れていた。そのまま丸一日が過ぎ、ダンゴムシはかなり弱っていた。娘はベランダのプランターに放したが、今日になるとダンゴムシは死んでいた。「死んだらどうなるの」と娘が聞いてきたので、「やがて消えていなくなるよ。」と答えた。すると娘は涙をぽろぽろと流し始めて、「ごめんなさい」と言って泣き出した。私は、「虫は自然のままがいいんだよ。ほかのダンゴムシを見つけたら優しくしてあげなさい。」と言って娘を慰めた。
2006.03.10
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車の定期点検を受けに、ディーラーまで娘を連れて出かけた。セールスマンから車を自宅まで取りに来ると言われたのだが、それを断って直接持っていくことにしたのだ。そのディーラーには遊具などが置かれた子供が遊ぶスペースがあり、今の車を購入する際に娘が喜んで遊んでいたので、きっとまた娘が喜ぶと思ったからだ。ディーラーに行く前には理容室に予約の電話を入れた。点検終了後にそのまま理容室に行けて、お昼を少し過ぎた時間に帰宅できる予定が組めた。娘はディーラーでは予想通り遊具で楽しく遊んだり、私と一緒に車のカタログなどを見たり、1時間強を退屈無く過ごした。理容室では私の散髪中、おとなしくアンパンマンのビデオを見せてもらっていた。父親の用事に娘が喜んでついて来るなんて、我が家ぐらいなんだろうな。散髪が終わり弁当を買って帰宅すると、妻が掃除、洗濯を終わらせていた。私も妻も有意義に時間を使うことができた気がした。いい気持ちの一日だった。
2006.03.05
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待ちに待った今季の初戦を迎えた。今年は意気込みが違う。なんといっても新しいギアを手に入れたからだ。遊びのためなら少々の出費は気にしない。しかし、残念ながら我がチームは2連敗。初勝利は次回までお預けだ。私は5打数1安打。去年の打率は2割に満たなかったので、いいスタートが切れたな。さあ、次はDスポを作って皆に配らなければ。
2006.02.26
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園に娘を迎えにいくと、担任の先生から声をかけられて事務室へと呼ばれた。可愛い先生なので胸をドキドキさせていると(←バカ)、なんと娘の頭にシラミがいたということだった。一部で流行っているとは聞いていたが、まさかと思った。ということは自分の頭にもいるのか?さっそくドラッグストアでシラミとりのシャンプーを買って娘の頭を洗った。風呂から上がった娘の髪の毛を拭いてみると、なにやらバスタオルに小さな黒いものがいくつか付いている。それをよーく見ると、まさしくそれがシラミだった。ぎょえー、想像していたよりはるかにデカイ。体長は3,4mmぐらいある。こんなのが頭にいたなんて。ビックリついでに思わずカメラで撮ってしまいました。
2006.02.17
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数日前から何度か、娘が食事中に歯が痛いと言っていた。見ると下の前歯の真ん中2本と、その外側の歯との間が、いつの間にか広がっていることに気付いた。あごが発達したために隙間が広がって、食べる時に歯茎に当たって痛いのだろうなと思った。ところが今日改めて見てみると、下の前歯の後ろから永久歯が少し顔を出していて、乳歯がぐらついていることに気付いた。「大人の歯がはえてきたよ」と娘に教えると、「えー、大人の歯は松組(年長組)になってからだよ」と娘は答えた。「そんなことはないよ。まゆはそれだけ成長したってことなんだよ。」と言うと、娘はとても喜んでいた。そうか、もうそんなに成長したのか。初めて歯が生えてきたのが、ついこの間のような気がするというのに。
2005.11.19
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11月9日が親父とお袋の45回目の結婚記念日なので、姉の提案でお祝いをした。さらに家族全員で記念写真を撮りに行った。親父、お袋、姉、兄貴の家族4人、私の家族3人の合計10人が揃った写真と、親父とお袋だけの写真との2タイプを撮ってもらった。親父は感激で涙腺が緩みっぱなしだった。そんな親父と緊張している孫たちから笑顔を引き出そうと、撮影スタッフがあの手この手で笑わそうとしてくれた。撮影終了後、そのスタッフの一人が「こんな家族全員で撮影に来るなんて、こちらが感動しました。」と言ってくれた。私たち3人にとっては、おととし娘の七五三の時以来の記念撮影だった。私と妻は7日が結婚記念日なので、これからは毎年この時期に親父たちと一緒に記念写真を撮ってもらうことにしようかと思う。
2005.11.06
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保育園に娘を迎えに行ったとき、娘の一番の仲良しの子が「まゆちゃんのパパ」と言って私に抱きついてきた。嬉しかった私はその子を抱き上げてみた。その子はいつも元気にちょこちょこと駆け回っている小柄な子だった。一方私の娘は、組でも1,2を争うくらい体が大きい。だからなのだろうが、その子がものすごく軽く感じた。近頃では娘をだっこするのが結構しんどく感じているので、その子の親は幸せだなと勝手に思った。ところが帰り道でなぜか娘が、「パパは○○ちゃんだけだっこして、私のことはだっこしてくれない。」と涙ぐんでいた。
2005.11.02
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千葉ロッテの日本一、まずはおめでとうございます。パ・リーグのプレーオフのあり方については協議の余地はあるかと思うけど、間違いなく今年のロッテは強かったね。しかし、阪神とロッテの日本シリーズって、ほんの5年ぐらい前は誰も予想しなかっただろうね。最近プロ野球の人気がないと言われているけど、巨人の人気が落ちただけなんじゃない?巨人戦の視聴率だけでプロ野球の人気がないと判断するのが間違いだよ。なにしろプロ野球は12球団もあるんだから。もっとフランチャイズっていうのを考えるべきだね。ロッテも千葉に移って、「千葉ロッテ」となったことが成功した理由だと思うね。ホークスは福岡に、ファイタースは北海道に、そして仙台にイーグルスができた。親会社の知名度で応援するんじゃなく、それぞれの地域のチームを応援するという形態に移行してきているんだと思う。その結果、巨人を応援する人が相対的に減ったってことだよ。というわけでヤクルトも神宮を離れるといいんだけど。宮崎に来ないかな?宮崎ヤクルトスワローズ、いいんじゃない?
2005.10.27
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娘がプリキュアのボードゲームがしたいと言うので、面倒だったが一緒に遊んであげた。ところが負けるのが嫌な娘は、すぐにズルをしようとする。少々のことは目をつぶっていたのだが、あまりに度が過ぎるので「ズルはだめだ」と叱った。そしていよいよ負けそうになると、ゲームをしながら泣き出してしまった。私は「ゲームなんだから勝つときもあれば負けるときもあるんだよ。」と言ってなだめるのだが、娘は泣きながらゲームを続けた。負けず嫌いなのはわかるが、泣くぐらいだったらゲームをしなければいいと思うのだが。
2005.10.26
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古田が選手兼任で監督に就任した。正直なところ私はちょっと心配だ。これまでは、若松さんという選手思いの温厚な監督がいて、その監督を慕う選手たちを古田がうまくまとめているという構図があり、それがとてもいいまとまりだったと思えるからだ。私の望みとしては、伊東コーチが監督になり古田はバッテリーコーチ兼任あたりに落ち着き、3年後ぐらいに監督専任になるのがいいんじゃないかと思っていた。でも古田のことだからきっとうまくこなせるんだろうな。
2005.10.20
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1992年の日本シリーズのDVDを買った。スワローズのファンにとっては、この1992年の日本シリーズほど心に残っているシリーズは無いんじゃないだろうか。今となってはスワローズが日本一になれなかった唯一のシリーズなのだが、圧倒的に不利といわれた中で常勝ライオンズに果敢に挑み、4試合が延長戦、そして第4戦以降はすべて一点差という凄まじいシリーズだった。当時を思い出しながらどきどきして観た。杉浦の代打サヨナラ満塁HR、飯田の本塁スライディングとスーパーバックホーム、岡林の3完投など、名場面が尽きない。いやいや、本当にいい物が手に入りました。さあ、次は1993年日本シリーズのDVDを観よう。
2005.10.19
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プロ野球2軍の教育リーグ、フェニックスリーグを観に行った。娘も野球に興味があるし、入場も無料だ。ヤクルト戦が観たかったが、ヤクルトは西都市だったので、市内のアイビースタジアムに行った。ソフトバンクの試合があるのかと思ったが、巨人-中日戦だった。久しぶりの好天に恵まれてまさに秋晴れだったのだが、スタンドではあまりに暑かった。僅かな日陰を求めてバックネット裏の一番上から観た。さすがにプロはキャッチボールのボールを捕る際の音さえ違って、バチン、バチンと凄い音がしていた。ところが娘は時々ネットを越えて飛んで来るファールボールに怯えてしまい、「怖いから帰る」と言い出した。仕方なく3回ほどまでで観戦をやめた。でもまあ、お金もさほど使わずに休日を楽しむことができて、なんとなくいい気分の一日だった。
2005.10.16
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今年も妻の実家に稲刈りの手伝いに行った。ただし稲刈り自体は既に終わっていて、干した稲を脱穀する「稲こぎ」の手伝いをした。今年の娘はというと、頼んだわけでもないのに一生懸命に手伝いをしてくれた。一輪車を使って稲藁を運ぶ姿は見ていてとても愉快だった。思い返せば2年前は田んぼに入ることすらできなかった。来年は農機具が動かせるようになっているかもしれないな。
2005.10.10
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娘が突然、「1たす2って、わかる?」と私に尋ねてきた。ん、それって、足し算じゃないか。私は「もちろんわかるよ。まゆはわかるの?」と娘に聞き返すと、娘は「3だよ」と答えた。おおっ!まだ教えていない足し算がわかるのか!我が家ではこれまで、「1個と2個、あわせて何個?」といった尋ね方で考えさせることはしていたが、「たす」なんていう算数の表現を使ったことは無かった。誰に習ったのか聞くと、保育園で流行っていると言う。嬉しくなったので、ほかにもいろいろ問題を出してみた。すると両手の指を数えながらも一生懸命に答えた。私の幼少は、自分で言うのもおこがましいが成績が良かった。それは、私が小学校に上がる前に私の母から簡単な計算式を教えられていたため、学校の授業で誰よりも早く答えることができて、それが優越感となって学校の授業が楽しかったことが原因だった。だから私の娘にも同じようにしようと思っている。しかし、4歳にしてもう既に保育園で他のお友達と算数ごっこをしているとは。優越感を持たせるためには、「九九」ぐらい覚えさせないといけないのかも?
2005.06.05
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私はとてもケチだ。買い物で同じ品なら「半額」とか「○○%引き」のシールが貼ってあるものを選んで買う。娘が何かを欲しがる時も、「このシールが貼ってあるのがいいんだよ」などと言って、シールが貼ってあるほうに取り替える。今日、買い物をしていて娘が大好きなポケモンのパンを二つ手に取り、「こっちはシールが貼ってあるよ。こっちがいいんだよね」と大声で叫んだ。私のやり方は教育として正しいのだろうか、間違っているのだろうか?
2005.05.31
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本当に残念で、とても哀しい。週刊誌などにあることないこと散々書かれて、辛い思いをしたうえにこんなに早くに亡くなってしまうなんて。ご冥福をお祈りします。
2005.05.30
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私の親父は10年ほど前に事故で頚椎を損傷してしまった。一時は全身麻痺だったが、奇跡的に通常の生活ができるまで回復したのだが、手足の痺れや痛みに悩まされ続けている。そのほかにも糖尿病や心筋梗塞なども経験して、最近は一日中寝床にいることが多く、寝たきり一歩手前といったところまできている。その親父が風邪で苦しんでいるというので、昼過ぎに様子を見に行った。早朝5時頃病院に連れて行き、薬を飲んでからは寝続けていて、呼びかけてもほとんど反応が無かった。熱を測ると39.5℃もあった。妻の勧めで再び病院に連れて行くことにした。親父の体を起こすと、パジャマは汗でぐっしょりと濡れていたので、着替えさせることにした。親父のパジャマを脱がすと、親父はオムツを付けていた。わが子のオムツを替えたことはあっても、親父のオムツを替えたのは初めてだった。親父は点滴を受けてから家に帰り、ようやく意識がはっきりしてきた。人間は人生の最初と最後にオムツのお世話になる。なんだか不思議だ。
2005.05.29
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ここ数日、急に私のページの閲覧数が多くなった。「愚痴愚痴日記」のテーマタイトルで宮崎交通のことを愚痴ったからだろうか?みんな、誰がどんな不満を持っているのかが気になるのだろうか?私はなるべく不満や怒りを口に出さないように生きたいと思っている。口に出したからといって不満や怒りが収まることは無いうえに、周りの人を不快にさせてしまうように感じるからだ。ただ、先日のバスの件はどうしても我慢が出来なかった。
2005.05.28
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宮崎市内にオープンしたイオンショッピングセンターに行った。買い物に食事、そしてちょっと飲みたかったので自家用車ではなくバスで行くことにした。私の住むマンションから歩いて5分ほどに宮崎駅があり、ここからイオンまで宮崎交通の直行バスが出ているのだ。バスに乗った後、妻の財布には小銭が全然無く、現金は1万円札しかないことに気付いた。まずいと思ったがバスの発着場には係員がいたので、きっと大丈夫だと思った。イオンに到着し、発着場の係員に現金は1万円札しかないことを話した。が、しかし、そこにいた係員3人からは「両替できない」と言われ、さらに、「店内で両替してもらってきてください」と言われた。仕方なく妻と娘をその場に残して、私は両替に走った。オープンしたばかりの店内はとても混雑していて、どのレジにも沢山の行列ができていた。結局、発着場からは相当離れた場所まで行って、ようやく両替ができた。私は初めのうち、小銭をぜんぜん持っていなかった妻に腹を立てていた。しかしよく考えてみると、私たちはお金を持たずにバスに乗ったわけではなく、運賃を払おうとしているのにお釣りの要求を拒否されて、あげくにこんな苦労を強いられているのではないか。それに発着場にいた係員というのは、宮崎交通の社員だったはずだ。運転手一人だけしかいない状況ならばいざ知らず、運転手以外に社員が3人もいながら誰もお釣りを用意しようとはせずにバスの利用客に両替に行かせるなんて、そう考えるととてもとても不愉快だった。発着場までもどると、彼らはこれといってなにもしておらず、3人のうち最も年配の社員にいたってはベンチにふんぞり返って座っていた。私はそのふんぞり返っている社員に、「いくらですか?」と尋ねると、「お金は後払いです」と答えた。その社員は、私が両替に走った客だという事も既に忘れていて、これからバスに乗る客だと勘違いをしていた。料金を払い終えて私は、「皆さんはイオンの方ではなくて宮崎交通の方ですよね?」と尋ねてみた。するとその年配の社員は「そうですよ。うちのバスですから」と、何か不満でもあるのかという口調で答えた。私にはそれが、とてもお客に対して取る態度とは思えなかった。帰りは当然バスは利用せず、タクシーで帰った。現在宮崎交通は、バブル期の過剰な投資が原因で経営が悪化し、会社更生法の元、経営再建を計っている。宮崎は交通機関が発達していないため、地域の足としてバスは必要であり、官民一体で支援が行われようとしている。不採算部門を宮崎市が買い取ったりもしている。そんな中、客を客とも思わないような態度を取る社員がいるようでは、とても再建は不可能だろうと思った。再建にはまず、こんな社員をすぐにも辞めさせるべきだ。私はこの会社を救うために税金が使われる事には絶対に反対だ。
2005.05.21
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職場の歓送迎会があった。妻の仕事が遅くなったため、またもや娘同伴となった。歓送迎会が始まるまで時間が空いていたので、しばらく公園で娘を遊ばせていた。その公園にはシロツメグサがたくさん生えていた。ふと何気なく眺めていると、おや、これは四つ葉のクローバーではないか。慎重に確認してみると、間違いなく葉っぱが4枚付いている。四つ葉のクローバーを見つけたのは、私にとって生まれて初めての経験だった。私は興奮を抑えながら、「めったに見つからない珍しいものだよ。これをもっていると幸せになれるんだよ。」と娘に教えた。「ほら、他は全部3枚でしょう」と言いながら別の葉っぱを見渡していると、なんとすぐにまた四つ葉のクローバーが見つかった。その後も次から次へと見つかって、なんとなんとわずか5分ほどの間に10枚ぐらいの四つ葉のクローバーが見つかった。きっとここに生えているシロツメグサは、突然変異か何かで4つ葉になる確率が高いのだろう。娘は歓送迎会の間もその四つ葉のクローバーたちを眺めながら、「しあわせになれるかしら?」とつぶやいていた。
2005.05.20
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宮崎市内の4歳の女の子が、O-157が原因と見られる症状で亡くなったというニュースが流れた。実は私の妻の病院にこの子が運ばれたそうで、そういう病状の子がいるという話を事前に耳にしていた。その子は数日前から下痢と腹痛が続いていたそうだが、初めに診てもらった病院ではただの胃腸炎と言われたらしい。その後病状が悪化して、妻のいる病院に運ばれたそうだ。自分の娘と同い年の子ということもあり、とても身近に感じるし、ショックだ。この子の両親の悲しみを思うと、本当にいたたまれない。突然の事故で子供を失うというのも辛いが、苦しむ我が子をただ見守ることしかできず、その上失ってしまうなんて、もっともっと辛いことだろう。娘の寝顔を見ながら、もしこの子が同じことになったらと考えた。自分には絶対に耐えられない、きっと気が狂ってしまうだろう。亡くなった女の子の冥福を、心からお祈りします。
2005.05.17
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我が家の寝室は東向きで、差し込んでくる朝日で目が覚めるのだが、夏の盛りになると暑くてたまらないので日除けのためにベランダで朝顔を育てている。その朝顔からつるが少し伸びてきたので、つるを這わせるためのネットをつけた。外壁に釘を打とうかとも考えたが、最終的には金属のステーを強力ボンドで貼り付けて、それにネットを結びつけた。我が家では、娘に興味を持たせるため及び私の趣味として、ベランダに色々な植物を植えている。娘は私に似たのか、花よりも実のなる植物に興味がある。今はミニトマトに直径1cm程度の実が付いていて、娘は毎日楽しそうに眺めている。トマトが大好きな娘は「赤くなったら食べようね」と言うが、実は私はトマトが嫌いだ。
2005.05.15
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妻も私もいつもより帰宅が遅かったので、夕食は外で食べた。たまに行く大衆食堂で、子連れでも入りやすい店だ。食事をしていると、1歳ぐらいの女の子とその父親と思しき男性が入ってきた。すると食堂のおばちゃんが子供用の小さな椅子を持ってきた。それを見た妻が、「子供用の椅子を置くようになったんだね。まゆが小さかった頃は椅子持参で来ていたよね。」と言った。この食堂へは娘がかなり小さい頃から来ていたが、確かに以前は子供用の椅子がなくて自分たちで持って来ていた。私たち家族がきっかけで置くようになったのかもと思った。しばらくすると、その女の子がぐずりはじめた。母親が恋しいうえに空腹も手伝ったのだろう。父親は必死に女の子をなだめようとするが、なかなか機嫌が直らない。「ママはお仕事なんだよ」という言葉も聞き取れた。その光景は、少し前の自分たちのように見えた。私はその男性に、「がんばれよ。誰もが辿ってきた道だよ。」と心の中でエールを送った。
2005.05.12
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待ちに待った娘の登場シーンの放映日がやってきた。娘はマイクを持ってカメラに向かい、ゆっくりとそしてはっきりとしゃべっていた。その中で娘は、「大きくなったらパパのお嫁さんになりたいです。」と言っていた。しゃべった内容は知っていたとはいえ、本当に嬉しかった。他の子達はというと、「プリキュアになりたい」などといったものが多かった。ごく限られた地域のローカルなケーブルテレビなので、僅かな人しか見ていないだろうが、どうだ、まいったか!という心境だ。
2005.05.09
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草野球の友人たちと近くの公園でバーベキューをした。友人の一人には私の娘と同い年の女の子「はるかちゃん」がいて、共に家族連れで参加した。娘は前の日からバーベキューが、というよりもはるかちゃんと遊べるのが待ち遠しい様子で、今朝も起きてくるなり「バーベキューまだ?」と聞いてきた。バーベキューが始まると食べるのはそこそこで、二人とはるかちゃんの弟「まさきくん」も交えて公園で楽しそうに遊んでいた。娘ははるかちゃんが大好きで、一生懸命にはるかちゃんに話しかけていた。一方のはるかちゃんは、娘とは対照的にとてもクールで、それが見ていておかしかった。夕方が近づき、バーベキューは終わりにして、我が家に場所を移して2次会を始めた。娘は自分のおもちゃなどを自慢するかのようにつぎつぎに持ち出してきて、子供たちで遊んでいた。ところが、シンデレラのドレスをはるかちゃんにも着せてあげたところ、はるかちゃんはそれをとても気に入ってしまった。娘はちょっと心配になったのか、「わたしが着たい」と言い出した。はるかちゃんは「いやだ」と言って、少し二人の関係が気まずくなった。しかしそこはクールで大人びたはるかちゃんが譲ってくれて、なんとか丸く納まった。今年のGWは行楽地には出かけなかったが、それこそ「安・近・短」でも楽しく過ごすことができた。
2005.05.04
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