電脳/都市

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『漆黒に燈す光』




ライトバンの助手席に座っていた。車の外の静寂が全てをのみこむような漆黒に混じり、雪の粉が照明に照らされて幻惑的な白みを帯びて篤史の目に映った。町外れの空き地だろうか。一際閑散とした屑鉄置場の傍らに、車はエンジンをかけたまま停車している。
篤史は車内灯の点る中、ぐるっと首をまわして見渡した。すると運転席とさらには後部座席に、四人の老人達が窮屈そうにしているのが分かる。とくに後部座席の三人は身を乗り出さんばかりにして篤史の顔を覗き込んでいる。
彼らにはそのたくわえられた白髭を除いてというものこれといった特徴もなく、掴み所のない面々を並べて篤史の眼前に臨んでいるのであった。その様子はまるで草叢に生息する虫が犇くのに似ていた。老人達は皆、助手席の若者の動向を見守るようにして、静謐に莞爾として笑みを浮かべていた。
運転席の老人の笑貌がにわか変化した。老いて機知を含んだまなざしであったが、それは散発的に光を帯びることがあった。この男に関して言えば、老人達の中で比較的現実を伴っているようにも見えた。なぜなら少なくとも、その赤ら顔が暖かなぬくもりが血脈を通して流れていることを示していたからである。
「君はたいした男だよ、我々としては君に感謝の意を表したいと考えているところだ。今日はしばらく我々に付き合ってもらいたいのだが、異論はないね。・・・」老人は篤史に微笑んだ。
篤史にはこの老人たちが自分に何の礼をしたいのかが全く理解できなかった。彼はこの老人と面識がなかったし、感謝されるようなことを彼らに対してした覚えもない。
後部の老人の一人が篤史に缶ビールをあけて渡した。 
篤史は缶ビールを片手に
「申し訳ないです。残念ですが僕には、あなた達に感謝されるようなことをした記憶が思い当たりません。一体、あなた達は僕とどういう知り合いなのでしょうか。」と応えた。

車窓は、寒空の外気と効きすぎる暖房のおかげで真っ白にくもってしまっている。篤史は頬が熱く火照るを感じた。それを冷やすために自分の手の甲を宛がった。
「光ですよ。」
老人が徐に語りだす。
「光?」
「三年前の冬のことです、憶えておいでですかな。」
老人の満面な笑みは途絶えることがない。
「はじめは朧な光でした。しばらくすると猛々しいもので・・・白い粉のような欠片があふれ出して夜空に飛び散るのを私は見た、本当に綺麗でしたよ。ちょうどこのあたりでしたね、あなたと一緒に眺めたものだ。」 

篤史は三年前の冬のことを思い出そうとしてみたが、その深淵の闇から何かを引きずりだす事が出来なかった。とっかかりのようなものに触れてみると、それはその先からぷっつりと途切れてしまっているのだ。
「うん、確かに僕はあの冬、蛍を見ていた。」
手にもっていた缶ビールが足元に転がり落ちた。鈍い音を立て、どす黒い液体が足元に流れ出した。
「蛍ですか。」
「ええ。」篤史の口から無意識に出た言葉は、ある実感をともなって自身の胸に響いた。
何言っているんだ。冬に蛍が見れるものか、自分は一体、何を喋っているのだろう。―

老人が訝しげに篤史を見やった。
「それはさぞかし綺麗でしたでしょうな、冬の蛍はどこか淋しげで―」

篤史は軽いめまいを覚えた。三年前の冬、地方紙の一面を飾った奇怪な事件は、未だ解決していない。篤史の脳裏に断片的な映像が浮かんでは消えた。そしてそれはやがて『染み』のようなものになり、記憶全体を浸していった。
―寒々とした空に、焔のうねりが天高く火の粉を散らし巻き上げている。冬の蛍は艶麗な深紅に包まれ、虚構に舞う。

後部座席に乗っている老人たちをミラー越しに見やる。するとそのうちの一人が篤史を睨み付けているのが分かった。他の二人の表情もすでに穏やかでなくなっていた。
「何か食べませんか。」運転席の老人は相変わらず微笑していたが、その笑いはどこか矛盾していた。顔面の皮膚だけが独立して篤史に語りかけているかのようであった。

その皮の裏に蠢く憎悪が、表面の不自然なまでの温厚な形相に付着しているのが解った。
足元がねとつく。篤史は靴底から浸透する不快なものを、ゴム一枚隔てた裏に感じた。彼は内ポケットから角上のライターを取り出すと、点火させる。そのまま指から滑らせるようにして座席の下へ放り込んだ。
老人たちが体を掴もうとするのを振り切って、ドアを開けると雪の降りしきる外へ転がり出る。横殴りの吹雪になっていた。引火した車内に、焔が揺らめき白髪の狂人達が目を見開いて篤史を凝視しているのが見える。老人達の目は眼窩いっぱいに広がり、憎しみに口元をゆがめている。高笑いが火の粉のはじける音に共鳴しながら次第に消えてゆくのだった。
車がまるで飴の塊のように溶けていく。焔はうねりながら吹雪の中にその逞しい生命の矜持を、柔軟たる情熱の愛撫をもってやさしく包み込んでいく。
篤史が自分の頬を伝う涙に気付いたのは、随分後のことである。気付いたとき、確信とも虚言ともつかぬ悦を吐いた。
「可憐だ。」

積雪に光るガラスの破片を見出したとき、篤史は慄然とした。
そこには自らを映した鏡に、醜くゆがんだ白髪の風貌が投影された。


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