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オフィスに休日出勤。前日マネジャーにボコボコに焼かれた提案書の草案をもう一度考えに来る。ううむ。アウトプットのクオリティ∝作業時間の関係が単純に成り立たない。つまり、見通しが立たない仕事。こういうのってストレス溜まるなぁ。(なんで気分転換にブログなんて書いてるんやけど)オフィスに来ると誰もいない。久しぶりに見る光景。だだっ広い空間にキーボードを打ち込む音が響く。窓越しに「ゴーッ」っていう都市の咆哮が聞こえる。よく聞くとその音は色んな微小な音に分解される。救急車のサイレンや車のエンジン音、風、何かを喧伝する宣伝のマイク、無数の人たちが生活する証とでもいうのか。立ち上がって窓から外を眺める。うちの会社は14階にあり、おまけにオフィス街ではないため周りに遮蔽物はなく、遠くまで見渡せる。晴れた日には富士山まで見渡せるくらい眺めがいい。今日は若干雲が空にかかり、大気も薄い塵のもやに包まれている。大地は一面コンクリートの塊で覆われてる。地平線まで、見渡す限り。ぼーっと眺めているうちにこれはカビに似てるなと思った。昔京都に住んでいるときに色んな寺の苔を見て回って感心していた。びっしりと地面を隙間なく覆う。しかし感じは似ているがもっと醜悪なものに見える。地球を一個の生命体だと見る考え方があるというが、まさにこれは皮膚を覆う皮膚病に見える。一度リセットする。頭の中で一個一個の建物を消していき、そこに代わりに緑の原生林を植えていく。見渡す限り一面緑の草原と森に置き換え終わったら、そこは1万年前の世界になる。1万年、日本列島の形が今の形になった時代だ。音も消去していく。あたかも潜水艦のソナー要因が採取した音から鯨の鳴き声や潮流の音を消して敵のスクリュー音だけを感知するように。最後に残るのは風の音だと想像する。地球が回転する音。原始の時代に仮想的に身をおいてさらにいろいろ想像する。森の中にいてる色んな虫や鳥や花、小動物や木々。でこぼこした木の根っこを見上げ、「なんてでかい山や!これを越えなあかんのか!」とため息をつく虫。何十回も巣の雛鳥に虫を咥えて運ぶ親鳥のため息「ほんま、子育て大変やわ。誰か代わってくれんかなぁ」しばし擬人化の戯れを行い、おろかと知りつつもそれがとても愛しくて、でももう二度と戻ってこないもんだと心のそこから実感する。進化は不可逆的で、欲望は欲望を生産する。きりのないチキンレース。ショーペンハウエルは世界は醜悪な地獄のようなところだと言った。どこまで行っても人は相対的に”何かが足りない”状況に必然的になる。物質的・科学的進歩の余地は逓減する。しかし人間の欲望はそれを上回る。きりないなぁ。まぁ言ってから気づくと、「緑を見たい。」これもまた欲望やね。ないものを求める、どこまでもやっぱりガキやねんやろうなぁ。人間は。さて、仕事せんと。さっきより大分暗くなってきた。
2005.01.29
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「河原の礫は、みんなすきとおって、たしかに水晶や黄玉や、またくしゃくしゃの皺曲をあらわしたのや、また稜から霧のような青白い光を出す鋼玉やらでした。ジョバンニは、走ってその渚に行って、水に手をひたしました。けれどもあやしいその銀河の水は、水素よりももっとすきとおっていたのです。それでもたしかに流れていたことは、二人の手首の、水にひたったとこが、少し水銀いろに浮いたように見え、その手首にぶっつかってできた波は、うつくしい燐光をあげて、ちらちらと燃えるように見えたのでもわかりました。」銀河鉄道の夜を久しぶりに読み返した。なんでこんな文章が書けるんだろうと思う。一つ一つの言葉が透明感と煌きを持っていて、文章ってこんなきれいになるものかと思う。こんなのをかける現代作家なんて見たことない。もう二度と出てこないもんなんやろうか。寂しいなぁ。あまりに美しい文章ゆえに、こんなの映像化は無理だろうって気がするが、この世界観を損なうことなく見事に描き出したアニメがある。昔、物心がつくかつかんかの頃に見ていたく感動。それいらい役20年近く記憶の底に眠っていたのをたまたま最近見つけた。http://www.rakuten.co.jp/guruguru2/680792/#583949人物はネコ。カンパネルラもジョバンニも二本足で立ってる。宮澤賢治は猫嫌いだったから、こんな映像化はけしからんといった研究者がいたそうだが、そんなの関係ないですわ。これは将来ガキが出来ても絶対見せてやろう。身近な日常の幸せでした。
2005.01.28
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年末におもたーいプロジェクトが終わってから近頃入社以来最大の暇な期間が続いている。おいおい、俺首かよって心配なって上司に聞いてみたら「んーなことないよー。たまたま今受注の谷間だからねー。2,3月なったら覚悟しておいてよ」ふーん。しばしの休息を思いっきり堪能してやる。よー考えたら社会人なって2年間ほとんど長期休暇みたいなのとってなかったからどう時間を使っていいかわからんなぁ。色々出かけようっと。あ、最近気になるところがあるんですわ。http://www.netlaputa.ne.jp/~ttake/のnight sky→sight2の左上の写真!こんな幻想的な風景が日本で拝めるなんて!しばし見とれてしまいました。こういうところにあったかいコーヒーセットと毛布、お気に入りの静かな音楽なんかかけながら過ごせたら最高やろうなぁ。よく見たら車でいけるわけではない。相当藪の中の探検等を行わねばならぬ模様。なんか楽しみ得るにしても、用意された商品を買うんではなしになんか探す喜びって絶対あるはずや。まずは車車検通さないと。話はそれからやねぇ。
2005.01.24
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結構学生の子から「読んでますよー」みたいな話や、就職活動のアドバイスってなんですか?ってのを聞かれるので、この際纏めて書いてみようと思う。毎年、この季節になったら新卒リクルーティング云々の仕事が増えてくる。そして毎年昔を思い出して自分がまだ社会人の初めで「いったろかい!」って思ってた時を思い出す。「そういえば同じようなこと考えてたわー」ってな感じで。グループディスカッションの監督や個人面接の監督やらといった仕事をしていて思うことがある。1)自分の学生の頃と比べて面接のテクニック面で習熟した学生が多い→色んな本や講習の機会が増えてるからなぁ。後、学生って組織全体での累積経験も増えてる。(過去のたまりたまった掲示板情報、先輩→後輩への技伝授)2)一方で志望動機や「おぬしは何者や?」みたいな所については温(ぬる)くなった気がする→これは個人の感覚ベースで恐縮なんだが、僕らの頃って結構「世の中に対して仕掛けたる!有名なったる!個人で立って行ってやる!」感があったような気がするのだが。世界における日本の競争力ってまだそんなに劇的に改善した気はしないのだが。ほんの数年前まで、トヨタとかソニーみたいな一部優良企業は世界に対する競争力あるけど、でもそれだけで日本経済ってパイを今の水準に維持できるわけじゃないやろ。なんて思ったもんやけど、そういう悲観論を言う学生も少ない。ってか今年は数百人面接して見たことない。確かに、「このままじゃやばい、日本経済!」みたいな記事も見ないし。(ええ加減記事としておもしろなくなったんやろ。)今の学生って良く考えたら「失われた十年とかなんとかいわれつつも、飢え死にすることもない時代をすごしてきて」「ソフトバンクの上場とかを大学生の時にリアルタイムに見てない」世代やからもしかしたら上記のような事がおこるのも無理ない。2000年前後のバブルは今振り返ったらおろかな部分もあるが、「個人の小さな思いでも本気で世の中大きく変えられるんだ!」って思ったものよ。3)総じて見ると同じ様な事を言う人間が多い→これはいつの時代もそうかもしれないが。例えば、ケーススタディなんかを出しても色々答えてくれる。ガソリンスタンドの軒数は?なんてのも出す側もあほらしくなってくる。(こういうのって数パターンしかないし、知ってて、訓練した者勝ちになる)さて、そういう中でもきらりと光る学生はやはり人と同じところで勝負していない学生。いるんやねぇ。bcgが昔提唱したアドバンテージマトリクスというコンセプトがある。色々な業界の事業構造は2×2のマトリックスのどれかの象限にプロットされる。縦軸は競争優位を築く変数の数が少ないか、多いか。いってみればそのビジネスで勝負する軸。(人の数、質、投下資源量とか特許とかいろいろな戦い方ね)横軸は結果としてその優位性の威力が小さいか大きいか。それで区切ると4つの象限が生まれる。(関係ないが、ビジネス版悪魔の辞典に2×2のマトリクスは5つ以上物を覚えれないアメリカ人が見出した画期的な発明、って書いてあってワロタ)a)縦:多い 横:少ないは分散事業。大きなプレイヤーが登場しにくく、小さな分散したプレイヤーがたくさんある状況。b)縦:多い 横:多いのはニッチ事業。それぞれの事業セグメントごとに優位性を築いて大きくなるプレイヤーが出てくる。c)縦:少ない 横:多いは規模事業。結果的に規模がものすごく効く効き、売上げと利益率のグラフを取ると一直線上に並んだりする。d)縦:少ない 横:少ないは手詰まり事業。戦うための変数もなく、優位性もなかなか築けない。業界挙げてのな価格競争に陥り、一気に苦しくなったりする。(戦後日本を支えてきた基幹産業はほとんどこれに該当するのではないだろうか)さて、このコンセプトの肝はビジネスに限らず競争のルールってのはどんどん移り変わっていくって事。a)→b)→c)→d)といった感じで。仮にトンカツ屋を営んでいたとして、1店舗くらい経営するならばきれいなねーちゃんや面白い店員を集めればいい。それこそ戦略変数は味から店長の面白さ、速さ、コスト、店のみてくれ等いくらでもある。しかし、ある程度成長して何店舗も持ってくるとそんなにたくさんかわいいねーちゃんばかりを採用できないし、おもろいおっさんばかり雇うのも厳しくなる。そこでは規模が効き、たくさんの資本を投下し、出来るだけ均質化された高品質な商品を高度なオペレーションで提供するってのが重要になる。さらに大きくなるとオペレーションや品質では差別化が効かなくなり、金持ってて店出せたもの勝ち、値段下げて低コストに耐えた物勝ちみたいな話になってくる。つまり自分がどの象限にいるのかを察した後は、それが陳腐化する前に次の優位性の種を模索しなきゃいけないってこと。さて、優位性はすぐに陳腐化する。最初の就職の話に戻ると、要するにケーススタディーの問題を解けることがもはや差別化の要因にならないのである。(ある程度できるのはそれでも重要であるが)新卒で競争が激しい会社に就職するなら、自分の周りのヤツと同じことを言った時点でもう危機感を抱かんとあかんと思う。だって、ええ加減センター試験の点数を争うようなチキンレースから抜けたいやん?みんなと同じ様な軸で競争してるような不毛な消耗戦。その為には、学生やねんから、出来るだけ厚かましくいろんなところに顔出して動き回る。普通の学生が会わんやろーとか、会われへんやろーとか言う人に会って物を考えて自分をどんどん尖らしてください。ダメでもともとや。学生やったら「失礼します!」言うたら許されるけど、社会人なったらそんなんできへんなるしな。あー今もう一回就職活動するなら何しようかなぁ。今思えばだいぶ厚かましいこともしたけど、今思えばまだ足りんわ・・・。いくらでもおもろいことやれるねんけどなぁ。また学生なってみよか。笑
2005.01.12
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朝7時17分新大阪発の新幹線で東京に帰ってくる。席はまばらだが、たまたま隣り合わした席には既に人が。自分は奥の窓側の席なので「すいません、通してもらって良いですか」と声がけ。この人が結構気さくなおっちゃんで、なんかしらんが結構会話が弾んだ。某飲食品系メーカーの営業マネージャをやってるとの事。朝なのにビールを奢ってもらい、仕事や家庭の話まで色々聞かせてもらった。「いやー今や加工食品メーカーってどこもつらいんですわー」「息子がね、高校入試でえらい嫁はんもぴりぴりして・・・」いやー出会いって不思議なもんですなぁ。いささか赤川次郎っぽい話であるが、実社会での人と人との出会いって電車の中の出会いに似てると思う。例えばこの様に、隣り合わせた人と意気投合して「いやー今日はええ天気ですねー」みたいなことを話し合う。乗ってる車両には色んな人が乗り込んできて、色んな人が途中下車していく。電車はあてどもわからないまま、小学校、中学校、高校、社大学、社会人と変わっていく。あるものは乗り換えるのめんどくさいしーと、あるものはまだ先にオモロイもんがあるはずや、とまたあるものは「こんな駅降りてもなんもないかもしれんが、ええや」とエイヤで途中下車する。そういった様々な思いが錯綜した一つのステージ(あるいは劇場)に僕らは揺られてる。左隣の人間と長々と話していて、ふと気づいたら右隣の人間が既にいなくなっていたりもする。そういえば、「僕この駅で降りますわ。またね」の声を聞いたような聞いてないような。中学校や高校の卒業式が終わったあと、「またあえるやろー」思いながら「ほなのー」って手を振って分かれた友達が何人もいる。そのうちのほとんどはそれから、一度も会っていないし、これからもおそらく合う事がない人間もたくさんいるだろう。(このアナロジーに携帯電話を持ち出したら少々問題は複雑になるが、本質的には同じだ。)我々はこの電車で何を話しているんだろうか。高校の英語の授業で出てきたフレーズで妙に印象に残っている言葉がある。「我々の会話の99%はミツバチのぶんぶん言う羽音と同じくらい意味がないことなのだ」シーンとした夏の午後に教師が読み上げた台詞が教室に反響したのを覚えてる。99%は意味がない言葉。「今日は天気良いですねー。どこに行きはるんですか」「我々の会話の99%はミツバチのぶんぶん言う羽音と同じくらい意味がないことなのだ」「息子が高校受験で・・・」だとしたら、残りの1%の意味のある言葉ってなんなんやろうか。おっちゃんは名古屋で降りた。「にーちゃんもがんばりや。俺も昔東京いてえらい苦労したけど、負けたあかんで。ほなの」しばらくして窓から富士山が見えた。ものごっつーでかい。真っ青な空に白い稜線。「新幹線開通以来、一体何人がこの富士山をみてきたんやろうか」いつもなら遊びがてらに計算してみるのだが、今日は辞めた。ケルズの書の解説本を閉じて品川までドロのように眠った。
2005.01.03
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正月の漫才特番。お笑いユニットレギュラー。毎年見てておもろいなぁ、思う。海辺で ケガして 足腫れる 隣の ジジイの 犬逃がす リハで ふざけて 怒られる 力士に 鼓膜を 破られる 三回 ぐらいで コツつかむ ババアが ジジイを 押さえ込む 座長に 唇 奪われる リハと 違って 取り乱す初日に 無理して 肌荒れる 笑てる ババアの 口ふさぐ 飴を 舐めたら 歯とれる グラサン とったら 笑われる 卑猥な 大根 買い占める 合格したのにたたかれる 見えるトコまで誘い出す 不細工なのに いいにおい 師匠の奥さん 好きになる 秋田のなまはげ 怖すぎる 漁師が海女さん ひきしめる ジジイが ババアを 追っかける ジジイに 傷口 舐められる テンション 上げ時 間違える 夢の中まで 脇役だ ピンチの あとに チャンス無い 親戚 全員 同じ顔 こいつらなんでブレイクせんのやろか。まぁ、思うに・万人受けの笑いではない?・定番ねた芸人なので使いにくい(バラエティ司会とかで)ってのがあるからやろうか。こいつらがどうやったらブレイクすんねやろうかと考えていてビートタケシの言葉を思い出した。以前、ビートたけしといちろーの対談で面白い事を言ってるのを聞いた。たけしもイチローも熱い舞台の中にいて、冷静に自分を監視するもう一つの目を持っているという。漫才なら、どっかんどっかん客が沸いている中でも冷静に自分の立ち位置やらお客さんの反応、相方のテンションを観察する。野球なら、ピンチでも客席から自分を見るもう一人の自分がいて、フォームやら期待される役割を冷静に分析している。自分を監視するもう一つの自分。作業に着手したりする前に一段上のレベルから俯瞰する思考。誰しもそういうのに遭遇したことがあると思う。みんなが盛り上がってるときにおいおい、つまんねーよ、って妙にしらけてみたり。恋人とえー雰囲気の時に妙に冷静になってみてもーたり。実はこれ、めちゃめちゃ破壊力のあるツールなんだと去年思い知った。ロジックツリーや仮説思考、論点分解やビジネス分析ツール群、様々な企業事例や経営学のコンセプトを暗記する前に先立ってぜひ物にしたいことだ。そう、アプリケーションの下にあるOSみたいなもん。物事って上流で勝負がきまる部分って多いと思う。まさに戦略やね。上流のところで、どこを捨て、どこを選ぶか。誰と戦い、誰と戦わないか、みたいな。例えば、目の前に決まりきった定型作業があったとしよう。エクセルの入力でもなんでもいい。レベル1:目の前の仕事をどうやったらうまく片づくか。それよりも上流はレベル2:そもそもこの作業を他のやり方でやる方法は無いか。それより上流はレベル3:そもそもこの作業を本当にやるべきか?レベル4:そもそも今取り組んでるこの作業を内包する仕事ってするべき?レベル5:そもそも今の職業ってなんで選んでる?レベル6:そもそも働くべきか?・・・レベル7:そもそも人生の目標とは・・・若干飛躍気味の所があるが、レベル1から深化するごとに思考のレイヤーは深まっていく。そして後ろの分岐点での転換ほど人生に大きく影響を及ぼす。コンサル会社では耳に蛸が出来るほど、ワークプラン(論点、仮説、検証方法、期限)を立てろと言われるが、これは上記の例で言うとレベル4までをきっちり意識しましょうという形式知化されたコンセプトなんやね。わずかに角度がずれた直線も、延ばしてみたらえらい差が開く。お分かりいただけたる思うが、思考の深化の過程には「そもそも」という接頭語がつく。要領のいい人、スピードが早い人、オモロイ人生歩んでる人って、この「そもそも」にこだわる人だと思う。孫正義は高校を中退して日本の受験レースから脱退し、アメリカに渡った。人と同じ土俵で勝負しなかった。藤田田に「そもそも何を勉強すべきなのか?」と1970年代?に問いかけ、帰ってきた答えが「コンピュータを勉強しなさい、君」いわゆる、世の中的にスタンダードなルールでレースに加わってる人間には、一生トヨタの時価総額を抜く会社なんか作れないんだろうな。話を続ける。要するに言いたいことは、日常生きていると、この「そもそも」に立ち返り自分を冷静に俯瞰するプロセスを忘れてしまうのできっちりやってきましょうということだ。これを常に意識して(忘れないように)切り替えながら生きていくのが難しい。THINK FIRST!とか紙に書いたりして机に書いていても忘れてしまう。(左手にTATOOでも彫ろうかな)さて、メタ思考を成すに当り一番の障害は何か。自分の場合の一番のボトルネックは「ワーキングメモリの狭さ」にあると思う。ワーキングメモリとは、脳内作業領域。PCにおけるメモリと文字通り同じやね。目の前の情報を処理する為に必要な短期記憶領域。それが多い人は、暗算(くりあがりの桁を頭にリテイン可能)が得意だし人の話を聞いていても流れをきっちり意識できたり。はたまたたくさんの人の話を同時に聞けたり、色んな仕事を同時に出来たりと。これって有限な領域だから、メタ思考領域と作業領域ってバッティングするんやね。さて、さてこれを拡大するにはどうしたらいいのか。論理的には3つに分解できよう。1)脳内作業領域を広げるこれは可能な話だという。同時通訳者って、頭の中に話者が話した文章をリテインしておく必要があるが、これって訓練次第で伸びていくという。ただ、相当意識しためんどくさい努力が必要らしいが。(例えば、本を読みながらでも、常に3行前の文章を覚えてるかちぇっくしながら読むとかね)2)脳外にメモリを広げるメモを取ったり、紙やホワイトボードに書いて考えるということです。これって意外に強力。うちの役員が物考えるときはいつもホワイトボードのある部屋にこもるが、そういうこと。ダビンチに限らず、古今東西の傑物にメモ魔が多いのも納得できる。3)情報を整理、圧縮する不必要な情報を出来るだけ頭から追い出す。入力情報に対して、キーワードでくくるとか、論理による構造化を行いトレースしやすくするとか。後は色んな累積経験をためることかな。優先順位つけるなら、2)が一番とっつきやすいか。メモを持ち歩くといったこと自体を忘れたらきついが、それもメモにして貼り付けてあるいたろうか。(「メメント」や、「博士の愛した数式」みたいやな)といいつつ、それも忘れたらどうしよう、またそれも忘れたらどうしよう。無限回廊。あ、そういえば今日飯食ったっけ、、、。おいおいそもそも、、、長々と書いたけどこれって実は違う問題やん、、、。おじーちゃん、おじーちゃん、、、、しっかりして。
2005.01.02
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ルーツについて語ろう。年の初めに書くにはちょうどいい。(長くなりそうやが、こういった休暇の時にしかブログ書けんしなぁ)経営ビジョン策定のコンサルティングでうちの会社でよくやるのは過去の振り返りだ。(よそは知らないが)ビジョンを再定義するべき時に来た会社は多かれ少なかれ、成熟した会社だ。なぜなら、何もかもうまく行っている会社はビジョン(すなわち目標)を定義する必要もなく、忙しいからだ。成熟した会社には、創業初期から参画している人間も新卒で入社した人間も、中途でヘッドハンティングされた人間も様々いる。そういう会社が踊り場なり節目を迎え、これから向かう場所を定義する。そのためには、そもそもこの会社がどういった思いで立ち上げられたのか、そのレゾンデートルを深く掘り返していくプロセスを再度共有し直す必要がある。ビジョンは戦略に先立つのは言うまでも無い。だからここにルーツの話を書こうと思う。僕は在日韓国人だ。じいさんは船乗りで、世界中を飛び回って、日本に落ち着いたらしい。そのじいさんとばーさんの為に朝から法事があった。韓国では盆や正月ごとに法事みたいなのがある。数百年も続くプロセス。儒教国家ゆえに先祖を大事にしているんで、一つ一つの手順が重要になってくる。形が非常に重要。見える形が。(韓国ではこういう目に見える部分ってのが非常に重要で、例えば年上の親族の前でタバコをすうのもタブーらしい。)線香に火をつける順番、ご飯を置く順番、例をする順番・・・等々約30分に及ぶプロセスの型が全て決まっている。これは在日社会でも微妙に異なっている。~流ってのがそれこそ家の数だけあり、みなうちが正しいと信じている。なんで、親戚が多数集まる席では若干もめたりもする。「これが本式や!おまえはわかっとらん!」言うて。我々在日3世や4世は、「んーなんどっちでもえーやん」とか思いながら1世対2世の揉め事を眺めてたりする。今日も朝から始まった。なんか去年と若干手順が違う。おかしーなー思ってたらだいぶ進んでからおやじが一言。「あ、間違えた。」このようにして情報劣化は進んでいくんだろう。些細なミスやプロセスの省力化、誤解等々が後に多大な影響をおよぼす。(確かに煩雑で、かつ記憶に頼るもんだからある程度仕方ないが)おそらく、ここにたどり着くまでにこの形もえらい変わってしまったんだろうなぁ。海外に住む韓国人のうち、9割は帰化するという。アメリカに住む韓国人は韓国系アメリカ人の道を選ぶし、ロシアに渡った韓国人はたやすくロシアの国籍を取得する。翻って、この在日という社会は特殊で、弾圧された歴史上団結する必要があったため、ことさら韓国人であることが強い目的になった。(今や20兆円産業といわれるパチンコ・スロットもその矜持の結晶みたいなものやね。度重なる規制のなかで団結し、知恵を絞り、ここに至る。)そのため、本国韓国でも略式とかでどんどん簡素化していくこの様な祭事のプロセスを未だに強く残そうとする人がいる。目の前にある法事の手順は、時間を越えても見事に保存された先祖の誇りだともいえるかもしれない。それは断じて国籍とは別のところにある。自分はこれを後に伝えなければいけないなと思う。今の自分がここに存在できた理由を。自分には決して韓国への愛国心などない。サッカーの試合もどっちでもええ。朝鮮学校とか行ってた人の話を聞いても違和感を感じる。本名で呼び合う仲間の輪にも入れない。韓流とかいわれてもよーわからん。しかし、かといって日本にも居場所はない。(卵こそなげられるような目にもはやあうことは無いが、選挙権もない)さて、根無し草。(GOって小説があったが、あれは我々3世以降の気持ちを驚くほど代弁しているものだと思う。)人間のアイデンティティの根幹には多かれ少なかれ、国というのがあるだろうと思う。日本にいては意識しずらいかもしれないが、例えば海外に出て一番最初に言うことの一つにI AM JAPANESEやI AM FROM JAPANってのがあるだろう。また、そこでは強く自分が日本人だとみな改めて認識するかもしれない。しかし、僕にはそれがない。一体海外に言って、なんて自己紹介すればいいんだろう。名前を言った後、何を言えばいいのか。僕は生まれてこの方、韓国を含めまだ一度も海外に行ったことがない。Kさんって人がいる。自分がすごい尊敬する人の一人だ。かつてBCGで新卒で最年少の昇進記録をたてた人。(新卒入社1年半でQCL=マネジャーロールをやったとかやらんかったとか。分る人にはわかるでしょう)この人も韓国人で、僕を今の会社に採用してくれた人の一人だ。かつて面接で聞いたことがある。僕:「Kさんは韓国人であることで、この社会を生きていくのに不利だと思われたことはないですか?」Kさん:「うーん、確かにあると思う。でも、逆にその分自分を追い込んでがんばってるよ」Kさんは、僕が入る直前に退社し、新たに会社を始めた。それからわずか2年ほど。ついこないだ自身が経営する会社をIPOさせたという。(なんと言われようと、やっぱ結果出す人はカッコエエなぁ。)自分はまだ何者でもない、でもKさんみたいに何者かにはなりたい。(絶対なったろ、おもてるけど。)自分が将来何者かになるにしても、そこには絶対根無し草のコンプレックスを抱いたゆえになしえたものがたくさんあるだろう。ただ、どういう生き方をすることになり、どの国籍を選択する様になっても、自分のルーツは伝えたいと思う。今日、ぼんやり法事の手順を眺めていて思った。
2005.01.01
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