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公園は、町のなかにぽつんと置かれた小さな記憶の器のようだった。かつてここへ舟が入り、潮の満ち引きが人の暮らしを測っていたということを、今の舗装された道や整えられた植栽から読み取るのは難しい。けれども、読めないことと、消えてしまったこととは違う。地面は、誰にも見えない文字をいまだに抱えている。
歩道の脇には草が風に倒れかけていた。葉の先端だけが、律儀に光を返している。建物のガラスには空が映り、その空の下を、自転車に乗った人がひとり横切っていく。2026年の町は、更新されなかったものを静かに残している。電柱の根元のひび割れ、塀の向こうから聞こえる食器の触れ合う音、潮の匂いをかすかに含んだ風。それらは地図には記されないが、歩く者の身体には確かに届く。
舟溜りという言葉には、水の形が残っている。舟をつなぐための水、帰ってきた人を受け入れる水、出ていった人の背中を見送る水。だが、いま私の目の前にあるのは、草木とベンチと、子どもたちの声のする公園である。水は見えない。水の代わりに、時間がそこに溜まっているのだと思った。
(文:Manusによる)
幕張舟溜跡公園の周辺部を歩く(写真1+Google)
幕張舟溜跡公園の周辺部を歩く(写真2+Google)
幕張舟溜跡公園の周辺部を歩く(写真3+Google)
幕張舟溜跡公園の周辺部を歩く(写真3+Google)
幕張舟溜跡公園の周辺部を歩く(写真4+Google)
幕張舟溜跡公園の周辺部を歩く(写真4+Google)
幕張舟溜跡公園の周辺部を歩く(地図)
幕張舟溜跡公園の周辺部を歩く(写真1〜4) コラージュ
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