たてやま のぞ こくぶせいがい
立山を望む 国分青崖
ゆめ めいざん み しじゅうねん くれ さんろく とう ただ うんえん
夢 に名山 を見ること四十年 暮に山麓 に投ずれば只 雲煙
てんめい ひ い おどろ あいゆう ぎょくりつ ぐんせん わ まえ あ
天明 日出でて驚き相揖すれば 玉立せる 群仙 我が前に在り
名山に憧れて 40 年、この立山連峰を夢にまで見つづけ、やっとの思いで訪ねる機会が出来た。昨日暮方、山麓に着き宿から眺めたが、雲や靄が一面に懸かって何も見る事が出来なかった。早朝陽が上り空が明るくなると山の姿がくっきりと現れたので、驚き思わず頭を下げて礼拝すると、清廉なる雪に輝く連峰が、我が目の前に並び立つ仙人のように迫っていた。
※立山は雄山・別山・浄土山の連峰の事であり、最高峰は大汝山で頂上に雄山神社がある。富士山・白山・と共に日本産霊山に数えられる。
40
年からの夢であった立山に来てみたが山麓は雲や霞で見る事が出来なかった
(昼間の景色を暗くして星空の状況を作りました)
1、翌朝陽が上ると次第に視界が開けてくる
2、清廉なる雪に輝く連峰が眼前に広がってきた。
※立山連峰・左の山が別山岳・中央が雄山岳・右側の山が浄土山岳。
作者 国分青崖 ( 1856 ~ 1944 )(がいの字は頭の山が無いのが正しい)
明治・大正・昭和時代の漢詩人。名は高胤、字は子美。号は青崖。「高知新聞」の記者となり明治 22 年「日本新聞」の記者となる。大正 12 年大東文化学院の教授となり作詩を指導する昭和 12 年芸術院会員に列す。昭和 19 年 3 月 5 日病没享年 88 歳。