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今回も物凄くエキサイト。殆んどタブーを破っている様なものだから、過激の何の。その為か、スポンサーが殆んど降りてしまっていると言うのである。 公共広告機構とコカコーラ社だけだ。元祖外資系が残って、国内企業が撤退してどうするんだ。外資は国内の富を掻っ攫うだけしか考えてないと思っていたが、このどん底ドラマを支える庶民の味方だと言う事を改めて見直さざるを得ないな。しかし、出方によって、コカコーラ社も撤退するかもしれない。また、このドラマの視聴率が良ければ企業も掌返しをするかも知れない。 魚の煮付けのスポンサーも付いてくれないかな?そんなのないか。 緑の幼馴染みが風太郎の素性に気付いた様だが、結局風太郎に釘を刺されてしまうのだな。別にこのドラマって、金持ちが家なき子のような悪人だと言う設定ではないのに、何故スポンサーが悉く撤退するのだろう。カイジみたく、貧富の格差は即ち貴賤の品格が各々に滲み出るのだが。貧乏人は金に賤しいのが最もな証明なのに、何故? このドラマは格差の最下層に呻吟する下流組が何処まで賤しいかを表しているのに。金持ちは別に間違っていないのだ。 「格差って昔からあるじゃないか。」 「貧乏人がいなきゃ金持ちが困るでしょ?」 風太郎の、造船所の前で派遣切り反対デモを行う派遣に吐いた言葉である。 自らの運命を受け止めているのだ。母は金に負けたから、その金に勝とうとするのが風太郎である。銭ゲバとは、銭ゲバルトの略で、金銭闘争の意味である。 しかし、観れば判るのだが風太郎には一切の正義はない。食堂でのおやっさんの言葉に行方不明の兄に擬えた風太郎に「生きていればどんな事をしたっていい、人殺し以外は。」とあったから、ここで風太郎とこの食堂(伊豆屋)の一家とは越え難き隔たりを生む事になってしまった。風太郎は笑顔をここで見せたりもするが、この一言で結局他人だと言う事を悟ってしまったのだろう。まんまと入り込んで、自作自演までして三國家に認められたのだ。金持ちの善意に付け込んだ詐欺である。 入る為にはそれなりの代償を支払う。当たり屋よろしく車に当たって切っ掛けを作り、お金で買収した派遣社員にナイフ持たせて左腿を刺させたり、何もしなければ何もならない事が判るのだ。
2009.01.31
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もうさ、そんなワケノワカランお手製行事システム作るの止めてくんない? 恵方巻きとかもさ…。 伝統を流布させるは良いが、結局外面ばかりで中身のない衣だけの天麸羅だらけになっちまうだろうが。 十月はハロインとかさ、十一月はボジョボジョぬーぼーとかさ…。 頭打ちなんだからさ、消費喚起させたって無駄だっつっの! しかしサンクト・ヴァレンティヌスデイがどうやら元々土着欧州人が信仰していた豊穣を祈願する祭りだったそうだが、これがキリシタンが侵掠して占領して征服して改宗さすべく元々あったその行事を塗り換えたらしいのだが。 韓国では残念日みたいのがあるらしい。 チョコ貰えなかった男子がくやしがって伝統料理を食う日なんかがあるらしい。 4.14らしい。 なんで男が女にチョコやらにゃならんのだ。 更に輪に掛けてアホさが増して行く。 その4.14とはブラックデーと呼ばれるもので、バレンタインもホワイトも玉砕した男達が炸醤麺食べて気を紛らす日らしい。 そもそもチョコやる風習なんぞ日本だけなのだが、殊に韓国や台湾でも行われると言う事は、正に大東亜共栄圏の名残であると言う事なのだろう。 日本嫌いな韓国がバレンタインチョコを食べるのは、まあ日韓に跨る菓子屋の陰謀に遭っているからなのだろう。 日韓で共鳴するのなら、台湾もほっとけない。 韓国は独立し、台湾は摂取されても日本がそこに残っている。 そういや、ヌル山(韓国名:秋成勲)は韓国で稼ぎ捲っているのだそうな。 日韓に跨る特殊なマイノリティ商売で稼いでいるような感じだ。 しかし、ヌル山(ヌルヌル秋山)は日本で干されつつある。 そしたら向こうへ行くのか? しかし国籍は日本の儘…。
2009.01.30
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苦言を呈すれば、ちょっと後半は冗長だなあ。アニメ版北斗の拳のレイが死ぬ前に長い間回想するのと同じだなあ。あっさりした方がよかったのでは?テンションが持たないぞ。伸びきったゴムの様だ。自宅で産もうとしても朋也は心なしか反対していた様だ。やっぱり病院で産む事にした。本当は病院で産む選択肢があった。そこで用意されたシチュエーションが豪雪である。ドカ雪が町の機能をストップさせる。それは町と渚が呼応してるからだ。町が生まれ変わろうとしている事は、新たな命が生まれようとしている事。前半部分は、渚のお腹が随分とまあ大きくなっているもんだ。クリスマスを越え、正月に春原と藤林姉妹とことみが岡崎家にやって来た。狭い貧乏ったらしいアパートなのに家財道具は立派に取り揃えているな。光坂電気は好景気なのか?そりゃ開発に次ぐ開発だから仕事ないってのは嘘か。クリスマスでも古河夫妻が訪れたがパン屋の家なのか岡崎家なのか一瞬分からなくなってしまった。黒に戻した春原の雰囲気が変わったな。藤林姉妹もことみも大人っぽくなっている。登場人物の顔を少し伸ばしたデザインなのかな?そう言えば、高町なのはも幼い頃に比べて、成長させたら目より下の寸尺が伸びているな。春原が正月用の祝酒を持って来たのも、大人を感じさせるな。ことみはアメリカの大学に通っていたからまだ二十代も前半だろうか。社会人は春原と岡崎夫妻だけだ。クリスマスを越えた時の渚の歳は22くらいか。ことみの言う他の世界がこの物語の鍵である。杏がことみの説明をすかさず止めたのは、理解出来ないからだろう。春原も芳野祐介がインディーズとして再出発してCDリリースしたのを渡されてもタイトルの英文が読めぬ儘とは!タイトルは朋也のアイデアらしい。しかしなんだか春原本人はあまり浮かない顔をしていた。どう思っていたのか分からない。酒を啜ってことみの説明も聞き流しているようだったが。大人になる、親になるってのはどういう感覚になるのかと言う春原の疑問が冴える。朋也は春原達に言っても、渚を喪う際に後悔をしてしまう。親になる事を捨ててしまうのか。渚が嘗て行った演目を朋也はずっと昔から知っているかのような思いに駆られた。ドカ雪のせいで陣痛が始まっても病院行けず仕方なく自宅出産と言うスタンスは、何かに配慮した形か?渚がいざ産もうとした時に朋也は側にいても狭い世界に閉じ込められた感じだな。心此処に非ず。ただ側にある僅かな生にしがみ付き縋ろうと必死になる。懸命となる。汐を産んだ後の渚は精も魂も尽きた面持ちだ。朋也の顔が歪み過ぎだ。ただ、朋也にとっては渚を遠くにすることが余りにも辛く、堪えられないのであった。これから起こる不安を早苗さんに宥められても、それすらも投げ出し、無念と後悔を朋也を包んでしまう。後味悪いなあ…。
2009.01.29
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健康診断を受けたら、なんと背も2ミリ縮んでしまった。それだけでなく、体重なんか去年と比べて4キロも落ちた。視力も左が極端に低下した。恐らく、疲れているのだろうか。まあ、そう言われたけど、これから生活を改めなきゃいけないな。特に何をしていいのか判らないなあ。 無理をしない生活スタイルだが、そうとも言えないか。
2009.01.28
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去年の大晦日の格闘技はキン肉万太郎使わせても振るわなかった。 人気付けさせる為にも中学出たばっかりの高校生にK-1やらせたり、立つ瀬が無い様だ。 かの紅白こそバラエティで食い付かそうとしていた為に挙って持ってかれたと言うのもある。 フジは大晦日は捨てた様なもんだ。 紅白に頼ってしまった。 K-1甲子園なんてはっきり言ってやる必要ない! 格闘技やれる人間のスパンなんて限られてるよ。 繰り下げてどうする? 余計に引退を早めてしまうだけだ。 殴り合うボクシングだって30超えてしまえばもう引退しなきゃならない。 殴られるダメージが蓄積する訳だし、ガタが来るのだ。 見よ! 今回のK-1MAXの出場選手の内半分が30超えたロートルである。 彼等の過去の戦積は目を瞠る物があるが、最近は負け越しが続いている。 万が一にも古参が今回勝っても、次は無い。 体が悲鳴を上げている。 しかしヘビー級は30超えてもやっているのが多いな。 甲子園に関してはまだ子供だからと言う理由もあるかも知れないが、ボクシングとは違い一興業団体の催しでしかない物で、若い彼等の運命を早い内から決定付けさせていいものか? 此れ迄K-1はピンチに立たされた事があったではないか! 格闘技だけしかさせないで、もしも不振でK-1が潰れたらどうする? 潰しが効かないんじゃないか? よく非行からの更正とかでボクシングがもてはやされたりするが、引退した後の彼等がどうなるのか? ボクシングを野球に替えても良い。 寧ろ野球の方が英才教育みたくそれ一筋にやらされる事がある。 それしか知らない彼等が、それとは無関係の人生を歩まねばならんのだ。 先ず生き方を知らない。 頼れるのはその腕っ節に掛る。 結局ダークサイドに落ちたりするのだ。 タレントとして出るかも知れないが、無器用だと最早何も残らない。 K-1は早い内に出した少年達を一生懸けて守らねばならない。 さて、自演乙だが、まだ試合もしてないのに随分と持て囃されてるな。 自演乙に関しては負けても支えてくれるのだろう。 実力よりも視聴率だ。 多分、自演乙は大晦日も出る。 あのアグレッシブさは往年の魔裟斗を髣髴させる。 しかし今の魔裟斗は油の抜けた油揚げだ。 昔の毒気を帯びていた時の方が好きだった。 パフォーマティブさは嘗ての須藤元気。 もしかしたらこういうトリックスターを必要としているのかも知れないな。
2009.01.27
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偶々深夜での再放送で観たのだが、こんな偉人が過去に居たんだなと改めて感心してしまうなあ。何だか今更ながら白々しい言い方だけど。エピソードを改めて言う必要はないが、この人にはただ只管、世の中の事を良くしようと言う考えしかないのである。本人自身、幼い頃に大病を患い、武家よりも医師の道を選び、医学を学んだそうな。人類を悩ませた「天然痘」の治療の研究を重ね、紆余曲折を繰り返したそうだ。天然痘に罹った人の瘡で治そうとする人痘法というのが当時あった。その天然痘で孫を数人失ったお婆さんが、罹らずに生き残っている子供に人痘法を施して欲しいと洪庵に請願して来た。洪庵はそれは危険だと断ろうとしたのだが、遂に遂行してしまう。結果は失敗して、子供は罹ってしまい死んでしまう。 その事を洪庵はずっと悔やんでいたそうな。その罪悪感、罪の意識が洪庵を突き動かす原動力となったようだ。天然痘に罹った牛から取れる牛痘で子供に植え付けてワクチンを精製し、貧しい者には無料配布、お金持ちには負担させる方策を取った。しかし、賛同者が広がると同時に、それをネタにして悪質な商売に託け様とする悪質な輩も存在していた。その所為でワクチン投与も滞ってしまった。洪庵はそれでもめげず、幕府から認可を貰う為に努力もした。 特に面白いのは、近代医学(当時の最新の治療方法)に付いて行けない人々が、牛痘を打つと牛になると言う迷信が騒がれて、避けるようになってしまっていた。それでも広めようとして、イラスト入りの宣伝広告を行っていたというのである。それは余り効果なかったようだが。どうしても来て貰う様に、貧しい者には米等の食料品を配布していたそうだ。洪庵の考え方にはこうある。貧しい者にお金をせびってせっかく治っても餓死してしまったら意味がないと。その時の損得よりも、将来に亘って益となるような事をするのだ。 この緒方洪庵の考え方は、近代の公共福祉の精神に準ずるものである。疫病はどんな人間にも罹る物であるから、治療は公で行う物である事。貧しき者には無料で、富める者には公の為に負担。賛同者を募り、病の根絶に努める。 今度、新札を発行するのなら、福澤諭吉の上に緒方洪庵の五万円札を作るべきである。天は人の上に人を作らずって言った福澤諭吉の上に作ることになるが、緒方洪庵は福澤諭吉の師匠だからいいんじゃない?福澤諭吉は緒方洪庵の適塾の塾生であった。十万円札ならば吉田松陰でいいんじゃない?
2009.01.26
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本当にギリギリであった。 20時閉館で19時半閉め切りではあったが、何とか間に合えた。 乗り継いだ電車も運良く滞りなかった。 すんなり乗れたのも本当に珍しいなと思えた。 ちょっと小走りではあったから間に合えたのかも。 乗り換える時に、外側を見て、何処へ行くかの目印を見付けようとしたのも結果的に良かったのかも。 まあ、六本木へ降りた時は行く方向間違えて少しロスしてしまったが。 駅に行く迄の自転車を漕ぐ時は、横断歩道に捕まらないのと、大通りを避け、なるべく近道であって人も車も少ない道を選ぶのが丁度いいのかも。 乗ってばかりだと尻が痛くなる。 クッション付きのサドルカバーを今度買おうと。 話が逸れたが、愈々企画展へ。 相変わらず高い所52階にあるからエレベーター乗っている時のあの耳が圧される感じがどうにかならんかなあ? 新宿の損保ジャパン東郷青児美術館も高い所にあるんだよなあ。 しかし今回の企画展は休日の最終日で且つ宣伝もされていたのに、人の入りが少ないなあ。 それもあってか、じっくり鑑賞する事が出来たんだが。 以前金を扱う企画展が科博でもやっていたが、こちらの方がやはりヒルズっていう場所だけに高級感を打ち出していたな。 土産物屋が大した物を取り揃えていなかったな。 蕭洒なものみたいなのばかりで、雑多なイメージが丸っきしない。 しかしながら展示の仕方はベストであった。 見た中で、金に彩られた仏具も展示してあったが、その所在がチベットと書かれてあった。 やっぱり、チベットはチベットなのであって中国ではないのだ。 良く見れば判るが、支那様式とチベット様式は全然違う。 仏教関連にしても違うのである。 ネパール製の物もあったが、やはりネパールもチベットとは違う。 ゴールドの語源は印欧祖語の“ghel”で意味は「黄色に輝くもの」、らしい。 て事は、金は黄なのである。 そりゃ黄金と言うし。 しかしこの“ghel”ってどう発音するんだ? gとeの間にhが入っているのだから、音としては“ゲール”とか“ヘール”とか“ギェル”とか“ヒェル”か“イェル”とかって言っていたのだろうか? ん、“イェル”…? 黄色を英語で“yellow”つまりイエローって言うのだから、その“ghel”がそのまんま“yellow”へと変化してったのだろうか。 そういや、この平成大不況いや、世界恐慌だからこそ金を見直す為にもこう言った企画を行ったのかな? あんまり変動する事無いし。 しかし発見されれば比率は増し、元々固定されてた金の価値が薄くなってしまう。 それが金の掟だが、そんじゃあ何で不況なの? どうしてお金が失われたの? お金が消えた訳じゃないので何処かでだぶついている筈なんだけどね。
2009.01.25
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今回も凄いな。 今迄虐待して来た親父を知らんぷりして見捨てる所と、造船の邸宅に潜入して接近する所といい、家なき子を髣髴させる。 それで親父も風太郎の後をくっついて辿り着いた先の三國造船を眺めて「昔から親孝行者」だと言う。 どうしようもない最低最悪の親父だが、風太郎の思い出の中には良き日の親父が居たのだろう。 「誰ですかこの人。頭おかしいんじゃないんですか。」 これが風太郎の親父への訣別の証である。 どんなに冷淡に悪徳に染まろうとも、まだ人としての感情が残っていたのだ。 既に人を二人殺めても、ただ世の中全て金だとして愛情を捨て去ろうとも、それは疾うに喪った母への愛を背負っているからに違いない。 丸でラオウ。 そしてカイオウ。 覇道の為に、悪道に落とされてしまうのであれば、敢えて愛を捨てて悪徳を背負う。 本田透はこのドラマ銭ゲバに相当ショックしているそうだ。 涙脆くなり、胃も痛くなったそうだ。 飯島愛が孤独死した事にも相当ショックを受けていたそうだ。 高齢独身が耐えられなくなったのか? 一生独身を貫き、萌えの二次元の世界へと飛翔した彼も現実世界に受肉している以上、それは辛いものか。 独りで倒れていても二次元の住人が救う訳でもないもんな。 愈々、本田透も三次元に戻ってしまうのか?
2009.01.24
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殆んど言うことはない。 何でこんな映画が大々的に宣伝されて、且つ上映されるんだろうか。 まあ物凄くお金掛けているんだなあ。 それでも中身を開けた途端…。 しかしこの映画を好き好んで観る奴って相当ゆとりだなと思う。 頭の悪い奴が観に行く物だ。 頭の悪い奴ってのはアメリカ人の事で、日本人はこんなものには騙されない。 内容はピューと吹く!ジャガーに出て来るテーマみたいなもので、死にたくなかったらリサイクルしようねの類である。 京都議定書蹴っ飛ばした癖に、ゴアの不都合な真実が出されてからアメリカ人はどう言う訳か、エコに踊らされる様になった。 現実は踊らされてるどころか、相変わらず資源を浪費し尽しているんだけど。 アメリカってば映画で自分の国策をアピールするんだな。 キアヌの出ている映画にコンスタンチンなるものがあった。 あれは禁煙を訴える国策映画である。 キアヌの衣裳って、いっつも黒上下のスーツでネクタイ締めてるのばっか。 要は、これがキアヌのイメージって事か。 しかし何で相手の身ぐるみ剥がす必要あるの? 顔が既にバレて全米を席巻してるのならもはや必要…おっと、この映画に矛盾や齟齬を指摘してはならないな。 イイトコの切り貼りだから全体的に繋がらない。 どんなトンチキな映画でもテーマを誰かがシャウトすれば矛盾や齟齬なんか気にしなーい! しかしこれは掟破りである。 型破りがいいのではなく、含蓄が丸でないのだ。 誰かが30点の評価をしたが、そんなものではない。 採点不能である。 しかもこれはリメイクなんだそうな。 頭打ちでネタが尽きたのか。 よく、日本の作品を後追いや続編ばかりだとして比較され勝ちだが、アメリカも同じになりつつあるな。
2009.01.23
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渚の妊娠が判ったのが夏。初夏だろうか。カレンダーは確認出来ない。季節の変わり目、雲や服装から感じとる事しか出来ないな。渚もマタニティウェアに衣更えしたから、腹の変化に気付かないな。なんかこの話の運びは照れてしまう。心身共に気持ち悪いオタクには恐らく縁のない状況だろう。凡そギャルゲーには告白してOKで終わり。その先の付き合いや結婚して家庭生活なんて想像出来ないだろう。バーチャルな家庭生活にリアリティ持たす為に「これから先試練が待ち構えている」等と秋生が言った様に、キモヲタにも語り掛ける。結婚も出来ない、子供も授かれない、そんな彼等に人間の生活を二次元だが見せる。矢張、渚の顔が大人になっている。段々早苗さんに近付いて来ているな。渚が幼い頃に大病を患い、秋生が渚を連れて雑木林の岡に駆け込む。その頃の秋生は朋也みたく若々しさを感じる。秋生が朋也を連れて病院が着々と建設されるかの岡で昔話をする。もう殆んど秋生からのネタバラシだが、光坂の町と渚が呼応している。町が発展して行く毎に渚が弱って行く。季節の変わり目に渚が倒れるのも、年末の工事に関わるからか?宮澤有紀寧も一ノ瀬ことみも光の玉の伝説を語る。一つ一つ難問を越えると、光の玉が現れる。一体何の物語として話を纏めるんだ?それにしても渚のセンスは驚かされる。渚子とか渚美とか、何で自分の生まれてくる子供に名付けようとするんだ?親の前でも平気で「えっちなことをした」と言う娘である。鸛(コウノトリ)やキャベツ畑が赤ちゃん持って来る訳じゃないもんな。この話はファンタジーだけれども、ヤることはヤる。そうしないと、子供は出来ません。いつまでも(あらゆる意味に於いて)忌避してると、子孫は残せないし。
2009.01.22
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この顔写真から見て分かるかと思うけど、ノッチに似てなくもない。 若い頃と言うよりも以前のノッチの方がオバマに似ている印象を受ける。 やはりノッチも中年だから少し顔幅が出て来たか。 テレビの企画でノッチがオバマに成りきってオバマ支援者の所に立ち寄ったらウケが良かったみたいだ。 似ている事をその支援者達が認めていたのだな。 演説が終わり、ノッチがオバマの手を握って「私はオバマ」と言ったらオバマが「貴方はオバマ」と返された所から公認となったみたいだ。 嘘みたいな本当の話。 適当に返したのかも知れないな。 まあ、オバマの通う床屋でノッチが髪を切って貰ってたから、次第に浸透して行くのだろう。 なんかオバマが世界大統領の扱い。 アメリカの大統領が決まった所で世界に何の影響があると言うのだ? アメリカは基本的に国内問題を優先する。 外交は後回しになるだろう。 丁度『アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない』を読み終えた所だ。 如何にアメリカと言う国が無茶苦茶でアメリカ人自身が無知蒙昧であるかが良く判る。 こう言う国民があってこそアメリカが運営されてるとなると、恐ろしい思いがする。 大方のアメリカ人も、今回の大統領選挙でも候補者の主張を判別出来る人間なんて居なかったろうに。 政治(に関わる)闘争(抗争)ってのはアメリカではとっくに終わっている(筈)。 平和なんだよな。 だからこそ、同党内若しくは敵対候補でも中傷合戦が繰り広げられる。 これがアフガンやソマリアだったら選挙が行われない。 選挙やる前に殺すか殺されるかのタマ取り合戦になる。 ちょっと前はカンボジアで、パキスタンでは選挙が最近怪しくなって来ている。 チャイナでは選挙なんて存在しない。 もしあの大陸で、且つ人口爆発大国でやったら、国はバラバラになる。 直ぐにでも独立投票が開かれてしまう。 アメリカは国家が最早破綻寸前である。 大統領並びに閣僚の力で立て直す事が出来るのか? オバマ悶死するんじゃないのか? まあ演説の中で一人一人の責任とかそんな事言ってたから、国に頼るのではなく、国を信じて自分達の力でより良い方向へ舵取りをしてくれ、国は国民の事を信じているからと言いたいのだろう。 一見理知的な演説だろうが、やっぱり抽象的で神がかっている。 こんな演説を日本では聞いた事ない。 閣僚もそして天皇陛下ですらも。 ブッシュは神がかりしてるとか言われてたが、これはアメリカの国自体がそんな風になっているのでは? マケインも良く頑張ったな。 考えも案外マトモだった様だ。 ネットショッピングで気になった商品が…。 【女のふんどし】って何…? そもそも女が褌を締める習慣も伝統もないけど…。 褌じゃなく伝統的に腰巻きだけどね。
2009.01.21
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オタクはすでに死んでいるこんなタイトルの岡田斗司夫の本がある。また、その前に脱デブ関連の本じゃなく、『世界征服は可能か』という本があるのだが、この二冊を読めば、オタクの取る道、辿った道が判る。世界征服と言うロジックは、既存の価値観にどう抗うかと言う意味が込められている。詳しくは本を読めばいいのだが、バブル期以前の若しくはバブル全盛のオタク達の肩身はとてもとても狭いものであった。バブル期にオタクではなかった者にとっては、当時のオタクの苦しみは判らないものだと言う。人の扱いではない。考えてみれば、オタクを取り上げさえすればテレビを観てくれるのだ。 オタクと対義語となるのは、スイーツ(笑)なのだろうか。元々オタクと対をなす言葉なんてなかったのだ。詰まり、オタクが外道の一環であり、今で当たるスイーツ(笑)こそが一般の世界なのである。考えてみればなんでオタクが「勝って」しまったのだろう?本田透曰く、「オタクは勝利した!」と。自己決定権による勝利宣言だろう。何も現実女を選ぶ必要はない、二次元で生きていく。二次元にしか愛はないと宣言しているのだから。電波男世界の電波男脳内恋愛のすすめ喪男の哲学史本田透の本はこんなにある。オタクの勝利宣言がここに書かれている。そういや、我が国の宰相であるローゼン閣下はマンがオタクだもんなあ。しょこたんと言うブログの女王(敢えて!)もいるし、自称オタクなんてもう指で数えきれないんじゃないのか?Gacktもあれも仕事選ばないけど、オタクだろう。 さて話は本題へ、草野キッドで紹介されていた中野腐女子シスターズ(なかのふじょしすたーず、と読む)が出ており、これはもうなんだか訳の判らない存在だ。はなわ?みたいのが親分を務めているが各々のキャラクターが訳判らん。妖精の絵を描いたり、コスプレは勿論のこと、空気プロレスなんかやってたりしている。 その後にやった格闘王と言うTBSの番組があるのだが、今年の2月にK-1MAXの試合がある様で、なんとアンディ・オロゴン(ボビー弟)に加えてコスプレをするファイターまで参戦するのだという!昨年の大晦日の試合にはDJ OZMAプロデュースのボブサップVSキン肉万太郎と言う試合が行われていたが、ガチでコスプレファイターが出るとは思いも依らなんだ。そのコスプレファイターの名前は、長島☆自演乙☆雄一郎と言う。 どうせ色物、かと思いきや、どうやら実力はあるようだ。自演乙はこんな恰好をしている。グッとくるコレクションフィギュア07 魔法少女リリカルなのはStrikerS ヴィータ【シーエムズコーポレーション】うーん…どうせなら白衣の魔王でも召喚してくれればいいのに。一応これは、白バージョン。送料無料!3種のデバイスが付属!ヴィータ・ユニゾン リインフォース 魔法少女リリカルなのはStrikerS 鉄槌の騎士 アルター完成品フィギュアさて、どのような試合結果を残すのだろう。初参戦だから、若しかしたら負けるかも知れない。しかし、ベテランが新人に大敗を喫する事だってある。桜庭和志だって無名のファイターにボコボコにされて病院送りになった事もある。ラインナップを眺めると、殆んど80年代生まれである。大方、30越えているのが少なく感じる。現役の30越えのファイターでいられるのも無理なのかも知れないな。アンディも強いが戦歴を眺めると負けているのである。桜庭も入場を凝らしたり、結構ユニークである。引退してしまったが、須藤元気だってあれも色物の類である。 しかし、オタク格闘家なら、石井慧に挑戦状?を叩き付けたジョシュ・バーネットがそうである。もう、何でもありだな。 こうであれば、もはや、オタクは溶けたと言ってもよい。
2009.01.20
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劇場版のが放送されてたけど、年取ったなあ…。 還暦なのに平って…。 漫画では年取らない事が前提だから、役者が年取ってばかりで、無理矢理若作りせねばならなくなるな。 社長から会長へと繰り上げしなきゃやってらんねえか。 しかし、重役と平が裏で繋がっているってのは、漫画では良くある設定だよなあ。 サラリーマン金太郎、特命係長、釣りバカ、そしてサラリ君。 これって中々世間に触れる事のない漫画家の妄想に始まるよなあ…。 脚本が山田洋二だから左である事は確か。 しかし、山田洋二はあれを見る限り、もう左翼ではなくなったと思う。 二人の勤めている建設会社が湾港の工事を巡る住民反対運動に遭って、悶着していたが、結局会社が撤回する事で決着が着いてしまった。 左翼としては住民運動で権力に勝利する絵図を描きかたったのだろうが、現実はお殿様の御聖断に頼るしかないと言う消極的な妥協で幕を閉じるしかないのか。 湾港を潰せば釣りが出来なくなると言う訴えで守った。 これでまあ山田洋二が左翼でなくなった何よりの証であると思う。 他の映画ではアレなモノもあるが。
2009.01.19
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温暖化の馬鹿馬鹿しさを西村宗は明かしたのだが、このネタの真意を理解出来る者はいるのか? 以前、暖冬だった時に寒い所から帰って来たサラリ君をお母さんが暖冬なのにだらしないと馬鹿にしていたが、そのサラリ君が逆上して暖房消して炬燵ひっぺがして窓を開ける報復措置に出ていた。 それで今回も、寒い外から帰って来たサラリ君の息子たけし、らしい、が帰って来て温暖化って寒いのですかねと尋ねた所、母に馬鹿ねとあしらわれてしまった。 その後にサラリ君も帰って来て息子と同じ事を言った途端に馬鹿ねと返されてしまった。 余り意味が不明瞭の様な気もするが、懐疑派なんだろう。 しかし温暖化ストップはいの一番に掲げられるお題目であるから、異議申し立てすら出来ない様だ。 作者も圧力を感じているのか? ランク王国では「○んこ」の○の中に入る言葉を連想させてと町の若い娘に言わせていたが、よくやるなあ。 女の子達は予想通り、○の中に「う」とか「ち」とか「ま」とか答えた。 本当に下品な連中め。 「わ」とか「あ」ならまだしも。 「ま」は一番身近にあるものだからって…、普段から「ま」のことを考えているのか? 見方を変えてしまうなあ。 さて、日曜深夜のわたしが子供だった頃は小池栄子である。 ほほう。 80年代生まれの回顧録とは、もうそんな時代か。 もう昭和最後の子供なんて居ないもんなあ。 後は平成生まれが大人となって行く。 小池栄子は下北のパチンコ屋の娘として生まれたが、そのパチンコ屋もバブル弾けの煽りで傾いてしまい、父は倒れてしまったのだそうな。 その実家は現在はゲーセンとなっている。 直接商品交換の期待出来るレジャーと言えばパチ屋よりもゲーセン(アミューズメントパークか?)の方がいいか。 小池栄子の半生って取り分け、目立ったようなものではなさそうだ。 学級委員で世渡り上手ではあったみたいだが。 半生やプロフなんて今更書くことはないが、パチンコ屋だったから裕福なのであろうか? 当時バブル期は何処も好景気で羽振りは良かった。 貧乏で呻吟していたと言うのは、何も当てのなかった人間だったか? ターニングポイントと言えば、バブル経済の間であり、丁度個人よりも公の、世の中の流れに左右される時期だったと言える。 小池栄子には皆が知っている周りがあったけど、そういうのが全くない人達ってどうなるのだろう? 車がなきゃ死ぬ所で生まれ、駅前ショッピングセンター街しか楽しみが無いような画一的且つ孤立を誘う地方都市、郊外で暮らしていたらどうなっていたことやら…。
2009.01.18
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松山ケンイチを主役に添えたドラマであるが、原作がジョージ秋山の漫画なのだ。主人公は風太郎と言うとてもキモメンなキャラなのだが、何故松山ケンイチと言うイケメン役者をチョイスしたのだろうか?まあ、日テレ土曜夜九時は若い子の見る枠と決まっているようだ。しかし、銭ゲバは派遣社員と言う設定となっている。現代に照らした積もりのようだが、どうも違和感を感じてしまう。銭ゲバはなんと四十年前に発表された作品だ。現実的に現代の貧困を論った作品を作り上げるのは無理な話か…。てことは、現代の貧困社会は此れ迄の歴史の中では大した事はないって事になるぞ。酒乱の父(椎名桔平もこんな悪役よく引き受けるよなあ)と病弱な母を持ち、給食費も払えぬ、市場に出回らぬ捨てる魚のベラを晩飯とし、風太郎は新聞配達せねばならぬ極貧の生活を強いられているが、同級生からいじめられており、担任からも詰られてしまっている。今では申請すれば控除が出来るのだ。担任だってなんで貧困だと言う事を悟れずに、責め続けるのだ?数十年前だったらまだしも、的確なアドバイスもしない担任は教師として失格である。デリカシーのない教師は責められて当然。丸でこどものじかんに出て来た新任の教師みたいだ。昔、同じ時間で放映していた家なき子を髣髴させる。「同情するなら金をくれ!」と言うフレーズで一世を風靡したが、二期目はとんだ食わせもんだった。世の中を冷淡な眼差しで見つめ、信じるものは金と決める人間だ。貧困ってのは昔からある。貧困の好対象としての派遣社員ってのは幾らなんでも狙い過ぎ。派遣もあんな蟹工船じゃなく、いろんな種類がある。いつ切られるかと言う不安はあるが、千差万別である。今は派遣含めた非正規雇用は三人に一人と言う割合なのに…。詰まり殆んど貧乏。家なき子が受けたのは極貧家庭と言う見たこともない世界の探険と、自分より下位の人間を蔑む心理と、それと対なす上流階級への妬み嫉みの心理である。自分達は決して裕福ではない癖に中流だと思い込む根性がまだあった。バブル崩壊前後の放映だから予見していたかも。風太郎の少年時代のエピソードは身に詰まされる思いがしたが、子役はよくやるよなあ。最近の子役は本当に上手い!どういうレッスン受けて来たのだろう?しかし、尻凋みなりゃせんだろうな。
2009.01.17
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この記事を参考までに…。http://www.cyzo.com/2009/01/post_1338.htmlノイタミナというフジテレビの木曜深夜にやるアニメだが、出崎統(さき、の字が大ではなく立)が「あさきゆめみし」の卓袱台を引っ繰り返して作り直した「Genji」が放映された。記事を読めば概要や経緯なんてこれ以上説明する余地はないが、CLANNADを作っていた頃を振り返っていたそうな。しかし、この時間帯はBS-iで京アニのCLANNADがやっている最中なのに、また、その凡そ一時間後にはTBS系列でのCLANNADも放映されている訳だから、何たる当て擦り。要は、「死ぬ理由が解らない」のだそうな。このフレーズで一部の鍵厨(key作品を余りにも愛好し過ぎて前が見えなくなっている人の隠語;しかし本当はらきすた厨なのでは?)は沸騰しているらしい。泣きゲーではヒロイン死なせないと感動出来ない、というお約束がある為に所謂安直な構成が図られる事に異を唱えたのかも知れない。おっと、怒るのはまだ先だ。出崎は90分枠で作る為にキャラや進行を再構成させたようだ。本人はゲームは未プレイのようだ。詳しくは劇場版CLANNADのパンフレットに記されているが、脚本の中村誠は鍵信者らしい。作り直したと言っても、結局はそれで十分な位、沿っているとさえ思える。抑ものテーマが「家族」なのだから、この作品自体が「愛する人を喪って初めて家族の大切さを知る」ものである。実は「ヒロインの死」はターミナルではなく「通過点」若しくは「ターニングポイント」だったりする。スイーツ(笑)と蔑まされているケータイ小説も殆んど「泣きの要素」ばかりである。「人を呪わば穴二つ」(いっぺん、死んでみる?)泣きゲー愛好家(鍵厨)がスイーツ(笑)の映画を嘲笑した所で結局、「エレメンタルな部分が同じ」なのだから、同族相食むとしか言えない。本当は両者(男女の差)とも寂しいのかなあ? さて、Genjiだが、出出しがダイジェストのように展開されたが、この先どう描くのだろうか?これも三ヶ月程度しかやらないから、ギュウギュウ詰めになるんじゃないのか?
2009.01.16
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もう、長すぎる!あの長過ぎた学園篇(全年齢版だから高校でもいい)には正直うんざりしていたが、新生活を始めるに当たり、こちらの気分も一新させられた様な気がする。冗長でかっ懈い話が丸で朋也と同じ様に思い出として残っているのも、演出だったりするのだろうか?こうなれば少しは京アニの事を見直すかも。前期を風ちゃんにした為か、すっかりと忘れちゃってるんじゃないか?急ぎ過ぎのペースにも慣れたと言えば慣れた。学校も卒業してしまえば、単純な毎日が続くのだから、朋也のモノローグ中心になってしまうのも致し方無いかな?二人は結婚して渚の姓は岡崎となった。岡崎渚である。もう公式ホームページも岡崎渚って変更しろ。そして岡崎渚(旧姓:古河渚)ってキャプション付けろ。結婚後の二人、特に渚の寸尺が大きく変わっている。前期当時の渚はまだ子供っぽい。とは言っても、留年して19歳だから子供っぽいって事は言い難いが。ただ単に描き慣れたからタッチに変化を来しているのかも知れないが。結婚は春だが、渚がバイトに出る頃はもう五月、いや六月頃。紫陽花が咲いている。もう二十歳越えて酒も飲まされたのだから、大人っぽくなるか。バイト先のファミレスは雑木林だった所。朋也は町の変化について行けなくなって来ている様だ。病院も出来たり、なんと光坂高校も建て替えするのだそうな。朋也は電気工事と言うインフラ整備に携わる仕事している癖に、気付いていない。もしや気付いているのだけれども、気付かない振りをしているだけか。渚及び此れ迄の美しい思い出で頭一杯なのだろうか。大人へと成長して行くに従い、朋也自身が付いて行けなくなっている。その焦燥と葛藤が朋也を苦しめる。渚の手を握る、朋也の指にも環が嵌められていた。男女一つ屋根の下同衾すれば家族も増える。渚の望むものは赤ちゃんだと言う。京アニはどうも構成に難ありだ。フラグを立てる事から始めてしまうから、どうももったりとした展開に見えてしまうのだ。部屋も大分変化が表れているな。そこはいい感じだ。冷蔵庫の貼り紙、アルミの油避け、家庭に生活感が出ている。観ていて、思わず『いいなあ』と羨んでしまった…。一挙手一投足の全てが初々しい。照れてしまうなあ。生活費捻出の為に渚はバイトに出掛けているのだが、なんと合唱部のメンバーだった仁科りえと杉坂(脅迫文送りつけた人ね)がそこで働いていたのだ。電話番号も教えて貰った様で、紹介らしい。もう嘗ての敵同士ではないのだ。アフターはマイナーキャラが前面に出ているな。仁科りえは音大へ進みたいそうだから、浪人してファミレスでバイト。朋也は渚が他の男に話し掛けられるのが堪らないらしい。まあ夫だもんなあ。その様子を義父の秋生と一緒に潜入して見るのだが、ラッパーって…。このCLANNADって時系列は高校生の時は前世紀末の筈。ケータイがいまいちメジャーではないから、アパートにも固定電話がある。秋生は朋也が出た後に再び戻って渚を隠し撮りしていて、撮った写真を朋也に見せた後に渚が洗面所で嘔吐いていた。赤ちゃんが出来たのだろう。その頃はもう向日葵が咲いていた。妊娠二ヶ月って所か?秋生の持っていたカメラもデジカメじゃなく、一眼レフのクラシックカメラだ。高いとか安いとかもあるが、まだデジカメもメジャーではないのだ。はっきり言えば、一眼レフカメラの方が今も昔も全然高いのだけど。久し振りに感情移入が出来たかな。その後が楽しみである。後二ヶ月半位しか無いけど。ブルーレイが出ればCLANNAD買うけどね。
2009.01.15
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なんでだろう? パレスチナっつっても、ガザ地区と呼ばれるエジプトはシナイ半島側にある飛び地みたいな所である。 ハマスと言われる組織がイスラエルを攻撃するもんだから空爆を繰り返しているのだそうな。 (後に停戦。両者共に勝利宣言していた) イスラエルが白燐弾を使ったとかそんなんで、非難されているけど、理由が国際的に禁止されている武器なんだそうな。 人殺しの兵器に人道的も非人道的もあるもんか。 とは言うものの、相手をじわじわ苦しめる兵器だから、一発で死なすよりも手当てに掛る時間を費やして戦闘への労力を削がす狙いがあるみたいだ。 地雷もクラスター爆弾も同じ扱いだ。 残虐と呼ばれるのは、戦闘を行っている際の足止めとしての作戦であると言う事が一般人を巻き込むから駄目なのだそうだと。 増々変だ。 どうやら最近の戦争は「戦闘」って呼ぶのが通例となりつつあるな。 戦争って外交の一環だから、あらゆる条約やら取り決め、まあルールがのし掛って来るんだわな。 翻って戦闘ってしときゃ、バトルだから喧嘩みたいなものとして処理されるからか? しかしあんな狭い所で炙り出しした所でまた復讐されるに決まっている。 パレスチナの地からパレスチナ人を追放する狙いがあるようだ。 なんで共存出来んの? 聖書に書かれていたからって根拠になるのか? ユダヤ人なんて昔っから各地に点在してたではないか。 エジプトでは怠け者だったのが、いつの間にか商人になっていたとはなあ。 嘗て自分達がナチスやロシアに酷い目に遭ったからと言って同じ様な事をパレスチナ人に遭わせている。 まあ、イスラエルの強固な迄の国家と自民族優越意識って、結局ナチスドイツがお手本となっていたのだろう。 イスラエルの国内における自民族優越思想とは、嘗てのナチスドイツのアーリア・ゲルマン人優越思想と同じで、 国内に異民族を閉め出した壁、ゲットーを作らせるのもまた同じ。 そして根拠薄弱な妄想的神話を持ち出して元から住んでいた人を追放するやり方も、似ている。 ナチスドイツの爪痕は相当深いものがあるな。 3000年に亘るユダヤ人の歴史の中で、僅か数年の間で繰り広げられた虐殺の所為でユダヤ人達のエートスをまた変えてしまったのだ。 詰まり、イスラエルもナチスドイツの息子みたいなものなのである。 そのイスラエルはアメリカの支持を期待していたのだそうな。 向こうもユダヤ人が多いし、ユダヤロビーで左右されてたりする。 アメリカの属国かよ。 しかしオバマがどうなるか知ったもんじゃ無いから先駆けての様子見だったらしい。 そんな自国の政権の維持の為にパレスチナ人を殺しまくっているのだ。 物凄く無茶苦茶である。 その無茶苦茶さは中国やアメリカと比肩するくらいだ。 そういうの、止めような。 政策を神頼みはダメな証し。
2009.01.14
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もう日比谷の派遣村は撤収されて都内の施設に移ったのだそうな。 年末にかけて凡そ500人程度集まっていたのだが、撤収期限迄には2~300人程度になっていた。 大体百人余りの人間の再就職先が決まっていたのに対して、まだ残っていたのだ。 当派遣村に集った求人が何十、何百と言う倍率ではない。 凡そ五百人に対して四千件の求人件数なのだ。 代々木アニメーション学院のように、800%だ。 昔の諺に『残りものには福がある』とあるが、どうしたものか。 殆んどが寮を追われて住む所が無くなった者達と言われるが、その為に就職出来ないと言う困った事が起きているのだ。 中には住み込みで働ける所もあるらしい。 それでも効果はほぼ無い。 残った連中とは、仕事がきついとか、給料が安いとか、環境が厭だとか、掃除が面倒臭いとか、不平不満ばかり言っているらしいのだ。 こいつらは何様なのだろう…? カンパ金や公共機関の蓄財を食い潰すだけ食い潰してクレクレとねだるのか? もう仕事なんか選んでいられない筈なのに、何処迄お上に甘える積もりなのか。 今の自分達が置かれている状況を理解出来ているのか? 余程の世間知らずじゃないのか? 雇用のミスマッチ等と言葉を置き換えるでない。 だだこねと言う素晴らしい日本語があるではないか。 日比谷派遣村に使われた千代田区の出費は2700万円に上るのだそうな。 成果は…500人いて100人程度のもの…。 多目に見ても4分の1の成果にしかならない。 全員が全員派遣切りに遭った人達ではないらしい。 元々働く意欲の無い人も集まっていた様だ。 こんな状況じゃあ企業も切って正解だったとしか言えない。 残った連中の所為で意欲のある人間の足を引っ張ってしまっているのだ。 以前、働く事と結婚は似ていると書いた。 何処かで妥協しないと目の前の幸福は掴めない。 今の彼等はありもしない理想にしがみついてもがいているだけだ。 『理想を抱いて溺死しろ』 そんな言葉がよぎる。 それでまた各施設に移動しても職探しなんかする気もなく、移動を繰り返す度にたかり、食い尽すんだろう。 誰か最後の一人として残らないかな? それはそれで面白い。 自己責任と押し付けられた社会に於いても、国は踟蛛の糸を垂らすが如くパターナリズムを発揮する。 まだまだ信じられる社会なんだ。 国だけでなく、周りの人達も支えてくれるのに、自らその糸を切ってしまっている様だ。 これから三月四月と失業者が増えるであろう。 またその時には派遣村が出来るだろう。 さて政治は何が出来るであろうか。 まだ殆んど何もしていない内から支持率が20%切ってしまっている…。
2009.01.13
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ジョーシマサイトという番組を見ての感想だが、今回取り上げられた内容は泣く子も黙る裁判員制度である。番組内容はいつも茶化した感じだが、結構重要な事を言っていた。ブラマヨは自分達がもし選ばれて、刑事事件を裁判する事になった時に、被告人からの報復はないのかという懸念を抱いていた。一般人でもそういう感覚は少なからずあったかもしれないが、芸人や有名人が担当するとなると、却って名が知れてる分、そうしたことも有り得るのではないかと思わずにはいられなかったのだろう。しかし、嵐の大野?がひとたび傍聴に出た事もあって、あの空気には耐えられなかったと言う。傍聴だけでも精神に堪えるのに、一審とは言え、法律の知識もない一般人に自身の道徳的価値観を頼りに審理するのは危険な行為だ。人民裁判になってしまうんじゃないのか?尤も、放送でも紹介されたが、プロの判事らが「黒」または「白」と言えば「素人の裁判員」の結審が多勢を占めても、覆ってしまうのだ。しかし、報復を恐れては真っ当な裁判を行う事が出来ない。どうせ判事によって覆ってしまうのならやらぬ方が良い。仮に裁判員にヤクザが混じってしまったのならどうするのだ?被告人がプロの犯罪人(ヤクザとか殺し屋とか運び屋)だとしたら?被告人が裁判員ヤクザと同じ組の者だったら?或いは対立する組の者だったら?ヤクザは、決して自分が損をしないように策略を立てるものだ。同じ組若しくは系列である場合は、どんなに重い罪状であろうと軽くさせる様に仕向けるかも知れない。他の裁判員を拐かす事だってする。勿論、自分がヤクザだと言う事は決して言わないんだろうけど。逆に敵対する組や集団だったりすると、どんなに軽い罪でも、「ああいうのは社会に仇なす存在だから早いとこ厳罰を科して罪の意識を知らしめる」とか言うんだろうなあ。この制度が、ヤンキー社会である我が国においてヤクザをのさばらせる逆効果になりゃせんだろうか? この番組の最後に裁判員同士の恋愛を描いたが、そもそも、同年代の男女が選ばれる事ってあるのか?殆んど奇跡に近いだろう。
2009.01.12
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菌類の不思議だけど。 最終日に近い休日とあった為か物凄い人混みであった。 30分近く並ぶ羽目となってしまった。 見ていた横でアベックが「もやしもんでなければ人なんか集まっていなかったんじゃない?」と言っていたが、その通りだ。 以前同じ科博で手塚治虫に因んだ企画展が催されていたが、内容が思いの他薄かった記憶がある。 中のセットが段ボールで出来ており、もやしもんのキャラクターが所々小さく描かれていた。 大人向けの漫画なのにもやしもんキャラは子供に大人気だ。 今度子供向けにアニメ作ったらどうだ? なんかNHK臭い雰囲気だなあ。 随分と俗化した感があるが独法になってからだろうか? フジテレビのノイタミナ枠でやっていたアニメだったのに、この企画展の後援はTBSだ。 …いいのか…? もしも次回やるとすると、TBSでやるのかなあ? 狭い、黒山ばかりで碌に展示も見られない。 そんなんなら前々から行っときゃ良かったと常々思うが、行こうと思っても時間が押してしまう。 ゆっくり見ていられる時間もないので、所謂パンフレット.図録を買って見ようかと思ったが、本の厚さからして上等かと思ったが…。 表紙が厚紙…。 厚紙で包まれており、中身が薄い! 写真も文字も小さいなあ。 まあ、入場券を只同然手に入れた様なもんだから、仕方ないかな。
2009.01.11
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自分らしくもないが、時代劇を最近観る様になった。 大河ドラマの天地人、主人公は直江兼続(ツマブキ)。 しかしこの直江兼続は北斗の七星を守護星としている所は丸で北斗の拳。 それに上杉謙信が安部寛ってもう完全に北斗の拳である。 以前風林火山での上杉謙信はGacktだったけど、がっくんもケンシロウと死合っていたセイジの声もやってたしなあ。 何処迄北斗の拳なんだ。 しかし北斗の拳は終始『義』と『愛』をテーマにした漫画であった。 これも『義』が出たり、直江兼続の兜も『愛』の字が配われたりと、何処迄北斗の拳に近付けて行けるのだろう? それじゃあがっくんの風林火山の方も借りて観るか。 いつの間に謙信は妖艷な武将から精悍な野武士みたいになったんだ? 謙信郎…違った、ケンシロウだ。 本日は雑記の様な形となるが、夜九時の世界ふしぎ発見!ではブータンの事が取り上げられていた。 ブータンは広義でチベット。 チベット佛教を信奉している国民である。 この国では世界で最も若い君主が統治しているのだ。 昭和55年生まれだ。 ブータン国王は国民と共に混ざり、話を掛けて来るのだそうな。 先代は国内で何が必要かを調べる為に全国を行脚して聞き回ったそうな。 面積は小さいがやはり山の国、大変だろう。 CD-ROMの記念切手もあるのだそうな。 それだけでなく、こんな山奥の国でもブータンの人はケータイ片手に持っている。 これは凄い事だ。 最早、グローバルだな。 ブータンの人は日本人っぽく見える。 何処かしら日本語みたく風呂に入った所で熱いっと言っていた様な気がした。 ブータンでは国王は大人気である。 丸で天皇である。 佛間には歴代の活佛や宗教指導者の写真とか仏像が飾られていた。 なんと、ダライラマ14世のだってあるのだ。 これには少し驚き。 チベット系のブータンとは言え、本国チベットとは宗派の違う所。 それでもなお、掲げられているとは、ブータン人がチベット人のアイデンティティを持とうとしているのか? やはり国家と教育は不可分である。 チベット系とは言え、ブータン人やチベット人、ラダック人、シッキム人やアルチャーナル人とか、カム人とかアムド人なんかにして見れば、彼等は同国民ではなく、親戚の様で他人に近い感覚なのだろう。 日本人の感覚にしてみれば…新大陸の日系人だろうか。
2009.01.10
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最近、とは言うものの、Nintendo DSのソフトがよく当たる。 身銭切って買ったのが、イリヤの空UFOの夏のノベルゲーム位で、後は全部プレゼント応募で当たった奴だ。 持っているソフトの一つに『ヴァルキリープロファイル咎を背負う者』があるが、これは正確に言えばトイザらスにてこども商品券で買ったものだ。 しかもそのこども商品券も当たっているものだから、元手は切手代のみだ。 ある意味百倍だ。 ナイツインザナイトメア、鉄道むすめ、レイトン教授…我乍ら奇蹟としか言いようがないな。 しかもDSだって、買った訳ではなく、ファミ通町内会でしこたま稼いで交換したものだ。 奇蹟とは言え、実は懸賞には骨がある。 ジャンプとかの超大型級の雑誌懸賞こそ倍率は高くほぼ不可能に近いが、マイナー雑誌であれば抽籤に叶う事だってよくある。 よく受験が時の運とも言われるのもその通りで、懸賞も購買層の低い詰まりマイナーであればあるこそ、門戸も広いのである。 抽籤だから門の幅はメジャーだろうとマイナーだろうと同じと思え。 勿論、抽籤数が多ければ門の幅は広がるのだが、人が一斉に入り込んだら幾ら広い門とて狭っ苦しい物となる。 これは偏に就職でも言えるな。 人気企業ならば多く集まる。 しかし、その逆はガラガラである。 所謂、3K職場は誰もやりたがらないからそれに従事する人達にのし掛り、きつくなる一方なのだ。 マイナー漫画、マイナー雑誌ってのはメジャーと較べると癖があって読者を選定させる。 言うなれば多数にとって糞詰まらない作品ばかりだからアンケートに答えようとして一々読まされるのは苦痛なのだ。 それに耐えて…じゃない、面白いから買って読んでるだけだ。
2009.01.09
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一話で一年使い切った…。前期と前半で半年分位しか過ぎていないのに、ここ二話近くで時の流れが早過ぎ。いつもビデオに録って保存しているのだが、なぜか録れていなかったのが悔しい。DVD出ないかな?十三話ってことは、この作品のDVDに収録される話数が三話程度だから、十二話で四巻は出る。詰まり、十三話目で五巻となる…。五巻が出るのはどの位になるのだろう…?既に一巻が出ているので、其処から数えて…数えなくていいが、五巻が出るのは今年の四月で而も朔日になるそうだ。三ヶ月後も待たなくてはならんのか。全廿四話で構成されているので、今年度でCLANNADは全て終わってしまう。それも残念だが、何よりも録れていない事が悔しい。DVD買ってしまえば早いに越した事は無いが、どうせBlu-rayで出るんだろう。AIRが出ている位だし、しかしながらそれを再生出来る本体が無い…。プレステ3を買えばいいのだがまだ4万もする。ドラクエ10がWiiで出るそうだがこれがいつになるか判らない。プレステ3を買った方がいいな。ただ、やはり高いので少しづつ貯めて行くしかない。CLANNADから逸れたが、あんまり言う事が無いな。テンポが早過ぎて頭に残らない。渚が卒業(マチャ彦みたいに五年も高校生やって)する時にいつものメンバー集わせていたが、皆も多分忘れ掛けてしまっていると思うが、演劇部再興の時に競っていた相手も混じって居た。仁科りえ率いる合唱部だ。個人的にこのパートが好きだ。仁科組も部活作る時に顧問に当たる先生を探しており、丁度古河組とぶつかってしまった。その時に仁科組は古河組に退いて貰おうと脅しを掛けるのだが、春原がそれを見破り、怒るのであった。漫画では焼そばパンを投げつけるのだが、このアニメだと神尾観鈴ちん愛飲の『どろり濃厚ピーチ』のブリックパックを投げつけるのだ。この作品はKANONともAIRとも繋がっているから不思議。ジャムとパンを分け合う仲だったり、春原と観鈴ちんとが根底で繋がっていたり。その繋がっていたと思われたのだが、春原が髪を元に戻してしまっていた。研修って…、春原陽平はいつも寮暮らしだな。妹芽衣も居合せていたが、背丈変わってないな。渚だけの卒業式は桜の花が咲き誇る四月である。既に芽衣は高校生の筈では?成長期を疾うに過ぎてしまってたらもう向こう十年はそのまんまと言う現実が待ち構えている。しかし、芳野夫妻だけいつもの恰好てのが頂けない…。卒業式が終わって、その後に朋也と渚は直幸の下へ面会に行く。髪を上げて、渚は随分と大人っぽくなったな。その後入籍してちゃっかり指輪までしよった。とは言うものの、考えてみれば朋也はその年では未だ二十歳になっていないから親の承諾が必要か。その前に秋生と早苗さんに許しを乞うていたか。未成年は親の同意が必要と言われるが、そもそも二十歳超えてたって家の力は強い儘だもんな。この二人が恵まれているのは、柵や壁、所謂艱難辛苦が無い事。そう言えば嘘になるが、試練が有るとすれば、自身の問題である。それは朋也と渚の解決して行くべき事。戦後に生まれた彼等にはあらゆる因縁から解放されている。しかし朋也にはそれがしこりとして残っているのかも知れないが、一切そういうのは無い筈だろう。新海誠の作品みたく、障壁はない。障壁とは自ら作っているものなのだろう。
2009.01.08
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聖地巡礼する連中が気持ち悪いのは分からなくもないが、なぜ其所迄不安がる? 子連れの親が不安がっていたそうだ。 と、週刊誌(週刊新潮)の記事に書いてあった。 別にいいじゃねえかよう。 聖地巡礼して、参拝する事の何処が悪い? 抑もらきすた厨は最早三次元の世界には興味がない。 どう言う事かと言うと、小さい子なんぞ最早眼中に無いのだ。 人は、無知故に畏れる。 一般人達はオタク(キモオタ)の事を良く知らない。 三次元を捨て二次元の世界へと昇華して逝った者の精神を知る由も無い。 キモオタ=犯罪者予備軍=派遣社員=犯罪者予備軍=ニート=犯罪者予備軍=引き籠り=犯罪者予備軍=キモオタ=… と言う等号の連鎖が続いている。 こう考えてしまえば楽だろう。 人を見たら泥棒と思えの思想だ。 別にらきすた厨のキモオタ共を庇う積もりなんか毛頭無い。 特典映像の実写に集った観衆の顔悉く、ぼかしが掛っていた。 プライバシーを守る為なんだろうか。 それにしてもオタク全盛なのにどうして観衆の顔にぼかしを入れるのか? 未々、後ろ目たい事が有るのか? 世間の圧力が未だ弱からずなのだろうか? それはそれで、聖地巡礼の何処が悪いのだろう? 氏子でもない部外者が参拝するのが気に入らないと言う考えも有るのだろうが、極めて日本的だな。 あらゆる伝統や因習から戦後は解放されたにも拘らず、拒まずに来訪者を受け入れるべき。 しかし、結局聖地の町おこしの為に計画しているのだから意思決定には従い、受け入れるべきである。 強制収容所に打ち込まれた住人が秋葉原と言う世界を築き上げ、彼等住人のパルスが各地沿線の地点に似たようなコミュニティを増やし続けたのが今のオタク文明である。 自分達はオタクではなく、清廉潔白な一般人だとまだ思っているのだろうか? 三十代で未婚男子は人口の半分である。 聖地巡礼する奴がオタクだからと言って全てがモテずに未婚で犯罪者予備軍か? 結婚してない奴が全てオタクか? 結婚していてもオタクじゃないと言い切れるか? オタク性を誰しもが備えていると言えるじゃないか。 だのにそいつらは鬼の首取った様にローゼン閣下を小人マンガ脳と貶め、いつまでもオタクを蔑み続け、何様だろう。 自分が健全だと思っている内に、外濠も内濠も埋められて結局は取り囲まれて四面楚歌となる。 テレビもアイドルがオタク性を備えていなければ人気が取れなくなっている現実を見よ。 アラフォーとかを取り巻く連中の焦りっぷりも見よ。 既に取り囲まれて迷走しているぞ。 オタクは勝ったと同時に死んだ。 こんな記事書いても誰にも受けないだろう。
2009.01.07
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この人は麻生太郎じゃなくて、若しかしたら麻生ローゼンとか言う名前じゃないのか? アメリカで射撃が上手かったから日本代表として選ばれたと言うが、漢字間違えるばかりでなく、書き初めの漢字も間違えていたそうな。 落款と言われる部分の平成廿一年を「廿十一年」と書いたらしいのだ。 もーう! ローゼン閣下の漢字知識の無さも嘆くべきだが、こんなもの程度で論う事もないだろうが。 一体何処に揶喩う資格があると言うのだ。 特に新聞社に非難する資格があるのか? 漢字仮名混ぜ書きを推奨し、国民を愚民化させる電波巻き散らしておきながら批判能うのか? テレビはテレビで検証裏付け無しの報道害悪ばっか垂れ流すではないか。 ローゼン閣下のミスを詰る資格があるのか? 寧ろテレビや新聞の方が悪質だったりする。 下劣なバラエティを批判する資格も無い。 漢字ごときで自慢出来る事か? それでは、ローゼン閣下を詰る連中は漢文で文章を書いてみろ。 候文で書け。 送り仮名なんぞ邪道だ。 真の日本語とは漢文である。 正字で書き、帰り点も打たず漢文で書け。 中文等と言う欧風劣化言語も禁止だ。 所詮この戦後の日本語はGHQによって無理矢理捩じ曲げられ、マスゴミがより強い方に阿諛追従し靡いた結果じゃないか。 五十歩百歩なんだよ。 戦後間もない頃の朝鮮は文章を漢字と諺文(ハングル)の混ぜ書きで書いてあったな。 驚く事に諺文以外は殆んど素で読めてしまう。 既に朝鮮は日本と同化していたのだ。 漢字の読みは訛り程度の差だった。 戦後バラバラにされて、韓国も北朝鮮も漢字を極力排して、日本は日本で漢字をかなり制限させて言い換え言語にしたりと、離れてしまったのだ。 戦後バラバラになったインドとパキスタンに似てなくもないな。 ヒンディー語とウルドゥー語はそんなに差は無い。 書き文字の違いである。 しかし書き文字が違ってしまったが故に、ウルドゥー語はアラビア語やペルシャ語の影響を受ける事になってしまった。 これは日本でも同じ事が言える。 朝鮮は日本から独立する事に拠って、漢字を廃止させ、自分達の言語を模索し続けてしまったが為に全然別言語として成立してしまった。 別言語と雖も、朝鮮の人が日本語を何処の国よりもすんなりと覚えて来てしまうのである。 權寶雅(BoA)や東方神起の日本語の上達具合は目を瞠るものがある。 これは日本と朝鮮が方言程度の差だと言う事の表れだ。 但し、訛りが消えないのは自分達の喋る元の言葉が上級だと思い込んでいるからだ。
2009.01.06
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何でまあ、そんなのが出来たのだろうかねえ? 年越せないと豪語してた割にはちゃんと年越せたじゃないか。 年が越せなかったのは飯島愛だった。 さて、これで同情寄せる事が出来るのだろうか? なんかマスゴミのマッチポンプみたいだ。 取材材料が無いから何か焚き点けて事を大きくする。 そんなに深刻かいな? 平成不況の時のリストラ嵐の時ですら殆んど馘切られる親父達はギャグの様な扱いだった筈だ。 それに、小泉政権を支え、自己責任論迄容認した国民が何故今更同情寄せた振りをするのだ? マスゴミは小泉改革を応援して来た癖にこの掌返し振りには呆れる。 怒りすら覚える。 ローゼン閣下は去年末に渋谷のハロワ(職安)を視察し、求職中の若人にこう言ったそうな。 「何かありませんかねじゃ仕事は見つからない。目的意識がないと雇う方もその気にならない。何をやりたいか決めないと就職は難しい。」 「世界中どこでもそうだが、何となく恰好いい仕事は給料が安い。力仕事やしんどい仕事は実入りがでかい。」 まさしくその通り。 本当は仕事も恋愛も言葉を替えるだけで殆んど同じなのだ。 何処かで妥協しないと単純に働く事も、結婚する事も出来ない。 そんな派遣村に坂本政務官が苦言を呈する。 「本当に真面目に働こうとしている人達が集まっているのか」 「講堂を開けろ、もっと色々な人が出て来い。何かしら学生紛争の『学内を開放しろ、学長よ出て来い』という戦術、戦略が垣間見える様な気がした。」 講堂てのは厚労省の事。 これに関して何処かおかしい所はあるのか? (後に発言撤回、謝罪。アホか。思った事を言ったのなら貫き通せ。) 元派遣社員と言われる連中は本当に派遣社員だったのかすら怪しいのだ。 今回の金融恐慌の煽りで派遣切りに遭った連中が、直ぐ様年を越せない訳では無い筈だが? 少なくとも年度末は寮に居られた訳で、契約打ち切り直ぐ退去じゃないだろう。 坂本政務官の予測は有りな訳で、乞食やら(最早本当に乞食になってる)元からのプー太郎やらの他に左翼やセコイキリシタンも混じって居た様だ。 これはゴネ得じゃないのか? 移動バスに只で乗り継ぎ、飯も足もせびり、住まい寄越せと厚かましい。 行政は何でこんな事で税金を無駄に使うんだよ。 それで生活保護を請求して来るのもいる。 一体緊縮財政の政府は何処に行った? 財源の支出を抑えるのが新世紀に入ってからの方針ではなかったの? 何で其処迄厚遇すんの? 厚生官僚襲撃事件や秋葉殺戮事件の様な社会不安を呼ぶからか? 何でそんな根拠もない迷信を信じ込んじゃってんの? 折角戦後60年以上掛けて牙も爪ももいで骨抜きに大人しく羊の様に飼い慣らして来たじゃないか。 どっかに不安材料を取り敢えず押し込めて官僚達の懸念を払拭させる為か。 おかしい事だらけだ。 別に社会不安になろうがいいじゃないか。 そうさせた結果なんだから。 仕事はそこら辺に落ちている。 それでも雇う方が悉く要らないと判断したのならもう諦めるしかない。 潔くホームレスになる他ない。 空き缶拾って食い繋ぐしかない。 生きるだけならホームレスでも十分。 これは結婚でも言える。 やらない内から諦めるのもなんだが、何もせずに嫌われてしまうのなら仕方ない。 努力のメッキが剥がれ落ちて醜態晒すだけだ。如何にええかっこしい事しても。 この世に生まれて来るのが間違ってしまったと言うしかない。 こうして落伍者ばかり増えてしまえば当然表の世界のテリトリは狭められて来る。 そうして逆に圧迫又は追い詰められているのが負け犬アラフォー世代だ。 当然の結果である。 恋愛なんか別に必要も無いのだから社会生活に全く影響を及ぼさない。 人口調整したいのなら移民を受け入れれば良い。 モテないオタク文化は滅多に人に伝授しようとする事をしない。
2009.01.05
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ホントこいつらは…。 東支那海の油田の共同開発だったのに、こいつら勝手にやりよった。 共同開発なのに誰も中国の一方的開発を許可した覚えはないぞ。 パクリやコピー商売を正当化し、挙句開き直るこいつらの態度と来たら…。 周りに知的所有権云々言われてるから、テメエで勝手にパクリ模造品を商標登録して、さも自分のオリジナルと摩り替える傲慢さにもほとほと呆れ返る。 コピーは最早文化となってしまってるから、それは宿痾なのだろう。 お師匠さんの教えを忠実に守ることが彼等の根底にあるのだ。 尚古主義とも言われる。 これが停滞史観にも繋がる。 じゃあ何でこんなコピー文化であるのに、文明国みたいな扱いされてるのだろうか。 それは、決して自前の文化等ではなく、外から持ち込まれた文化を取り入れて自分達の物にしているからだ。 中原の冊封に入るのはてんで嘘出鱈目嘘八百。 古代文明も嘘だと見た方がいい。 中国人のメンタリティとは上に対して阿諛追従であり、下に対して傲岸不遜。 外から持ち込まれた文化を有り難く頂戴し、持ち主が居なくなると自分が免許皆伝を受けて継承者だと触れ回るのだ。 満漢全席とあるように、近世・近代のチャイナ文明は滿洲人によって齎らされた物が殆んど。 モンゴルに支配された時だって軍隊や流通経済も持ち込まれた物ばかり。 そして、国民党や共産チャイナの時代の制度や近代化の悉くは日本製である。 そんな日本が居なくなった途端に大きな顔をしているのである。 古代支那には青銅器文化もあるが、これは実は同じ頃に東南アジア、南支那や印度支那にもあったりする。 青銅器文化は南蛮人が齎した物だ。 『南』と言う字は銅鐸を象ったもの。 銅鐸は即ち南蛮文化そのものなのである。 江南の地、嘗ての楚蛮の地に於いて青銅で出来た目玉の飛び出た巨顔の仮面や扶桑の木や奇妙奇天烈な人物像が多く出土している。 四川文明だとか長江文明だとか、もう一つの古代支那文明として数えられてしまっているが、それもまた我田引水。 最初にあるのではなく、楚の覇王を破って江南の地を取り込んだ結果じゃないか。 元々、黄河周辺の民と江南の民とは全く別の民族系統をしていたのである。 言語が先ず違っていた。 虎は虎だが、江南の民(楚蛮の民)の言葉では於莵(おと)と言うらしい。 抑も、川ですら呼び名が違っていた。 北では『河(ハー)』 『河』で黄河を指していた。 南では当然『江(カン)』 『江』で長江(揚子江)を指していた。 『河』は北狄系の言葉だったらしい。 そして『江』は元々『竜』と音が同じく、水流を意味していた。 この『江』は楚蛮とは余り関係がなく、どうやら東夷のタイ語系の様らしい。 メコン川と同じらしい…。 こうして嘘八百を暴いても中華文明なのだから何でもありと言い張るんだろう。 青銅器文化は南にもある。 寧ろ伝わったものだ。 そして、黄金や鉄は西域から。 チャイニーズ達は自分達の文化が外来のものだと言う事を絶対に認めようとはしない。 そしてチャイニーズ、中国人と言う概念もまた、つい最近の出来事に因む。 昔からあるのではない。 そんでこの旗印は中華帝国と言われるものらしい。
2009.01.04
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この前は手首切って自殺未遂だったけど、今度は飛び降りてしまった。 もう病んでしまったんだろうね。 恥をかくことがそんなに辛いのか? 死人に口なしだが、これは余りにも精神のひ弱さが齎した結果だ。 人を呪わば穴二つ。 野次飛ばしたり、攻撃もする急先鋒みたいな存在として活躍したが、いざ自ら批判の矛先が向けられるともうどうしようもない。 その心は折れ易く、案外と脆くも砕けてしまうものだった。 その攻撃が自分にも返って来る事を、何故理解出来なかったのか? 政治家が死ぬ事には(元、とは言え一度は鎬を削る所に居た身だ)同情する心は余り無い。 命が懸っている事を先ず理解すべし。 個人としては憐れではあるが。 東大卒の大蔵官僚だった筈だろうが、その末路は余りにも惨めで寂しい。 もしや自身は転落する事、失敗する事、挫折する事、仕返しされる事を想像した事が無かったのか? 敗北を知らないとは余りにもお粗末。 落っこちたら這い上がろうじゃないか。 しかし、そんな励みもメール永田には届かないのか。 丸でニートと似てる。 ニートは敗北、失敗、挫折、転落をするのが怖い、或いはそうなっても這い上がる術も考えていないので、いつまでも自家撞着し続け引き籠ってしまう。 失敗を笑う奴は蔑めば良い。 失敗を赦さない非寛容な社会にいつ、日本はなってしまったのだろう。 ローン社会の癖して何が即戦力だ! 命が大切と言いながら敗者には容赦ない。 企業が赤字なのは企業努力を怠って来たからだ。 従業員の所為にするな。 二度と敗北を噛み締める人々に石を投げつける行為に出るな。
2009.01.03
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春じゃないけど、春の扱い。 本当は年度区切りで新年と切り替えた方がいいんじゃないのか? 四月を一月に繰り上げしんしゃい。 しかし、入社式が四月ではなく三月十五日から始まるのってどういうこっちゃ。 卒業もしてないのに研修させて時間稼ぎさせるのもなあ…。 なんでごく一部の企業の常識を押し付けるのだろうか。 こう言う事をさせるから、五月病に罹ってしまうのが多くなるんじゃないか。 現在は企業常識がなくなりつつあるし、雇われる方もこれまでの常識も捨て去らねばならなくなる。 どうでもいいけど。
2009.01.02
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とまあ、こんな感じで。 新暦で祝ってもどうしようもないんだけどね。 日本人なら、旧暦で新年を祝う方が良い。 時刻が午前零時になった途端に「明けましておめでとう」と言うのも変である。 明けましてと言うのは、日が昇ってからの事で、極めて現代文明的な主観の約束事が結集したようなものである。 別に旧暦でもいいのだ。 エチオピア(アビシニア)ではエチオピア正教(コプト教)が国教だった事もあり、コプト暦を西暦(グレゴリオ暦)の側に採用している。 コプト教てのは、キリスト教の事で、本当に原始キリスト教を伝えている。 即ち、オーソドキシーと言われ、正統性のあるキリストの教えと言われる。 2007年の9月11日は、エチオピアでは2000年の1月1日であった。 キリストの誕生日は未だに分かっていない。 尤もキリストの生誕はミトラ教の冬至からパクったものである。 ミトラ教はミトラスとかミスラとか呼ばれて、遥か東方ではマイトレーヤと呼び直されたものだ。 マイトレーヤとは即ち弥勒菩薩。 キリスト教は弥勒菩薩の影響を多く受けている。 弥勒菩薩は56億年後に一切の衆生を救う為に地上に降臨するのだ。 そしてキリストも同じ。 裁きの時に復活して救うのである。 さて、何の話だっけ? 日本人にはキリシタンの行事が似合わないんだから止めろ。 って言いたい。 太陽暦(グレゴリオ暦)を採用している事は、西暦を受け入れる事でもある。 元号法を制定、施行しても結局、グレゴリオ暦が下敷になっているのだから虚しいことこの上ない。 これは現代の住宅事情に似ている。 ツーバイフォーの住宅なのに、無理してユニット畳で床に敷き詰めて和風にする意地っ張りと同じだ。 伝統は何処へ? 大黒柱の消えた家は全てが切り貼り出来る個人のスペースと成り下がる。 因みに、エチオピア帝国の国旗である。
2009.01.01
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