全75件 (75件中 1-50件目)
----- Original Message ----- >From: "" <> >To: ??????@yahoo.co.jp >Date: 2017/1/29, Sun 09:18 >Subject: 29日の日記 ><楽天ブログの日記更新メールです> ><このメールに返信するとブログ記事が書けます> ><画像を添付することも出来ます> >
2017年01月29日
コメント(0)
endersen21jr@yahoo.co.jpが僕のメールアドレスです。こちらにご連絡をお願いします。
2008年10月12日
コメント(63)
![]()
●木・金と拘束さっれぱなしで、ストレスがたまっていたんだと思う。古本市場でのんびり本を見ていたら着信音。女房からで「息子たちが来るって。お父さんのチリコン・カーンを食べたいってさ」。バカですね~、このテの誘惑にはカラキシ弱い。「そうかそうか」とばかり、即本屋を後にスーパーに直行。必要なものを買い揃えた。ちなみに、僕の場合ストッカーになにがどれだけ残っているか、だいたい覚えている。カットトマト缶3個、レッド・キドニー・ビーンズ3缶と、ひき肉を買って直帰。●ちょっと思案の末、今回は「栗原はるみ風味付け」で行くことに。「栗原流」はトマトケチャップ、トンカツソースなどを調味料に加える。これが入ると断然マイルドになり、近くではやや甘みを感じる。そのあとでレッド・ペッパーなんかの辛味が来るようになる。子どもも食べるので、チリ・ペッパーもやや少なめに。人数を考慮していつもの2倍以上煮込んだ。●「いただきま~す」のあとちょっとして、だれかが、「なんだかスパイシーさが弱いっていうか、角がないっていうか…」と一言。ちゃんとわかるんだ、よしよし、とここでもヘンに喜んでる。夜中の2時すぎ、帰る組と泊まる組がそれぞれリビングからいなくなって、鍋を見るとなんと完食。きれいになくなっていた。これでまた、ひと喜び。なんと単純なこと。ワイフのように朝晩作っていないから、作ることや反応が楽しいのだろう、多分。●鶏肉の塊を皮がこげるくらい焼いて、たまねぎで作ったソースをかけたもの。それと揚げや筍、なま麩やこんにゃくの煮物、を一緒に食べた。この「チリコン・カーン」、先日テレビで名前は忘れたけど、有名人が「チリコン・カルネ」と呼んでいた。これははじめて聞いたバリエーション。ま、とにかく「ごちそうさま」は楽しい。●「キドニー・ビーンズ」でアフィリエイト・リンクから検索したら、なんと49も出てきたのにはちょっと驚き。意外とあるもんですね。僕の場合は「煮る時間」を考えて「水煮」みたいなのが欲しいので、そこに限定すると10種類に満たない。2~3紹介すると、こんなかんじかな。
2007年03月11日
コメント(1)
★切らしてたソフリット作ったよ。【僕流ソフリットの作り方】オリーブ・オイル1カップ、セロリ1本、ニンジン1本、たまねぎ1コを用意する⇒野菜3種はフードプロセッサーでみじん切り状態に⇒これを1カップのオリーブオイルで炒める⇒焦げないように頻繁に返しながら全体がぺたっと混然一体になるまで炒めて出来上がり⇒さましてから製氷皿(1個がやや大きめの)に入れて冷凍保存する。これをパスタ・ソースを作る際に一人前あたり氷1個分投入する。これで奥行きのある深い味が保証される。応用力によりさまざまな使い方ができる。★ということで、今夜は僕が作ったトマトソース・スパゲッティ。トマト缶はなんでもかまわないのだが、デルモンテなんかのカットしたやつを100円くらいの時に5~6こ買っておく。オリーブオイルを低温で熱してにんにく(多め)をゆっくり炒める。スライスでも庖丁でつぶしたのでも、構わない。⇒トマト缶を投入。白ワインも加えるが、投入後のトマト缶にワインを入れ、缶を洗うようにして加えるのが僕流。無駄がない。⇒フォークでカットトマトをつぶす。ソフリットも投入。軽く塩・コショーとブイヨン(庖丁でけずるようにして顆粒状で投入)⇒少し煮詰めて、ゆであがったパスタにあえる。これで出来上がり。★パスタは細めのものが好みで、ゆで時間も早い。一人二人分なら直接パスタをフライパンに入れてあえてもいい。もう少し多くなったときは皿に盛ったパスタの上にかけ、食べながら混ぜてもいい。付け合せにはポテトサラダを作った(こっちはカミさんが)。というわけでひさびさの「ごちそうさま」はトマトソース・スパゲッティでございました。まだ洗い物が残ってるんですけど。ちなみにフライパンや皿などはトイレットペーパーなどでソースをよくふき取ってから洗います。
2007年03月05日
コメント(1)
●毎週木曜は生協の日週一で届けられる(もちろん注文したからだが)物の中で、定番と言っていいアイテムがいくつかある。まず米。野菜類では必ず注文するのがジャガイモとたまねぎ。したりしなかったりというのが、ニンジン、ほうれん草、キャベツ、泥付き大根、長ネギ。季節によって、また冷蔵庫の野菜室の状況によって変わる。●卵と納豆は定番それ以外にもマーガリン、マヨネーズは定番で、これにその時々の「欲しいもの」や季節品が加わる。特にかんきつ類は欠かせない。もずくだったりチーズだったり家族の要望も変わるので、その好みが反映されることになる。●僕がよく注文するもの冷凍品の定番は鶏肉と豚肉。鶏肉はから揚げ仕様の大きさかもも肉のかたまり。豚の方はばら肉の薄切り凍結。これが定番であとはしゃぶしゃぶ用だったりステーキようの牛肉だったりする。特に暖めるだけでご飯さえあれば一食OKというアイテムは4~5種類注文しておく。家で仕事をすることが多く、週のうち4日は必ず昼飯を家で食べるからかなり重要になってくる。気分転換にラーメン屋に行ったり、コンビニで「チゲ鍋うどん」を買い込んだりするが、大半は残ったご飯プラス冷凍のアイテム。これにスパゲッティやソバを適当に組み合わせてそのときの食事にする。●子どもがまだ小さかったころ、少しは「食の安全」に配慮しようと選択した<生協の宅配>だが、(今でもその点に関しては変わらないが)かなり使用目的が変化している。また、パッケージの開けにくさ(もずくやところてんなど)など、減点対象のものも多い。味も一度注文して試してみないとなんとも言えず、これまた評価が落ちる商品も確かに存在する。が、そうした部分を差し引いても依然として、わが家における生協品が占める割合はかなり高い。
2007年03月03日
コメント(0)
◎今日は母の七回忌。法事といってもいたって簡単なもので、次世代の僕たち兄弟とその連れ合いの家族だけ。総勢10名といったところ。法要のあとの食事はひさびさに洋食屋でコースを食べた。古くからある洋食屋でコースもどうしてナカナカのもの。ビールとワインも入って運転者と子ども以外は満腹状態。帰宅してしばらく歓談の後、小一時間寝た。◎それに加えて2月11日は亡き母の孫、つまり僕の長男の誕生日なので、これも一緒にやってしまおうという豪華版。五目寿司とから揚げ、ケーキというシンプルなメニューだが、みんな食うわ食うわで、昼のコースで満腹だったのがまるで昨日のことのよう。おまけに昼間飲めなかった運転者が「今度はオレの番」とばかりに痛飲。ケーキを食べようというころには半数が出来上がっていました。◎「食が基本」で、まず法事の後の食事をどうするか決定する。坊さんのお経などは取ってつけたような感じで、あれこれガヤガヤやりながら鱈腹食い、プラス飲む。ガヤガヤの中に死んだおふくろの思い出話の一つも入っていれば立派な供養、というところか。◎それにしても胃袋とカロリーには少々キツい一日だったが、家族で飲み食いするのはなんとも楽しい。これから結婚して家庭を持つ子どもたちや大きくなっていく孫たちが、この雰囲気を記憶のどこかにとどめていてくれたら、言うことはない。というわけで今日はひさびさ&ダブルの「ごちそうさま」でした。おっと、「後片付け」のコールが…!
2007年02月11日
コメント(0)
*父母がもういない実家(弟夫婦が住んでいる)から、ダンボール箱が10個ほど送られてきたという話はどこかで書いたかもしれない。そのうちの半分くらいはいまだに未開封のままなのだが、先日一つ開けてみて驚いた。一見、別の人の持ち物という感覚なのだ。記憶をたどっていくとどこかに存在理由が見つかるもの、いまなお「何かの間違いでここにあるのでは」というもの等々。箱の8割は本で、残りはノートなのだが。*中でも記憶がまったくないのが「日本料理・庖丁への道」と「写真でわかる料理シリーズ・日本料理」、「初歩の茶道」の3冊。例によって気まぐれに神田あたりで買い求め、そのまましまいこんでいたものなのだろう。最初のが昭和43年、次のが昭和37年、最後のが昭和40年発行で、どれもカバーなどかなりくたびれている。*読み返して(?)特に面白かったのが「日本料理」で、土井勝著・鎌倉書房刊。日本料理というタイトルも昨今の書店では死語に近いほど見かけなくなってしまったが、そのワケのひとつがここにあると思う。手間なのだ。手続きなのだ。さる料理研究家が「ちゃんとした和食が一番高い」と言っていたように、手間プラス食材、そして世代の育ち方と生活の仕方を考え合わせると、この本はあたかも前世紀の遺物かとすら思える。*「圧力鍋」が欲しいと思っているが、同時にこの本の中のいくつかを(簡単なものだが)、自分のレシピに取り入れて定番化したいとひそかにたくらんでいる。暴挙(?)の経過はそのうちこの場で公開してみたい。
2007年02月06日
コメント(0)
まず注文に行った女房が肉屋に電話した。「××日にしゃぶしゃぶ用の肉を注文した○○ですが…」と事情を説明した。肉屋のオヤジはもう仕事は終えて一杯やってたらしく、いかにも大儀そうに「え~、もうなんにも残ってないんだよ」と適当にあしらう姿勢。それを聞いた息子が電話を取って激怒「ふざけてるんじゃねーぞ、なんとかしろよ。同業者からだっていい、冷蔵庫に残ってんだろ、そん中からしゃぶしゃぶ用の肉切ってもってこい!」とかなりの迫力。それに対する肉屋のオヤジの返答がまたおかしい。シブシブ「注文を受けて取りに来ていないしゃぶしゃぶ用の肉が1キロある。それで勘弁してもらえないか」というもので、聞くところによるとその肉の注文者は連絡先も何も言わなかったそうなのだ。こっちもあと肉を入れればいいところまできていてしかも腹ペコ。ちょっとしたやり取りの末、それで手を打つことにした。10分後肉屋のオヤジ、件の肉をもって作業着で現れる。ちょっとモメたところではあるが、とりあえずすき焼き用の肉を1キロ返し、オヤジが持ってきた肉を受け取った。かくしてしゃぶしゃぶの始まり始まり、となったわけだ。この肉がまたすごくて、我が家の注文品より数段上と見た。そして残ったすき焼き用もやや厚めとはいえ、十分にしゃぶしゃぶでOKだった。多分1キロで1万円はするような肉の注文を、名前だけを聞いて受けてしまうことと、我が家の肉の注文を、名前と日付だけノートに書き込んであとは記憶しだいで処理してしまうこととは根っこは同じ。どんぶり勘定なんだな。普段はそれでもいいのかもしれないし、ほかのやりかたではダメなのかもしれない。「大事件」とは少々吹いてしまったが、あの時の状況を考えるとそう呼ぶことに、さして違和感はない。今年も同じ肉屋で注文するつもりだ。ただし、しっかりと注文内容を確認させた上で。
2007年01月31日
コメント(1)
毎年我が家の大晦日の夕食はしゃぶしゃぶ。もう10数年来の行事となっています。去年の大晦日。野菜類・マロニーちゃん(これ大好き)・タレ・薬味・うどん・ご飯・おもち等々準備OK。土鍋にお湯をグラグラ沸かしてみんなでテーブルを囲み、肉の包みを開けたと思ってください。この肉、1週間前にいつもの肉屋さん(近所では一番だと評価している)に注文したもので、毎年やってるように、夕方5時ごろ取りに行ってきたもの。さて、包みを開けてみるとなんと「すき焼き用の肉」だったんです。3kg。脂身の固まりがちゃんと1kg包みにひとつずつ入っていました。時に大晦日の夜の7時半過ぎ。で、どうしたのかというと……。スミマセン!外出の時間なんで、次につなぎます。
2007年01月30日
コメント(0)
☆なんだか、変。「文字を書くことが好き」で、それを仕事にしてきた。当然、紙や筆記用具にも結構ウルサく、「こういうときはこれを使う」というスタンスをかえることはほとんどなかった。(より使い勝手がいいものがあったときのみ変えるという意味です。)☆何を言いたいのかというと、約2週間の「長いお休み」の間に、ブログに対する意欲がどこかに蒸発してしまったみたいなのだ。いや、それは正確な表現ではないな。書くネタは山ほどたまっている。どういう角度で斬ったらいいかの腹案も十分ためこんでいる。にもかかわらず気が乗らない。こんなことは今までになかった。原因はおそらく「機種変更」だ。☆新年早々、6年間使ってきたノートパソコンをデスクトップに変えた。ついでにOSも。すると用紙や筆記用具がまるで違うものになってしまったような感覚で、ひとつの文章を追い続けることができないのだ。キーボードにも、液晶モニタの角度にも、そしてOSの操作性にも原因の一端が潜んでいそうな気がする。それらのトータルな結果がこの「ブログ倦怠期」なのかもしれない。☆MIXIも含めて全部で5本のブログをやっている。テーマや意図するところはそれぞれ異なっており、頻度もかなり違うのだが、その中でも毎日の食生活を題材にした「楽天」はもっとも書きやすいサイトのはずなのだ。にもかかわらず、2週間以上も手につかない。ま、毎日使うことで慣れるでしょ。あせらず自然に書けるようになるのを待つしか「倦怠期」を脱する手立てはなさそうだ。☆そういえばこんな時はこれを食べるといい、っていうのがあったっけ。「倦怠期」はこれを食べて「ごちそうさま」と乗り切る。なんだと思います? それはね………「倦怠期フライドチキン」。☆間隔が長くなりそうですが、本年もよろしくお願いします。
2007年01月15日
コメント(1)
毎年同じような、そして同じようでありながら微妙に少しずつ違った年の瀬を迎えました。栗きんとんは昨日のうちに完成させ、今日は午後からおせちの煮物関係に移ります。午後4時の段階で下ごしらえはほぼ完了。あとは煮炊きするだけとなっています。恒例の大晦日の夕食は、我が家ではしゃぶしゃぶと決まっています。これを食べに子供の友人とかが突然増えるので、肉もかなり多めに用意しておかなくてはなりません。あと1~2時間したら肉屋さんにとりに行くことになるでしょう。年賀状もバタバタと発送し、掃除もサクッと済ませました。ちなみに、いつもの初詣は今年はおやすみ。かみさんが少々風邪気味なので取りやめとしました。たくさんの「ごちそうさま」を言い、かつ聞いてきました。このブログのスタートから半年あまりですが、やっとこさっとこ3000アクセスを越えることもできました。訪問してくれた、読んでくれた、コメントを残してくれたすべての訪問者にこの間のお礼をいいます。そして来る2007年もさらにたくさんの人たちと交流を深められればと、願ってやみません。ありがとう。そしてGOOD LUCK!
2006年12月31日
コメント(1)
能書きの一品足りぬおせちかなこれ、僕が作った唯一の俳句です。義父は昔、寿司屋をやっていたこともあって、それは能書きの、殊に和食系にはウルサい人だった。遊びに行って出前の寿司をご馳走になったときなど、決まって同じような「ご説明」を聞かされたものだ。おせち料理に関しても例外ではなく、幾品かは自分で作った。中でも栗きんとんはピカいちで、年明けの2日の集まりには必ず主役級で登場したものだった。義父の訃報を受けたのは暮れも押し迫ろうというころで、くしくもその年はおせちの前に「お清め」の料理を食べるための親族会となってしまった。そのとき、僕と女房はある約束をした。義父が作っていた「栗きんとん」は来年から僕たち夫婦で作ろう、というのがその約束だ。レシピが残っているわけではないので、あちこちで出来合いを買って試したり、本をあさったりしての試行錯誤の末なんとか3年目くらいには遜色なく食べられるものが完成した。やっと作れるようになったら新年会はすでになく、約束の栗きんとんは現在我が家の定番となって食卓をにぎわしている。もうすぐ13回忌を迎えるが、暮れに女房と二人で栗きんとんを作っているとなんだか義父が「そんな裏ごしのしかたじゃ、うまいのはできないぞ」とあの口調で叱咤しているような気がしてならない。僕は子供たちに能書きをたれる趣味はない。しかし栗きんとんが入った重箱をみんなで囲んでいる時、ふと義父のことが思い出されて、同時にできたのが冒頭の一句なのです。能書きの一品足りぬおせちかな
2006年12月23日
コメント(0)
☆今晩我が家では、一足早くクリスマス会を開催します。といってもいつもの顔ぶれプラスせいぜい2人だけど。みんなのスケジュールをすり合わせたら自動的に今夜になった。☆メニューはもう決まっていて、ケーキ、手巻き寿司、春巻き、煮豚と煮卵、そんなとこかな。それにしてもこうやってリストアップすると面白い。日本の食生活のバラエティというか、いい加減さみたいなのがモロに文字で見せ付けられるみたい。☆時間がかかる煮豚は昼間のうちに僕が作っておく。出来上がったあと、しばらく放置しておくつもり。手巻きすしと春巻きの材料は奥さんが帰りに買ってきて、一緒に作る。事前、事後ともにバタバタする一日だが、みんな集まっての飲み食いは何物にも代えがたい。大変なことは大変だけど、いつまでこうやって集まれるかもわからないしね。さて、いい「ごちそうさま」が聞けるかな。
2006年12月22日
コメント(0)
ちょっとばっかし今風の見出しでスタートしましたが、愛嬌です。なんと言うことはない、ず~とやってること。名前のつけかたで惑わされてはイケマセン。◎北海道から届いた鮭を焼いてほぐしたものを、ご飯の上にタップリ乗せて海苔を散らします。これで一品。あとクリームシチュウで一品。大根の漬物、これが夕食のすべてです。◎鮭は北海道の友人から。海苔、大根、にんじん、じゃがいも、鶏肉、シチュウのルー、お米は全部東都生協の供給品。牛乳はバタバタとコンビニで仕入れて、食後の甘味は駅の近くの和菓子屋で購入。この構成比率は我が家のほぼ標準(ちょっとだけ生協の比率が多いが)っていう感じかな。◎そして、そして今朝は鮭と明太子の小ぶりのおにぎりを1個ずつ&ホットコーヒー。久々の朝の米粒でした。昼はゆうべの残り物のシチュウにトースト&ホットコーヒーで行きたいと思ってます。◎いちいちどうのこうのと言うほどのことはない、まったりと流れる日常。流されているのかと問われると答えようもない。逆らっているのかと問われると、これまた同様で、逆らうモチベーションさえどこにあるのかわからない。食べ物のことを飽きもせず書き綴る、これは僕の「徒然草」なのだろうか。◎なんだか「ごちそうさま」を言う元気も薄れてきた。
2006年12月13日
コメント(1)
*毎年この季節になると楽しみがいくつか増える。中でも最大級の楽しみは、北海道は標津の友人から贈られてくる鮭だ。中旬になると決まってかなりでかいのが2匹届く。これを届いた日のうちにさばいて切り身にする。これも僕の年中行事となってしまった。遠方の友人からの、年に一度の便り。暖かさとおいしさが同時に届く。*最初のころは、どこから手をつけていいのかサッパリわからず、オッカナビックリの解体だった。が、10年以上も毎年やってるともう慣れたもの。我が家の貧弱な道具でもコツさえつかめばぜんぜん問題なしです。3枚におろして切り身にし、それを五つくらいずつまとめてジップロックに入れ、冷凍庫にすばやく格納してしまう。*切り身のセレクトにもれた部分は、そのあとすぐに焼いてほぐし、どんぶりに取る。焼きあがった中落ちの、背骨にくっついた部分をはしでこそげ落としながら、時折口に放り込む瞬間は格別だ。*心から「ありがとう」。そして心から「ごちそうさま」。厳冬を迎える標津の友へ、そう言いたい。
2006年12月11日
コメント(1)
●夕刊紙「日刊ゲンダイ」に面白い記事が出ていたので紹介します。僕はこれを読んで、「家で食べる食事はなぜおいしいのか」に対する重要な解答のひとつを学んだ気がしました。むずかしい医学的な言葉はよくわからないのですが。●まず「トランス型脂肪酸」。これは植物油に水素を添加してマーガリンやショートニングを作るときに生まれるものだそうで、マーガリンがこの世に出現した1911年以前には、人はこれをまったく摂取していなかった。●自然界にほとんど存在しないこの脂肪酸は、悪玉のLDLコレステロール値を高め、善玉コレステロール値を下げる。つまり血液中のコレステロール数値を非常に悪くするように働く。また、心筋梗塞や脳卒中の引き金になる物質の血中値を高める。これだけ悪い働きをする脂肪酸はほかにないそうです。この辺はざっと予備的な知識として、読み流してください。●僕が重要だと考えるポイントはここから。多くの研究者によってその害が警告されてきたにもかかわらず、ショートニングの使用量は増え続けているという。ほとんどの消費者がそのことに気づかないのはショートニングが家庭で使われるものでないことによる。●クッキーやスナック菓子、大量生産されるケーキ類に使われている、このショートニングは「家庭で料理に割く時間を短縮させてくれる、新しいタイプの加工食品や調理済み食品など、便利な食品の出現で消費量が増加」している。現在のアメリカの調査では一人当たり一日10数グラム消費しているらしい。●環境汚染物質や食品添加物とはケタ違いの量を、毎日摂取していることになる。それは、心臓血管障害だけでなく、糖尿病のリスクも高めるが、「1960年代に行われた世界7カ国の食事の調査では、日本とギリシャはトランス型脂肪酸の摂取量はゼロだった」そうで、その2カ国がもっとも健康度が高く、冠状動脈性心臓病による死亡率はもっとも低かったらしい。筆者はこう結んでいる。「40年前の食事に戻るのは難しいとしても、便利な食品への依存度を下げるべきだろう。」●引用した記事は、丸元淑生「短命の食事・長命の食事」という連載記事(木曜掲載)で「加工・調理済み食品が命を縮めるワケ」というタイトルです。(12月1日号)。●自分の食生活を点検してみたい、と感じるとともに、「家庭で材料を調理して食事を作る」ことの重要さを強く感じたのですが、いかがでしょうか。
2006年12月01日
コメント(0)
◎生タイプ・鍋焼カレーうどん。これがけっこうイケる。なんと言っても99円だからね。値段を考えれば相当ヤバイものを食わされても「ま、しょうがないか」くらいで済ますつもりだった。それが大違い、うれしい誤算×2くらい。◎今までにも、冷凍コロッケとかスグレモノ見つけたけど久々の発見です。99SHOPは、ドリップ・コーヒーを買いに行ったんだけどあいにく品切れ。あちこち見回しているとこれがあったのだ。コストパフォーマンス文句なし。冷凍のバラ肉とか長ネギでも投入して、それで味が薄ければカレー・フレークでも足して、今度もう一度試食してみたいと思ってる。◎そりゃ1000円近く出して、交通費使って遠方まで食べにいく、専門店に比べればいろいろ出てくるでしょう。でも、チャリで2分、往復4分で買ってきて、同じくらいあればアツアツが食べられて、しかも99円。スープ、うどんもマズマズ。ここは素直にいい評価をすべきでしょう。いくつかストックしておけば、これからの季節、外に出ないでなんとかなる、これは大きい。
2006年11月23日
コメント(0)
ピラフ&味噌チゲスープ&ワインで満腹久々に家族3人の食事を作った。寒い・買い物面倒・金かかるので例によって残り物整理のココロ。冷ご飯、くず野菜、冷凍食品庫の残りで何を作るか。これはもうクリエイティブな作業というほかはない。しかも冷蔵庫を開けるやいなや、瞬時にして思いつくのだからス、スゴイ!ひょっとして僕って…。ご飯はオムライスと思ったんですが、卵の数が足りず断念。くず野菜のピーマンとたまねぎの使いかけプラスアルファを使ったピラフに切り替えました。「スープっけがほしい」と思って探したら東都生協の冷凍食品「肉団子とすり身の味噌チゲスープ」発見。これに先日やった鍋の残り白菜と春菊を足してと。あ、冷たいサラダ風があるとベターか、っていうわけでキャベツときゅうり、シーチキンで一品。完成したのが3品構成の夕飯3人前。最近よく飲む白ワインを(僕と奥さんだけ)グラス1杯ずつ注いで、煮豆や佃煮、お土産にもらった明太子を並べればもう豪華版ディナーになっちゃいます。家で食べる時はこの小物が重要なんです。お店でサイド・オーダーしようにも無理なものばっかり。このアナーキーな(笑)ところが日常的な家庭料理の醍醐味でしょう。食後は熱い濃い目のほうじ茶とシュークリームを食べて、いい気持ち。ちょっと眠くなってきました。自分で作って自分で「ごっちゃんでした」これもまたいい。
2006年11月22日
コメント(0)
●ビートたけし(今はこう呼ばない?)の食べ物に対する反応にとても好感を持っている。「ナントカ教育委員会」なんかを見ていると思わず「いいな」と思ってしまう。どこがいいのか。それは「恥の感覚」をなくしていないところだろう。「おいらみたいな芸人が、エラそうに食べ物のことを…」と考えているかどうかはわからないが、少なくとも僕にはそう見える。小さな声で「ウン、うまいな」とか「贅沢だな」くらいしか言わない。そこに魅力を感じる。●グルメ本というのは多分世界地図みたいなものなのだろう。それを見て(読んで)未知の場所(食べ物)に思いを馳せる。ちょっとだけ行ったことがある国(お店)が出てくると「そうそう、あそこ行ったんだよね」とうれしくなり、知らない所が出てくると、知っていることを出発点にして想像を巡らせる。「自分が食べたことのある、これに近いのかな」などと類推したりするのは楽しい。●業界で仕事をしていない限り、いや、していても全国をくまなく食べ歩くなんてことはまず不可能。旅行に行っても、予算の関係や日程でお目当てのものをひとつふたつ体験できれば上乗だろう。そんな僕たちにとってグルメ本は「夢のカタログ」みたいな存在なのかもしれない。●友竹正則『いい味 いい旅 あまたたび』(六興出版・昭和61年)はそんな意味でも僕の好きな一冊だ。ネットでの「おとり寄せ」なんて夢だった時代、今から20年も前にTV番組で、日本中を食べ歩いた体験を元に綴ったものだ。そして、ただ単に食べ物だけでなくそれに関連した「日本の言葉や伝統」みたいなところにまで興味を抱き、謙虚な視線を当てているのが何より興味深い。ところどころにやや強引な語呂合わせや、僕から見ればちょっと寒い駄洒落も入っている。また、日本語でありながら意味不明な言葉(教養出しすぎ?)も使われているが、そこが特長といえば特長なのだ。●食べ物を語るということは、かくも大変なことなのか、と感じ入る。なにしろ中学生くらいの女の子が「ねえねえ、この店の××オススメよ、絶品だから」とのたまう昨今だ。それがいいことなのかどうかは僕にはわからないが、どっちかといえば「バカヤロー、このガキが!」と思う世代に属していることは確実なのだから。
2006年11月20日
コメント(1)
キンレイのチゲ鍋うどん*これからのシーズンはこれがいいな。コンビニがすぐそばにあるので、迷ったときは即決定です。500円でおつりがくる。後片付けなしでしかも冷ご飯が処分できる。(なんだか宣伝風になってるけど、ここは僕にとって重要)*昼時になると、冷蔵庫をあけてしばし考えます。近くの外食には気になるものがないので、よほどのことがない限り食べにでません。で、ハムエッグ作ってご飯チンして、インスタント味噌汁作って…などと迷うのですが、問題は後片付け。今挙げただけでも、フライパン、小鉢などなど、洗い物はけっこう出ちゃいますよね。これがいやなんです。冷ご飯でチャーハン作ってもやはりそこは免れない。*前夜のナベの残りかなんかあるといいんだけれど、そういつもあるもんじゃありません。そんな時すぐに降りていってコンビニでこれを購入。同じ冷凍関係のガラスの扉には鍋焼きうどんとかチャンポンとか数種類あるのですが、買わない。先入観かもしれないけど、冷凍のエビフライはいやなんです。辛い系は好きだし。*火にかけて5~6分ってとこかな、気が向くと卵とか残り物なんかも一緒に入れ、ご飯は温めないまま投入しちゃう。ただし量に注意。そんなこんなで「ごちそうさま」が言えてしまう、チゲ鍋うどんはすぐれものなのです。かなり、かなり所帯じみていてすみません。
2006年11月19日
コメント(0)
●ちょっと離れていました。没頭(というほどでもないんですが)していることがあって、ついついそっちのほうへ行ってしまう日々が続いています。集中しているのはコレ→http://ameblo.jp/room9-2bed/●僕の場合、海外に行ったりすると決まって懐かしくなる味があるんです。それはすりおろした生姜を醤油に溶いた味。あまり最近では出かけませんが、日本にいてもそれは変わらず、定期的にそれに合ったものを探して食べます。あるいは合わなくても強引に。「どこが?」と聞かれると自分でもうまく説明できないんです。生い立ちとか生活環境とかで、特にその味と関連深いものは見つからないし、「とにかくそうなんだよ」としか言いようがないんです。●僕の場合、長く旅行をするからといって自分好みのものを持参することは、一切しませんでした。どこへ行こうがその場所のものを食べる、適合できると自信をもっていたので。同行する人間が梅干だの調味料だの持ってきたのを見て、えらそうに批判したりしたことも何度か。でも、その自信がモロくも崩れ去ったのがなんと(自分的にはなんと、なのです)中国に20日くらいいたときのことです。●僕の場合、ものすごいショックでした。「こうなってしまうもんなんだな」と自分の弱点みたいなものを痛感しました。それは「におい」なんです。八角を中心にした香辛料のにおい。これにやられました。どこへ行っても付きまとってくるあのにおい。旅の半ばでやられてからというもの、3度の食事も「またか」が先にたってかなりヤバく、これは帰国するまで継続しました。「自信」はぐしゃぐしゃです。最後に西安でフランス料理を食べたときのあの感動は、筆舌に尽くせません。●それとコーヒー。かなり前のことなので最近行った人は「?」でしょうが、当時はコーヒーを食後に飲むことはほぼ不可能でした。もちろん僕の情報不足や勉強不足だったかもしれなくて、行くところに行けば飲めたのかも知れないのですが。で、コーヒーへの思い断ちがたく、北京にいたとき人づてに探したらありました。なんと、バルコニーでナマの弦楽4重奏なんかをやっている、大理石造りのホテルのロビー風カフェ。「これは500ヘェー」くらいの驚きでもあり、「なるほどね」でもあったのをよく覚えています。●なんだか話が昔の中国旅行へと傾いてしまいましたが、テーマの「生姜醤油」がそれほどまでに自分の「好みの味」だということを言いたかったので、ご容赦願います。
2006年11月15日
コメント(1)
NHKの特集でダイエー(スーパー)の経営テコ入れを話題にしていた。イーオンと丸紅がかなり力をいれて、やれ新商品の開発だとか流通・販売システムだとかをテコ入れする…みたいな話だった。でも、近いのでよく行くマルエツを見てる限り、丸紅もイーオンも実態がわかってねー、とおもうよ。マルエツはそれでいいの、みたいな考えだったら大間違いだぞ。今日なんか開店間もない時間に行ったら、店長がドライバー持って入り口のわきの壁をガリガリやってる。ちょっと立ち止まって見てたら、目地のところに汚れがたまっているみたいで、それを落としているところだったようだ。が、そんなことやってんだったら他に注意しなくちゃならないとこたくさんあるだろー、って言いたいくらい店長がなんにも見てない気がするんだ、あの店は。肉売り場にスペアリブ置いてない。店員に商品のある場所を聞いてもわからず、こっちと一緒に探している始末。スラリと「あそこです」の答えを聞いたのって数えるほどしかない。天井からぶらさがっている島ごとの商品分類が不明瞭で(これは他店でも見られる)、ほしい品物がどの場所にあるのかを見当つけにくい。この間なんか昼時だというのにレジが二つしか動いていなくて、当然長い列ができる。僕が並んでいるレジの係りがマイクで「ヘルプお願いしまーす」みたいなアナウンスをするが、3度呼んでもだれも出てこない。「マイク貸せ!俺が呼んでやる」ってもう少しでキレて言いそうだった。売れ筋みたいな予測もぜんぜんダメみたい。友人の奥さんがピッキングの仕事をしてたのでよく話を聞いたが、たとえばテレビで「こんにゃくが体にいい」という特集をやった翌日からはこんにゃくを何割多く仕入れる、とかいういわばマーケティング。近所にある小学校が明日は運動会だからこれこれの商品がいつもより多く出る、的なことは誰がやるのか知らないが、とにかくまったく対応できてない。天気予報とか地域のイベント、他店の動向、果てはテレビ番組までチェックしとかないと、やっていけないなんて考えてもみないのだろうか。早々と売れてしまった商品があった場所も、ポッカリとそのまま放置してあることが多い。「目が利く」という言葉があるが店長はぬかりなくそのあたりをチェックしつつ、自分でガリガリなんかやらないで適宜指示を出せばいいのではないか。まだまだある。思い出すのが面倒なくらい記憶に残るダメがあるが、面倒なのでやめる。とにかくまず、その辺を根本的に是正しなければどんな新商品も経営建て直しの推進力にはならないだろう。ブック・オフみたいに気が付くパートさんでも教育して店長に格上げしたほうが、よほど顧客満足度を高めるとは、考えないのだろうか。つぶしちゃえよ、ほかにいくらでも店はあるんだから。
2006年10月31日
コメント(1)
今夜はシーフード・カレーだったけど、昨日はなんと「鯛めし」。鯛の焼き物とか、それを利用した吸い物、刺身とかは経験あるんですが、「鯛めし」はテレビでしか見たことがない私でした。ひょんなことから入手した鯛の開き&カマ。見た瞬間から「これは鯛めしだ」と固く心に決めていました。でも作ったことない。インターネットで検索してみたら、な、な、なんと結構な量の情報が飛び込んできたのにビックリ。迷っていても仕方ないから一番最初に出てきた記事をプリントした。「なーるほど、検索エンジン上位が有利ってこういうことか」、と変な想像をして妙に納得。生協のジャガイモがだぶついているので、付け合せに肉じゃがを大量に作った。プリントしたレシピには「薄口醤油」とか書いてあったけど気にしない。濃い口をちょっと少なめに。そのせいで醤油の色がちょっとばかりキツイ鯛めしが炊き上がった。鯛の身をほぐしながら、目玉はもうパックリ僕の口の中に。こういうのって娘や女房は食べないんだよね。ツルン、カリカリみたいなのがなんともいえず、いい。なんの予定もなかったので、ワインなんかも行っちゃった。食べ終わったらテレビ観るのもかったるくて、そのままソファで熟睡。気がついたら深夜で、片付け物は翌日送りに。「ごちそうさま」はボーっとしていて言わなかった。肉じゃが大好きなので、翌日(つまり今日)の朝食はコーヒーと肉じゃがで我慢、というより積極的に。しかし、テレビのグルメ番組で見たような鯛めし、食べてみたいな、心からそう思いました。
2006年10月31日
コメント(0)
「いい味出してる」ひとことが聞きたいな●「おそうざいふう外国料理」という本を紹介したときにちょっとだけ触れたんですが、結婚したときに奥様が持ってきた料理本の量はすごかった。でも、ジャンルとしては、ほとんどが「料理法」の本。つまりお料理を作るために買った本。それはそれで(特に最近の僕にとって)重要な存在なのだが、僕が持ってるのは99%「食べること関連本」。日常的に家で食べることに、ほとんど役に立たない本といってもいい。●中でも大事にしているのが(これまた多いのだが)池波正太郎「散歩のとき何か食べたくなって」、牧洋子「おかず噺」、渡辺文雄「味な旅があるものだ」、友竹正則「いい味 いい旅 あまたたび」など。特に渡辺文雄と友竹正則はず~っと以前、テレビのグルメ番組のはしりともいえる番組に出演していたから、記憶のすみに残っている方がいるかもしれない。●二人の著者が本を上梓したきっかけは、番組制作で全国を食べ歩いたこと。これはまちがいない。しかし、以降何代も続いている同番組のキャラクターとあきらかに違う点がいくつもある。それは一言でいえば「造詣の深さ」だ。食べ物自体に対することはもとより、その他もろもろのジャンルについてのデータベースの量やそれを表現する「言葉に対する心構え」が違う。●単にどこそこで何々を食べた、だったら臨場感はあるかもしれないが「お取り寄せ」番組とそう変わらない。僕が見たい・聞きたいのはガキの「ウンメーーーッ!」ではないし、面白おかしく見せる「料理ショー」でもない。もっと味わいのあるひとことが聞きたいのだ。とはいってもそんなものはどこを探したって見つかるわけがない。なにしろテレビがまだ「発展途上」だったころの「忘れ物」を捜しているのだから。<この項目の続きはまた後日>
2006年10月28日
コメント(1)
●昼飯と晩飯です。昼は所属しているヘルパー事務所のミーティングで。本日の飯作り担当は元プロ。その手になる餃子は焼きあがりの並びがきれいなだけでなく、表面のこげ具合がもう絶妙。さっすがーという出来ばえで、なんと30個くらい食べちゃった。ごっちゃんです!●いつもよりやや遅めの晩御飯は、今シーズン初の寄せ鍋。肉団子つくって入れました。これがまた進むのなんのって、軽い白ワインをグラスたっぷり一杯と合わせてもうまいうー状態。おまけにデザートに食べた「フロマージュ・ダブル」が利いていて、午前1時近くなってもまだおなかのあたりが重たい。今日はバタバタあわただしく過ぎてしまったけど、その割には得るものがない一日だったけど、お食事の方は滅多にない満足度でした。ごちそうさま!心の底から。●なべの残りがね、まだあるの。明日のお昼はあれでうどん行っちゃおうかな。なんてはやすでに、想念は明日の昼食に。
2006年10月23日
コメント(2)
●「大食い」といっても、テレビのなんとかチャンピオンに登場するようなのをイメージされると困るんですけど。「大食い」は誇張した表現かもしれないが、たとえばこんなこと。中華でもフレンチでも、コース(食い放題とかではなく通常の)を食べにいったとき、一人前とされる量を過不足なく食せる、という程度の意味です。プラス「これイヤ」とかが極力ないほうがいい。デザートも含めて。当たり前のように思われるかもしれないが、けっこう難しい注文なんですね、これが。どこに行っても僕と同じ様な感じで、同じような食事ができること。これにまさる相性はないだろうと、若いころから思ってました。今も変わりません。●何に重きを置くか、これはひとそれぞれで、別のペアーがまったく違うことを基準に「相性」を考えていてもべつにゼンゼン構わない、気にならない。「勝手にやれば」てなもんです。「おしゃべりな」というのもこれまた基準がムズカシイ。寡黙でひっそりした人が好みだ、という御仁はそれでいいのですが、僕的には「抽象的な内容のおしゃべり(要するに雑談がかみあう)」が次から次に出てくる、そんな女が好みです。微妙なところですが、なんだかわからないがとにかくこの人と話していると時間が経ってしまう、みたいなのがいい。結局「相性がいい」という言葉で片付けられてしまうわけですが、そういう相手なら、別の方の相性も絶対に、いい。これマジで信じています。●付き合ってたころ、僕が500gのステーキとか注文すると、ほとんど同じレベルの注文してたから、やはり「大食い」の部類に入るってことかな。「久しぶりに浅草にでも行ってみるか」ということで家をでるとき、「昼はあのあたりかな、夜までいるとしたら夕食はあそこかな」と考える。「買い物に行く」ということの半分は、なにか食うことだから。何も買わなくても飯だけは食って帰ってくる。出かけるキモはそこだから。で実際にその時間帯になって、どこで食おうかとなる時、向こうもほぼ(ここが重要)同じ腹案をもっていたのがわかる。そのあたりは、やはり相性としか言いようがないのかも。●話の行きがかり上、とんだ方向にずれてしまいました。ご容赦のほどを。
2006年10月22日
コメント(0)
「一番最近」どころか、たった今食べ終わったところ。タバコをすうために自室にきています。一月ぶりくらいかな、朝に米粒食べたの。納豆、豆腐と若芽の味噌汁、ウインナエッグで一膳。そしてお約束のコーヒー。いまマグの中で半分ほど残って湯気を立てています。おいしかったのだけど、ちょっと重いかな。食べたあとあんまり動きたくない感じで、1時間くらいはこの余韻を楽しんでいたいような気持ちです。こういうのって、いくら週休5日のぼくでも、日曜日で周囲がゆったりした日でないと不可能。昨夜は、夕食の支度にかかろうかというときに電話が入り「いまから行ってもいい?」と息子から。ちゃんと心得ていて、幼児のかわいい声が「○○でーす。遊びに行くよ」とのフォロー。こちらの抵抗を圧倒的な力で吹き飛ばしてしまいます。「うん、おいで。待ってるからね」と、そのあとが大変。セットした炊飯器を解除するやら出した食材を元にもどすやら。それに財布の残高。「あんた今いくら持ってる?」等のやりとりがあって、外食に決定。予算との関係で「久々のサイゼリア」へ。大人5人、子供2人の外食でした。6歳の女の子がステーキ一人前食べるんですから、もう大変。お泊りした息子家族がもうすぐ、起きてきます。なんでもないような食事を何事もなかったように家族で囲む。日々是好日。
2006年10月22日
コメント(0)
![]()
●先日ちょっと触れた料理の本「おそうざいふう外国料理」の紹介です。この本は僕の料理を<作る>ことにかんしての師匠であり、単に作るだけではなく、料理するにあたっての「素養」とでもいうのかな、そういうものを学んだ、一番大切に、しかも有効に使っている本なのです。●もともとは、結婚したとき女房が持ってきたものすごい量の料理本の中の一冊でした。昭和48年発行の第3刷。当時の定価は1800円。驚嘆すべきはまず造本の堅牢なこと。30年以上も使っているのに表紙はガッシリとしたまま、本文もほとんど乱れを見せていません。それから外見ですがタータンチェックの、しゃれていてしかも軽くない(本自体も軽くないのですが)、好感がもてるデザインです。●物理的な面を最初に出してしまいましたが、これはいわば序章。それまで、基本的な知識など関係なしに、その場あたりで食べたいものを好きなようにつくっていた僕が感銘を受けたのは、まず最初の「料理をはじめる前に」という3ページの注意書きです。ガツーンときましたね。こんな風に書かれた料理の本は見たことがなかった。料理することの深遠な部分を、サラリと箇条書きで受け入れやすく表現してあるのです。知っている人にはどうということのない「常識」なのかもしれませんが、僕にとってはかなりショックを受けるほど新鮮で未知の分野だった。●この本で覚えて我が家の定番となった料理は20を越えています。思い出したように本を開いて作るものもかなりあります。が、なぜこの料理本を大切にするかというと、まず作り方に対するキメの細かい指示です。知らない名前の料理でも、まず間違いなくゴールに到達できる。それも迷わず、疑問をもたずに。●それから可読性。タイトル(料理の名前)、写真、手順以外の邪魔なだけのデザインは一切排除してあるという点です。これもすばらしい。以降さまざまな料理関係の本を買い求めたが、いまのところこの「おそいざいふう外国料理」を超える存在には遭遇していません。●監修というのかな、アドバイザーというのかな、ともかくそういう立場から制作に協力した人の名前が3人掲載されていますが、みんなその世界の重鎮ばかりです。それでも決してむずかしくなっていない。どちらかというと、母親が子供に料理のいろはを教える、そんなスタンスだと受け取っています。●子供の代になっても、きっと使える料理の本だと思います。
2006年10月19日
コメント(0)
「一番最近の」ではなくてちょっと前の…ですが。2ヵ月に1回くらいの割合で「酢豚」を作る。そろそろ酢豚、いいんじゃないの、という感じで。「一番最近の食事」で何度か書きかけたのだけれども、途中で面倒になったりしてUPできなかった。今回ついでにいくつかのレシピを見比べてみたら、けっこう面白い。まず肉。これはもう酢豚っていうくらいだから豚肉に決まってる。それでも薄切り肉を使ったものとか、肉の代用品にカマボコを使ったものもあった。カロリー計算をシビアにやっているんだろうな。それから野菜だけど、同じような感じでいて微妙に違いが出てる。<水が出ない野菜>という点では共通だが、ピーマンは赤いものを指定しているレシピもいくつかあった。甘酸っぱさを補強するためにパイナップルを使うのも、割とポピュラーなのにちょっと驚き。僕の弟の家ではじゃがいもが入っているが、これは本やネットでもほかに出てこなかった。にんじんは入れているのといないのが半々くらい。筍、たまねぎ、しいたけ(入れないレシピもあった)が定番というところか。材料の項目で紹興酒や唐辛子など変り種がいくつか出てきたが、ほとんどが豚肉を揚げる前につける下味の好み。中には黒酢をもちいているレシピもひとつあった。また、僕が最初に料理をやるようになったとき教科書にした『おそうざいふう外国料理・暮しの手帖版』ではグリーンピースも使っていた。家庭料理ではないが、中華のコースで「酢豚でございます」と出てきたのが、皿に真っ黒な肉が二つ乗っているだけ、という経験もある。ちなみに我が家のはパイナップルなし、ピーマンはグリーンだよ、というスタンダードなもの。
2006年10月16日
コメント(1)
●えーと、豚のばら肉をゆでてきゅうりのスライスとレタスの上にのせ、特製タレをかけて食べる。タレは酢、しょうゆ、砂糖、トウバンジャン、ごま油をまぜたものに長ネギ、にんにく、しょうがのみじん切りを入れてかき回したもの。●ギンダラの焼き物。いか、厚揚げ、大根の煮物。おつゆは肉のゆで汁をこして味を整え、長ネギをちらしたもの。あとご飯に漬物。とまあ、そんなところが夕飯のメニュー。大人は男3人、女3人と子供2人。●お酒はそれぞれ勝手に飲む人が好きなものをやり、ガサガサ、バタバタしながらやかましいのなんのって、あっという間に翌日に入ってしまいました。やっぱり場所と人かな。それがあってはじめて「料理」となるんじゃないのかな。そんな気が改めてした昨晩の食事だった。心から「ごちそうさま」。ま、そのあともうひと仕事あるんだけどね。流し山盛りの後片付けが。
2006年10月15日
コメント(0)
本日(10月15日・日曜)付け朝日新聞の別紙「ののちゃんのDO科学」を興味深く読んだ。コーヒーでなぜ目がさえる?という質問に「脳の睡眠スイッチを邪魔するから」との回答が載っていた。これを自分にあてはめると、ちょっとばかり複雑なことになってきそうなのだ。カミさんは夕食後、絶対にコーヒーを口にしない。眠れなくなるからだ。しかし僕はいつでも飲みたいときに淹れて飲む。ブラックで。朝6時に帰宅した時でも、空腹では眠れないタチなので、いつものように何か少し食べる。もちろんコーヒーも飲み、それから爆睡。つまりコーヒーが睡眠スイッチを邪魔していないのだ。もちろん朝だけではなく、昼も夜も。そのかわり、起きているかと思うとウトウトしていたり、変なときに寝てしまってとんでもない時に起きだしてきて仕事したりもする。一時期「ナルコレプシーじゃないの。病院で検査してもらったら」とカミさんに病人扱いされたことがある。今でも言わないだけでそう思っているフシがある。僕の考え方としては、自分はごく健全で「仕事中やマージャンやってる時に眠ってしまったら、それは病気かも。しかしそうではないんだから、人と違ってるからといってそれが病気だなんてとんでもない」というのが持論。仮眠だけで二日間仕事する生活を10年以上もやってると、体内時計が睡眠等を調節するように働いてくれる、と思い込んでいて、そのことで生活にも人間関係にもなんら支障はない。つまり、カフェインの作用と脳の睡眠スイッチとの関係が、新聞の解説とだいぶ異なっているわけだ。世間一般ではその「異なっていること」を病気と呼んでいるのだろうが、「だれでも同じ基準でくくれない要素を最低ひとつくらいはもっている」のだから、僕的には「それじゃ、病気でない人間なんていねーよ」とけつをまくるしかない。「人が病気である」とはいったいなんなのか。「健康である」とはどういうことなのか。ぜーんぜん悩んでない僕でした。
2006年10月15日
コメント(0)
現在午前4時39分。15分前に目がさめてしまった。やたらとナマあくびが出て、頭はボーっとしたまんま。机の上にはお皿、箸、グラス。皿の中には食べ残したご飯と煮物。グラスの中は飲み残しの焼酎ロック。いまはただの水みたいに見える。外も家の中も静かで、空気清浄機の音がいつもよりウルサく感じる。そうだ、3時間前に空腹でへろへろになって帰ってきたんだっけ。腹が減って、眠い。家では言わないけど疲れた。そんな状況で何を優先するかというと、まずメシ。ところがちゃんと何かを食べられる状況ではない。自分も家の中も。音をたてたくないのとカッタルイのとで、あたため等省略。なにか腹に入れなくちゃ眠れない、ということで静かに食器棚からお皿出して、ご飯少々、コロッケ、イカの煮物を一緒盛りにして、うすめの焼酎ロックとともに部屋に。なにはともあれまずパソコンの電源入れる。習慣でそうするだけで、来ているのは9割がどうでもいいメールばっか。画面見つつなにか口に入れ、ロックで流し込んでしまおう作戦だ。一口食べてロックをちびり。砂漠が水を吸い込むようにアルコールが即、効いてくる。10分も経過すると目はうつろ、意識もうろう。倒れこむようにベッドに。約3時間睡眠の習慣は、翌日一日かけて元に戻る。翌日はうとうとしたり、すっきりした気分で動いたり、交互にやりながら体が平常のサイクルを思い出すのを待つ時間帯。これが過ぎないと長時間眠ることはできない。木・金の二日間は2~3時間睡眠、と体が記憶していて今のような感じになる。長くそれをやってると違和感は全然ない。むしろ「ひと仕事やりおえた」との達成感のほうが強く、「しばらくゆっくりできる」との安堵感もある。(ここでまたアクビ2発)。この2日間、なに食ったかな。オフィス・グリコのクッキー。コンビニのあんぱん。ガム、立ち食いソバ、バター&いちごジャムのトースト、ヨーグルト…そんなところか。(またアクビ)あーあ、まともな食事がしたいな。そして「ごちそうさま」って心から言いたいな。もういいや、このくらいでやめちゃおう。で、またベッドにもどろう。
2006年10月13日
コメント(2)
「あなたには<どうでもいいこと>が多すぎる」とは奥様の言葉。それを実感したね。*水曜日のこと。例によって遅い昼飯を食べに外出した。ちょっと考えた末「あ、そうだ確か吉野家で限定の牛丼やってたんじゃ」と思いつき足は吉野家の方に。(この辺もかなりあやしい。日にちをごくいい加減にしか憶えてない)。ドアをあけてカウンターにすわる。壁を見るとデカいポスターが目に入る。ポスターには「牛飯・オーストラリア産牛肉使用」とある。*なるほど、さすが吉野家だな。アメリカ産の牛肉にこだわってるから、オーストラリア産を使っているときは「牛丼」と呼ばずに「牛飯」と呼ぶんだな。などと妙に納得。大盛り・味噌汁・生卵を注文。味噌汁も「うーん、しばらく来てなかったからな。こんな感じだったかな」と思いつつ、完食。お勘定を。*すると、店員に「次回からはあちらの販売機で食券をお求めください」と言われる。「エッ、吉野家って食券買わないんじゃなかったっけ」と、このへんで初めて「なんか違う」と思い始める。で、ドアをあけて外に出て店の外観を見る。その店の看板には「松屋」と書かれていた!!!*松屋の1軒おいて隣が吉野家だったのだ。ああ、それにしても…。思い込むということは…。「ごちそうさま」に変わりはないんだけど、なんか…。トホホ。
2006年10月07日
コメント(1)
スケジュールの関係でぽかっと空いた金曜日。僕にとって宝物だ。雨でも降ったらもう、トホホです。●「今晩おでんにするから、大根ゆでておいて」との携帯へのメール。若い彼女からならいそいそと、妄想をふくらませつつとりかかるのだが、そうはイカキン。こういうの、絶対に奥様から。●9階に住んでて暴風雨だから当然窓は閉め切ってある。換気しても煮物とかやってると、窓が湯気でくもる。夏が去ったばかりのような気がするのだが「ああもうこんな季節なんだな」と実感する。あのくもった窓、またなんともいえなくいい感じ。木曜日に生協から届いた大根をゆで、同じ卵も5個ゆでておいた。●こんにゃく、厚揚げ等々帰り道に買い込んだ奥様、ずぶぬれで帰宅。おでんの完成に向けて夫婦の共同作業が始まったのでした。「なんかツマンネーから焼酎でも飲んじゃお」と僕。グラスのロック1杯でもう出来上がり。コストパフォーマンスに優れたドリンカーなのです。●「雨の日と月曜日は」じゃなくて、金曜日はとってもゲットダウン。でもちょっとだけあたたかな気持ちと季節感を味わった「おでん」でした。今年最初のおでん。ごちそうさま!
2006年10月07日
コメント(1)
新聞を読みながら食事する人、あるいは食事しながら新聞を読む人。どっちも理解に苦しむ(どっちも、ではなく要するに一緒にやる人ということだが)。☆本日、土曜日です。妻君&娘は仕事休みなので、気のせいか特に念入りに新聞と折込広告に目を通している。数々の依存症のことが話題になる昨今だが、あれも依存症のひとつなのだろう。そう考えないと僕としては整理がつかないのだ。小一時間もの間、なにを読んでいるのか。時々食べながら、せっかく淹れたマグのコーヒーは半分ほどそのままに、もう存在すら忘れられているかのようだ。☆ミステリーにのめりこんで、一時も本から目が離せないというのならわかる。でも新聞は、わからない。あんなもの10分もあれば十分でしょうが。特に政治の流れに興味があるとも思えない二人が、どこをどのように読んでいるのか、謎である、というか知る気もない。しかし食い物や飲み物をほったらかしにして、新聞に集中するのは、僕的にいえばおろかな行為なのだ。☆マナーがどうこうは別問題。そもそもそんなマナーを云々するような「品格」は我が家に存在しない。新聞などに夢中になることが問題なのだ。一時期、出勤前のお父さんがそれをやっていて、お母さんに「子供の前で新聞読みながらご飯食べるのやめて」みたいなこといわれるシーンがよく登場したが、最近はどうなんだろうか。勤めていたころにもそんなことやったこともない僕の、妻と娘がそれをやっているというのは、なんともかんとも、解せない。☆新聞は広告を見るために開く。仕事がらみといえばそれまでだが、本体の記事もペラペラとめくって、目に付いた見出しのところを読むだけ。それをずーっとやっているせいで、新内閣の陣容も知らない。そんなお父さんに対し「常識をわきまえない」との讃辞(!?)があるのも当然かも。しかし、しかし、気をつけよう。内閣の布陣をことこまかに知っていることと、政治意識とは別のものなのだ。とまあ、物は言いようということなんだろうな。☆これだけ書き込んで戻ったら、まだ読んでる。信じらんな~い!
2006年10月07日
コメント(0)
雑食の本領■出先で朝飯がバイキングだったりすると、なんだか得したような気になる。水曜の深夜、仕事中のところへ北海道の友人から電話。東京に来てる、明日帰るとのこと。泊まってるホテルに行って積もる話をしました。で、朝。ホテルのバイキング、それもおごりで。ラッキー!てなもんでした。■ずいぶん前のことだけど、北陸に旅行をした。朝ごはんはお部屋で食べ、食後コーヒーが欲しくなったのでロビーの隅にあるコーヒーショップに。ところがやってない。聞くと「開店は○○時で…」みたいな答え。ちょっとキレちゃいました。旅館はそこんところがいやだな。朝寝坊ができないのもいやだけど。■和洋・中華ゴチャ混ぜで、飲み物は水、お茶、牛乳、コーヒー、紅茶、味噌汁なんでもOKというのがいいな。トーストと納豆や卵焼きで漬物も、とかご飯にベーコン乗せたりしてね、そして最後はおかわり自由のコーヒー。なんでいいかというと、家で朝はそんな感じで(そこまでぐちゃぐちゃではないけど)食べてること多いから。それになんといっても椅子とテーブル。畳にすわって、は遠慮したい。■最近ではかなりの旅館がそういうのやってる。経費的にも置いたまんまというのはいいんだろうと思う。裏の事情はともかく、こちらとしては大歓迎なのです。雑食、節操のなさの本領発揮でした。
2006年10月06日
コメント(0)
コーヒー大好き。でもコーヒーのことよく知らない。■タイトルのとおり、僕は泡が立ってるコーヒーが嫌いです。何故かと聞かれると困ってしまう。僕がずーっと「これがコーヒーだ」と思っていたものと違うから、としかいいようがない。「それって偏見なんじゃないの」と返されたらもう言葉がない。そのとおり、ピッタシカンカンなんだから。泡が舌ざわりや味覚的に邪魔だと感じるのも原因のひとつだと思うけど、だから「嫌い」との動機には弱すぎる。飲めないことはないし、お店でそれが出てきたら飲む。でも仕方なく飲むのであって、それしか選択肢がないお店にはよほど困ったとき以外には入らない。■コーヒーを飲み始めるようになったころ、いろいろなコーヒー関係の書物を読んだ。こう見えても(誰に見えるんじゃ!)知らないと気がすまないタチだから。で、僕が調査の結果得た結論が以下のとおり。重要なのは結論に至る前提条件で、それは「あまり手間をかけず、後片付けも簡単で日常的に飲めること」。■味としては少しだけ酸味があるほうがおいしいと感じる。でもそれは微妙なところで、なくてもおいしいと感じる。こだわればきりがないが、どちらもおいしく感じるのならどっちでもいい。自分が望むコーヒーというものの範囲からはずれていなければ。結局そこに落ち着く。365日どこにいようと何をしていようと必ず最低朝食時に、あとは家や外で、仕事しながらとか本読みながらとか1~2杯飲むものだから、その時々によって条件が変わる。「飲めさえすれば」というところで線を引くしかない、となるわけです。そしてその結果最低限のラインから外れたのが「泡立ちコーヒー」というわけ。■エスプレッソがどうとかいろいろな動向があるのだろうけど、いつごろから、どんな背景から「泡立ちコーヒー」が一般的になったのか知らない。また知ろうという気もない。ただ、僕が飲みたいと思っているコーヒーという範疇からは逸脱している。ゆえに嫌いである。できれば飲みたくない。■世界のコーヒー事情みたいな本を読めば読むほど、コーヒーについての薀蓄を語る気になれない。お米に新米・古米・古古米ってあるでしょ。日本に入ってくるコーヒー豆はほとんどお米でいう古米・古古米なんだって、ある本に書いてあったのが妙に記憶に残ってる。
2006年10月03日
コメント(0)
ちょっと気になったのでLohasを調べてみた●ロハスと聞いてまず思い浮かべたのが「ロハ」。無料とかタダのこと「ロハ」っていうでしょ。あとはぜーんぜん想像もつかなかった。新しく登場してくる言葉をいちいち追っかけていくのは趣味じゃないから。でも、仕事で知る必要性を感じて仕方なく、最初に買ったのが「Lohas book」というブックレット。バッグのポケットなんかにちょっと入れておいて、電車がくるまでの間に読む、そんな読書スタイルにぴったりのボリュームだったから。●言葉の意味ですが、「Lifestyles Of Health And Sustainability」の頭文字を取ったもので、「健康で持続可能な暮らし方」といったところ。ロハスとかローハスなどと発する。で、どんな特徴があるのかというとLifestylesの最後にsがついていること。つまり人それぞれの多様なライフスタイルというものを前提にしているところ。「こうじゃなければダメ」式の、いいことかもしれないけどずーと続けるの、しんどくない?といった部分を否定し、「自分が自然にゆったりと、その結果持続できるやりかた」を見つけていこう…、そんなムーブメントと考えればいいと思います。●私的にはたとえば生協。我が家で東都生協を利用するようになってもう15年は経ってると思う。まだ子供たちが小さかったころ、「食の安全」みたいなことを考えて生協を利用するようになった。でも、ここが肝腎なところなんだけど「なるべくそうする」という意識、つまりいいかげんな部分を作り、そこをどう考えていくかということ。その辺が継続していく上での重要なスタンスになる。生協も利用するけど、駄菓子屋のお菓子も、コンビニ弁当もたべるよみたいな。●食べ物を取り巻く環境は、われわれ一市民の目から見たらもうグシャグシャ。なにがなんだかわからないような状態になってる。やれオーガニックだスローフードだ云々。「体にいい」といわれるものにどこまで信頼性があるのか、「食べてはいけない」と書かれているものはひとかけらでも口にしたらヤバイのか…等々、神経質になったら飢え死にするしかないだろう。牛肉、鶏肉、添加物、輸入食品など、新聞記事に載ったものだけでも、本当のところはまったくわからない。●たとえばダイエット。たとえばエコロジー。思い当たる点が誰にでもいくつかあるのでは。自分も「持続」を考慮せずにやったことの失敗談、けっこうあります。そこで、食べる、暮らす、環境を考えるなどトータルな「生活」に、宣伝やあおりに惑わされない自分自身の、それでいてしっかりとエコに役立つバランス感覚を根付かせよう。そしてそれを持続させていくことが肝要。おおざっぱに言えば総論としてはそんなところ。キーワードは「持続」「バランス」「自分流」って感じかな。早くも(早くない?)「ロハスな××」みたいな宣伝文句に使われてますけど、そこは自分自身で見極めるしかないでしょう。細かいところで矛盾した部分もあることはありますが。●各論については「総論」で知ったことを自分流に解釈して、もっと知りたいあるいはなにかをやり続けたいと思った人が読み進めばいいと思うので、これ以上の説明はしません。ま、アメリカあたりで新しいもん好きが何かやり始めて、これまた「進歩人」を気取った日本人がそれにとびついた、そんな風に受け止めることもできますけど。
2006年10月02日
コメント(1)
★バルチック・カレー、モスバーガー、立ち食いそば、コンビニの菓子パン、おにぎり、それにカロリーメイトみたいな非常食、ペットボトルの「おーいお茶、濃い味」。この2日間はこんなのばっかり。しかも早足で買って(食って)早足でデスクに戻る。時間もまちまち。「食事」とは名ばかりの「餌付け」でした。ま、立ち食いそばやの「ミニ納豆丼」みたいな、それなりにいいのもあって、捨てがたいんだけどね。★仕事完了!睡眠十分!というわけで今朝のご飯となりました。冷蔵庫から冷たいご飯を取り出してチン。同時に明太子、煮豆の残り物もテーブルに。「あさげ」でも作るかなっとストッカーを開けると、な、な、ない。じゃ、と隣に控えていた粉末のコーンスープをカップに。キッチンには娘のお弁当のお余りが。卵焼きのきれはしとささみフライの半分。あとは好物の海苔。以上の面子で朝飯の開始、時に9時25分。★欽ちゃんの野球チームみたいな布陣だが、やっぱり家で食べるっていい。まずゆったりとした時間。これは超必須だね。それに「くだらなく」食べられるものが豊富。これもなかなか。普段ちゃんとした生活をしていないと、こういうものはそろわないのだ。ミスマッチだらけだが気にならない。レストランでコースというわけじゃないんだからね。同じもの食べても、その時間を誰が管理してるかによって食べる意味が異なってくる。ここは重要だ。家庭での粗食でしかも雑食。これこそ今の時代の日常の食事、その頂点ではないか。かなりおいしくいただけました。一服してちょっとソファで寝よう。
2006年09月30日
コメント(0)
「おいしいものを食べる」と「おいしく食べる」★数年前から、特にテレビのグルメ番組で顕著なのが「ブランド」の連呼。そうなった裏には「食料自給率のものすごい低下」など多くの事情があるのだろうが、その背景を詳しく知った後でもなお、ぼくは嫌悪する。スネ者だからね。いわく「鶏はどこどこ産のなんとか地鶏、炭は○○産のカントカ炭。これを××でン年寝かせた醤油に□□代続いた秘伝のたれと…」みたいな能書き、よく耳にしません?大抵の場合「そして作るのは」という料理人の紹介は入ってないことが多いんだけど。★話は違うが、高齢者や人のいいオバサン相手に、無料の景品で誘い込み、高額の鍋セットを買わせる商売があったでしょ。今も似たような手口は健在らしいけど、あれとなんか類似点が多い気がする。もちろん食べ物を提供するお店だから押し売りとは違う。でも、無形の精神的な(みたいな)部分では構造が似ているよね。前後左右から「こんなに高級な食材などを使っている」で挟み込んで、どうですかおいしいでしょ状況に置かれたら「なんかちょっと」と思っても「ええ、おいしいですね。さすが…」となってしまうのが人情だろう。★ショーなんだからさ、そんなに肩ひじ張らずにサラリと見とけばいいんだよ。とか、なにウルサイこと言ってんの、あたしたち楽しく観てんだから静かにしてくれないッ! そんな声にひるんではいけない。毅然と「嫌われスネ太郎」のスタンスを死守せねば。(はい、と一言。静かになってしまうのが現在の勢力関係だけどね)声高に「いやだね!」といきたいもんです。★論理的な部分で錯綜しそうな予感がするので、いきなりエンディングに持っていっちまおう。「おいしくいただく」ことこそ大切なんです。(なんだ、タイトルのまんまじゃん)。あーーーやだ。読み返してみると削除したくなるから、このまま一気に「保存」へ急ごう。
2006年09月27日
コメント(1)
◎冷蔵庫の野菜室一掃セールだよ!もってけドロボー!! と威勢のいい出だしです。さつまいも、ごぼう、にんじん、レンコン、ピーマンを引っ張り出して精進揚げをたくさん作りました。白いご飯とホッケのつみれ汁、銀鱈の焼き物が今晩の食卓。◎一番たくさん揚げたのはにんじん。僕の好みで、明日の昼はもう決定です。「天煮丼」もうこれしか考えられない。そこを射程にいれてご飯は多めに炊いておきました。砂糖としょうゆ、だしで煮た揚げ物を、そのままご飯にのっけてがぶっと行っちゃう。◎それで思い出したんだけど、金沢だったかな、あのあたりに10年位前取材に行った時、食堂で「天丼」と注文したら「天煮丼」が出てきた。好きだからオッケー牧場なんだけど、なんか不思議な感じだった。「天煮丼」は家で残り物処理に使う料理と思ってたから。単にあのときのお店がそうだった、ということなのか、それともある地域ではそういうことになっているのか、いまだに謎です。知っている人いませんか。◎なにはともあれ、とても満足。食後におはぎまで食べちゃって、もう「ごちそうさま」以外に言葉がない、幸せなひと時でした。
2006年09月26日
コメント(0)
☆仕事でよく一緒になる同年代の人と食事をしたときのこと。時間もないので近くの僕がよくいく「中華」へ。「おすすめは?」というから割と注文する「マーボなす」を選んだ。☆母がまだ若かったころ、よく作ってくれた一品とかなり似ている。ナスは縦半分に切ったあと5ミリくらいの薄切り。半月形のうすいナスとピーマン、たまねぎが主役でひき肉は少ない。味はかなりしょうゆ味で、ほんのかすかにピリリと辛さが感じられる程度。豆板醤の味はない。いためる(というか煮るというか)際に鷹の爪をひとつまみ入れるくらいなのかな。とろみは醤油っぽい色で、母は「マーボナス」とは呼んでいなかった。でもこの店の「マーボナス」といえばそれ。☆まろやかな、やさしい味といったらいいのか。とにかく「好み」の範疇に入っているあの味だ。そして運ばれてきて、一口食べたときの相手のせりふがタイトルの「マーボナスじゃない」のお言葉。「しまった」と思った。自分の失敗(それほど大げさなもんじゃないが)に気づいた。僕の「好みの味」は僕自身のルーツとともにある。それに枝葉が付いてはいるが、ルーツを共有していないと「うまい!」が共有できないことって、けっこうあるんだ。それをつい忘れてた。☆一緒にいる僕との関係を考慮すれば、問題はそれがなんという名前の料理かということではないと思うのだが。「マーボナスじゃない」ではなく「自分が知っているマーボナスとはずいぶん違うな、でもうまいね」が正解だと信じているのだが。それともうまいと感じなかったのか。ここんとこの難しさはは大勢の人と付き合えば付き合うほどわかる。☆本は「意識化」された部分に問いかけるから、その部分では「オススメ」しやすい。しかし食べ物の場合そんなに「意識化」する人は少ない。そこは、本当は「食べ物・食べること」を語る上でのキモなんだけどね。
2006年09月25日
コメント(0)
★グルメ番組でレポーターが食べる瞬間のこと。口に入れる前に1秒くらい口をあけて静止するでしょ、あれが気になって仕方ないんだけど。おそらくはテレビのお約束があるのでしょう。そうすることで視聴者がナンタラカンタラと、テレビ特有の勝手な理屈をふりまわすに決まってる。でも、見ててなんかおかしくないですか。不自然だしいかにも演出されている感じ。それに山口君や竹田君の口開けアップなんか見たくもないんだけど。★それに加えて食べたあとのひとこと。かなり難度の高いコメントになるから仕方ないのだろうが「ウ~ン、プリプリしてる」とか「やわらか~い。舌の上でとけますね」なんかが圧倒的に多く、しかもそれで終わり。「おいおい、味はどーなんだよ味は」と突っ込みたくなってしまう。★個人でお金を出して食べに行くのなら、別に突っ込むこともないんだけど、仕事でギャラが出てあごあし付きみたいな待遇を考えると、特にTOKIOなんかの「ウッメーーーーッ」のワンパターンを聞くとついつい小言を言いたくなってしまう。個人には生まれや育ち、生活環境に伴なった味覚がぴったりと密着している。これがけっこうヤッカイな代物なんですね。「おいしい」と感じられる条件って複雑な要素で構成されてるからね。★どのチャンネル選んでもたいていの局・時間帯で食い物の番組やってるから、そのあたりを注意して見てると、番組が2倍楽しめるかも。
2006年09月25日
コメント(0)
*土曜日の晩御飯はあわただしかったなー。大人8人こども2人が集まったから、もう我が家のリビングはほぼ全部食卓。人数がわかった時点でもう「手巻き」にと決めていたので、すぐさま買出しに。*マグロの赤身と中とろ、いいのがあったのでコハダ(これは僕くらいしか食べない)、イクラ、ウニ、イカ、たこ(イカとたこは子供の好物)、納豆、卵焼き、あとなんだっけ、とにかく薬味もふくめて準備開始。飯を炊いて酢飯を作る(酢飯がイヤというのが一人いるので更に一手間かかる)。のりは大量に切って大きな密封容器に入れる。飲み物がまたタイヘン。とにかくなんとかスタート。*食べはじめて20分くらいかな、いつもならもっと遅く来る長男夫婦が到着してしまった。そこでまたドタバタ。でも「思い思いのスタイルで各自が楽しめばそれで万事オッケー牧場」といういつものスタイルで食べ、飲み、騒ぎおまけにテレビまでつけっぱなしという喧騒の夜はふけていきました。めでたしめでたし。つーわけで「ごちそうさま」でした。やれやれ!
2006年09月24日
コメント(0)
●アキバのヨドバシカメラの上で「ペッパーランチ」を。ペッパーランチに入ると、ぼくは3回のうち2回は「ペッパーライス」を注文する。いろいろと迷うのだけど最終的にあの「ジュージュー・まぜまぜ」の魅力に負ける。●カウンターに向かって待つこと数分。きました、到着です「ジュージュー」の。いきなり肉をひっくり返してライスと混ぜ始める。この動作がなんともいえなく、いい。で、難問はその次にやってくる。初回の「パクリ」はいつなのか、という難しい問題だ。「もう」なのか「まだ」なのか。●ハラペコだから早く食いつきたい。でもでも、もう少しよく混ぜたほうが…と、あたかも合わせるタイミングをはかる釣り人の心境だ。そしてその時は来た。ビンゴ!●最初のなん口かはそのまんまの味で食べる。シンプルでいいのと、もう待てないとにかく一口、という二つの理由から(ひとつなんだけど)。で、少し落ち着くと「辛口ソース」をちょっとたらす。鉄板の上に広がらないように、範囲厳守で。それをまぜまぜして食べる。次が「甘口ソース」最後の締めが「カレー味」ここは重要だ。●一皿で(一鉄板で)4度おいしい、グリコも降参するその食べ方は、カウンターのお店でないとできない。フードコート好きだけど、ラーメン屋のテーブルじゃないから備え付けの調味料は置いてない。納豆のたれみたいなソースがあることはあるけど、まだ使ったことはない。なんか勝手が違うんだな。というような次第で「ごちそうさま」でした!
2006年09月19日
コメント(0)
酒よお前は*「酒よお前は」を引っ張り出したのは、なんとなく語呂がいいから。別にカラオケの話をするためではありません。*ぼくは運転免許をもっていない。お酒はホンの少々だけ。週1くらいのペースでしかも家で飲む(友人によると「それ飲むっていわない。ナメるっていうんだ」らしいですけど)。とにかく、緊張感とバタバタで終わった一日、帰宅してスミノフなんかを1本チビチビやりながらメールチェックを。ボーっとしてきてそのまま寝ちゃう、そんな「飲み方」です。あとは月1くらいであれこれ食いながら雑談をし、盛り上がってチューハイを2~3杯、そんなとこ。*よく外で会って「飲む」後輩がいる。最初は会話がたのしい。「近況とか出来事に対する意見とか、冗談とか」で食べかつ飲み盛り上がる。両方とも理屈好き、話好きだから。でも一時間を過ぎるころになるとだいぶアヤシイ雰囲気になってくる。酒が回ってくると言動が不安定になり、同じことを何度も繰り返したり理不尽なからみかたをしてくる。気を許しているからだろうけど、ぼくにとって後半の一時間はツライ。こっちはタイミングを見計らって「そろそろ」と言い出したい。むこうはいいチャンスだから「もう一杯いいですか」とくる。最後はなかば強引に、タクシー乗り場に連行となる。*週末の遅い時間帯の電車の中で、中・高年のサラリーマンとおぼしき連中が醜態をさらしているのに、頻繁にであう。いい年をこいて、まるでそこには自分だけしかいないかのような傍若無人ぶり。泥酔して周りに(厳密には周りのことはいい。ぼくに対して、だ)迷惑をかけほうだいっていう場面もずいぶん見てる。*それが40歳であろうと50歳であろうと、あれは大人ではない。大人というのは自分のジレンマやストレス、恐怖心等を自分の心の中で中和することのできる人をいう。会社においてはおそらく部下や若い女性社員なんかに、たいそうな能書きをたれているのだろう。酔っ払ってもまだ僕の前で部下に説教しているのもいる。自分でしっかり立ってることもできないのに。自分で何を言っているのかわかっていないのに、なんともえらそうに構えているかたわら、となりに立ってるひとにもたれかかるようにしている。*込んでるのに座席で横になってるやつ、車内やホームでモドしてるやつ。僕は酒をほとんど飲まない喫煙者だから言うが、大々的に公然と行われている喫煙者バッシングと比較して、酒飲みや泥酔者になんて寛容なんだこの社会は。*全部が全部ではないことは十分承知している。でも、やはりそう思う。家ではなんでも家内まかせで、実体のない「父親の、男の威厳とやら」をふりまわす。会社ではそれなりに認められているのかもしれないが、それは狭いコミュニティの中での「限定版」でしかないことをわかろうともしない。部下にはえらそうに、上にはあくまでも腰を低く、そうしてたまったストレスは酔っ払って公の場なんぞ気にすることもなくゲロといっしょに吐き出す。で、週が明けるとまたそれを繰り返す。「個」としての、親でも子でも上司でも部下でもなく、男でも女でも(これは無理か)ない「個」としての感性みたいなものの圧倒的な欠如。*老いも若きも「大人になりきれてないやつら」で構成されている社会。こんなのに未来はあるんかね? 狡猾な政治家(やその集団)の思惑通りに進むんじゃないのかね?*飲酒運転の事故がクローズアップされて、にわかに議論が盛り上がっている。やれ飲ませる店の責任だの、事故をおこしたら罪を重くしろだの。条文的にはそれもいい。でもそれは目の粗い網にすぎないんじゃないの。「無礼講」とか「酒の上のことだから」とかいって目をつぶる、甘くする、やさしく対応する。「まあまあ、固い事をいわずに。ちょっと飲んでたんで」みたいなのは法律ではどうしようもないからね。*そんな周りの出来事に対し、ぼくは断固として「いや、許さない」と言い続けたいな。ことの大小を問わず。(まわりで起きたら、そうしたいという願望かな)面倒だし、怖いし「ま、いいか」となっちゃう場面もあるだろうけど。
2006年09月19日
コメント(0)
キッパリと「夕食は軽めに」と言い切った、その舌の根も乾かないうちにもうコレです。帰宅したら留守電が入っていて息子たちが来るという。「オヤジのチリコン・カーンが久々に食べたいな」みたいなこといわれるとバカですねー、ホイホイ乗せられて作っちゃう。一番最初に食べたのは忘れもしない、いまはなき新宿のライブハウス「ウィッシュボン」。バーボンなんかと一緒に頼んで、仲間とカントリーを聴いたもんです。ビルの地下にあって入り口のところに丸太のバーが渡してあり、看板が出ている。いわく「馬でこられたかたはここにつないでください…」。僕のレシピに載せてあるのはその時の味の記憶と、3つくらいの作り方を混ぜたもの。栗原はるみさんの本からも一部分いただいてる。ケチャップととんかつソースを混ぜるというのがそれ。また、一度にたくさん作るときは単純に「二人前掛ける4倍」とかやると失敗することが多い。調味料なんかも用心深く少しずつ加えていくことが重要。あと、キドニービーンズの水煮缶を何個もいちどに入れると多すぎて水っぽくなってしまうので、もったいないけど少し缶の中のおつゆを捨てるようにしている。というわけで、チビたちも食べる辛味をおさえたチリコン・カーンが短時間で完成しました。どうぞめしあがれ!(ホントはもう少し、さましてからにこみたいところ)
2006年09月16日
コメント(0)
FOOD COURTってなんか楽しい。僕は食事を注文するとき、大抵一番最後になる。優柔不断で決めかねてるから?その要素もないことはない。でも一番の理由は…。一人でそばやに行くとする。ご飯好きだからどんぶり物は食べたい。でもそばも捨てられない。で、多くの場合セットメニューをたのんでしまう。若いころはカツどんともりそばとか、カレーとたぬきそばとか注文したものだけど、さすがにそれはキツすぎる。注文の決定が遅い理由はそこなんです。何と何を組み合わせようかというよこしまな心。フード・コートがあるところに行くと、もっと多彩なバリエーションが可能になるから、とにかくうれしいのです。今日、お昼はまさしくその線。MOSはある、ペッパーランチもある、ぶぶ漬け、パスタ、オムライス、ラーメン、ビビンバまでそろってる。これが喜ばないでいられようか。奥さんと一緒だったので半分食べてもらうとか、融通が利くのもいい。長考の末(たくさんあればあったでまた遅くなる。困ったもんです)、スパイシー・モスバーガーとひつまむしを。後者は連れ合いに手伝ってもらいました。「なにそれ、趣味わるーい」とか「その二つ、合わないんじゃない?」なんていう評判も聞こえてきそうだけど、一向気にしない。だって見境がなくなってるもの。遊園地行ったら乗り物ひとつだけで帰ってこないでしょ。あれと同じようなものかな。久しぶりのモスはおいしかったし(本当はドッグも食べたかったんだけど)、ひつまむしも最後はお茶漬けみたいにして。そのあとモスのセットのコーヒーまで飲んじゃった。ちょっと食べ過ぎかも。夕飯は軽めにおさえよう(キッパリ)。ま、そんなわけで「ごちそうさま」。
2006年09月16日
コメント(0)
生協で注文したタマネギがダブついてしまった。「なんかタマネギを一度に沢山使うメニューないかな」とあれこれ乏しい知識を掘り起こしていたら、突然でてきました、オニオン・グラタン・スープ。お店で注文したことは何度かあるけど、自分で作るのは初めて。「作ろうかな」と思ったことすらなかった。それを言って本棚を物色していると奥さんが「何やってるの、ネットで調べたほうが早いよ」とありがたきお言葉。フーン、にんにくのすりおろしも入れるんだ。あ、白ワインも。とかバタバタ。3人分だったけど大きめのタマネギを4個使った。それに栗原はるみさんの本で覚えた「ニンジンとツナのサラダ」も生協のを使って。こっちは奥さん担当。あとクウシンサイの炒め物。でご飯は同じく(またしても)生協の冷凍うなぎ蒲焼きを利用したひつまむし風の一品。すごく甘いの、タマネギ炒めた味が。こがさないように炒めるのけっこう大変だったけど、一応及第点をいただきました。バインダーのレシピに追加。この書き込む作業がまた楽しい。きのう、おとといと仕事に追われて睡眠もあまりとってなかったし、ましてや外食も時間がないから立ち食いとか吉野家で済ませてた。今晩の食事でやっと日常に戻った感じがいたしました。ごちそうさま!
2006年09月14日
コメント(0)
●「名声は麻薬だ」だという。それに高額の収入がブッキングされたら、命がけになっても仕方ないのだろうか。命がけにさせる構造とはどんなものなのだろうか。●TVでカレーのベスト30(だったっけ)を、例のグルメタレントが食べ歩く番組を見た。知ってる店、行ったことのある店、知らない店がどんなカレーを提供しているのかが見たかったから。あれを同時に見た人は多分ぼくと同様の動機でチャンネルを選択したのだろう。●最初は「あ、あそこの食べた」とかやってたけど、だんだん様相が変わってきた。(ぼくだけ?)「これってなんだかイヤ~な感じがする」と思い始めたのはぼくだけではないだろう。タレントHの機転や演技、笑顔やギャグでそのにおいを消してはいたが、「市中引き回しの刑」のようだった。●(会社に所属していようと)タレントは基本的に「個人」だから、その名声を指名されたオファーがあればNOはいえないだろう。「代わりはいくらでもいる」のひとことで出かかっていた「NO」は簡単にひっこむ。それをすることが自分の名声と収入をキープすることだと、業界では言わずもがななのだろう。それにしても「完食」はつらそうだ。●睡眠や食事は最も「個」的な営為のひとつだと思う。好き嫌いがあり、食べ方の流儀や適量もある。「3度の食事も…」などといわれるように、朝・昼・晩にプラス夜食くらいを常としている(もちろん例外も)のは消化能力とか摂取カロリーとかの問題もあるからだろう。個人が自分の意思で(病的な場合もあることはある)過食するのとあきらかに異なるのだ。TVが個的な<食>を営業にさせるのは、セックスを公の場で見せるに等しい。テレビ局の「管理売春」みたいなもんだろう。それとも<食>を芸として売りはじめ人気と収入が安定したタレントの宿命なのか。●「彼の仕事ですから」そうだろう。「高額のギャラを取ってるんですから」そうだろう。「事務所がOKし、本人が了解しています」そうだろうそうだろう。でも、巨大で圧倒的な影響力があるTVが、そんな一介の興行師みたいな論理だけでまかり通っていいのか?●以前書いたでしょ。「食の基本は自前だ」って。
2006年09月14日
コメント(0)
全75件 (75件中 1-50件目)


![]()