2021/12/27
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テーマ: 社交ダンス(9412)
カテゴリ: TVのはなし
2021年のNHK大河ドラマは、日本経済の父と言われる渋沢栄一の物語でした。

JBDF東日本県別対抗2019 で深谷を訪れた時、町中が来るべき大河ドラマの舞台となるということで盛り上がっていたのを思い出します。

渋沢栄一は、幕末の深谷市、血洗島というなんとも生臭い名前の地に生まれ、91歳で亡くなるまで日本の近代化に尽力された方でした。

正直言ってドラマを見るまでこんなすごい人がいたなんて知らなかったので勉強になりましたよ。





ドラマはずっと録画で撮りためていたのもをまとめて一気に見ました。

ここしばらくは自分も江戸・明治・大正を生きてきたような気分になりましたね。

その前まで見ていた トルコドラマ が出産シーンの連発だったのに比べて、このドラマは誰かが死ぬ話が多かった印象です。

特に最後の方になってくると、父親が死に、母親が死に、妻の千代もコレラで、従兄弟たちもた戦いや病で、ライバルであった岩崎弥太郎も五代友厚も、友であった伊藤博文も大隈重信も死んでどんどん取り残されていく感がありました。







栄一が生まれたのは江戸時代、1840年3月16日でした。

米や野菜などの他に養蚕や染料の元となる藍玉の生産も手がけ、近所の農家を束ねる豊かな百姓だったようです。

時代劇によく出てくる貧しい農家とは違い、読み書きソロバンに加え剣術も学んでいた百姓のエリートだったんですね。

しかし士農工商の身分制度が長く続いた時代ですから、お代官様には頭が上がらず、無謀な上納金の取り立てに強い反発心を抱いていました。





21歳になると従兄弟の喜作と江戸に出て剣術修行に励み、 尊王攘夷 思想にかぶれます。

ところが人の出会いとは面白いもので、一橋家の平岡円四郎のつてで慶喜に仕えることになるんです。

のちの徳川幕府第15代将軍の 幕臣 ですよ。

真逆ですけどこの時代はよくこういったことが起こったのかもしれません。





栄一はとてもおしゃべりな人だったようです。



近代化の進んだパリで見聞を広めていた栄一は、日本で大政奉還という一大事が起こっていることを知ります。

帰国すると慶喜が謹慎していた駿府(静岡)で、パリで学んだ株式会社制度を実践し、商工会議所を設立。

静岡藩の財政を大きく立て直しました。





1869年 (明治2年)、明治政府からの要請で東京へ。またまた真逆の今度は 天皇側 です。



大隈重信に説得されて民部省改正掛の長となった栄一は、同僚らと知恵を出し合い、郵便制度や計量の単位の設定、大蔵省に併合されてからは新紙幣の発行や廃藩置県にも貢献します。

戊辰戦争を 幕府側 で戦って生き残った従兄弟たちにも新たな目標を与え、1873年 (明治6年)、栄一33歳のときに実業家を目指し官から民へ転職しました。





そのあとに関わった事業については多くは語られませんでしたが、現存する大きな会社のほとんどすべてに栄一の息がかかっていると言っても過言ではないように思います。

関東大震災の折には自宅を救援センターとして解放したり、福祉や医療、教育の面でも貢献しました。

母親に言われた 『皆がうれしいのが、一番なんだで。』 を全世界的に実現しようとした人だったようです。

棒ほど願って針ほどかなうことばかりと追悼式で言われていましたが、渋沢栄一の願いの大きさは半端なかったんでしょうね。

かなった針の太さの上に、今の日本があるのですから。







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Last updated  2021/12/31 05:51:05 PM
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