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レッスンすぐ裏に住んでおられる方が、どういう方か知らないけれど、何年もピアノを練習していらっしゃる。初めは「ちょうちょ」だった。ソーミーミーファーレーレーのあれ。まったく聞くに堪えないというか、散々な出来だった。が、みるみる上達され、最近ではソナチネ以上の腕前である。こんなに弾けるようになるなんて、おそらく才があったのだろう。そしてこれまた熱心。何時間でも練習しようと思うのだから、よほどピアノが好きなのだろう。そして、えー、この日記を書いている現在、ワルツが流れている。何というワルツかはちょっと存じ上げませんがとってもお上手なられましたね。以前は「ちょうちょ」でしたのに感心致しますでございます。ではレッスンでも始めましょうか。まず出だしの部分はですね、小説で言う「序章」のような部分でして、いわゆる前置きでございますので、お好きに弾いてくださってよろしゅございますよ。はいどうぞ、結構でございますです、はい。では次。音楽というものはですね、「間」が大事なんでございます。そんなにかぶりついてはいけません。「間」がすべてを語っているんでございます。はい次。そこはですね、腕を大きく振り上げて思いっきり弾き切った方がメリハリが出てよござんすよ。はい、よろし、次。えー、そこはですね、右手がもたついていらっしゃいますでしょう?それはですね、右手があっち行ったりこっち行ったり忙しいもんだから、右手に気を取られて左手が疎かになるからなんでございます。ワルツって何拍子かご存知?ワルツというものはですね、三拍子の舞曲なんでして、三拍子を刻むのは左手なんでございますよ。あなたのワルツは三拍子がずっこけてございます。よろしゅございますか、肝は左手、左手が三拍子を刻むんでございます。はい、ではもう一度弾いてみましょう、さんはい!
2019/08/26
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あのね、パートナーは音楽とは無縁の人生を送ってきたのだが、先日、友達とあるピアニストのコンサートへ行って、痛く感動して帰ってきた。で、私に、絶対に弾き続けた方がいいと言う。もう今は完全に引退して、ピアノに触ることもないのだけど、それでも辞めちゃあいけないって。あのね、それはね、私自身が一番よくわかってるんだ。
2018/11/18
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再会大学の頃の友達が近くに引っ越して来ていたので、久しぶりに会った。この友達は卒業以来ずっとピアノを生業にしていて、生活そのものがもうピアノ一色。ピアノを専門に学んだからと言って、実際にピアノで食べていける人などほんの一握りの一握りなので、よほどの強い意志とピアノへの愛情がなければここまで来られなかっただろう。私は、ピアノよりもなぜか発病した時にしていた仕事の方に心奪われてしまったので、ピアノは趣味になり、その後は潮時を感じて引退したが、一応その業界の厳しさだけは知っているので、素直に感心するし尊敬する。(まぁ、この友達は、一人でもこの世界で渡り歩いていけるだけの精神の強さを兼ね備えているから、これからも大丈夫だと思うけれど。)さて、会うのは3年半ぶりだったが、相変わらずだった(笑)なぜこちらに引っ越してきたかというと、ま、簡単に言えば、立ち退きを言い渡されピアノとペットがOKで家賃など諸々の条件に合った物件がここしかなかった、ということらしい。この友達は、とにかく大胆というか、我が道を行く変わり者、という点で私と似ていたので、学生時代から何せ気が合った。というよりも、私にはそもそも友達と呼べる友達は特にいなかった中で、こうして今も続いている関係なのだから、やっぱり友達なのだと思う。どこにも属さず一人で稼いで築き上げてきただけあって、話をしていてもとてもおもしろい。私の言いたいことをすべて代弁してくれているかのようだった。今、「変わる時」を迎えている私にとっては刺激だった。このタイミングで再会したのは、何か意味があるのかもしれない。地元を案内して、かわいらしいカフェへ行った。トン、と背中を押してもらったような気がする。
2018/01/17
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うすうす感じていたこと実は、もう数年前からうすうす感じていたことなのだが、いや、まさかそんなことはあるまい、と自分自身を認めたくなくて、過去の想い出を美しいままでいつかまた再現したくて、頑なに頭で否定し続けてきたことがある。だが、もうこれは隠しようのない事実のようである。頭ではなくて身体がそう反応する。私、もうピアノを弾くことはないのかもしれない。ピアノの前に座ってみたり、先生に頼ることなく自分の力で一曲仕上げてみようとしてみたり、いつか復帰しようとここに綴ってみたり、ピアノは私のよき理解者であり分身だと思ってみたけど、それはすべて過去の記憶であり、頭で考えて今もそうしようと試みた結果であって、本心は全然そうではなかった。心はその方向を向いていなかった。実際、ピアノを弾いても全く楽しいと思えない。もう、それらは過去の出来事でしかなく、ピアノを再開することは私にとって過去へ逆戻りすりことに他ならないのである。今を生き、いえ、未来を見据えて生きられるようになった今、もうピアノの必要性が見出せなくなってしまった。ピアノ以上のものに出会ってしまったという言い方もできることは認める。実は心の片隅では気付いていた。だが、ずっと見て見ぬふりをして認められずにいた。だって、あれほど打ち込んできたのだもの。毎日毎日ただひたすらにピアノと向き合い、どれだけの年月と精神を費やしてきたことか。私にはピアノしかなかった。私のすべてがピアノだった。でも、もう愛情がない。薄れたとも言い難く、消えている。発病して10年、認めざるを得ない事実です。でもそれは時の流れがそうさせたのです。私に非はないし、ピアノにも非はありません。ただそうなったということ。それだけのこと。終わりはいつか必ずやって来るのです。これは喜ばしき成長なのです。
2017/05/20
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門出のお祝い火曜日の夜、以前ピアノを教えていた男の子のお母さんから突然電話がかかってきました。一緒に食事でもどうですか、と。4年ぶりなので素直に驚いてしまい、というのも、普通一度ピアノを辞めたら(あるいは長期に渡り休んだら)もうそれっきりというのがまぁこの世界の一般常識というか、年賀状のやり取りだけは続いていましたが、それ以上のことはもうないと思っていたからです。なんでも、その男の子Rくんがこの4月から社会人になり横浜へ行くので、つまりピアノに復帰することはないけれど最後に挨拶を、ということだったようです。なんと義理人情に厚いというか、そのお心遣いをとてもうれしく思い、一瞬好転反応の湿疹が頭をよぎったけれど、ご好意はお受けしようと思い快諾しました。と、すっごく楽しかった!まるでこの4年間がなかったかのように昔話に花が咲き、懐かしい想い出話が次から次へと出てきて尽きません。Rくんは4年間の大学生活を思う存分謳歌したらしく、勉強もアルバイトもがんばり、仲のいい友達にも恵まれ、この春休みはここぞとばかり豪遊して、バリ島と青春18切符で日本を横断してきた、ととても生き生きと語ってくれました。さすが大学も卒業すると大人の男性へ少し近付いたような(まだまだお子様ですけれど笑)、これからがとても楽しみです。今流行りの(?)システムエンジニアになる予定だそうですよ。お料理も私の好きな薄味の和食をいただき(この辺りではちょっとばかり有名な小さな和食店でした)、今の私にはめったに口にすることのできない味に舌鼓を打ってお腹いっぱい大満足。お母さんも元気にされていたし、Rくんの門出をこうして一緒にお祝いできたことに幸せを感じました。ところで、毎週ピアノを教えに行っていた時、レッスン終わりにお茶を出してくださっていたので、いつも少しだけ3人でお話ししていたのです。ほんのたわいもない会話でしたが、実はお母さんにとってはそれが楽しかったとのこと。私はその時、まぁそれも一応レッスンの続きのような、お話も含めてのピアノの仕事だと解釈していたので、昨日初めてそういうお母さんの気持ちを知って、なんとなくすとんと胸に落ちるものがありました。だからここまで良い関係になれたのかな、と。おそらくお母さんも日々のストレスはあっただろうから、学校や受験などとはまったく関係のないのんびりとしたピアノの私になら、なんでも気楽に話せたのだと思います。そういう意味でも、良い関係性を築き上げられたような気がして、このご縁をずっと大切にしていきたいと思いました。間もなく横浜へ旅立ちます。寮に入って1年間はみっちりと研修を受けるらしく、慣れるまでは大変極まりないと思いますが、Rくんにはどんな時もマイペースににこにことがんばってほしいです。のべ10年ほどピアノを教えていたので、もうちょっとした親心のようなものですね。今度はRくんのお給料でご馳走してね、なんて話で締めくくってさようなら。昨日は一杯だけビールもいただき、ほろ酔い気分でぐっすり眠りました。
2017/03/26
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鳥のように自由になって好転反応が始まり自分自身と向き合う日々の中で、これまでの私を回想する時間が圧倒的に増えた。そう、それはピアノ時代。大学の頃は、寝ても覚めても弾いて弾いて弾きまくって、弾くことが我が仕事であり、とても大変なピアノ漬けの生活だったけれど、その分とても充実していた。大好きなピアノが弾ける喜び。常に10曲以上もの譜面を並行して練習し、いろいろな作曲家の作品を学び、著しく視野が広がる喜び。まさに毎日が成長だった。もうあんな生活は出来まい。ピアノの先生はそれはそれは厳しかった。練習をすればした分だけのレッスンをしてくださるが、少しでもさぼった日には、先生はお見通しで、それ相応のレッスンだった。私は大学内のグレード級を上げたかった。なんとしてでも、卒業の時に、選ばれた者しか出演させてもらえない演奏会に出演したかった。それは、入学した時点で既に我が心に掲げていたたった一つの目標だった。高校を卒業していない身だったから、尚更その想いが強かったのかもしれない。出演する、絶対に私は選ばれる。心の奥深くでは実は密かに選ばれる自信があった。それだけが日々の励みであり、その確たる想いを共有していたのは、紛れもなく先生だった。いえ、先生だけだった。私は、先生にレッスンされた通りに練習を積んだ。ここはもったいぶってうんと溜めなさい、ここは指を寝かせて鍵盤を触りなさい、ここで左ペダルを一音一音踏み直しなさい、この音はカーンと甲高く鳴らしなさい、ここでさっと重心を右に移動させなさい、ヘコヘコと飼い犬のようにすべてに忠実に従った。褒められることなんてまずなかったし、あまりに言われた通りに弾けない自分が情けなくて何度泣いたか知れないけれど、それでも先生は間違いなく私に力を注いでくれた。汗だくになり、何時間もピアノの前に座ってレッスンを受ける日々。ただまっしぐらにひた走る二人三脚だった。その甲斐あって、めでたく卒業演奏会に選ばれた時には、「はぁ、やっと、やっと報われた。長かった。」と思った。高校の中退も、大学生活も、レッスンも、辛かった何もかもが一瞬にして吹き飛んで、私はこれ以上ない幸福感に満たされた。でも、今になって思う。私の奏でていたピアノに我が意思はあったのだろうか。そこに我が想いは芽吹いていたのだろうか。応えは、否、である。私のピアノはロボットのようだった。先生に言われるがままに創り上げられた模範的な模倣に過ぎなかった。技術にばかり捉われ、目指していたものを履き違えていたように思われる。そこに聴衆の心を揺り動かすような熱い感情が込められていたとは、決して言えるはずもない。今、ピアノとの距離を置いて、ピアノへの想いを遠いところから客観的に再確認している最中である。私はいずれきっと復帰するであろう。その時には、技術に縛られることなく、結果に支配されることもなく、鳥のように自由になって向き合いたい。そこでようやく「私」というこの世に存在する一人の人間が奏でるピアノが生まれるのだと思う。青春時代のピアノには青春時代の良さがあっただろう。でも、これから先はその時代を経て、歳と共に成熟した自分をピアノのメロディーに乗せて表現したい。また一つ、我が人生の目標がここに誕生した。
2017/01/13
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もう少し、待って。ピアノを弾かなくなって久しい。痙攣が始まってから止めたから、もう2年余りか。この間、見事にピアノの蓋さえ開けなかったので、鍵盤には埃が積もっていることだろう。ピアノを弾かないと感性が育たない。それは私自身が誰よりも一番痛感していることであり、止めてしまった今、正直残念に思う。もし、ずっと抱いてきた夢がまだ私の中で夢のままであり続け、それを叶えたいと思っているのならば、無理にでも私はピアノの前に座るしかあるまい。それぐらい私とピアノは切り離せない関係なのだった。本音では、今すぐにでもピアノで感性を育てたいと思っている。だが、ピアノの蓋を開ける勇気はまだない。今は、まだ違う。気持ちが前を向くまで、もう少し、待って。
2016/08/14
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2年弾いていない左側の片側(へんそく)顔面痙攣が始まって来月で2年になる。つまり、ピアノも弾かなくなって2年になるということだ。先生に教わることなく初めて自分の力で一曲仕上げてみようと練習していたのだが、まさかの痙攣が始まってしまい、あっさりと挫折し、それから2年も中断しっぱなしなのであった。演奏する者にとって、楽譜は財産だと言う。大掃除をしたり、整理整頓をしたり、不要な物はなるべく溜めずに処分してきたが、楽譜だけは捨てられない。コピー譜(コピー機でコピーした楽譜)はやっぱり価値が格段に落ちるのでかなり処分したが、本としての楽譜というものは、書き込みや手汗やめくり皺が生々しく残り、演奏している瞬間の高揚感が鮮明に蘇る形あるものであるので、私にとってはかけがえのない財産なのである。いえ、処分する気は毛頭ない。今はピアノはしばし休憩中だが、やっぱり心のどこかでは自分の納得した形でいつか復帰したいという想いがあるのだと思う。だが、それは今ではない。まだまだずっと先だろうけど、ふと弾きたくなって、堰を切ったように弾き始めるそういう日が必ず訪れるだろうと、私は感じている。
2016/05/06
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春と冬愛と憎しみは表裏一体だと言う。だから、たぶん、ピアノとも遠くなったり近くなったりを繰り返して、一生を共に終えるのだと思っている。今は少し遠い時。遠く、距離を置いて、お互いをそっと柱の影から観察し合っている時。その内またぐんと近くなって、花が咲いて、また、雪が積もるのだと思う。ピアノは苦楽を共にしてきた私の相棒であり、分身でもある。終わりよければすべてよし。愛しさが込み上げてくるまで、しばしお別れね、バイバイ。
2015/03/25
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線香花火ピアノは、もう趣味でもなくなったらしい。人って不思議だ。あれだけ打ち込んで、弾いて弾いて弾きまくって、毎日毎日共に生き、もう私の身体の一部だと思っていたのに。人同士の付き合いも、そうやって繰り返されてゆく。時の流れには誰も逆らえない。だって、「時」だけは誰にも操れないのだから。サルスベリ。(もんたともんじは間違いなくすべります笑)
2014/09/02
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『尚のピアノつぶやき帖(ショパンバラード2番) その二十五』期限や締め切りがある訳でもなし、時間は24時間自由に使え、日々をのんびりと暮らしているから、自分でショパンを9月に仕上げると決めたことは、少なからず張り合いになっている様子…だった。自ら、達成できる小さな目標を立てることは、結構大事なことだと思う。けじめにもな…っていた。でも、ちょっと期限を自分に課すことは今回は一旦止めにしようと思います。弾きたい時に弾いて、楽しく弾いて、仕上がった時が仕上がり。それでいいよ。というか、今は激しい曲を弾くと余計に神経が高ぶるから、しばらくショパンはお休みします。無期限延期ね。
2014/06/20
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『尚のピアノつぶやき帖(ショパンバラード2番) その二十四』ほんの少しだけ仕上がりが見えてきたというか、なんとなく、曲そのものの全体像が身体で感じられるようになってきたように思う。それにしても、一気に集中して弾くと、ものすごく疲れる。指先が真っ赤になって、痙攣する。でも、汗がほどよく気持ちいい。
2014/06/03
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『尚のピアノつぶやき帖(ショパンバラード2番) その二十三』なんでこうも、もっさりとしているのだろう。野暮ったいというか、「洗練」という言葉からは一番かけ離れたところにいる気がするのだが。そろそろ、弾いていると、汗ばむ季節になってきたし。…野暮ったくても、ま、いっか。
2014/05/24
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『尚のピアノつぶやき帖(ショパンバラード2番) その二十二』しばらく膠着状態が続いていたが、また少しずつ再開している。せっかく、この曲と決めて練習を始めたのだ。途中で投げ出さず、やっぱり仕上げたい。今日は、まだ音符を追うことに必死で、楽譜に忠実に弾けていないことが課題だと思った(例えば強弱記号など)。それから、私は以前から、月日をかけて何度も何度も弾いて感覚で覚えていくというタイプだった。もちろん、頭でもあれこれ考えて計算しながら弾くのだけど、私は、ある程度弾けるようのなると、どこか自分の感覚に頼るところがある。それが、今はまったく研ぎ澄まされていない。ブランクが、それを鈍くさせたようである。うん、感覚を取り戻すためには、とにかく回数を弾くことに限る。
2014/05/17
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『尚のピアノつぶやき帖(ショパンバラード2番) その二十一』去年の9月に練習をし始めたショパンのバラード2番。その時、仕上げは一年後にしようと決めたのだが、いつの間にかあれからとっくに8ヶ月が経過していた。なんと、もう5月も半ばではないか。そんなに練習している訳ではないので、仕上げにはまだまだほど遠い。かと言って、期限を延ばしたところで決して上手くなる訳ではない。…仕上がるのだろうか。
2014/05/13
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私だけの 方程式私の中で、「ピアノ=先生」である。いつまでたっても「ピアノ=ピアノ」になんてなりやしない。いくら先生の元を離れたって、引退したって、「ピアノ=先生」であることに変わりはないのだ。この方程式を払拭することはできるのか。いや、一生できないであろう。
2014/05/04
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『尚のピアノつぶやき帖(ショパンバラード2番) その二十』どんなに小さな舞台だとしても、それも歴とした本番だ。連弾の本番からちょうど一ヶ月が過ぎた。この一ヶ月はいわゆる「燃え尽き」の症状だったのである。やっとショパンが再開できそうです。
2014/04/22
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一巡りずっとピアノを教えていたたった一人の生徒Rくんが、ピアノのレッスンを休んでから1年以上が過ぎた。理由は大学受験のためだった。もともとピアノは好きだったRくん。晴れて大学に入学したら再開する予定だった。ところが、ちょうどそんな時、Rくんのお母さんの方のおじいちゃんとおばあちゃんが同時に倒れた。実家は大分県。お母さんは、今でもこちらと大分とを月に半々のペースで行き来しているそう。無事に大学へ通っていれば、Rくんはもう2回生だ。結局大学生になってからは一度も会っていないので、今どうしているのかな、とふと頭を過ぎる。さいたーさいたー♪
2014/04/21
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『尚のピアノつぶやき帖(ショパンバラード2番) その十九』まったく、練習、して、い、な、い。ところで、先月連弾でコンサートに出演した。(3/24の日記参照)昨日先輩からメールが来て、なんと、とっても評判が良かったそう。先輩とたったの一度しか合わせることができなかったし、本番も特にこれと言って際立つような出来だったとは言い難かったにも関わらず、まさかの、とても驚いてしまった。でも、素直にうれしい。ピアノを弾く者にとって、これ以上の褒め言葉はない。
2014/04/16
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『尚のピアノつぶやき帖(ショパンバラード2番) その十八』半月ほどショパンは弾いていなかったから、2歩下がるどころか5歩ほど下がってしまったんだけど。指が連弾仕様になっていて、音色も定まらないわ。さぁ、また一からやり直しだね。<おまけ、連弾情報 完>特にここに綴るまでもないどうでもいい話なのだが、先輩はとてもブランド志向だ。かばんやら、時計やら、化粧品やら、世の中で言う『海外の高級ブランド』で着飾っている。35歳、実家暮らし(お母さんは2年前に癌で亡くなられましたが…)、OL、しかも自分自身で「お給料が良い」と言っているので、密かにお金持ちらしい。と言っても、先輩は決してそれを見せびらかす性格ではなく、むしろ大人しくてお上品でかわいらしいので、がんばって仕事をしている自分へのご褒美や、良いもの身に付けたいといった感覚だと、私は勝手に想像する。だが、私の服装が、楽さが一番のカジュアルなので、なんというか、少し肩身が狭かった。(しかも、めがねにマスク、なんと、連弾の待ち合わせの時は素通りされてしまった…っ!)もちろん、何を持とうが、何を身に付けようが、すべて個人の自由である。だが、それに加えて、料理教室へ通い、ジムへ通い、屋外を歩くことは嫌い、悩みごとはもっぱら『お肌』のこと。さらに、結婚して子どもを二人は欲しいと考えているそうで、ただ、年齢的に体力が持つか心配だから、今から「一度の出産ですべてが終わるから双子を産む!」と力んでいる。つまり、そういう医療行為をするということだ。海外のセレブにはそういうことをする人が多いらしい。私と先輩の目指す道は、まさに真逆。なにやら、先輩はいろいろと大変なのであった…。
2014/03/30
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『尚のピアノつぶやき帖(ショパンバラード2番) その十七』<おまけ、連弾情報>ビルの10階の一室。全面ガラス張りのステージ。赤い客席。一面に広がる夜の海を背景に、グランドピアノがぽぅっと妖艶に浮かび上がります。昨日は連弾の本番でした。先輩との合わせは一度しかできなかったので、若干不安の残るリハ。リハではお互いの確認を中心に、一度だけ通しの練習をしました。その後、本番までの待ち時間がなんと4時間もあり、あまりに長い時間を持て余して待ち疲れをしてしまいましたが、連弾ということで先輩と合わせた黒いひざ丈のワンピースに着替えたら、もう出番は次。あっという間に、シンクロナイズドスイミングのように、二人並んで控えめに闊歩です。連弾の良いところは、楽譜を見ながら弾けるところ、実は弾いている最中も小さな声を出して『間』のタイミングを確認し合えるところ、そして、何より、責任が分散されて隣に人がいるという安心感。もちろん多少の緊張はしながらも、なんなく練習通りに弾くことができました。プログラムも10番ほどしかない小ぢんまりとした演奏会でしたが、「お客さんがいる」という本番を経験することは、とても良い刺激になります。やっぱり、ピアノを弾くことは好きだし、本番は楽しいです。他の出演者の方々も、声楽やヴァイオリンやオーボエなどの楽器を心から楽しんでいらっしゃるということが伝わってきました。もうピアノからは遠ざかったけど、また機会があれば出演したい!
2014/03/24
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『尚のピアノつぶやき帖(ショパンバラード2番) その十六』<おまけ、連弾情報>いつも私が先輩の家へおじゃまして、練習させてもらっている。今日は初めて連弾の合わせをしてきた。今回の連弾は、もうリハのみで本番を迎えるので、「安全圏に身を置いておこう」という先輩の意見に合意することにした。音のミスはしないように、二人がズレないように、無理にテンポは上げず、といったところだ。結局のんびりと4時間ほど練習し、可もなく不可もなくという至って『普通』の出来栄えになった。ただ、私の個人的な意見としては、もう少し冒険がしたかったのだが。客席で聴いていても、印象に残る演奏になることはまったく以てないと思う。と言っても、今回ばかりは時間がないのだから仕方がない。本番は、可もなく不可もなく、弾いてきます。
2014/03/15
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『尚のピアノつぶやき帖(ショパンバラード2番) その十五』まだまだ音のミスをたくさんしながら弾いているけど、だいぶんミスが減ってきたかな、と思う。私は、「たかが一曲仕上げるだけなのにとにかく暇がかかる」と先生に言われ続けていたのだけれど、確かにそうである。うじうじと長い期間底辺を這い回り、やっとこさ仕上がるのだ。弾き始めてたったの3ヶ月で発表会に挑む友達もいたりしたが、私には到底無理な話である。だが、その分、仕上がりが僅かながらも見えて始めてきた時の喜びは格別だ。まるで蕾から花開かせるよう。まだそれはもう少し先になりそうだけど、地道にゆっくりと仕上げていきたい。<おまけ、連弾情報>土曜日に初めて先輩と合わせをすることになりました。と、先輩と私との都合が合わず、なんとこの一日とリハだけで本番を迎えることに!いやはや大丈夫なのでしょうか…。かなり不安ですが、そうも言ってはいられないので、本領発揮しますよ。
2014/03/13
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『尚のピアノつぶやき帖(ショパンバラード2番) その十四』どんなに親しい人であっても、家族であっても、言ってはいけないことやしてはいけないことというものはあるし、詮索してはいけない領域というものも、必ずある。たとえそうしたくとも、決して人は一心同体にはなれないのだから、その人のすべてを知りたいと思うこと、知ろうとすることはナンセンスである。どんなに近い関係の人とでも、ほどよい距離を保つことが重要だ。…、と私は思う。私は、先生と深い関係になり過ぎた。知ってはいけない部分まで知ってしまった。まるで、確執がはびこる家族のように。だから、もうこれ以上は側にはいられなかった。だから、そう、先生と離れて、これでよかったのだ。もう3月ですね。あいにくこっちは雨だけど、今日は新月ですよ。
2014/03/01
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『尚のピアノつぶやき帖(ショパンバラード2番) その十三』「先生のレッスンさえ受けていれば、上手く弾ける」。ずっとそう思っていた。先生の言われたように練習していさえすれば必ず上手く弾けると。私は、自分の頭で考えることをしなかったのだ。こう言われたからこうする、先生に注意されたのだからこう弾かないと、と。今となっては、なんと浅はかで甘えた考えだったかと自分が恥ずかしい。今はショパンのバラードを一人で練習している。一人で練習するということは、主観的にも客観的にも自分の音楽を全体を通して見渡すということ。自己満足だけでは良い曲は仕上がらない。また、聞き手側や外見のパフォーマンスばかりを意識し過ぎると、中身がまったくない曲に仕上がる。今の私に求められていることは、楽曲そのものを十分解釈してどう弾きたいかを明確にし、場面場面、一音一音に責任を持つこと。「私」という色のついた音色を出せるように研究すること。そして、その音色に弾き手である私の心を込めること、だと思う。
2014/02/24
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『尚のピアノつぶやき帖(ショパンバラード2番) その十二』若い時は、もちろん指も動くし、なんと言ってもスピード感がある。「はち切れんばかりの」という言い方がぴったりだと思う。だけど、歳を重ねてから弾くピアノは、悪くない。人生経験が、音色として、オーラとして、音楽性として、現れるようになるからである。だから、同じ曲を弾いたとしても、若さ溢れんばかりの仕上がりと、円熟した大人の色気を纏った仕上がりと、どんな色にもなることができるのである。指が動かなくなったからと言って、引退ではないのが、ピアノの良いところ。やっぱり、私は一生ピアノは弾き続けていきたいと思う。おっとっと。今日2月22日は、にゃんにゃんにゃんでねこの日だそうですよ(笑)
2014/02/22
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『尚のピアノつぶやき帖(ショパンバラード2番) その十一』ピアノを練習していると、ついつい上手く弾かなきゃ、とか、上手く弾きたい、と思ってしまう。手首の使い方もこうじゃない、体の持っていき方も、ここも、ここもこうじゃない。今まで演奏会に多々出演してきたので、それはただ単に過去の栄光にすがっているだけなのである。今回弾いている曲は、去年の9月に練習し始めたので、1年後の今年の9月に仕上げることを目標にしている。小さなスタジオでも借りて、そこでたった一人で弾こうかと考えているのだが、実はパートナーへの曲のプレゼントにするつもりなのだ。こんな私をいつも温かい心で見守り続けてくれてありがとう、という感謝の想いを込めて。
2014/02/15
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『尚のピアノつぶやき帖(ショパンバラード2番) その十』月に数回とはいえピアノを定期的に弾くようになり、靄がかかったような音だったのが、だんだん一つ一つの音がピンと立ってきたように思う。腕と手の筋肉が少し戻ってきたからかな。<おまけ、連弾情報>先輩から楽譜が郵送されてきて、2曲とも先輩がプリモ(高い方)、私がセコンド(低い方)を弾くことになりました。2曲合わせて約10分間の演奏です。今、少しずつ練習しています。引き受けたからにはそれなりに上手く弾かないといけないので、若干責任を感じますが、それよりも楽しみだという気持ちの方が勝っています。やっぱりピアノは好き。本番まで、先輩と、ピアノと、素敵な時間を過ごしたいと思います。
2014/02/05
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『尚のピアノつぶやき帖(ショパンバラード2番) その九』例えば、10回弾けば10回ともまったく同じ指を使う。10分の曲であれば、10分間すべて。0コンマ1秒の連譜もすべて。これは、必ず、である。たったの一度だって指が変わることはない。だけど、今はまだ指が定まらないから、弾く度にいろんな指で弾いてしまうのよね。一応9月に仕上げることを目標にしているけど、果てしなく遠い道のりのような気がするわ。<おまけ、連弾情報>弾く曲が決まりました。以前に弾いたことがある曲が一曲と、『春らしい曲』というテーマに合わせて選んだ、初めて弾く曲を一曲。と、素人ばかりのコンサートと思いきや、私の勘違いだったようで、ほとんどの方が音楽関係出身者とのこと。なにやらレベルが高そうです。あらまぁ、大変!
2014/01/25
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春へ昨日、先輩からメールが来た。「コンサートの出演者の人数が足りず、 連弾でもいいから出てくれないかと友達から言われたから、一緒に弾いてくれないか」と。私はきっかり2年間ほとんどピアノに触れることもなく過ごし、何せブランクがあるので一瞬たじろいだが、そこはやっぱり本能がむくむくとうずき出し、5分後には出演する旨を伝えるメールを返信していた。以前もこのコンサートには先輩と連弾で出演したが、出演者はみんな素人で、私服で日々の練習の成果を発表するというような気軽なものだった。とは言え、コンサートはコンサート。久しぶりの本番に心が躍る。因みに、これはピアノの先生とはまったく関係のないものなので、先輩とあれやこれやと意見を交わしながら、二人で仕上げることになる。コンサートは2ヶ月後。思わぬ展開に驚くと共に、声をかけてくれた先輩に感謝する。さぁ、がんばって練習しよう!
2014/01/21
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『尚のピアノつぶやき帖(ショパンバラード2番) その八』せせらぎのような、心地いい子守唄のような、そんな場面を練習する時。敢えて、ペダルは使わずに強い音でどんどんとしっかりとゆっくりと弾いて練習する。私は、これが上達するポイントだとかねがね思っている。なぜかって、弱弱しくばかり弾いていたら、音のハーモニーを耳がいつまで経っても覚えてくれないからね。
2014/01/13
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『尚のピアノつぶやき帖(ショパンバラード2番) その八』雰囲気だけは曲らしくなってきた今日この頃。だけど、まだまだ回数をこなしていないから、音色が汚く、音の粒がまったく揃わない。繊細さの欠片もなし。ついでに、ペダルも濁り、音のミスも甚だしい。と自覚しつつも、弾くことがとても楽しくて、ついつい白熱してしまう私である。
2014/01/04
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『尚のピアノつぶやき帖(ショパンバラード2番) その七』もう先生のレッスンは受けずに一人で仕上げるつもりだから、イメージトレーニングをするために、よく動画を見るようになった。ここの場面では体をどう使っているか、ペダルはどうか、フレーズの繋ぎ目やテンポや「間」など、勉強というよりかは研究に近い。と、偉そうなことを言っていますが、まだ全然弾けてもいません。間違えまくって弾いていますよ。
2013/12/25
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『尚のピアノつぶやき帖(ショパンバラード2番) その六』上手く弾けなくたっていい。つまりは、ピアノが好きかってこと。この曲が、好きかってこと。愛だね。
2013/12/21
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『尚のピアノつぶやき帖(ショパンバラード2番) その五』冬は、手がかじかむし、鍵盤が冷たいから、なかなか指が動かない(そうでなくても、もう指が動かなくなっているのに…)。暖房は顔ばかりが火照ってしまうから、あまり好きではない。学生の頃、かじかむ手をひたすら基礎練習をして温めている間に、肝心の曲を練習する時間がなくなっていったことを、ふと思い出した。詰まるところ、私は弾きたいから弾くのである。自分のために、弾くのである。
2013/12/15
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『尚のピアノつぶやき帖(ショパンバラード2番) その四』とても楽しい。まだ全然弾けないのだけど、弾いているとだんだん熱情的になってきて、早く弾けるようになりたいって燃え上がる。ピアノっていいな。やっぱり好きだな。がんばるよ。
2013/12/09
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『尚のピアノつぶやき帖(ショパンバラード2番) その三』ショパンのバラードは1~4番まであるのだけれど、「2番が一番人気がない」とある評論家が書いていたのだけど…。いや、それはあなたの好みではないかしら。私はそうは思いませんが、なにか?
2013/11/21
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『尚のピアノつぶやき帖(ショパンバラード2番) その二』それにしても、もう何年調律していないのかしら?音が狂いまくっているわね。うーんと、病気になってからは明らかにしていないから、かれこれ6年半にはなりそうね。そりゃあ狂っているはずだわ。調律してもらったら音のハーモニーが良くなるのは当たり前だけど、弾きやすくなるのよね。その人の弾き方のくせというものも、直してくれるのよ。だから、ピアノは自分専用がいいっていう訳なのよ。まぁ、それはどうでもいいとして、何より値段が高いわ。当分できそうにないわね。
2013/11/10
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『尚のピアノつぶやき帖(ショパンバラード2番) その一』やーっと、しどろもどろながら譜読みが終わった。前はもっと早く譜読みができていたのに、能力の衰えを感じるわ。すぐに手と腕が痛くなるしね。そりゃあ2年も休んでいたもの、仕方ないけどね。今日はCDを聴いてみたけれど、思いの外感動してしまって涙が出てきた。哀調を帯びたメロディーから始まって、急に嵐が来たように激しい場面になる。そして、また静かに。一人で仕上げることに不安を感じていたけど、なんとしてでも仕上げてみせると思った。目標は来年の9月に自ら設定。スタジオを借りて一人発表会をしよう。あ、ショパンのバラード2番を練習しています。
2013/10/29
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弾く喜び、再び今、少しずつピアノを練習している。と言っても、週に1,2回弾く程度だからまったく進んでいないのだが…。全9pの内の5p半をやっと見たところである。もう、うまく弾こうなんてさらさら思っていない。ちょっとぐらい間違えようが、指の形が悪かろうが、音色が汚かろうが、その他もろもろ、どうでもいい。コンクールに出る訳でもあるまいし、ありのままの自分を表現してみよう。もっさりしていても、それが今の私なのだ。以前は、上手く弾かなくちゃと聞き手側に目線を置いた仕上げ方だった。だけど、今回は先生のレッスンを受けることもなく、本当に自分一人で仕上げるつもり。自分の感性のまま、仕上げる。初めてのことで正直少し怖いけど、一年後を目処に、一人の力で仕上げてみます。
2013/10/19
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心の 湯たんぽ双子がもたらしてくれた私の心の温もり。この2年間で数回しか開かなかったピアノの蓋を開け、なんと、譜読みを始めてしまった。初めて見る楽譜を弾き始めることを「初見」というのだが、初見の技術も大学生の頃と比べると自分でもびっくりするほど落ちている。たどたどしい譜読みと指の動き。たった15分ほどだけだけど、弾くことはとっても楽しい。特にいつまでに仕上げるとか、発表会に出るつもりは毛頭ないけれど、ゆっくり一年ほどかけて練習してみようかと思っている。そして、いつの日か自分なりに仕上がったと思ったら、スタジオでも借りて一人で発表会でもしようか。なんとなく、そう思う。ほんの、本当にほんの少しだけですが、心に変化が現れ始めている私です。こののらちゃんに勝手に「アキヲ」と名付けました。そしたら、どうやら近所のおばさんにご飯をもらっているようで、「けんじー」と呼ばれていたので、私もけんじと呼んでいたら、実は「きーじー」でした!(笑)
2013/10/12
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湧水ピアノを引退して、2年。この2年間でピアノを弾いたのはほんの数回だけだ。それも、母のいない時に。ピアノを弾くということは、ある意味心で会話をするということなので、ピアノを弾くことでさえ母の前ではできなくなっていた。だけど、2年のブランクを経て、今、なんとなくピアノをまた弾いてみようかと思っている。まだしゃべってはいないけれど、まずは、そこから始めてみようか。ピアノの蓋を閉じた時点から、復帰曲は既に自分の中では決めていた。『ショパン バラード2番』か『ショパン バラード3番』どちらか。指はまったく動かなくなっているけど、練習すれば弾けなくはないと思っている。悲しいかな、ピアノを弾くということは、またレッスンを受けたくなるということ。悲しいかな、レッスンを受けるということは、また発表会に出たくなるということ。これが、ピアノを弾く喜びを知った、悲しい性。そして、白。
2013/10/04
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わたしは、こっち双子のどさくさに紛れて、実は今日、ピアノの発表会だった。もちろん出演はしていないが、以前連弾をした先輩と一緒に聴きに行った。発表会に顔を出すのは2年ぶり、先生に会うのは1年ぶりの私。連絡もずっとせず。もう完璧に先生の世界から脱出し、もし今後ピアノ復帰をする日が来るのなら、それは自分一人の力で仕上げようと思っている。だけど、やっぱり先生には恩があるので、発表会ぐらいは行こうかなと、去年は行くのも嫌だったのに、私も少しばかり成長したらしい。今日を一言で言うと、疲れた、ただそれだけだった。相も変わらず、勝ち負けや腹のさぐり合いがまだ続いていた。ピアノの世界なんて、所詮そういうもの。以前からもなるべく関わらないようにしてきたが、今日2年ぶりに一歩引いたところから見ても、私はとんでもない世界に身を置いていたんだなと痛感した。でも、ピアノは何人か上手い人がいて、久しぶりのピアノの音色はやっぱり好きだと思った。そんな帰り道。ただ着席して聴いていただけなのに、くたくたに疲れてとぼとぼ歩いていると、タイミングよく、のらねこがひょっこり顔を出した。初めて見るお顔。新入りさんかな。数枚写真をぱしゃり。すると、なぜか心のもやもやまでもがすっきりと洗い流され、気が付くと笑っていた。そうさ。もう私は『あっち』の世界には行けない。『こっち』の世界で、今ある暮らし、現状に感謝し、自分らしく前向きに、生きていく。こんにちは♪すっごくかわいいねこちゃんでした^ ^
2013/09/23
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前へ進む、それだけ。先月だったか、以前ピアノの連弾を一緒にした先輩からメールが来た。「今年の発表会は出る?」と。そういえば、毎年9月は発表会だった。もう私の頭の中にはピアノという文字はなく、弾いてもいない。そのメールは、夢から一瞬にして現実に引き戻された時の感覚に似ていた。確か去年からホールが変わり、発表会の在り方も以前とは違うものになったと聞いている。今年は一体どうなっているのだろうか。少なからず先生の顔がちらつくのは否めないが、もうピアノの世界に戻ることは考えていない。行くとしても、発表会当日にちらと顔を出す程度かな。
2013/08/04
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ご縁に感謝うれしい出来事があった。一人だけピアノを教えていた男の子。もうそんなことは完全に忘れていたが、先日、お母さんからメールをいただいた。昨年末で受験のため休んでいたが、無事に大学に合格したので、また4月から復帰したいという連絡は既にもらっていた。だが、お母さんの方のお父さんが倒れてしまい、実家は大分なので、もうしばらく休むことになっていた。そして、さらに今度はお母さんのお母さんも倒れて入院されたとのこと。そのメールは、もう半年以上もピアノを休んでいて本当は辞めるべきだと思うが、息子が辞めたくないと言うので、もう少し待ってもらえないか、という内容だった。たった一人だけの生徒、しかも大学生にもなってピアノを弾きたいという男の子。教える私にとっては、そんなうれしいことはない。ピアノが日常にあって、勉強の合間にでも楽しめるなんて、なんてベストな趣味との関わり方だろうかと思う。もちろん私は、いつでもメールいただけたら伺います、とお返事した。今日は納豆の日らしいので、納豆食べましたよ。
2013/07/10
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新たな扉へ 向かって一人だけピアノを教えている男の子。いよいよ大学受験なので、今月は休んでいる。正直なところ、まったく練習はしない。曲もなるべく譜読みがし安く短い曲にするように心がけているのだが、弾くことは好きで楽しそうに弾いているところを見ると、私としてはやっぱり嬉しいものだ。2月にはもう復帰するらしいのだが、息抜き程度にピアノと戯れてくれていたらいいなと思う。
2013/01/12
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シャボン玉に ピアノを 乗せてピアノは、いつもそこにあって、蓋さえ開ければいつでも弾ける。だけど、あれだけ弾いてきて、あれだけピアノに頼ってきた私が、今は弾こうとは思わない。どうも、弾かない時らしい。もうピアノから遠ざかって1年以上が過ぎた。この1年でピアノを弾いたのは、僅かの数回。今までは、弾かない日が僅か数回だったのに。自分でもとても不思議に思う。もしかしたら、ピアノに依存しなくなったということか。ピアノを弾けばすべて忘れられ、ただピアノに没頭していたあの頃。今はある程度自分でコントロールできるようになったのだろう。いや、今の生活にそんなストレスを感じることがないせいかもしれないが。知り合いには、10年離れていて、また弾き始めたという人がいる。私も実は心の中ではまた復帰することはなんとなくわかっているのだが、それがいつなのかはまったくわからない。今でないことは確かだ。今は弾かない時。弾かないで温存している時。いずれそういう時が訪れ、弾いた時に、今までとはまったく違う音楽が出来上がるようなそんな気がする。長針と短針が重なって、ハトさんも2羽(笑)
2012/12/15
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無心に なれることピアノから距離を置いて早1年以上が過ぎた。めっきり弾かなくなったが、ふと急に弾きたくなることがある。そうなると、楽譜を引っ張り出してきて、おもむろにピアノの前に座る。1時間ほど昔弾いた曲や簡単な曲を弾くことに没頭し、満足して今日の演奏会は終了。身体が芯からぽかぽかし、なかなか有意義な時間だったな、と今弾いていた楽譜たちを眺める。雨音とピアノの音色も、交ざり合うと、結構良い。もう今まで弾いていたような発表会用の曲を弾くことはないかもしれない。いや、もう弾かないような気がする。それより、自分が弾いていて無理のない曲を弾く方が私には合う。精神をすり減らして自分の内面を引き出すような演奏は、もう私にはたくさんだ。以前からなんとなく興味のあるジャズ。本格的に始めてみてもいいかもしれない。まずは楽譜を見にいこうか。
2012/11/17
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すっきりさっぱり レモン味一人だけピアノを教えている男の子。大学受験を控えているので、ピアノなんかは練習する時間はないのだろうが、「出張レッスンで出向いている私が来たから仕方なくレッスンを受けている」という感じになってきている。仕事だとは思いつつも、ふと釈然としない気持ちになってしまうのは否めない。
2012/11/02
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飛行機 うれしいな秋晴れの昼下がり、ピアノを弾いてみた。楽譜は大量にあるので、気分で選曲する。今日は低音を響かせたい。今日は小鳥の気分。ピアノを習う前の童心に返るぐらい、楽しい。きれいな秋空。
2012/10/14
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