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会社の飲み会・懇新会はいつも京都が多かったが、初めて大阪でお食事会が開催されることになった。最初は「無理です。」と断ったが、大阪営業所の事務さんと初めて会えるチャンスということでそそくさと出席することになった。しかし、お酒を1年くらい飲まないようにしているので基本的に「飲み」はソフトドリンクだけ。食べるのと大阪の事務さんとのご対面をメインで行ってきました場所は大阪丸ビル。名前はいつも聞くけど行ったことが無いのでちょっと緊張。でも、ずっと大阪で働いていたときは毎週のように買い物に行っていたので大体の場所は分かった。早めに行って買い物をしたかったが・・・結構ぎりぎりになってしまい買い物はあきらめて丸ビルへ。ナイトビュッフェなので、結構ラフな感じで雰囲気も良い。そして、席も一番端でいい感じ。(話に混じらなくてもいい場所なのでかなり気楽)大阪の事務員さんとも初のご対面で、結構話が楽しい。いつも電話でしかお話出来ないので直に会うと、ほんわかとしたおおらかな雰囲気が生で伝わってくる。お話できて良かったみんな揃い宴会開始、ビュッフェなので自分の皿に自分の食べたいものを盛っていると「自分の皿作ってるやろ!!気が利かんなぁ」との突っ込み。「え??」と思いその人の皿を見ると、きれいなお刺身盛の皿。つまみになるものをお皿に盛り合わせて、テーブルごとにおいていくらしい。気が利く。「へぇ・・・。」といいながら、自分の思うままに皿をつくる。営業さんみんなでやっているなら、もうある程度作られているはず、いらないだろう。という勝手な予想の元、自分皿をもってかえる。やっぱり、ほかの営業さんからも同じ指摘。「自分だけじゃないっすか!」気が利かない自分自身を残念に思う反面、「お残ししないために好きなものを好きなだけ持ってくりゃいいじゃん」と大人気ない自分が言い訳する。会社の愚痴を言うのももちろんストレス発散だけど、愚痴を意見に換えてお酒の場所じゃなくて公の場で主張したい・・・と思うようになった。確かにお酒の力もいるかもしれないけど、自分もお酒の力を借りていると相手もお酒の力を理由に無かったことになったら意味が無い。ストレスがあるなら、ストレスの原因・その対処方法などちょっとづつ解決しないといつまでもストレスのままになってしまう。そんなものでも自分の力へと変換する原動力になるものかもしれない。いつ体がどうなるかも分からないのに、会社のストレスで満たされた人生なんかにするのはあまりにももったいないしね。そんなときに隣で「理不尽だと思いませんか?」との問い。んー、そうだね。確かに理不尽だと思うけど、そこを突き詰めると結構会社の体制の変更であったりする。しかし、その変更をするだけの力を持たない私達が「理不尽」だけを飲みの席で声高に訴えても聞き流されてしまう。その思いや考えはしっかりと自分の中に貯蓄してどうするべきかを構築するほうがよいと思った。「神様が与えられた試練は、あなた自身が乗り越えられるものしか与えられないらしいよ。」などと、胡散臭い言葉を言ってみた・・・すると怒らせた。そうだよね・・・怒るよね。と思いながら怒りっぷりを見ていた。別に会社に文句が無いわけではない。でも、こんなところで垂れ流していいストレスではない。そこからどんな力に変換するか分からないのに愚痴るだけに使うのってもったいない。年取ったのかな・・・?怒るのにも力使うしね。いやいや、私がよく愚痴ってたくせに何を言ってんだ・・・といわれそう。でも、今はそう思うのです。
2010年08月27日
お盆でしたよね。すごく久しぶりに、おかあさんの夢をみました。いつもはぜんぜん親の夢なんかみないのに。子供の頃見ていたときは逃げる夢。親の支配から逃げたかったのかも。でも今回はきっと「お盆やで、会いにきてや。」というお誘いだと思う。兄も長野にいるし、父のお墓も鳥取のため離れている。今年は、あんまり会いにいっていないとおもわれる。一時は、結構行っていたけど。でも、夢の中ではそんなことは言わない。普通の日常生活、お互いに一緒に住んでいたときみたいに自然な感じ。不意に小銭の音で目が覚める。(なんでかな?)起きたときに「おかあさんごめん、お芝居で今回のお盆行かれへんねん。でも、来てくれてありがとうな。」という事ができた。ありがとう。いままで、こんなことを思うことができひんかった。でもこのこんな感謝の気持ちを教えてもらったのは、今年広島での研修旅行でお話を聞かせてくださった方のおかげだとおもう。なんとなくお母さんも「ええよ。」といってるみたいな気がした。もっと話を聞いておけばよかったな。うちの母は満州からの引き上げ者だったらしい。体が弱くていつも部屋で臥せっていたらしい。だからほかの兄弟ともあまり交流が無い・・・といっていた。「友達は大切にしなさい。大人になってからの友達は離れやすいけど若いうちに出来た友達はいつまでも続くから。遠くの血縁者より近くの他人やで。」としきりに言っていたのを思い出す。お盆終わってからですが、お墓参りに行きますねお母さん。
2010年08月13日
今日から仕込み。電車で、現地へと向かう。最小限の荷物にしたはずだけど、まぁまぁある。仕方が無いよ、仕込みだもん。電車でくうさんと合流する。体全体から「ねむいー」という空気をだしている。寝ずの作業のため、一睡もしていないらしい。やっぱり。でも、泣いても笑っても本番。準備するしかないのです、そのために来てるんだから。駅についた瞬間にくうさんがあつみさんモードへ切り替え。駅にはかっぺいちゃんとたなべっち、お手伝いしてくださるSちゃん。何が出来るかはわかりませんが、とにかくがんばるだけです。
2010年08月13日
仕事収め??なんとか仕事を片付ける。休み明けの仕事は何をするべきなのか、メモしとく。1日休んでも何をするべきか忘れてえらい目にあう。出荷は、手元においてない。急ぎのものは全て回しているはず。指差し確認をしながら帰宅。小道具・衣装・着替えなどをつめつめして準備。再度、チェックリストを見ながらつめ忘れが無いか再チェック。今回は一兄と別行動。衣装・小道具は一兄とともに明日の夜に合流する。以前、そんな別行動のとき小道具の仮面一式を忘れたことがあった。会場は相生。もう無理だ・・・と思ったときに一兄が後発組だったので持ってきてもらったことがあった。なんとなくそんな想いがよみがえったので再度チェック。もう大丈夫と思っても何が起こるかわからないのが本番。無事、怪我もなく終了しますように!!
2010年08月12日
今日から、京都の営業事務さんがお休み。入院・手術となかなか心配ではありますが、とにかくその間のお仕事が滞らないように、出てきたときにびっくりするほど仕事がたまっていないように自分の仕事と供にこなしていかないと。私が入院したときもすごくお世話になって、仕事はほぼおんぶに抱っこ状態だったのでそのご恩を少しでもお返しできるようにがんばらねば。といっても、がんばると間違った方向へがんばってしまいがちなのでがんばり過ぎないように、日常業務をこなしていきます。京都の営業さんも不安そう。私が頼りないので仕方ないのですが・・・ええい、あんたらが頼れるようにちょっと落ち着いて対応していこうじゃないか。わけのわからん状態で仕事が回ってくる。説明もない。イラっとしながら深呼吸。「この処理の仕方、申し訳ないですが教えていただけないでしょうか?」だって、本当に分からないんだもん。営業もあいまいな指示をして逃げようとする。「私は何をしたら良いですか?」逃がさない私。的確な指示がなければ仕事はつき返す、「良きにはからえ」は絶対に許さん。確認、再確認、時間はかかっても確実にしておかないと京都の営業さんや今お休みされている京都の営業事務さんにも迷惑がかかってしまう。自分の仕事は要領を得ているので大丈夫なはずだが、ちょんぼが結構ある。確実に、再確認。これがアイコトバ。
2010年08月09日
いやー!!最終稽古です。台詞が、段取りが、着替えが、小道具が・・・。もう、いっぱいいっぱい何がそろっているの?何が足りないの?小道具一覧を作っているけど、それはあってるの??もう訳がわからなくなっている私。それはみんなもそうみたいで、何がなんだか・・・。時間はあっという間に過ぎていくのに準備には時間がかかる・・・、そしてそれは準備なのかなんなのか・・・。通し2回、まずは2時から。わけの分からない間、でも本番でもそうなる可能性があるのでプロンプはなしで。どう切り抜けるのかも想定しての練習。舞台袖も繋がっていないので、セットし間違えたらそれでアウト。それも確認していきます。しかし、一番問題が段取り。どこで誰が何を出したりしまったりするのか。その段取りで時間がかかる。台詞を思い出すために台詞は走るが台詞と台詞との間は開きすぎる。テンション保つとかもっと前の段階すぎで、どうすることも出来ない。あきな嬢は死にそうになりながらみまもってくれている。たなべっちも竹中先生ももちろん。演出のくうさんは止めたい衝動を耐えたと思われる。わけの分からないまま、1回目の通し終了。そうしても直さないといけないところを修正し、もう一度通しの準備へ。やっぱり、1度通しているためか多少落ち着いて対応できる。体がなじむ・・・という感じ。スペースと声とタイミングと。スペースに合わせて声を出すと今までの感覚と違うので台詞のタイミングがずれるため、次の台詞が違うパターンで出てくる。それにより、今までと違う芝居のパターンが展開される。すぐにビビッてがたがたになってしまうけど、落ち着いて考えるとそんなことを感じていることに気づく。さて、本番まであと少し。がんばりましょう。
2010年08月08日
この日は荷物を積み込んで違う練習場所へ。何度かお世話になっているホールへ。そこで、最後のシーンまでをとりあえず流してみる。初めてのシーン。どんな感じになるだろうとどきどきしながら、そのシーンを作っていく。段取りを確認したり、出はけを確認したり、自分の立っている場所の確認。ここからは、どんどん盛り上がっていくシーン。がんばれみんな。ちょっと第三者的な立場にいる私。お客さんと同じで、今始めて起こっていることを静観していくポジション。そして、エンディングまで終わる。やっぱり、いい。感想はそんな単純かつシンプルなもの。台詞が入ったらどんな感じになるのか楽しみ楽しみ。
2010年07月19日
朝は2回の子供達がばたばたと走り回る音で起床。うるさい・・・建物は1階が和室でたたみばり。2回は板の間でベッド。そのベッドが2段ベットらしく飛び降りる音が尋常じゃなくうるさい。あと、階段があるので1階から2階を鬼ごっこのスペースに。大人たちも公共の施設なので注意しない(おかいしよねぇー)子供達に「おはよう」と声をかけてもすごくいぶかしげな顔をして挨拶もしない。つるし上げてやろうか・・・。一瞬悪魔が顔を出す、ダメだ大人なんだから・・・あれはちゃんと教えていない大人のせいなのだよ・・・。自制心をたもつように自分をなだめる。ナルちゃんが激怒でおきてくる。「うるさいねん!!」くうさんももそもそと起きて来る。みんなも仕方ないので起きて来る、朝方まで作業していた人たちが。くうさんがぼそっと一言。「子供つかまえて『あんたらいつまでおるん』って聞いたらいいねん。」と。京都弁なうえに寝起きの超スローな感じでより怖い。もそもそとごはんをいただき練習へ。体のワークを踏まえながら練習していく。今日は竹中先生が帰る日、お仕事のため1日早い帰宅。しばらくしてから、バーベキューの用意のため練習している部屋を空けないといけない。練習のキリまでやりたいけどお構いなしに「夕食の準備できているので」と呼びにきていただく・・・。これが結構厄介で、扉が満々に開放されるので虫がすごく入ってくる。片付けも部屋を通る、練習中でも。そんな中、ビールを4本載せたお盆を台車に載せて人がとおる。口では「すみませんねぇ」といいながら、結構おかまいなし。というか、もうちょっと要領よくしたら、そんなに何往復もしなくていいはず。材料を載せるための大きな台車もあるのにそれにはちょっとしか荷物がのっていない。というか、そんなに大きな部屋でもないのだから外からでも回れるはず・・・。ということを昨日と今日ひしひしと感じながら、練習再開。それはきっと前日のカツカレーのせい。カレーなら失敗するはずがないと思っていたのに、失敗していた。お金を払っているのに、ルーが足りなかったのか薄めた感じのカレー(実際カレーの味もかなり薄かった)がかかって置いてある。夜合流するメンバーがいるためカレーはかけないでほしいとの旨を伝えていたのに、カレーはご飯のうえにかかって人数分置いてあった。それだけでも結構ショックだったのに、カレーがまずかった。その上サラダにはドレッシングもかかっておらず、なんかさびしい感じの食事。夕食にメインが無い感じ。みんな会話も少なく黙々と食べる、早々に部屋に帰っていった。食の恨みって怖いね。私はそんなに食事にこだわり無いと思っていたけどあるね、やっぱり。とりあえず、そんなことが重なっていることもありいろいろ考える日でした。いえいえ、練習はもちろんがんばってました!!ちゃんとお芝居のことも考えてますよ。それ以外でも感じることがあるな・・・って、思ったのでした。
2010年07月18日
荷物を積み込み、みきちゃんを拾ってなる王子の元へ。一兄の車は際限なくぎりぎりまで荷物を積み込みます。しかし、電車組みは大量の荷物を持って電車で来ます、そちらも大変。とりあえず、渋滞予想がでているので渋滞に引っかからないように早めに出発。向こうにつくと、REIKA・竹中っち組みと合流。買い足りないものなどを買って、合宿施設へ。部屋がすごく広い。涼しいし、快適。早速着替えて準備。ちょっとづつ場面を返していきます。フルメンバーがいるのでシーンをどんどん作っていきます。シーンとシーンの流れも繋がっていく。この繋がる感覚が面白い。今までばらばらで作っていたものがパズルのパーツのように合わさっていく。演出からもいろいろ指示が飛ぶ。その指示に従っていくとまたシーンが変わっていく。初めてのパターンだとすごく緊張するけど、新鮮で面白い。どきどきしながら、1日目終了。そのあとも、台本作りなどみんながんばっていましたが私は電池が切れたように寝てしまいました。ごめんねぇ、みんな。明日はがんばるからねぇ。
2010年07月17日
今回の公演に向けて合宿が明日からはじまります。合宿前に少しですが、小道具を作って持っていこうと試行錯誤してます。いつもは、結構ぎりぎりだったり早い目に段取りをしていただいたものを持参するだけですが、出来るだけ「合宿」というなかなか取れない時間をフルで使える時なので、ちょっとでも有意義に使えるように、小道具を使い慣れてもらえるためにも準備中です。意外と練習中に「こんなのがほしい」という意向が出ていて、それに遠からず離れすぎないようにヨチヨチと作っていく。不器用な自分を恨めしく思いながら、出来そうなことから片付ける。本当にすごく不器用確かに家庭科の裁縫は特に点数が悪かった。その上、技術家庭の工作系も好きだけど下手。いつも私の兄が見るに見かねて手を出す始末。でも、下手だろうと不器用であろうと出来ることを片付けないと。会社のお仕事と一緒、得意なものはそれはそれでいいけど、それ以外のものなんて山のように世の中に転がっている。苦手でも立ち向かえばいつかそれなりになるはず!!などと自分を励ましながら準備、準備。っていうか、お泊りの荷物は?洗面道具にタオルに・・・練習着は?準備がされていないことに気づきぼちぼちと入れていく。しかし、頭がはたらかない・・・眠い。きっと、冷蔵庫の中を使い切ろうと夜ご飯のメニューにあたまを使いすぎたのかも・・・。(少ない材料でのやりくり??)と考えながら、うとうととして落ちている自分。とりあえず、明日からがんばりましょう。
2010年07月16日
京都に住んで結構たつけど、こちらに住んでから祇園祭に行ったことが無い。(一度だけ京都に住む前に言ったときのインパクトがあまりにも強すぎていけない・・・)そして、京都本来の蒸し暑さが本領発揮といわんばかりに本格化するのもこのくらいから。梅雨明けと祇園祭が大体同じくらい。山鉾巡行がおわると「夏」がくるイメージ。やっと、この感覚に慣れてきたが京都に来た当初はこの湿度の高さと逃げ場の無い暑さに精神的にやられていた。大阪に住んでいたといっても北河内、京都よりの大阪なのでそんなに変わらないはず。「おけいはん」で1時間弱のところに住んでいたが、暑さと寒さの質が違う。だから、祭りの雰囲気もちがう。大阪のときはもっぱら天神祭りに行って夏を謳歌していた、しかし祇園祭はちがう。初心者にはなかなかむずかしい。いろいろと知っている人と一緒でないとかなり痛い目にあう。(痛い目にあいました)まぁ、1回しか行ったことが無いからよけいかも。しかし、京都のお祭りであったりイベントは特に初心者や一見さんにはちょっと敷居がたかいのかもしれません。つぎは必ず京都在住の友人と行くことにします。
2010年07月12日
今日は、京都の事務員さんの定休日。自分の仕事と、お休みされている方のお仕事もこなせるものはこなしていきます。ばたばたとはしているけれど、ちょっとづつ京都の担当さんの仕事も慣れてきました。先日から話していた仕事の流れのルート確認をしているおかげで結構スムーズ。しかし、やっぱりきました。以前からちょっとややこしい得意先があり、まぁ得意先なのでご要望にお答えするのが当たり前なので、対応はしていますが今の時期は先方が忙しいため急な納品依頼が相次ぎます。それも、対応できるのなら対応します。それが、先方の都合で納品時に必要な伝票が来ない。それでいつも納品時に支障がでており、以前から何回も問題になっていたためその対策を立てたにもかかわらず、また同じ事を繰り返す。そのことを担当営業に追求すると「先方の要望なんだからしょうがないでしょ?!できないことじゃないんだからやってよ。断るんなら自分で断ってください。」との返答。言っている意味は分かっているつもり、でも社内での混乱が発生し納品時のクレームにまでなっている。でも責任は納品する部署の責任。適当な指示、毎回違う納品方法、イレギュラーの連続。間違いの元を減らすための仕事のルート確認。結局すぐにルールは破られる。そしてそれが常習化。悪循環の始まり。とりあえず、上司にも相談。「先方の要望なんだからしょうがないじゃないか。そんなにしゃっちこばらずに。」そうです。そういう社風です。私がしゃっちこばってんじゃなくて、得意先に対する最低限の礼儀なのですが。そう思いながら、とにかく「今回だけ」を強く確認しイレギュラー納品の手配をする。いらいらしてると仕事が進まないので落ち着く。残っている仕事を片付けていく。そして終わり駆けに面談もあった、1年間の仕事の目標を立てるのだ。とりあえず作っていった表を渡す。上司から言われたのは「とりあえず言われたこと、やることだけしてればいいから。」あっそ。文句をいうなという釘さしも入る。「去年と同じようにしておくから。」ばかばかしい。何のための面談だ。私の面談の時間を返せ。以前その上司からは「僕達がみんなの雇用状態を守っているから。」といわれたことがある。だったらなぜ私達が休まされて、仕事量が減らないのか。土曜出勤・残業もできない状況。無意味な残業をしていると直接ではなく上司同士の会話で聞こえてくる。本当にばかばかしい。でも、そんな職場だからわけの分からない道理がまかり通る。ここでやめてしまうのもひとつの手。それでずっと仕事から逃げてきた私。そんなことはいろんな会社でまかり通っている、そんなわけの分からない道理は会社だけでなく社会でもまかり通っているようにおもう。だから、ちゃんと自分を持とう。自分の道理。自分を見失わないように。長い時間がかかっているけど、逃げてきた道を少しずつたどっていく気分。すぐに投げ出して、逃げて、人のせいにして。でも受け止めよう、現実を。さぁ、腹据えていこう。mai
2010年06月11日
今日は、会議がある。営業部の全体会議。いままでは、一度も出席したこともない。しかし、今日は初めての出席。なぜ出席かというと、仕事の軽減に伴う依頼事項とスムーズな流れにするための提案。しかし時間は15分。会議は5時間くらいあるものだが、そんなことに時間を使えない為。そういわれていないけれど、残念そう言っているのが手に取るように分かる。とりあえず、15分でわけの分からないことをいわないようにとりあえず書類を作る。簡単な要望書、という感じかな。あとは投げかけたことに関してどんな返答が帰ってくるか、という感じ。いざ会議の席。行くとお昼からはじまったこともあり、一番眠い時間。一番ネックになってきそうな人が、一番眠そう・・・その上話を聞いていない。投げかけに関しての答えは後日、というより本当に答えがでるのか??やらないよりはやったほうがいいけど、やっても意味がないことはやる価値があるのか??ちょっと疑問に感じながら、その日は終了。とりあえず、「へこまない事」。へこんでも、早々にへこみきって膨らまないと。日常はどんどん流れていくんだもの
2010年06月07日
最近、入院や手術など私の周りの人たちから聞くことが多い。この間久々にあった高校の同級生は今日から再入院。しばらくは入院するらしいが、かなりやせていて本当におどろいた。本当に女の子らしく美人ですごく細やかな性格、女の子のお母さんかと思いきや男の子2人のたくましいお母さん。でも体調を崩してしまい、ゆっくりとしているがその病が病だけになかなか全快は難しいらしい。でも、その友人は久々にあった私達に現在の自分の状態を包み隠すことなく話してくれた。退院したらまたみんなで集まろうと。それから、会社の同僚。彼女も手術が必要だという。会社では仕事があるので、気丈にしているが内心はとても不安だろうとおもう。いろいろ、素人が憶測でいろいろなことを言う。それに対して心配が発生しているようだ。素人判断にならないように情報を集めるが、それが逆に迷いの元になっているようだ。厄年。高校の友人は、私と同い年。でも早生まれなので前厄。会社の同僚は、私より1つ上なので後厄。二人とも女性の大厄は終わっているが、そのあとにも控えている厄年。本当に年頃的にいろいろ発生する時期なのかも。でも、恐れていても仕方がない。歳は重ねてなんぼ。1つしかない換えのない身体、ぼちぼちうまいこと使っていかないとね。とにかく、私の大切な友人達が無理をしないように願ってます。mai
2010年06月01日
高校生のときの同級生と久々にあう。私の結婚式の時に会って以来の人がほとんど。本当にご無沙汰しています。私のその友人達は高校のときに同じクラブ活動をしていたメンバー。その中でも私は中学のときは運動嫌いで文化部だったにもかかわらず、何故か高校生のときに「これで学生は最後なんやからこのままではあかんのちゃう・・・運動部に入ってみよう」と思いたち今日会うメンバーと会うきっかけになったクラブへ入部。入ってから毎日、ランニング・柔軟・基礎練・ラケットの握りから本当におんなじことの繰り返し。わけが分からなかったからとにかくみんなについていくのに必死で気がついたらびっくりするほど、筋肉がついた時期でもありました。(シシャモ足とか腕も力こぶがでたりとか・・・)夏休みもお盆しか休みがなくていつもみんなと「明日やめようか、いつやめよう。」と話し合っていましたが、結局みんなで励ましあって3年間続けることができました。先輩・先生などの出会いも本当によかったと思います。でも、やっぱりその同級生のみんなに会えたことは私にとってはすごく心強いものになりました。そのみんなも、私を最後に全員無事結婚して立派なお母さん達です。最近怒れないお母さんの話を聞きますが、友人達は自分の子供にだめなことは「だめ」と教えている姿をみて、「ちゃんとお母さんなんやな・・・。」と実感します。自分は人に教えることや指導することなどはできません、というか下手くそですかなり。必死に伝えようとしているので何とか聞いてもらっているのも分かっています。以前は「言葉が通じない」と思うことが多かったのですがそれは相手だけではなく、自分が伝えることに下手くそなのだとしみじみと感じます。それまでは相手が聞こうとする努力をしてくれていたので、「通じている」錯覚に陥っていたのです。そんな自分が子供を作れるのか、その子供にちゃんと伝えることができるのか。いろいろと考えてしまいますが、おかあさんになった友人達は「気がついたらそうなる」と。「案ずるより産むがやすし」と。そうだね、結婚するときもみんなから後押ししてもらったのもあったもんね。とりあえず、久々にみんなにあって高校生に戻ってきます。(心だけ・・・図々しい?)mai
2010年05月22日
お仕事は相変わらず週1回と土日の休みが続く。それについての話し合いも続く。この間は、「明後日の朝礼後のミーティングにちょっとだけ参加してそのときに意見を言うように」とのこと。基本的に私は大阪担当だから要望といっても京都の営業さんに対してはそんなにない。来た仕事はこなす・・・が基本。しかし、京都担当者は朝ちょっとずれての出社時間。ミーティングの時間にはいらっしゃらない、しかし「二人で話しておいてもらったらいいんじゃないの。」無責任な上司に対して、営業事務二人で必死に要望を上げる。明後日といっても翌日は私の休業日、その翌日なので基本的に1日しかない。休み明けの朝には要望を上げないといけない。とりあえず、京都担当者と一緒に意識の統一をする。大体言いたいことは同じみたい。ちょっとだけ安心し休業日明けのミーティングへ。いぶかしげな営業さんへ要望を上げていく。めんどくさそうな上司、とそのときに「ちょっと・・・」と席をはずす。そのときに、営業さんたちの意識を再確認してみる。私たち営業事務が休みが増えることによって迷惑をこうむっているのはこの人たち、それは分かっている。その上での要望、もちろんそれに対しての意見もほしいし改善策を作っていきたい。何でも押し付けるのではなくお互いにできる範囲の負担をしたい旨を伝える。どうやら、上司に話していたことはまったく営業さんたちには届いていないようでびっくるしている人もいる。とりあえず、そんなすぐに出る答えではないのでその日はそれだけ。また後日時間がほしいこと、京都担当者も一緒に話をしたいことをも一度上司に報告。上司はかなりめんどくさそう。仕方ないよね、分かっているけどみんなが大変な時期。このときに踏ん張っておかないと。後日、ほかの営業さんからもその話をもう一度したいと要望をしてくれたおかげでもう少し話ができそう。はっきりいうと、上司と営業さんたちの思いはばらばら。上司は必死に要望に対しての改善策を打ち立てているが課員はそれに不満顔、しかしそれを口にしなくてしわ寄せを営業事務がかぶる状態。いいじゃないの、おんなじ会社内なんだからできない事はできない。それに対する改善策を作っていけば。まぁ、日々の仕事は試行錯誤のおかげ?で減る方向です。さて、次回のミーティングまでに資料を作らないと・・・。mai
2010年05月15日
広島港へ戻ってきてから、路面電車で「御幸橋」へ。さすがuni、アクティブに動きます。久々の御幸橋。路面電車と車が行きかう大きな橋。以前着たときには気がつかなかったのですが、橋の脇に小さな祈念碑というかボックスというか・・・電話ボックスよりちょっと広いくらいのスペースがあり、そこに「被災証明を発行する警察官」の写真が展示され千羽鶴も飾られていました。でも、本当に地元の人の散歩コースであまりここまで来る人がいないみたいでちょっとさみしい感じでした。そこから、比治山へ。さすがに歩いていくのは無理のなのでタクシーで山の上まで。前回も着ているのに、今回はなんだろうちょっと違う感じ。展望台(?)から町を見下ろしながら想像する、この付近にすんでいて一面が焼け野原だったら・・・自分の家を探して、家族を探して、見えた光景が一面何もなかったら・・・?それから、お墓へいく。前回も着ているはずなのに、ここも違う感じがする。ここからも広島の町が一望できる。だから、お墓があるのだ。そう、町を見下ろせるように。そこからの光景に、やはりさっきの想像した光景が重なる、そして家族を探す・・・。当時の経験をすることは決してできない、もちろんそのとおり。分かってる。でも、重ねることはできるはず・・・以前教えていただいたように・・・そう考える。お墓、といっても個人のお墓ではない。陸軍墓地である。説明がかかれた碑が横に立っている。それにひとつひとつ目を通す。前回のときはそんなに見ることができなかった・・・なぜだろう。お墓にはあまりいい思い出がなせいかもしれない。父の入っているお墓のことや、母の入っているお墓のこと、現在のお墓の事情や先祖のこと。基本的には長男が継ぐという慣わしに兄弟が縛られている。私は嫁いだのでその縛りから逃れている、というか逃げている?罪滅ぼしのためにお墓参りをしているのかもしれない、そんなことでは何の解決にもならないのに。しかし、前回のときは逃げるようにあとにしたお墓だが、今回は静かな時間にお邪魔したことをちょっと詫びながら、感謝することができた。ゆっくり見させていただけたことに。比治山は徒歩で降りる。そのふもとに神社がある。何気なしにたちよると、被爆建物である鐘楼があった。たまたまだったのでまじまじと説明文をみながら、いたるところに傷跡が残っている、というか大切に残してあることに感謝しながら、路面電車で広島駅へ。そして、広島出身の方から教えていただいた「あなご飯」を食べる。おいしいかなり満足!!広島についてからずっと追い求めた「あなご飯」、堪能いたしました。一兄・あつみさん・catheさんが地酒に舌鼓を打つ中、私はお茶でほっとしました。あとは帰るだけ。でもここであつみさんから宿題が・・・!!「感想文」を提出するように・・・?いや感想文だったかな?そんなニュアンス・・・(こんなところでもニュアンスな私)ということで、基本文章が苦手な私つたないですが旅行記のような、感想文のようなというか、日記だな・・・。忘れないように、バスの中で手帳にタイムスケジュールをつけながら帰省。むくむ足をさすりながら、広島をあとにしました。mai
2010年05月04日
さて、見学の前に一度集合し注意を聞く。そのときに、予想以上に込み合っているため1人が規律を乱してしまうと見学が難しくなるとのことを聞きながら「やっぱりここは学校なんだ・・・、そして旧海軍の・・・」ということが頭をよぎる。基本的に団体行動をする場合はある程度の「規律」や「約束」が必要である。以前学校に勤めていて思ったことは、「ゆとり」というか「個人主義」になってしまい、その団体で活動・生活をするための「ルール」が守れない人が圧倒的に増えてきた。ある本にも書かれていたが、日本は戦争のときに強烈に国民に強いた軍国主義を繰返さないために欧米文化の「個人主義」を強く教育に取り入れたそうである。しかし、その個人主義が残念ながら「自由」と履き違えられなんでもかんでも「自由」を振りかざして、自分自身を律する「ルール」すら見つけられない現状が反映しているように思われる・・・といっても自分もどうしても「ゆるい」方へと流れてしまうので否定はしきれない。なんてことを思いながら、見学へ出発。まずは、「講堂」。洋風というか、ギリシャ神話にでてくる神殿のような白い壁と青い屋根の建物。こんな建物が、戦前から建っていたのか・・・と驚く。中に入るとひんやりとした規律正しい雰囲気が流れる、下は大理石張り・・・ここで入学式や式典をするそうだが、これは冬場はかなり冷え込む。エアコンとかないもんね・・・と色気のないことを考える。しかし、この講堂は本当にすごい。ひとつひとつが無駄がなく、ちょっとした気品がある。壇上の置くにはシンボルのふくろうがある、そして両側の扉はいたってシンプルな扉があるが、その扉でさえもシンプルなのに造りがすごくいい。照明についている飾りも、ちょっとしたセンスがとてもいい。外にでると「茶色い校舎」ここは外から見るだけで、中は立ち入り禁止だった。しかし、こちらもレンガ造りで立派なものだ。戦争がはじまる前にここにいた学生は、本当に将来を託されたいわば国を背負っていたのかもしれない。個人でもなく家族でもなく故郷でもなく、まさに「御国」なのだろう。最後は資料が展示されている「展示館」その建物の横には人間魚雷や二人乗り潜水艦などがある。中に入ると長い階段があり、その上には銅像など飾られていてその奥が展示室になっている最初は海軍の始まりからの歴史の展示なので大河ドラマでおなじみの面々の名前がならぶ。しかし、一兄は「もっと先に行こう」といいながら、奥へと進んでいく。戦争のときの活躍振りやその様子を表すものが飾られている。一兄は「ざっと流していこう」という感じでどんどん進んでいく。ちょっと疑問に感じながら進むと、やっと意味が分かった。特攻した人たちの名前が刻まれている石版が飾られた部屋。8/15に特攻した方の名前も刻まれていた。振り返ると、特攻した方の遺品や写真などが展示してあり、過去に起こった事実を実感する。次の部屋にも遺品や写真があったが、ますます戦況が厳しくなった時期なのであろう、血判状や遺書、血染めの鉢巻、「轟沈」とだけ書かれた色紙など。みんな文字や言葉がしっかりとしたもので、その決意にどれほどの想いが詰まっているのかとその言葉を出す勇気を思って胸が詰まった。人が「国」を背負い「家族」のために、また「誇り」のために戦う。平和ぼけしているといわれている昨今、それは「平和」を求めた結果なのにそれは本当に「ぼけている」のか。ぼやけているのは時代ではなく自分自身であって、何がぼやけているのかすらを見分けられない自分の目が「ボケ」ているのだ。「誰かがうまいことしてくれる」と与えられた平和に不満だけを垂れ流し、「一個人では何もできない」とタカをくくり何も見ようとも感じようともしなかったことが、結局自分の首を絞める。自分にはそんな自分を動かすための信念はあるのか。そんなことを思いながら、旧海軍兵学校をあとにしました。
2010年05月04日
昨日は不覚にもシャワーだけで寝てしまったので、ホテルの大浴場を朝から使う。何故かといえば、大浴場にはジェットバスがあり、更衣室にはマッサージチェアがある。昨日の夜は大浴場に遅くなっても人が多かった為あきためたのだ。しかし朝になっても足の疲れがなかなか取れないので、思い切っていってみた。効果があったようで何とか今日一日もちそう。今日は、江田島へ渡り旧海軍兵学校を見に行く。前回の時は残念ながら私は仕事で遅れて合流したため見れなかったのだ、楽しみ。路面電車で市内を移動。広島港へ。切符を購入し船着場へ。初めて乗る高速船、すごく早い。船から見える風景に一般客船以外に自衛隊の船が見える。しかし私、乗り物に乗ると基本的に寝てしまうため気がついたときにはついていた・・・残念。そして、そこからバスで移動。しかし、バスが30分ほど来ない。歩くか、待つか、タクシーか。話していると後ろのバス停に停車中のおじさんが声をかけてくれた。「どこに行くの?」「海軍兵学校へ行きたいんです。歩いたらどれくらいかかりますか?」「歩くんだったら30分くらいかな、でも1つ手前の停留所なら止まるし歩くなら乗っていく?」「乗ります!!」という会話から、乗せていただくことに。お客さんは、私達一行と高校生くらいの男の子、あと地元の方が乗っていたような・・・。ほぼ貸切。乗っていると結構山道・・・ここを歩くの?・・・結構きついかも。そうこうしているうちに、1つ手前のバス停へ到着。お礼を言いながら下車。5分くらい歩くと、見えてきました「海軍兵学校」。れいちゃんが交渉している。見学時間は次回は13:00から、しかし現在12:00。近くのお店は明らかにしまっているし・・・、と思っていると中に食堂があってそこでお昼を取ることに。ということは、海軍カレーが食べれるの?海軍さんのコーヒーもいただける?れいちゃんの交渉後、中へ。本来は学生さんたちが使っているところなのでメニューもお手ごろ。そして、注文はもちろん「カレー」と「コーヒー」。そうそう、私最近ずっと味覚が狂っていてコーヒーが飲めなかったのですが旅行前からやっとコーヒーを飲めるようになり、ここでのコーヒーは本当に家で飲む以外では半年?振りぐらい。カレーもまろやかでおいしかったけどコーヒーがこれまたしっかりした深いコクでとてもおいしかったです。さて、これから見学。思ったよりかなり人が多いみたい。ちゃんと説明が聞けるようにがんばっていきます!! mai
2010年05月04日
広島の平和公園を回った後、本川小学校へ。しかし催しものが沢山あり、出店も沢山。心引かれるがそこをぎゅっと集中して平和公園を後にする。すごい。猛烈に人が多い。平和大通り、大阪で言う御堂筋。そこがすべて歩行者天国になりその道の両側に出店やステージが組まれあちらこちらでライブが行われている。この写真をかっぺいちゃんがパチリ。「こんなに人がいる記念に。」とのこと。何とか人ごみを掻き分け、本川小学校へ。しかし、催し物をされていて入場できないため袋町小学校へ。そちらには1度いったことがあったが、ちょっときれいになっているのかな?以前とイメージが違う。地下でビデオを見て、再び平和公園へ。資料館横のステージで「まなかな」が歌っている。今のうちに資料館へ、今ならすいているはずと再度入場、もう一度ゆっくり見るために。しかし、相変わらず人が多い。後で教えてもらったが「憲法記念日」だったせいでもあったようだ。でも、関西に住んでいて「憲法記念日」だから平和に関する勉強をしようとは思わない。それも土地柄だからか、地元の方の意識の高さなのか。再度見て回るが、それよりも閉館時間が迫っていたため私と一兄は一足先に地下の写真展へ。やっぱりすごい。戦後焼け野原になってしまった広島の町がすこしづつ復興していく様子が写されている。原爆ドームの対岸をお風呂屋さんへ向かうのか帰りなのかの2人の女性、そして手前には雑草の花が揺らいでいる。昨日みた写真展のポスターの写真。やっぱり、これはすごくいい。生命力というか生きている人が感じられる。ほかにも、町並みと子供、灯篭流しの様子、花火、どれもこれも資料館のものを見てからこちらに来ると救われるというか、現代へつながる写真達だとおもいます。その写真展で昨日偶然お会いすることができた女性とも再び会うことができて、少しお話をうかがうことができた。「この写真は当時このあたりに住んでいた方が見たらきっと懐かしがられるわ。」「こっちの写真も予約しておくわ、今度公民館で写真展を開くために。」やっぱりとってもパワフル。いろいろ写真を見ながら教えてくださる、たまたま一緒にいた大阪から家族旅行でこられていたご婦人も一緒にまわる。「私は、たまたま大阪から家族旅行できたんですが何の気なしに入ったんですよ。家族はまだ資料館をまわっています。」これもなにかのご縁なのだろうと思いながら、写真に心を奪われる。私と一兄はじっくりじっくりまわる。そこに、資料館を回っていたみんなも合流。みんなもやっぱりいろいろと感じているのかな、じっくりと見ている。しかし閉館時間のため、守衛さんに追いかけられながらでてくるみんな。歩き回って足はくたくただけど、よい出会いに恵まれた日になって本当によかったです。mai
2010年05月03日
本日は、資料館・平和公園、周辺詩碑などを回る予定。気温も上がりそうなのでちょっとハードになるかも。そんな事を考えながら市内へ。しかし、5/3からはじまる「フラワーフェスティバル」。催しが半端ないです。もっと小さいかと思っていたのですがすごい人。資料館にはそんなに人がいないだろうと向かうと・・・猛烈に多い。資料館の中も人があふれ返っている・・・。そんな中、すごく心に残ったのが子供達がおばあちゃん・おじいちゃんと一緒に回りながら写真を説明してもらったり、当時の町の様子、生活をしていた様子を直に聞いている姿をみて、「伝える」「つなぐ」とは、本当にこんな普通の生活の中にもあるんだと目が覚める想いでした。ほかの旅行者の方はピースボランティアの方や音声ガイドを片手に歩いている、そんな姿とついつい見比べてしまいました。身近な「戦争」。身近に感じること、本当にそれが大切だな・・・と思いながら。しかし、次の予定があるため足早に資料館をでる。その後は体験談をお伺いするために祈念館へ。人数が少ないのでがっつりかぶりつきでお話していただきました。最初は物語を語るような感じだったのでちょっと違和感を感じましたが、人と人との繋がり、「絆」のお話、被爆されたときのお話、思わずないている自分がいました。ハンカチを出すのを忘れていたため、泣かないように気をつけても無理でした。今まで体験談を聞いた方達とはまた違う方向からの見方。しかし、見方・方向性がまた違うとしても今までお話を聞いた方と同じように最後まで「人」を尊重できるか、人として何ができるのかということを考えられている方でした。私には、そのとき何ができるのか。私は、最後のときに何を願うのか。その答えはまだでてませんが、ひとつの答えを提示していただけたような気がします。自分が最後のときまでに何ができるのか・・・つなぐことはできるのか。そのあと、祈念館をちょっとみて次の予定へ。公園内を案内していただけるピースボランティアの方の元へ。その方と一緒に久しぶりの平和公園を見て回ります。もちろん千羽鶴も一緒に。そして、「さだ子さんの像」の前に来たときに学校に通っていたさだこさんの話をしてくださいました。一同「えっ!!」ピースボランティアさん「同じ学校で、ひとつ学年が下だったんです。同じ病室に入っていた子は同級生でいました。彼女はとても運動ができて活発な子でした。」そんなレアなお話が聞けるの!?そのほかにも、ちょっと裏話なども教えてもらい、より身近に「普通の女の子」だったことを感じることができました。mai
2010年05月03日
三次を後にしたあと、これまた私達にとっては大切な出会いをさせてくださった方との再会。その女性自身とてもパワフルで目的というか目標がまっすぐと貫かれている方です。私は、本当にお久しぶりすぎなのですが久しぶりにお会いすると「こんなに若かった??」という感じでした。確かに、当時お会いしたときはご自身がとても大変な時期だったせいかもしれませんが以前よりもパワーがあふれているような感じがしました。現在の活動内容や、そのためのプロセス。それを協力してくださる方のお話。とても力強いというか骨太な活動をされていると実感しました。そして、資料館の前で写真展のポスターが飾られていましたが、それがとても「生命力」を感じる写真でした。翌日資料館を回るのですごく楽しみができました。そしてそこで出会ったもう一人のパワフルな女性。ちょうど、お話をしていただいていた方が話そうとされているときにたまたま通りかかられたそうで、それも「奇跡です。」といわれていました。その女性も、いろいろな活動をされており資料館で展示されている写真を違う施設でも写真展を行うために、その話をしに資料館へこられていた方でした。お話を聞けば聞くほどパワーがみなぎっていく二人。「では、今日はここらへんで。」と帰っていかれました。何をするために、何を選ぶか。そのための手段・人脈は。非常に勉強になりました。感謝、感謝です。mai
2010年05月02日
合流後、三次へ。ディーゼルの電車に乗って約1時間30分。なかなか見慣れない・乗りなれない電車や風景を見ながらのんびり向かいます。(私は乗り物に乗って座ってしまうとすぐに寝てしまうので景色を楽しむ・・・ほどは見れていないかも・・・?)三次へつくと駅の売店に見慣れないパンや地酒、おみやげ物、とついた早々なのにちょっと楽しむ。そして、駅からはタクシーで目的の場所へ。私達にとってはとてもお世話になったカメラマンさんの奥様のところへ。今はお嬢さんのところにいらっしゃいます。私にとっては、「戦争など遠い過去の昔話」から「現実に起きた過去」につなげていただいたきっかけの人なのです。たくさんの被爆体験を聞いていたにもかかわらず私の中には知識としてしかありませんでしたが、「実感」という形で私の中に落としてもらえた・・・というのか、理解できたというか。その奥様は被爆体験を語られている方ではありません。「あのときのことは思い出したくない。話すと当時のことを思い出してしまうから。」話の合間に奥様がつぶやかれたその言葉が衝撃でした。「わたしはあまり怪我をしていなかったから申し訳なくて・・・。」氷水をかぶったみたいな衝撃でした。本当に浅はかな自分の考えに反省しても反省しきれないほどでした。その話のなかに、広島の方達の当時から続く想いがあると実感しました。その奥様にあえる、私はすごく楽しみでした。お元気でさえいてくだされば、と思いながら。お伺いした、おうちは飲食店をされていてお昼前だったのでお忙しそうにされていました。奥様もお元気そうでした。基本的にまきさん・くうさんが話を進めてくれている中私達はその話を伺えるだけで楽しい時間をいただけました。しかし、その間に忙しい中お嬢さんは「もう見たくないってほど食べて帰って。」といいながら次から次へと広島焼きを焼いてくださいます。本当に「もう入りません・・・。」と言うくらい。奥様もすごくお元気そうで私達やほかのお客さんの対応をしてくださいます。そのあと、おうちにもお邪魔してもう少しお話をさせていただきました。奥様が元気なのもうれしかったですが、奥様を囲むご家族の絆の強さを見させていただき感動しました。私の子供の頃はちょっと独特な家族だったのでそんな「絆」をみると感動してしまいます。皆さんのお心遣いをたくさんいただいて、三次を後にしました。mai
2010年05月02日
行ってきました広島。「フラワーフェスティバル」が行われている人の込み合いが予想される都市へ。まずは、広島へ行くために夜行バスにて向かいました。車は込み合うことが安易に予想される上に運転手が1人のためつらい思いをする一兄に申し訳なく、公共機関を使いました。以前、熊本に行くときに夜行バスに乗ってえらい目にあって以来3列シートでないと恐怖な私。そんなことも考慮してもらい3列シートで広島へ。私達の目の前の席までは4列でその上席に上部にホロがつく。そして枕つき。その後ろの私達は3列だけど、2列はぴったり横並びで残るひとつが窓際に離れている。こんな感じの3列は初めてだったのでちょっとびっくり。寝るだけだし・・・と思いつつ、前列が尋常でないほど倒している。(一兄側だけ)一兄にも倒すことを勧めるがそんなに倒さないので窮屈な状態に。でも、バスはそんなものです。あきらめて寝る。と、休憩が入るのですが、電気がつく、それも煌々と。まぶしくておきる。の繰り返し。結局寝たのかどうなんだか・・・という状態で広島到着。それも朝6:00頃。新幹線口のお店はまだあまり開いていなくみんな考えることは同じでお店へ入っていく。早朝なのに満員って感じ。それも「す○屋」や「マ○ド」などチェーン店に・・・。無理やわ、牛丼は食べられへんわ。2陣が到着するのが7:30頃、3陣は8:30頃。2陣も夜行バス組なので合流してからモーニングを食べることに。そのお店も予想外のお客さんの量らしくてかなりてんてこ舞い。モーニングの種類も5種類くらいあって、パンだけでなく和食もある。1種類にしたらいいのに・・・。と、ちょっと要領が悪いところを横目でみつつ、3陣の新幹線組みと合流。さて、三次へ向かいます。mai
2010年05月01日
今週より、「休業日」ではなく「定休日」。毎週休みが入ってくる。仕事が進まない・・・、期変わりでいろいろとイレギュラーな仕事が多いのに日常業務がかなりひどい状態でオーバーフロー。休日出勤・残業ができない状態で、仕事は減る様子が??仕方ないので、無理やり集中して片付ける。本当はバランスよく1日の中ですべて均等にこなせるのがよいが、私は要領が悪いらしく仕事が偏りぎみ。なので、ためていた仕事を一気に解消する。ゴールデンウイーク前、明日は気張っていくぞ!!
2010年04月27日
本日夕方から会社の懇親会がある。それなのに、朝からこんな書き込みをしているのはなぜ??そうです、今日は私は「休業日」。仕事はお休み、夜だけ参加。「それは社会人としてないやろー。」という状態です、いやはや。でも仕方がない、会社はやっているけど私は「休まないといけないのよ・・・。」なんていいながら、ちょっとほくそ笑んでいる自分です。昨日は朝から「打ち合わせ」という名目の上司からの苦言。小さな会社ですが上司曰く「本来の情報伝達の流れが部署を通さないといけないのに、下の者たちで勝手に話をしている。」とのこと。それは、百も承知。それをわかってるから上司に相談したりしていたけど、結局はそれをごまかしてもみ消して足元の煙たいことに目をつぶって「黙って仕事しろ。」とはなかなか腰が重い。「会社」というコミュニティーで部下の話を聞いて新しい仕事の流れを作っていくのは本当に大変ということも分かってる。「改善提案」は募集をしているけど、踏みにじるほうが楽だし平和だよね。でもね、大手企業でも努力してんだよ!マク○ナルドでも毎週フェアだの新バーガー発表して企業努力を惜しんでないのに、うちみたいな小さい会社が努力を惜しんでどうするの??たぶん上司は30分も話せばいいだろ的な感じだったけど、ここで一気にいままでの会社に対する不満を吐き出した。無駄な作業の見直し、伝票処理の流れの見直しなどなど言い出せば、細かくてばかばかしいことばかり。でも、その細かいことでも見直していかないと私たちが「休業日」で休まされている意味がない。1時間以上のそんな「打ち合わせ」といわれる「返り討ち」状態、上司はうまく取りまとめようとしていたが、最初の議題は何にも答えが出ていない。そのことについてもう一回追求すると「書類を提出しろ」とのこと。「リストがあれば、見直していかないといけないことが明確にわかる」かららしい。今の私たちは1週間に3日休みにされていて、日常業務をこなすので手一杯。多分そこが狙い目のようだ。「リストが出ない」→「改善項目がない」→「何もしなくていい」そんな安易な流れにならないように、リスト作ります。新しい新体制になるといいながら旧体制で人だけ変わっている状態をそろそろ脱却しないとね。「あの時大変やったけど、やって良かった。」ということになれるように目指さないと。
2010年04月09日
今月は珍しく土曜日が仕入の〆日。「電話も掛かってこないしいいわ」というくらいの上司達の雰囲気。違うでしょ、違うでしょ!!電話が掛かって来ないということは請求書もらわないといけない会社もお休みって事だから問い合わせできない・・・、ということは仕事前倒し。ただ、金曜は売上の〆日だからそれはそれでばたばた。それなのにいろいろと「やっといて」依頼が。えーい、封筒ぐらい自分で書け!!切手の料金を調べろ!!夕方にポストで送って翌日には相手にはとどかないでしょ??そんなことばかり。まぁ、仕方ないんですけど「仕事」だから。ただ、せっぱ詰まってるのは自分の為じゃなくて「仕事」が詰まってるのを感じてほしい。と、しょーもない愚痴です。
2010年04月03日
来ました、月末。(私の会社は4月決算の為今月は「月末」)〆日の為、請求書や納品書、専用伝票などが飛び交います。出荷の手配など、ばたばたとしていると時間はあっという間に過ぎていきます。休憩時間を使っても仕事をしていた時期もありますが、今は休憩は「休憩」と割り切ってます。出来ない物は、どうやっても出来ない。と、ちょっと半分あきらめも入れながら今月もがんばります。mai
2010年03月31日
今日は、3回めの休業日。着々と増えて行ってます、休業日。でも、初期の頃の希望はこんな感じの就業状態を希望していたのでお給料と休み明けがきついですが、今のところはなんとか大丈夫。来月あたりから休みが増えそうな予感ですが・・・。でも、私にとって好都合なのは病院やもろもろをこなすには休みを取らなくてもいいので非常に助かります。先週の休業日には検査が入っていたので、本当によかった。血液検査があまり思わしくないので、PET-CTなる検査を受けてきました。以前、腰痛の検査でCTは経験があったのでさほど心配なく受けれました。病院についてから、検査着(簡易パジャマ)に着替えて、まずCTへ。円盤の先にベットがついてる・・・、以前私が受けたときはドームみたいになってたのに。時代を感じつつ検査してもらい、パジャマへ着替えた部屋へ戻る。次は、水分補給し安静にする。こんなことがあると聞いていたので自宅より漫画持参で待つ。30分ほどして薬を静脈へ注射してもらう。しかし、やっぱり左腕の血管がでない。右側なら太い血管が出ているのに、右は手術したほうなのでリンパ線をとっている為だめなんだな・・・、残念。仕方なく、手の甲から注射してもらい再び50分安静。うとうとしながら待っていると、呼び出しがありとうとうPET検査。こちらもCTと似た感じ。円盤に細長いベットがついている。しかし、こちらは1回の撮影に20分ほどかかるそうだ。でも痛くもないし、呼吸を止めるとかの規制もないのでまたうとうととしてしまう。円盤の中で微妙に「カリカリ」とおとがする。ねずみ??が壁をカリカリと引っかいてるような音。眠気と微妙な「カリカリ」音を気にしながら、1回目の撮影終了。写真確認後に、もう一度撮影の可能性ありと聞いていたので現像後のチェックを待つ。現像にも10~20分かかるらしい。ぼえー、としながら待っているともう一度撮影の連絡がきた。足りない部分をとり足すらしい。もう一度CT・PETを取り直し。何とか、検査も終わり会計へ行くと検査写真(フイルム・CD等)一式を渡される。「マジで・・・、持ち帰りか。」と、とほほな感じで帰宅。バスに乗ればすぐに帰れるけど、せっかくなので散歩ついでで歩いて帰宅。2時間くらい久々に歩いたので結構くたくたになりましたが、ちょっとした春を感じながら歩けたのでそれはそれで良かったです。
2010年03月17日
とびきゅう、というと「飛び級」となるが私の言いたいのは「飛び休」。会社からの説明で非正規社員はお休みをしてほしいとのお願いのもと、今月より実施になったが、困ったことに今週は1日飛びで休みと出勤が。そして、その間だった昨日が事務所の席替え。会社体制の変更による人事異動ならびに事務所レイアウトの変更。机を動かし、動かした場所のほこりや汚れを掃除、電話の配線・LAN配線のしなおし、棚の移動、平日の午前中とお昼からも時間を使い何とか一段落。しかし、火曜が休業日だったわたしは火・水の仕事を半日以下でこなすことに。無理だ・・・無理すぎる。出勤日を抑えられているので残業はできないよねぇ~。ということで、泣く泣く金曜へ持ち越し。うれしいはずだけど、ちょっとかなしい。「休めていいじゃん」的な扱いを受けるが、仕事は減らん。そして、職場の近い私は家で出不精なため、ぼよーっと一日を過ごす。なんか、もったいない。私は出不精。休みの日は、家をあまり出ない。外出すると必ず出費してしまうので無駄遣いは控えたい。前の仕事をやめたときもそうだけど、出不精が直らない。時間の活用が本当に下手。きっと、仕事をして生活してきたので仕事をしている以外の平日の過ごし方が下手になっているような気がする。あっ、そうだ!!調べたいことなどもあるから、図書館へ行ってみよう。しかし図書館は残念なことに新しい情報がそろいにくい、本屋か?無駄遣いの元だなぁ。もうちょっとうまいこと時間使ってみよう。
2010年02月11日
さて、2/3は節分ということで今年は巻き寿司に挑戦!!仕事から帰ってからしか作れないので基本的にお手軽な感じで。初心者でもおいしいすし飯がつくれる「寿司○郎」君にがんばってもらいます。じつは一昨年までは購入していた巻き寿司、たまたま去年残業で買い物に行けずなけなしの案で作った「速攻寿司○郎巻」。意外においしい。具材はもう入っているので、たまごとキュウリツナなどを詰め込みぎゅっと巻く。ただ去年は巻き簀がなく、ふきん(?)で代用。今年は巻き簀も購入していざ再挑戦!!ご飯を炊き、寿司の素をまぜまぜして、中に挟む具材を用意していざ勝負。結果は・・・まぁ、こんな感じ??売ってる巻きずしやったら切れるけど、作った物なので不格好ながらちょっと愛着も沸きまた来年の再戦を心に決めて、終了。あとは、軽くおうどんとサラダという組み合わせで夕食終了。そうそう、「豆」ね、しっかりいただきました年を上回る数を。何とかうまく巻けるように来年までに要練習です。
2010年02月04日
いやはや、先週の金曜に一気にいろいろ起こりすぎて逆にのんびりしてます。いえいえ、思考が止まっているだけかな??先週の金曜に会社より「お昼から説明があるので集合」ということで会議室へ。私、正社員にならずに契約社員をやっている。ので非正規社員なのですが、非正規社員対象での説明・・・。やばい感じはしていたのですが、とりあえず「クビ」ではないようで一安心。私、毎月かかっている病院費がこの先も長くあるので今やめるわけにいかないのですただ、「休み」を増やさないといけないようです。それはしょうがない事だと思うし、逆に体調に不安のある私を雇っていてもらえることはすごくありがたいので、協力できるところは協力したいと思っています。まぁ、まだその詳しい休みの説明はないのですが・・・。その日は仕事終わった後に病院へ。定期検診と薬をもらうために。以前は院長先生をねらっていっていましたが、別にたいした事でなければお医者様も「いつもので・・・」と町の定食屋で常連を気取るような感じで流される事が多く、体の異常を訴えても薬が変わるわけでもなく、検査が変わるわけでもないのでこちらもあきらめて「薬をもらうだけ」と割り切って通っていました。しかし今回は、血液検査の結果が「ずっと」←ここポイントね。良くないそうで「今回から皮下注射をしましょう、生理は止まってえる?止まってないなら今日から打つほうがいいですね。」と。え??その先生に診断してもらうのは2回目。前回の時も検査結果が良くないことはいわれていたけど、その後に院長・副院長の2人の時に検診したが「大丈夫、安定して数値が高い(←高いのはあまりよくないように思われる)から異常ないですよ。」と二人からいわれていたのに・・・。思考が止まったまま、ベッドに横になるようにいわれ横になる。「ちょっと痛いですよ。」あれ、注射??そのまま、血液も抜かれ会計へ。受付「注射打たれましたが高いのですが金額は聞かれましたか?」mai「いいえ」受付「1本15000円と薬代も含めて・・・」mai「は??」金額に超ビックリしました。だって、注射1本15000円って・・・マジで??その上毎月打たないといけないようですが、その期間の説明もないし・・・。その上、私には「あまり効果がない」といわれた薬が再びでてるし、お金もたりない。受付「急に持ち合わせてらっしゃらないですよね、次回来院時にお支払いください。」領収書にしっかり5000円の不足を記載され、帰りのバス代・電車代もないまま泣く泣く一兄へ連絡をする。一兄へ事の顛末を説明しているが、一兄から追求を受ける。しどろもどろな私の返答に「しっかりしいや。」の一言。そうです、しっかりしないといけません。会社の方も不安定になるのに先行きが見えない自分の体。着々と増えていく医療費。うーん、これは一度病院ともしっかり話しあっていろいろ決めないとね。mai
2010年01月27日
怒濤のような年末の仕事を片づけ、家の大掃除を終えビックリするほどのゴミと住所も印刷されていない年賀状を片づけ・・・もう、1/13。早い、早すぎる。しかし、今年は一兄が会社のビンゴゲームで当ててきた「人生○ーム 極辛」をやってみました。結構、リアルに世知辛いね・・・。私が結構その世知辛い人生を味わう。所持金が9000円から始まるのに、いきなり4000円出費、挙げ句の果てに借金生活。返しても返しても、お祝い事でなくなっていく・・・、そしてフリーターへ。世知辛い、そんなに辛い人生なのか??そんな私を尻目に一兄たちは着々と人生満喫、資産を増やしていく。あまりの悔しさに3回ゲームをすることに。最終は何とかみんなの「運」を吸い取り終了。久しぶりにやったけど、人生ゲームまるで自分の人生をみているみたいで痛いわ。mai
2010年01月13日
12/13に会社の方のおうちにおじゃまして「パンパーティ」と称した暴飲暴食会に参加させて頂きました。パン好きが集まったのですが、今回は贅沢にパンだけでなくたこ焼きも作って頂きもりもり、あと公演を見に来て頂いたお礼も述べつつ、そこのお宅のお子さんたちに遊んでもらったりとなかなか贅沢な時間を持たせて頂きました。その前日にメールを頂いて「みかん1箱980円やけど買う??」という内容。即「お願いします。」と打ち返し、13日に持ち帰るべくうきうきとしていました。とうとう我が家にもみかんがくる!!一兄にもこの感動を熱弁しつつ、帰宅時に迎えにきてもらいつつそのみかんも積み込み帰る。毎日うはうはしてます。
2009年12月24日
みかんがほしい!!なぜか、みかんにはまる私。冬はこたつにみかんでしょ?!とばかりに、買い物いくたびにみかんを買ってくる私に一兄は「みかんすきやなー、俺も嫌いではないけどそんなには食べられへんわ。」そう、私は1回食べ始めると3~5個くらいを平らげてしまうのです。(サイズはSサイズなのですが・・・1日6~9個くらい?)こどものころは、箱で置いてあっておやつの代わりに食べてたという事を主張する私に一兄は「それはないわ・・・」そーなん??うちだけぇ??でも、今年のみかんは甘くておいしい。結構今のところはずれがない。絶対に今年は箱買いをするのだ!!と堅く誓いを立てながら、袋でちまちま買ってきています。手が黄色くならないように注意しながら食べていこうmai
2009年12月09日
昨年の急な入院からやっと1年が経ちました。苦手な薬をのみ、1ヶ月検診を受けなんとか区切りのはずの1年。「1年様子を見てください。」とのお医者さんからのお言葉をいただき、それを心の支えにしてたのですが昨日の1年目検診ででた結果は「もう1年様子を見てくださいね。」との言葉。本当は5年みないといけないのでしょうがないといったらしょうがないが、それなら1年ずつなんて淡い期待を抱いてしまうような言い方しなきゃいいのに。でも、しょうがない。そういう病気です。きっと、一生つきあっていくことになるのかな。まぁ、ぼちぼちです。
2009年12月08日
冷え込んできました。我が家も、とうとう出しました「こたつ」。こたつを出すと、そこで寝てしまうのであまり善くないとはおもうのですが、冷やっこいので仕方がない。ストーブは最終手段にして、とりあえず足もとをあたためるぞー!!*いえの中でも、簡易ゆたんぽを持ち歩いていたのでしあわせ!!でも、夕食後にごろんとしたらそのまま落ちちゃうんで注意してます。一兄は着々とやられていますが・・・私も時間の問題・・・風引かないように気をつけます。mai
2009年11月30日
終わってしまいました。本番が。いつも本番が怖いけど、今回もどきどきだった。でも、本番前の裏に控えているときに実感した。「1人ではどうすることもできないので、みんなの力を借りよう!!」あきらめ・・・というか、腹をくくるというか、だってそうするしか無理なのだもの。本番には本当に人一倍弱い私だが、寝る時間をずっと惜しんで準備を進めてきたみんなわざわざ来てくださったお客さま、あと今回初めて使う会場の力をお借りして、がんばるしかない。自分にできるだけしかないが、どうにかこうにかのりきることができた??自分にとって出来ないことの多さを今回も実感し、反省し、次回に何か繋げていけたら・・・そう思います。ご来場頂いた皆様、お手伝い頂いたスタッフさん、本当にありがとうございました!!しかーし、今週の会社の仕事はかなりやばい。体調的に大丈夫そうだったが、気がつくとまぶたが・・・お、重い。締め日前なのに頭が働かない自分がきつい。とりあえず、目の前の仕事を片づけていきますよぉぉぉ!!mai
2009年11月25日
先日辛い物を食べた後に体調を崩したことから、UNIのメンバーから食べるのを考えるように忠告を受けた。いつもなら「そんなことない!!」と乗り切ってしまうのですが、只今本番直前。体調管理も役者の仕事・・・かな、と考え直して「辛い」物をやめてます。いつも入れてる七味などの赤い調味料は只今は自粛中。UNIメンバーからは「やっと普通の人になった」と言われていますが、「この公演が終わったら、胃腸がひっくり返るくらい辛い物を食べてやる!!」と訳のわからない公言をしています。きっと、苦しむけど食べたいのよ・・・「辛い物」が。そのためにも、今はちゃんと我慢しています、ほんとよ。mai
2009年11月11日
物覚えの悪さにさすがに参っています。もうすぐ本番。でも、せりふが・・・。みんな苦戦してはいますが、その中でも抜き出てヤバイです。覚えても覚えても(つもり?)抜けていく記憶。でも、後少し。がんばります!!mai
2009年11月10日
先週末、私は食あたりを起こしました。金曜日の夜ごはんを「外食にしよう」といいだし、一兄からもOKをもらい外食へ。久しぶりのラーメン屋さん、私の注文する定番のラーメンと餃子を注文。目の前にきたのは、待ちに待った「赤ラーメン」と呼ばれる、唐辛子が一面にかけられたラーメン。しかし、乗っているだけで味は甘みのある物なので味のアクセントになりすごくおいしい。餃子もやっぱりおいしい。と、楽しく帰って来たのだが翌日の朝から気分が悪く胃から腸にかけて収縮するような痛み、痛みと共に頭痛、挙げ句の果てに冷や汗、あと貧血なのか血圧が下がったのか立ち上がれないくらいのめまい。まぁ、なんとか安静にして、お昼過ぎにはちょっと落ち着く。土日はそんな感じで食生活を見直しながら練習に出席。そんな感じで月・火を無事に過ごし、水曜日の夜食に久々にスンドゥブチゲを食べる。UNIのみんなからは「やめといた方が・・・。」との忠告をいただいたが、私はいただきました。辛い鍋を。すごくおいしかった。ただ、ちゃんと胃が働いてくれればいいのですが。間違って、しくしくしないようにちゃんと言い聞かせておきます。mai
2009年10月29日
勝手に銘々している私が作るお弁当。一兄に作るのではなく自分の分。*一兄は「お弁当はつくらなくていいよ。」と言ってもらっている。免除。私も今までは会社で注文しているお弁当をたべていたのだが、最初の内は「食べ切れへん」と残していたが、だんだんおいしくいただけるようになった。そうすると体重も増加し続け記録的な重さに。泣く泣く、会社のお弁当は週1~2回に改め、それ以外の日は前日の残り物+おにぎりの「3分弁当」に。(作れないときはパン)なぜ3分弁当なのかは、「3分」で詰めます。おにぎりも握ってます。出る直前につくっているので本当は3分さえも時間をかけたくない。でも、持って行かなきゃお昼がない・・・それはキツイので泣く泣く作る。※うちの会社の周りにコンビニ・外食先などがほぼない。頑張って行くと結構体力を使うのでそれもキビシイのです。さて、いつまで続くか??mai
2009年10月28日
最近朝ご飯をちゃんとたべるようになって1年近く。ずっと適当に食べるか、食べないかという状態だったがちゃんと食べるようになってからちょっとづつからだが楽になっていると思われる。低血圧で貧血症のため朝は弱い。平気で30分くらいぼ-っとしていたけど、朝が弱いのは弱いがお仕事をするときが楽になった。11時くらいには血糖値が下がるようでだるくなるが、結構快調。最近の朝ご飯は食パン、レタスもしくはキュウリ、ハムを乗せて。あとは、前日の残り物や会社の方から分けてもらった「カスピ海ヨーグルト」低コストで、なかなか腸内環境を整えてくれる。あと、紅茶とあればジュース(本当は果物があれば最高。)水分をあまり取らなかった私も結構水分をとれるようになったので良かったと思っている。朝ご飯、他のみんなはどんな朝ご飯を食べているのかな??mai
2009年10月23日
去年もすごく実感したのですが、この時期は私の周りであまりよろしくないことが多発する。去年のこの時期ぐらいに、私も腫瘍が見つかって入院をする羽目になった。今年は今年で、仲のいい職場の人が「胆石」で入院、その人は退院して今は元気に通っているが、今日は会社で事故があった。現場で機械調整をしていた人が休憩でタバコを吸う際に服に燃え移り火傷をした。ちょっとした注意で防げるが、そのちょっとした注意力が落ちる時期なのかもしれない。会社の前で車の接触事故もあった。自分も自転車で通勤しているがこれがボーっとしてると、車にひかれるか自分が人をひきそうになる。また、暗くなるのが早いのでよけいに危ない。私もあの入院からやっと1年がたとうとしている。病院への不信感、薬の副作用などいろいろと自分の体なのに不安に思うこともある。でも、たくさんの人に支えてもらった。それから、よく考えるようになったのは「死ぬ前に何をしたいか?」昔は「玉子焼きとおにぎり食べて死ぬ。」とか考えていたけど、今は違うことを考えるようになった。「人に逢いたい」そう思うようになった。今まで同じ時間を共にすごした仲間や友人、兄弟、親戚。だから、笑顔であえるように「今」を大切にする。そう思ようになったときに、本当にそれを実践されている人がいた。同じ病室だった人。歳は私の亡くなった母と生きていれば同じくらい、いやちょっと若いか。戦争を体験されていて、考え方が母と同じところがあった。退院されてから分かったのが、その方は骨に転移があり余命が3ヶ月。それを聞いておうちをお邪魔した時、その方は笑顔で出迎えてくれた。そして、「今のうちにいろんな人に連絡を取って逢うのだ」といわれれていた。「自分はもう何も要らないから」と、何でも差し出してくれた。自分も最後のときにそんな風にできるだろうか?自分が最後のとまでに何ができるのか?なんて、ちょっと冷えてくるせいかな考えてしまう。mai
2009年10月22日
年賀状の準備をしないと間に合わない。パソコンで、住所管理をしていたのにデスクトップがとうとう動かなくなった。←だいぶん前。まぁ、支障ないかとのんびり構えたらよく考えたら住所データが・・・。取り出すことも、なんともできないので年賀状から拾う予定。登録していただけで年賀状がない方もいらっしゃったりするので、かなり不安。結婚式関係の住所録が飛んでいるのが危険。でも、これを機会に再構成し直した方が良かったのかもしれません。しかし、全てはお芝居が終わってから。衣替えも本格的ではなくちょびちょび出して来ている状態。年賀状の印刷だけはお願いする予定です。早割もきくので。もし、パソコン間に合わなかったら住所は手書きの予定。手が、手が・・・。mai
2009年10月20日
しくりました。一兄の誕生日にお祝いの一言が・・・。直前までは覚えていたのに、バタバタするとぬけてしまう。ごめんよぉ一兄にも何度も謝罪。ケーキでのお祝いをしたいけど、お気に入りのケーキ屋さんはちょっと遠い。かといって、買い物のついでに購入しようとすると確実にケーキは原型をとどめない状態になるはず・・・。悩んだ末に、火曜日が買い物の日なので、水曜にケーキでお祝い。しかし、うちは2人暮らし。1ホール買うととんでもないことになるのでショートケーキを何種類かピックアップ。その中から、気に入ったケーキを食べていく。久々にケーキを買いに来て驚く。メニューがもう「秋」。栗・カボチャ・サツマイモの素材を使ったケーキ達とチョコ系が幅をきかせている。夏場は、ゼリー・フルーツ系が全盛なのに・・・。スーパーの野菜売り場と同じで季節があるのだと実感した今日この頃。ハロウィン柄もいっぱい。日本ではハロウィンは「柄」や「飾り」では見かけますが、風習は宗教柄全く取り入れられていないですよね。「秋」を感じるアイテムにはなっているんだけどね。そうそう、テーマパークとか行くと楽しいんでしょうが、この時期はいつも忙しい思い出しかない。芝居がほぼ、もしくは学校に勤めていたときは「祭」のつく行事の目白押し&「説明会」「見学会」などの募集行事など目が回るような日々。いまは、一般企業で働いてますがそれはそれでバタバタとはしている。まぁ、そんな生活を送ってきたからそれ以外の生活を送ろうとすると、どうしていいかわからなくなる。だから、寝てくらしてしまう。時間割とか決めときゃいいんだろうけど、その時間割がわからない。でも、「継続は力」といいますが継続していけば自然と時間配分もできるようになるのかな?mai
2009年10月16日
この間、初めて飲んだバリウムなどを含めた会社の健康診断の結果がでました。「要再検査」貧血がひどいのは元々の体調からだったのですが、今は薬を飲んでいる為、副作用で貧血にはなるらしい。健康診断の問診票にも現在治療中覧に記載したり、薬を飲んでいることも記載したのですが出ました。いやぁ、他人事の時は「行ってきたらいいのに・・・。」と思いながら見ていた光景が、自分の方に来ると結構ショックですね。たしかに、検査結果を見てみるといやぁ・・・惨敗って感じ??メタボ検診は「異常なし」なのがせめてもの救いかな。それにしても、血液検査の時に血管が浮きにくい腕のせいでいつも苦労する。本当は、手の甲などみえてるとこからとっほしいのにいつも1回は肘の裏側で取られる。トライ精神はいいのだけれど、いい加減あきらめてほしい・・・と最近ますます思うようになった。いつも、採血の前には「血管出にくいので、見えてるところでお願いします。」と言ってみるが、プライドが許さないのか、私の事を気遣ってくれているのか・・・身を任せる方の気持ちをちょっとだけくみ取ってほしい。と強く思う今日この頃です。mai
2009年10月09日
思いっきり遊んできたシルバーウィークも最後の日。朝から、替える準備をして9時過ぎに一兄の実家を出発。混み合うことが予想されていたにもかかわらず、行きと違ってかなり調子よく帰ってくることができました。さすがに、身体の疲れはとれにくいですがかなり充実したお休みを満喫させていただきました。mai
2009年10月07日
一兄の従兄弟のおうちをおいとましてから、一兄のお父さん、お母さんと合流。葡萄狩りへ。初体験なので、どきどきでしたがなかなかおもしろかったです。「色の濃い重たいもの」がよいそうですが、それがどれだか・・・。途方に暮れていると一兄のお母さんがすかさず「これ、大丈夫。こっちのもいいたい。その横はまだ。」とちゃくちゃくと品定めをしていく。刈り取る係は姪っ子。身長が足りないので妹さんが必死に持ち上げ何とかカット!!めでたく収穫。それを何度か繰り返して大量収穫。その後に、甥っ子・姪っ子の「しゃぼん玉!!」の声に押されて、一兄達が小さい頃遊んだ公園でしゃぼん玉をする。水が豊かで、公園も広く芝生も生えており転んでも大丈夫なとっても良い公園でした。テンションの上がる子供達としゃぼん玉や追いかけっこ、ブランコなどをして終了。*その公園は5時で閉園するため、強制退去状態。いや、久々で本当に楽しい1日でした。mai
2009年10月06日
一兄の実家に帰省して、翌日。今日は一兄の従兄弟の所にめでたく男の子誕生のお知らせをいただいていたのに、結局「帰って来たときでいいよ。」の言葉に甘えていたので、ちゃんとご挨拶兼ねて伺うことに。しかし、おばさんの体調が思わしくないらしいので「長居しないように」との釘をさされながら、一兄の妹さんと姪っ子・甥っ子と4人で従兄弟のご家族の元へ。いや、おどろいた本当に。人は変わるね。お父さんになった従兄弟は、以前までとは全然ちがう。何となく人間的に丸くなった感じ。一兄や妹さんは子供の頃から兄弟みたいに育ってきた人だから、それはそれで感慨深いのではないかと思う。従兄弟もおなじだったようで、子供達が遊んでいる所をにこやかに見守る大人達はにこやかに見守っていました。いやはや、目の前で遊んでいる子供達くらいの時があったんだなぁ、と実感しながら「家族」の大切さを再確認させてもらえた時でした。mai
2009年09月30日
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