
『くちぶえ番長』
に続く、重松清作品。
彼の作品は小学校の教科書にも登場しているし、中学校などの受験にも登場している。
なるほど漢字の使い方や、文体が小学生や中学生に親しみやすい文体が多い。
この語り口、私は諸手を挙げて賛成したくないのです。
『お涙頂戴』的な文体に読めてきますし、フィクションを読み手の過去体験をノンフィクションに置き換えてしまおうとする意図が垣間見えます、偏屈者の私としては『けっ、センチなことを思い起こさせるなよぉ』と舌打ちをしてしまうのです。
はい、要は私が偏屈だというだけの理由です(苦笑)
『くちぶえ番長』は私らの世代(1960・1970年台)に郷愁を感じさせる作品だったが、これはリアルに今を生きている世代に共感を覚えさせる作品なんだろう。
とはいえ、この作品のラスト2章に不覚にも涙してしまったオヤジです。
しかも、仕事の昼食時、ファミレスで食事を終えて黙々と読み進めながら涙する40歳のオッサンなんて、周囲から見れば異様な光景だったでしょう。
いやぁ、『花いちもんめ』の章は涙ボロボロでした。
『一緒にいられなくても寂しくないのが友だち』
と、主人公の恵美は言う。
この文を読んで、『ああ、これってシンプルでとてもいい文だよなぁ』と感じ入った。
寂しくならないほど、濃密な時間を過ごし、その時間を永遠に胸に刻みつける、そうすれば寂しくなくなるんでしょうね。
言葉で書くのは至極簡単ですが、この心境に至ることは、まずありえません。
友だちは少ない私、これほどの友だちは(当然ながら)いません。
今の世代には、友情、友愛、離別、といったものが何なのかを知ってほしい。
そして私たちの世代にも、何らか得るものがあると考えます。
・あいあい傘
・ねじれの位置
・ふらふら
・ぐりこ
・にゃんこの目
・別れの曲
・千羽鶴
・かげふみ
・花いちもんめ
・きみの友だち