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2012年08月22日
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テーマ: 實戦刀譚(65)
カテゴリ: 實戦刀譚

奇怪萬字剣


  和魂洋鉄


  昭和八年八月に、工藤海軍中佐の発表したことろによると、
 この前の上海事変で、
 古刀新刀現代刀(新村田刀)二十六振りについての実験の結果は、
 古刀十三振り中六振り、新刀九振り中二振り、
 新村田刀四振り中一刀もなし、すなわち、
 二十六振り中八振りのみが、首、袈裟、唐竹割り、刺突等、
 約百二十余回に及んで異状がなかった。
  有名な関の兼定が、わずか二回の試刀で故障を起こしたのに反して、
 新刀中でもその名の知れない肥後の吉國が、各部四十二回を試みて、
 上海戦中の最高記録を示したとある。
 また、鉄条網を切って突進した某曹長のは、櫻田住國武という刀で、
 名鑑にも出ていないものだが、これで十八人斬ったというのも、
 その頃の事である。
  こうした事実は、筆者は無条件で容認し得る。
 なぜなれば、真正の井上眞改に、見ばのよくない、
 鋳物の欠け口のような刃こぼれを見た一方に、
 関物と思われる無銘數打物〔かずうちもの〕の新刀で、
 乱戦中に二十八人からの敵を斬撃して、それで、
 大きな刃こぼれひとつ出かさなかったりした記録を
 筆者もまた所持しているからである。
  それのみか、新村田刀といえども、
 焼き入れ焼き戻しの火加減の宜しきを得たものか、
 時に恐ろしい物斬れを見せた記録もあり、
 一枚物現代刀、俗に昭和刀として片づけられる筈の刀が、
 日本刀に比してすこしも遜色のない働きを見せて、
 ひどく首をひねらせられた事実もあった。
  もっとも、筆者の実験は、取り扱った総数にして二千振り近く、
 その中の、一線部隊の血刀約一千余刀についての記録中から
 拾い出したものだから、
 時にこうした番狂わせが出たのかもしれない。
  以上のような実験から見て、実用に適するという刀は、
 相当に刀を見る目のある人が選んだものでも、
 従来のような見極め方だけでは、いささか不安が伴う事と思われる。
 すなわち、名刀匠の作すべてが、
 必ずしも切れるという断定が出来兼ねる事と、
 銘刀鑑別の条件は、そのまま切れる刀の鑑別にあてはまらないからとである。
  自分の従軍中、戦って折れたという刀は、まず一刀にも接しなかった。
 切っ先の三分、五分程折れたのが、二三振りはあった。
 酔っぱらって、石を切り、刀の中央から折ったという事を、一回耳にした。
 立ち木を試し切りに斬って、刀がねじくれて曲がり、
 それを直そうと鉄槌で打ったら、先が五寸程折れたという刀を見た。
 それらは戦争と関係ない事だから、記録にはとらなかった。
 人間同士が戦って、それで刀が折れるという事は、
 甲冑時代ならいざ知らず、素肌に鉄兜をかぶっただけの今日では、
 まず無いといってよい事は、常識だけでもわかるだろう。
  しかるに、世の刀剣家中には、何に起因してか、
 「村田刀は皆目駄目だ。現代刀はポキポキ折れる。
 何でもかんでも昔の日本刀に限る。」などと書いている者がある。
 村田刀というのは、村田銃の考案者、
 村田陸軍少将が発明した鍛法で造られた称呼で鉄砲をつくる鉄は、
 俗に はぜる といって、
 弾丸が出る時の圧力で破損するような事があってはいけないから、
 その用鉄には、特別の粘硬性を要したもので、
 少将は、そうした特殊鋼を手がけたり、研究したりした事から、
 古刀と同じく、折れ易すからず、曲がり易すからず、
 しかしてよく切れるという三つの特徴を有する刀を、
 しかも大量的に製出する方法、すなわち一枚打ちで、
 火加減の作用により製作する方法を完成したのである。
  実際、村田少将が直接鑑製した初期の村田刀は、
 よく切れて刀剣家を驚かしたが、
 その後、陸軍の工廠〔こうしょう〕でこれを製作するに及んで、
 初期のような名声はなくなった。
 これを新村田刀または造兵刀というのである。
 徳川時代の初期に、鉄砲鍛冶胝〔あかがり〕氏の門下として、
 専心鉄砲鉄の鍛錬につとめた野田繁慶が、
 後〔のち〕この鍛法から悟入して、一躍天下の名刀匠になったのであるが、
 彼の刀にのみ特有な ひじき 肌という鍛え目は、
 今もってその方法不明とされている。
 それは、鉄砲鉄を鍛えるやり方を刀に応用した為だからという者もあり、
 中には、古鉄砲をそのまま延ばして刀にしたという人もあるが、
 村田刀もこれも、双方とも、鉄砲鍛冶の角度から、
 鉄の特殊性を研究して、作刀に応用したのが面白い。
  俗に昭和刀というのは、しばしば述べた通り、
 既製洋鋼を用いた一枚物の粗悪刀を指していったものであるが、
 徳川時代にも、この即製洋鋼と庖丁鉄とを組み合わせたもの、
 単にそれを延ばしただけのものが盛んにつくられた。
 例えば、その作風を愛でられ、徳川家康から、
 特に康の一字と葵の紋章とを刀銘に許された越前鍛康繼一派を始め、
 その他の著名鍛冶の作銘に、
 『以南蠻鐵造之』と切り添えたものがそれで、この南蛮鉄のある物は、
 今日でいうイーグル印とか、東郷ハガネなどとまったく同じもの、
 すなわち舶来の洋鋼で、鍛錬する事の必要もなく、また出来ぬものであるから、
おろ さない限り、多くそのまま延ばして用いたもので、
 厳密にいえば、こうした刀は、いくら古い時代の作刀であっても、
 日本刀ではないという事になる。
 四谷正宗といわれた、信州出身の名匠山浦清麿は、
 荘内藩酒井家の足軽が、貧にして良刀を得られないのをあわれみ、
 この南蛮鉄を延ばし、無銘刀を造って与えた事は有名な話だが、
 この刀が実によく切れて、明治維新に相当の戦歴を残し、
 その一刀が今日某家に家宝として残されているそうであるが、
 これは今日でいう昭和刀である。
 刀の切れ味の神秘のひとつは、こうした卑近なところにも宿っている。  






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Last updated  2012年09月22日 23時50分08秒


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