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カテゴリ: Needle Felted Animals


パソコン作業の疲れをテモちゃんで表現する 2014年02月22日
あきてもさんのブログ より)




フレンチブルドッグのテモちゃんフィギャア製作
飼えない数を、飼ってはいけないにゃ〜

さだまさし 「にゃんぱく宣言」ACジャパン CM






Youtube -
ACジャパンCM にゃんぱく宣言 from Japanese Public
https://www.youtube.com/watch?v=ZZfFd2T2u1c







夢見の技術を考える Puls
「僕はここにいてもいいんだにゃ〜」


Youtube -
『新世紀エヴァンゲリオン』OP映像 にゃんこ大戦争ver
by にゃんこスタジオ公式チャンネル
https://www.youtube.com/watch?v=dVHdUakiEo4






『ネコの手も貸したい 及川眠子流作詞術』
リットーミュージック





昨年の 2020年11月08日掲載分 にてその一部引用した
W. E. バトラー 著 大沼忠弘 訳『魔法修行―カバラの秘法伝授』

まずはその前後も含めて該当部分を抜粋してみます。


 “(前略)
  チャクラは、君の主観的宇宙が、君を取り巻くより大きな宇宙と接触する特異点である。それ
 を通して君は、「内なる次元」から感覚的印象を受け取るのである。それはまた、内なる次元の
 エネルギーが君と接触して、君の中にそれ独自の能力を引き起こす水路としても作用する。これ
 は非常に大事な点で、特に強調しておきたい。同じ力は、君の主観的宇宙にも働いており、秘教
 の訓練課程は、人間という小宇宙を同じ宇宙エネルギーの水路たらしめることを目指して企画さ
 れている。そのとき、宇宙エネルギーは君の内部からぞくぞくと溢れ出てくるのだ。この潜在的
 諸力を決して外に向かって求めてはいけない。外のエネルギーは内なる力が顕現するのを刺激

 わしているように、『君の内に力がある』のだ。
  しかし、主要なチャクラは内分泌腺として知られているものと非常に密接な関係があるという
 ことを覚えておくがよい。これは驚くべき肉体の化学工場で、この肉体の心霊的中枢に不用意に
 集中すると、内分泌腺の均衡をくずしてしまうことがある。だから、 不規則 な実験を試みること

 実験をしてみるように勧められることになろう。そのときまでに、その実験を支配している基本
 法則を駆使するすべを身につけられるようになるだろう。
  この訓練の段階で説明しておきたい非常に重要な原理がある。このことはよく肝に銘じておか
 なければならない。それは、君が駆使しようとするエネルギーや力は、君の主観的な自己の深み
 から湧き起こってくるものだが、決して 君自身の力ではない ということだ。それはむしろ、君を
 通じて表に現れた宇宙的生命力の一部なのである。
  大まかな比喩を使えば、君は電灯のスイッチを押すだけなのだ。そこに電流が流れて、君とい
 うランプに明かりをつける。君が電流を作ったのではない。電流は君個人の特性ではないのであ
 る。ただし、君は家の中に電流の回路を用意しておいたし、それを使うために代金も払ってい
 る。同じように、宇宙のエネルギーを君は個人の用に使うことができるが、もしそれを「買い占
 め」たり、無料で引きこんだり、配線を間違ったりすると、それが通じた途端、大事故に巻きこ
 まれることになろう。
  こうたずねるかも知れない。「その宇宙の力を利用した代金に何を支払えばよいのか。」その
 答えは簡単である。君は犠牲を捧げなければならない。その犠牲とは、個人的自己の一切を
 「神」と人類に対する奉仕のために献納することである。こうしてのみ、君は宇宙的な力を安全
 に使用する望みをもつことができる。
  現在、多くの人々は、いや大部分の人々は「犠牲」とは「悲しみ」のことだと思っている。犠
 牲を求められると、それによって何かを失ってしまうと感じている。しかしオカルト訓練ばかり
 か、あらゆる種類の訓練に、この犠牲の原理は働いているのだ。厄介なことに、われわれの大部
 分が、いや九十九パーセントの人間が「快楽と苦痛」の原理に則って人生を律している。このこ
 とは、われわれは子供のように自分に楽しいことだけにしがみつき、苦しいことは、たとえ真の
 利益になるものでも、何とかそこから身をかわそうとしているということを意味している。
  しかし魔法の訓練では、もっと大人の態度をとろうと心がけなければならない。この快楽への
 執着を断ち、犠牲という苦痛を受け入れることによってのみ、われわれは真に向上する。もちろ
 ん実際は、純然たる個人の意志力によって、われわれは自分の宇宙エネルギーを引き入れる訓練
 をすることができる。そのエネルギーは電力というべきもので、それに対して開かれたところな
 ら、どんな回路でも貫流しようとする。しかし、これらのエネルギーが訓練を積んでいない、回
 心のすんでいない人格を通りぬけた結果は、その中にあるアンバランスが、どんなものであれ、
 そのまま拡大することになる。電気回路が間違って配線されれば、その家に火事を起こしてしま
 うように、その力が人格に及ぼす効果が、同じような災害を引き起こすこともある。このアンバ
 ランスな発展の道を求める人々は、しばらくの間、その危険に気づかないだろうが、やがて、
 「地獄に落ちた息子たち、流れゆく星、自分の恥を泡立てながら行方も知らずに流れる海の波、
 彼らには永劫にわたる闇のまた闇が待ち受けている」といった人々の列に加わることになるだろ
 う。
 (後略)”
   (W. E. バトラー 著 大沼忠弘 訳『魔法修行―カバラの秘法伝授』平河出版社
    第六信「生命の木」P.92 ~95 )







上掲引用文中の難解で引っかかるのは以下の文章、

 「その宇宙の力を利用した代金に何を支払えばよいのか。」その答えは簡単である。
 君は犠牲を捧げなければならない。その犠牲とは、
 個人的自己の一切を「神」と人類に対する奉仕のために献納することである。
 こうしてのみ、君は宇宙的な力を安全に使用する望みをもつことができる。 

という部分です。
愚拙の見てきた限り、世の中の多くの人間は(    すべてとは言いませんが)
自己犠牲的態度とは真逆であり、損得勘定むき出しでそれを恥じることもなく、
自己の利益のためには他人に犠牲を強いてもまったく意に介さぬ連中ばかりでした。
というよりも、むしろ他人より一歩も二歩も抜きん出なければ、
    学校生活においても進学においても、就職活動や社会生活においても
いわゆる 世俗的成功の実現 は到底おぼつかないのが
ごくごく一般的な現代日本の潮流というものでありましょう。

大小さまざまな共同体の中にも階層やらステージ(?)やらがあり、
暴力や恫喝・懐柔によって他者を操作する者(・・・・・・これは離脱者が出ますけども)、
上層部により多く金を貢いだ者、組織内でうまく渡り歩いた者がよい条件を得る、
というのはどの世界でも見られる光景です。
しかし、威力や金銭や太鼓持ち的言動には「宇宙の力」はまったく必要なさそうです。
かのオウム真理教も「解脱」を売り文句にした宗教団体であったはずなのに、
信者やその親族から金品を毟ったりサリンを撒いたりと、
現象界で成しえたのは化学的・物理的な破壊行為だけでした。
(・・・・・・「解脱」とは何か?)


では「宇宙の力」を使う場面はいったいどこにあるのでしょうか?
その前に気になるのは、上掲 赤文字 で引用した文中の、
「奉仕」という言葉であり、その詳細は
『神のようになる―カバラーと人生の窮極目的』
 (マイケル・バーグ 著 大沼忠弘 訳 イシス 発行)
全編で説明されており大変面白い。


 “ 現在の状態に断固たる決意で直面することから始めなければなりません。 行動の中にどのくら
 い利己性が支配しているかを突き止めねばなりません。自分自身に焦点を当て、行動の一つ一つ
 が利己的な欲望から生まれたということを明らかにしなければならないのです。自分だけが受け
 取りたい欲望は常にスイッチ・オンになっています。このことは、利己的でなく行動していると
 考えているときこそ、最もよく当てはまります。寄付をするとか、隣人を助けるとか、サービス
 残業をするとか、寺院や教会で人類のために祈るとき、実際は何をしているのでしょうか。われ
 われの関心ごとは自分自身を善人だと感じたいということではないでしょうか。世間の目から見
 ると、スピリチュアルに見えるかもしれませんが、動機を純粋に見つめてみると、われわれの動
 機が純粋であることは滅多にないということが分かります。”

 (上掲書 第五章 あなたの人生は今すぐ変わる P.76 )



 “快適とはトレッドミルが回っている間、時計がチクタク時を刻んでいる間、どこでも手に入れ
 ることができる幻想です。 快適は至急変えなければならないことが明らかであるにもかかわら
 ず、自分だけが受け取りたい欲望でわれわれを包む温かい毛布です。


 あなたは「私は快適だ。この監獄は実はそれほど悪いもんじゃない。おそらく人生の目的とはこ
 の監獄に実りのある形で滞在することであろう。いつかこの監獄のひとかどの長になれるかもし
 れない。大いにありうることだ。ここは自由な監獄なのだ」

 とか、

 「私は快適だ、監獄にいるなんていうことはない。生涯監獄にいるという夢を見ていたに過ぎな
 い。おそらく私は南国の楽園にいて、このコンクリートの壁は実は砂であり、ぶら下がっている
 裸電球は温かく輝いている太陽なのだ」と、考えているかもしれません。

 快適を求めることはたとえ生物学的に決定された生き残り戦略であるにしても、快適はあなたを
 殺すのです。生き物は本能的に不快なことから逃げようとします。生き物が生き残ることができ
 るのはそのためです。 しかし、肉体にとって快適なことは魂にとって悲惨なことなのです。魂と
 してわれわれは、住み着いている肉体の一日二十四時間にわたる生き残りのドラマという罠の中
 に落ちているのです。
本当に求める快適、窮極にして唯一の快適とは、創造主との合一です。

 われわれは一方で肉体の快適という幻想を持ちながら、他方では魂の真の快適をも求めていま
 す。この二つの領域で同時に快適であることはできません。西に行きながら東に行くことができ
 ないのと同様です。神に向かって動くか、エゴと死の苦しみに向かって動くかのどちらかです。
 真の快適、すなわち神に至る道は大いなる不快に通じています。

 不快に通じているというのは、それが特別な存在であると感じたい、皆から認めてもらいたい、
 どこかに所属していたい、いつも取るに足らないお追従に取り巻かれていたいといった、あらゆ
 る精神的なジャンク・フード、真の栄養のかけらもないジャンク・フードを破壊することを意味
 するからです。そのような真の栄養のひとかけらもないようなジャンク・フードを脳味噌に詰め
 込んで、エゴそのものの幻想にえさを与えているのです。”

(同書 第八章 快適が殺す P.117 ~ 119 )







はたして一冊本を読んだだけでお手軽に
「人生が今すぐ変わる」かどうかは置いておくとして、
特定の団体や活動に参加して「時代の最先端」だとか「新しい波に乗っている」だとか
すっかり勘違いしてしまっている人々が今もネットで騒がしいですが
これは古い監獄から新しい監獄へ移って「快適だ」と思い込んでいるに過ぎず、
実は差し出された「夢」とやらは空っぽのハリボテだった、
とわかる時がくるかもしれません。

しかしながら、これら目先の「夢」、
金さえ出せば誰でも買える「幻想」を求めてきた結果、
まあ実際問題、その時々、その場しのぎの慰めには成ったけれども、
ふと我に返って世の中を見渡したら物凄い不景気が訪れていた、というのが、
まさしく今の日本の有様ですから、ここで一旦立ち止まって、
個人個人で多面的・多層的に考えてみる価値は大いにあるでしょう。






別冊宝島 114『いまどきの神サマ』
宝島社 (1990/7/1)





































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Last updated  2021年02月28日 21時52分09秒


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