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風が西寄りだったので、昨日に引き続いて今井浜に入ることにした。日中なのでヒラメが釣れる確立は更に低いのは知っているが、年内はもう来られそうにないのでやりたい釣りを思う存分やりたいのだ。その間T君にはキスを釣ってもらうことにした。稲取の釣具屋で出来合い仕掛けとジャリメを買った。店番をしていた年配の女性に「キスは釣れていますか」と聞くと「私に聞いても解らない。でもジャリメが売れているから釣れなくもないんじゃないの」と全く恐れ入る程的確な情報をくれた。こっちは今晩のおかずになるので、しっかりやってくれとT君に頼んだ。開始早々キスは釣れた。キスの釣り方は釣りを始める前にざっとT君に説明しただけだった。私はミノーをキャストしながら「リールに砂が付くからロッドはスタンドに掛けてくれ」とか「波にさらわれるから餌はクーラーの上に置け」とか遠くから大声を出して足りない説明を補った。それでもT君は今まで私と釣りに来てこんなに釣れたことはないので、なんだか楽しそうだった。しかし、底りを迎えると同時にアタリはぱったりと止まってしまった。「そろそろ帰ろう。それがラスト1投でいいか」と聞いて私は残ったジャリメを海に撒いた。私はラスト一投を決めると必ず残りの餌を海に撒いてしまう。こうすると不思議と釣れるのだ。思った通り、キスは釣れた。しかも今日の最大サイズとミドルで初めての一荷だった。帰りの道中T君が「ラストで餌を捨てるのは、これで本当に後がないのでその1投に集中するから釣れるということなのか?」と聞いてきた。私は「そういうのもあるかもしれないけどあれは願掛けの様なものだ」と言った。5年位前の秋だったと思う。その日私はIさんと2人並んで、祗苗島のオネモ3番でイシダイ釣りをしていた。Iさんは私に0からイシダイを教えてくれた先生だ。この日は神津滞在2日目で最終日だった。Iさんは早い時間に4kg弱の本ワサを1枚上げていて、機嫌が良いというかその後はカゴでイサキを釣ったり泳がせをやったりで何だか遊び半分だった。その日の餌はマガニだった。前の日が少し暑かったので、相当数用意したマガニの殆どが召されてしまっていた。イシダイ師の中には「餌なんて何でもいい」と言う人は少なくないが、私は結構気にしてしまう方だ。私は1匹だけ元気だったマガニをいざという時の為、なるべくストレスを与えないように大事に温存していた。終了時間が迫っている中、私の竿にその日初めてのアタリが出た。大きな振れ幅から7時30分位まで入ったが、戻ってしまった。あのマガニの出番だ。新品の針をケースから出して、餌入れの発泡箱からあのマガニを探した。しかし居ないのである。Iさんに「1匹だけ生きている奴が居たと思うんですけど知りませんか?」と聞くと「あーあれはこの2日間今日の今まで生き抜いてきて根性のある奴だと思ったから海に逃がしてやった」と言った。「そうですか。解りました」私は召されたカニを付けて投入したが、結局その後アタリは出ずに終わってしまった。そして私は、あのアタリはIさんがカニを逃がしたから出たものだったと考えることにした。生かしてくれて海に逃がしてくれたお礼にあのカニが、流石にクチジロは無理だけどドキドキ感だけでも、とプレゼントしてくれた。そういうことにした方が良いと思ったのである。それから私は活き餌を海に返したり、良い魚をリリースしたりするようになった。効果の方は結構出ているので今も続けている。T君にこの話をすると、意外にも彼は共感してくれたのだった。
November 26, 2007
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今回、宿は伊豆高原のユースホステルに予約した。ここのオーナー夫婦(YHではペアレンツと呼ぶらしい)は自転車乗りで、過去にツーリングに関する本も数冊執筆しているそうだ。そのリレーションからか、実業団の選手なども自主トレの拠点として利用しているとのことだ。リビングに伊豆半島のヒルクライムについての小冊子があったので読んでみた。それは、A4、20枚程のクリアブックで、オーナー手作りのものだった。印刷の精度やインクの色褪せかた、使われているツールなどから推測すると、Win95時代、パワーポイントか何かで組んだものだと思う。文章もレイアウトも読みやすさ観やすさを最優先に置いていて、タイトというか業務報告書の様な作りなのだが、よく見ると、写真のずらしや重ねで微妙に強弱が付けてあったり、文章も淡々としながらも熱さを抑えている様な感じだったりで、さりげなくその峠に対する思い入れやトライして欲しいという気持ちが伝わってくる。とにかく素晴らしい出来だった。私は「これがレイアウトだよな」とか「こういうのが作品っていうの」とT君に説明したが、全く興味が無い様だ。夕食は1000円というのが信じられない程美味かった。食べている途中で、もう1品おかずを出してくれたのは、飢えている私達にとって嬉しい演出だった。私の専門であるインテリアや装飾にしても「これはない」とか「ダサ」とかそういう部分が1つもない。こういうセンスがあるからこのご夫婦はこの仕事を続けていけるのだろうと思った。宿には私達の他に中年のオートバイ乗りが1人とドイツ人の学生が2人宿泊していた。普通なら夕食の後は、団欒でもするのだろうが、体中痛いし、疲れているし、英単語を組み立てる余力もないし、オートバイ乗りの中年とは話が合いそうにもないので、酒も飲まずにさっさと寝ることにした。あっという間の12時間睡眠の後、インターホンで朝食だと言われ軽く顔を洗って降りていった。朝食時、ドイツ人学生達が話しかけてきた。私達は起きたままのスエット上下なのに対し、彼らは髪の毛まできちんとセットされていたので少し恥ずかしい気持ちになった。平日のこんなシーズンにこんな場所を旅しているので、最近職を失った英会話講師だろうかと思ったが話してみて違うことが解かった。彼らは全く日本語が話せなかったからだ。しかしドイツ人の英語は解り易かった。彼らも本国ではサイクリストらしい。見た目で判断しているのか彼らはT君ばかりに質問する。「年間どのくらい走るんだ?」という問いにT君は「6000km位。自転車は趣味で楽しんでいる程度だから」と答えた。彼らは「ドイツの高校生の殆どがその位は走る」と少し笑いながら言った。しかし本当は私もT君もその倍の距離は走る。(日本人の多くはこういう場合少なめに答えるものなのだ)と彼らに言おうと思ったが、それを英語で説明するのは大変なのでやめた。彼らとT君の会話を聞いていると、段々と話が食い違っていくのが解った。彼らは私達が自転車で旅をしていると思って話を進めているのだ。会話の途中でT君が私に「千葉はここからどの位の距離がある?」と聞いてきたので「北東に250km位だけど…」と答えたが、タイミングを見て私が「俺達は車で来たんだ。チャリは車に積んできたの。山岳だけを走りたいから」と英語で説明すると「そうだったのか」と彼らは大笑いした。質問は段々私に向いてきて、「今日はどうするんだ?」という問いに(今日は釣りをして、早めに帰る。渋谷が渋滞するし、俺は明日仕事だから)という単語を脳内で並べていて、T君に「家に帰る」って何て言うんだっけ?と聞くとT君はいきなり「Go home!」と彼らに言ったのだ。空気は一瞬凍りついたが、私が真顔でしかもブロークンな日本語で「違うだろお前何言ってんだよ」と言ってしまったので事態は更に悪化した。その後「俺は仕事を持っている。今日は海で釣りをして家で釣った魚を食う。それで休暇はフィニッシュだ」と言い方を変えて説明した。彼らは「Fishing」に反応してくれた。話題が反れたことによって空気は正常化した。その後、部屋で布団を片付けていると、宿を出て地図を見ながら歩いて行くドイツ学生達の姿が見えた。彼らは何かを思い出したように戻ってくると、駐車場の私の車を覗き込んだ。自転車をチェックしにきたのかと思ったが違うようだ。彼らは顔を見合わせて何かを話しながら苦笑いしていた。私の車はフラットにした後部シートに2台の自転車と工具類やケミカル、そして数魚種分のタックルやクーラーで満載状態だった。恐らく「これでは便乗を頼んでも無理そうだな」などと話していたのだと思う。後でT君に「お前の英語力にはドイツ人もびっくりだったな」と言うと「俺は英語がどうしても苦手だったから東大を諦めて理科大に入ったのだ」と言った。これは多分本当のことだと思う。T君はそんな冗談を言うような、というか思いつくようなタイプではないからだ。[伊豆高原から見た富士山]
November 26, 2007
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急いでチャリをばらして車に積み込み、河津のルアーショップに向かった。溜まっていたロッドの修理を依頼して、実績が出ているミノーを2つ買った。サーフの状況を聞いてみた。ここの店主は悪い言い方をあまりしないタイプの人だが、話し方や雰囲気で大体解る。期待は薄そうだ。河津浜の方が幾らかチャンスはあるようなニュアンスに聞こえた。でもどうせ釣れないのなら好きなサーフでやりたいので今井浜に入ってみた。この時間の今井浜は良い。先行アングラーは無い。サーフに入っていたのは夫婦や恋人達だけだ。T君は脚が痛いと言って釣りをしないので写真を撮ってもらった。今日ももちろんHITはなかった。
November 25, 2007
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「でかいグレに太ハリスの仕掛けを喰わせる技術より、細ハリスで大グレを捕る技術の方が数段楽だ」というのは有名な松田理論だが「休みの日は体を休めるのではなく、更に体を動かして精神的なストレスを発散させたり基礎体力を上げていったりする方が日々の生活が楽になる」ということは広く一般的に言われていることだ。※前述の松田理論とは意味もかけ離れている上に比喩でも対照でも韻が踏まれているわけでもないので気にしないで下さい25、26日は久々に連休だった。体は疲れているのだが、新入社員という最弱の立場で毎日面白くもない仕事をしていると、その分休みの日くらいは好きな場所で好きなことをやりたくなってくる。そんな訳で、私請けの仕事の方のアルバイトT君と車に自転車とタックルを積んで伊豆半島に行ってきた。そういえば、この2年間、仕事を手伝ってくれたりチャリや釣りをして遊んだ大学生達は来春卒業だ。T君は夏前に内定したシリコンバレーの草分け的な米の巨大メーカーに就職するそうだ。後の2人は、1人は九州大もう1人は東大の大学院に進学が決まったらしい。全く皆、私とは正反対の道を歩んでいる。10年後、彼らと遊んだりする機会はあるのだろうか。朝5時半に家を出て、9時半に河津に到着。初日は伊豆半島の山岳でグランフォンドだ。1→車は河津川沿いの公園に止めた。ここは清潔で広いトイレや無料の足湯があるので何かと便利だ。本来なら足湯に浸かりながらゆっくりストレッチでもして望むのがベストなのだろうが早く走りたいのでさっさと着替えてスタートした。2→T君は先週開催された日本一過酷なサバイバルロードレース「ツールド沖縄」から帰ってきたばかりだ。河津までの道中はその話で盛り上がった。来年は私もエントリーすることに決めた。3→走り始めてすぐに心拍はMaxHR。不思議と全く苦しくない。素晴らしい景色のせいだろうか。4→ループ橋を越えて天城峠を登っていく。5→天城を越えて修善寺まで一気にダウンヒル。そして今度は土肥峠にアタックする。6→グリコCCDドリンク。水分と炭水化物が一緒に摂取できる画期的な飲み物らしい。去年、秩父の山奥でハンガーノックになり、食料品店が全くない上に日暮れが迫ってきて大変な思いをした。今は気を付けてエネルギーを取るようにしている。7→土肥に出て海岸線を南下。小下田ではハンターが入山の準備をしていた。犬達の気迫や肉体美が素晴らしかった。8→予定では南伊豆の海岸線ルートを走るつもりだったが、思ったより距離があって河津に着く頃には暗くなってしまうので松崎から婆沙羅峠に入った。夕マズメは今井浜でヒラメをやりたいのだ。9→最後の峰峠を越えてゴール。約120km、5時間30分のグランフォンドをフィニッシュした。
November 25, 2007
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初期のRCサクセションに「金儲けのために生まれたんじゃないぜ」という曲があるが、そのままの気分でこの半年、殆ど仕事をしなかった。その間は、難解そうとか長いとかで躊躇していた小説を古本屋でまとめ買いしてひたすら読んだり、ニコニコでネ申アニメ(と言われている)作品をぶっ通しで観たり、自分で作ったおにぎりをポケットに入れ、筑波や秩父にヒルクライムに行ったり、金がない同士な大学生とツーリングに行ったり、誘っていただいた先輩釣り師に釣りや酒をご馳走になったり…みたいな生活で、それはそれなりに充実していた。金なんか無くったってこんなに素晴らしい毎日が送れるじゃないかと思っていたのだが、盆明け位から自分で請けている仕事のオファーが増えてきて、少し忙しくなると同時に、何だか急に仕事が楽しくなってきた。というか緊張の無い生活に飽きてきたのかもしれない。私の仕事はフリーで暇な時と忙しい時の差が激しい。収入は不安定で、たまに大きな入金があっても貧乏の反動でドカンと使ってしまうから結果少しも残らない。これは非科学的なダイエットに似ていて悪循環でしかないことに何となく気付いてはいた。その頃から小額でもいいから安定したベースがあればいいと思っていた。そこで、この気分を機に空いている昼の時間帯にアルバイトをしようと決めた。どうせなら、社会貢献度が高く、環境に優しく、そして自転車のトレーニングになるものが良いと思った。最初に思い浮かんだのはメッセンジャーだった。ニューヨークの街中をツバメの様に舞うメッセンジャーは憧れの仕事だ。ニューヨークは遠すぎるので中央区ならと思いwebで色々調べてみたが、思ったよりずっと厳しい仕事でこれは副業では出来ないと思った。昔やっていたピザ屋のバイトを思い出したのだ。私は土地感が無い場所でのスピードが求められる配達業の辛さを知っている。昔、沖縄県の名護という田舎で、ピザをデリバリーしていたことがあった。勤めていたリゾートホテルをクビになり、通っていたバーの方が御親切にも紹介してくれた仕事だったので自分なりに一生懸命やっていた。しかし全く知らない上にあの広く複雑な名護市で目的の家を探すのは大変で、自分の記憶力の無さや勘の悪さを思い知った。今までバイトを含めると20以上の会社で勤務したのだが、あの仕事が一番苦労したと思う。そんなこんなで結局、よく知っている街で郵便配達をすることにした。メッセンジャーに比べると、スタイルは随分落ちるが、重い荷物を積んだ自転車をこげるし、家から近いので自分の仕事にもあまり影響がなさそうだ。週に3~4日位ということで面接に望んだのだが「もう少し働けば社保3点セットがついてきますよ」というので「じゃ、それで」ということで社員契約をしてしまった。まぁ辛くなったら「やっぱり無理でした」と言えばいいのだ。数週間はスーツを着て電車で2時間もかかるセンターでの研修だった。実技能よりも、コンプライアンスとか接遇とか事務心得みたいなのが中心で、退屈で眠いだけだった。今まで何度もその100倍位質の高い講義や訓練を最前線の企業で受けてきたのだ。その後、やっと配属となったのだが、渡されたのは不本意にも「90ccのスーパーカブ」だった。「慣れるまでコレに乗って下さい」だそうだ。要はお前の都合でスローに仕事をやられる訳にはいかないということだと思う。履歴書の免許資格欄に自動二輪と書いてしまったことを悔やんだが、今は片道23kmの自転車通勤だけで満足している。流行のツーキニストだ。家から支社までの通勤路の2/3以上はサイクリングロードなので、アベレージは25km/hを上回る。しかし最近は寒いし、深夜の仕事明けなどは疲れているので、朝起きる時「今日はいつもより負荷を5%上げればいいからあと5分寝よう」などと思って2度寝してしまう。普通ならこういうのは悪い結末を迎えるフラグとも言える考え方だが、実はコレが効果的なトレーニングとなる。2度寝というものは5分のつもりが大抵10分は寝てしまうものだ。こうなってくると限界以上のパワーを出さなくては間に合わない。いい歳をして遅刻は流石に体裁悪いので、自分の筋肉にも心肺にも強烈な鞭を打って回し続ける。一番エアロ効果の高いフォームやポジションも真剣に考えるようになる。これはマネージメントスキルでは定番の「アメとムチ」のマイセルフ版である。スローライフ時代、毎日2時間位やっていた自主的な練習は、ここにきて身体能力のupは止まり、フィットネスレベルを維持する位の効果に落ち着いてしまっていた。それがこのしごきのお陰で、滞っていたチャリスキルがまた上昇してきた。しかも、支社到着時は個人TTのフィニッシュの様な感動的な気分だ。最近、このガチガチのレーサーで通うのも車体にも体にも問題があるような気がして、もう少しコンフォータブルな通勤用のチャリを一台作りたくなってきた。どうせならイタリアの工房物のクロモリフレームを今のレーサーと互換性のあるシマノのアルテグラで組んで、繊維スポークのホイールを履かせて、ステム、ハンドル、ピラーはカーボンで、高照度のLEDランプを装備して…などと調子に乗って想像を巡らせていると、ここでの給料の2~3ヶ月分が軽く吹っ飛んでしまう位の見積もりになっていた。これでは通勤の為に働いていることになってしまうと気付いたが、よく考えてみるとそれも案外幸せなことではないだろうかと思えてくるのだ。
November 23, 2007
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