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長らく更新できていませんでした学校の仕事が多忙を極め・・・本業が疎かになっている今日この頃ですさて、この度本のタイトルを書くことになり、その本が来月書店に並びます童話作家柳瀬マルコさんの『銀河を超えた浦島太郎』という本です亀を助けて老人となる哀れな男、浦島に何と「後日譚」があったとは・・・大人も子供も楽しめるファンタスティックなお話です書店で見かけたら是非手に取ってくださいもちろん題字の鑑賞もお忘れなく・・・
2009年07月04日
今日は節分です豆は撒きましたかさすがに子供の頃は「豆まき」というとむきになったものです小学生の頃は給食に節分豆が出て、クラスで豆のぶつけ合いなんてのもありました関西では巻き寿司のまるかぶりというものもありますこれは黙って恵方を向いて食べねば福が逃げるとのこと。子供には至難の業ですさて、今年はうちのオチビさんも丸かぶりに挑戦幼児の生えそろっていない歯では巻き寿司は噛み切れず結局自分の手でバラバラにし、バラ寿司になってしまいました
2009年02月03日
今年は丑の年です早いもので年が明けて4日も過ぎました明日から仕事始めですすでに仕事が始まっている方も多いと思います今年の干支にちなんで「マイペースで力強く」を目標にしたいと思います年末は大学時代の同窓会を京都でやったり、元旦からは槍の稽古に行ったりと充実しました休みが明けて日常に戻りますがぼちぼちやりたいと思います。作品作りも・・・
2009年01月04日
今年も早いもので残すところ僅かとなりました長い間パソコンの調子が悪く更新していませんでしたまたぼちぼちと更新していきます
2008年12月05日
朝夕めっきり涼しくなりましたなかなか忙しくこちらもホームページも更新できていません。近いうちに更新したいと思っています。先日、親友のF君から電話がありましたかつて同じ釜の飯を喰った戦友のような奴です奴の身辺に変化が出てきたようで一度呑みに行こうとのこと久々に同期の桜と酒を酌み交わしたいのですが、多忙でいけません双方落ち着いたら一度尋ねたいと思っています
2008年09月27日
毎日暑い日が続いています無理の無いように過ごしたいものですさて、オリンピックが始まりました開会式を見ましたが何とも「中国らしい」感じで、漢字や書にまつわるアトラクションでしたその中で篆書で「和」という文字がありましたが、「篇と旁が逆?」と思われた方も多いのではないでしょうか?もともと「和」は篇と旁が逆の文字です「口へん」に「禾」という文字が本来の形です「禾」とは「稲」を表し「米」に通じます。すなわち「ものを食べたときに人は和む」ものなのですね。「一家団欒」という食事形態が崩壊した今日、お盆などでくにに帰る方も多いかと思います。この機会に「みんなで食べる」ことを通して「和」の大切さを体験なさると良いかと思うこの頃です
2008年08月09日

この度、DVD「興福寺古武道奉納演武大会」のジャケットタイトル(題字)を揮毫しました各古武道の流派による奉納演武は一見の価値があります中身に負けない題字になりましたかどうか・・・ご批正のほど宜しくお願い致しますDVDに関するお問い合わせは「奈良 宝蔵院流槍術保存会」様(電話0742-34-3003)までお問い合わせ下さい
2008年06月25日
長らく仕事でバタバタしており更新が遅れました気づけばもう梅雨の季節に入ってしまいました。気が向けばまた作品を作ろうと思います梅雨時は墨がどうしても湿度の関係で「薄墨」になってしまいますこの季節の「色」を大切にした作品が出来るといいなと思うこの頃です
2008年06月15日
何かと新しいことが始まる年度始め職場・学校・・・何かと「新しい」ことが始まりますやりがいを感じる人もいれば、楽しんで仕事をしている人もいるでしょうまた逆に、やりがいがない、こんなはずではなかった、失敗だった・・・と思っている人もいることと思います後者のような人たちを「四月病」といいます「五月病」はよく耳にしますが、その初期症状ともいえますね特に仕事は一生のこと。しかし一生一つの会社で「苦痛」に耐え一つのことを「病んで」まで続けることが美学でしょうか多様な考え方があることと思います。「働く」とは何か、「自分」とはどういうものか・・・職につこうとする者の自己分析能力のなさ、またその力の育成・・・種々の要因を挙げておられました。迷ったら心強い就職のプロに相談してみるのも解決の方法だと思います。
2008年04月12日
久しぶりのホームページの更新です今回は「仮名作品」4点、「漢字作品」1点の追加です「仮名」では、『紙(料紙)の選択も表現のうち』と言われます仮名の料紙にはサイズ、文様、紙の質など様々で見ているだけでもうっとりするような煌びやかさがあります今回使用している料紙も金箔・銀箔が散らばり色もぼかしのものです用材の選び方も表現する中では大切ですさらに、新しい試みとして「門弟作品」なるコーナーをギャラリーの中に作りましたこれは、作品制作していますと、1歳になったところの娘が勝手に筆でいたずらをするので「何か書かしてみる」ことにした「産物」です「作品」とまではいかないかもしれませんが、何か「前衛的」で、人間が言語・文字を習得する以前の自然な手の動きだと思います「喃語」(言語習得以前に発する乳幼児の言葉)を視覚的造形的に表現するとひょっとしたらこのような「筆跡」となるのでしょうか・・・書は年齢を経るごとに変化しますこの小さな「門弟」がどう成長するのか楽しみです公式ホームページhttp://www.geocities.jp/watashi_kousen/
2008年03月25日
妻が以前「ドラマに出た」という話をしました実はこの前最終回だった「鹿男あをによし」というドラマでした(終わってからならばタイトル出してもいいかと思いまして・・・)最終回ももちろん「女子高生」役プラス「駅の乗客」役(もちろん女優ではありません!)で出ていました個人としては女子高生役は如何なものかと・・・コメントに困ります撮影中はギャラリーがかなり多く主演の俳優さんの取り巻きがわんさかいたそうです私はその頃家で子守でした妻は主演の俳優さんと話したそうです。自慢されました。。。(どうせきっと一言だと思います)このドラマがきっかけで奈良に客足が増えたそうです普段なら鹿は鳴かずとも閑古鳥が鳴いている奈良公園に客が増えたとニュースにもなりましたニュースと言えばこの間、親しくしている大学の後輩からメールが着ました「例の平城遷都のマスコット騒動、奈良の人としてどう思いますか」何かと答えに困る奈良が話題のこの頃です・・・。
2008年03月24日

ギャラリー「漢字作品」に「雨は打つ簾前の梅」(良寛の詩)を追加しました。生家の隣に名勝の「梅林」があり、梅が咲くと風が寒くても春の訪れを感じながら育ちました今年は寒さのせいか満開とはいかないものの、梅見のお客さんが早くも来ていました。珍しい「枝垂れ梅」が見事に花を咲かせていました。作品は半切サイズの軸装で、春の風雨に耐えながら咲く梅の情景を優しいタッチの行書で表現しました日本人は暖かい季節に潔く散る桜を好む感がありますが、寒さに耐えて咲く梅にも何かしらの趣を感じます。作品のタッチは厳しい寒さに耐えられる梅の力は優しい柔らかな気であるとの思いからです。お目だるい出来になりましたが「春の訪れ」を感じていただけたらと思います オフィシャルサイト「ひとしずく」
2008年03月05日
卒業式シーズンが始まりました卒業は新しい「生き方」の第1歩ですこのご時世、就職難や進学がままならない・・・と暗い春を迎える人もいるかと思います失敗した自分を変えたい・・・そんな思いの人も多いはずです自分の生き方は自分で考え行動する。これは鉄則ですが、羅針盤も舵も無い小船で大海に出るのは苦難が付きまとうでしょう。これは、学校(中・高・大学)における進路担当の不的確なアドバイスと情報、さらには結果主義が原因ではないかと思います「当人の気持ちに立って、就職・進路を考える。それが進路を示すプロだ。」私が親しくさせていただいている、就職・進学支援アドバイザーの吉井先生(ヒューチャーオブエナジー)の言葉を思い出す季節です さて、いかなる状況にあれ毎年度末ともなれば、何か「新しいもの」の兆しが社会を取り巻きます。 先日、かつて勤務していた学校の当時の上司のI先生から「卒業証書書いてくれ」と依頼されました卒業証書も時代の流れか最近ではほとんど印刷物です。不思議に思って詳細を聞きますと在学中に亡くなった生徒の親に「私的」な証書を渡してやりたいとのことでした。 悪筆名高いI先生のことですから自分で書けません。I先生とはよく飲む飲み友達のよしみもあり一筆したためました どんな状況にあろうが「明日」があるということが当たり前で何も感じていない「卒業」が多い中「明日」のない「卒業」に接すると、それだけで何かを感じざるを得ないものです。
2008年02月22日
私の知り合いにK先生という方がいます先生は年に数回決まって電話をかけてきます(約1時間の近況報告をなさいます)先日電話があったばかりです年に1度位は一緒に飲む機会があります(飲むと「講義」をなさいます)今回は「歯痛」で飲みに行くのを延期してくださいとの話でした知り合ったのは、私が大学院生の頃。初めて「臨時教員」として赴任した高校の漢文の先生がK先生でした先生はいつも休憩室で静かに何をするでもなくそこにいるだけで、あまり周りの先生と話すでもなくいつも当たり前のようにそこにいました私は大学院の研究室から高校と言う異種の環境にきて、よく休憩室で休んでいたため先生と話すようになりました彼は根っからの「研究者タイプ」で、教師先生よりは、研究者先生といった感じでいつも漢文学やら中国哲学の難しいお話をしてくれました話し出すと静かなイメージは吹っ飛び延々5時間の「講義」で、高校には珍しい方だと思いましたそんな折、西安にある孔子の、ご廟の建物の配置が何十年と分からないのが唯一の悩みだと打ち明けられたのがきっかけで今も交流が続いていますその配置は私がたまたま知っていたためです実はいま、その廟は書道の石碑の博物館になっているためでした・・・先生はそれ以降、自分と同じ側の「研究者」と認めてしまい、私に娘が出来たとき、(その頃は私は他所の学校へ移っていましたし、先生は学校を辞められていましたが・・・)出産祝いに「研究書」を下さいました(何かを超越している気がします・・・)ちなみに飲みに行くと彼は「野菜」しか頼みませんこちらは注文しにくいのは言うまでもありませんしかし「縁」は大切です。私にとっては大変でもあり楽しみでもあります
2008年02月05日
公式ホームページが来訪者数1000人突破しました今後ともよろしくお願いします
2008年01月25日
先日、愚妻がテレビに出演しましたしかも2日連続で2局のテレビドラマですこう書くと「すげぇ女優さん」のような感じを与えてしまいそうですちなみに「すげぇ俳優さんから話しかけられた」とは、愚妻の言・・・。「セリフなしの観光客役、女子高生役」探すのに苦労しました撮影は確か丸1日かかっていました出演時間は「アッ・・・」一日子守と留守番をした小生の感想は、「諸行無常の響きあり」しかし、エンディングの出演者名に、ちっさくもその他大勢の中にも愚妻の名前を見て、「あぁ、やっぱり何処かに出ててんなぁ~。いっちょまえにやりよるなぁ」の感でした
2008年01月19日
今日は宝蔵院流の槍の稽古始でした毎年、稽古始の日は「たぬき汁」という味噌汁に似た汁物が一般市民の見学者に振舞われます根菜とこんにゃくが具として入っています稽古の見学には方々から来られ、400年前から続く文化への関心が高いのだなぁと感じました
2008年01月12日
本年も何卒宜しくお願い致します。今年は子の年です「小さくても1番」の干支にちなんで小さい作品でも1番の感動を呼ぶことが出来るような作品を作ってまいりたいと思っています1歳になりたての娘が「筆記用具」に興味シンシンですどんな文字を書くのか楽しみなこの頃です
2008年01月05日
本年も書作活動にご支援ご協力頂いた皆様方、並びにブログ・ホームページで作品等をご覧頂いた方々ありがとうございました来年も「不退転」の気持ちで作品制作に精進してまいりたいと存じます。今後ともいっそうのお引き立てのほど宜しくお願い致します さて、今年最後のホームページ更新をしました。 漢字作品・調和体作品に新作を、それぞれ追加していますのでご覧下さい調和体では、「お正月にちなんだ作品」を発表していますぜひ、ご覧下さい また、「瓦コレクション」のコーナーでは「平成20年干支瓦~子~」を掲載していますデザインは数種類ありますが一番キンキラの瓦を掲載しました。絵馬型の瓦もあります干支瓦は玄関、床の間、店舗などに飾るインテリアです。 新年の飾りに、縁起物にいかがでしょうか 瓦のお問い合わせは、 東大阪瓦産業(株)東大阪市吉田本町2-2-43(花園ラグビー場前)TEL072-962-7722 までお問い合わせ下さい
2007年12月31日
朝晩の冷え込みが厳しくなってきました朝起きるのがつらいなにせ朝の6時には仕事に出発な生活です・・・冬場は暗いうちに出て暗くなって帰ってきますさて、近々ホームページに新作「仮名」を掲載予定です今しばらくお待ち下さい
2007年11月16日
字が上手いというと得なようですが、損することもあります 冠婚葬祭では必ず受付に回され、職場では「熨斗袋書き係」のように当然コキ使われます 雑用を当然のように回されうんざりされている一般市民の能書家の方も多いのではないでしょうか ひどいときは何かと代筆を頼まれ、「人のふんどしで相撲をとられ」ます 我々書家の中でも「書けるのは損」という話題は常々持ち上がる話題です 特に若手書家は年齢が若いので、年配の知人友人職場人から「当たり前の如く」使われ損をしている者も多いのです 字が上手いと軽々しく作品を頂戴とか何か書いてなど、こういう心無い声もあります。 また軽々しく書を教えてと言われ、こちらが骨を折るばかりで、きっちりとしたお礼を尽くさない態度をとる人も多々います 私は声を大にして若手書家らを代表して言いたい 我々書家や世間で少しは上手い字を書ける人は自然に上手くなったのではないと。 長い年月と努力と書道の稽古に行ったりで銭もかかって今の「腕」があるんだと。 そして、何より「器用者隣の馬鹿に使われる」ために「腕」を磨いたのではないと。 たかが習字ぐらいで・・・我々はそんな気持ちで筆を持っていません。我々にとって「書」を書く行為はかけがえの無い営みであり生きようであります 「作品」は我が子のようなもの。軽く扱い軽く見ないで下さい 「習う」とは自己の生き様を見つめること。軽々しい気持ちで習うなんて言わないで下さい 何事に付けてもそうですが、書に限らず人に物事をお願いするときは人としての礼節を重んじ、「お願いしている」と言うことを忘れないで頂きたい。
2007年11月11日
オフィシャルサイト「ひとしずく」のギャラリー「調和体作品」に、あの「宝蔵院流槍術墓地整備由来芳名録」を追加しました(個人名は載せていません) 今となっては墓所に奉安されているため実物を見られる機会は今のところありません この作品は流祖胤栄和尚没後400年を記念して墓地整備をした由来と寄付された市民のお名前が書かれています8月上旬に奈良市中央武道場にて宝蔵院流槍術伝習生に披露されて以来、「人目につくことのなくなった私の作品第一号」です 王義之の「蘭亭序」も玄宗皇帝の墓に奉安されたため「人目につくことのなくなった作品」です「蘭亭序」には及びませんが王義之のようでまぁなかなか・・・ 幻の作品(部分)をご覧下さい
2007年11月10日
書家と言えば字が上手いそうとも限りません。大抵の人は字が上手くなりたいと思い書を習いますしかし、書をやっている人にも実に文字を書くのが下手糞な方もいるのです。 かつて、私の弟弟子にそれに該当する者がいました。芸術としての書の作品はまあまあ形は整っているのですが何か味気が無くおもしろくなくずっと見ていたいとは思えない作品を書きます。 原因は手紙をもらって「なるほど」と分かりました実に下手糞で美的センスもなければ書をやっているというのが嘘のように感じるくらい下手なのです。見ていて気分を害するような手紙ですそれに加えて「自分はうまい」という変な自信を持っているのが文字から伝わってきます。こういうのが一番いけません私の師匠が私に、それとなくあいつ(弟弟子)に注意してやってくれとまで心配するほど「実用の技」を持っていませんでした。それと同時に、芸術としての書は、先生の手本なしでは、さまにならないという心配もされてました手本が必要とは情けない話で書を辞めたほうがいいということです・・・。私は弟弟子に「あの手紙の字なぁ・・・」注意を始めようとした矢先、弟弟子の口から自信に満ちた言葉が発せられ情けなくなった思い出がありますそれ以来、弟弟子が葉書を寄越しても返事は書かないことにしました。言っても分からない者は、誰からも相手にされなくなります。書をやっていると「芸術性」を重んじてしまいます。大切なことではありますが、「実用のもの」を満足させるだけの「技」こそ大切であり、万物の文化、学問の根本は、「実用」だと思います。教育でも、産業でも、根本は、「実用」であると思います。特に書をする者は、実に美しい筆文字が書けなくてはいけませんし、一般社会人は最低限度の硬筆による楷書・行書を社会マナー、ビジネスマナーとして身に付けたいものです
2007年11月06日
今日は文化の日です各地でも地域文化祭や、学校の文化祭、大型美術展など11月は文化行事が多いです元々、文化の日は戦前までは「明治節」と呼ばれていましたこの日は明治天皇様がお生まれになった日を記念して出来た祝日です さて、公式サイト「ひとしずく」URL:http://www.geocities.jp/watashi_kousen/が更新しました 仮名作品を追加。あわせて「書のこころ」をリニューアルしました「書のこころ」は、私の書作のモットーとしていることを書きました。拙い文章ですがご覧頂ければと思います。
2007年11月03日
「ギャラリー漢字作品」に12点の新作品を追加掲載しました 今回は色付きの紙を使用した作品もあり、白と黒ばかりではありません また、編集後記(管理人さん)が新しくなっていますのでそちらも見てやってくださいオフィシャルサイト URLhttp://www.geocities.jp/watashi_kousen/
2007年11月01日
東洋の文化には、しばしば「気」というものが出てきます書もこの「気」が線に満ちているかどうかで、線が単なる2次元の産物でなく線に立体感と奥行き、切れば血が迸るといった「表現」になりますこの状態を「気満」と言います書と気(心、精神作用)の関係は切っても切り離せません書は今の自己の姿だからです「書は心の画なり」と言う言葉があります。また「意先筆後」や「意前筆従」と言う言葉があります。気持ちに技(筆)が従うという意味です まず自己を見つめ字を見てはさらに自己反省し受け入れる・・・書の稽古の基本です
2007年10月29日
般若心経を書くよく、テレビの教養番組や書籍で取り上げられているテーマです般若心経は「空」の世界を我々に教えています今日は般若心経を含めた写経について書きます写経には決まりごとがあります写経には「写経体」といわれる略字のような文字が使われます。これは、かつて写経生といわれる人が文字を早く美しく書く工夫から生まれた文字ですつまり「用と美」を兼ね備えた工夫がありますまた、一行に入れる文字数も決まっています。さらに名前は本名で入れ、雅号は本来使いません。書ではなく斎戒謹書または謹書とするのが一般的です。日本には多くの写経が残されていますが、私は良寛さんの写経が一番好きですどちらかというと、写経の決まりを無視した自分その儘が出ており素朴で飾り気がありません無の境地といいますか空の世界といいますかこだわりや格式なんてクソ食らえという上品な反骨精神が感じられます庄屋の家柄を捨て、生涯寺を持たず乞食様として生きた清貧さと禅僧にかかわらず、南無阿弥陀仏の名号を揮毫し宗派にこだわらなかった生き様こそまさに出家であり僧侶であったのだろう人柄が彼の写経にも見て取れますこだわりをすててちょっと仏さんになって心を空っぽにして筆を持ってみてはどうでしょうか
2007年10月26日
私の友人の椎木かなえさん(画家)の展覧会が行われますので紹介します 実は、かなえさんのお姉さんともともと知り合いでして、その妹さんが絵を描くということで何度か展覧会に寄せてもらい知り合いました。ちなみにお姉さんは書家です。アートな姉妹です 展覧会は下記の通りだそうです!! ■10月29日(月)~11月10日(土) 同時開催!!!! ★ 椎木 かなえ 新作展 [ 秘密 ] 会場:ウィ・アトリエ 大阪市西区北堀江1-3-11 友成ビル2F open 13:00-19:00(最終日~17:00)*会期中無休 ★ 【gallerism 2007】 -関西美的解体新書- 会場:現代美術センター 大阪市中央区大手前3-1-43 大阪府新別館北館・南館 open 10:00-18:00(土祝~16:00)*日曜休館
2007年10月25日
今日は書ではなくてよくある質問について 渡士とかいて何と読むのですか?実に昔からよく聞かれます私の場合「わたし」が正解です洒落ではありません「わたし」以外には「とし」さんという方もおられることと思いますしかし、まったく他人で(ひょっとしたら遠いご先祖は同じか?)渡士さんというお方に出会ったことがありません一体、全国にどれくらいの渡士さんがいるのでしょうか知ってる方は教えてくださいという感じです。先日、「名字辞典」なる本を見つけました珍しい「珍名」も載っています見てみました・・・載っていませんでしたとことん珍しいのでしょうね名前の由来すらわかりません詳しい方は教えてくださいという感じです。全国の渡士さん、気が向いたらアクセスしてみてください
2007年10月19日
この度、公式ホームページ 渡士耿仙 書の世界「ひとしずく」をリニューアルしましたリニューアル内容は以下の通りです 1つめ メニューページとトップページを統合しました。 現在、メニューページでリンクをされている方は、お手数ですがトップページにてリンク・またはお気に入り登録を再度していただきますよう、宜しくお願い致します。m(_ _)mリンクバナーは、旧メニューページと新トップページにあります 2つめ 蒔絵を施した硯箱をイメージして背景を変えました作品追加掲載の方は現在編集中です。今しばらくお待ち下さいホームページのご感想は掲示板をご利用下さい。また、作品依頼、書道教授依頼等はメールにてお願い致します。(いずれもホームページからアクセスできます) 今後とも更なるご支援ご声援を宜しくお願い致します。追伸:事務局の日咲さんにはホームページの運営管理を頂きありがとうございます。
2007年10月16日
大阪の高島屋で文化勲章受賞の書家故村上三島先生の没後初めての展覧会が今月1日に終わりました月末には東京の高島屋に巡回するそうです。 私は、村上先生の弟子であった故東野香雲先生、孫弟子の榊原寿皓先生に師事してましたから曾孫弟子に位置するわけですが、随分と村上先生が心酔された王鐸の連綿草書は、私の書作に影響を与える古典となったわけです。その展覧会に行き、大学院時代ゼミでお世話になった村上先生の弟子である吉川蕉仙先生にばったりお会いしました。 先生は、私をお茶に誘って下さり、旧友の話、書道の話、近況の報告など懐かしいお話に花を咲かすことが出来ました。 思い出すのは、大学院時代、王鐸の草書、行書を研究していた頃、書の線が引き締まり筆が開かなくなり、線質の表現が単調になって随分苦労したことがありました。いつもは、口でご指導下さっていた先生が、ある時早朝に研究室に来るように言われました。冬の寒い始業前に先生は、自ら自分で筆を執り「書作の姿、筆遣い」を私に見せて下さいました。 自分の直弟子でない者に自己の筆遣いを見せると言うことはなかなかしないものですが、先生は、私に個人稽古を付けてくださったのです。ぶち当たっていた壁を何か軽く感じ、超えることができたのも、この個人レッスンからでした。 私の師匠である、榊原先生は私が色々な先生に稽古を付けてもらったり作品を批評してもらうことに対して何も言わずに寛大な態度を示してこられたお陰で、色々な先生と出会い、勉強ができました。自分以外の先生に習うことを嫌う書家が多い中、こうして色々な出会いを与えてくれ、多様な表現を勉強できた環境に改めてありがたく思うこの頃です。
2007年10月12日
郵便が官であれ民であれ「年賀状文化」はなくならないと思いますいつも年末慌しく用意する年賀状今年は早い目に用意してみてはどうでしょうかいつも正月明けに「書道教室」や「通信教育の書道」の門をたたく人が多いです。テレビのCMもこの頃しきりに「通信書道」はっきり言って遅いですこの時期からこつこつ、ゆっくり、少しずつ練習してみませんか?お問い合わせは、公式サイト「ひとしずく」のメールからお寄せ下さい。(ブログにサイトはリンクしています)
2007年10月09日
去る10月7日に宝蔵院流槍術創始胤栄和尚の没後400年追頌法要と古武道の大会が奈良市興福寺東金堂でありました。 以前、この和尚さんについての墓所整備のお話を載せましたが、その法要と各武道の型が奉納されました。 この行事に参加して色々な流派の姿を見て思うことは、武道でも文化でも創始者はもちろんご苦労があったり才能があったりですが、400年500年と長い歴史を脈々と伝えてきたのは、数え切れない名も無い伝習者があったなればこそだと思います。歴史を支えるのは、やはり、名も無い方々であり、その代表が創始者なり上に立つ代表ではないかと思います。 書道でも同じで、著名な先生の前に文化を支えた名も無い先人に対して敬意を払わなくてはなりません。歴史の主役はあれども歴史を作るのは各人だと言う気持ちです。
2007年10月09日
僧侶の書は、何か「すごい」とか、「ありがたい」とか「うまい。さすが!」と感じることはありませんか?そう感じるのは典型的な日本人の「悪いところ」です 確かに、書道史を紐解けば空海、最澄、蘭渓道隆、無学祖元、良寛・・・名筆の僧侶は存在します特に禅宗僧侶の書は墨蹟といい、茶道の掛け物として珍重されています書道史上特記される僧侶の書は、やはり古典名跡を研究し十分な「書の書き込み」を経て、自己の書表現にたどり着いたものです しかし、今日の僧侶の書を取り巻く環境を見てみると、「よく書を分かっていなくて書いている」僧侶と、「よく書を分かっていないのにいいと思い込んでいる」見る側が存在していますこれは、大変に危険なことなのです何となくいいとか、ありがたいとかそういう気持ちになるのは、「宗教的価値観」が先行し「芸術的価値観」がうやむやにされていることによります。つまり、芸術の書としては1銭の価値も無いモノが、高額であたかも「美術品」として売買されているのです。また、寺の名前、宗派の名前、僧侶の知名度によっても高い評価と値段が付いていることがありますが、書そのものは本来何の価値も無い書ということが多いのです「書を観ずに肩書きを見る」大変に愚かな鑑賞と言えます無論、宗教的な価値や肩書きに重きを置いてその人の書を求める分にはそれでいいと思いますし、個人の勝手です。しかしながら、書として何も知らずにそれを「いいもの」と思い込んでいる人、買おうと思っている人に対して、警鐘を鳴らします。勿論、著名人、政治家(政治屋議員先生を含む)、芸能人の書も論外ではなく書の価値のないものがほとんどです書教育の原点は、見る目を養うことです
2007年10月04日
デザイン的な書に魅力を感じると言う人が多いように思います。我々書家は、デザイン的な書はデザインとしてはいいかもしれないが、本来の「書」を考えると「デザイン」イコール「書」ということに危険を感じます書はいつも言うように「線」の芸術であり、扱う対象が「文字」であるということですつまり、文字を離れて「書」は成り立ちません。デザイン的な「書」は、線のスピードを速めれば格好が付く、ポキポキした線にリズムがあるなど、独特です。体に例えると「骨」だけで表現されているように思えてなりません。これに対し「書」の線は、骨に肉をつけ血を通わせなくてはなりません。先日、デザイン的な書が書きたいという人がいました。その方は、本来の「書」を知らず、「デザイン」こそ書であるというお考えでした。大変困ったお考えです。デザインと書は別物であり、混同することへ警鐘を鳴らしたいと思います
2007年09月27日
昨日は十五夜で、お月見をした方もいるのではないでしょうか?一段と明るい丸い月が出ていました昨日は、観月会の催しをしている近所の「唐招提寺」に行って来ましたこの日はなんと、拝観「無料」このお寺は、日本史で出てくる「鑑真和尚」が建てたお寺で、まさか、自分がこの寺の近くに居を構えるとは思っていませんでしたが・・・割りに人はいるものの落ち着いた雰囲気の中で月見ができました今、この寺ではお堂の工事が進められ、大変残念ながら天平の甍「鴟尾」を見ることが出来ませんでしたが、扁額の書は見れました。唐風の行書のようなスピード感のある楷書です。実物は仏像の横にあり、山門のものはレプリカです月見のはずが、書の方ばかり気になってしまいました・・・
2007年09月26日
ギャラリー「白と黒の世界」に新作発表調和体作品読める書を展開。可読性の中に、書の芸術的構成にウエイトを置いています。日本の言葉を書く!のが目的です。篆刻作品落款印だけでなく、言葉を彫ったり、絵を彫ったりと幅広く展開しています。幅は広くとも本格の伝統美を伝えて行きたいと思います。書作品の中で、唯一有彩色の朱をお楽しみ下さい。伝統の中に親しみのある作品を今後も制作したいと思います。応援お願い致します
2007年09月24日
公式ホームページを更新しました瓦のコーナーを設置してもらいました瓦は、大陸から仏教伝来とともに寺院建築の1つとして日本に伝わり発展しました書も大陸から来た経緯と似ています瓦屋根は、日本の気候風土に最も適した「屋根」であります住人にも優しく、何といっても耐久性に優れています奈良の文化財寺院などは、奈良時代の瓦が今も現役です今一度、瓦屋根を見直して見ましょう屋根工事をお考えの方は、安心と信頼の全瓦連加盟 東大阪瓦産業 までURL:http://www.h-o-k-s.com/
2007年09月24日
いつも「毛筆」の話ばかりですが、今日はペンのことを書きたいと思いますペン字は、実用の書です日常の意思伝達の手段として健在ですボールペンの種類は今やすごい数で多色に富んでいます。特に高校生までの年齢層の所持率はかなり高いものです。ちょっと大人な感じの物に「万年筆」がありますあまり使っている人を見かけなくなりましたが、自分だけの手に馴染む特注の物が静かなブームだそうです。先日、職場の同僚の何某先生に連れて行っていただいた、本屋&カフェ&雑貨のお店で、手に馴染むお手ごろな(価格も)万年筆を手に入れましたペンで引く線には、毛筆のように線に幅、奥行きといったものはなく、ただただ数学的には点の集合たる線分でしかありませんが、書く滑らかさ、スピード、毛筆には無い良さもあります。硬筆の場合文字の形、大きさに注意して「読み易く分かり易く」が大切です中学の入学祝で貰った人も多いかと思います。大人の仲間入りをしたように感じた人もいるでしょう。自分だけの便箋に、ブラックブルーのインクで何か書いてみたいと思うこの頃です。
2007年09月14日
公式ホームページのギャラリー「仮名作品」が更新されました。日本の伝統美「仮名」の散らし書きです。また、良寛の草仮名の臨書も掲載しました。今日の日本語表記の原点たる仮名の書美をさらに研究したいと思います。
2007年09月07日
繁華街を歩いていると1人の女性が親しげに熱心に話しかけてきました。手には一枚のポストカードを持っています。よく見ると絵が描かれています。「この絵、美しいと思いませんか?少し本物を見ていきませんか?少しの時間でいいですから。そこに画廊があるんです。お話だけでも・・・」いわゆる「キャッチセールス」というやつです。向こうも売らねばなりません。とにかく必死で執拗です。 さて、この話が書に何の関係があるのか?・・・書も絵画も造形芸術です。キャッチセールスの女性の言動に、「非芸術」を感じました。今日は、その女性の言葉にあった「美しい」ということについて考えたいと思います。 芸術には、美しいもの、醜いもの、整っているもの、整っていないもの、明るいもの、暗いもの・・・、というように、相反する表現がなされます。例えば、写真と見間違う風景画があれば、絵の具をぶちまけたものもありますし、明るい長調の音楽や単調の暗い音楽などがそれです。 つまり、「美しい」イコール「芸術」ではありません。 では、「美しい」芸術の「美しい」とはどういうものなのか?美意識というものは、民族性、気候、風土・・・あらゆる生活の中から生まれます。日本人なら枯山水に美を見い出し、西洋人なら噴水に美を見い出すように、同じ人間でも美の好みは違ってくるものです。さらに、個々人であれば「美の概念」は様々です。食べ物に好みがあるのと同じです。しかし、人間の持つ共通する美意識はあります。つまり、「美」とは、「個々人の快感情の問題」なのです。 「美」は押し付けるものではありません。「芸術」は、投げ手(作者)のボール(作品)が受け手(観照者)に届かなくては成立しません。「受け手が逃げる」時点で、作品は芸術ではなくなります。逃げる受け手を追いかけてまで売り込みをすることは、作品や作者の品格を落とします。 巷には、あらゆる「作品セールス」が存在します。「芸術詐欺」も耳にします。作品の品格は、自身の目と耳と心で「本格」を見抜かなくてはなりません。
2007年09月05日
床の間に掛け軸が欲しいそう思われている方からよくある質問で今日は話をしたいと思います どういう作品がいいのか・・・書を研究していれば一目瞭然とわかってくるものですが、一般の方にはなかなかわからないものです 文章で説明するより、実際いろんな作品を見るということが一番手っ取り早い指導ですが、簡単にまとめてみたいと思います。 1、作品の構成 書き出しは穏やかでだんだんと文字が力強く暴れて静かに終わる。つまり作品に旋律 (リズム)があるか。また、隣り合う文字の大きさに変化があるか。墨の潤滑がある か。これに当てはまらないものは悪い。 2、余白に美しさがあるか。 墨のあるところだけでなく、その周囲の白い部分(余白)が美しいかどうか。 3、落款がいいか悪いか 落款が低い位置に、または高すぎる位置にあるものは良くない。印がゴム印のように鮮 明すぎるもの(良くない)落款印の文面が、号で○○之印、名字に之印などの誤った使 用をしているもの。この3つが一番分かりやすい目安です。ちょっと字の上手い似非書家さんによく見られる作品例です。先日、大型スーパーの催事コーナーで掛け軸の即売なるものをやっているのを見かけました。上記の3つの例から見ると悪い作品が数十万で販売されていました。作品を買うときはやはり事前に鑑賞する目を養い正しく吟味する必要があると思います。なかなか、書を教えるものは「書き方」に重きを置きますが、私は「見方」こそ一番大切だと考えます。
2007年08月29日
本格的に書をしていた人ならば書とお金の話が分かると思います大型公募展に出品するのに莫大なお金がかかりますこれは社中(書道の団体)によって千差万別ですが、何しろ「入選」するためには「お礼金」なるものが存在します出品料だけならばそんな無茶な金額にはなりませんが、それに付随する「手本代」、「お礼金」、上の団体(師匠の師匠)に収める登録費(上納金)、「社中内の事前審査費」・・・何かにつけて出費が嵩みます。大きい社中になればなるほど、かかると聞きます。大体、自分の作品を作るのに「手本」は可笑しいと考えます。確かに、「道」とつく日本の「道」社会では、「先生のお陰」「お礼は必須」というものが多いようです。入選には社中の規模、先生の権力・・・自身の力量はもちろんですが、それを上まる数の力、金の力がしっかりと存在します。ある大型社中に加盟する書道家さんなんか、「うちの師匠は孫みたいな年齢の門下生から数十万、百万、平気で取る」と言っておられました。確かに、書道界のいわゆる展覧会作家として生きるならば、社中に加盟し、払うものを払い、下から取れるだけ取るという生き方をしないとやっていけないのが現状です。それにはぐれると、俗っぽい書まがいの書を書きなぐりアーティストを気取るかなにか、そんな風になった先達を見ます。しかし、私はあえて「可笑しい」と異論を唱えます。金を出して手本を買い、金を出して賞を買う。そんなものは芸術とは言えません。私の主宰するところでは、かようなしきたりを全面廃止し、賞や地位にしがみつかず、真の本格の書をめざしたいと考えています。そして、一人でも多くそんな仲間が集えばと思います。
2007年08月27日
京都五山の送り火も終わり秋が近づいてくるこの頃、昼間の蝉の声に代わり夜の虫の音がするようになりました。あれほど鳴いていた蛙の声すら聞こえなくなりました。 残暑が厳しく、熱中症による事故が絶えません気をつけないといけないと思うこの頃です ホームページのアクセスも順調で新作をとのお声を頂いておりますもうしばらくお待ち下さい
2007年08月17日
奈良に槍(やり)の宝蔵院流という武道の流派がありますこの流派は十文字型の鎌槍という槍を使います元々、奈良公園の五重塔で知られる興福寺の宝蔵院というお寺の胤栄という僧侶が仏教の修行の1つとして槍の流派を大成し、今日に至っています。残念ながらこのお寺は現在廃寺となっており井戸しか残っていないそうです。この胤栄和尚が亡くなって今年8月で400年ということで和尚はじめ一門の墓所を整備することになりました。広く市民に呼びかけられ多くの寄進が寄せられました。その寄進の芳名録と由来を、私が奉書させて頂く運びとなりましたこの芳名録は墓所の開眼法要(8/26)に合わせて、墓所に奉安されます。自分なりに斎戒をし、400年以上の歴史と伝統のある文化の重みを感じつつ謹書しました書でも武道でも何事でも「伝統」と「心」を大切にしなくてはならないなぁと感じる仕事でした。どうも、どんな世界でも「勝ち負け」や「技術の優劣」、「成果やお金」など結果をもってよしとするそんな風潮が見られます。本来の目的、過程、そういったものが本来の大切なものだと感じます
2007年08月09日
この度、公式サイト「ひとしずく」の方に、「書画作品」として親しみやすい絵と書の作品をアップしました書というと、「堅苦しく読めない書体で書かれている」という一般の認識を崩すべく、遊び心と楽しさを盛り込んだ作品に仕上げました伝統書道を重んじる立場から、時代に合わせた何か和みを感じるものを常々作りたいと考えておりました。落書き的な気軽さの中に何か「ほっ」とさせる肩を張らない気張らないそんなものは出来ないかと考えてできたものです身近にある何でもない言葉と、簡素な画をお楽しみくださればありがたいです
2007年08月08日
書道をすると言うと、大抵の人は「大筆」を使うことを考えると思います かつて習っていた町の習字塾や小学校の習字の時間を思い出してみると、「大筆」を使い「半紙」に1文字、2文字、3文字、4文字から6文字の言葉を書くというスタイルだったと言う人がかなりではないでしょうか? 確かに日本の小、中学校「国語科書写」(習字)の教科書の毛筆のところを見てみると「大筆」を主にしています。また、多くの書道団体の「競書雑誌」(段級位認定を目的とするいわゆる字のキレイさを競わせる雑誌)の小、中学生部門、一般人(大人)部門でもこのスタイルが基本となっています。 実際、多くの書道展でも、「大筆」による壁面大作型の大きな字による表現がなされています。壁面芸術としての「書」は、ある程度「見せる」事を目的にするので大きな文字は効果的ですが、本来の「書」の姿を考えると、「大字一辺倒」に首を傾げたくなります。 中国の名跡に「九成宮碑」という作品があります。日本でも「楷書」の手本としてよく知られたものです。これは、小筆で書かれた小さな字で書かれています。 日本では「大筆」で「拡大臨書」して習うのですが、本場中国では「小筆」による「原寸臨書」で習うのです。 芸術としての表現はもちろん大切です。しかし、「文字」という「言葉・記号」を視覚的に伝えると言う本来の働きから考えるならば、実用の「美」、「技」も大切だと思います。 文章を書く力(考える、書き表す、美しく書く)という内外両面のことを考えてみるのが大切ではないでしょうか? 硯箱の中、隅っこに追いやられている「小筆」に問いかけ、親しんでみてください
2007年07月25日
字は習ったことが無いから書くのは苦手だという人は多いと思います。しかし、我々書家から見れば何の色にも染まっていない書はすごく魅力的だと感じることがあります もちろん、書の表現を研究し、実用・芸術の両面から研鑽している文字はいいものが多いことには変わりはありません しかし、「格好を付けよう」としていながら書の研鑽を積んでいない字よりも、何にも染まっていない字のほうが素朴でその人柄が良く表れ優れていると感じることがあります このような飾り気の無い字を「率意の書」と言います。古典名跡の書家の作品では、手紙などによく見られます中でも、私は木簡の文字が率意の書として一番素朴でいいと思います 木簡の多くは「記録」を伝えるための「メモ」的な記録の文書が多く残されています中国の砂漠地帯で発見されたものなどは、都とのやり取りを急いだのか、飾り気のない素朴さがいい味を出していますもちろん筆者の名前など無く、無名の人の書です かの良寛禅師は、書の古典名跡を研究しながらも料理屋の料理、書家の書は嫌いだと言いました。料理屋の料理の前に家庭の味、書家の書の前に自分の字。何事も根本を大切にしないといくら稽古に精を出してもモノにならないように感じるこの頃です
2007年07月23日
公私多忙で、ブログなかなか更新できませんでしたさて、このたび私の公式ホームページ「ひとしずく」が更新いたしましたホームページの管理運営頂いております日咲さんには大変感謝致しておりますこのホームページでは、漢字、仮名、調和体、その他の作品を随時掲載していきたいと思います作品、その他ご感想お問い合わせはホームページ上のメールなどからお寄せ下さい
2007年07月20日
長らく調整中でした公式ホームページが開設しました。ぜひ一度ご覧下さい。(ブログでは見られない作品もごらんいただけます)URL:http://www.geocities.jp/watashi_kousen/
2007年06月22日
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