丹沢山 


自分の中に「これだい!」と閃きがやってきた時から、その実現に向けて猛突進する。そこに障害が現れると、しばしばその障害ごとふっとばしてでも進んでいく。本当にわがままな人間であるな、と思う。

先日、小さいけれど確かにいつもの閃きがやってきて、私は山に登ろうと思った。それも近所の丹沢山で、お金もかけないように登山口までは自転車で、そして1人で行ってみよう、と。

思いついた日の翌々日。私は登山口に朝の8時頃に立っていた。そして登り始めた。平日でそのルート自体あまり使われていないものらしく、誰もいなかった。
鬱蒼とした山道。突如として自分の中に猛烈な恐怖心が襲ってきた。それは、いつも閃きで動いてきた自分にとって初めての経験で、心臓がドキドキと脈をうつぐらいに私の心は完全に恐怖に埋め尽くされていた。熊出没注意の看板や、今ここに自分がいることを誰にも伝えてないこと、自分の体力への不安などなどいろんなことが同時に、その恐怖心の引きがねとなっているようであった。

思い返すと山に入る時はいつも誰かと一緒だった、ということに気づく。そして、こんなにも恐怖でいっぱいの気持ちのまま先へ進んでもいいのだろうか、帰るべきなんじゃないか、と歩きながら、時に立ち止まって考えた。結果、私は下山しその側にある仏果山(ぶっかさん)という標高750mほどの山に登った。そこの頂上で、さっき自分が感じた恐怖感についてまた考えた。

がむしゃらに進んでも、運がよければ目標に辿りつけるかもしれないが、やはり知識や経験や体力を得て、自分の行動に自信を持ってから目標を目指すべきであるな、としみじみ思った。冒険ではなく、計画の遂行、といったら随分固く聞こえるかもしれないが、ようするに自分は自分の無知さやおごりのために突撃して撃沈するのはいやだ、ということを今回しみじみ思ったのでした。

いつも猛突進型で、自分は大丈夫なんて根拠もなく思っていたのに、なぜ突然恐怖を感じたのかは分からない。けれども、きっと恐怖を知ることも良いことなんだろう。危険とわかっていないまま、その中に身を置くよりも、どんな危険の中にいるかを知っていながらそこにいる方がいい。それが勇敢ってことなのか、アホってことなのかはわからないけれど。

後日談。
3日後、私は弟をなかば無理やり誘って、再び丹沢山を目指した。1人じゃないって素晴らしい。
体力は予想していたよりもヘナチョコであったが、なんとか無事に頂上に辿りつき、今までで最高に綺麗に見えた富士山を拝んだ。
頂上で食べるラーメンは美味しい。ホットレモンは体中に行き渡る。
一つの閃きを達成できたことに満足して、ヨロヨロと帰路についたのでした。





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