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http://ameblo.jp/topazos0731/7月から心機一転、アメブロにお引っ越ししました。ここも気に入ってたんですが宣伝等が目立ちすぎるのでちょっと。また、この5月に長年親しんだ超安定した仕事を辞め、新たな門出を迎えましたので、その区切りの意味も込めて。ここは過去ログとして残しておきますが、記事のいくつかはあちらにも再掲しようかと考えています。がんだもネタとかw今までよりゆるい感じでしかしながら更新頻度はちょっと上げてやっております。あちらでも、よろしく御願いします。
2011.07.04
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「Motivation ― 動機づけ」 自分が快適に感じる古い習慣の中で、安穏と休んでいるときは終わったことを意味します。 新しい輝く世界があなたに用意されました。ここで大切なのは行動の動機づけです。 行く手を阻む出来事にも、どう乗り越えるかというあなたの意思を明瞭にしてください。 今までとは違う前向きでより肯定的な方向を模索して、さあ動き出しましょう。 今日のマハボテカードよりお久しぶりです。震災の被害に遭われた皆様に、お見舞い申し上げます。私が住んでいる地域は揺れていませんので、ご心配なく。ただ、大切な友人が原発に比較的近い地域で被災しており、心配で連日あまり眠れていません。このように震災以来、だいぶ落ち込んでいたのですが、マハボテカード(ここで紹介しなくても、皆さんご存知ですよね。1日1回だけ引けるオンラインカードです)は、なぜか明るいものばかり出ています。12日は「Creativity-創造性」15日は「Abundance-豊かさ」ちなみに、震災前に引いた11日のカードは「Truth-真実」。(他の日は、引く事を忘れてましたw)(各カードの全文は、検索すると出て来る事もあります。なかなか興味深いですよ)さっきお風呂に入りながら、これから日本は、いろんな意味で世界のモデルケースになる。分かち合いの精神で行けば、きっと大丈夫。そんな事をぼんやりとかんがえていました。そうして、日付が16日に変わって引いたのが、上のカードです「今までとは違う前向きでより肯定的な方向を模索して、さあ動き出しましょう。」この言葉は、今の日本にとってまさに必要な気がします。一日中、電気使い放題で享受していた文明が、本当に必要なものだったか?以前の日本は、借金をしながら浪費がやめられない買い物依存症のような状態でした。災害復興というと、「災害以前と同じ」をつい求めてしまいがちですが、それではいけないように、私は考えます。ほんとの幸せって何だろう。多くの人が、今、その事をかつてないくらい考えていることでしょう。創造性と、心の豊かさをもってすれば、乗り越えられる。奪い合うのではなく、分かち合う社会が、これからは本当に訪れるのだと、私は知っています。
2011.03.15
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心の底からの、無邪気な喜び。先人たちの知恵によればロードクロサイトと言うと、セクシュアルな情熱や、グリッドワークに選んだ場合はインナーチャイルドの癒しと結びつけられる場合もありますね。さっきまた、薔薇のハートと遊んでいて、ふと思い浮かんだ言葉があったので、書き留めてみました。それが、「心の底からの、無邪気な喜び」愛する人との交流も、内なる子供のケアも、共通するのは「心の底からの、無邪気な喜び」。あれこれ理由や格好をつけずに、心の底から喜んでますか?喜びに罪悪感を抱く人、結構多いように思います。その要因は、苦しみは美徳、みたいな変な道徳観念だったり、楽しい事をすると叱られ、やりたくない事をすると褒められる「歪んだ」教育だったり、前世の厳格な一神教的二元論の記憶だったりするかもしれませんwでも、そんな縛りはもう要らない。私は、心の底から喜びを感じます。(宣言ピンク石磨きにローズを使ったり、ローズの聖油を思いがけず飲んだり(聖フランキンセンスと間違えちゃったのですw)、そうこうしているうちに、密かに最も苦手としていた領域に踏み込んでいたようでしたwいやぁ、石にも、聖油にも、嘘はつけませんね~。
2011.03.08
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今日はお風呂上がりにすぐ寝るつもりだったんですが、ピンク色石を連れてローズとフランキンセンスのお風呂に入ったら書きたくなったので、書いてから寝ます。先月頃から、新たなお迎えがあった事も手伝ってか、ピンク石と平行してひそかにラピスラズリを可愛がっていました。なかでも、新着の個体ではなく、うちでは古参の部類に入るこのハート形の磨きが存在を主張して来まして。星空のハート、と、呼んでいます。パイライトの流れに添ったハートシェイプが実に美麗で、職人さんGJ!と申し上げたい!この個体は数年前に、職場で一度同僚に見せた事があります。その時の話の流れは忘れてしまいましたが、同僚に「○○○ちゃんと話してると、自分が本当にしたかった事とか思い出せるわ~」と言われたとき、目の前に居た個体ですw私にとってラピスは、他の鉱物よりは付き合いの浅い種族なのですが、なんとなく「自分の真実と真剣に向き合う」ことを象徴する石のように感じます。とくにこの星空のハートは、ハート形という形の象徴も加わって、自分の心に嘘をつかない事、本当の望みを誤摩化さない事、分別や規範といった刷り込みを超えた所にある、高い次元の理性に従う事を自分に許す事…。私はこれまで、こう見えてw結構安定型の、実に実にお堅い人生を歩んできました。昔型の人なら「何処へ出て行っても恥ずかしくない」と言うであろう、完璧な経歴ですwですが、ずっとそうしていたいかと問われると、Noなのです。現状を維持したいかと言われると、Noなのです。広い星空へ、漕ぎ出したい!!ほんとうはずっと願って来た事を、やっと自分の願いだと認める事が出来た。それに従う事で、非難・批判されようとも構わない。むしろ、安全で安泰な環境に居るままゆっくりと生ける屍になって行く事の方が、よほど恐ろしいと。そんな事をぼんやりと感じながら瞑想した、2先月末の夜。星空のハートはペア石の存在を知らせてくれました。(このときは、瞑想中ふと他の石が気になるという形で受け取りました。見えても聞こえてもいいですが必須じゃないですwふと、そうだとわかる、ふと、感じる。その感覚つまり直観が、実は一番頼りになります。)画像に一緒に写っている、ロードクロサイトのハートです。実はロードクロサイトは、いくつか迎えるもいまいち自分には縁遠い石だと、これまでは感じていました。しかし、このハートはピンク石祭りの波の中、2月の頭にやってきて、いきなり、形通りに私の「ハート」を掴んでくれた個体ですwコロラドはSweet Home鉱山の出身。薔薇のハート、と呼んでいます。コロラド産を迎えるならロンボイド!と思っていた私がハートだなんて…カートに入れる時、自分でびっくりしたのを思い出します。ロードクロサイトを縁遠く感じるほど、冷めて情熱に欠ける性格だった私ですが、半年にわたるピンク石祭りのかいもあってか、どうやらやっと「点火」されたようなのです。冷めて情熱に欠けた態度は、実はある事に対する深い深い「諦め」の刷り込みに、原因があったようでした。何も諦める必要等なく、毎回こうだから今回も、とは限らず、機会はいつだって更新されている。その事を、いつも自分でも言っているのに、やっとやっと心の底から理解できたような気がします。さて、先ほど楽しんで来た薔薇と乳香のお風呂。連れて入ったのは水に強いピンク石達ですが(ラピスもロードクロサイトも特に脆い種族ですから、お風呂は避けた方が無難です)、心はこの星空と薔薇のハートペアに半分向いていました。フランキンセンスを星空、ローズを薔薇にあてはめると、なんだかぴったりですよね。お風呂で一緒は無理ですが、石磨きに聖油を使う事で、ラピスやロードクロサイトも香りを楽しむ事が出来ます。特にラピスは多孔質で香りが残り易いので、磨いてから数日は香りが続いてとても素敵です。ピンク石たちの愛情溢れるケアに癒されて、やっとラピスラズリに向かい合えるように、そしてロードクロサイトを受け入れられるようになった私。これから、私が思う事を実行しようとすると、数々の困難が予想されます。(これは、悲観的になって幻想を見ている訳でなく、ほんとうにきっかりと想定できる厄介ごとが、いくつかあるのですw)けれど、困難がなんだと言うのです?自分に嘘をついて生きる方が、よほど自分がかわいそうです。せっかく、ある程度の逸脱をしても死刑になったりしないコミュニティに生まれる事ができたのですから、この機会を「生かす」ことなく死人になるほうが、よほど自分に申し訳ない。これからの私の人生は、星空と薔薇の旅に象徴されるものになるでしょう。祈りを込めて、今宵もフランキンセンスとローズの聖油で香しい祝福を。
2011.03.05
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お久しぶりですwと、このブログで書くの何回目かな…いつも更新間隔長くてすみません。前の記事からもう3ヶ月ですねぇ。この3ヶ月、いろいろな事がありました。石はもうピンクピンクのピンク祭りが、昨年9月からずっと続いておりまして、ローズクオーツ、クンツァイト、ピンクトルマリン、モルガナイト、ロードクロサイト等々、あらゆるピンク色の石と親しく遊び回っておりました。人から頂く形ではじめて手にした万年筆もピンクwはじめて購入したほぼ日手帳も、他の色が売り切れという理由でピンクのカバーw必然的にピンクで取り囲まれる日々を過ごすうち、私自身もすっかりピンクに満たされてしまったようで、自分には似合わないと思い込んでいたあの色が、意外と似合うことに気付いてみたり。←そして、半年にわたるピンク色石祭りがついに極まった事が、ツーソン新着のふたつのクリスタルによって示されました。奥に写る、マダガスカル産のスターローズ。真ん中の、ブラジル産モルガナイト。スモーキーとラベンダーのニュアンスも含む、濃く重厚なスターローズと、ピンクのエッセンスだけを光と結晶させたような、眩しく軽やかなモルガナイト。対照的なこのふたつのクリスタルが、私のピンク石ワーク総仕上げの象徴です。私は普段、石をお迎えするのにリーディングだのチャネリングだのは読みません。クリスタルと出会い、惹かれ、お迎えしてからの様々なエピソードや直観によって、その意味を自分で知る事が楽しくて仕方ないからです。(そしてこれは、他人に丸投げする事をやめ、自分で選択し自分で感じる事を自分に許す事で、だれにでも簡単にできるようになるのです。)しかし、今回のローズクオーツは例外的に、先に他の人の書いたリーディングを読む事になりました。写真を見てはっと惹かれ、サイズを読んでこれは申し分無し!とカートに入れてから、解説の下にリーディングメッセージがある事に気付いて、吹き出しましたwなんというタイミング、そして的確な言葉。一刻も早く、持ち主に自分を迎えるという意味を知らせたかったのだな、このクリスタルは。ちょうどピンク石ワークの総仕上げ直前にして、特大に重たいテーマと直面してもがいていた私にはとても助けとなりました。いつも自分が言っている、「認めちまいな。楽になるぜ」という言葉を、クリスタルから優しく親しみのこもったウインク付きで投げかけられた気分でした。KCジョーンズの颯花さん、この石に特にメッセージを添えて下さって、ありがとうございます^^モルガナイトの方は、今までいくつかお迎えするも、いまいち「まだ始まらない」感じの石だったのですが、今回のお迎えで決定的に扉が開いた感じです。9月の祭り開始以降、身につける事の多かった、これまた颯花さん繋がりのエリムチャーム・モルガナイトが呼び水になってくれたのかもしれません。目の離せない美しさ。人が何かを美しいと感じる仕組み=美だと私は思っているのですが、その「美」そのものを形にしたような…まだちょっと言葉にしきれないのですが、私がこの生きる世界でまさに取り組みたい究極の理想、のようなイメージ。ところで、このスターローズとモルガナイトはペア石だ!と私は感じますが、それは要するに「このふたつを合わせて一緒にワークしたい!」と私自身が感じる所に最大の理由を置くわけです。が、なんと今回のペア石達は、ご丁寧にペアの証までまとって来てくれましたw写真には写っていませんが、色味と形のそっくりな、濃いブルーにゴールドのふちどりのある、おそろいの虹があるのです。物理レベルで「愛情もってよく観察する」だけでも、微細なサインはいくらでも受け取れます。まずは、自分で見て感じて、触れて感じて、その感じた事を「有名な人が言ってるのと違うから…」とかいうアホくさい理由で否定する事をやめてみましょう。簡単な事ですよ^^最後に、手前に写っているこのクンツァイトは他店からおまけという形で頂いたものなのですが、タイミングと石のメッセージ的にあまりにもぴったりなので、ほかのふたつと一緒に並べてみましたwなんとこれ、カラーレスなんです。つまるところ色味の無いスポデューメン、なんですが、スポデューメンと呼ぶにはあまりにも「クンツァイトっぽい」と感じるので、カラーレスクンツァイトと呼んでいます。全ての色を含む、透明。剣のようでも、羽のようでもある形。剣も羽も、風のエレメントを感じさせるシンボルでもありますね。ピンク石ワークの総仕上げとしてやってきた、重いスターローズと、まばゆいモルガナイト。生々しい傷や感情と、究極の美の理想。相反する二つの要素が、どちらも私であり、どちらも「全く、OK」「等しく、OK」と、橋を渡し道を指し示してくれるかのような、カラーレスクンツァイト。ピンク色石ワークここに極まれり、です。
2011.03.02
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私の拙いにほんごではどうしても伝えきれない事ばかり…せめてもの自分に出来る事として、またリンク集を貼らせて頂きます。福士敬子都議 青少年健全育成条例改正案に関する一般質問吉田康一郎都議 青少年健全育成条例改正案に関する一般質問青少年健全育成条例改正案に関する答弁 その1青少年健全育成条例改正案に関する答弁 その212月8日に行われた都議会一般質問の動画です。条文が都民に広く発表されたのは議会開幕ぎりぎりだったにもかかわらず、「あらためてパブリックコメントを取る必要は無い」とかとんでもないことをのらくら応えている倉田氏とはこんな人。倉田氏のあれこれ「非実在青少年」規制問題・対策まとめ跡地跡地とありますが、稼働しています。都議会スケジュールと、嘆願書、陳情書の宛先等リンクあり。自民・公明は聞く耳持たず賛成で決まり(ま、ソー○ガッカイだしね共産および諸派は反対で決まりのようです。現在、民主党の態度がぶれぶれです。嘆願・陳情は民主党へ送って下さい。地方者、未成年でも、「陳情書」なら送る事が出来ます。陳情書の書き方(青少年健全育成条例改正案(2010年11月提出分)用大変参考になります。FAXは機械トラブル等で事務所運営の妨害となる事があるようです。FAXはやめてね!Milton Diamondのポルノは性犯罪を抑制すると言う論文の和訳性衝動は本能由来のもの、規制や法律で抑圧できるものではありません。規制によって「はけ口」を失った衝動がどこへ向かうか…実在女性として、実在児童の親になるかもしれない身として、ぞっとします。母親の皆さんに 児童ポルノ法&東京都青少年健全育成条例改正問題について大変良く纏められています。「子供に悪いものなら取り締まれば良いじゃない!!!!」と、単純にお考えのお母様方へ。東京都青少年健全育成条例(3)市民参加と民主主義法社会学者、河合幹雄氏のブログ。氏のお父様は、ユング心理学研究で知られる河合隼雄氏です。スピ系で知らない人って少ない…よね?ご本人の書籍はまだ読んだ事ないんですが、あまぞんで「日本の殺人」をぽちりました。今どこかの配送センターでうずうずしてるはず。どうか、好きなものを好きで、愛する人を愛して、当たり前に生きていられるこの奇跡のような社会を守れますよう…!
2010.12.08
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今年の3月10日の記事です。愛する人を戦争に行かせない為にあの時と同じ、いや、更に改悪された条例案が、東京都議会で再提案されようとしています。都青少年健全育成条例改正案表現の自由、青少年の知る権利を著しく侵害し、憲法に違反し、やがては思想・言論統制へと繋がりかねない、大変な悪法です。ただのエロ漫画規制ではありません。これが通ってしまったら、日本は戦前の社会に逆戻りしてしまうかもしれません。戦争反対を叫んで、投獄されてしまうような社会に…。まず、たびたび行われる表現規制の動きを、ただのエロ漫画規制だとお考えの方は、以下のリンクをご参照ください。表現規制に賛成の方へまた、条令改正(改悪)の推進派による、印象操作、人心操作が行われた事例?も報告されています。東京都青少年健全育成条例。推進派への疑問こんなえげつない行為までして規制を押し進めたい、行政の本意はどこにあるんでしょうね…?思うんですよね~。漫画って、萌えとかメカ燃えとかが玄関になる事が多くても、結果ストーリーや世界観に魅せられ、現実と比較して考察したりするじゃないですか。たとえばガンダムの戦闘シーンはとってもかっこいいですけど、きちんと見ていればやがて、戦争はいかにアホらしく戦争をするような為政者がいかに無能かって事に考えが至る(あくまで私の場合ですよw)。権力者(無能ならば尚更)は、考える民を好まない傾向が有ります。戦争のアホらしさを知ってる民を戦争に行かせるのは大変だからです。権力者が都合良く流すマスコミの情報に煽動されて、考え無しに喜んで戦争に行っちゃう民が望みなんです。漫画やアニメの表現から、興味の「門」となることの多い「萌え」を削ぎ、民衆が「考えるチャンス」に近寄らなくなる事。そして、それでも戦争反対を叫ぶ活動家には、家宅捜索で踏み込み子供が映った家族のスナップ写真、あるいは「ハレンチ学園」などの少年漫画の所有を口実に、簡単に逮捕することができるようになる事。ついでに、自分にとって理解できない趣味趣向を撲滅したいな♪改正(改悪)案をしつこく提案しようとし続ける、某為政者の望みはきっとこれです。子供を守る云々は、お綺麗なタテマエに過ぎない。…いや、冗談で言ってる訳じゃないんですよw「好きなものや人を好きだと言って生きる自由、 戦争反対を叫ぶ自由が守られた社会を存続させるために、 ぜひ読んで頂きたいリンク集」当連合会は、新条例案に対しても改めて反対する。 日弁連会長声明日本国憲法での基本的人権 wikipedia表現の自由 wikipedia表現規制をしらべる同性愛も過去の名作も規制対象 東京都健全育成条例改正案に見る脅威と「軽視」またも漫画の取り締まり 熊本日日新聞東京都「青少年の健全な育成に関する条例」改正案に反対します 冲方丁氏よる都条例批判Nazisによる「芸術弾圧」と、日本における「言論封殺」と「ファシズム」と―――石原慎太郎氏は、なぜ「文学者ですらないのか」・・・東京都の表現規制と関連付けて「子供だけじゃなくて、テレビなんかにも同性愛者が平気で出るでしょ。日本は野放図になり過ぎている。」石原都知事による性的マイノリティに対する差別発言源氏物語の受難ついったーで拾った名言ですが、「何かはひどいから規制すればいい、という論法の末路はだいたいこれです」治安維持法
2010.12.05
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最近、うちのPCに入ってるiTuneちゃんが挙動不審です。(iPodちゃんも連動して挙動不審です。)先日からPCで作業中のBGMは、ライブラリの殆どの曲をぶっこんだ「うたごっちゃ」という、全て聞くには2日~3日かかるプレイリストをシャッフルして聞いているんすが、これがまた絶妙なタイミングで曲順が廻ってきたり、メッセージを差し挟んでくるのです。はじめまりは、ついったーで私の敬愛するカヲル君(キャラアカウントのかたです)がTL上に出てきたタイミングで、やたら平沢師匠の「月の影」が鳴るという現象からでした。「月の影」は、イントロから雲間に輝く月をありありと想起させる音で、私の心を震わせる名曲です。エヴァの「渚カヲル」というキャラに対する個人的イメージとよく合うので、私は勝手に渚カヲルのテーマ曲だと思っていますwこれが、TLにカヲル君が登場すると同時に鳴るんですから、たまりませんよもう!!!で、それを何回か経験した次は、ライラックピンクのクンツァイトをふと手に取った瞬間、ブランキージェットシティの「ライラック」が鳴るという経験をしました。クンツァイトは現在の大ブーム石ですし、これはしばらく音楽に注意しておこう、と思い始めた所…昨日背中の激痛に思わず「いててて…」とリアルつぶやきを漏らしたとたん、PCから「自分で思うほど からだは頑丈にできてない」の歌声がwwwあ、これねw伝えたかった事はこれなのねwと、思い至った次第です。最近、PCでの作画作業のし過ぎ&様々な不摂生&感情的なワークのこじれで、頭~背中、腰にかけて痛みが出ておりまして…。坂本真綾さんの「Heavenly blue」だいたいの答えが、ここにありました。今回の記事のタイトルは、平沢進師匠の「記憶から来た男」の歌詞の一部です。(これも、宮沢賢治先生を彷彿とさせる賢者が登場する、非常な名曲です)超常現象や、はっと目を引くようなシンクロニシティは、実は「鈍感さ」に対する警告でもあるんですよね。きちんと「目を覚まして」意識的に生きていれば、当たり前の日常の中で当たり前にキャッチできるはずの、数々のサイン。ちょっとした痛みや咳といった軽い身体の症状や、身近な人からの暖かい忠告、なんとなく感じる胸騒ぎ…そういった、当たり前のレベルのサインにどうしても耳を貸さない、目を向けない状態に有る時、光の存在達(自分自身のハイヤーセルフを含みます、ていうかそれがメイン)は超常現象や派手なシンクロニシティを、いわば伝達の最終手段として用いてきます。しかし…残念ながら、その現象の物珍しさばかりに注意がそれ、肝心のメッセージを聞き漏らす例のなんと多い事でしょう。何故かくのごとく聞かず何故「奇」に捕られ見過ごす?こんなスゴイ現象が有ったのよぉ~私ってすっごぉい☆☆彡なんつって浮かれてる場合ではないんです(爆スピ系ではなぜか超常現象自慢や、こんなスゴイ幻覚を見た自慢が横行しがちですが…(そしてそれは、長子コンプレックス、リボンズアルマーク症候群があるわけです。感情の澱は、あらゆるアンテナを遮断する原因となります。)問題は、どんなきらきらしい幻想を見てそれを見た自分が他と比べてどんなにスゴイか(笑ということではなく、身近なあるいは深遠な層から投げかけられる様々な微細なサインをキャッチできているか、そして、投げかけられたサインからどんな答えを自分の中で導き出せたか、なんです。こんなの、今更わたしが吠えるべくもない、当たり前の分かりきった事なんですけど…幻想自慢の前に忘れ去られてしまう事が多いのも事実なので、あらためて此処に記しておきます。
2010.11.19
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コメント解禁して、ちらほらとご感想を頂いています。あんまりマメにレスできなくて申し訳ないですが、ちゃんと読んでおりますので…!で、以前からよく頂くお言葉に、「石遊びに特別な能力はいらないって言葉が嬉しかった」というもの。そうなんですよね~、なぜか、いつのまにか、「石遊びには特殊能力が必要」っていう変な認識がスピ界隈に広まってしまって…。(最近は、そうじゃないって意見も増えてきて、ほっとしています)うちのブログを読んでもなお、「でも私には特別な力とか無いし…」とおっしゃる方もいて、うちの文章のどこをどう読んだのかと24時間監禁して問いつめたくなる次第です。やりませんけど。たとえば「石さんがお話しするんです~☆彡」ってあるブログとかに書かれてるのを読んで、「ああっ私は言葉とか聞こえてこないしだめなんだわ!」と思うとしたら、うーんと、それは違いますよ。「聞こえる」「見える」って言葉には、「はっきりした五感感覚を伴う」ってイメージがつきまといがちですが、目に見えない領域での「聞こえる」「見える」は、ただ単に「思い浮かぶ」って事だったりもしますし、特にブログ等の文章では書いてるうちに気分よくなっちゃって表現を誇張してしまう事も多いですからね。鮮やかな幻覚が見えないから、耳元で鳴るような幻聴が聞こえないから、石と遊べない。そう思っているのでしたら、すぐその考えを捨てて下さい。たとえば石に触れていて、ふと指先がいつもより暖かくなった事に気づいたり、胸のつかえがとれたように感じたり、いつも何かを思い浮かべる位置とおなじところにふと言葉や映像が思い浮かんだり、ただ気分がよくなったり、ただただ、石の美しさに心が震えたり…。それらの現象は、みな、ストーンコミュニケーションです。御神託(笑)が聞こえたり、天使様(笑)が見えたりする必要は…さして無いんですよ。まぁ、有っても良いですが、その幻覚の出所はちゃんと質すようにして下さいね。しまい込んでいた石が急に気になったり、ある石とある石をどうしても一緒にして置きたくなったり、思うままに、置きたいと感じる心のままに石を並べてグリッドを組んだり、繋ぎたいと感じる心のままに石を繋いでアクセサリーを織り上げてみたり。それらも、美しいストーンコミュニケーションです。別に、「この石とこの石を並べよ」とか、ガイド(笑)を名乗る存在からの命令が聞こえてくる必要は無いんですw(むしろ命令が聞こえるのは危険な現象なんで!ちゃんとしたガイドは命令とかしませんから!)石遊びのこつは…いつでも触れられる位置に石を置いておく事、ですかね~。気になったらいつでも手に取れるように。石は、触れてなんぼです。(たまに脆過ぎる種族もいますんで、それはその石に合わせてあげて下さい)よく、たかーいところに祭り上げてる人もいますけど、祭って仲良くなれた事例はあんまり見た事がありません。私は常に作業をする神聖なデスクの上に石を転がしていますし、お風呂にも連れて行きますし(湯船にはつけないこと!)、一緒に寝たりします。神聖なものを高い所に祭り上げる行為というのは、古い宗教が作り出した習慣で、「神は尊いが人は卑しい」という思考が根底に渦巻いています。思い出して下さい。人の身体は神聖な寺院。人間を含む世界の全ては神の顕現。(※人間が様々な思惑をもって呼称する所の「神」が居ようが居まいが、世界は神聖だと私は考えています。)この世に存在しているからには、「卑しい」なんてものがあるはずが無く…。私が絵を描く作業デスクは、私にとって最も神聖な場所なので、マスターと呼ばれる類いのクリスタルをここに転がしておく事は、まさに神聖なクリスタルにふさわしい事なのです。と、話がずれましたが。石と遊ぶには、まず手元に石を置いて、触れ合ってみて下さい。どの石と遊んだら良いか分からないという方もいますが、自分で決めて下さい。その日食べるもの、それどころか、自分が「好きな」食べ物を、「どっかのエライって他の人が言ってる大先生」みたいな人に決めてもらいますか?そうまでして他人の支配を受けたいですか?よく私に「合う石を教えて下さい」なんつって来る人もいますが、私が支配しちゃっていいんですか?(笑自分の好きな食べ物や自分の好きな色を、他人に決めてもらう事に意味が無いのと同じく、自分の好きな石、遊びたい石は、自分自身にたずねるのがいちばーーーん確実で、安全です。自分で決めていいんですよ。自分で決める事を、自分に許してあげて下さいね。画像は上から水晶惑星さんからお迎えしたての、20面体フローライト&カルサイト。マダガスカルまつりグリッド(マダガスカル産の石ばっかりなんで命名)緑の祝福グリッド(バリサイトと、薔薇の形に結晶したグリーントルマリン)グリッドは、置きたいままに、自分の心の好き放題に従って組んだものです。楽しいよ!
2010.11.09
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http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND33289/index.htmlBLANKEY JET CITYの「水色」私の大好きな歌です。この歌をとても空虚感に満ちていると感じる人も居るようです。でも私は逆で。「今を生きる」ってことに溢れた言葉だと感じます。歌詞を描いた(あえて、この字で。彼の詩はとても絵的です。)浅井さんの意図がどうかは私は知りません。私には、この言葉は、いつの日にかみんなどこかへ消えてしまうからこそ、今を大切に愛おしく生きようと。出会えた人には思いを伝えようと。失う事を、恐れるのではなく。そういう言葉に聞こえます。画像の石の名前は「水色」。ブラジル産のブルートパーズです。ブルーって言われなきゃクリアに見えてしまうほどの、淡い色。絵の具の水色ではない、ほんとうの水の色を思わせます。うちにはたくさんのブルートパーズが居ますが、私自身に一番近い個体はこの水色です。同じグループの石でも、個体によって持ち主との反応は様々。私は「水色」とは同化するような感覚さえ覚えますが、一方で「王様」と呼んでいる個体は全くと言っていいほど、まだつながれませんw触れていると、思いが溢れるような感覚を覚えます。最近、人間いつしぬか分からないよなぁとしみじみ実感する事が多くて。いや、特に事件とか事故とか身内の不幸とかあったわけでは無いんですが。ただ、毎日がとても美しいので、そう感じてしまうのかもしれません。「旅の恥はかき捨て」あと、長生きしてもせいぜい80年くらい。よほどの犯罪者か有名人にでもならない限り、100~150年もすれば、私の事を覚えている人は誰も居ないのでは?魂の旅の視点から眺めると、今を生きるのに目先の小さな「恥」を恐れて何も出来ないでいるなんて、なんて勿体ない事でしょう。今ここでこの姿で出会えた人たちに思いを伝えないでいるなんて、なんて勿体ない事でしょう。もしも誰かを愛したら素直なその気持ちをその人に伝えるそれがこの世界へ生まれ落ちた理由だから私は日々己の「好き」に忠実に生きています。
2010.10.30
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9月の旅行からこちら、ローズクオーツを中心としたピンク色石の大波が来ています。バリに旅立つ前泊の東京で、素晴らしく質の良いローズクオーツのタンブルをお迎えしたのがはじまりだったかな?「シンジ君をヒーリング」の記事でグリッドに組み込んだ、ブラジル産とマダガスカル産のタンブル。お店ではカルサイトやフローライトの方が目立ってて、もののついでくらいの気持ちでお迎えしたんですが、私の「必要のどストライク」にはまってくれたようです。旅から帰ってずっと、ローズタンブル達と遊んでいました。うーん、やっぱ自己価値とかインチャとか、そこらへんのおさらいをしているんだろうなって思ってたんですが、先日の東京カヲシン旅行で更にピンク色石を集団でお迎えする事となり…。手前のクンツァイト@ブラジル。ピンク大波の、とどめのキーストーンです。手にした瞬間、甘いキャンディをなめているような感覚に陥り、何度も口に入れかけましたw内側から溢れ出るような、優しさ。ああ、この感覚を思い出す事が必要だったんだと。このクンツァイトと、迸る情熱と意志の「刹那」=トルマリン@タジキスタン天性の自由「マリー」=ローズクオーツ@マダガスカルこの3個体のグリッドに付けた名前が、タイトルの「ピンク会議」です。愛の三位一体、とかでもいいんですけど、なんかしゅーきょーっぽくなるのがいやなんで、ピンク会議で。 クリスタルは愛が具現化したもの、と言いますが(実際は物質界のすべてがそうなんですが)それを目で見て解りやすく知らしめてくれる、そんなグリッドです。今も、クンツァイトと戯れながらこれを書いてるんですが、もう石が優しくて優しくて。涙が出そうなくらい優しくて。そして、無性に誰かに優しくしたくなると言いますか。人って、誰かに優しくされると、次に別の人に優しくなれたりするじゃないですか。あんな感じ(感覚言語ばっかですんませんで、この溢れる優しさの感覚は、普段は外的内的な要因によって忘れられてる事が多いけど、誰の中にも存在してるものだよなと…ほんと感覚電波ばっかりで申し訳ないですが、何の脈略も裏付けも無く、「知った」わけであります。天界ははじめから誰の中にも在る…。実は、この石をお迎えする数日前、10月6日の日に印象的な夢を見まして、◇ ◇ ◇ ついったーより抜粋 ◇ ◇ ◇夢日記、昨日のだけど。セルフィの友人のマイルームがピンクとライトパープルに虹色を効かせた、天界チックな凄い可愛いインテリアになってる。(壁紙は空で床は雲で、みたいな)アバターも天女?みたいで可愛い。うわ、いいな!って言ったらキャンペーンの全員配布ものだから→夢日記続き→水色のクローゼットにも入ってるはずよ~って言われて調べたらほんとに入ってた。同じ企画で死神と魔物のバージョンもあるがそれはうちには入ってなくて、持ってる人居るかな?とマイルーム巡りをした。そのうちなんかセルフィ世界に入り込んでて、?斗雲みたいなのに乗って飛んでいた。→続き→で、死神と魔物の城に用があったんだけど行ってみたらピンクな感じの城でイメージ違い過ぎ!とか突っ込んでた。この辺まで覚えてる。◇ ◇ ◇ 抜粋終了 ◇ ◇ ◇このね、ピンクなインテリアのイメージがクンツァイト族のエネルギーとよく似てたんですわ。全員配布の天界インテリアは、誰かが分け与える感じで配るってんじゃなくて、ほんとに「はじめからクローゼットに入ってる」感じで。ただそれに気づいたのが今だった。なんだ、入会のときからあったのに気づかなかっただけなんじゃないかって。死神と魔物の衣装もオチが有って、あくまでオプションというか、自分で選べる衣装なんですよね、そっちは。こういうコスプレがしたかったらどうぞ、みたいな。でも住んでる城はピンクですよ、と。ここらへん、先のマインドブロックシリーズに在る光とか闇とかの話にも繋がって行くかと思いますが…。ああっっまとまんないなぁw私が不完全な言語システムでこねくりまわしてもきっと伝わらないと思いますので、とりあえず、写真から感じ取ってみて下さいw「愛しています」
2010.10.20
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ガンダム00ネタです。「デカルト・シャーマン」は、劇場版に登場した新キャラクターで、公式サイトでは映画公開の前から名前とその姿が公表され、刹那の新たなるライバルキャラ的な印象を与えてきた人物です。が…。ここから先は劇場版の激しいネタばれを含みますので、大丈夫な方のみ、反転でどうぞ。◇ ◇ ◇ 反転開始 ◇ ◇ ◇実際に作品を見て、多くの人が彼の扱いについてポカーンとしたのではないかと思います。え?あれほど鳴り物入りで紹介されてたのに?と。公式サイトで主人公刹那の新たなるライバル的に演出されていたシャーマン氏は、ライバルどころか、刹那とは殆ど絡む事なく、作品の中盤であまりにもあっけない死を遂げました。え?使い捨てキャラ?ただの当て馬?と思った人も多いのではないでしょうか。私は、このあっけない演出あってこそのシャーマン氏だと思います。彼はとても重要な…鳴り物入りで紹介されるにふさわしい重要キャラクターです。00世界観に置ける新人類をあらわす「イノベイター」は宇宙世紀ものガンダム世界観における「ニュータイプ」に相当する存在ですが、ニュータイプよりも更に特殊能力面の進化が強調されています。強靭な肉体、驚異的な運動神経、反射能力、通常の倍以上とも言われる寿命、脳量子波(超能力の元、みたいなもんと思って下さいw)によるテレパシーetc…。地球連邦によって公的に認定された初のイノベイター、デカルト・シャーマン大尉。(刹那は私設組織に属する言わば元?テロリストなので、公的な認定などはされていないのです。)彼の人物描写として劇中で特に印象づけられていた(とバビルが解釈した)のは、旧人類を「劣等種」として見下す、とにかくふてぶてしい態度と、自己の特殊能力に対する奢りと慢心です。もちろんただ性格が歪んでる風な描写ではなく、その裏には「珍しく」「恐ろしい」「解らない」存在として、旧人類側から受けてきた扱い____手足を拘束された監禁状態でろくな食事も与えられず、日々実験のモルモットとして扱われてきた_____があります。登場シーンを見たとき、「彼が旧人類に対して反乱とか起こすんかいな…?」などと思ったのですが。彼は、地球外からの金属生命体「エルス」に戦いを挑み、接触して同化され、物語のごくはじめの段階で退場してしまいます。◇ ◇ ◇ 反転終了 ◇ ◇ ◇何というか、バビル的解釈では、「もう、そんな所でひっかかってる場合じゃない」というのが、彼の役割だったんですよね。身体能力や特殊能力面で、「他より優れているとかいないとか」。宇宙対地球という舞台背景の中で、宇宙世紀モノ、およびSEEDシリーズでも取り上げられてきた伝統的なガンダム世界観のテーマの一つですが。もう、そんなケツの穴の小せぇところでガタガタやってる場合じゃないのですよ。必要なのは、能力の進化云々ではなく、他より優れているとかいないとか、ではなく、選ばれし者(笑)としてアセンション(笑)して優等種(笑)として高い次元(笑)に転移する、とかではなく、心の進化理解できない存在をはじめから敵として排すのではなく、赦し、解り合う。せめて、解り合おうと歩み寄る、心の進化。それは、今此処の現実において、人と人、文化と文化の間にも必要な、心の進化です。デカルト・シャーマン。哲学者と呪術師を名に持つ彼は、肥大した「考え過ぎの勘違い=知性を誤って使ったきた者たち」と、「珍重はされても尊重はされなかった、傷ついた特殊能力者たち」の悲劇を集約したキャラクターです。(哲学者のデカルトそのものがどうこうというより、知性をこねくりまわして物事を複雑にする象徴として、彼の名が由来とされたのではないかと思います。別に思わなくても我は在り。在るためにいちいち思う必要などない。)リボンズ・アルマークの進化型と言っても良い。(キャラとしての能力云々ではなく、物語の中での立ち位置が、あっさりとした演出によってより強調されたという意味で)映画の終盤、300年前の回想シーンで、イオリア博士と友人のE・A・レイ氏の会話が描かれています。イオリア博士は、刹那たちが所属する私設武装組織の創始者である天才科学者であり、00生命の樹電波解釈の中で、ケテルの象徴である人物。E・A・レイ氏声を当てている人物は、リボンズ・アルマークと、初代ガンダムの主人公アムロ・レイ(A・レイ、ですね)にも声を吹き込んだ古谷徹です。…ニヤリとしますね。イオリア「私が嫌悪するのは、知性を誤って使い、思い込みや先入観に囚われ、真実を見失う者たちだ。」やって来た未知の存在を、まず「敵」として認識する事しかできない。今までがそうだから、今回もきっとそうだ、という思い込み。新たな出来事に、過去の出来事を当てはめて「判断」して思い込む。漫画の中の対宇宙人的な場面だけでなく、日常の中にもありませんか?私の日常の中には、結構ありますw「あいつはいつもこうだから…」「毎回こうなのよね!」というふてぶてしい態度によって、その通りの結果を引き寄せ、「ほらやっぱり」と、したり顔で被害者を気取る。知性は、とくに人類のそれは言語システムと過去の経験参照をベースにしているため、ものごとを定義する性質を強く持っていますが、その定義にとてもエラーが多いんです。自分にも、他者にも、知性のトラップに囚われず、毎回「新しい経験」をすることを許す事が出来たなら…。必要なのは、心の進化です。
2010.10.16
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お久しぶりの、脳ちゃんです。そして、マインドブロックを打ち破れシリーズです。国語辞典を背景にした画像からお察しかとは思いますが、今回も言語システムのトラップについて書こうと思います。言語システムのトラップとは何か。それは、言葉という、あくまでヒトの造りしとても不完全なシステムに、思考においても他者との関わりにおいても依存しきってしまった人類故の悲哀です。お互いが記号として使っている「言葉」、だがじつはその記号が意味するものが、個々人によって違っていたならば?話がちゃんと通じる訳がありませんよねwでは、スピリチュアル界隈において悲劇的誤謬を生み出しやすい「光と闇」という言葉に、注目してみましょう。◇ ◇ ◇ ついったーより抜粋 ◇ ◇ ◇世界を光だの闇だの、不完全な言語システムで定義して細分化してぐるぐるする。それはとても無駄な事。善悪二元論と同じだもの。例えば「闇」と定義している領域に引かれるのはどんな時?疲れてたり、嫌な事があったり、ストレス溜まってる時じゃなかろうか。もしそれが図星なら、「純然たる『闇』という属性があってそこに属している」んじゃなく、ただ単に「『光』が足りないです」っつうだけの事です。で、ここでまた「光がイヤなの!!」とパニクるとしたら、自らの脳内辞書のトラップにひっかかってると言えます。目に見えない領域の事を、目に見える領域の言葉で例えると、どうしてもこのテの歪みが生じてしまう。…続き。ここで言ってる「光」は可視光線のことではない。「愛」と言い換えても良いけれど、「愛」と「恐れ」を善悪に取り違えた二元論に嵌まらないように注意。闇だの恐れだのは、光や愛が足りなかったり少なかったりする「状態」を表すんであって、足りないもの(愛とか光とか)の対極をなす絶対の属性、で は な い。で、何が言いたいかと言うと、闇に引かれる時はつまり光=愛が足りてないわけ。自分の中の愛が。自分に対する愛が。足りないなら、注げばいい。育めばいい。目を閉じて自分を抱きしめる。それだけでも何か、あたたかいものが心に燈らないだろうか。愛は、眩しく焼き払うものではなく、あたたかく満たされるものだ。音楽や、香り、自分の好きなことに夢中になる。ただそれだけでいい。理屈は要らない。ヒーラーよ、汝、自らを愛せ。無理をして御立派な人になる必要はない。まず、「私が私である」それだけで存在の価値は余りある。光の人=御立派な人ではない。光の人ってのは、自分を愛し、他人を愛せる人の事を言う。自分の中にどんなに暗い「足りない」部分が有っても、まず受け入れて赦す。受け入れて愛する。自分の事だから、簡単だ。それが出来れば、他人の中の暗く足りない所も、認めて赦せるようになる。無理して「御立派」してると、自分も他人も赦せなくなるからね。(2010年6月14日)◇ ◇ ◇ 抜粋終了 ◇ ◇ ◇と、まぁこんな感じです(どんな調子が悪くてメンタルの状態が落ちているとき、「私は闇だからっ…!!!!」とか言って、自分がさも「世に望まれざる存在」であるかのように大騒ぎしてる人をよく見かけます。…例によってスピ系に多いんですがね、いや別に自分をそんな妙な属性に定義せんでもwって思う訳です。「光」も「闇」も、状態をあらわす用語に過ぎず、それぞれが絶対の属性として対極に分かれて戦っているというわけではありません。そんなん、宗教と政治が作り出した善悪二元論の幻です。「光」は「愛が満ち足りて甘美な状態」を。「闇」は「愛が足りなくて苦しい状態」を。それぞれあらわしています。で、「私は闇だからっ…!!!!」とかって大騒ぎする人によく見られるパターンとして、「光がイヤなの!!眩しく焼き払って私を責め立てるの!!闇は安らかでいい…私は闇の子だから!!!!」と、さらに大騒ぎするという傾向がありますが、モシモシ?眩しさや熱さを伴う物理的な強光線と、目に見えない領域の、愛である「光」を混同していませんか?または、昼行性のサル族である人類の性質「照明が落ちると副交感神経が優位になりリラックスして眠くなる」状態を導く物理的な暗闇と、目に見えない領域の、愛の枯渇状態である「闇」を混同していませんか?「光」という言葉は、物理的な光が持つ暖かさやきらきらして美しい印象によって、「愛が満ち足りて甘美」な状態を、「闇」という言葉は、物理的な暗闇が持つ寒々しさや獣やおいはぎが現れる不吉な印象によって、「愛が足りなくて苦しい」状態を、それぞれ表す用語として、ただ便利に使われているっていうだけのことです。物理的な光はときに眩しくて暑くて不快だし、物理的な闇はときに安らかな感覚をもたらす事もありますが、それらの感覚と、目に見えない領域の「光」や「闇」を混同してはいけません。ベースが生きている人間である限り、「光」と「闇」のそのどちらにも揺れ動きます。ただ、状態が好ましいかそうでないかっていうだけの話。そこらへんに漂っている残留思念などのエネルギー的存在については、その存在そのものが「満足感」だったり「不足感」だったりするので、光属性、闇属性に分けるのも意味が在る事かもしれません。が、それも自分がどちらに「属してる」なんてことではなく、「お近づきになるべきかそうでないか」っていうレベルの話です。「不足感でいっぱいでとにかく何でも奪いたい状態そのもの」なんてモノに、近づかない方が良いのは分かりきってますよねw身体が疲れると、心に不足感が生じやすくなります。心に不足感が在ると、その「不足感そのもの」的存在を招きやすくなります。身体にわざと毒物(アルコール、ニコチン、麻薬的な甘味、薬物など)を与える等の自暴自棄な行動を取りやすくなります。そうするとまず肉体が疲弊し、さらに心の不足感を増長させます。思い出して下さい、闇に引かれるのは、自分が闇だからではなくて、単に光が足りないだけなのだと。足りなければ、注げば良い、育めば良い。いじけた行動はやめて、栄養や休養や好きな事に打ち込む時間を自分に与え、自分自身に光を、愛を、注いで下さい。足りない所から更に奪うなんて愚行は何の役にも立ちません。今回、いや、ついったーではずいぶん前から私がこの事に付いてうだうだ言ってるのは、「闇のヒーリング」という言葉に関して誤解したままに、いたずらに「闇属性つまり不足感」に留まり続けている人が居るんじゃないかと思っているからです。闇のヒーリングってのは、闇属性の人間が善悪二元論の悪魔的エネルギーで癒されるってことじゃないですよねw私の勘違いでなければ、闇のヒーリングでも(その使い手がまともな人であれば、ですが)、注がれるエネルギーは「光」すなわち、愛であるはずなのですが。これを読んでなお「光」=「愛が満ち足りて甘美」な状態を居心地悪く辛いと感じるとすれば、それは「自分には愛を受け取る価値がない。」という思い込みや、「愛が枯渇してる被害者で居続けたい。なぜならかわいそうに思って誰かが愛をくれるかもしれないから」という、更に複雑怪奇で意味不明で何の得にもならん思い込みがあるのかもしれません。そんな思い込みはさくさく手放して、今此処3次元での今此処っきりの、自分自身の「生」を、もっと楽しんでみませんか…?「あなたに祝福を。」
2010.10.13
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「やあ、僕はカヲル、渚カヲル。 いつもご機嫌なクリスタルヒーラーさ。」「先日訪れたバリ島は素晴らしい所だったよ。 島全体が生命力に溢れていた。 同じ常夏でも、セカンドインパクト後の日本とは明らかに違う、 そう、生命があるがままの喜びに溢れている。そんな島だったよ。 いたるところに花が咲き乱れ、祈りの供物が街の其処此処に捧げられていてね…。」「今日は、そんな最高のロケーションで楽しむ事ができた、ヒーリングの一例を紹介するよ。 クライアントはシンジくん…僕の大切な人さ。 彼は、ほぼ全ての人の中にある、 傷ついたインナーチャイルドの象徴の役割を演じていてね。 日頃から気苦労が絶えないんだ。 ほら、エヴァのパイロットたちは「チルドレン」と呼ばれるだろう? 新しい劇場版ではその呼称は使用されなくなったようだけど、 それはつまり、物語がシフトしたからなんだろうね…。」「さぁシンジくん、心と身体を楽にして、」「はい…うん。」「レイアウトを解説するよ。 本当はもっと沢山の石を乗せてあげたいんだけど、僕たちのサイズじゃこれが限界だ。 抱き枕サイズならもっといろいろ楽しめるかな?」「抱き枕って?」「こちらの話さ。さ、君は心を楽にして…。 まず頭頂にマダガスカル産のローズクオーツ。条件によってスターの出る個体さ。 両足にブラックトルマリン。 身体の両脇にある細いのは国産の水晶。先端を外に向けている。 喉…というか画像じゃ胸になってるけど、ここにカバンサイト。 そして、これがポイントなんだ。レイアウトに置けるのは石ばかりじゃない。 君にはもっと花のエネルギーが必要だ。 ホテルの庭先から拾ってきたプルメリアで、君を祝福するよ。」「あの…カヲルくん、これって石の意味とか何かあるの?」「意味、か…。そう、君たちリリンは言語化された意味を知りたがるね。 今はただ、僕が君のためにこう置きたいと感じた通りに展開したんだけれど、 そうだね、後引きでも良ければ… スターの出るローズクオーツは、自分が輝く星である事を思い出させてくれる。 人生のスター、物語の主人公、世界の中心でアイを叫ぶけものは、 他の誰でもない君自身ってことさ。 足下のトルマリンは、今此処から魂が彷徨い出ないように繋げてくれる。 自身を安定させる事で、外からの影響にぐらつかないように。 心にたまった澱を吸い取ってくれる、とも言われているね。 水晶を外向きに置いたのは、君はほら、やたら内に閉じこもって自分を責めるだろう? 外に対して攻撃的になれと言うんじゃない、ただガス抜きが必要ってことさ。 もっと自分の気持ちを外に表現してもいいんだよ。 喉のカバンサイトは、これはタンブルだけど、原石を見た事が有るかい?」「ない…」「まっさおなコンペイ糖みたいな、楽しい石だよ。ころころしてて、遊び心に溢れている。 緊張を解いて生きる事を楽しむ、自由に自分の心を表現する、 そして、自由な表現には、自由な発想が次から次へと湧いてくる。 自分の心に従って表現しても、誰も間違ってはいない、そういう石さ。」「そうなんだ…花は?」「花は…花というのはねシンジくん、 あるがままの喜びと、 何かを成し遂げた喜びと、 その双方を持ち合わせた、地球における究極の祝福のシンボルなのさ。」「祝福のシンボル…」「そう。 君の存在を、君が今此処に居るという事実を、 心から祝福するよ、シンジくん。 『おめでとう』」「あ、ありがとう…」「ちなみにプルメリアの花言葉は、気品・情熱・恵まれた人。 …うーん、少し物足りないな…。もう少しだけ石を足そうかな。」「(なんだか眠くなってきた…)」「うん、ブラジル産のこっくりと濃いローズクオーツを足してみたよ。 これもスターが出るクオリティだね。 濃いローズは、自分で自分を愛する、自分で自分を好きになる、そういう石だよ。 さぁ、香りと音のヒーリングも足そうか。 イランイラン…は、今の君には濃すぎるかもしれないね、 ゆりかごを縁取るレースのようなゼラニウム、 そして輝くオレンジ、 エネルギーセンターの上でティンシャを優しく奏でて…あれ、シンジくん、 どうやら眠ってしまったようだ。」「さて、ヒーリングの紹介はここまでだよ。 これはあくまで一例にすぎない、僕のやりかたにすぎないんだ。 どうかこの例に囚われず、自分自身の心に従って、自由にグリッド展開してほしい。 意味なんて後付けでいいんだ。 大切なのは、その石を置きたいと感じるかどうか、それだけさ。 それじゃ、あなたがたリリンにも、バリの花々の祝福を贈らせてもらうよ。」カヲルくんのヒーリング教室、いかがでしたかwいや~あとから思えば撮影のために組んだグリッド、まるまるバビルにも必要な感じですwみなさまもどうか、この例に囚われず、ご自身のグリッド展開を楽しんで下さいね!そうそう、追記。今回は話の構造上、語り部カヲルくんに全てを語らせましたが、実際のヒーリングの現場ではヒーラー(ファシリテーター)が一人でべらべら相手を決めつけるんじゃなく、例えば身体の上&周囲で組んだグリッドを、終了後にクライアントに見えるように組んであげて、石の解説を交えながらも、キモの部分はクライアント自身が自分で気づいて語れるように、導いてあげるのが理想的です。クライアントが語り出したら、一息つくまで相手を遮らず、聞いてあげてください。「このひとが全部おしえてくれるっ!!」ってなっちゃうと、お互いの成長のためによくありませんから、ね。
2010.10.08
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EVAの主人公、碇シンジくんです。バリ島、タナロット寺院の夕暮れ時にて。タイトルの「アイ」は、シンジくんのイニシャルの「I」ですが、愛でもあり、逢でもあり、哀でもあり、I am のアイでもあり…。ここに書ききれないくらい、分厚い層を成す様々の意味を含んだ、「アイ」という言葉です。以下、新世紀エヴァンゲリオン(ヱヴァンゲリヲン)のTVシリーズおよび新劇場版のネタばれを含みますので、大丈夫な方のみ反転でどうぞ。EVAは、昨年公開された新劇場版「破」が大ヒットしましたが、TVシリーズリアルタイム世代のバビルとしては「旧作あっての、新劇」だと思っています。いや、血湧き肉踊るエンターテイメントとして、アニメーション技術の粋を集めた動画として、新作はほんとうに素晴らしかった。ですが、新作の真価を知るには、旧作の存在が欠かせません。新作では、ヒロイン(?)の少女が3回も「ありがとう」と言いました。別のヒロインが、主人公の手作り弁当に丁寧に感謝を述べていました。私はそのことだけで、涙が止まらなくなってしまった。それも、旧作を知っているからのことです。TVシリーズは、15年前、1995年だったかな?に放映されました。なんとじゃがりこと同い年です。←どうでもいい主人公のシンジくんは、親に捨てられた経験を持つ、傷ついたインナーチャイルドそのもののような少年として描かれています。極端に低い自己価値、嫌われる事を恐れて他人を拒絶する、裏切りを恐れるあまり最初から期待すらしない態度…。そして、彼と対になる存在として描かれていた(と、私は思っています)少女アスカにも、似たような原体験が有り、彼女は人がうらやむような特性をみんな持っているにもかかわらず(美貌、優秀な頭脳、運動神経 etc.etc)常に満たされず、極端に「褒められる事」「一番である事」「関心を寄せられる事」にこだわり、それが叶わないことで自我崩壊を起こしてしまいます。ふたりとも、長子コンプレックス症候群の典型ですね。自己価値の確立を、親からの関心度に依存するシステムを導入してしまった哺乳類(中でも、肉食獣とサル族はこの傾向が強い)ならではの悲哀です。地球式生き物の基本は、「自分がここに居て幸せ」。ただ生きている、息をしている、それだけで満ちている。他者から見た存在意義?価値?そんなものに振り回されたりしません。そして、実はヒトにとってもそれは揺るがない事なのです。本当は。思い出して下さい。他の誰が望もうが望むまいが、「私が、私の存在を祝福する」ヒトの中に本来有るはずの、地球式生き物の大基本、です。親からの関心が薄かった、コピーのように扱われた、サンドバックにされた、過剰な期待をかけられた…等々、子供が親との関わりの中で自己価値を迷宮入りさせてしまうのは、哺乳類故のトラップです。肉食獣とサル族の子供はあまりにもか弱いので、親からの庇護の質に生命を左右されてしまうからです。が、ある程度育って、自分で自分の食料を見つけられるようになったら、自分で自分の価値くらい打ち立てたっていいんじゃないでしょうか?誰かの関心によってしか自己価値を見いだせない、そんな幻、自分で自分にかけた呪いは、そろそろ打ち破ってもいいんじゃないでしょうか?シンジ君の「シンジ」は「じしん(自身、自信)」のアナグラムともとれます。TVシリーズの最終回は、シンジ君の内面世界として描かれています。そのタイトルは、「世界の中心でアイを叫んだけもの」。世界の中心は「I」、自分自身。そして、「アイ」を「愛」にするのも「哀」にするのも、自分自身の選択です。以下、ラストシーンの台詞群を記載しますね…私があれこれ語るより、この台詞群の中にほとんど全部語られていますので。シンジ「そうだ、これも一つの世界、僕の中の可能性。今の僕が僕そのものではない、 色々な僕自身が有りえるんだ。そうだエヴァのパイロットでない僕も有りえるんだ」 ミサト「そう思えばこの現実世界も決して悪いもんでは無いわ」 シンジ「現実世界は悪く無いかもしれないでも自分は嫌いだ」 日向「現実を悪く嫌だと捕らえているのは君の心だ」青葉「現実を真実に置き換えて いる君の心さ」マヤ「現実を見る角度、置き換える場所、これらが少し違うだけで 心の中は大きく変わるわ」加持「真実は人の数だけ存在する」ケンスケ「だが君の真実は1つだ 狭量な世界観で作られ、自分を守る為に変更された情報、歪められた真実さ」トウジ「ま 、人一人が持てる世界観なんてちっぽけなもんや」ヒカリ「だけど人はその小さな物差でないと 物事を計れないわ」アスカ「与えられた他人の真実でしか物事を見ようとしない」 ミサト「晴れの日は気分良く」レイ「雨の日は憂鬱」アスカ「と教えられたらそう思い込んで しまう」リツコ「雨の日だって楽しい事は有るのに」冬月「受け取り方一つで別の物になって しまう脆弱な物だ、人の中の真実とはな」加持「人間の真実なんてその程度の物さ。だからこそ より深い真実を知りたくなるがね」ゲンドウ「ただお前は人に好かれる事に慣れて無いだけだ」 ミサト「だからそうやって人の顔色ばかりうかがう必要なんて無いのよ」 シンジ「でも皆僕が嫌いじゃ無いのかなあ」アスカ「あんた馬鹿?あんたが一人で そう思い込んでるだけじゃないの!」シンジ「でも僕は僕が嫌いなんだ。」 レイ「自分が嫌いな人は他人を好きに、信頼するようになれないわ」シンジ「僕は卑怯で 臆病でずるくて弱虫で」ミサト「自分が分かれば優しく出来るでしょう?」シンジ「僕は 僕が嫌いだ。でも好きになれるかもしれない。僕はここにいてもいいのかも知れない。そうだ 僕は僕でしかない僕は僕だ僕でいたい、僕はここにいたい、僕はここにいてもいいんだ!」 (明転)ミサト「おめでとう」アスカ「おめでとう」レイ「おめでとう」リツコ「おめでとう」 加持「おめでとう」ヒカリ「おめでとう」ケンスケ「めでたいな」トウジ「おめでとさん」 ペンペン「クエッ」日向「おめでとう」青葉「おめでとう」マヤ「おめでとう」 冬月「おめでとう」ユイとゲンドウ「おめでとう」 シンジ「ありがとう」父に、ありがとう 母に、さようなら そして、全ての子供達に おめでとう映画板の旧作(以下、旧劇場版)は、作者の心が迷宮入りしていたため、陰惨なものとなっています。(表現者には芸術家タイプと職人タイプとあって、前者は富野由悠季氏や庵野秀明氏、後者は水島清二氏や宮崎駿氏が相当するとバビルは勝手に思っています。芸術家タイプは作者の心情・感情がだだもれで作品がぶれまくり、そこがまた面白い。)「おめでとう」で終わったはずの最終回にあたるエピソードは、「キモチワルイ」で締めくくられました(爆「新世紀エヴァンゲリオン」は、TVシリーズ、旧劇場版ともに、自己価値の確立に足掻いて喘ぐ作り手一個人の内臓を見るような、そんな作品でした…。新劇場版では、様相が違っています。庵野さんがどうやらあせんしょんしたらしくw、作者の内臓ぶちまけではなくて、他者を楽しませるためのエンターテイメント色が強くなっています。庵野さんも職人タイプクリエイターの仲間入りをしたって事でしょうか!新しいシンジくんは、押し付けられた家事も(同居人の女性たちが家事無能者ばかり故w)けっこう楽しんでこなし、周囲はちゃんとそれに感謝をし、自分が何が好きかはっきり知っていて(部屋に、星のポスターが貼ってありました!)、自分の欲求にとてもストレートになりました(世界はどうでもいい、綾波だけは助ける!)!!!もちろん、新劇はまだ完結していないので、これからどうなるか全く未知数です。庵野さんがSっ気を発揮して、持ち上げて落とす作戦に出なきゃいいと、今からはらはらしていますwと、今回の記事もまたまとまらずほんとに長くなりましたが(しかも反転だしな!)、5秒で分かるまとめ風に言いますと全ての人は、自分自身の世界の中心に居る、自分自身の物語の主人公です。「世界の中心でアイを叫んだけもの」。世界の中心は「I」、自分自身。そして、「アイ」を「愛」にするのも「哀」にするのも、自分自身の選択です。ここに居てもいいかどうか、決めるのは、他の誰でもない自分自身。そして、地球式生き物で、自分を祝福できない生き物なんて、ほんとうはいないのです!生命の島バリにて、ホテルのウェルカムフラワーといっしょに…。
2010.10.07
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映画から受けた印象をグリッドにしてみました。真ん中はおなじみ、ピンクトルマリン@タジキスタンの刹那くん。水晶のフラワーオブライフに乗せています。刹那くんを囲むブレスは水晶惑星さんからお迎えした、ラピスラズリ、ペリステライト、サンストーン。外周のポイントは、国産水晶とブラジルのインペリアルトパーズです。過去の記事にもたびたび関連話を書いていますが、ガンダム00は、一期からずっと追いかけてきた作品です(外伝はあまり詳しくありません)。この映画を見て思ったのは「うむ、私も、間違っていなかった」ですwでは、以下壮絶ネタバレの予感ですので、大丈夫な方のみ、反転でどうぞ。しかも、まとめになってないまとめ記事ですので、おおざっぱすぎて観てない人には意味不明です。9月24日、新幹線に乗って隣県まで観に行きました。9月22日の(書いたのは23日ですが)日記、なんでもない記事ですけどどうしてもあの花の写真たちをupしておきたかったんです…。これも、後から思えばシンクロ以外の何者でもありませんでした。(そうさ、こじつけさ、関連妄想さ、笑うがいいw)ガンダムと言えば人間同士の争いが従来作品のテーマで、00もTVシリーズまでは人間同士の紛争が表向き描かれてきました。(表向き、というのは、もっと深い所に本当のテーマが有る、とバビルは勝手に解釈していたからです)この映画はその枠を打ち破った!人類は、愛…ではなく過去の武力衝突の記憶におびえる「恐れ」によってではありますが、統一はされています。一触即発的な雰囲気は有るものの、統一政府による友和政策のもと、人類が一応ひとつになった、そんな時代。「敵」として登場したのは、なんと木星から降ってわいた謎の生命体。人類にとっては攻撃としか思えないような行動をとるその生命体に、地球は大パニックです。ハリウッドものならここで「人類は力を合わせて敵をやっつけました。大統領えらい!やっぱり共通の敵の前での団結はうつくしいですね!」で終わってしまいますが、00ではそうは行きません。主人公刹那がとった行動は、あくまで「解り合うための対話」でした。殺戮兵器として名高かった「ガンダム」は、争いをやめさせるための、ヒトが変わるための道具として生まれ変わりました。(ターンエーでもその片鱗は見えていましたが。今思えばあれは富野御大のあせんしょん作品だったなぁ)攻撃的な形態をとり、こちらの武器情報を同化&学習して武装していた「敵」は、祝福を学習し、宇宙には「花」が咲き…最後のシーン、主人公はヒロインと抱き合います。(しかしそこには、恋愛感情なんてものは有りません)「君が正しかった」「貴方も、間違っていなかった」誰も否定せず、敵など居らず、怖いものなどほんとうは無いのだと。刹那以外のマイスターたちは、TVシリーズの頃から尺不足で描ききれてない感があります。が、それでもキャラクターに込められたエッセンスは汲み取る事ができる程度には、描かれています(もちろん個人的解釈にすぎませんが)。水島監督の腕ですね。各マイスターやサブキャラたちに込められた「エッセンス」は、また別の記事で。この作品のことを想うと、想いがあふれすぎて言葉になりません…困った!
2010.10.07
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次の更新EVAじゃないのかよ!と、突っ込みの声が聞こえてきそうですが…。先に話しておきたいネタなのです。以前からへたれ絵を何度か晒していますが、バビルはヲタク的絵描きとしての活動もほっそぼそと行っています。が、なんせ美術脳を持っていないので、たびたびスランプに陥り描けなくなっていました。自分の絵がいやだ。人体の描き方が分からない。背景の描き方も分からない。描き慣れた顔ばかり描いて自己満に浸ろうとするも、それさえ変な手癖が付いてしまってきもちわるい。…こうなると、もう紙も鉛筆も投げ出して悶々としてしまうのです。手を動かしもせず頭だけで、なぜ、なぜ描けない?と、自問する。そんなとき、たまたま当時読んでいたスピ系の本が問題解決のヒントをくれました。で、ですね。これから書く記事は、バビルの個人的な趣味であるヲタク的お絵描きにまつわる、セルフチャネルによる問題解決の実例…なんですが、「表層に囚われ、侮り、エッセンスを逃し続ける愚者の轍を踏まないように。」つまり、記事のエッセンスが当てはまるのは、お絵描きに限った事では無い、のです。※ mixi日記から転載 ※ ダヴィンチ先生とおいら 2008年03月04日00:22最近、つーかここしばらく全然絵が描けなくて撃沈していたわけですが。 ダヴィンチ先生の教えの御陰で少しずつ復活して来ました。 ソニア・ショケットの本によく書かれてますけど、その道の有名人のスピリットを、ガイドとして召喚する事が出来るらしいです。 誰にでも。←ここ重要 呼んでお願いすれば助けてくれるんだそうです。 彼らを呼び出すのは、自分です。 霊能者に憑けてもらう必要はありません。←ここもテストに出る んで、ダヴィンチ先生を呼び出したからと言って、いきなり神の右手を手に入れられるわけではありません。 もしそんな事が出来たら、その呼び出した「霊」は光の使者ではなくて魔です。神の右手と引き換えに大切なものを無くしてないか注意しましょう。 先生は、お絵描きのヒントをくれるのです。すっごい基本的な事ばかり。 「手癖で描いてしまっておる。見て描く、この原点に戻るのじゃ。」 「描けないのは観察が足りないからじゃ。よく見るのじゃ。」 私の脳内変換で爺ぃ語になってますが気にしないで。あの世じゃ青年の姿なんだろうけど、私の中ではじぃさんのイメージが強いものでw 先生の指導で、普段から「デッサン目」で人を観察するようになったし、風景も室内の様子も、描画対象としていつも観察するようになりました。 んで、スケッチフィルター通すと妙に美しいのよ。 座ってお茶飲んでる婆ちゃんの手のシワとかなにもかもが~。 世界の全てが、描画対象として美しい! この現象を3次元レベルで客観的に書いてしまうと、有名人のキャラクターを借りたセルフカウンセリングなんだけど、ひとりで行き詰まってる時は結構これが有効なんです。 なんでレオナルド・ダ・ヴィンチなのかって? 彼が神とマスター・イエス・キリストの真実を知り得た者だからです…。 んなわけがありませんwおいら宗教に興味ないし(え、意外?w 彼がむちゃくちゃ絵が上手かったからに決まってるじゃないか!※ 転載終了 ※※ 以下、コメントから抜粋 ※脳内会話は、小説や漫画のスジを考えてるときにキャラが勝手に喋り出すのと似てます。あんな感じでやってみてください。 でもほんと、脳内ダヴィンチ先生には助けられました。絵で凹んでる時は大抵、気がつかないうちに大基本をないがしろにしてるんですよ。 基本は見て描く、想像で描くのはその次だ…ほんとにな! 描けないのは見てないから…ほんとにそう! 描けないんじゃなくて描いてないんだ、まずは最初の一枚を描く事が全ての始まりだ…まさにそう! ※ 抜粋終了 ※※ もうひとつ、mixiから転載 ※描くということ 2010年08月29日11:29へたれの晒し場にイイネありがとうございます(赤面 私にとって描くということは、描画対象へのどうしようもない愛情のだだ漏れ、究極の愛情表現の一つです。 萌えなければ描けない! 萌えればどんな障害もはねのけて描く! 例に、上に晒しているなんかちょっとイヤーンな感じの絵ですが。 「貞本版渚カヲルの脇の下が好きで好きで頭がおかしくなりそうだ!!いや寧ろなっている!!」という魂の叫びが、そこに込められているのであります。 芸術は、「愛」の迸り。 (ここで言う「愛」という言葉の層の広さに注意してください。狭いフィルターを通すと真意は遠ざかります。) 迸る何かが無ければ、絵は死に、ただ他人に媚を売るための、しかしその用途すら殆ど満たさないものに成り下がります。 なので、私が描くのは基本、二次創作です。 つかね、古来芸術なんてもんの大半は二次創作ですよ。 神話や聖書、古典文学などのね。 想像上の動物たちも、現存する生き物のパーツをつなぎ合わせた言わば視覚的キメラが殆どです。 トカゲにコウモリの羽を付ければ、ほらドラゴンの出来上がり。 以前、「有名人のキャラクターを借りたセルフチャネル」にて、ヴィンチ村のレオナルド先生が気づかせてくれたことは、「繰り返し描く」こと、そして「実物をしっかり観察して描くこと」の重要性。 描けないときは大抵、この二つをないがしろにしているのであります。 実物をしっかり観察する。 この時点でもう、えっらい愛情表現ですよね。 木や花や、雲の形、色彩の陰影がどうなっているか。 ぼんやりとただ「見る」だけではとらえていなかった、3次元リアルの現物の凄まじい精巧さに驚嘆する一瞬があります。 人間の皮膚のキメのひとつひとつ、骨格の形、布が形作る例えようも無く美しいシワのひとつひとつ。 3次元リアルすげえええええ!!!! と、実感し、全ての後ろにある「彼」を想い心打ち震える瞬間があります。 で、何が言いたいかと言うと。 私にとって描くということは、究極の愛情表現です。 描いているものが2次元であれ、そのモデルは3次元リアルの象形。 へたれだろうが気にしません。 ちょっと恥ずかしいけど。 練習でなんとかなる。 反復基礎練習で、神経回路はいくらでも構築できる! 私にとって描くということは、世界愛してる!と大声で叫んでいるのと同等なのであります。※ 転載終了 ※※ そして、以下ついったーより抜粋 ※地球式いきものの基本は飢餓とエコロジー。使わない機関は分解して地と空へ返す。使う機関はますます効率よく発達してゆく。運動も芸術も思考も反復練習のうえに成り立つ。プロたちが裏でどれだけ基礎練習に打ち込んでいるか。天性+練習の継続でもって、はじめて才能と呼べる。反復基礎練習、繰り返す事によって神経回路を構築する。いくつになっても、刺激に対しては神経はその樹状突起を延ばすものだ。あと、「観察して描く」繰り返しによって物体の情報が脳内に蓄積されると、左脳が出ばりにくくなる。経験不足でどうしたらいいかわからない状態、迷いのある状態のとき、左脳が過緊張を起こし右脳の出力を邪魔する。豊かな情報の蓄積は左脳の過緊張を防ぎ右脳を解放する。で、これはお絵描きに限った事ではありません。テストに出るよ。「表層に囚われ、侮り、エッセンスを見逃し続ける愚者の轍を踏まないように。 byバビル1025世」←※ 転載終了 ※
2010.09.22
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ただいまです!バリ島から戻りました!でも、↑の写真はユタのカモミール畑です!5月26の更新を最後に今まで何をしていたかと言いますと、6月はYLの関係でユタ、ついでにアリゾナに足を伸ばし、7月はEVAに狂い、8月は更にEVAに狂いww、そして9月、これまたYLの関係でバリ島に行ってきた訳です。バリ島ほんと良い所ですね~。住んでもいい。でも、↓の写真はアリゾナの変な岩です。これからEVAワークとバリ島の記事を編集します。では次の更新までしばし、接写に強い愛機(そういえば彼にはまだ名が無い)が撮らせてくれた、美しいセドナの花々をお楽しみください。
2010.09.22
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カルサイトと少年たち。おひさしぶりです、バビルは元気ですw前回の更新から3ヶ月近くたってしまいましたが…。お盆更新もしたかったのですが、どうしてもやる気が出ず、というか優先順位的に時間がなく、今日まで放置となってしまいました。で、その間何をしていたかと言いますと、EVA(新世紀エヴァンゲリオン)にはまってました(爆EVAは昔から好きだったんですが、凍結していたついったーを5月から運転開始して、そこで運命の出会いをしてしまったのです。カヲル君と(爆いや、中の人が居てる、いわゆるキャラハンさんなんですけどね。実は私の中でEVAは一度は過去のものになった作品で(最大の萌えツボのはずのカヲシンに妙な拒絶感があったために、萌えきる事ができなかったわけです)、新作の劇場版を見て感動しても、BRはべつにいらないや…という程度のものでした。何冊か買っていたイラスト集や漫画版も売り払ってしまいました。が。キャラハンのカヲル君に出会って、それまで封印していた萌えが一気に解放されたのであります。※…カヲシン、というのは、EVAの主人公のシンジ君と、そのおともだちのカヲル君が、恋愛的な意味で仲がよろしいという妄想でございます。このカヲシン萌えを私が長らく封印していたのは、やはり銀河鉄道の夜に通じる、別離にたいする拒絶のためかと思われます。(これを「銀河鉄道の夜症候群」と勝手に呼んでいます。)辛すぎて、妄想で補完する事すらできなかったという…。それが、このたびは全く問題なく妄想世界へ旅立つ事ができました。去年の5月31日の瞑想が、影響しているのかもしれませんね。カヲシンとの再会によって燃え上がった私のEVA熱ですが、もちろんこれがまた石と絡んでくる訳ですwEVAについてはとても記事一つではまとめられないので、次の更新にでも。さて、ついったーですが、殆どをEVAのキャラハンさんやEVA好きさんとの会話に使っています。たまに電波モードでだいじなことも言いますけどね(謎こちらも、過去のつぶやきから「これは書き留めておきたいな」というものを拾ってまとめログでも作ろうかと思っています。例えばこんな感じ「崇拝は依存と隷属のはじまり。」「あっ私の猫崇拝平沢崇拝はそういうのと違いますよ。猫や師匠に私の人生なんとかしてよって求めてる訳ではありませんので。」
2010.08.20
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またまた脳ちゃんの登場です。言語システムのトラップはほんとうに根が深く…、文章でも口頭でも、言った事が相手の辞書フィルターで勝手に変換されて全然違う解釈をされてしまうことは、多いと思います。ひとつひとつの単語に、個々人が抱いている勝手なイメージ。そして、個々人の先入観や固定観念。例えば私の経験では、エッセンシャルオイルの、スピではない科学的な話をしている時でさえそうなんですから、ほんとやっかいですw「聖油は主に肝臓で代謝されます」って言ってんのに、横から「そうですよね、最終的には肺から蒸発するんですよね。だから天然で安全なんです。」みたいに言い換えられてしまって脱力する事もしばしば。マインドブロックシリーズの「高いとか低いとか」も、私は「波動や次元については高い低いに優劣尊卑のニュアンスは本来含まないのだから、感情的に反応しないで表現方法のひとつとして受け流せ」と言ってるのに、「そうですよね、やっぱり高いとか低いとかって見下してる感じですよね!」って同意にならない同意をされてしまったり…。げに、固定観念とは恐ろしいものなり。ま、私のにほんごが未熟なのも原因ではありますが(爆ですが、自分の脳内辞書のクセを監視する習慣をつけておけば、少なくとも自分が誤解して見当外れの解釈をしてしまうことは、防ぐ事ができます。今回は、私が特に「みんな嵌ってるだろうな」と思うトラップ言語をひとつご紹介いたします。それは、「自分の人生に責任を取る」という表現です。なんかね、「責任」という言葉の、脳内辞書のイメージで勝手に恐れおののいている人がとても多いように感じます。そのせいで踏み出せないでいるとしたら、とても勿体ないことです。「責任」ていうと、こう、「罰則」を加えられるイメージが有りませんか?それは、マスコミ報道で多用されてる場面とか学校で受けて来た教育とか、会社での業務に関わる所での「責任」と、自分自身の人生における「責任」を混同している為と思われます。前者の「責任」は、何かやらかしたときに取らされるものですよね。多くの場合、罰則を伴ってておそろしい。ですが後者の「責任」は、「自分の人生を自分で選択し、結果を誰かや何かのせいにしない」って事です。全然おそろしくないですよね。誰かや何かのせいにするのは、一見ラクですよね。家庭環境に恵まれなかったとか、いろいろと言い訳にしたい要因はあると思います。が、実年齢が就学児童でどうしようもないとか、国家権力に監禁されててどうしようもないとかの場合はともかく、成人してるならば、「Nowhere you can be that isn't where you're meant to be.」なのです。居たくもない場所には居られっこない。いろいろと言い訳をつのってそこから動かないのもまた、自分の選択。誰のせいでもありません。極端な話、子供だって自ら保護を求めて脱出したり、アイデア一つで特許申請したりできるし、国家の陰謀に巻き込まれたら脱獄や亡命だってありなのですよ(爆「自分の人生に責任を取る」という言葉は、言い換えると、「自分で選択して自分で決める。そして結果を人のせいにしない。」となります。けっして、「自分の人生にオトシマエをつけさせられる」ということではありません。おそろしくないですよねwこれでまだ恐ろしいと感じるならば、それは結果を誰かのせいにして逃げたい心の現れであり、更にその先には「結果は必ず悪いに決まっている」という思い込みが見え隠れします。見つけたマインドブロックは、さくさく解除しちまいましょう。
2010.05.26
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2009年後半頃から市場を賑わしているインドはアジャンタ産の産虹水晶。引きではなかなか綺麗な虹が撮れないので、ルーペで拡大してみました。鮮やかな黄緑。ここしばらくの私のフォーカス色です。空にかかる虹のような、七色の分光。クラスターの結晶ひとつひとつに、遊色が煌めきます。全然虹が写ってませんが、ちょっと引いた画像ですwうちのは、真っ白ではなくてほのかにアメジスト?それとも母岩の瑪瑙っぽいところの色が透けてるだけ?的な、ニュアンスカラー。写ってませんが、ほんとうに全部の結晶に虹が有るんですよね~。さて。実は、前々回の記事から今回までで、バビルの中では「虹3部作」のサブタイトルが付いてます。魂の舟と冒険者が抱く、クラックの虹。レインボウ○コの、コーティングの虹。そして、今回のアジャンタ水晶は、結晶そのものの内側から滲み出す、言わば「存在の虹」です。遊色を持つ鉱物は他にも有りますが、今の時期に鉱物の基本中の基本である水晶に出たということに、何かシンクロめいたものを感じずには居られません。水晶が、有機生命体の基礎をなす炭素と良く似た性質を持つ、珪素でできていることや、アジャンタ水晶の殆どが、集合意識を象徴するかのようなクラスターで産出していること、そして今というタイミング。ヒトと水晶を重ねて見てみれば、ほら見えてきませんか?そろそろ思い出しても良い頃だと、大地からのメッセージを感じませんか?「レインボウチルドレン」の時代が到来したのだと感じる方も居るかもしれませんね。私は、レインボウチルドレンとは、「そのこと」を知っている子供達の事だと解釈しています。生まれた年代に関わらず、そのことを知っている、思い出している、実感している人は全て、虹の子供達です。「人は、存在そのものが煌めく虹です。」傷や経験から昇華した虹。華やかに装う表現の虹。そして今此処で出揃った、在るがまま、存在そのものの内側から煌めく虹。「どうしてきたか」や「どうあるか」ということには、日常の中でも随分フォーカスしていると思います。なので、時にはアジャンタ水晶とまったり遊びながら、ただ思い出して下さい。人は、存在そのものが煌めく虹である事を。
2010.05.25
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webショップの画面で見た時は、「巻き貝だ!」って思ったんですよ。黄金比の螺旋の住処を背負う生き物。宇宙が設計した究極の機能美の一つだと。が実物を間近で見ると、どう見ても虹色のウン○でした。正体は、酸化被膜を纏ったゲーサイトです。鉄繋がりで第1チャクラ的な鉱物でありますが、まさにその第1チャクラの「産物」である物体に姿を似せてくれようとは…しかも赤を基調とした虹。ますます第1的と思わざるを得ない。実は、虹のウ○コは、これがやってきたその当時(魂の舟以下略たちと一緒に来たので、ちょうど2週間くらい前)に私が特別にフォーカスしはじめたテーマを象徴しています。べ、べつに便秘で悩んでるってことじゃないからね!月末に東京で開催する聖油講座の内容で、微生物と人間のかかわりに触れるところがあるのですが、虹のウン○はまさに、理想的な腸内環境の象徴なのです。腸は、消化吸収を担うのはもとより、第2の脳とも呼べる膨大な神経叢を抱え、なおかつ身体の中と外を隔てる感染防御第一線の役割も果たしている。その絶妙で繊細な働きは、腸内細菌達との連携がなければ成り立ちません。人体は、ヒト遺伝子を持つ1個の生命ではなく、じつは多種多様な微生物とヒトとの生命共同体なのです。虹のウ○コはまるで、たくさんの微生物が楽しく暮らす、バランスの取れた幸せな腸内環境そのもののようです。また、腸の健康状態は精神の健康状態と直に影響し合います。精神的な面から向き合って乗り越えられないテーマには、腸のデトックス&バランス回復からアプローチする事も可能です。精神状態って、ほんと肉体の状態に引きずられまくりますからね…。(おなかすいてたり眠かったりするだけでも、そうでないときより性格悪くなりませんかw)エネルギー的にも、バランスの取れたクリアな第1チャクラは、その他のチャクラの安定の基盤となり、人生そのものを活性化する基盤となります。おなかが調子良かったら力が出るもんね!ウン○は素晴らしき日本語の言霊的にも、ウンがつく…なんて言いますし。第1をバランス良く保つ事は、自分自身の地上の天国の基礎基盤を固めること。上ばっかり開いてても意味ないよ~。さて、この縁起のいいレインボウ○コの接写写真を2枚目の画像にしようと思いましたが、拡大するとあまりにもリアルだった為かブラウザが落ちまくって更新できませんでした(爆ので、人体と同じく「多様な生命の共同体」である屋久島の紀元杉の写真を2枚目に置く事にします。看板に書かれているだけでも12種類の樹が、杉の樹から直に生えてるんですよ。紀元杉だけで一つの森のような…すごいいきものでした。
2010.05.20
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アクアマリン共生水晶、パキスタン産。お迎えしてまだ一週間。届いたその時から劇的に点灯して、私的旬石の最前線に躍り出た石。手のひらに乗せると、向こうから名乗ってきました。(あくまで、ふと閃くという事です。)「たましいのふねとぼうけんしゃ」その名の通り、小さな水晶の舟に、小さな小さなアクアマリンの冒険者がしがみついています。水晶の舟は、一度真ん中から折れてくっついた痕があります。へし折られた経験も、今となっては輝く虹。後部はセルフヒールドになっています。波の飛沫にも、ロケットの炎にも見える。勢いよく進む、彼の旅路は続いています。小さいながらも、カテドラルの威厳。そして、金色のインクルージョン。鉄分でしょうか。美しく光を反射します。「私が私である」という、黄金の智慧を象徴しているかのようです。私に目には、うっすらとですが物質を取り巻くエネルギーとその粒子の動きが見えるのですが、(※背景色等の状況による/雰囲気でオーラの色がわかるの~☆彡という感じでは有りません。あくまで肉眼レベルで見えてますが色までは鮮明ではない。)今現在この石の周囲が一番まぶしく見えます。なんか、青い。アクアマリンは、うちの持ち石では44たんに代表される私の一番綺麗な核の象徴なのですが、(どうしてかというと、私自身がそう思うからです。私自身がそう感じるからです。自称視える人、自称選ばれし能力者wに鑑定してもらう必要は有りません。)それ故にこの個体を見ていると、肉体という魂の舟に乗って果てしない世界を旅している、私自身を外から眺めているような気分になります。さて、このブログを最初から読んでも、まだ「私には能力が無いから~」と言う人が居ますが、特殊能力なんぞ無くても石とは遊べます。てか、特殊能力だの直感力だのは、石と遊んでいれば自然と取り戻されて来ます。大事なのは、他人に丸投げで答えを求めない事です。自分自身の感覚、ふと思い浮かぶイメージ、ふと思い浮かぶ言葉を大切にして下さい。自称視える人のパフォーマンスの道具にされないで下さい。どうか、石の向こうに透けて見える、自分自身の物語を大切にして下さい。
2010.05.15
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4月17日にお迎えした、マダガスカル産スモーキークォーツ。急遽決まった聖油講座開催のために出かけた京都で出会いました。その直前、4月11日~13日まで実は屋久島に行ってまして。講座開催の話はその旅行中に出たので、今思えばなんという展開の速さw屋久島は、島全体が生命力に溢れた土地でした!!!土砂降りの雨、照りつける太陽、満点の星、プチ地震、落雷、温泉、フルチンの現地のおじさん。地震カミナリ火事オヤジのエネルギーだねなんて言ってましたが。森の樹々、サルの赤尻、シカの白尻、雨でふくれあがった滝、海辺の洞窟でクリスタルボウル…。忘れられない旅となりました。で、その直後に京都へ行ってお迎えしたこの石。はじめはただ、透明で綺麗!!水みたい!!ウルウルしてる!!くらいにしか思ってなくて、名前も適当にウルルなんて呼んでいたのですが、なんか違和感が有る。で、真面目にたずねてみた所、閃いたのが「やくしまだがすかる」というダジャレめいた謎な言葉でした。「やくしまだがすかるの水魂(みずたま)」と、名乗ってくれたのです。※ここで言う「名乗る」とは、明瞭な音声で聞こえるって事ではなくて、ふと閃くってことです。幻聴感覚は有ってもいいけど、必須ではありません。名前を聞いた当初は、「マダガスカルは産地だし、屋久島はこの前行ったばかりだしタイミング的に関連有るのかもね~」くらいに思っていましたが、なんと日本雛形説では種子島屋久島周辺がマダガスカルに相当するとの事です(爆屋久島の海で拾って来た貝殻といっしょに、グリッド組んでみました。水魂ちゃんに触れていると、屋久島の雨を思い出します。そこらへんで湧き出してて、そのまま飲める、豊かな豊かな超軟水の屋久島の水を思い出します。屋久島の水というか島のエネルギーの何が凄いって、傷が治るんですよ。雨で。通常、擦り傷などに雨が当たると、ふやけて悪化しますよね。でも、屋久島の雨に触れた傷は、いつもよりずっと速いスピードで塞がって行った。生き物のからだの殆どは水です。生命力のある水を取り込むと、身体も再生するのです。汚れていない自然が発する、昔は日本中どこでもきっとそうだったろう、澄んだ生命エネルギー。屋久島は、地球生命圏本来のエネルギーに触れられる場所です。水魂ちゃんとは現在進行形でワーク中。レムリア繋がりのお話も有りますが、それはまた後ほど。
2010.05.12
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いっこ前の記事で中途半端にご紹介した講座の詳細が決定しました。東京まで出張します。メインはYL社のエッセンシャルオイル解説。マニア向けですが専門用語はなるべく排し、使い始めたばかりの方にも分り易く解説いたします。てか、エッセンシャルオイルに興味津々だけど今までご縁が無かったような方にも来て頂きたい。私は10ウン年で13社くらいのオイルを取り寄せて使ってきましたが、YLに出会ってからは浮気していませんwむしろ最初の精油がYLだったら大ラッキーだと思います。私みたいに遠回りしないですむからね。5月29日13:00~16:00「YLブレンド徹底解剖講座」5月30日10:00~13:00「全体を癒す聖油の働き~知れば知るほど思い知る、地球生命圏とYL聖油について」で、結局、石もやります(爆5月30日14:30~17:00「誰にでも出来る石遊び香り遊び」実技で遊んでもらうので、手持ちの石をひとつお連れ下さいませ。今んとこ、せっつん、44たん、脳ちゃん、スカイフィッシュは連れて行く予定。お城どうするかな(爆興味の有る方はメッセージ下さいませ。会場は表参道の個人サロンをお借りしています。がんばるよ!
2010.05.11
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いきなりですが、講座開催のお知らせ。石ではなくて、YLの聖油を使った講座です。東京、青山にあるサロンをお借りして、二日間にわたり開催する事になりました。29日はYL社オリジナルのブレンドの徹底解剖、30日は、そうですね、一言で表わすのは難しいのですが、全体の癒しにおける聖油の働きについて。詳細はmixiの日記でupします。(今夜辺りには書けるかと)石の講座は、希望者が有ればそれぞれの日の夕方からできるかな。石を連れて行くのは大変なので、まだ企画検討中。東京は、私がやらんでもやる人沢山居るしね(爆やるとしたら、本当に誰にでも出来るグリッド講座や、別に幼い頃から特殊でなくても出来る石との会話術等。気楽に、石を囲んでのお茶会でも良いな。参加したい人が集まれば、せっつんやスカイフィッシュ、脳ちゃん等、うちのブログのおなじみの石達を連れて行こうと思っています。ガンダム好きが集まると嬉しい(爆
2010.05.09
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画像は、脳ちゃんの足の裏です。カルサイトが共生しています。マインドブロックを打ち破れシリーズは今回で7回目を迎えました。ここで、また原点に立ち返ってみたいと思います。シリーズ1回目の記事で書いた言葉ですが、 自分の使っている言語を、無条件に信用し過ぎていませんか?同じ言葉でも、ひとりひとりの脳内辞書によって意味や定義が微妙に違ってしまう。その結果、発せられたときの意図とは別の解釈をしてしまう。言語による思考システムは人類が得たギフトですが、そういうトラップ付きのギフトだということを理解しておかなくてはなりません。例えば、私はスピ界における「自分は特別だ」という態度について散々苦言を呈している(つもり)のですが、「人は全てひとりひとり違うのだからみんな特別なのだ。 だから私が自分は特別だと思って当然なのだ。」と、おっしゃる方が居ます。ええ、その通り。人は全てひとりひとり違うオリジナルな存在で、唯一無二であり、特別です。が、私がこのブログで健康によろしくないと言っている「特別」とは、意味が違います。リボンズアルマーク症候群の原因であり、長子コンプレックスのあらわれであり、あらゆるマインドブロックの中心となり得る「自分は特別だ」という意識は、「自分は他より優れていて偉いから、又は他よりとても不幸で可哀想だから、他より抜きん出てちやほやされるべきなのだ。」という意識です。本音は、「他より抜きん出てちやほやされるべきなのだ。」というところにあり、「優れていて偉いから」或は「とても不幸で可哀想だから」というのは、本音を正当化する為の言い訳です。これが、その人のエネルギーを殺し健康を損なう特別意識、言い換えるなら特権意識、選民思想です。全ての人は、唯一無二であるという意味において、特別です。そういう意味での特別意識は、まったく健康を害しません。が、「他と比べてちやほやされたい」ところに根ざした特別意識は、健康を損ないます。言い換えて正当化したところで態度に出てしまうので、外からは本音がどちらの意味を求めているか、丸見えなのです。「あなたは特別よ」という言葉の中に、自分が自分であるだけで唯一無二であり、かけがえが無いという意味を見出すか。他人と比べて優れて偉い又は不幸だから、他よりちやほやされて当然な身分なのだと受け取るか。そして、発した人の意図は、どちらだったのか。「特別」という単語ひとつに、ここに挙げただけでも二つの意味が有る。言語による思考とコミュニケーションは、トラップに満ちていますねw
2010.05.08
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魔法とは錬金であり、 練金とは変容であり、 変容とは、かくも軽やかなものである。 バビル1025世 ↑ 笑うところですヤングリビングのブレンド聖油は、品質は言うまでもなく、その配合センスが素晴らしい。他に類を見ない、もはや芸術品です。レモン、ペパーミント、サンダルウッド、クラリセージ、フランキンセンス、バルサムファー、ローズマリー、カルダモン。「硝子のフラスコに4大の要素をまんべんなく注ぎ、光と炎で煮沸すると出来上がり。」的な配合です。まさに錬金術的、ですね。香りは、軽やか。深淵であるのに、とても軽やかで爽やか。変容ってラクになる事ですよと何度も言ってますが、そのことを嗅覚で実感できる軽やかさです。これはブレンド聖油ではよくあることですが(シングルにもある現象です)、その時の自分の状態によって香りの印象が違います。例えば、私にはふだんはペパーミント(風)が僅かに目立って感じられますが、生理前や女性性のテーマと向き合っている時はクラリセージ(水)が際立って強く香ります。人によっては配合の一番多いレモンがメインだと感じたり(光)、一番少ないはずのカルダモンを強く感じたり(土と火)。あ、()内のエレメントはあくまでバビルのチャネルと言う名の思いつき印象に過ぎませんので、目に見えない領域を可視領域の事のように言語で細分化して定義して悩まないように。このブログの文章は右脳多めで読んで下さい。凝視せずに…うすらぼんやりと時にわざと視線を外し…。(これは魔法的視覚の訓練のコツですが、魔法的思考の訓練にも応用できるのです。)ボトルに描かれているのは、トキと日の丸で日本の象徴だ!という説もありますが、製作者の意図はおそらく青鷺と太陽。で、古代エジプト神話のオシリス神を表わしているものと思われます。神の死と再生に象徴された「変容」を暗示しているのです。が、バビルは日本人なので、日本説もエジプト説も採用してこのように解釈していますw「古代エジプトに代表される各地各時代の叡智を携え、 多くの魂達が今此処日本に生まれて来た。」で、穏やかな気候と人心に恵まれた日本で、魂達は更なる変容を遂げようとしている。変容とは、「ご立派」な人になる事ではありません。変容とは、いらないものを脱ぎ捨て、身ひとつになること。(もしろん比喩ですよ!裸で歩くと捕まります!)探求の道で迷子になりそうな時は、この美しいボトルの香りを嗅いで、イメージして下さい。軽やかに、ただ軽やかに…。
2010.05.01
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「ごきげんよう。空に何かおりますよ。」日輪を飛び越えて確かめに参りますと、それは、朝の空中散歩を楽しむスカイフィッシュの群れでした。メキシコ祭のスイッチ作品となった「交響詩編エウレカセブン」の一気鑑賞。かの作品には、「スカイフィッシュ」なる生き物が登場します。薄いおにぎり型の身体をトラパーの波に乗せ、群れをなして空を飛び、たまに捕獲されて飛行機の材料にされる(爆軽やかなエネルギーそのもののような生物。世界を構成する「意志」の、具現化を象徴するような生物。この画像の「スカイフィッシュ」は、ピンクメタモのポイントの内部にあるレコードキーパーです。いや、成長丘ではないので、正規の(笑)レコードキーパー定義からは外れますが。この群れなす△を見ると、レコキーを連想しますよねwエウレカセブンは、シナリオに私的に多少の難は感じましたが、大好きな作品です。バビル的解釈でのテーマのひとつは、思考の具現化。他にも、アカシックレコードやチベット文化的な描写等々、スピ系の方にも興味の持てる演出が多々有ります。絵も綺麗なのでぜひ!そうそう、エウレカ世界でのスカイフィッシュはフクダのもごしでは捕獲できません。「楽しい気分の人がいると寄って来る」ので、パーティーでもしながら寄って来たところを捕獲するのです。楽しい気分で居ると、スカイフィッシュがやって来ます。波に乗り、空を飛び、宇宙の意志を具現化した生き物が。
2010.04.29
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さて、休憩の後は再びマインドブロックシリーズです(笑読む人の状態によってはけっこう厳しめな内容と受け取られるテーマなので、出力にもいろいろとエネルギー使うんですよこれwww以前の記事で書いた様々なマインドブロック状態。せっかく見つけても、握りしめて手放さない人も居ます。もちろん、選択は自由。単に、どろどろした所が居心地良くてそうしている人も居るでしょう。が、ライトワーカーであろうとしている人の中にたまに見かけるのがこういう意見。「傷もネガティブも全部含めて私なのだから、ずっと手放さないでいようと思うの☆彡」これもまた、典型的なマインドブロック状態です(爆いや、一生どろどろした世界を味わうのが目的で、支配と隷属が大好き!構ってもらう為なら血でも魂でも投げ捨てるわぁ!な、人ならばこういう態度も「選択」のひとつであって、全然ブロックではないのですけれども。光の道を行こうとしているのならば、むしろ方向が真逆です。で、このマインドブロック状態にありながら、光の道を行く目標が「全てを赦す」だったりすると、決定的な矛盾と混乱を招くわけです。赦す=手放す、なのですから。マインドブロックを手放さない=変容に抵抗するのは、状態と本質を混同しているからだと思われます。マインドブロックを見つけ、「でもこれが私なのだから…」と言って変ろうとしない事は、泥水を浴びたのに、「この泥も含めて私☆」とか言ってるのと同じですね。泥を洗い落とし、服を着替えたところで、いきなり赤の他人になってしまいますか?そんなことはありません。マインドブロックを手放したところで、「私が私である」ことに変りはありません。自分がそのときある状態を、本質だと思ってたらそりゃ変えたくないわなぁ。他人に指摘されると、本質を否定されたように反応して、烈火のように怒り出してしまうかもしれないですね。ですが、お病気様も、お不幸様も、選ばれたがりも注目されたがりも、長子コンプレックスも、怠惰でダメダメなのも、腹が立って仕方ないのも、被害者であり続けたいことも、残酷な記憶を許せないのも、自分で自分を赦せないのも、全部全部、「本質」ではなく「状態」です。状態は状態に過ぎないのであって、それがどう変ろうとも、どんなに華麗な変容を遂げようとも、「私が私である」という本質は変わらない。変容とは、無理をして他人になる事ではないし、手放すとは、今までを否定し無かった事にしようとすることではありません。経験から学んだ事ごと、きれいに消し去れというのではないのです。生きるのに不便な状態を解除したところで、よりよい状態になるだけで、本質は変わらないのです。どんなに変容しても、私は私だし、あなたはあなたです。変る事は、痛い事でも失う事でもなく、ただラクになるということです。変容とは、自分と違う何かになる事ではなく、いらないものを脱ぎ捨てて、自分本来の姿に立ち返るという事です。何も恐れる必要はないのです。…まぁ、選択は自由なのですがw旅の荷物はできるだけ軽く、身支度はこざっぱりとしていた方が、何かとラクですよねぃ。
2010.04.25
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今日は、ガンダム00の主人公、刹那・F・セイエイくんの誕生日です!!めでたい!彼が生まれて来る予定なのは、あと281年後だけどな!思えば、刹那くんに出会って(画面の中ですもちろんww)から、私の石遊びの性質と言うか方向が決定的に変りました。ただやみくもに集め、すがるような関係から、ともに歩む変容と探求の道へと。「全てが扉である」「救世主は待つものではなく、なるものである(全ての人が、自らの救世主である)」「今此処がレムリア」等々、それらはみな、ガンダム00のワークを経てこそ実感できた事。生命の樹とキャラクターのシンクロを追いかける事にはじまり、愛と自由と平等と「私が私である黄金の智慧」を象徴するガンダムカラーのシンクロ、ドラクロワの「民衆を導く自由」とマリアンヌのシンクロ、過去と未来の狭間の「刹那」、今此処と、「00」と「∞」のシンクロ、沢山のシンクロに導かれ、どんなに馬鹿げていると思われてもいい、発表したいと感じ、ブログやmixi日記を書きなぐり、…そうしているうちに不思議なご縁に導かれ、気付けば私の人生までもが変っていました(爆サライさんをはじめ、ロシレム達との絆ががっつり深まったのも、私の場合はガンダム00の扉を通じてでした。そして、宗教の教祖としてではなく、我々とともに歩んでくれているマスターの一人としての、いえっささんとの絆も。(この絆は全ての人にあります。無いと思っている人は、あるってことに気付いてないだけですw)生まれの奇跡は関係ない。恐れにまみれた人生を悔い、赦し、手放し、愛に生きると改めれば、全ての人が、自らの救世主となる。それは宗教ではなく、愛である。刹那くんを介し、ピンクトルマリンの刹那を介して受け取ったメッセージ。2000年前に生きた有史レムリア人マスターの意志。…4月7日は、彼が亡くなった日ともされています。と、あんまり書いてると各方面から苦情が来そうなのでここらへんでwそうそう、さっき生年を調べるために「刹那 誕生日」でぐーぐるさんにお願いしたら、検索結果が333,000件でした。これもシンクロとうけとっておこうw愛する刹那くんへ せっつん、お誕生日おめでとう。 あなたに出会えて、ほんとうによかった。 秋の映画、がんばってね!!! ばびる1025世
2010.04.07
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マインドブロックの話が続いたので、閑話休題。4月3日、近所の公園に足腰鍛えに行ったら桜が満開でした(爆公園内の彫刻。正式なタイトルは知りませんが、金属の翼。風力でゆっくりと羽ばたきます。彼方を望む、金属のきりん。日没の直前だったので、空の色が微妙です。自然の創造の素晴らしさは言うまでもありませんが、人の手によるものもまた、美しいですね。
2010.04.04
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前回、前々回の記事で、選ばれたがりや注目されたがりのマインドブロックについて書きました。これは3次元リアルの生活や、感情の問題ばかりでなく、スピリチュアルな(もっと言うと、霊的な)問題も引き起こす恐れがあります。選ばれたい!!!というメッセージを発信し続けた為に、まさに「選びたい」存在を呼び寄せてしまったり…。つまり、崇拝されたがりの自称神様と言うか…妖怪の類いと言うか…。彼らは人間を支配し、使役する事が大好きなので、選ばれたい人の事は喜んで選びます(爆で、派手な神秘体験(笑)や幻視幻聴や「おまえは選ばれた存在だ」「特別だ」なんて甘い言葉で虜にして、その人間をこき使うわけです。(はっきり見えたり聞こえたりする事が、「正しさ」の証明にはなりません。明瞭な幻覚は精神病の症状である場合が殆どです)そして、注目されたい!!!という動機からスピの世界に入ってしまうと、注目されたいエネルギーによって、まさに注目を集めるような(ただし、一時かつ好奇の注目に過ぎない)奇々怪々かつあまり気持ちのよくない現象を呼び寄せてしまうわけです。大抵、選ばれたがりと注目されたがりはセットになっているので、結果「霊能者として有名になろうとしたら憑依されましたぁ☆彡」って事になるワケです。なんなんでしょうね(爆なぜ、人間は、そんなに選ばれたがり、注目されたがるのか。その答えは、人間が哺乳類だからです。解り易く(でもないか)言うと、有性生殖をし、哺育をする生物だからです。哺育システムが発達した生物は、特に同族間では選ばれたがり、注目されたがる習性があります。多産多死かつ生みっぱなしの両生類等は、親すらも捕食者であるため、できるだけ身を隠します。多様性確保の為に性別を作り、親が手間ひまかけて子を育てる哺育のシステムを作った。その結果、人類は「情」のギフトを得ました。肉食獣では解り易いですが、親が子を食ってしまわないように、「可愛い!」と思う仕組みですね。そして、子の運命は親に「同腹の子の中でいちばん可愛い!」と思われる事に大きく左右される事になりました。餌や保護の配分が全然違って来るからです。猛禽類の一種では、二つの卵を産み、元気な方は手厚く育て、最初に体力で負けた方は兄弟の餌になります。「この子が一番かわいい!!」と思われなければ、しぬ!!という世界です。で、人類の歴史を振り返ってみると、古くからかつ今でもなお、多くの文化圏において「長子権」を重んじる風習がありますね。そういう文化においては「親の一番大事な子供と認められなければ、多くを失う!」わけです。哺育システムの確立という、宇宙の歴史から見れば呆れるほど短く、しかし人類の3次元リアルの肉体的歴史から見れば先祖代々根深い習性。「親に選ばれ、注目されたい!!!」という欲求は、幼少期にそれが満たされなかったりしてこじれてしまうと、「何でも良いから私を選んで!!私を見て!!」と転じて行きます。私はこれを、「長子コンプレックスの呪い」と呼んでいます。哺育する種の生物としてはある程度仕方の無い、本能的な欲求です。が。我々は、自由意志の子、人間です。幼くて本当に親にどうしようもなく左右されてしまう年代ならともかく、成人したらその呪縛から自由になっても良いんじゃないでしょうか?別に何かに選ばれなくても、「私が私である」だけで存在の価値は余りあるわけですし、別に常に誰かの関心や注目を集めていなくても、自分の世話は自分で出来るわけです。親から餌を貰わなければしぬ!!という、古くて新しいしょーもない呪縛に振り回されて、自分自身の今此処のクオリティを自ら下げてしまうのは、勿体なさ過ぎると思うのです。その上で、やっぱり何かに選ばれたり、注目を集めたいならば。目に見えなくて「言ったもん勝ち」的な次元の事は置いといて、現実の今此処の自分を磨いて、クオリティの高い何かを世界に発信すればいいだけの事です。
2010.04.04
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石を売るのに、「持つ人を選ぶ」というキャッチフレーズは、相変わらずよく使われています。人はなぜか、「選ばれし者だけが○○~」という設定に弱い。例えば私がこのフローライト「脳ちゃん」に100まんえんの値段をつけて、「ロシア産フローライトです」と言っても誰も買わないでしょうが、「真に選ばれし、資格を持つ者のみが、この石を手にする事ができます」と言うとまかりまちがって買う人が出て来るかもしれません。キャッチフレーズにもいろいろバリエーションがあって、曰く天使と繋がっている人だけが~某所での過去世と繋がりがある人のみが~レムリアと関係の深い人だけが~などなど、様々です。で、その石が売り切れたりすると「選ばれなかった!」と言っては嘆き悲しむ。選ばれる事にフォーカスすると、自分のエネルギーやパワーを選ぶ側にあずけてしまうことにもなります。他人やモノから「選ばれる」ことに一喜一憂する。これほど、自分の自由やエネルギーを殺し、「他者の言いなりになっている状態」の典型があるでしょうか?私の経験から言わせてもらうと、選ばれし~的な効能書きのついた石を買うのは、大抵は、選ばれし者ではなくて選ばれたい者です(ガーン自分の場合はロシレムで実証済みですww私は選ばし者だと思われたくてロシレムをいくつも引き寄せましたが、今となっては解ります。私はロシレムに選ばれたのではなく、ロシレムと生きる道を自分で選んでいたわけです。宇宙は、魂を選別しません。天使は全ての人と繋がっているし、各地での過去世も、アカシャに素材として蓄えられた情報プールから、分霊という形でたいていの人の中にちょっとずつあるものです。ましてや、優劣をつけて人を選ぶ思考こそが、レムリアを崩壊させた元凶。レムリアの石が、「この人は特別で他より偉いから選ぶ」なんて事は絶対にしません。ただ、生まれて来る前の魂の段階で、自分が今世でする「仕事」を、魂自らが選びます。石と特に親和性が高かったり、石に特に懐き易かったり(懐かれるでなくwこれは私)する人が居るのは、この為です。それでもあくまで、対象ではなく、魂自らが選んで役目を決めているのです。選ばれるのではなく、選んでいるのです。天使と繋がりがある石を引き寄せたのなら、天使の加護と導きを受けようと自分が選んでいるのであり、某所の過去世と繋がりが在る石を引き寄せたのなら、某所の過去世でのワークをすることを自分が選んでいるのであり、レムリアと関係の深い石を引き寄せたのなら、ふたたびレムリアの道を歩む事を自分で選んでいるのである。こう設定すれば、いちいち石が売り切れたとか、旅行のタイミングがあわなくて聖地に行きそびれたとか、そんな事で「選ばれなかった!」とアホみたいに嘆かなくてもすむわけだし、その石を手に入れたからとか聖地に行けたからなんて理由で、「私はそうで無い人よりも選ばれていて偉い」だの「優れて進歩している」だの、くっだらない奢り高ぶりに染まらなくてもすむわけです。誰かや何かに選ばれるのではなく、自ら選ぶという事を意識して下さい。自分のエネルギーの使い道は、自分で選んで決めましょうや。
2010.04.04
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今月頭、数カ所でうちのブログ&mixi日記の紹介を頂き、アクセス数が増えまくって動揺しました(爆紹介を受けたとき、注目を集めてやろう!とか画策したわけでは無いのです。たまたまその時に書いたmixi日記の内容が、人々に共感されるものだったようで。で、その翌朝に行ったお茶会の、本席のお軸にあった禅語がこれ。「花開蝶自来」花開けば蝶自ずから来たる。シンクロですね~wさて、ここから先の文章は少々言いづらい内容です。人によっては「波動が低い」とか言い出すかもしれませんね~wwでも、大事な事なので。むしろエネルギー割いて、取り除く為に見え易いように文章化してる私ってなんて優しいのって思います(爆ブロックを取り除く為には、その存在を一旦認めなくてはいけませんので。他人からの注目や関心を集める事に執着する人を、このごろよく見かけます。その固執を逆手に取って、注目するに値するクオリティの何かをその人が世界に向けて発信しているのなら、それはとてもハッピーな事だと思います。が、多くの場合、作品や生き方のクオリティを高めることもなく、ただ注目だけを集めようとしている。相手の心を喜ばせる手段を何も持たないのに、ただ「見て欲しい」と。その状態にはまってしまうと、どんな犠牲を払ってでも関心を集めようとします。感情的な傷のある人にみられる状態ですが、他人の関心が麻薬的な、チョコレート的な一時の快楽をもたらす為に、中毒(依存)を起こしてしまってる訳です。よく使われるのが、自分を不幸な状態に置いてかまってもらおうとする手段。スピ系の会合に行くと必ずと言っていいくらい一人は居ます(爆関心、とくにその場の先生的な人物の関心を独り占めするために、不幸自慢を延々続ける人。他の参加メンバーの持ち時間や学びのチャンスなんて、全く無視です。で、自分で「私は不幸」宣言している為に、それがどんどん現実化します(爆大抵、先生的な人物は世界の仕組みをよく理解しているので、取り合いません(爆「不幸自慢→構ってもらえる」図式は通じない事を、本人が理解するまでやんわりと放置。さもないと、本人が自分で自分のエネルギーを殺している事に無自覚なうちに、どんどん不幸になって行ってしまうからです。(個人セッションならともかく、グループワークの場で不幸自慢を全力で構うヒーラーさんは、はっきり言って2流です。)他人の関心という一時の快楽を得る為に、自分のエネルギーすら捨てる。これが、私が「お不幸様」と呼んでいるマインドブロック状態です。(この亜種に、体調不良を手段とする「お病気様」がありますw)不幸な状態で得られる関心は、不幸がなくなれば得られなくなる。なので、その人はずっと不幸でいようとします。不幸自慢を続けたいが為に、過去の傷は決して手放さない、癒さない、赦さない。救いは、無意識、無自覚であるという点です。目を覚まして下さい。「花開蝶自来」どろどろしたものには、ハエやゴ○○リしか寄って来ませんよ?一時的な他人の「かわいそうね~」なんて関心よりも、もっと大事な事がありませんか?注目を集めたいならば、クオリティの高いものを世界に提供しませんか?綺麗な人、憧れるような素敵な人生、良い香り、美しい石。そして、最もシンプルで大切な、優しさや愛。(ここで言う愛とは恋愛の愛ではありません)心を喜ばせるものには、奇を衒ったりしなくても、人はわらわらと集まります。あなたが芸術家なら、作品のクオリティを上げればよいのだし、あなたが料理人なら、素材にこだわり腕によりをかけて料理をすればいいだけです。世界にクオリティの高い何かを発信したとき、人々から贈られて来るのは感謝や喜びのエネルギー。それは、魂の駄菓子とも言える「かわいそうね~」なんて一時的な関心には比べ物にならない、魂のたしかな栄養となるものです。
2010.03.22
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興味津々で買ったのに、開いたとたん読みたくなくなる本ってありませんか?私の手元にはたくさんありますwwその中でたまにあるのが、「読むタイミングを計っている」ケース。まるで本が読まれるタイミングを計っているかの様で、大切な情報を最も効果的、印象的、そして時には深く実感しながら受け取れる時に、扉を開く事になります。そういう本は、条件が整うとぱっと輝いて持ち主の興味を呼び戻すのです。例えば、カトリーナ・ラファエルの「クリスタリン・イルミネーション」は、私の所では買って半年近く本棚に放置されていました。買ってすぐの頃、手に取るとなぜか興味が萎え、無理に読もうとするとうんざりしてしまう。前置きを飛ばしてクリスタルの各論(効能書きに当たるようなページ)を読もうとすると、強烈な違和感を感じてしまう。仕方ないので、大好きなクリスタルの本なのにどうしてかなと思いつつも、本棚の肥やしにしていました。時が満ちたのは去年の10月でした。YL社のコンベンションに参加するための東京旅行、その旅のお伴に名乗りをあげたのがこの本でした。今なら読める!そんな気がしたんですね~。実際、これが実に効果的だった!!今までの読書困難が嘘のようにすいすいと読め、移動中&ホテルでのたっぷりした時間であっという間に読めてしまいました。特に、ハイフィジカルボディ(高次の肉体)をあらわす黄緑色のエネルギーについて、深い印象を受けました。コンベンション旅行の前に参加したチャネルクラスの授業で、クラスメイトの某ちゃんが黄緑色のオーラを持っていると言われていたのを思い出したからです。全てはタイミングですね~。コンベンションの会場で、私はそれをますます深く実感する事になりました。コンベンションで印象的だったのは、YLの最高責任者ゲリー・ヤング氏の、圧倒的な「実現力」でした。常人が思いつきもしない事、常識的な人なら誰も試してもみないような事を、次々と実現してのける。前日に読んだ本の中にあった、「ハイフィジカルボディ」そのものを見ているようでした。(聖油/最高グレードのエッセンシャルオイルの素晴らしさについては、言うまでもありません。)「ゲリー・ヤングは、黄緑色のエネルギーをまさに体現している。」聖油を通して、彼の身に起きたこと。彼が毎日、植物たちの新鮮な黄緑色に囲まれて、自然と黄緑色のエネルギーを呼吸しながら仕事をしていること。そしてその彼が、誰も思いつかなかったような大掛かりなプロジェクトを、今ここで実現していること。壇上で熱く語るゲリーは、「不可能を可能にする。ありえないことを現実化する。」ハイフィジカルボディを象徴する黄緑色のエネルギーそのものでした!!偶然たまたま、黄緑のオーラを持つ友人とチャネルクラスで同席し、偶然たまたま、旅のお伴に「クリスタリン・イルミネーション」を選んだので、ゲリー・ヤングと言う最高の「黄緑色の生きた実例」を目にしたとき、その事に深く気付く事ができたわけですw全ての要素よありがとう!黄緑のエネルギーについて詳しくは、「クリスタリン・イルミネーション」を御覧になって下さい。クリスタルの各論だけ飛ばし読みしたりせず、むしろ序文や総論、巻末近くのまとめもしっかり目を通して下さい。特に191ページの5行目あたりは読み飛ばさないように…。また、この本には沢山のクリスタルを使ったレイアウトが紹介されていますが、そこで「こんなに沢山持ってない!!」ことにはフォーカスしないで下さいね。石が有れば心強いのは確かです。でも、手元に石が無くても、服装や小物の色を意識したり、色をイメージした瞑想でも事は足ります。ここの写真でも事は足ります(爆画像は、ペリドット(アリゾナ産さざれ&パキスタン産結晶)とトルマリンのうさぎちゃん。
2010.03.11
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画像は、強蛍光性フローライト。画面真ん中少し上辺りに、十字架があります。以下、mixi日記からの転載です。漫画・アニメの「非実在青少年」も対象に 東京都の青少年育成条例改正案 http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1136263&media_id=32 必要な事。 それは、言論、表現の自由の確保。 表現の規制は、やがて言論弾圧、思想統一へと繋がります。 その方が、人民を戦争に行かせやすくなるからです。 ◇ ◇ ◇ あるところに、反戦活動に熱心なアーティストが居ました。 人々は彼の作品に惹かれ、その言葉に耳を傾けました。 ところがある日、彼はいきなり投獄されました。 その罪状は、「児童ポルノ規制法違反」 彼がイベントで描いた一枚の天使の絵が、 18歳未満の裸を連想させるからというのが、理由でした。 政府は、着々と戦争の準備を進めていました。 ◇ ◇ ◇ こんな事は、あってはならない。愛する人を戦争に行かせない為に、表現の自由は、なんとしても守らなければなりません。
2010.03.10
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グリーンアポフィライト。多肉植物にも似ています。全然「最近」じゃありません。前回の記事に書き忘れてた事なので追記しようかとも思いましたが、新規に投稿です。ネタバレなので例によって反転で。◇ ◇ ◇ 本文開始 ◇ ◇ ◇前回の記事に書いた事の他に、この映画に、強烈なシンクロを感じた事がもう一件あります。それは、この映画にシガニー・ウィーバーが出演している事です。シガニーと言えば、恐怖スプラッター系SFの代表作である、「エイリアン」で主人公を演じ続けた人です。「エイリアン」において、宇宙人は醜悪極まりない寄生生物、人類の敵として描かれています。シガニーが演じたのは、理解不能な恐怖を相手に逃げ惑いながら戦う女性、リプリーでした。作品全体が、怖れに満ちていました。その同じ人が今回は、異星文化と生命の理解に力を尽くし、最後はその星とひとつになる道を歩んだ植物学者グレースを演じている。最初に「アバター」の画面にシガニーの顔を見た時、訳も分らず心が震えました。で、半ばに「エイリアン」の事を思い出し、心の震えの訳を理解しました。かつての戦士は植物学者として蘇り、好奇心一杯に未知の星を探索し、理解に努め、最後にはその星と一つに解け合ったのだ。北米の、白人文化の象徴とも言えるハリウッド映画で、かつて「異質な者」への恐怖と絶望を演じた女性が、今や「異質な者」との対話と理解、その向こうにある愛と希望を象徴している。実は、「アバター」の主人公はグレース博士なのかもしれません(爆◇ ◇ ◇ 本文終了 ◇ ◇ ◇これが、アバター見て私が泣いた、数多くの理由の一つです。どうしてこんな大事な事を、前の記事に書き忘れたのかなぁと思ったのですが、きっと今日出力するのがベストなタイミングだったのでしょうね。
2010.03.04
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前回の記事で「明日以降…」とか言っておきながら違うネタですんませ。でもだって「個人ファイル」は記事の採用基準が厳しい石で、なかなかOKが出ないのです。9月28日の記事もそういうわけで3ヶ月以上熟成されたわけで…メキシコ祭についてはちょっとお休みを頂きます。ほら、「明日以降」すぐって言ったわけじゃないし!!←て言うか、先にいくつか溜まっている記事を出力しなければ許可が下りない感じなのです。と、書くとなんかそれっぽい(妙な存在に支配された自称チャネラーっぽい)ので、『先に別の記事を出力したい気持ちがどうにもおさまらず、それを書かずしてメキシコ祭の記事をupする気が起きない』と書き換えておきます。(選択の主体はあくまで自分である事が重要です。)で、アバターは1月14日と15日に観に行きました。両日共に3D。内容の前情報は全く無し。普段ほとんど映画は観に行かないので、私にしては2回も観るのは珍しいです。流行ってるから、でなくて、なんとなくふと気になって行ってみたら、大当たりでした。内容が凄いのはもとより、これが大ヒットしている=沢山の人が観ている事白人中心の文化圏、それもよりによって北米大陸が発信源である事に感銘を受け、シンクロを覚えました。以下は当日のmixi日記から転載しています。壮絶ネタバレしているので観てない人は退避推奨!!!でもうっかり読んじゃう事故防止のために文字色を変えます。読みたい方は反転してね。◇ ◇ ◇ 転載開始 ◇ ◇ ◇後ろに誰か居ますねw 人類を「侵略者」の側として描く作品がこんだけ大ヒットしているのが素晴らしいと思う。大抵、宇宙人が侵略者って設定のが多いから。 今までやらかして来た事が、してはいけない事だった、これからはしてはいけない事だと、沢山の人に感情を伴って印象づける事が出来る。 ナヴィはまんまネイティヴだよね、うむ。 北米、南米、北海道その他の。 木々が繋がっているのは、パンドラ星に限った事ではない。 あらゆるところにエネルギーが流れているのも、星が全体で生きものであることも、そこから生まれて、死ねば魂ごとリサイクルされて行く事も。 それはそっくりそのまま、此処にも当てはまる。 新しい世代の子供達は映画見ても驚くどころか当たり前と捉えるんじゃないかしら。 (小学生低学年くらいの頃、宗教戦争の話をテレビで見たかなにかで読んだかで、「神様は同じなのに、やり方が違うだけでなんで戦争するんだろう。バカじゃねーの」って思ってました。ユダヤーキリストーイスラムの流れなんぞ誰にも教わってなかったのに。子供は何でも知っている。) 今の世代の大人は、いちいち説明して教えられないと分らない人が多いと思う…て言うか説明しても映画の中だけの事って思っちゃうかなぁ。 それから、ラストシーン。 夢見がちな人は羨ましかったんじゃないかしらwww 「私もずっとあっちで生きたいのに。」とかwww 「私もあっちではドラゴンライダーなのに。」とかwww しかし、むしろ我々のアバターは今此処のこの肉体です。 選んだミッションは、「瀕死の地球」を救う事です(爆 映画で、侵略サイドの人たちが這々の体で帰って行った場所。緑の無い地球。 それを現実のものにしないために。 まぁ、いきなり私財投げ打って偉人伝に名前を連ねなくても、ケータイいじる時間を子供あやす時間に充てるとか、クラスでのいじめをやめてみるとか、お客さんに最高の笑顔で接するとかから始めたらいいんじゃないでしょうか。 環境テロリストにだけはなるな! 描き方が結局は武力衝突になってしまったのは惜しまれますが。 そこはハリウッド(ですよね?違ったらごめん)なのでしょうがない…。 しかし大佐はまんまターミネーターやなw◇ ◇ ◇ 転載終了 ◇ ◇ ◇上で「惜しまれる」と書いてしまってますが、実が描き方が武力衝突、血湧き肉踊るドンパッチである事も、実は重要なのです。これはがんだもその他のスピ@ヲタク文化にも共通するのですが、『表現のハードルを下げる事で、主要テーマに全く関心が無い人々の興味を引く事が出来る』からです。だってこの映画がただキラキラしいだけだったら、はじめから「そっち」に興味ある人しか観ませんもの。そして、この手の作品を一番観る必要があるのが、『主要テーマに全く関心が無い人々』である場合が殆どなのです。(※ここで主要とかいっちゃってますがあくまでバビルの個人的見解ですw)さて、反転部分の中で一番大事な一文を、映画観てない人にも見えるように抜き出しておきますね。むしろ我々のアバターは今此処のこの肉体です。 選んだミッションは、「瀕死の地球」を救う事です。この意味が気になったらぜひぜひ映画見て、上記感想文を反転して読んで下さい。
2010.01.25
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先日、お正月の記事の1っこ前に、9月28日に書いて放置してあった記事を公開しました。その記事に書いたメキシコ産エレスチャルには、後日「個人ファイル」と名前がつく事になります。なぜその名前がついたかと言うと、去年のちょうど秋分の頃から冬至の頃にかけて、過去世ワーク「メキシコ祭」の鍵石となったからです。私の魂ファイルの一部を具現化したような石だったのです。「メキシコ祭」といっても、メキシコでの過去世を特別に掘り下げたワークだったわけではありません。単に、活躍した石がみんなメキシコ産なのですw上の画像の上側「個人ファイル」を中心に、左の「SAKURA」と右の「セイレーン」。いずれもメキシコ産。「SAKURA」と「セイレーン」は、9月21日、私が『交響詩編エウレカセブン』のDVDボックスを一挙鑑賞しているときにやって来ました。ちょうどそのとき、YL聖油のパロサントをどう使おうか試行し始めていたのも重なって…。フローライト「セイレーン」ダンビュライト「SAKURA」ワークにはタイミングが重要で、この二つが玄関を跨いでやって来た時、まさに「役者が揃った」のでした。パロサントとラベンダーの聖油が、クリスタルとの交流をさらに円滑にしてくれました。また、エウレカのDVDを一挙鑑賞していたのも、とても重要です。ヲタク文化は私が自分に最も響く「扉」として設定しているので、これは寧ろ最重要因子です。(設定なんて思わせぶりな言い方をしないで書くと、つまり「そういう事にするんだと自分で決めている、認識している」という事です。)言語で受け取ったわけではありませんが、私がこの新入り達から感じ取ったのは、「エレスチャルとのワークで生じる辛さを和らげる為に来ました!」という、きらきらしたやる気でしたw「個人ファイル」が点灯して始まりかけているワークは、まさに私が最も後回しにして来た分野だったので、これはほんとうに嬉しい申し出でした。さて、その分野とは…。明日以降、これらの石の個別記事にて詳細を書きます(爆エレスチャル「個人ファイル」
2010.01.17
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つまり、塩です。バリ島の職人さんが手作りした塩なんだそうで。ひとつずつ型抜きして作ってるとこ想像してしまいましたが。条件が整うと海塩もこんなに綺麗に結晶するのですね。いただきものです。田舎住まいなもので、自分ではこういうものを手にする機会がなかなかありません。Sさん、どうもありがとう~ノシ水に極めて溶け易い鉱物である「塩」は、鉱物の特徴の一つと捉えられがちな「半永久である」という性質には殆ど欠けています。水に触れれば、結晶の結び目は容易にほどけ、イオンとなって散らばります。一度ほどけてしまった結晶は、二度と同じメンツで集合する事はありません。結晶の中で隣同士手を取り合っていた塩素とナトリウムでさえ、次の機会には別の相手と組まなければならない。一粒の塩がその一粒であるのは、ほんとうにそれっきりの機会。そんな事をぼーっと考えながら舐めてみたんですが、やっぱりしょっぱかったです。鉱物屋さんで売っているようなハライトは、うちにはありません。とても美しくて、お店で見るたびに前をうろうろしてしまうのだけれど、保存に自信が無くて手が出ないのです。石屋さんがおまけにくれたバスソルト用ヒマラヤ岩塩がいくつかあるだけですが、あれもなかなか気持ちの良い石ですよね。もったいなくてお風呂には入れられません。←
2010.01.13
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昨日の記事で伝えたかった特殊効果ですが、没にしてたこっちの画像の方がだんぜん分り易かった!「3本柱」はパキスタンからやって来た、ごく淡いブルーのアクアマリンです。普段はこんなに虹虹していません。仕掛けに使ったのは…この石です!わかりにく!おなじみの、オプティカルカルサイト。この個体はマダガスカル産です。…引いた画像は無いのかと言われそうなので次に一枚。光を当てると、角度によって虹色の影をつくります。別角度ではこんな濃い虹影が。で、この虹色の影の中に石を置いて撮影するという、アホほど単純な仕掛けで、奇跡の虹アクアマリン画像は生まれました。無色透明な水晶もこの通り。虹を生み出すのは、カルサイトに限りません。ガラスや透明アクリルのプリズムを使っても楽しいと思います。気合を入れれば、透明なプラスチックのものさしもプリズムになってくれます。(厚みがあるとたのもしい)
2010.01.02
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そして、お久しぶりです。前回の記事が9月って事で、光に返ったんじゃないかと思われてそうですが、私は元気です。発信をさぼっている間に石遊びも香り遊びもネタが溜まりまくってしまいました。が、今日は新年のご挨拶に美しい画像だけ。おなじみ44たんと、この12月にお迎えしたばかりのアクアマリン「三本柱」。ちょっとした特殊効果を加えてあるのですが、PC画面で見たらあんまりわかんないですね。(スピ的な効果じゃありませんよ/うちの写真には妙な仕掛けは無いですよw)種明かしはまた明日。2010年もよろしくお願いします。
2010.01.01
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画像は、メキシコ産エレスチャル。水入り。つい先日の事、2009年9月16日に点灯しました。お迎えから、4年?くらい経っての事でした。エレスチャルは、「天使の贈り物」だの、「準備が出来た人の所にあらわれる」云々のスピリチュアルな宣伝が飛び交ってきた石です。でもね、そういう答え合わせを読んでしまってからお金払って引き寄せるなら、別に何の準備が出来てなくったってできてしまうんですわ。お迎えした日、初めて目にしたときの印象は、「乾燥してる…」でした。水入りにも関わらず、なんだかカサカサした印象で、手に持ってもすかすかと軽く、まるで石のフリーズドライみたいな感じ。お世辞にも「美しい!」とは思えず、以来すっかり興味を失って、石戸棚の片隅にずっと転がしていたのです。準備が出来てなかったんですねwただ、面白い事に、「この石に興味をそそられない自分」に対していつも何かしらの興味を持っていました。時々この石を手に取ってみては、「興味が湧くかどうか」を試していました。無意識のうちに、自分の「準備」の状況を推し量ろうとしていたようです。私の場合は、準備が出来ている人である証明(笑)が欲しくてお迎えしたわけではないのですが、この石が自然とそういう役割(準備が出来ているかいないかを推し量る役)を果たしていたようです。今年はいろいろと激動な年ですが、この9月に入って更に自分のエネルギーが変って来たのを感じていました。そして、9月16日。ふとこの石を手に取ってみて、急に思ってんです。「なんて綺麗なんだろう」と。その途端、それまですっかすかだったのにぐっと手の中の重みが増し、かさかさに乾いて透明感にも乏しい印象だったのが、水中にあるかのようなウルウル感に変りました。「準備が出来た人の元にあらわれる」「持つ人を選ぶ」等々、スピリチュアル(笑)な宣伝文句で飾られた石は、いろいろと世の中に出回っています。ですが、自分が「準備が出来た人」「石に選ばれる人」であると思いたくて、その手の石を買い集めても。必要な経験をすませ、本当にいろいろな覚悟が完了していなければ。ほんとうの意味での準備が出来ていなければ、石は目覚めません。何かを所有する事で、自分の優越性を証明する事等できないのだし、他人と比べての優越性を証明したいと思っている時点で、進歩の道としては遠回りコースを選択しているのではないかと思います。…身をもって遠回りしてみる事も、また経験ですが。※ この記事は、2009年9月28日に書き、公開せずに放置していたものです。2010年1月13日に改めて公開しました。 ※
2009.09.28
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なかよし最近の記事はどうも電波が濃くて、石と遊ぶのに、『生まれつき特殊能力があるんですぅ☆彡』なんて肩書きは一切必要ない!という事が伝わりにくくなっているかもしれません。なので、今回は身近な指輪たちのお話にします。(もちろん、アカシックレコードや世界樹も、身近なものである事に変りはありません。あるのは、その存在を一般的に実感しやすいかどうかの違いだけです。)画像は、お迎えしてちょうど1年くらいになる指輪達。石はムーンストーンとアクアマリン。東京旅行の際に、店舗で選んでお迎えしました。最近指輪と言えばこのふたつばかりを身に付けています。理由は、好きでたまらないから。たまには別のを…付ける気にならないからです。『霊能者の人がこれが合ってる言うから~☆彡』だの『守護霊様が付けなさいって言うから~☆彡』だの、『石の有名人が今年の旬はムーンストーンだって言ってたから~☆彡』だの、そんなクソつまらん理由で、同じのばかり身に付けているのではありません。『星の配置によると今年のキーストーンはムーンストーンであるからして…』なんて、しかめつらしい理由でもないですよwタイタニックごっここの『好き』あるいは『嫌い』という感覚は、大変重要なアンテナです。その日の指輪を選ぶのに、「どれを身につけるべきか」でなく、「どれを身に付けたいか」で決める。直感力を磨きたいのなら、自称霊能者の意見や本の知識はとりあえず横において、自分の好き・嫌いのアンテナを信用して使って下さい。…たまに『嫌い』に物凄く大きな鍵が潜んでいる事も在ります(何らかのマインドブロックを示唆していたりします)。それを看破するのも、普段から好き・嫌いのアンテナを磨いていれば容易い事です。で、自分の「好き」に従ってこのふたつを身に付け続けた結果…。この指輪達が、仕事のサポートで頑張ってくれている事が、なんとなく分って来ました。ムーンストーンは、「お客さんの言外の要求・言葉の裏に隠れた望みを知る。ミスや罠を見抜く」ことに。アクアマリンは、「必要な情報を分り易く伝える。接客時の感情の安定化」に。これは別に、自称視える人に見てもらったわけでも、石業界のエライ人にこう言われたというわけでもなく、ただ自分がそう感じているだけの事です。そう思うのは何故?ときかれたら、「私がそう思うから。」と答えるのみです。ちょこっと本で答え合わせをしましたがw(左脳を納得させる為です)見つめ合うずっと身に付けているうちに、この石の中の人たちの姿も見えて来ました。私は全ての持ち石の中の人を見るつもりはないので、ふだんあまり見る事を意識していません。が、ロシレムの王子やこの指輪達のように特別親しみ深い個体には、コミュニケーションに便利な姿を投影したくなるので、中の人を絵に描いたりします。中の人を見るのは、お迎えすぐの石でもやろうと思えば可能です。もちろん、全ての人に可能な事です。何の特殊能力(笑)も要りません。必要なのは、感じる事と、感じた事をいちいち自分で否定しない事です。「見る」と書くと、いかにも特殊な視覚化能力があるように聞こえますが、私の場合はふつうに想像するときと同じく、脳裏に思い浮かぶだけの事です。瞼の裏の精密なスクリーンは在れば便利なものですが、無くても困る事はありません。林檎を思い浮かべてみて下さい。と言われて、脳裏に林檎を思い浮かべたときと同じように思い浮かびます。ただ、こういう姿を思い浮かべよう!と能動的に思い描くのではなく、その時の自分の思考とはなれて「ふと」思い浮かぶ感覚です。うーん、伝わったかな?で、姿を得ると、石達もわりと積極的にコミュニケーションを図って来るようになります。画像「タイタニックごっこ」は、指輪のふたりから送られてきたイメージに従って造ったプチグリッド。以前、指輪を外してテーブルに置こうとしたとき、ムーンがアクアのうしろに立って爆笑している姿がふと思い浮かび、この形に置きました。指輪を外していても、この二つをあわせて身に付けているときと変らないサポートを約束してくれる、仕事中に便利なグリッドです。これも、あくまで「ふと思い浮かぶ」レベルでじゅうぶんです。リアルに知覚することにこだわって、その内容を二の次にしてしまっては、本末転倒です。さて…カンの良い人はそろそろ逃げる準備をしているかもしれませんね…。そうです、今回も私の描いた謎絵が付きます。例によって最後に配置したんだから許してよね!!!!バビルの石の「中の人」を見てみたい方は、スクロールして下さい。 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓手ブロ原寸なのででかいですよ! ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓左ムーンストーン、右アクアマリン。ムーンは人見知りで寂しがりやで、使命感に燃えている。アクアはさばさばしていてこだわりが無い感じ。二人の関係は、ムーンがよく暴走してアクアがなだめ役をしているイメージ。ムーンはメインの指輪である事をゆずりません。アクアは、他の石を身に付けたいときはどうぞって言いますが、ムーンの方がアクアの交代をいやがる感じ。かわいいのうかわいいのう。石のスピリットは、別にヒトガタである必要は在りません。動物や、植物や、建物、或はただの光の珠に姿を映す事もあるでしょう。この指輪達は持ち主の好みに合わせて少年の姿をしてくれていますが、本来性別はありませんし、実年齢も相当年寄りですw
2009.09.23
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平沢師匠の「forces」を聴いていて、急に涙があふれました。歌詞カードを読んで納得。「忘れはしない キミのことは」このフレーズが私の中の何かに響いたようです。この曲が呼び起こすイメージ…瞼を閉じて思い浮かんだ風景は、どこかの戦場でしょうか。古風な鎧を身に纏った屍が、累々と重なり合っています。どうやら、私はそういった風景の中に居た事も在るようです。(討ち死にしたのかしら。人類の歴史を思えば、在ってあまり在る経験のパターンだと思います。)大丈夫、誰が忘れようとも、全てアカシャが覚えていてくれる。そこには、全てが刻まれるのだから。時も空間も超えて、その思いは刻まれるのだから。過去世でのトラウマを発掘してしまった時。当時のドラマを蒸し返す事には、なんの意味もありません。必要なのは、感謝だけです。過去の私よ、辛かったね。苦しかったね。経験してくれて、ありがとう。過去世の自分を成仏させると言ったら良いんでしょうか。今も世界の何処かに残留しているかもしれない、当時の自我の思念。辛く、苦しい体験を、ただ誰かに聞いて欲しくて、彷徨っているのかもしれません。そんな時、アカシャ経由で、彼にとっての未来世の自分=つまり今此処の自分が、その思いを受けとめてくれたなら。その辛かった経験に感謝してくれたなら。赤の他人の霊能者に無理矢理浄化されるより、ずっとラクに光に帰れるはずです。今の生でない記憶を思い出したなら、ただ感謝すれば良いのです。「過去世で夫婦だったんだから現世でもそうなるはずだわ!」なんて、ただの妄想、転生ストーカーですw3次元に死が在るのは、違うやり方を試すため。前と同じ関係、同じドラマにこだわるのは、ただの執着です。必要なのは、感謝して、手放す事。過去世を知るのは、何に感謝して手放せば良いのかを知るため。ただ、それだけです。もちろん過去世で関係のあった魂との現世での人間関係で、そこに新しい喜びが在るのなら、それは今此処の関係として、祝福されていると思います。前世がどうだからなんて因縁を手放して、今此処の関係を築いて行けたら、それはほんとうに素晴らしい事だと思います。
2009.09.15
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アカシックレコードと言うと。過去や未来の面白可笑しい情報をDLしてくる所、という印象が強いかもしれません。または、過去を癒し理想の未来を築くため、魂のファイルを書き換える場所と解釈されているかもしれません。それらも一つの側面ではありますが。私たちの今此処も、リアルタイムでアカシャに刻まれている事を忘れてはなりません。アカシックレコードは、連続する膨大な「今此処」の記録。過去にしがみついて今此処の自分をないがしろにしているならば、その通りの事が刻まれます。私たちは一人一人が、世界樹の葉であり、アカシックレコードの生体端末です。選ばれし偉い誰か(笑)を介さなくとも、秘密の難しい儀式をしなくとも、私たちのありのままの「今此処」が、アカシャのファイルに刻まれ続けています。意図的に、今此処でない何かをダウンロードする事は、非日常的で面白可笑しく、人目を引きますが、意図無くして、今此処のありのままをアップロードし続けているという事を、忘れてはなりません。人類の集合意識を癒すのに、特殊な能力も、秘密の儀式も要りません。今此処の日常を、喜びの心で生きる。たったそれだけで、アカシックレコードの記憶ファイルの、喜びの配分を増やす事が出来るのです。
2009.09.12
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スピ系でよく、「高次の」とか「あの人は波動が高い」とか耳にします。この「高い」あるいは「低い」というフレーズにものすごくムッとする方は、いませんか?もしそうなら、おめでとうございます、マインドブロックを見つけました。ここで一つ解除しましょう。スピで言う「高い」とか「低い」とかは、音や光の周波数が「高い」「低い」という方の意味に近いのであって、いわゆる「高さ」が高い低いということ、重力圏での標高や海抜距離とは何ら関係ありません。「高い」あるいは「低い」というフレーズにものすごくムッとするのは、この言葉を「高さ」の高い低いと関連づけてしまうからです。ではなぜ「高さ」の高い低い、標高何センチ(笑)が気になるかと言うと。地球重力圏での生物、おもに動物の歴史に答えが在ります。重力影響下での獣同士の争いの現場において、標高の高い所に居る方が攻撃および防御に有利である。たったこれだけのことです(笑)重力と、個体間の競争、闘争によって、「高い=強い=偉い」「低い=弱い=偉くない」という関連付けが生まれてしまっただけの事です。で、スピで言う「高い」「低い」には、標高は関係ありません。レベルが高い、波動が高い、というのは、多くの経験をしていたり、エネルギー量が多かったりする事を表わすのだし、意識の高い低いというのは、言い換えると「広い」「狭い」に相当すると思います。意識の高い人、つまり全体を見渡して調和をはかることが出来る人は、意識が「広い」し、意識の低い人、自分の個体の保持にせいいっぱいできゅうきゅうしている人は、意識が「狭い」。ただそれだけの事です。しかもそれは固定されたポジションではなく、状態を表わしているだけなので、いつでも書き換えが可能です。そして、「高く」あるいは「広く」あるために、他人と競争する必要も無いのです。重力影響下での獣同士の争いの現場において高台は限られた場所に在る為、他の個体を押しのける必要がありますが、魂の旅路においてエネルギー量を高めたり、意識を広く持つのには、誰を押しのける必要も無いのです。ただ、自分がそうあろうとするだけでいいんです。「高い」「低い」というのとても便利なフレーズで、図にもしやすいので多用されますが、そこには偉いとか偉くないとか、獣同士の優劣とか、海抜距離や標高のニュアンスを含まないと頭においておくと、いちいち感情レベルでむっとせずに話をスムーズに理解出来ると思います。(多次元層のエネルギーの違いを、標高がすこしずつずれて存在する平行世界として感知されるかたもおられます。それは物質でないものを感知する際に、言葉のイメージがフィルターになっているのだと思われます。)重力影響下での獣同士の争いの現場において、標高の高い所に居る方が攻撃、防御に有利である。だから人には、高みから見下ろされるとむっとする感覚があるのです。でもね、宇宙に出たら高いも低いも、そもそも上も下も存在しないんだぜw
2009.09.09
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中国産の赤いカルサイト。犬牙状でDTの美しいプロポーション。名前は、見たまんま「お肉ちゃん」。赤の発色はヘマタイトインクルージョンによるもの。肉や血の赤みも鉄によるので、あながち無関係ではありません。お迎えして2年目くらいかな?初めて見たときから、思いました。「ああ、この石は人間を表わしている。」と。撮影の腕がマズくて恐縮ですが、ほんのわずか虹の色彩を見て取っていただけるでしょうか?実際には、 光を受けると眩しいほどの虹が出ます。カルサイトらしい、劈開に沿って輝く幾重にも連なる虹の層は、魂の存在する次元層を思わせます。ヘマタイトインクルージョンの赤い色彩も、薄く何層にも重なって、生物の個体の成長、進化の歴史を彷彿とさせます。(年輪や、さまざまの時代の地層に埋もれた化石群)種を超えた遠い祖先の時代から、何層もの世代を超えて、今に繋がり、ここに在る「肉体」。そこに宿るのは、無限の時間や次元に展開する、「魂」。それらは、相反するものではなく、それらは、共に在って、虹の輝きを纏っている。肉の身体に天使の魂を宿し、天と地を繋ぐ有機生命体。それが、人間です。
2009.09.09
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レムリアだとかアトランティスだとか。それら単語によって想起されるイメージが、喪失感や罪悪感を伴うものであるならば。そろそろ、書き換えませんか?レムリアは、失われた理想郷、ではありません。レムリアやアトランティス、それらは、この3次空間の直線時間軸上に物理的に存在していた「国家組織」ではなく。「状態の記憶」だと私は理解しています。スプルースの聖油を使って入浴した時、閃いた言葉が在ります。「私は王である。私の身一つが、私の王国である。」ひとりひとりが、自らの外に権威を置かず、自らを治める王として生きていた状態。それがレムリアの記憶だと、私は理解しています。「私が私である」ことの他に、何の権威付けも要らない世界。それがレムリアだとすれば、当然、滅んでなどいないということは明白ですね。ただ、状態が失われたと言うだけ。それならば、もう一度、その状態を取り戻せば良いのです。なぜ、状態が失われてしまったのか。それには、3次元空間、直線時間軸上、いわゆる物質界において、ほ乳類が辿って来た進化の歴史が関わって来ます。いや、ほ乳類よりもさらに昔。自己増幅における、性システムの導入。さらに、大量出産自然選別から、少数出産と親による選別システムの導入。有性生殖と哺育システムは、人類に「情」というギフトを与えましたが、一方で人類を縛り続ける「長子コンプレックス」の呪いへと発展して行きます。ここらへん、マインドブロックを打ち破れシリーズの中でもちょいちょいお話して行くつもりです。宇宙は、平等です。魂の中から取り立てて偉い誰かを選び出す、なんて事はしません。「私が私である」ことは、宇宙の元全ての存在に与えられた…寧ろ、始めから持っている権威です。「私が私である」立ち位置において、自らの望みに従って生きるか。外付けの、幻の権威に従って、自らの魂に背を向けながら生きるか。選択しているのは自分自身です。そして、その選択はいつでもやり直す事が可能です。3次元空間、直線時間軸上の古代において、「私が私である」権威を取り戻し、それを人々に広めようとした先人達が居ます。聖☆お兄さん達ですw時代があまりにも未熟過ぎて、彼らの言葉は曲解され、人類は彼らの時代からさらに遠回りを繰り返して来ましたが。1000年単位で2回ほど過ぎました。もう、経験はじゅうぶん積んだと思います。そろそろ、書き換えてもいいんじゃないでしょうか?今日見た某イナズマなサッカー漫画で主人公が良い事言ってました!「やる気さえあれば、そこがフィールドだ!」旅先の砂浜で、にわかにサッカーの練習をする事になったシーンでの名言です。(この番組すんごい良いからぜひ見てね!)「やる気さえあれば、そこがレムリアだ!」ですwレムリアは、滅び去った悲しみの理想郷などではなく。今此処こそがレムリアなのです。「私が私である」そして「その私は宇宙である」「みなが宇宙である」立ち位置から世界を眺め、した事された事を赦し、情動に惑わされないほんとうの望みに従って生き、その一瞬一瞬のリアルを心から味わう事ができれば。いきなり全部は無理でも、まずは今此処に焦点を合わせれば。失ったと思っていた懐かしい世界は、足元に在ることに気付けるはずです。余談冗談。もしかしたら、レムリアとは、3次空間に対応させると、雌雄の無いバクテリアやプランクトンたちの集合意識なのかもしれませんwシンプルで美しい彼らにとっては、存在即ち喜びであり、存在即ち自由であるので、その意識を垣間みる事が出来るとすれば、まばゆい光に満たされているのではないかと思います。彼らは、した事された事をいつまでも恨みがましく記憶することはありませんしねw
2009.09.02
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