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羽黒山神社は、元々は寺だった。その証拠に神社の境内に大きな鐘がある。東大寺の鐘につぐ大きさだそうだ。明治維新の廃仏毀釈で、神社になったのだ。そして現在でも羽黒修験道の聖地である。そう、あの山伏の聖地だ。三神合祭殿は、月山、湯殿山が冬の間、積雪のため参拝できないので、三神を祀るうようになったという。国宝の五重塔は、東北最古の塔である(920年代創建)この羽黒山神社では、一般の人に山伏修行体験も行なっている。私の祖母の実家は、現在、福島県の天台宗の寺であるが、元々は、修験道の寺である。本山は京都の聖護院である。聖護院大根でも有名な聖護院は、修験宗総本山なのである。私の先祖は、平安時代の桓武天皇の御世、坂上田村麻呂の蝦夷征伐の折、同行した8人の法印(高僧)の一人だという。ということは、私にも修験道の血が流れているのか・・・?若い頃から神社仏閣巡りが好きなのは、そのせいなのかもしれない。話を戻すが、羽黒山神社は、現在を司る神社であるという。月山は過去、湯殿山は未来である。この話は、湯殿山神社編で、詳しく説明しよう。英
2009.08.31
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羽黒山には、鶴岡市からバスで50分程で、終点の羽黒山頂に到着する。昔は随身門から表参道の2446段の長い階段を頂上まで登ったが、現在は、バスで一気に神社まで行ける。羽黒山三神合祭殿出羽三山は第32代崇峻天皇の皇子である蜂子皇子の開山といわれている。崇峻天皇というと聖徳太子の父である31代用命天皇の次の天皇であるが、蘇我馬子と対立し暗殺されてしまう。(592年)次の天皇が有名な女帝の第32代推古天皇であり、摂政として聖徳太子が活躍した時代だ。蜂子皇子墓所(宮内庁管理地)この時代のいきさつは、数年前、NHKが特別番組のドラマで「聖徳太子」を放映したが、ご覧になった方は、よくお分かりになると思う。私は、ビデオを撮ってあるので、何回か見ている。このような古代をテーマにしたドラマが、もっと放映されるとその時代背景が、良くイメージされるのだが・・・。さて、その崇峻天皇天皇の皇子が、不幸な父の崩御に意を決し、推古元年(593年)大和を出られ、日本海の船上の人となった。佐渡を過ぎ、現在の山形県鶴岡市の由良浜の沖合いにさしかかった時に、美しい8人の乙女が舞を舞って、一行を手招きしていた。良く見ると後方の山々(出羽三山)は、神々しい雲に包まれていた。一行は不思議な力に導かれ、上陸をし出羽三山の一歩を印されたという神話である。その後、8人の乙女は「八乙女」(やおとめ)といわれ、由良浜一帯を「海の羽黒」と称するようになったという。現在、由良浜には温泉が湧き、由良温泉「八乙女」というホテルが、開業しており、私は2日目にこのホテルに泊まることになるのである。このホテルの女将は、有名な美人女将であり、多くの芸能人も宿泊しているホテルである。この女将が地方の1ホテルを有名にしたという。神話と現代の歴史の因縁を感じさせるホテルである。つづくヒデ
2009.08.31
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今年は、丑年御縁年にあたり、出羽三山にお参りすると、12年を一度にお参りしたことになるという年である。出羽三山とは、月山、羽黒山、湯殿山の総称だ。場所は、山形県鶴岡市になる。鶴岡は、あのアカデミー賞を取った映画の「おくりびと」の背景になった町でもある。出羽三山は、江戸時代では、西のお伊勢参り、東の出羽三山参りといわれ、庶民が一度は行きたいあこがれの地であったという。松尾芭蕉も奥の細道で、7泊8日逗留した旅の重要な場所として記述している。出羽三山は、なぜ、そのように重要な場所になったのか?江戸の人々が一度は行きたい場所であったのか?平成の世でも、最近は、この地を訪れる観光客が増えているそうだ。このブログで、その秘密を解いて行こうと思う。それでは、これから、2泊3日の出羽三山巡りの旅に出るとしょう!ヒデ
2009.08.30
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先週末は、奥多摩の御嶽神社に行ってきた。昨年に続き、2回目である。JRのホリデー奥多摩号で、御岳駅下車、バスに10分ほど乗り、ケーブルカーに乗り換え5分ほどで頂上駅に着く。海抜800メートル程あるので、地上とは2、3度気温が低い。夏の避暑に良い穴場である。ケーブル駅より徒歩で20分程で、神社に到着。道は舗装されているので良いのだが、途中、かなりの急坂があり、夏場はきつい。創建は、第10代崇神天皇の時代と言われているので、1800年前程であろうか。山岳信仰の隆盛により、関東の霊山と言われてきた神社である。大口真神というお犬様を祀っている。これは、奥宮に祀られているヤマトタケル命が東征のおり、この地で邪神に惑わされたとき、忽然と現れた狼に助けられたという神話から来ている。この地は、ハイキングにも良いルートがある。昨年、訪れた途中の七代の滝で写した写真にはオーブ?が写っていた。この場所は、古来より修験者が修業をしていたという。東京から気軽に行け、日常生活からも離脱できるスポットである
2009.08.24
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先週土曜日に、箱根の三神社を参拝して来た。芦ノ湖の元箱根港に午前10時15分前に着くと、偶然、白龍神社行きの船が10時に出港するという。今日は、年1回の白龍神社大祭なのだ。九頭龍神社にも行く予定だったので、すかさずその船に乗船した。船着場は箱根園を超えると、すぐであった。乗船者は、10数人であったが、全員、この大祭お参加者である。歩いて、1,2分で白龍神社に着く。こじんまりとした小さな神社だ。この神社には、白蛇が住んでいて、それを見ると幸運が訪れると噂されている神社なのだ。お坊さん2名とともに全員で般若心経を読経する。(神社なのになぜかお坊さんなのだ。)その後、一人一人、線香をあげ、米と塩を社を回りながら、撒く。白 龍 神 社 鎮座地 箱根町元箱根和田ノ角(箱根樹木園内)御祭神 白龍大神白い鳥居がある当神社は、御祭神・白龍(はくりゅう)大神をお祀りする社で、九頭龍神社本宮に程近い湖岸の森に鎮座しています。「白龍」とは、その昔、箱根権現でお祀りされていた「白和龍王(しろわりゅうおう」の名を略したもので、例祭は、毎年6月13日、九頭龍神社本宮の例祭に引き続いて行われています。社傳によると、白和龍王は、江戸時代末まで左鵲王(さじゃくおう)と右鵲王(うじゃくおう)と呼ばれる神々と共に箱根権現でお祀りされていた龍神と伝えられ(『筥根山神道口訣』はこねやましんとうくけつ)、本宮の青龍・金龍に対する白龍と崇められています30分の祭事が終わると、近くの九頭龍神社に参拝に行く。箱根神社の隣の九頭龍神社は、何度かお参りしたことがあるが、こちらの神社は初めてである。小さな境内が、例祭の時には縁結びを願う若い女性でいっぱいになる有名な神社だ。九頭龍神社 本宮鎮座地 箱根町元箱根防ケ沢(箱根樹木園内)御祭神 九頭龍大神例 祭 6 月13日月次祭 毎月13日当神社は、芦ノ湖の九頭龍伝説を今に伝える龍神信仰の聖地であり、社前の湖には奈良時代に箱根権現を建立した萬巻上人と、九頭龍大神ゆかりの祭場をひかえています。この伝説を今に再現する龍神湖水の神事 まつりが毎年6月13日の例祭に、また毎月13日の月次祭に崇敬者が参集して厳かに斎行されています。神社の由来は、社傳によると「西汀に驛路有り。毒龍は波を凌ぎ、雲を拏(とら)ふ。人民は多く損害免れず。萬巻は彼の深潭(しんたん)に臨んで石臺(せきだい)を築きて祷らせしむ。爾に毒龍は形を改め、寳珠并に錫杖(しゃくじょう)水瓶を捧げて乞ひて受降を要す。」(箱根山縁起并序)とあります。その昔、人民に被害を与えていた毒龍に対し、萬巻上人が湖中に石壇を築いて調伏の祈祷を行ったところ、毒龍 は形を改め、寳珠并に錫杖を捧げて帰依し、龍神となりました。今では、多くの人々に開運隆盛はもとより金運守護、商売繁盛、縁結びの龍神様として崇められています。そして、船で元箱根港に戻り、最後の箱根神社に向かう。箱根神社は、5,6回目だろうか。御祭神は、ニニギノミコオト、ヒコホホデノミコト、コノハナサクヤヒメである。箱根神社は、関東の総鎮守として、心願成就、開運厄除のご神徳が高い運開きの神様である。源頼朝や徳川家康も深く当社を信仰していたという。民間でも吉田茂元首相をはじめとする多くの政財界人の参拝も多い。白龍神社の参拝で、船に一緒に乗り合わせた中年の女性が、帰り際「この神社は、すごくパワーがあり、なんでも聞いてくれる神様ですよ!」と言っていたのが、印象的だった・・・。ヒデ
2009.08.10
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今日は、前回、お話をした熱田神宮の草薙の剣の名前の由来について紹介しよう。この剣は、別名をアメノムラクモノツルギと呼ばれている。スサノオがヤマタノオロチを退治した時に、その体の中から出てきたものだ。そして、スサノオは、この剣をアマテラスに献上する。その後、時を経て、ヤマトタケルが東征に出発の際、伊勢神宮を訪れ、叔母である倭姫(ヤマトヒメ)からこの剣が与えられたのである。現在の伊勢神宮は、はじめからこの地にあったのではない。元は大和の笠縫にあったのであるが、このヤマトヒメがアマテラスオオミカミを祀る場所を求めて、日本各地をめぐり、現在の地に建立したのである。それで、各地に元伊勢と言われる場所が残っているのだ。また、このヤマトヒメが卑弥呼と同一人物だという説もあるくらいだ。話を元に戻そう。古事記の物語によるとこの剣を授かったヤマトタケルは、東征途中の現在の静岡県で、その地を治めるている者にだまされ、野原で火に囲まれてしまう。その時、この剣で草を刈って、火の向きを変え、危機を脱することができたのだ。それで、この地は焼津といわれるようになった。焼津の語源である。そして、剣の名も草薙の剣と呼ばれるようになったそうな・・・・。ヒデ
2009.08.06
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熱田神宮は初詣参拝者のベスト10にも入っている大きな神社である。また、伊勢神宮につぐ格別な扱いを受けている。祭神は、アマテラスオオミカミ、スサノオノミコト、ヤマトタケルノミコト、ミヤズヒメノミコトだ。なぜ、重要な神社なのか。実は、熱田神宮に三種の神器のひとつである「草薙の剣」を奉っているからなのだ。そう、スマップの草薙君の草薙だ。この剣は、スサノオノミコトがヤマタノオロチと戦った折、切り刻んだヤマタノオロチの体の中から出てきたものなのだ。また、この「草薙」の語源は、古事記のヤマトタケルの物語からきているのだが、説明するとこのコラム2回分位になってしまうので、次回にすることにする。そのヤマトタケルが父である12代景行天皇(71~130)の命により東征の後、お后の一人であるミヤズヒメの手許の留め置かれたまま、亀山氏ノボノの地で亡くなったのだ。それで後にミヤズヒメが熱田の地にこの神剣を奉り、熱田神宮を開かれた。それで伊勢神宮につぐ格別に尊い宮として崇敬をあつめているのだ。ただ、この草薙の件は、誰も見たことがないそうだ!残りの三種の神器のヤタノカガミとヤサカノマガタマはどこにあるのだろうか。機会があれば、折々説明しよう。ヒデ
2009.08.04
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中央構造線とは、関東から九州へ、西南日本を縦断する大断層である。鹿島灘から埼玉、群馬をとおり、南諏訪地方を抜けて、紀伊半島から四国を縦断し、九州中部に至っているこの中央構造線上の地でゼロ磁場のスポットがあると言う。長野県上伊那郡長谷村にある分杭峠(ぶんぐいとうげ)は、マスコミに報道されて有名になったそうだ。ゼロ磁場とは、二つの同じ大きさの磁界が向き合って、磁界がゼロになっている場といわれている。そこには、おおきなエネルギーが蓄積され、気が発生していると言う。実は、この中央構造線上に多くの有名な神社が位置しているのだ。鹿島神宮、香取神宮、昨日紹介をした諏訪大社、熱田神宮、そした伊勢神宮もである。そして、九州のヘソといわれる位置ある幣立神宮(熊本県南阿蘇)。(神宮と言う名称がついている神社が多い。神宮は神社の中でも別格であり国家により奉られた。)幣立神宮は、まだ、訪れたことがない神社であるが、知る人ぞ知るゼロ磁場のパワースポットと言う。科学的には、まだ解明されていないが、中央構造線のような断層では電磁波を発生させやすいとも言われ、人の脳波がアルファ波になりやすいとも言う。ゼロ磁場が、科学的に解明されてくれば、神社の立地との関係も分かってくるだろう。森や滝のマイナスイオンが近年になって、解明されてきたように、神社を訪れると気持が浄化されるとか、ヒラメキが良くなるというようなことも科学的に解明される時期も遠くないかもしれない・・・・。ヒデ
2009.08.02
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諏訪大社も関東・中部地方では有数の神社だ。ご祭神は、タケミナカタ。大国主の息子である。神社は、秋宮、春宮など四つに分かれている。この神社が、出雲系の神社と分かるのは、秋宮の拝殿の大きな注連縄(しめなわ)だ。出雲大社ほどの大きさではないが、形はそっくりである。古事記によるとアマテラスの命令で高天原から出雲の稲狭の浜に降り立ったタケミズチは大国主に国譲りを要求する。するとオオクニヌシは「私はすでに隠居に身なので息子のコトシロヌシに聞いてください」と言う。コトシロヌシは、「仰せのとおりにします」とあっさりと答えた。が、もう一人の息子のタケミナカタは。国譲りに賛同せず、戦いに臨んだ。しかしながら、タケミカズチは、タケミナカタの手を握り潰し、投げ飛ばす。投げ飛ばされたタケミナカタは、諏訪湖まで逃げたのだが、追いかけてくるタケミカズチに遂に降参し、この地から決して出ないことを誓った。こんな物語だが、それで、諏訪大社はタケミナカタを祭っているのである。現在の諏訪大社はタケミナカタの住まいだったのかもしれない・・・・。ヒデ
2009.08.01
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