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過・渦・蝸・禍・鍋。これらの漢字の、部首右の形(つくり)は何だ。気になる。総画数9で、「咼」だけを調べてみた。「カ」「カイ」と読むらしい。つくりが「咼」になっている漢字のいくつかは、すぐに思い浮かべられる。「過去」「渦(うず)」「蝸牛(かたつむり)」「禍根(かこん)」「鍋」など。渦と蝸牛から類推すると、「咼」はおそらく、渦巻き模様の意味なのだろう。鍋も想像力があれば、なるほどと思える。沸騰するときにお湯が、何となく渦巻く感じがする。では、「過ぎる」には、どんな意味があるのだろうか。どうしても、ぐるぐる巻きのイメージは浮かばない。禍根も過去に近いイメージである。「咼」の形がついた漢字は、ほかにもあるのだろうか。これも浮かんでこない。「咼」って何だ?
2007年10月19日
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或る日突然変貌し、異常なまでに猛烈に働き出す男(「聖産業週間」)。会社を欠勤し自宅の庭の地中深く穴を掘り始める男(「穴と空」)。企業の枠を越え、生甲斐を見出そうとする男(「時間」)。高度成長時代に抗して、労働とは何かを問い失われてゆく〈生〉の手応を切実に希求する第一創作集。著者の校訂を経て「花を我等に」「赤い樹木」を加えた新版・六篇。芸術選奨新人賞受賞。(「BOOK」データベースより)■黒井千次『時間 』(講談社文芸文庫)◎磯田光一と秋山駿が解説 黒井千次は東大経済学部を卒業し、富士重工に勤めました。それから15年間、サラリーマンのかたわら小説を書いていました。黒井千次の筆名は29歳のときに結婚した、黒川千鶴さんから拝借したものです。 初期作品はどれもが、企業を描いたものです。私はそれらを単行本『時間』(河出書房新社1969年)と『走る家族』(河出書房新社1971年)で読みました。当時は、東大卒のインテリで、大会社のサラリーマンで、彼女の名前をペンネームにした作家の卵くらいの印象しかありませんでした。私が社会人になって間もなく、『新鋭作家叢書』(全18巻、河出書房新社)が刊行されました。古井由吉、丸山健二、大庭みなこ、丸谷才一、李恢成、田久保英夫、小川国男、阿部昭などとならんで、黒井千次の作品集もはいっていました。近所の書店に予約注文しました。『新鋭作家叢書・黒井千次集』は、第3回の配本でした。「赤い樹木」以外の収載作は、単行本で読んだものばかりでした。「赤い樹木」を読んだあとに、巻末の解説を開きました。なんと磯田光一の名前があったのです。私がもっとも信頼している文芸評論家は、磯田光一でした。磯田光一の解説を読んで、収載作を再読することにしました。――現在、最も有力な新進作家と目されている黒井千次氏の作品の底にあるのは、端的にいえば〈現に存在しないもの〉への異様に屈折した飢渇の感情である。氏をサラリーマン作家と呼んでみたところで、氏の小説を解く鍵にはほとんどなりえない。現代社会の〈人間疎外〉という常套句さえ、黒井氏にとってはほとんど無縁といってよいのである。(『新鋭作家叢書・黒井千次集』磯田光一の解説より) 磯田光一の指摘する、「〈現に存在しないもの〉への異様に屈折した飢渇の感情」を確認するための再読でした。単に字面だけを追いかけていた読書が、さまがわりしました。黒井千次って奥深い作家なんだな、と認識を新たにしました。それ以来、ずっと黒井千次を読んでいますが、磯田光一の訓戒をうけて再読した『時間』が忘れられません。 紹介させていただく『時間』(講談社文芸文庫)の解説は、秋山駿が担当しています。秋山駿も、信頼している評論家のひとりです。◎古びたレインコートの男『時間』は、黒井千次のはじめての単行本です。本書が出版された翌年(1970年)に、彼は退職しています。『時間』(講談社文芸文庫)には表題作をふくめて、6つの短編が所収されています。表題作「時間」についてふれている野間宏の文章を紹介させていただきます。 磯田光一は『新鋭作家叢書・黒井千次集』の解説で、「『時間』は、少なくともその後半の部分については、野間宏氏の『暗い絵』を意識しながら書かれた小説である」と書いています。その野間宏の文章ですので、興味深いものでした。 ――「時間」の中には黒井千次の混沌とよぶべきものが、とじこめられている。黒井千次はこの「時間」の中にある彼自身の混沌をさがし求めて長い時間をかけて、歩みつづけていたといってよいだろう。そして彼はついにそこに到着することが出来たのである。私にはそのことが、すぐに解った。(『新鋭作家叢書・黒井千次集』の月報「黒井千次について」野間宏より)「時間」は黒井千次にとって到達点であり、新たな出発点ともなった記念碑的作品です。主人公の「彼」は、企業の商品企画部に勤務して十数年になります。「彼」は課長への昇進試験を目前にしています。「彼」は大学時代寺島ゼミで学び、学生運動にも参加していました。メーデーのときにいっしょに参加した友人の三浦は逮捕され、いまだに裁判で係争中です。「彼」には恋愛中に、いっしょに英語を勉強した妻とこどもがいます。「時間」は寺島ゼミの、同窓会場面からはじまります。ここには現役の学生をふくめ、「彼」の同期生たちも参加しています。同期生たちは、ともに学生運動を闘った仲間でもあります。彼らは鍋を囲んで、過去を懐かしみ現在を語り合います。鍋は混とんの象徴として、すえられています。 後輩たちは自分のビジネスに役立てようと、せっせと先輩と名刺交換をしています。若い後輩たちには、引きずるような過去は存在していません。輝かしい未来があるだけです。そして宴会の最後に、インターナショナルを歌わされることになります。「彼」は鬱屈した思い出で、みなにあわせて立ちあがります。――その時、一人の男が、ふっと部屋から出ていくのを彼は見た。古びた浅黄色のレインコートをつけた痩せた後姿が廊下の明りの中に鋭く浮かび、すぐ襖の陰に見えなくなった。髪から足の先まで、全体に脂気の切れたその男の後ろ姿は、なぜか、一瞬、赤く焼けた鉄を肌に押しつける激しさで彼の中に跡を残していた。(本文P101より) レインコートの男は、その後もたびたび彼の眼前をとおりすぎます。会社の同僚と談笑しているとき、課長昇進試験の受験資格をあたえられたとき……。 課長昇進試験を控えた「彼」は、社内調査レポートをまとめます。痛烈な営業部批判となりかねないレポートをみて、上司はグラフの修正を求めます。「彼」はそれを拒否します。課長昇進試験の面接で「彼」は、質問に反抗的な受け答えをします。結果は予想外の合格でしたが、レポートをめぐって営業部からの圧力が強まります。 そんな「彼」のもとに、三浦の最終陳述の裁判日時を告げる手紙がとどきます。三浦の時間は、あのときから15年間止まったままでした。「彼」は三浦とともにメーデーに参加していました。三浦は逮捕され、「彼」は現在を生きています。あのとき、自分が逮捕されていてもおかしくなかった、と「彼」は思います。 寺島ゼミという鍋のような混沌。学生運動を忘れ去った人群れと引きずりつづける三浦。組織のなかでうごめきまわる思惑。そして彼自身の日常という家庭。それらのものを黒井千次は、「時間」という概念のなかに、みごとな筆さばきで閉じ込めてみせました。そして「古いレインコートの男」が、作品の最後にあらわれるのです。 磯田光一と秋山駿と野間宏の導きで、私はしっかりと時間をかけて『時間』を読むことができました。感謝。(山本藤光:2013.06.19初稿、2015.01.23改稿)
2015年02月15日
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折原一『倒錯の帰結=首吊り島+監禁者』(講談社文庫) 日本海の孤島で起こる連続密室殺人事件(『首吊り島』)と都会の片隅で起こる監禁事件(『監禁者』)。二つの事件に巻き込まれた作家志望の男が遭遇する奇想天外の結末とは?「倒錯」シリーズ完結編は前代未聞、前からでも後ろからでも楽しめる本。(「BOOK」データベースより) ◎叙述トリックの第一人者 折原一は1951年生まれで、早大ではワセダミステリクラブに所属し、北村薫は先輩にあたります。奥さんは作家の新津きよみです。折原一は「叙述トリックの第一人者」といわれています。まずは「叙述トリック」とは何かをおさえておきます。 ――推理小説の手法の一。文章の記述上や仕掛によって、読者をわざと誤認に導くもの。一般的に、記述から想像される人物像や犯人像に関する読者の先入観を欺くものが多い。(デジタル大辞泉) 私は1994年までは、折原一の忠実な愛読者でした。「でした」と過去形で書いた意味については、後述させていただきます。折原作品には、作家の仕掛を読者が見破る楽しみがあります。折原一自身は叙述トリックで影響を受けたのは、B.S.バリンジャー『歯と爪』(創元推理文庫)とフレッド・カサック『殺人交差点』(創元推理文庫)だと書いています。(『ミステリーの書き方』幻冬舎文庫) 1994年、私は『沈黙の教室』(早川書房、初版本)を読みはじめました。いつものように仕掛を意識しながら、ぬかりなく。すると登場人物の名前が微妙に違ってくる場面に遭遇しました。どうしても著者の仕掛がわからぬまま、1日を悶々と過ごしました。そして単なる誤植ではないか、と思い到りました。 早川書房に手紙を書きました。あっさりと「誤植でした」と返答が届きました。改訂版が出るころになっても、修正された本は届きませんでした。それ以来、折原一とは疎遠になってしまいました。 折原一が叙述作家でなければ、誤植だろうと笑って通り過ぎたはずです。 ◎デビュー作の文庫はない 折原一の初出版は1988年の『五つの棺』(東京創元社)ですので、私はデビュー作から6年間は、折原一の忠実な愛読者でした。当時はPHP研究所のメルマガ「ブックチェイス」で書評を書いていましたので、本書も「とんでもない新人作家登場」と興奮して書いた記憶があります。「山本藤光の文庫で読む500+α」を立ち上げたとき、本書を紹介しようと文庫を探しました。しかし見つかりません。そんな折に、書店で『七つの棺』(創元推理文庫)を発見しました。棺の数を2つ増やした新作だとばかり思って読んでいました。途中で気づきましたが、『五つの棺』の増補改訂版だったのです。折原一は改題の多い作家です。新刊文庫だと思って買い求めて、何度も騙されています。 ◎『倒錯の帰結』の袋とじ 折原一にはとんでもない本あります。その作品を「山本藤光の文庫で読む500+α」で紹介させていただきます。タイトルをどう書いたらよいか、迷ってしまうほどです。「首吊り島」と「監禁者」は、それぞれが天地を逆にして印刷されています。そして真ん中に袋とじのページがあり、どちらから読んでも結末は袋とじに至るのです。『倒錯の帰結』という総合タイトルがありますので、そのタイトルで紹介させていただきます。 私は著者の指示通りに「首吊り島」から読みはじめ、本をひっくり返して「監禁者」を読みました。その後、袋とじのページにナイフを入れました。この作品は『倒錯の死角』『倒錯のロンド』(いずれも講談社文庫)の完結編となります。実は文庫本の『倒錯の死角』にも、袋とじが用いられていました。初出(東京創元社・1988年)のときは、袋とじなどありませんでした。 さて完結編『倒錯の帰結』ですが、「首吊り島」では孤島で起こる密室連続殺人事件を描いています。アパートの一室に監禁されていた推理作家・山本安雄は、アパートの住人・清水真弓に救出されます。清水真弓は、島を救ってほしいと依頼します。二人は孤島に渡ります。 孤島は「首吊り島」と呼ばれ、新見家にまつわる不吉な伝説が残されていました。新見家には雪代、月代、花代という三人姉妹が住んでいます。山本安雄の到着を待ちかねていたように、次々と密室で殺人事件が勃発します。 「監禁者」は、山本安雄が監禁されていたアパートが舞台です。二階建てのアパートには、上下六つの部屋があります。その住人は、みな怪しい面々ばかりです。「首吊り島」の登場人物が見え隠れします。 折原一も作品に現れます。二つの舞台はからみ合いそうでいて、はるかに遠くにあります。袋とじにナイフを入れない限り、孤島とアパートは結びつきません。 この作品は、折原一の23冊目の単行本です。自ら作品中に「叙述派ミステリー」の限界を書いているのがこっけいです。折原一特有のユーモアなのですが、読者は知らぬ間に作品にほんろうされます。それが「叙述ミステリー」の妙なのでしょう。山本藤光2018.09.26
2018年09月27日
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家族という、確かにあったものが年月の中でひとりひとり減っていって、自分がひとりここにいるのだと、ふと思い出すと目の前にあるものがすべて、うそに見えてくる―。唯一の肉親の祖母を亡くしたみかげが、祖母と仲の良かった雄一とその母(実は父親)の家に同居する。日々のくらしの中、何気ない二人の優しさにみかげは孤独な心を和ませていくのだが…。世界二十五国で翻訳され、読みつがれる永遠のベスト・セラー小説。泉鏡花文学賞受賞。(「BOOK」データベースより)■よしもとばなな『キッチン』(角川文庫)◎新しい文学の誕生『キッチン』(角川文庫)はご存知のとおり、よしもとばななのデビュー作です。「私がこの世でいちばん好きな場所は台所だと思う。」と書きだされる作品は、大ベストセラーになりました。最近は「よしもとばなな」と平仮名表記になっていますが、本名は吉本真秀子(まほこ)といいます。父親は評論家の吉本隆明ですので、文才は血統なのかもしれません。しかしよしもとばななの文章は、父親の数千倍も平易です。『キッチン』は桜井みかげと田辺雄一という、大学の先輩後輩が軸となってストーリー展開されます。みかげは早くに両親を亡くし、祖母と2人暮らしでした。その祖母を突然亡くし、みかげは天涯孤独の身となります。呆然として暮らしているみかげのもとを、ある日雄一が訪ねてきます。彼は花屋でアルバイトをしていたときに、おばあさんにかわいがってもらっていました。葬式のときにも手伝いにきていました。雄一はみかげにつぎのように伝えます。――「とにかく、今晩、七時頃うちに来て下さい。これ、地図。」/「はあ。」私はぼんやりそのメモを受けとる。/「じゃ、よろしく。みかげさんが来てくれるのをぼくも母も楽しみにしてるから。」(本文P10より) 請われるまま行ってみると、彼は美しい母親と2人暮らしでした。母親はえり子という名前で水商売をしており、実は彼の元父親だったことがわかります。こうしてみかげの居候生活がはじまります。『キッチン』は発表されたのは昭和63(1988)年です。このころは現在のように、性転換やおかまなどが、社会的に認知されていませんでした。『キッチン』の成功の要因は、この大胆な設定にあります。本書は第6回『海燕』新人文学賞を受賞しています。この文芸誌は当時の福武書店からだされていて、新人の発掘にも熱心でした。受賞の選評で、中村真一郎はつぎのようにのべています。――若い女性でなければ書けない感覚の、とっぴで手放しに面白い小説。月並みな日常性に埋没しているような小説が多いなかでなかなかユニーク。(尾崎真理子『現代日本の小説』ちくまプリマー新書から引かせていただきました) 尾崎真理子は同書で、よしもとばななの父親・吉本隆明のコメントも紹介しています。これも引用させていただきます。――何と他愛ない物語だといってもいいのだが、文学はもとをただせばこういうものだという根源は、作者に完全におさえられている。(『海燕』1993年5月号) もうひとつだけ、なるほどと思った解説がありました。紹介させていただきます。――文芸雑誌『海燕』に登場したこの作品は、これまでの小説の感覚をしのいだ新しい小説として迎えられた。コミックを思わせる会話や、少女の日記のような言い回しなどが迎えられてたちまち多くの読者を引きつけた。(栗坪良樹編『現代文学鑑賞辞典』(東京堂出版より)『キッチン』には、だれもが認める新しい息吹があったのです。美貌の母親という設定は、大きな冒険だったと思います。よしもとばななはゆたかな感性で、元父親のえり子さんをすばらしいわき役にすえてみせました。◎消失から再生へ『キッチン』には、「満月・キッチン2」(『キッチン』に所収)という続編があります。桜井みかげは大学をやめ、料理研究家のアシスタントとして働き、すでに田辺家を出ています。そんなみかげに田辺雄一から電話がはいります。「満月・キッチン2」の書きだしを紹介させていただきます。――秋の終わり、えり子さんが死んだ。/気の狂った男につけまわされて、殺されたのだ。(本文より) 雄一がみかげにえり子さんの死を告げたのは、「もう冬になってから」でした。みかげは急いで田辺家へと駆けつけます。そこには孤独で覇気のない、まるで抜け殻のような雄一がいました。その晩みかげは、ひさしぶりに田辺家に泊まります。そして翌日、みかげは台所に立っています。――瞬間、えり子さんの笑顔が浮かんで胸がきりきりとしたが、体を動かしたかった。どうもこの台所は、ここのところ使われていないのかもしれない、と思える。薄汚れて、暗かった。私はそうじをはじめた。みがき粉でシンクをごしごしこすり、ガス台をふき、レンジの皿を洗って、包丁をとぐ。ふきんを全部洗ってさらし、乾燥機にかけてごうんごうんと回っているのを見ているうちに、心が実にしっかりしてきたのがわかった。どうして私はこんなにも台所関係を愛しているのだろう。不思議だ。魂の記憶に刻まれた遠いあこがれのように愛しい。ここに立つとすべてが振り出しに戻り、なにかが戻ってくる。(本文P79より) 私がなぜ本文から、長い引用をしたのかを説明させてもらいます。そのためには「キッチン」の冒頭部分にふれなければなりません。――私がこの世でいちばん好きな場所は台所だと思う。/どこのでも、どんなのでも、それが台所であれば食事を作る場所であれば私はつらくない。できれば機能的でよく使い込んであるといいと思う。乾いた清潔なふきんが何枚もあって白いタイルがぴかぴか輝く。/ものすごく汚い台所だって、たまらなく好きだ。(「キッチン」冒頭部より)「キッチン」の冒頭で、著者は「台所ならなんでも好き」と書いています。しかも「ものすごく汚い台所だって」好きだとつなげています。でも理想は「清潔で使いこまれている台所」なのです。この表現が、よしもとばななの巧みなところです。著者はみかげのあっけらかんとして包容力のある性格を、この描写でおさえておきました。通常なら絶対に「ものすごく汚い台所だって、たまらなく好きだ」とまで付加しません。 この冒頭部分が「満月・キッチン2」の引用場面につながります。みかげは「ここのところ使われて」おらず「薄汚れて、暗い」台所を、「もっとも好きな台所」へと改善します。「台所」はみかげのやすらぎの場です。「満月・キッチン2」で台所をきれいにしたみかげは、やすらぎの場から立ちあがります。 この先の展開については、ふれないほうがよいと思います。ただしみかげの心境にすこしずつ変化があらわれます。そのポイントだけを引用させてもらいます。――二人の気持ちは死に囲まれた闇の中で、ゆるやかなカーブをぴったり寄り添ってまわっているところだった。しかし、ここを越したら別々の道に別れはじめてしまう。今、ここを過ぎてしまえば、二人は今度こそ永遠のフレンドになる。(本文P125より) 天涯孤独になった2人が、寄りそいながら歩きはじめます。影のような雄一が、同居する男となり、自らの境遇と重なる人になります。それが孤独を癒してあげたい対象になり、やがて寄りそって生きていきたい相手へとかわります。よしもとばななは、「台所」に「キッチン」というフタをかぶせました。祖母がいた台所。えり子さんが笑っていた台所。そこに雄一と2人で暮らす新たな空間をこしらえたのです。消失から再生。よしもとばななは、若々しい感性を平易な文章にのせて、みごとなドラマをつくりあげました。文句なし。(山本藤光:2010.04.23初稿、2014.11.13改稿)
2014年12月16日
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東野圭吾『秘密』の長い書評■以前に長い書評を発信しています。1回で全文掲載できるか否かわかりませんが、紹介してみたいと思います。■東野圭吾『秘密』(文春文庫)その1妻・直子と小学5年生の娘・藻奈美を乗せたバスが崖から転落。妻の葬儀の夜、意識を取り戻した娘の体に宿っていたのは、死んだはずの妻だった。その日から杉田家の切なく奇妙な〈秘密〉の生活が始まった。映画「秘密」の原作であり、98年度のベストミステリーとして話題をさらった長篇。(「BOOK」データベースより)◎長い長い『秘密』の舞台裏に挑む これから紹介するのは、私の最長の書評です。私はこれを「ミステリーZ」(2001年)というメルマガに連載しました。以下連載したものを引用させていただきます。1.東野作品には、実体験がふんだんに反映されている話題の作品『秘密』が文庫化されました。これを機会に何回かに分けて、『秘密』(文春文庫)の「秘密」に迫ってみたいと思います。すでに読んでしまった読者は多いと思いますが、東野圭吾をもっと深く知る一助になれば幸いです。断っておきますが、私は著者の追っかけではありません。読んだ作品もかぎられています。だから全作品を通しての作品論は書けません。 書棚をあさって出てきた初期作品は、『放課後』『卒業・雪月花殺人ゲーム』『学生街の殺人』(いずれも講談社文庫)と『白馬山荘殺人事件』(光文社文庫)だけでした。あとは単行本の最近の作品『白夜行』(集英社1999年)『片想い』(文藝春秋2001年3月)などです。こんな乏しい東野圭吾の読書体験で、『秘密』を語るのはおこがましいのですけれど、どうしても本質に迫ってみたい作品が『秘密』でした。 『秘密』の初出は、1998年9月文藝春秋刊です。文庫化されるまでに約3年を要しています。それだけ単行本が売れていたのでしょう。さもなければ、もっと早くに文庫化されているはずです。ちなみに本日、東京堂書店で確認してきました。書棚にあったのは、2001年2月印刷の28刷でした。東京堂書店は、神田の古本屋街の裏通りにあり、私の知っているなかでは品揃え、書店としての美学・哲学などの面でナンバーワンの書店です。書泉グランデの真裏に位置していますので、一度のぞいてみていただきたいと思います。これぞ書店とうならせられるはずです。 話が横道にそれました。本題に入ります。『秘密』には東野圭吾の人生の断片が、いくつも埋め込まれています。東野圭吾のプロフィールを知るには、著者自身が書いているホームページを見ることをお薦めします。それを作品に重ねると、『秘密』のなかから著者自身の思いが見えてきます。 東野自身が書いたプロフィールを眺めてみます(文中のかぎカッコ内は引用部分)。東野圭吾は1958年「大阪市生野区にある、しけた時計メガネ貴金属の小売店で、3人姉弟の末っ子として生まれ」ました。 1962年自宅から1キロほど離れた公園で迷子になります。「迷子になった公園は、1999年発表の『白夜行』の冒頭に登場」します。両親は大相撲に夢中になり、気がつかなかったようです。1964年「大阪市立小路小学校に入学します。(中略)この年、東京オリンピックがあったはずだ」。「給食については苦い思い出が多々ある」。詳しく知りたい方は『あの頃ぼくらはアホでした』(集英社文庫)を読んで下さい」 プロフィールは、実にていねいに書かれています。コピーをとったら、A4サイズで5枚にもなりました。ここまでの引用は、まだ1枚目のコピーの半分だけです。東野圭吾は自分の過去を、重要なファクターとして描きます。そのあたりのことを、著者自身はつぎのように語っています。――作品には今までの生き方や、経験がかなり反映されています。意識の中にある何らかの記憶なり、想い出なりに基づいて、ある部分を引き出し、拡大して、という作業で作品を仕上げることもありますし。無意識のうちに、過去の自分も投影されていると思いますし。作品と自分の経験が無関係ですとは決して言えないですね。(「ダ・ヴィンチ」2000年2月号「『秘密』がおしえるココロのヒミツ」栗田昌裕との対談) 東野自身の書いたプロフィールのなかからも、前記のごとく実体験と作品の関係が2つもでてきます。次回は『秘密』のなかから、東野圭吾の過去と重なる部分を拾ってみたいと思います。東野の人生がどう作品に反映されているのか。そのあたりを検証してみますのでお楽しみに。 (2009.06.11)2.とことん「時計」にこだわりを示す『秘密』松野時計店、懐中時計、壁時計、腕時計、札幌の時計台と、『秘密』のなかには数多くの「時計」が登場します。これは東野自身が、時計メガネ貴金属の小売店で生まれたためだけではありません。東野はとことん「時計」にたいするこだわりをもっています。東野自身の「時計」に関するエピソードを紹介しましょう。 東野は少なくとも1999年夏までは、文字盤の大きなクオーツの腕時計を愛用しています。就職祝に父親からもらったものです。ブランド品ではありません。(「週刊文春」1999年8月5日号「家の履歴書」を参照しました) 今でも愛用しているのか否かはわかりません。なぜなら東野圭吾の写真は、いずれも長袖シャツを着用していて、袖口が確認できないからです。どなたか腕時計が写っている写真をおもちでしたら、教えていただきたいと思います。私はいまだに、文字盤の大きなクオーツを身につけていると思っています。 主人公・平介は、もちろん腕時計くらいはしています。しかし、平介が腕時計に目をやることはあまりありません。どうして、と思う場面でも腕時計には目をやりません。作品のなかで、平介が腕時計を見るのは2回だけです。それも建物や食べ物に対するディテールに比べると、腕時計に関する説明はあまりにもそっけないものです。まるで詳細を書くことを避けているように、投げやりな記述になっています。 ――彼(平介)は腕時計を見た。午前十一時を回ったところだった。今から急いで会社に戻っても、すぐに昼休みだ。(本文174ページより)――翌日、平介は帰りが少し遅くなった。腕時計の針は八時十五分を指している。(本文209ページより) 腕時計ではなく、壁時計に目をやる場面は何度かあります。あるいは、時間の確認をした対象を明確にしないままの記述もあります。壁時計についても、ディテールは明確にされていません。東野が大切にしているのは、過去の思い出が染み込んだ時計のみのようです。あとは時計は単なる時を刻む道具として、大きな価値を認めていないといえます。――祭壇をセットし終えると、彼(平介)は喪服から普段着に着替えた。壁の時計は午後五時三十五分を指している。(本文より)――時刻は午後二時を少し回っていた。パンフレットによれば文化祭は五時までだ。彼は急いで支度を始めた。(本文より)――受話器を置いた平介の胃袋には、しこりのようなものが生じていた。彼は時計を見た。(本文より) いかがでしょうか。他にも目覚まし時計を見たりと、時刻を確認する場面はあります。しかしいずれも、前記の引用部分と差異はありません。時計に関しては、東野らしくないあっさりし過ぎの表現しか見つからないのです。 ところが懐中時計については、とことんこだわりを示します。実に詳細な記述がつづきます。これは単に、時を刻むものではないからです。就職祝いに父親からもらった腕時計を、東野は「文字盤の大きな、ブランド品ではない、クオーツ」とディテールを説明していることと考え合わせていただきたいと思います。 東野にとって、思い出につながる時計にこそ価値があるのです。事故を起こしたバス運転手・故梶川の妻は、夫のあとを追うように死亡します。平介は梶川の形見である懐中時計を、孤児・逸美より託されます。――大きさは直径が五センチほどだ。銀色をしている。斜め上に竜頭がついていた。蓋を開けようとした。ところが金具がひっかかっているのか、指先にどんな力を込めても開けられなかった。(本文217ページより) 腕時計や壁時計とは比較にならないほど、詳細を書きこんでいます。さらに「時計」にまつわる、つぎのような場面があります。札幌へ出張した平介は、時間潰しも兼ねて有名な時計台を訪れます。 ――タクシーは間もなく太い道路脇に止まった。なぜこんなところに止まったのだろうと思っていると、「あれです」と運転手が道の反対側を指差した。/「あれか……」平介は苦笑した。たしかに写真などから描いたイメージとは大違いだった。屋根についた、ただの白い洋風家屋といえた。(本文238ページより) 札幌の時計台も、陳腐なものにしか過ぎません。平介に一笑にふされた札幌時計台の描写は、松野時計店のそれと比べると違いは歴然としています。松野時計店や懐中時計については、次回にもっと掘り下げてみたいと思います。(2001.06.30)3.松野時計店は、東野の生家そのもの 遅くなりましたが、『秘密』のストーリーを確認しておきたいと思います。主人公・杉田平介は、自動車部品メーカーに勤務する40歳前の働き盛り。妻・直子と娘・藻奈美に囲まれ、都内のマイホームで幸せに暮しています。そこへ突然の災難がふりかかります。妻と娘がバス事故にまきこまれ、病院へ搬入されるのです。 妻・直子は死亡し、娘・藻奈美だけが奇跡的に一命をとどめます。目覚めた藻奈美は、平介に自分は直子だと主張します。肉体は娘のものですが、人格は妻・直子のものなのです。主人公・平介の奇妙な日常がはじまります。 このなかで生家の時計メガネ貴金属店は、重要な役割として登場します。 ――出張を明日に控えた木曜日、平介は定時で会社を抜けさせてもらい、その足で荻窪に行った。そこにある一軒の時計屋に用があった。(本文より) 時計屋の場面は、作品のなかで2回使われています。背中を丸めた古臭い松野時計店の主人は、まぎれもなく東野の父親そのものです。この時計店の主人は、やがて『秘密』の作品全体を左右する告白をおこないます。詳細については、ネタばらしになりますのでふれません。時計店の主人が、秘密を告白する場面は圧巻です。 東野作品は、常に読者を意識して描かれています。その根底には、客商売のプロだった父親の姿があります。プロの小説家としての東野圭吾は、父親を尊敬しています。客商売にたいする父親の思想が、読者のためにというプロ作家の哲学となって生きているのです。東野自身に語っていただきます。――落ち着かない食事だったですよ。箸をとって、さあ一口食べようとすると、扉がギッと開く。今みたいに電子レンジなんかなかった時代ですから、親父はしょっちゅう冷めた味噌汁と御飯。かわいそうでしたけれど、客商売だったですからねぇ。(「週刊文春」1999年8月5日号「家の履歴書」より) 平介が預かった懐中時計をめぐって、松野時計店の主人・浩三と交わす会話を紹介します。――昔よく出回った懐中時計だよ。しかも何度か修理している。悪いけど、骨董的な価値はないねえ」「そうなんですか……」「だけど、別の価値はあるよ。これでなきゃだめだっていう人もいるかもしれない」「どういうことですか?」「おまけが付いているんだよ、ほら」。浩三は立ち上がり、蓋を開けたまま懐中時計を平介の前に置いた。(本文より) 最近の時計は、使い捨てみたいに扱われています。東野圭吾にはそれが許せないのです。時計は時を刻むものですが、同時に1人の人生の生きざまをも刻んでいます。東野圭吾はそのことを実感しています。お客さんの思い出のときを再生する父親。時計は未来に向って進みますが、それは持ち主の歴史を内包してのものなのです。 松野浩三が告げた「おまけ」とはなにか。ここでは形としての「おまけ」がついているけれど、懐中時計にはすべからく見えない「おまけ」がついているんだよ。東野はそう信じているのでしょう。そうでなければ、腕時計や壁時計との温度差が説明できません。(2009.06.13)4.異なる二つの「実験」 東野圭吾は、大阪府立大学工学部を卒業しています。その後、自動車部品メーカーに勤めました。このときの体験も『秘密』に色濃く投影されています。 東野圭吾は大学時代の「実験」と、社会人になってからの「実験」は180度ちがうといいます。前者は実験によって導かれる結果が、最初からわかっています。わかっている結果どおりになれば、成功なのです。この退屈で単純で偶発性のない実験を、東野は嫌っていました。後者はなにもないところから、試行錯誤のすえになにかを見だす実験です。東野は熱心にとりくんだのは当然のことでしょう。 東野作品は、自動車部品メーカー勤務時代の「実験」に似ています。事実としての社会現象をベースとした、ミステリーは数多くあります。ところが東野はそれを好みません。素材としてあるのは、自分自身の過去の体験。そこから何かを構築するのが東野流なのです。 「実験」に関して、東野を象徴する資料があります。『探偵ガリレオ』(文春文庫、初出文藝春秋1998年)にたいする東野自身のコメントです。 ――他の現象もすべて、一応科学的根拠に基づいて描いたつもりである。ただし実験はしていない。というより、現実問題として実験不可能な現象ばかりを扱っている。物理的に不可能なのではなく、道徳的に不可能なのだ。/実験はできないから、仮にやったとしたらこうなるだろうという予想が、本書の生命である。/たぶん確認実験などは誰にもされないだろうとタカをくくっている。」(「本の話」1998年6月号) 東野作品は、周到に容易された結末に向って書き進められてはいません。ぼんやりと思い描いた結末に向って、試行錯誤をくりかえします。社会人時代の「実験」と同じ手法で、作品をつむぎだしているのです。 また『秘密』のなかには、多くの「一応科学的根拠に基づいて描いたつもり」を象徴する場面が登場します。下請け会社に関する描写を引用してみましょう。なんのことなのかさっぱりわかりません。ただし『秘密』の構図を際立たせる効果はあります。 ――D型インジェクタというのは、来年本格的にスタートする予定の製品だ。現在はそれを田端製作所で作っている。その試作品を使ってビグッドの研究者たちがテストを繰り返し、最終的な確認を行っているわけだ。」(本文117ページより)(2001.06.30)5.結婚生活への鎮魂歌『秘密』には、もう一つ重要な体験が見え隠れしています。東野圭吾は25歳のときに結婚し、『秘密』の執筆前に離婚しています。その当時のことを、東野自身がつぎのように語っています。 ――たぶん僕のなかで変わったものがあるとすれば、力が抜けたんだと思います。/夫として、妻の気持ちをわかろうというのは必要だと思うんです。でも、難しいですよね。/夫婦という関係を解消してしまったあとのほうが、相手の気持ちが見えてくるというか。一歩下がって見られるようになったというか……。( 「週刊文春」1999年8月5日号「家の履歴書」より) 夫婦の機微をみごとに描きだした『秘密』は、先に引用した言葉とは無縁ではありません。離婚の痛みを、新たなエネルギーにおきかえる。この作品は、東野圭吾の結婚生活への鎮魂歌なのかもしれません。 平介は若さを手に入れた直子に、嫉妬しはじめます。そしてすこしずつ夫婦の亀裂が深まってゆきます。私がもっとも心を動かされた場面があります。ちょっと長くなりますが、引用してみたいと思います。夫婦の危うい機微を、これほどまで的確に描き上げた文章をほかにはしりません。 ――この夜の食事は、直子と結婚して以来最悪の晩餐となった。どちらも一言も口をきかず、ただ黙々と箸を動かした。かって何度か夫婦喧嘩をした時と決定的に違っていたのは、気まずさの底にあるのが怒りではなく悲しみだという点だ。平介は腹を立ててはいなかった。直子と自分との間にある、未来永劫埋まることのない溝の存在を認識し、たまらなく悲しくなっていた。そして同様の思いを彼女も抱いていることは、身体から発せられる雰囲気でわかった。皮肉なことに、こんな時だけ夫婦特有の以心伝心というものが働くのだった。(本文276ページより) おそらくこの文章は、離婚を経験していなければ書けないでしょう。東野自身が書いているように、「相手を一歩下がってみられるようになった」ための所産といえるからです。(2001.07.07)東野圭吾『秘密』(文春文庫)その26.在るべきところへの執着 東野圭吾は「居所」に、とことんこだわります。それは幼いころの境遇と、無縁ではないでしょう。東野には2人の姉がいて、部屋は共同でした。その後、生家は何度も増改築を重ねます。小学校の途中から、姉たちが隣室である和室へと移りました。しかし東野の部屋は、姉たちを越えて階下へと降りる通路でもありました。上の姉が家を出ます。今度は下の姉との共同部屋となりました。 結局、東野は家をでるまで、のんびりと1人部屋で過ごす機会には恵まれませんでした。1浪後に大阪府立大学電気工学科へ入学します。トイレと炊事場が共用の、安アパートに暮すことになります。念願の1人暮しを満喫するには、ほど遠い環境であったわけです。 大学卒業後は、愛知県の自動車部品メーカーの独身寮へはいります。ここでも3DKを3人で分割する、共同生活を余儀なくされました。25歳で結婚。棟続きの社宅へと移りました。東野はいいます。――みんな自分のいちばん落ち着く場所を探しているんでしょうけど、僕自身は大阪のゴミゴミした商店街の、自然も緑もないところで生まれ育っていますから。街の中にいるのが楽なんですよ」( 「週刊文春」1999年8月5日号「家の履歴書」より)「居所」へのこだわりは、『秘密』のなかにも登場します。つぎに引用するのは、妻の直子のセリフです。直子が示す家への執着はすさまじいものです。これは東野自身の叫びともいえるでしょう。――とにかくね、今買わなきゃ。今買わないと、平ちゃん、永遠に家なんて買えない気がする。永久に借家住まいだよ。そんなのいやでしょ? 自分の家、ほしいでしょ? 欲しかったら買おうよ。すぐ買おうよ」(本文より) 杉田平介のマイホームは、三鷹駅からバスで数分のところにあります。直子にスピッツがほえるように、きゃんきゃんいわれて買った中古住宅です。平介も十分に満足しています。マイホームを象徴する、こんな場面があります。――平介がこの家を気に入った第一の理由も、この広い浴室だったといってもいい。(本文より) 東野圭吾は、ていねいに家の間取りを描きます。これは改装をくりかえした大阪の生家の影響でしょう。こうした描写は、いたるところに認められます。 (2001.07.20) 7.新聞をあまり読まない平介『秘密』は、結末部分が大きな話題になりました。しかし私は、冒頭部分に強い印象を受けています。主人公の杉田平介は、「テレビ」好きとされています。作品のなかに、テレビを観ている場面はふんだんに登場します。ところが「新聞」は、あまり出てきません。私の疑問は、その点にあります。 まず作品の冒頭を引いてみましょう。――予感めいたものなど、何ひとつなかった。/この日夜勤明けで、午前八時ちょうどに帰宅した平介は、四畳半の和室に入るなりテレビのスイッチを入れた。それは昨日の相撲の結果を知りたかったからにほかならなかった。」(本文より) 昨日の相撲の結果が知りたいのなら、新聞の方がてっとり早いと思います。それをいつ映るかもしれない、テレビで待ちつづける。これは常識的には、考えにくいことです。新聞を購読していないのだろうか、との疑問がおきました。40歳を目前にした会社員が、新聞をとっていないのは不自然だからです。 私は「新聞」の2文字を、作品のなかに追い求めました。そして発見しました。やはり新聞は購読していたのです。 ――新聞を拾い上げようとして、部屋の隅に押しやられている本やノートに目がいった。(本文126ページ) ただし平介が新聞を読む場面は、全編を通じて2回しか出てきません。それも熱心には読まれていません。 ――彼(平介)はそばにあった新聞を広げた。地価依然上昇という見出しが出ている。だがその記事は読んではいなかった。(本文275ページより) ――食事の後は風呂に入り、その後は新聞を読んだりテレビを見たりして過ごした。(本文381ページ) この引用が、新聞を読む2つの場面なのです。当然、新聞を読んでもおかしくない場面でも、平介は新聞を読みません。つぎの場面はどうでしょうか。私なら「新聞や雑誌」と書く場面なのですが。 ――昼過ぎまで布団の中で雑誌を読み、午後からはゴルフ番組と野球中継を見た。(本文より) 「時計」同様に「新聞」の扱いも貧弱なものです。ところが「新聞」は、重要な場面の小道具として扱われます。あたかも「懐中時計」のような意味合いで。 ――リビングボードを少し前にずらし、壁との隙間にレコーダーとテレフォンピックを押し込めるようにした。さらに隙間が見えないよう、古新聞を積んでおいた。古新聞を処分するのは平介の仕事だ。(本文322ページより) では冒頭部分に戻りましょう。平介は相撲の結果を観るためにつけたテレビから、妻・直子と小学生の娘・藻奈美を乗せたバス事故を知るのです。この時間に「新聞」では事故を知る術はありません。東野圭吾が平介のテレビ好きを強調し過ぎているのは、冒頭部分の矛盾を釈明するためではないでしょうか。(2001.08.05)8.『秘密』のなかの「秘密」『秘密』のなかに、いくつかの「秘密」がでてきます。以下はその場面の引用です。これらを解き明かしてしまうと、完全なネタばらしになってしまいます。だからさらりと整理するにとどめたいと思います。 奇跡的な生還をとげた藻奈美は、平介に「自分は直子である」と告白します。妻でなければ知らないことを、藻奈美の口からつぎつぎに明らかにされます。事態を理解した平介は、そのことを2人だけの「秘密」としなければならないと考えます。 ――どうすればいいかなあ。人にいっても、とても信用してもらえんだろうしなあ。医者にだって、どうすることもできんだろう」/「精神病院に入れられるのがオチでしょうね」/「だろうなあ」平介は腕組みをして、唸った。(本文42ページより) 結局、このことは誰にも明かされない2人だけの「秘密」となりました。2つめの「秘密」は、つぎの場面です。引用文の2人は、平介と直子のことです。――「このテディベアの正体は、二人だけの秘密ね」そういって直子はぬいぐるみを胸に抱きしめた。(本文73ページより) 平介があずかった懐中時計の裏蓋にも、秘密は隠されていました。この「秘密」は物語の展開に重要な意味をもちます。これも詳細は説明できません。 遺族会の集まりでは、つぎの場面がでてきます。これも「秘密」の一種です。 ――幹事の林田が再び立ち上がり、今後の方針などについて話した。さらに、ここでの話し合いの内容については極力口外しないでほしいという注意が添えられた。特にマスコミには気をつけるようにとのことだった。(本文より) 松野時計店の浩三は、平介に物語上最大の秘密の告白をおこないます。その部分だけ引用してみたいと思います。 ――「これねえ、藻奈美ちゃんからは口止めされてたんだけど、やっぱり話しておくよ。あんまりいい話だから」(本文より) 終章に近い部分に、直子と藻奈美の「交換日記」の話がでてきます。これも「秘密」の一形態といえます。さらにこんな場面があります。 ――「お父さん」彼女がいった。「長い間、本当に長い間、お世話になりました」涙声になっていた。/うん、と平介は頷いた。永遠の秘密を認める首肯でもあった。(本文より) 表紙カバーの帯をめくると、下の方から藻奈美の部屋のイラストがあらわれます。このイラストにも、ある「秘密」が隠されています。(2001.08.14)9.飽くなき「笑い」の追求 東野は『秘密』を「自分ではものすごい笑いのつもり」で書いたといいます。ところが「書き上げてみると切ない話」になっていたともいっています。(「東野圭吾が選ぶ笑いの10冊」ダ・ヴィンチ1999年9月号) 実際に、そんな箇所を検証してみたいと思います。その前に東野が選んだ10冊のうち、いくつかを紹介しておきます。井上ひさし『モッキンポット師の後始末』(講談社文庫)群ようこ『無印OL物語』(角川文庫)筒井康隆『日本列島七曲り』(角川書店)清水義範『国語入試問題必勝法』(講談社文庫)阿刀田高『ナポレオン狂』(講談社文庫)「笑い」にこだわる東野らしいラインナップだと思います。本文から「笑い」を意図したと思われる個所を引用してみます。 ――冷蔵庫の中には、ほかにハンバーグとビーフシチューが入っている。明日の朝はハンバーグにしよう、と彼は今から決めていた。――まず味噌汁を啜り、少し迷ってから唐揚げに箸を伸ばした。唐揚げは直子の得意料理であり、平介の大好物でもあった。――プロポーズの言葉は単純に、「結婚してくれ」だった。直子はそれを聞いて、なぜか笑い転げた。そして笑いがおさまった後、「いいよ」と答えたのだった。――彼はポケットからよれよれのハンカチを出し、目を押さえた。洟が出てきたので、鼻の下も拭った。ハンカチはたちまちびしょぬれになった。――「初めて俺が君の部屋へ行った時のことは?」/「覚えている。とっても寒い日だった」/「うん、寒かったな」/「あなた、ズボンを脱いだら、下にパジャマを穿いてた」 平介が時折見せる仕種のなかに、たくさんの「笑い」の種を発見できます。東野が選んだ「笑い」の作品は、いずれも高度な笑いを得意にした作家により書かれたものです。ミステリー作品に散りばめられた「笑い」。東野は不思議な作家です。本来なら「笑い」の部分は、作品のなかで浮いてしまいかねないのですが。 引用文をじっくりと読んでいただきたいと思います。明日の朝食メニューを今から決めてしまう平介。迷ったあげく唐揚げに箸を伸ばす平介。日常のなかのさり気ないひとこまを、東野はあっさり「笑い」の種にしてしまいます。それが巧みであり、作品をひっぱる原動力ともなっているのです。主人公を読者に近づける方法としては、危なっかしい挿話は効果的であるようです。(2001.08.18)10.多用する「対極」 ミステリーにかぎらず多くの作品は、2つの極の微妙なバランスで構成されています。それがミステリーなら、加害者と被害者、追うものと逃げるものなどの形であらわれます。この構図は乱用すると、退屈きわまりないものになってしまいます。「対極」にあるもの同士が、なにかのきっかけで接近しはじめます。ミステリーの面白さはその場面にあります。遠くにあった2つが、なにかのはずみで、しだいに重なりあいます。その妙がミステリーの楽しさなのです。 『秘密』には、たくさんの「対極」が登場します。「夫」と「妻」。平介と直子の取り合わせが究極ですが、バス運転手・梶川と後妻の征子の関係も忘れられません。「親」と「子」、「加害者」と「被害者」、「親会社」と「下請け会社」、「上司」と「部下」、「男の子」と「女の子」、「肉体」と「精神」、「公立の建物」と「安アパート」……数え上げたりキリがありません。 東野はこれらのバランスを重んじ、「対極」をきわだたせるための人物造形を、ていねいにおこないました。登場人物はいちようにやさしく、相手への思いやりがあります。本来なら、プラスとマイナスに働く「対極構造」です。それをけっして、強者と弱者のパターンには落とさないのが東野流なのでしょう。 故バス運転手の妻・征子が、遺族に謝罪する場面があります。平介の隣りにいた藤崎が立ち上がり、「あんたの旦那は人殺しだ」と叫びます。このときに平介はつぎのように考えます。 ――皆がどう思っているのか、平介にはわからなかった。はっきりしていることは、藤崎の台詞によって救われた者など一人もいないということだった。彼が口にしたのは禁句だったのだ。(本文95ページより) 平介は征子にたいしても、同じ被害者じゃないかと思える度量の広さをもっています。この気持ちが「対極」の緩衝材となっています。平介が妻・直子に注ぐ愛情。娘・藻奈美にみせる慈愛。そして平介が周囲の人たちに示すやさしさ。『秘密』は、ほのぼのとさせられるミステリーでもありました。(おわり) 「ミステリーZ」の読者のみなさまへ長い間おつきあいいただきありがとうございます。1冊の本を読み、素人でもこのくらいは読書を広げることができます。雑誌や新聞からの切抜きを作品と重ねて、じっくりと読んでみる。ぜひ試みてください。すごく楽しいです。藤光伸。(補:これは以前つかっていたペンネームです)(山本藤光:2001.08.19初稿、2014.11.29改稿)
2020年04月22日
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庄野潤三『夕べの雲』(講談社文芸文庫)何もさえぎるものない丘の上の新しい家。主人公はまず<風よけの木>のことを考える。家の団欒を深く静かに支えようとする意志。季節季節の自然との交流を詩情豊に描く、読売文学賞受賞の名作。(内容紹介より)◎平穏な日常描く異色さ書棚の『夕べの雲』(講談社文芸文庫)には、2枚の新聞切抜きがはさんであります。「第三の新人/芥川賞/庄野潤三氏死去」(「朝日新聞」2009.09.23朝刊)と「庄野潤三氏を悼む/平穏な日常描く異色さ/川本三郎」(「朝日新聞」2009.09.26朝刊)という見出しの記事です。庄野潤三死去のニュースを見た瞬間、ああこれで庄野家をのぞきみることはできなくなったと思いました。庄野潤三88歳。大往生でした。訃報に接して、改めて代表作の何冊かを読み直しました。これは崇拝する著作者の訃報にふれたときの、いつもの儀式です。深い感謝と追悼の念で読むと、また味わいがちがってきます。迷うことなく書棚から、『プールサイド小景』(新潮文庫)、『静物』(講談社文芸文庫)、そして今回紹介させていただく『夕べの雲』を引き抜きました。訃報の記事を著作のうえに置き、しばし黙祷してからもういちど、川本三郎の追悼記事に目を落としました。――庄野潤三は小市民の平穏な暮らしを愛し、彼らの慎ましい日常を描き続けた。初期の『プールサイド小景』などには日常に潜む危機が垣間見えたが、『夕べの雲』をはじめ自分の家族をモデルにした作品を書くようになってからは家族のささやかな幸福こそを見据えようとした。(川本三郎、「朝日新聞」2009.09.26朝刊)川本三郎の記事の最大のポイントは、『夕べの雲』あたりから庄野潤三は作風を大転換させた、との指摘にあります。同記事のなかには、庄野潤三は自分の仕事について、『文学交遊録』(新潮文庫)のなかで次のように書いていると付記されています。――何でもないようなことのなかによろこびの種を見つけて、それを書いてゆくのが私の仕事だ。(同記事より)『文学交遊録』を探してみましたが、当該箇所はみつけられませんでした。そのかわり、次のような記事を発見しました。ネット検索をすると「庄野潤三の部屋」というサイトがあります。そのなかに自身が語る『夕べの雲』についての記述があります。引用させていただきます。――たぶん、『夕べの雲』というのがね、私の大きな転換点だと思うんですけどもね。ここに引越してきて、家のまわりの木がつぶされていくのを、子供たちと一緒に惜しんで、眺めてきたのがこの本のいちばん大きなモチーフだったんです。(中略)もともと空想して書くというのが、好きじゃないんですね。自分の見聞きしたものの中から、心に訴えてきたことを書くというほうがずっと好きなんです。庄野潤三が目指したのは、フィクションではなく、ノンフィクションに近い世界だったのです。◎治者の文学・家長の文学庄野潤三は、執拗に家庭小説を書き続けてきました。1953年『愛撫』(『愛撫/静物・庄野潤三初期作品集』講談社文芸文庫)でデビューし、34歳のときに第2作『プールサイドの小景』(新潮文庫)で芥川賞を受賞しています。『プールサイドの小景』は小島信夫『アメリカン・スクール』(新潮文庫)と、芥川賞を同時に受賞しています。選者の瀧井考作のコメントをそえておきます。小島信夫については、『抱擁家族』(講談社文芸文庫)を推薦作として紹介しています。――サラリーマン生活の弱点を衝いたテーマで、このテーマは、このように明白に提出されると、皆んなが一応は心得ておくべきで、これは大勢に読んでもらいたいと思った。それに、この短篇は、うま味が多い。読みながら不安の心持が惻惻と迫って、やわらかい美しい文章で、香気のようなふくいくとしたものがある。(『芥川賞全集』第5巻、講談社より)このとき選者(川端康成、井上靖ら)の多くは、家庭小説を書き続けることに、ちょっとした疑念を表明しています。芥川賞受賞を契機に、庄野潤三は新たな挑戦をします。それがスケッチ風の文章に、磨きをかけることだったのです。庄野作品は小説ではなく、単なる日常を描くエッセイである、などとトンチンカンなことを書いている評論家もいます。私は庄野潤三の私小説を高く評価しています。庄野潤三の私小説について、書かれた文章を引いておきたいと思います。――ふつうの私小説は、肉親、家族との葛藤を描き、家庭を崩壊する方向をめざすことによって成り立っている。庄野はその逆なのであり、「治者の文学」とか「家長の文学」といわれているのは、そういうことなのだ。(百目鬼恭三郎『現代の作家一〇一人』新潮社P110)◎メルヘンの世界江藤淳が『成熟と喪失』(講談社文芸文庫。500+α紹介作)で俎上にのせた「第3の新人」がおかれた時代を考察してみます。松原新一・磯田光一・秋山駿『戦後日本文学史・年表』(講談社)のなかに、こんな記述があります。――戦前の家族制度から、1960年代以降の<核家族>への移り行きは、古典的な血縁が次第に遠のいていく過程でもあった。(松原新一・磯田光一・秋山駿『戦後日本文学史・年表』講談社P223)戦後を迎え、人々の倫理観や社会構造が少しずつ変化しました。そこをとらえるのが、作家としての機敏な腕の見せどころとなります。『夕べの雲』の舞台になった、山のてっぺんをのぞいてみます。――庄野さんは、田園自然を愛する人である。『ザボンの花』執筆のころは、自然の色どりもまだ豊かな石神井に住んでいた。しかし、その家も都市化の騒がしい波を受けて、住みづらくなり、自然そのものといった多摩丘陵地帯の一丘陵に居を移した。(『個人全集月報集・安岡章太郎・吉行淳之介・庄野潤三』講談社文芸文庫、瀧悌三・文、P268)引用文は瀧悌三が新聞小説連載の依頼のために、庄野邸を訪れたときの模様です。『夕べの雲』はまさに、この多摩丘陵を舞台に描かれています。庄野潤三が移り住んだのは、広大な元芝生栽培がなされていた分譲地です。したがって樹木は一本もありません。古い農家は風よけのために丘を背にして建てられ、しかも家の周囲には風よけの樹木で囲んであります。大浦一家は郊外の丘の上にある、一軒家に移住してきます。登場人物は『静物』のときと同じです。長女は高2、長男は中1、次男は小3に成長しています。家長の大浦は、まず風よけの樹を植えることを考えます。5人の家族は、自然をおおいに楽しみます。そして2年目を迎えると、団地の測量がはいります。庄野潤三は自然の移ろいと子どもの成長を、たんねんにスケッチしてみせます。本書は小説というよりも、完成されたメルヘンのような作品です。『夕べの雲』は、13の掌編で構成されています。久しぶりに再読して、ほのぼのとした気持ちになりました。最後に江藤淳『成熟と喪失』を引かせていただきます。私は庄野の文章を、スケッチ手法という表現を用いました。スケッチとは外の風景を写す以外に、心の内を描くことも含まれています。江藤淳はそのことを、明らかにしてくれました。――『夕べの雲』に描かれている大浦家の日常は、もちろん作者が細心につくりあげた虚構である。その虚構に、一種抗しがたい現実感が含まれているのは、私小説的な模写の手法で的確に描写されているからではなく、むしろ表面にあらわれた虚構と主人公の背後に隠された作者の心理的現実のあいだに、きわめて緊密かつ重層的な照応関係が存在するからにほかならない。(江藤淳『成熟と喪失』P213)◎本稿以前の日記から(2009.09.24) 訃報が飛びこんできました。第3の新人・庄野潤三が亡くなったのです。享年88歳。私の「文庫で読む500+α」の近代日本文学125選では、『夕べの雲』(講談社文芸文庫)を紹介する予定でした。家族小説をを息長く書き続けた庄野潤三は、安岡章太郎や吉行淳之介とは異なる温かい作品が特徴でした。人生とは何ぞや、を教えてくれた作家でもあります。子どもの成長、サラリーマン家族の心理、老夫婦の生活など、作品のすべてが庄野潤三の人生そのものでした。庄野潤三と焼き鳥屋で焼酎を飲んだ話は、吉行淳之介『私の文学放浪』(講談社文庫P70)に出てきます。いつも私は庄野、吉行、安岡を併行して読んでいました。第3の新人は、私の青春の真っ只中にいたのです。庄野潤三『プールサイドの小景・静物』(新潮文庫)を引っ張り出しました。心をこめて、読み直そうと思っています。 (山本藤光:2010.06.14初稿、2015.11.17改稿)
2015年11月18日
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「私」はアパートの一室でモツを串に刺し続けた。向いの部屋に住む女の背中一面には、迦陵頻伽の刺青があった。ある日、女は私の部屋の戸を開けた。「うちを連れて逃げてッ」―。圧倒的な小説作りの巧みさと見事な文章で、底辺に住む人々の情念を描き切る。直木賞受賞で文壇を騒然とさせた話題作。(「BOOK」データベースより)車谷長吉『赤目四十八瀧心中未遂』(文春文庫)◎小説家だって世捨人 車谷長吉は1945年に兵庫県で生まれ、2015年に死去しています。慶応義塾大学文学部独文科卒業後、1972年に「なんまんだあ絵」(『塩壷の匙』新調文庫所収)で新潮新人賞の候補作となり、雑誌「新潮」に掲載されました。しかしそれ以降は、まったく小説が書けなくなります。――私生活においては東京での会社勤めに見切りをつけ、都落ちし、旅館の下足番や料理屋の下働き等を「漂流物」のように転々としながら九年間にも及ぶ関西地方放浪生活を体験する。(知っ得『現代の作家ガイド100』学燈社) そんな車谷長吉に、「書け書け」と迫った人の一人のエピソードを紹介します。――前田達夫くん(註:新潮社社員)に至っては、二度もやってきた。とにかく帰ってこいと。世捨人は結構だ。小説家も世捨人の一種じゃないか。だから飯炊きなんかしないで東京へ帰ってきて小説を書けと。(高橋源一郎・山田詠美『顰蹙文学カフェ』講談社文庫の対談より。P180) こうして生まれたのが第1作品集、『塩壷の匙』(新潮文庫、初出1992年)でした。本書は芸術選奨文部大臣新人賞と三島由紀夫賞を受賞し、一躍脚光を浴びることになります。 その後『漂流物』(新潮文庫。初出1996年)『赤目四十八瀧心中未遂』(文春文庫、初出1998年)と上梓されます。 車谷長吉が「なんまんだあ絵」でデビューしたころ、中上健次も『十九歳の地図』(河出文庫、初出1974年)で文壇に登場しています。2人は社会の底辺や人間の心の闇を描く作家として、ときには括弧でくくられています。中上健次は『枯木灘』(河出文庫)を推薦作として、紹介させていただいています、◎「くすぼり」のアパート『赤目四十八瀧心中未遂』(文春文庫)は、著者の関西漂流時代の自伝的回想録といえます。主人公の「私」(生島与一)は、現在東京で会社勤めをしています。――私は二十代の終りに東京で身を持ち崩し、無一物になった。以降九年間、その日暮らしの、流失の生活を経た。行く所も帰る所も失い、すさんだ気持ちで深夜の西元町駅のベンチに座っていたのも、その九年間の間のことである。(本文P5-6) 回想はこのように始まり、場面はいきなりむかしへと切り替えられます。――私は阪神尼ヶ崎駅の構内に、風呂敷荷物一つを提げて立っていた。見知らぬ市(まち)へはじめて降り立った時ほど、あたりの空気が、汚れのない新鮮さで感じられる時はない。その市の得体の知れなさに、呑み込まれるような不安を覚えるのである。(本文P13)「私」は尼ヶ崎の木造アパートの2階で、毎日焼き鳥屋の肉や臓物の串刺しをしています。そこは「くすぼり」と呼ばれるアパートで、アウトローばかりが住んでいます。「私」は焼き鳥屋の主人・セイ子ねえさんに雇われています。セイ子姉さんは元パンパンだったと自己紹介します。――私は毎日、部屋に閉じ籠り牛や豚の臓物を切り刻み、鳥の肉を腑分けして串刺しにした。はじめのうちは馴れないものだから、串を刺す力の加減が分らなくて、串の先でよく自分の指を突いた。(本文P32) 臓物は朝10時ころに、さいちゃんと呼ばれる若い男が、運びこんできます。そして夕方には作業を終えた串刺しを持ち帰ります。さいちゃんは獰悪な目で私を見るだけで、口は利きません、「私」の部屋の向いは、彫眉と呼ばれる彫り師の仕事部屋です。その部屋からはいつも、苦痛に耐えるうめき声が聞こえてきます、隣室は連れ込み部屋となっており、男女のみだらな声が聞こえます。しかし部屋を使用しているのは、老いた男女に限られています。彫眉の居室は階下にあり、息子の晋平、その愛人であるアヤちゃんが暮らしています。アヤちゃんは見るのが恐ろしいような美人です。アヤちゃんには、ヤクザの兄・真田がいます。◎行き場も出口もない「くずぼり」アパートのなかで、アヤちゃんの美しさは異彩を放っています。アヤちゃんの背には彫眉が手がけた、刺青があります。ある夜「私」は風呂帰りのアヤちゃんと出会います。――風呂屋帰りの洗い髪が光り、白いブラウスに透けてブラジャーと刺青が見えた。それに私が目を遣ったのが、アヤちゃんには分った。/「あんた、目ェだけで女を楽しむのはやめた方がええわよ。」(本文P127) そしてある日、アヤちゃんは突然、「私」の部屋にやってきます。2人は牡と牝となって、はげしく「まぐわい」ます。 アヤちゃんの兄・真田が組のお金に手をつけます。兄はアヤちゃんを身売りします。それと時を同じくして、「私」もセイ子ねえさんから解雇を告げられます。身売りから逃れるために、アヤちゃんから一緒に逃げてほしいと依頼されます。 ここから先には触れないでおきます。読者はその後、本書のタイトルの意味を理解することになります。車谷長吉は自分の過去に、硬骨な文体で串刺しました。 行き場を失っていた「私」は、出口まで塞がれてしまいます。串刺しにされたアウトローたちも、主人公とまったく同じ人生を過ごしています。そんな一串を、秀逸ですのでご賞味ください、とそっと差し出すことにします。(山本藤光:2012.12.01初稿、2015.09.11改稿)
2015年09月12日
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アメリカ南部の大農園「タラ」に生まれたスカーレット・オハラは16歳。輝くような若さと美しさを満喫し、激しい気性だが言い寄る男には事欠かなかった。しかし、想いを寄せるアシュリがメラニーと結婚すると聞いて自棄になり、別の男と結婚したのも束の間、南北戦争が勃発。スカーレットの怒涛の人生が幕を開ける―。小説・映画で世界を席巻した永遠のベストセラーが新訳で蘇る! (「BOOK」データベースより)マーガレット・ミッチェル『風と共に去りぬ』(全5巻、新潮文庫、鴻巣友季子訳)◎黒人だけが南部訛り?マーガレット・ミッチェル『風と共に去りぬ』(全5巻、新潮文庫)は、以前に大久保康雄・竹内道之助・訳で読んでいました。今回鴻巣友季子訳が出ましたので、読み直してみました。鴻巣友季子は『全身翻訳家』(ちくま文庫)や『本の寄り道』(河出書房新社)を発表している、馴染みの翻訳家です。新潮文庫『風と共に去りぬ』(大久保康雄・竹内道之助・訳)を読んだ後に、青木富貴子『「風と共に去りぬ」のアメリカ』(岩波新書)を読みました。こんなことが書いてあります。――英語の原書には黒人の会話だけが、南部奴隷訛りの形でつづられている。白人は全員、今日ふうのきちんとした英語を使っているのに、黒人の英語だけに強い訛りがあるというのは、考えてみれば不自然なことである。当時は南部白人もかなり強い南部訛りをもっていたはずであり、文字の読めなかった黒人は白人の英語を耳で覚えてそう発音していたに違いない。(青木富貴子『「風と共に去りぬ」のアメリカ』岩波新書P67)ずっと気になっていました。原書は読めないので、翻訳文に何の疑問ももっていませんでした。新訳版(鴻巣友季子訳)を読んでみたいと思ったのは、そのあたりの訳文の違いへの興味でした。新潮文庫の新旧訳を読み比べてみました。基本的にはどちらも同じです。白人と黒人を区別するには、このほうが適切と判断しているのでしょう。同じ言葉では、読者は混乱してしまうと考えてのことだと思います。――ブレントは、蔵の上からふりかえり、黒人の馬丁をよんだ。「ジームズ!」「へえ」「おまえは、おれたちがスカーレットさんに話したことを聞いただろう?」「いいえ、プレントさま。おいらが白人の話を盗みぎきするとでも思っとらっしゃるかね?」(大久保康雄・竹内道之助訳P21-22)グレントは馬上で身をひねり、黒人の従僕を呼びつけた。「ヒームズ!」「へい?」「スカーレットさんとおれたちの話は聞いてたろう?」「いや、聞いてねっす、プレントさん。なんでおいらが白人さんたちのことテエサツするなんて思うだ」(鴻巣友季子訳)「標茶六三の文庫で読む400+α」では、ストゥ『アンクル・トムの小屋』(河出文庫、丸谷才一訳)を紹介しています。丸谷才一訳では、主人公のトムのせりふは白人と同じものになっています。アンクルトムと幼女エバの会話を拾ってみます。「でも、アンクル・トムは、どこへ行くの?」「わたしには、わからないんですよ。エバお嬢さん」「わからない?」「はい。だれかに、売られるんですよ。だれが買うのか、わかりません」(ストゥ『アンクル・トムの小屋』河出文庫、丸谷才一訳P162-163)奴隷を扱った小説は、たくさんあります。訳者がどのようなせりふを用いているかを知るのも、読書の楽しみのひとつです。◎逆上したスカーレット『風と共に去りぬ』はミッチェルが生前に発表した、唯一の長編小説です。ミッチェルは49歳のときに、自動車事故で死去しています。主人公のスカーレット・オハラは、アメリカ南部アトランタで農園主の娘として生まれました。魅力的なスカーレットは、青年たちのあこがれのまとです。スカーレットは、教養のあるアシュリに恋をします。しかしアシュリは、従妹のメラニーと婚約します。逆上したスカーレットは、メラニーの兄チャールズと結婚します。彼はアシュレの妹の恋人でした。しかしチャールズは、南北戦争に出征して戦死してしまいます。幼い男児を抱えたスカーレットは、アトランタにあるアシュリの伯母の家に身を寄せます。アシュリへの思慕は、いまだに消えることはありません。ところがこの町も、戦火にのみこまれてしまいます。スカーレットは、レット・バトラーに助けられて故郷・タラへと戻ります。母親は死んでおり、父親は廃人になっていました。生活のためスカーレットは、材木商と再婚します。しかし材木商は事業に失敗し、やがて死亡します。スカーレットは以前に助けられた、レット・バトラーと3度めの結婚をします。レットと結婚して、スカーレットはアシュリへの愛は幻影だったことに気づきます。しかしレットは、自分はアシュリの代替物だったと悟り、スカーレットのもとを去ります。◎16歳の自分を取り戻す『風と共に去りぬ』は、南北戦争をはさんだ16歳の勝気な少女の愛の物語です。アシュリへのあてつけのために、最初の結婚をし、生活のために2度目の結婚をします。ずっとアシュリへの深い愛を意識していたスカーレットは、ある日それが幻影だったことに気づきます。3度目の結婚相手のレットは、戦争は金儲けの手段と豪語する男です。スカーレットは彼を軽蔑しながら、利用していました。レットはなんとしてでも、スカールッとの真の愛を得たいと願っていました。しかし、彼女は一向に心を開いてくれません。そして娘のポニーが事故死し、アシュリの妻になったメラニーっが流産のすえに世を去ります。さらに、レットはスカールットの心に巣食っているアシュリの存在を、排除できないと悟ります。レットまで消えてしまったのです。そして最後には、悲痛な言葉が残されます。――スカーレットは毅然と顔をあげた。レットはきっととりもどせる。とりもどせるに決まっている。そうと決めたら、ものにできない男なんていなかった。「とりあえず、なんでもあした、<タラ>で考えればいいのよ。明日になれば、耐えられる。明日になれば、レットをとりもどす方法だって思いつく。だって、あしたは今日とは別の日だから」(新潮文庫、鴻巣友季子訳、第5巻P511-512)すばらしいエンディングです。絶望のふちで、スカーレットは16歳の自分を取り戻したのです。新潮文庫新装版は、旧版よりも活字が大きくなっていました。もちろん鴻巣友季子の名訳も光っていますが、老年期の読者にとって大きい活字はありがたいものです。1ページの文字数を数えてみました。旧版:1行43字で19行新版:1行38字で16行◎「……でござえますだ」式の言い回し新潮文庫の旧訳について、斎藤美奈子は次のような感想を書いています。――黒人差別が露骨だとして近年では批判も浴びた小説。日本語訳では乳母マミーが話す「……でござえますだ」式の言い回しが気にかかる。それでも全五巻、飽きさせないのがすごい。(斎藤美奈子『名作うしろ読み』中央公論新社P87)乳母マミーの言い回しを比較してみたいと思います。「あの紳士たちは、もうお帰りかね? なぜ夕食におさそいしなかっただかね。スカーレット嬢さま?」(大久保康雄・竹内道之助訳、第1巻P41)「おや、旦那さんがたはお帰りですか? なんでまた、夕食までお引き留めしなかったんです、スカーレット嬢さん?」(鴻巣友季子訳、第1巻P52)斎藤美奈子さん、もうすっかり改められているだがさ。(標茶六三:2013.12.08初稿、2015.11.22改稿)
2015年11月23日
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青年作家マルテをパリの町の厳しい孤独と貧しさのどん底におき、生と死の不安に苦しむその精神体験を綴る詩人リルケの魂の告白。(内容紹介より)リルケ『マルテの手記』(新潮文庫、大山定一訳)◎純粋な空間しか映らない卒論に安部公房を選んだ関係で、彼が影響を受けた作家はほとんど読んでいました。リルケもそのなかの一人ですが、あまり深く影響されていないと安部公房本人が書いています。ずっと安部公房が書いている、次の文章が気になっていました。――リルケの世界は、時間の停止だったのである。停止というよりも、遮断といったほうが、もっと正確かもしれない。リルケはほとんど時間を歌わない。彼の眼には、純粋な空間しか映らないかのようだ。彼にとって、存在とは、「もの」の形のことだったらしいのだ。(『安部公房全集第21巻』新潮社P437。註:本文中の「もの」は傍点です)そして今回再読してみて、『マルテの手記』(新潮文庫、大山定一訳)は安部公房の指摘どおりであることを実感しました。掘辰雄に『マルテの手記』と題する短文があります。青空文庫で読むことができます。そのなかでリルケ自身が友人に語ったとするエピソードが紹介されています。――リルケは「生」の問題を最後まで考へ、最後まで見究めんとして彼の分身マルテをその「生」の最もぎりぎりのところ――殆ど「死」の傍――に終始立たしめた。あまりに弱い神經の持主マルテにはこれ以上殆ど生きがたいやうにさへ見える。しかしリルケは「生きることの不可能なことを殆ど證明するに了つたかに見えるこの本は、この本自身の流れに逆ひつつ讀まれなければならない」と友人への手紙にいふ。(青空文庫)◎セザンヌの絵画のようリルケ『マルテの手記』(新潮文庫、大山定一訳)は、日記を連ねただけの断片で物語性はありません。主人公の「僕」は28歳で、詩や戯曲を書いています。ただし、満足できるものは書けません。僕は孤独と死の恐怖にさいなまれています。ぼくが移り住んできたパリには、あらゆる種類の刺激があります。さまざまな人が暮らしています。僕はまずしっかりとそれらを見据えようと考えます。少しだけ僕が出会った人群れを引いてみます。――僕は一人の男がよろめいて、ぶっ倒れたのを見た。(本文P8)――僕はしばらくして一人の妊婦と出会った。(本文P8)――今日、このほかに僕が見たのは、置きっぱなしの乳母車に乗せてあった子供である。(本文P8)引用のような事物のスケッチの後、僕は幼年期の回想をします。死を目前にした祖父の人格の変化。幽霊を見たこと。壁から手が突きでてきたこと。回想は際限なくつづきます。こんな具合です。――どんな不思議なことが起こっても驚かないつもりだった。しかも、突然壁の中から別なもう一つの手が出て来ようとは、僕は夢にも思わなかった。それは僕の見たこともない、大きな、ひどく痩せ細った手だった。(本文P114)僕は「見ることを学んでいる」はずなのですが、実際にみているのは引用例のように彼にとって不可思議なものです。僕は質感のないものを見て、瞬時にそれをイメージとして構築します。そしてすぐにそれを壊してしまいます。僕はみているものには形がありますが、壊されたあとには何も残りません。ふたたび孤独や死にかんする、エピソードが語られます。そして詩人たちが描いた女性の愛についての所感が述べられます。僕の孤独な心のなかには、神が同居しています。僕は何度も神に問いかけます。リルケは心象風景を、抽象画のようにつまみだします。大学時代に難儀しながら読んだのは、岩波文庫(望月市恵訳)でした。今回新潮文庫で再読してみて、すらすらと読めることに驚きました。私は「抽象画のように」とたとえました。しかし、石光泰夫の文章を読んで、なるほどと思いました。引用させていただきます。――イメージの輪郭はみえすぎるくらい鮮明にみえているのに、そのイメージがいわば音楽のようにざわめきたって、揺らぐ水面の映像のようにもなってしまうのは、あの動的にせめぎ合いながらそれでも一定の輪郭へと納まってゆくセザンヌの絵画のタッチと同じ現象であろうか。(『世界文学101物語』高橋康也・編、石光泰夫・文、新書館P141)◎視覚。聴覚・嗅覚を総動員主人公マルテは「見ることを学ぶ」決心をしたのですが、彼は「味覚」以外の五感(視覚、聴覚、触覚、嗅覚)を総動員させています。妊婦に出会ってからの、文章で検証してみます。妊婦は市立参院へと行くのですが。僕は今度は陸軍病院にたどりつきます。――街路がいっせいに匂いはじめた。ヨードホルムと馬鈴薯をいためる油脂と精神的な不安と、僕はどうやらこの三種の匂いをかぎ分けることが出来た。(本文P8)パリを彷徨したのち、僕は部屋へ戻ります。今度は匂いから音の世界が描写されます。――窓をあけたまま眠るのが、僕にはどうしてもやめられぬ。電車がベルをならして僕の部屋を走りぬける。自動車が僕を轢いて疾駆する。どこかでドアの締まる音がする。(本文P9)12歳のときの回想場面では。触覚が登場します。僕は食事の席の不気味さに耐えられず、向いの席の父の膝に自分の足を乗せます。――長い食事時間をよく我慢できたのは、このかすかな接触が与えてくれた力づけのお陰であった。(本文P35)リルケは感性豊かな詩人です。私は「味覚」の描写を3度も探しました。しかし発見できませんでした。また「触覚」に触れたのも1か所だけでした。つまり主人公マルテは、「視覚」をベースに、外部から感じられる「聴覚」と「嗅覚」を重んじたのだと思います。パッチワークのような詩片を、織りなしてシュールな散文に仕上げた手腕は、まさに天才のなせる技なのでしょう。(標茶六三:2014.04.23初稿、2015.11.25改稿)
2015年12月01日
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妙に知181008:「ドジ」の語源▼ドジを踏む。この「ドジ」の語源は予想外のものでした。2つほど説があるようです。一つは相撲からきたもの。「土地」と書いて、土俵外を意味するようです。つまり負けのこと。もう一つは警察の隠語説です。「泥地」と書いて。ここを踏むと足跡が残ることから。ドジな奴などとよく用いていましたが、「鈍遅」と書くという説もあるそうです。(M2プロジェクト編『天下無敵のネタの宝庫・雑学大事典』永岡書店をまとめました)▼情報誌『ちくま』の契約を解約した理由。長いこと愛読してきた雑誌ですが、活字が小さすぎて読むことができなくなりました。高齢化社会で、小さな活字は天敵です。大好きな雑誌だったのに、残念でなりません。山本藤光2018.10.08
2018年10月08日
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黒山の人だかり「黒山の人だかり」の語源をみて、黒は頭髪ではないことを知りました。――「黒」とは、山のように人が集っていることの異様さ、そのただならぬ雰囲気を表現したものである。黒という語は暗(くら)と同源のことばである。(『面白すぎる雑学知識・語源2』青春出版社文庫)安易にネット検索すると、――日本人の黒髪からきている。大勢の人が集まって山のように見える様子。(手作り言葉辞典)などという説明もあります。ネットを参照すると、ときどき混乱させられます。ところが『日本歴史大事典』を引くと、「黒山」は真逆の意味になっています。――原生林におおわれた未開山地。古代、境界領域は黒色によって象徴化されており、そこは人の立ち入りがタブー視され(後略)つまり「黒山」は、たくさんの人とは無縁の言葉なのです。どれが正しいのか、わからないままこの項は閉じることにします。ネットでは「日本人の黒髪」説が勝っていました。しかし『面白すぎる雑学知識・語源2』では、それを冒頭で否定しています。山本藤光018.11.09
2018年11月09日
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野坂昭如『火垂るの墓』(新潮文庫)太平洋戦争末期の神戸。空襲で親を失った14歳と清太と4歳の節子の兄妹はいかに生き、なぜ死なねばならなかったのか。(「BOOK」データベースより)◎傍若無人 野坂昭如(あきゆき)は1930年生まれで、2015年に逝去しています。多彩な人で肩書きを並べると、作家、作詞家、シャンソン歌手、落語家、漫才師、タレント、政治家などとなります。小説家としては、自ら「焼跡闇市派」と名乗りました。 野坂昭如については、たくさんの作家や評論家が筆をとっています。そのなかで、磯田光一の文章が印象的だったので紹介させていただきます。磯田光一は最初に、野坂昭如の次の文章を引きます。――東大紛争なんかでハッキリ反体制側に加担したけど、四十歳になって、女房子どももあればネ、反体制なんかウソで、自分が抜きがたく体制的であることは認める。もう徴兵にかかるわけではなし。(出典「反体制もトシをとれば」。磯田光一『悪意の文学』読売選書P68) この文章は、もっとも野坂昭如らしいと思います。そして磯田光一は次の文章で結びます。――「傍若無人」という語が、これほどふさわしい作家がまたとあろうか。過去の発言との一貫性を保っているように見せたがる世の知識人とは、野坂氏はまったくといってよいほど異質である。(上記書P69) 正直で、短気で、照れ屋。そんな野坂昭如への追悼の言葉では、佐藤愛子の次の一文が胸に響きました。――野坂さん、あなたは不思議な人でした。極めつきの我儘なのに、人にはわかりにくい繊細な優しさがあって、その優しさのために勝手に傷ついて、そして暴れん坊になる、といった厄介な人でした。野坂さん、これでらくになってよかったね。*「らく」に傍点(『オール読物』2016年2月号P291) 野坂昭如のデビュー作は『エロ事師たち』(新潮文庫)で、1967年には、『火垂るの墓』『アメリカひじき』で直木賞受賞しています。。◎養父と実妹への鎮魂歌 野坂昭如『火垂るの墓』(新潮文庫)はアニメ化されており、ご覧になっている人が多いかもしれません。しかし短い作品ですので、ぜひ手にとって読んでいただきたいと思います。野坂昭如は一文が長く、しかもたたみかけるような文体が特徴です。冒頭の一部を書き写してみます。――省線三宮駅構内浜側の、化粧タイル剥げ落ちコンクリートむき出しの柱に、背中まるめてもたれかかり、床に尻をつき、両脚まっすぐ投げ出して、さんざ陽に灼かれ、一月近く体を洗わぬのに、清太の痩せこけた頬の色は、ただ青白く沈んでいて、(後略) 一文はさらに続き、数えてみると9行もありました。物語は主人公の清太が浮浪児となって、駅構内にいる場面からはじまります。ここには、住まいのない浮浪児がたくさんいます。みな一様にやせ細っていて、体を動かす体力すらありません。 清太はここで絶命し、無縁仏として葬られます。彼の腹巻きのなかには、妹・節子の遺骨が入ったドロップ缶がありました。駅員はそれを、草むらに放ってしまいます。 このあと舞台は、清太の生前に転ぜられます。第二次世界大戦の末期、14歳の清太と4歳の節子は、母と3人で神戸に住んでいます。父は出征しています。神戸は米機の、大空襲に遭遇します。病弱で遠くまで行けない母を防空壕に残し、清太は妹を背負って避難所に逃げこみます。 空襲が終わり、清太は家と母を失います。2人は万一のときにと、母が定めていてくれた西宮にある遠縁の家を訪れます。母はあらかじめ自分の衣類なども、そこに送ってありました。最初のうちはやさしかった女主人ですが、次第に2人を厄介者扱いします。そして2人は横穴の洞窟に、住まざるを得なくなります。洞窟に蒲団や蚊帳を運び、2人だけの貧しい生活がはじまります。 明かりがないので、2人は螢をとってきて蚊帳に放ちます。しかし螢は翌朝になると死んでいます。まるで2人のこれからを暗示するように。 そのうちに持ち金が底をつき、清太は近所の畑を荒らしたり、空襲警報で不在になった家へ盗みに入るようになります。生きるために清太は必死でしたが、ある日節子は栄養失調のために死んでしまいます。 一人きりになった清太は大人に教わり、節子の遺骸をだびにふします。そして清太は浮浪児がたくさんいる、三宮駅で寝起きをするようになります。 戦争に翻弄された幼い命。野坂昭如は自らの体験も踏まえて、自分を育ててくれて空襲で亡くなった養父と、栄養失調で命を失った妹への鎮魂歌を書きました。――養父、そして実妹を戦争で亡くしながらも生き残った野坂さんは、きっと一生をかけて伝えていくべきものをたくさん抱えているに違いありません。そして、体験を小説にすることで、亡くなった人たちの存在を物語の中で伝えていく選択をしたのではないかと、私は想像しています。(小川洋子『みんなの図書室』PHP文庫P116)◎天からの火垂る、葉末の螢 アニメは観ていませんが、『ジブリの教科書4・火垂るの墓』(文春ジブリ文庫)を読みました。そこに寄稿されている文章のいくつかを紹介させていただきます。――天からの火垂るも、葉末にひそむ螢も失せて、節子は、甘い水の恩寵を求め、とび立った。僕は苦い水の、現し世に生きのびている。残像の世を生きる。(同書、野坂昭如「幻想・火垂るの墓」P208) この文章は清太と節子が死んでから43年を経て書かれたものです。これを読むと、タイトルが「螢」ではなく、「火垂る」である意味がわかります。――誇り高く潔癖な清太が選んだのは、兄を信じてうたがうことを知らない妹と共に、ふたりきりの無垢な聖域で、短く伸びやかな人生をまっとうすることだった。(同書。野中柊P192) 最後は壇ふみの文章で、締めさせていただきます。――悲惨なこと、悲しいことから、こんなにも美しく、人の心を打つ物語が生まれてくるんですね。(中略)『火垂るの墓』は、神様の顔がちらりと見えるような、そこまでの美しさを湛えた作品だと思います。(NHK『私の1冊日本の100冊・感動のとまらない1冊』学研P15)(山本藤光2017.09.05)
2017年09月06日
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