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福岡へ旅立つ前に、大切な人や友達と連絡をとりお別れのあいさつをしている義母。私は、一緒にいさせてもらいなんだかお友達にも可愛がられている。(勝手にそう思っている笑)一緒に泣いたり、笑ったりしながらお別れの瞬間を体験している。今日も、義母のお友達が駆けつけてくれて私の苦手なお裁縫をかわりにやって下さった。(目が不自由なので、衣類に目印代わりにボタンをつける作業が必要)その方と義母の会話を、夕食の準備をしながら聞いていた。「自分の息子が、嫁の家族の為に料理したり お世話に通ってたらどう思う? 嫁なら当然と思ってしまうけど、自分の息子だと ちょっとあれ?って思ってしまう。 分かったような口ぶりで男尊女卑が嫌だといいながら 私の中にも、深く根付いた男尊女卑があるの。 気がつくたびに本当に、嫌になる。 仕方ないね それが、人間というものなんだよね」お友達がそう話されていた。胸がジーンとした。とても素敵だなぁと思った。自分の中にあるものをちゃんと見つめて、受け入れる強さが、とても素敵だと思った。仕方ないねという言葉は、本当に素晴らしい。思い通りにならない現実を、仕方ないねと慰めて理想とかけ離れた心を許していく。本当に素敵な人だ。私は、義母を通して思い通りにならない現実とどう向き合っていくかということを見せてもらっている。 俯瞰して眺めると、必要なことが必要なタイミングで、関わるひと全ての気づきとなるようにはかられていると感じるけれど。人間の力を見せてもらっている。心はどん底、それでも生きると決めて愚痴っぽくなったり、恨み節を吐きながらもがいている義母の姿を隣で眺めている。寝る前に、私は歌いながら祈る。この義母の思いは、今というこの時を生きる為に必要なもの。思い通りにいかないことも含めてこの瞬間、生かされているという感謝の祈りを毎晩、歌いながら空に放っている。義母が、今気が付けない周りの人達からの愛を感じながら、私も同じように愛されていることを確認している側面もある。私は今日も愛されている。豊かな1日をありがとうございます😊
2025.02.19
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昨日、長男と買い物へ出かけた。歩いて行こうかと声をかけ、久しぶりに並んで歩いた。「嬉しいなぁ。並んで歩くの久しぶり! 一歩踏み出す毎に、わくわくが増して どんどん楽しく感じる~!」と私が言うと「そうなん?」と言い、にこにこしていた😊沢山話す訳でもなく、ただのんびり2人並んで歩くだけで心地よい。子供の頃の感性が戻ってきてから、人と関わる時の心地良さが増した。戻ってきた感性は、とても宇宙的なのに不思議だ。宇宙や自然や見えない存在と繋がる時必ず人間の素晴らしさを伝えてくれる。どんな状態も素晴らしい。この人は、本当はこういう愛を表現したいんだよそんな風に教えてくれる。日々の感情を観察しその奥にある本当の想いに耳を澄ませてきた。心にもやをかけず、澄んだ状態に保つ為には、本当の想いに気がつき行動するしかない。外側の世界に、心のもやの原因は存在しない。心を苦しめているのは、出来事でもなく、他の人でもなく、誰かの行動でもない。自分の内側にある、思考のクセや、思いぐせだ。感情の観察は、私にとって趣味なので呼吸をするのと同じかもしれない。観察し続け、本当の想いに気がつき、叶える行動をしていたらいつの間にか感覚が開いてしまった。心のままにとは、感情のままにということではない。感情の奥に眠る、本当の想いのままにということだ。本当の本当はどう感じているの?旦那にそう問いつづけ、素直に、本当の想いを伝える事が日常になった頃、旦那も最初の目覚めを経験した。(私から見ると)最初の頃は、プライドが邪魔をして素直に表現出来なかったり、本当の想いに気がつかないフリをしていた。成長は螺旋。何度も目覚めはやってくる。深まることに終わりはない。現実世界では、飽きっぽいと評価されがちだ。けれど、自分の心を見つめ、素直に表現することだけは私がこれまでコツコツ磨いてきたことなのかもしれない。純粋に誰かを映し出す鏡として存在するために。これからも、誰かにとっては悪役で誰かにとっては救いで誰かにとっては愛で誰かにとっては厄介者でその人にとって必要な役柄を完璧に演じたいと思う。関わって下さる全ての方へ感謝😊
2025.02.07
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今朝、旦那と話している時に同じ景色を見ている!と体感した。そして、私に「愛」と「愛情」の違いについて教えてくれた。私の存在が、どういうものかを感じさせてくれるために一緒にいてくれたのだと心から湧き上がり涙が出た。旦那とはこれまで、役割を分担して関わってきた。私がネガティブに振切れている時期は、ポジティブに私がポジティブに振切れてるいる時期は、ネガティブにお互い対極の状態にいることで、家族のバランスをとってきた。これは、なかなかしんどい笑考え方も違う上、エネルギー自体も真逆笑生活していても共感できる部分が少なかった。それでも私達が一緒に歩んでこれたのは、子供達は、存在しているだけでいいと感じているという部分が同じだったことだと思う。(純粋な愛の部分)しかし、愛を表現する時、旦那は体罰が必要だという考え方で、私は真逆。分かり合えないという期間が続き、何度も何度も諦めずに話し合い、歩みよることでお互いに心地よい理想を追い求めてきた。純粋な愛が発端でも、表現する「情」が絡む時その人の考え方や思いぐせで表現方法が変わる。それまで経験してきたことが、考え方をつくり思いぐせ、選択する時の物差しになっている。それが個性だが、様々な思いが絡まりついていてお互いに分かり合えないということが起こる。そんな日々の中で、私が先に目覚めた。(ワンネスを体感し、これまでの世界の見え方がガラリと変わる)その間は、私が宇宙的な感覚に振切れ、旦那は人間の不安な側面ばかり見る感覚に振切れていた。何度も衝突を繰り返し、歩みよるを繰り返した結果旦那も目覚めてしまった。人の感情や思いぐせ、考え方のことを私はデータと呼ぶ癖があるのだが、家族と一緒にいる時は使わないようにしている。それなのに今朝、旦那が同じニュアンスで「ほら、それはその人のただのデータだからさ」といった時、やっぱり、私と同じ星から来たんだなと思った笑物事の見方、感じ方、考え方をビルで例えるとこれまで同じ階数、同じフロアで過ごしていた事がなかった。たまに、屋上で会う時に「子供って、存在してくれているだけで幸せだよね」と確認しあっていた感覚だ笑けれど、今朝人間的には同じフロアですごしたことは無いけれど同じ宇宙船から来た人なんだなと体感した。もしかすると、今後は同じフロアで過ごすことができるのかもしれないと思うとわくわくした笑旦那と話す前に、おかずだけ詰めたお弁当を置いていた。ご飯が炊き上がったら詰めようと思っていたのだがすっかり忘れて旦那と話していた。いつの間にか末っ子は、自分でご飯を入れて登校していた。「もう、本当に一瞬に集中しちゃうから 話に夢中ですぐ忘れてしまうな~」と私が言うと、「それが人間の本質じゃないか~ その一瞬を楽しむことが必要なのだから なにも間違ってないよ」と旦那に言われた。ウンウン!知ってる!わかってるんだ!と嬉しくなった。そして、「お前の表現していることは、愛そのものだよ 俺が表現しているのは、愛情。 情は優しさなんだ」と教えてくれた。私にとって、「情」は個性(我・欲)という認識だった。今まで、愛に旦那の絡まった思い(情)が巻きつき、私に向けられ何度も苦しい思いをした。その時ですら、旦那にとっては精一杯の「優しさ」だったのだろうと思う。今まで、見えない存在から届くメッセージが私を励まし肯定してくれていた。あなたは本当に、素晴らしいと。けれど、今は、旦那が私の全てを肯定してくれる。君は、愛そのものでいる役割の人だよと。こんなに心強いことは無い。想像もしていなかったギフト🎁✨が届いた。「私たち、幸せにしかならないね」そんなことを話しながら、仕事へ見送った。素敵なギフトをありがとうございます。出会って下さった全ての方々のおかげです。今日も、あなたらしい1日を✨️✨️
2025.02.05
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