平成24年10月2日に亡くなった親父さんとは、塾の仕事を31年間一緒にやってきた。
昭和56年9月に『塾なんて儲からないからやめとけ。』という親父さんの制止を振り切って強引に開塾した。
結果は親父さんの言う通りになった。生徒は集まらない、給料に窮する。支払いに窮する。
大学卒業までは湯水の如くお金を使っていた。仕送りの最高は一ヶ月で45万円。35年前の45万は今の60万円以上の価値はあったと思う。若かったから飲んで食べて遊び廻ってでの出費。『極楽トンボ』そのものだった。
でも、いくら馬鹿でも『大学でたら親に迷惑はかけられない。』と思っていたが、世の中そうそう甘くはない。
金の力には勝てなかった。結局300万円貸して貰って数年を過ごした。
ボールペン1本、鉛筆1本を節約した。学生時代はそんなこと全くした事がなかった自分が、『金がない』事を思い知らされた。いつのまにか親父さんと同じ事をしているなぁ…と思う。
平成5年の時だったと思うが、お金が廻らなくなった時があった。
さすがに疲弊して、『俺、もう塾を閉めるよ。。。お金も廻らない。もう疲れた。』
その時の親父さんの言葉は、
『芳範、われが一生懸命やったのは分かっている。700万や800万の金で、ビッコをひくな。その金は俺がなんとでもしてやる。だけどな、覚えてろよ、借金してでも金は払え。それが信用だぞ。忘れるなよ。』だった。 親父さんは亡くなってしまった。前のように喧嘩も出来ない。事務所の親父さんの部屋は、最後に来た9月26日?のまま。親父さんと自分とは、亡くなろうが、生きていようが、すぐ身近にいる気がしてならない。
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