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カトリックでは本日11月2日は「死者の日」ということで、教会の墓地委員長(天国の門番と言っておりますが)の私は、神戸の鵯越墓地にある教区の墓地での慰霊祭へ出かけておりました。自分ちの墓地は別ところにあるので、ここでは慰霊祭のお世話係なのであります。そこで、本日はミサ中に考えていたことでありますが、最近知り合った方に某宗教の本を頂き、ちょこちょこ読んでおります。その宗教は「キリストの神様も仏教の仏様も実は同じ神様なのです。だから家では自分のところの神様を拝んでもいいよ」という宗教のデパートのような感じなのですが、本の序文の一説がなかなか腑に落ちた(腑に落ちないところは多々あるが)。「人間の身体の細胞は15年もすれば新陳代謝で全部入れ替わる。という事は、人間の実態は心であって、入れ物(身体)が変わっても変わらないものが実態なのだ」という部分。なるほど、今日のミサ中に考えたのは、神様から与えられたこの世での生(身体)は、その心でもって神様の意に添うように使わなければいけないのだな。で、その身体が朽ちる時が心が身体から離れる「死」であるのだな。という事は、「心」が最も重要なんだな。という至極当然の思いでありました。この「心」でもって、悪いように身体を使っちゃうと、身体を操縦している身体の一部の脳も悪さするように考えてしまうのだな。キリスト教の最も大切な教えは「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして神である主を愛せよ」「また自分を愛するように、あなたの隣人を愛せよ」というところであるが、表面的な思い(を生み出す脳の考え方)も身体の一部と考えるなら、先に言った「心」のところで、神の御心に叶うように身体をコントロールしていかないといかんのだな。と、そんな事を考えていた「死者の日」でした。こんな事を気づかせてくれた某宗教書には取りあえず感謝しておきましょう。ただし、おいらの神様はキリストの神様で、その教えを全面的に全うしたいと思うので、改宗はなしであります。
2008年11月02日
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