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秋山巌の美術館 ギャラリーMami 町田珠実です。8月18日は、母(秋山巌の妻)の誕生日。母は、昨年2024年1月3日に95歳で亡くなりました。両親ともいなくなるのは寂しいですが、昨年は、次兄も癌で亡くなりました。お盆なので、家族の事をたくさん思い出します。昭和3年(1928年)生まれの母、生誕97年になります。3年前に、母の代用教員時代の話を書いたのがこちら↓母94歳誕生日に「風早国民学校大井分教場」代用教員時代の記録古いアルバムに、まだ写真がございましたので記録しておきます。このときの生徒さん達は、80代後半になられてますね。風早村国民学校 大井分教場 先生達でしょうか。前列左が母。こちらも先生方?後列左が母。こちらは、代用教員じゃなくて農協かもしれません。農協にも少し行っていたそうなので。生徒さん、たくさんいますね。こちらの集合写真には、「初三」の札を持った子がいます。中央が母。こちらには「初四」の札を持った子。こちらは代用教員かどうかわかりません。校舎が別角度なのか、よくわかりません。先生方集合?敗戦後、教科書の黒塗りもやったと言っていた母。あちらで父や兄とゆっくりしていますか?ゆっくりはしていないでしょうね。95年の人生、ご苦労様でした。#風早村国民学校#風早村#沼南町
2025.08.11
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秋山巌の小さな美術館 ギャラリーMami の町田珠実です。ノエビア銀座ギャラリーで、【藤森武写真展】が開催中です。ご案内を頂いたとき、恥ずかしながら、写真家「藤森武」氏を知らなかったので少し調べました。土門拳に師事された方なのですね。山形県酒田市で個展を開催したときに、実父「秋山巌」も来てくれました。酒田には【土門拳記念館】があり、父がここだけは行きたいというので、一緒に行った思い出があります。酒田での個展はいつだったかな?と案内状を探したら、1996年でした。中合清水屋(当時)さんで開催したのですが、清水屋さんも閉店してしまったようです。では、ノエビア銀座ギャラリーさんご案内藤森武写真展 仙人と呼ばれた画家「熊谷守一」2023年3月30日(月)~6月2日(金)開催時間:午前9時~午後5時30分会場:ノエビア銀座ギャラリー 入場無料画家、熊谷守一(1880~1977)は、白いあご髭を蓄えた風貌や、うっそうと木が茂った自邸で過ごす暮らしぶりから「仙人」とも呼ばれた画家、熊谷守一(1880~1977)。写真家、藤森武(1942~)は、1974年から3年をかけて守一の日常を撮り続けました。膨大な枚数から選りすぐった、熊谷守一の晩年の姿をご紹介いたします。
2023.05.19
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秋山巌の小さな美術館 ギャラリーMami の町田珠実です。今日3月21日は、秋山巌の誕生日で生誕102年となりました。写真は、ふるさと竹田で開いていただいた、「秋山巌先生の米寿を祝う会」嬉しそうですね♪さて、ブログ更新(SNS全般ですが)すっかりご無沙汰してしまいました。昨年11月に、義父が酔っ払って自転車で転倒し、膝のお皿にひびが入るという事件がありました。義母は脳梗塞左半身麻痺の車椅子。介護していた義父が食事の準備など出来なくなったので、なんやかやと慌ただしい日々となっています。しか~し、今日は先生の誕生日!そして【一粒万倍日】【天赦日】【寅の日】が3つ重なる最強開運日だとか。来年は没後10年となりますし、没後10年企画展にむけて、またがんばりますので、宜しくお付き合い下さい。
2023.03.21
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秋山巌の小さな美術館 ギャラリーMami の町田珠実です。 ぼろ着て着ぶくれておめでたい顔で 山頭火秋山巌「着ぶくれ」1977年昭和12年1月 草木塔に収録の句前置きに「自画像」とあります。 草木塔 柿の葉より 昭和十二年元旦今日から新らしいカレンダーの日の丸 自画像ぼろ着て着ぶくれておめでたい顔であつまつてお正月の焚火してゐる雪ふる食べるものはあつて雪ふるみぞるる朝のよう燃える木に木をかさねしみじみ生かされてゐることがほころび縫ふときいつも出てくる蕗のとう出てきてゐる前にこの作品の記事を書いたのが2007年でした!「ぼろ着て着ぶくれておめでたい顔で」作品の「皃」は「貌(かお)」の異体字というのを、この時に調べた記憶があります。今日も穏やかな天気でした。
2023.01.02
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秋山巌「脱兎如全力疾走」秋山巌の小さな美術館 ギャラリーMami の町田珠実です。2023年、令和も5年なのですねぇ!2024年が没後10年何が出来るかわかりませんが、今年1年準備したいと思います。本年もよろしくお願いします。
2023.01.01
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秋山巌の小さな美術館 ギャラリーMami の町田珠実です。ブログもSNSもあまり更新出来ぬまま、大晦日になってしまいました。今年もいろいろあったのですが、健康で無事に過ごせた事だけで感謝ですね。秋山巌の作品も、もっともっと紹介したかったのですが、義母の介護サポートなども始まり、しばらくはもろもろでバタバタしそうです。写真は、秋山巌絵付けのとっくり。木版画作品もあるのですが、画像がないのでとっくりで。年末になると、この一茶の句しか浮かばなくなります(笑)2015年にも、「あなたまかせの・・・」記事を書きました。 ともかくもあなたまかせの年の暮 一茶この句の「あなた」とは、阿弥陀如来様の事です。私も阿弥陀様にすっかりおまかせしたいと思います。 ◎一茶「年の暮」で結ぶ句梟よ のほほん所か 年の暮 大黒の 鼠ならなけ 年の暮木兎(みみずく)は何の小言ぞ年の暮寝た所が 花の信濃ぞ 年の暮湯に入て 我身となるや 年の暮けふの日も 棒にふりけり 年の暮屁もひらず 沈香もたかず 年の暮皆様も、どうぞ健やかに新年をお迎えください。今年一年、ありがとうございました。
2022.12.31
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おとはしぐれか 山頭火秋山巌「しぐれ」1979年昭和7年10月21日、其中庵での句。トイレでしゃがんでいるときに、突発した一句!1970年代のふくろうと山頭火がすごく好きです。こちらは、1990年のふくろう秋山巌「しぐれか」1990年ちょっとやわらかい雰囲気ではないですか?では、昭和7年10月21日 山頭火 其中日記より十月廿一日曇、それから晴、いよ/\秋がふかい。朝、厠にしやがんでゐると、ぽと/\ぽと/\といふ音、しぐれだ、草屋根をしたゝるしぐれの音だ。・おとはしぐれかといふ一句が突発した、此君楼君の句(草は月夜)に似てゐるけれど、それは形式で内容は違つてゐるから、私の一句として捨てがたいものがある。 追加三句(帰郷 やつぱりうまい水があつたよ、の句と共に句賛の三句とする)・露のしたゝるしたしさにひたる・別れて遠い秋となつた 朝から百舌鳥のなきしきる枝は枯れてゐるけさはほどよい起床だつた、すべてがおだやかに運ばれた、何かうれしい事でもないかな。敬治坊からの返信は私を微苦笑させた、いづくもおなじ秋の夕暮、お互に借金の風にふきまくられてゐる。どれ散歩でもせうか、それはまことに露のそゞろあるきでござりまする、はい、はい。――こゝに庵居してからもう一ヶ月になる、落ちついたことは落ちついたが、まだほんとうに落ちついてはゐないらしい。其中庵風景――その台所風景の傑作は酒徳利の林立であらう、いつでも五六本並んでゐないことはない。I老人、竹伐りにきて、縁側でしばらく話しあふ、しづかでうらやましいといふ、誰でもがさういふ、そして感にたへたやうにあたりを見まはす、まあひとりで、かうしてやつてごらんなさいと私の疳の虫が腹の中でつぶやく、かうした私の生活は私みづから掘つた私の墓穴なのだ。……竹を伐る――伐られる竹――葉のそよぎ――倒されて枝をおろされて、明るみに持ちだされて。――寝て起きて、粥を煮て食べる、――今日も暮れた。・もう、暮れる百舌鳥は啼きやめない暮れてから(あまり暗いので、それは勘で歩いたのである)学校へ樹明君を訪ねる(彼は今晩宿直だから来るやうにといつてきたのである)、例によつて一杯よばれる、風呂にもよばれる、そして雑誌にもよばれたといつてよからう、ひきとめられるまゝに泊る、帰つたところで仕方もないから、もつとも帰つた時にお茶なりと飲むつもりで、炭をいけ床をのべてきたのだが。読みつゝ寝た、昆虫の愛情についての記事が面白かつた、かういふ科学記事を読んでゐると、人間執着がとれてくる、動物としての自己他己観照が出来るやうになる。以上。
2022.10.21
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秋山巌の小さな美術館 ギャラリーMami の町田珠実です。9月はあっという間に終わり、10月ですね。先日、大腸内視鏡検査でポリープを切除してきて、お酒が美味しい季節になるのに、あと一週間ほどがまんです。こころつかれて山が海がうつくしすぎる 山頭火秋山巌「こころつかれて」2005年昭和5年10月1日、宮崎県日南市大字伊比井での句。山頭火 行乞記より十月一日 曇、午后は雨、伊比井、田浦といふ家(七〇・中)よう寝られて早う眼が覚めた、音のしないやうに戸を繰つて空を眺める、雨かも知れない、しかし滞留は財布が許さない、九時から十一時まで、そこらあたりを行乞、それから一里半ほど内海まで歩く、峠を登ると大海にそうて波の音、波の色がたえず身心にしみいる、内海についたのは一時、二時間ばかり行乞する、間違ひなく降り出したので教へられた家を尋ねて一泊を頼んだが、何とか彼とかいつて要領を得ない(田舎者は、yes no をはつきりいはない)、思ひ切つて濡れて歩むことまた一里半、こゝまで来たが、安宿は満員、教へられてこの家に泊めて貰ふ、この家も近く宿屋を初めるつもりらしい、投込だから木賃よりもだいぶ高い、しかし主人も妻君も深切なのがうれしかつた、何故だか気が滅入りこんでくるので、藷焼酎三杯ひつかけて、ぐつすりと寝てしまつた。労れて宿に着いて、風呂のないのは寂しくもあり嫌でもある、私は思ふ、日本人には入浴ほど安価な享楽はない。朝夕の涼しさ、そして日中の暑さ。今日此頃の新漬――菜漬のおいしさはどうだ、ことに昨日のそれはおいしかつた、私が漬物の味を知つたのは四十を過ぎてからである、日本人として漬物と味噌汁と(そして豆腐と)のうまさを味はひえないものは何といふ不幸だらう(さういふ不幸は日本人らしい日本人にはないけれど)。酒のうまさを知ることは幸福でもあり不幸でもある、いはゞ不幸な幸福であらうか、『不幸にして酒の趣味を解し……』といふやうな文章を読んだことはないか知ら、酒飲みと酒好きとは別物だが、酒好きの多くは酒飲みだ、一合は一合の不幸、一升は一升の不幸、一杯二杯三杯で陶然として自然人生に同化するのが幸福だ(こゝでまた若山牧水、葛西善蔵、そして放哉坊を思ひ出さずにはゐられない、酔うてニコ/\するのが本当だ、酔うて乱れるのは無理な酒を飲むからである)。今日、歩きつゝつく/″\思つたことである、――汽車があるのに、自動車があるのに、歩くのは、しかも草鞋をはいて歩くのは、何といふ時代おくれの不経済な骨折だらう(事実、今日の道を自動車と自転車とは時々通つたが、歩く人には殆んど逢はなかつた)、然り而して、その馬鹿らしさを敢て行ふところに、悧巧でない私の存在理由があるのだ。自動車で思ひ出したが、自動車は埃のお接待をしてくれる、摂取不捨、何物でも戴かなければならない私は、法衣に浴せかけられた泥に向つても合掌しなければならないのだらう。今日の特種としては、見晴らしのいゝ路傍に蹇車を見出した事だつた、破れ着物を張りまはした中から、ぬつと大きな汚ない足が一本出てゐた(その片足は恐らく見るかげもなく頽れてしまつてゐるのだらう)、彼は海と山との間に悠々として太平の夢を楽しんでゐるのだ、『おい同行さん』とその乞食君(私としては呼び捨てには出来ない)に話しかけたかつたが彼の唯一の慰めともいふべき睡眠を妨げることを恐れて、黙つて眺めて通り過ぎたが。 泊めてくれない村のしぐれを歩く こゝろつかれて山が海がうつくしすぎる 岩のあひだにも畠があつて南瓜咲いてる・波音の稲がよう熟れてゐる・蕎麦の花にも少年の日がなつかしい 労れて足を雨にうたせる以上
2022.10.01
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秋山巌の小さな美術館 ギャラリーMami の町田珠実です。今日、9月15日は秋山巌の命日。2014年9月15日に亡くなり没後8年、早いですね。広島呉の「真福寺」さんでは、毎年「ふくろう忌」として、ゆかりの皆様で偲んで下さいます。真福寺さんには、立派なお墓と碑が建立されています。今宵は美味しいお酒で献杯です!
2022.09.15
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秋山巌の小さな美術館 ギャラリーMami の町田珠実です。 徳利から徳利へ秋の夜の酒を 山頭火秋山巌「秋の夜の酒」1988年昭和10年9月12日の句です。山頭火 其中日記より 九月十二日 晴、曇、仲秋、二百二十日。いつものやうに早起きする、そしていつものやうに水を汲んだり、御飯を炊いたり、掃除したり、本を読んだり、寝たり起きたり。……大空のうつくしさよ、竹の葉を透いて見える空の青さよ、ちぎれ雲がいう/\として遊ぶ。陶房日記を読む、その味は無坪その人の味だ。句稿整理、書かねばならない原稿を書く。――絶後蘇へる――といふ禅語がある、私の卒倒は私を復活させたのである。午後、蜆貝でも掘るつもりで川尻へ行く(魚釣しようにも鉤がないし蚯蚓も買へないから)、一時間ばかり水中にしやがんで五合ばかり掘つた、これ以上は入用がないので、土手の青草をしいて、渡場風景を眺める、ノンビリしたものである。蜆貝といふものはとても沢山あるものだと思ふ、商買人が二人、金網道具ですくうてゐたが、半日で三斗位の獲物があるさうだ、いづれどこか貝類をめづらしがる地方へ送るのだらう、帰途、かねて見ておいたみぞはぎを持つてかへつて活ける、野の花はうつくしい。一日留守にしておいても何一つ変つてゐない、出たときのまゝである、今日は柿の葉が一枚散り込んでゐるだけ!蜆貝汁をこしらへつゝ、私は私の冷酷、いや、人間の残忍といふことを考へずにはゐられなかつた。仲秋無月ではあるまいけれど、雲が多いのは残念だ、思はず晩酌を過して、ほんたうに久しぶりに、夜の街を逍遙する、例の如くYさんから少し借りる、あちらで一杯、こちらで一杯、涼台に腰をかけさせて貰つて与太話に興じたりする、そのうちに幸か不幸かH君に会ふ、M食堂へ誘はれて這入る、女給よりも刺身がうまかつた! 酔歩まんさんとして戻つたのは三時頃か、アルコールのおかげで前後不覚。……酔うても乱れない……山頭火万歳!雲がいつしかなくなつて月が冴えてゐたことは見逃さなかつた、仲秋らしい月光に照らされて、私は労れてゐたけれど幸福だつた。・とうふやさんの笛が、もう郵便やさんがくるころの秋草・すすきすこしほほけたる虫のしめやかな 砂掘れば水澄めばなんぼでも蜆貝 食べやうとする蜆貝みんな口あけてゐるか 秋の蚊のするどくさみしくうたれた 徳利から徳利へ秋の夜の酒を・ひとりいちにち大きい木を挽く いつとなく手が火鉢へ蝿もきてゐる ゆふべのそりとやつてきた犬で食べるものがない・秋雨ふけて処女をなくした顔がうたふ・何がこんなにねむらせない月夜の蕎麦の花・こゝろ澄ませばみんな鳴きかはしてゐる虫・おのれにこもればまへもうしろもまんぢゆさけ 出れば引く戻れば引く鳴子がらがら・ひとりとひとりで虫は裏藪で鉦たたく 風が肌寒い新国道のアイスキヤンデーの旗・人のつとめは果したくらしの、いちじくたくさんならせてゐる いちめんの稲穂波だつお祭の鐘がきこえる 厄日あとさきの雲のゆききの、塵芥をたくけむり以上。
2022.09.12
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秋山巌の小さな美術館 ギャラリーMami の町田珠実です。 すわれば風がある秋の雑草 山頭火秋山巌「風がある」1989年昭和8年9月12日の句です。小郡の其中庵から、前日の9月11日に広島尾道に向け出立、この日はふるさと防府鞠生松原(まりふのまつばら)の散歩から。以下、行乞記 広島・尾道 より 九月十二日朝、鞠生松原を散歩する。放下着、放下着、身心ほがらかほがらか。六時出立、我ながらサツソウとしてあるく、見渡すかぎり出来秋のよろこびだ(実際問題としては豊年飢饉だらう!)。末田海岸の濤声、こゝにも追懐がある。荷馬車にひつかゝつて、法衣の袖がさん/″\にやぶれた。彼岸花が咲いてゐる、旅の破法衣と調和するだらう。富海から戸田まで汽車、十時から一時まで福川行乞、行乞がいやになつて、そこからまた汽車で徳山へ、二時にはもう白船居におさまることが出来た。酒はうまい、友はなつかしい。井葉子さんもずゐぶん年が寄つたと思ふ、それだけまた、その接待振が垢抜けしてうれしい、感謝合掌。飲みすごしても、層雲を借覧して、句稿整理することは忘れなかつた、句は酒と共に私の生命の糧である。今日の所得(銭十七銭、米一升三合あまり、これは白船君の奥様にむりにあげて、その代償として五十銭拝受)身うちのものがいふ、――『あんたもホイトウにまでならないでも、何かほかに仕事がありさうなものだが、……』私は苦笑して心の中で答へる、――『ホイトウして、句を作るよりほかに能のない私だ、まことに恥づかしいけれど仕方がない、……』・いまし昇る秋の日へ摩訶般若波羅密多心経・コスモス咲いて、そこで遊ぶは踏切番のこどもたち・鍛冶屋ちんかんと芭蕉葉裂けはじめてゐる 煤け障子は秋日の波ですつかり洗つた おもひでは波音がたかくまたひくく(末田海岸)・もう秋風のお地蔵さまの首だけあたらしい・秋の日ざしか、旅の法衣をつくらふことも・すわれば風がある秋の雑草・寝ころべば青い空で青い山で・何もかも捨てゝしまはう酒杯の酒がこぼれる うらに木が四五本あればつく/\ぼうし(白船居) 追加・海をまへに果てもない旅のほこりを払ふ・ふるさとの山にしてこぼるゝは萩以上。身内のものがいふ・・・ってどなたでしょうね。酒と友達とふるさと、ふくろうがこの日の山頭火をよく表していると思います。
2022.09.12
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秋山巌の小さな美術館 ギャラリーMami の町田珠実です。秋山巌と小崎侃(敬称略)について、何回かに分けて記録しておきたいと思います。おそらく、私が書いておかないと、知る人もなくなってしまいそうですので。まずは、1982年(昭和57年)銀座アテネ画廊で開催された【小崎侃木版画展】案内状の紹介から。この案内状には、秋山巌が「小崎侃と版画を語る」と題して文章を書いています。(一番下に住所が書かれていますがカット)第24回 小崎侃 木版画展7/26(月)~7/31(土)/1982年 アテネ画廊 アネックス小崎侃と版画を語る 板画家 秋山巌彫刻は沈黙の芸術だ、土一色、その土を黙々と握る地味な仕事なのだ。その地味な仕事を永いこと続けたのが小崎侃くんだ。小崎君と出会って十幾年になるが、何時会ってもおだやかな風貌で無駄な口はきかない作家である。彼の人柄とよく似て、その作品もお喋りではない。初期の頃から現在まで一貫して同じテーマを探求しつづけている。裸婦やオランダのカピタン、港風景など、どの作品にも小崎侃、独特の深い知的なロマンを覚えるしむしろ敬虔な宗教観さえ感じる。ここ数年ますます彼の画境は深々魅妙の世界へと前進したように思える。これは仏法ででいうところの観法というものが身についてきたと私は独り合点しているのだ。裸婦、カピタン、どれにもポエジーとロマンが深い英智に支えられておだやかな彼独自の無常の世界を観せる。案内状は以上1982年というと、秋山巌61歳、小崎侃40歳です。小崎侃氏の画集などでは、太平洋美術会版画部の事などすっぽりぬけていますので、記録として残しておきます。ご参考に。
2022.09.07
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秋山巌の小さな美術館 ギャラリーMami の町田珠実です。秋山巌「虫の夜」1982年の作品日中はまだまだ暑いけど、朝晩は涼しくなりました。虫の声が聞こえるようになりましたね。本当に沢山のモチーフ、作品、生きている内に全て紹介するのは難しいかな。いや、がんばろう!
2022.09.07
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秋山巌の小さな美術館 ギャラリーMami の町田珠実です。9月6日は【黒の日】だそうです。太平洋美術会さんに教えていただきました。9月6日は #黒の日 だそうですが、黒い絵具あんまり使わないんですよね🤔。 pic.twitter.com/00k3D3Scqm— 一般社団法人 太平洋美術会 🎨 (@taiheiyou_1902) September 6, 2022黒なら任せて!とばかりに、秋山巌「黒」1984年そのままですね!
2022.09.06
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秋山巌の小さな美術館 ギャラリーMami の町田珠実です。秋山巌「青空」2001年 ころり寝ころべば青空 山頭火草木塔に収録されている句です。昭和10年5月27日の日記に、改作として、 ころり寝ころべば五月の空と書かれています。五月の句でしょうか。寝ころんでいる山頭火がかわいいですね。#秋山巌#山頭火
2022.09.05
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秋山巌の小さな美術館 ギャラリーMami の町田珠実です。秋山巌「馬干して」1977年五六疋馬干しておく枯野哉 一茶銀座のクラブ「姫」のオーナーで直木賞作家&作詞家【山口洋子】さんの画廊は「ギャラリーねこ」といいました。1978年の個展案内状をご紹介します。 秋山巌木版画展 一茶によせて1978年2月18日(土)~2月24日(金)昨年の個展で放浪の詩人山頭火を描き、好評をを博した作家が、今年は、ここ数年来暖めてきた小林一茶の世界に取り組み、力作を発表いたします。秋山巌氏の手になる一茶の世界をお楽しみ頂きたく、皆様の御高覧を心よりお待ち申し上げております。ギャラリーねこロゴがかっこいいですね!
2022.09.04
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秋山巌の小さな美術館 ギャラリーMami の町田珠実です。秋山巌「雨ふるふるさと」1986年雨ふるふるさとははだしであるく 山頭火昭和7年9月4日の句。8月27日、山頭火は川棚での結庵がかなわず退去します。行乞記より八月廿七日 樹明居。晴、残暑のきびしさ、退去のみじめさ。 百日の滞在が倦怠となつたゞけだ、生きることのむつかしさを今更のやうに教へられたゞけだ、世間といふものがどんなに意地悪いかを如実に見せつけられたゞけだつた、とにかく、事こゝに到つては万事休す、去る外ない。 けふはおわかれのへちまがぶらり(留別)これは無論、私の作、次の句は玉泉老人から、 道芝もうなだれてゐる今朝の露正さん(宿の次男坊)がいろ/\と心配してくれる(彼も酒好きの酒飲みだから)、私の立場なり心持なりが多少解るのだ、荷造りして駅まで持つて来てくれた、五十銭玉一つを煙草代として無理に握らせる、私としても川棚で好意を持つたのは彼と真道さんだけ。午後二時四十七分、川棚温泉よ、左様なら!川棚温泉のよいところも、わるいところも味はつた、川棚の人間が『狡猾な田舎者』であることも知つた。山もよい、温泉もわるくないけれど、人間がいけない!立つ鳥は跡を濁さないといふ、来た時よりも去る時がむつかしい(生れるよりも死ぬる方がむつかしいやうに)、幸にして、私は跡を濁さなかつたつもりだ、むしろ、来た時の濁りを澄ませて去つたやうだ。T惣代を通して、地代として、金壱円だけ妙青寺へ寄附した(賃貸借地料としてはお互に困るから)。・ふるさとちかい空から煤ふる(再録) □ この土のすゞしい風にうつりきて(小郡)小郡へ着いたのが七時前、樹明居へは遠慮して安宿に泊る、呂竹さんに頼んで樹明兄に私の来訪を知らせて貰ふ、樹明兄さつそ来て下さる、いつしよに冬村居の青年会へ行く、雑談しばらく、それからとう/\樹明居の厄介になつた。九月四日雨、よう降りますね、風がないのは結構ですね。午前は、樹明さん、敬治さん、冬村さんと四人連れで、其中庵の土地と家屋とを検分する、みんな喜ぶ、みんなの心がそのまゝ私の心に融け入る。……午後はまた四人で飲む、そしてそれ/″\の方向へ別れた。夕方から夕立がひどかつた、よかつた、痛快だつた。さみしい葬式が通つた。私はだん/\涙もろくなるやうだ(その癖、自分自身に対しては、より冷静になる)。飯盒の飯はうまい、しかしこれは独身のうまさだ。故郷へ一歩近づくことは、やがて死へ一歩近づくことであると思ふ。――孤独、――入浴、――どしや降り、雷鳴、――そして発熱――倦怠。私はあまりに貪つた、たとへば食べすぎた(川棚では一日五合の飯だつた)、飲みすぎた(先日の山口行はどうだ)、そして友情を浴びすぎてゐる。……かういふ安易な、英語でいふ easy-going な生き方は百年が一年にも値しない。あの其中庵主として、ほんとうの、枯淡な生活に入りたい、枯淡の底からこん/\として湧く真実を詠じたい。 いつも尿する木の実うれてきた 秋雨の枝をおろし道普請です・雨ふるふるさとははだしであるく
2022.09.04
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秋山巌の小さな美術館 ギャラリーMami の町田珠実です。8月18日は、母の94歳の誕生日でした。実父「秋山巌」の事は生誕100年でずいぶんまとめる事が出来ました。出来れば母が健在なうちに、母の事もまとめたいと思っています。戦中戦後の話はあまりしない母ですが、代用教員時代に、俳優の山崎努さんが生徒だった話はしてくれました。母は、昭和3年商家の娘として南千住で生まれ、お手伝いさんもいるような比較的良い暮らしをしていたようです。母方は彦根藩ゆかりという話は以前に書きました。⇒母方祖母は彦根藩ゆかり【人事興信録】に曾祖父母の名前が!戦中、高等女学校に通っていた母が書いた慰問文が、戦地の父の元に届き、それが縁になった話もこちらに書きました。⇒慰問文で結ばれた二人、今日は敗戦75年です。2018年に聞き取りした話だと、昭和20年に高等女学校を3年で修了し、板橋の軍需工場でも働いたそうです。その後、一家は風早村(現、千葉県柏市大井)へ引っ越し、母は【風早国民学校大井分教場】の代用教員となり、小四を教えていました。教科書の墨塗りもしたと話してくれました。山崎努さんはは、2週間ほどしかいなかったそうですが、都会から来た子どもだったので、とても印象に残っているとのこと。日本経済新聞の【私の履歴書】に連載中の山崎努さん。山崎努(4) 黒い家:夜逃げのように疎開 牛車に乗って、母の郷里へこの回に、風早村でのお話が書かれています。母の歴史は、まだまだまとまっていないのですが、代用教員時代の集合写真がありましたので、載せておきます。ゆかりの方などいらっしゃいましたら、是非コメントください。【風早国民学校大井分教場】集合写真1 2列目右から2人目が母集合写真2 4列目一番右が母集合写真3 4列目一番右が母 女の子ばかりですね。 集合写真4 2列目一番右が母集合写真5 前列一番左が母 先生方ばかり?集合写真6 4列目一番右が母集合写真7 母は写っていません。 初二というのは初等科二年という事かでしょうか。 下駄やわら草履はいてますね。集合写真8 母は写っていません。 笑顔の子どもたちもいて表情が明るくなっています。集合写真9 集合写真10写真は以上です。子ども達の表情や服装、戦後の貴重な資料写真になりそうです。もう少し詳しく調査したいなぁ。風早国民学校大井分教場を調べている中で、「手賀沼教員殉難事件」というのを知りました。ご遺族の小林健さんが書かれた「晩秋」が公開されていました。ゆっくり読みたいと思います。5月末に、3年ぶりに母に逢ってきました。もっと話を聞いておきたいですね、健在なうちに。
2022.08.26
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秋山巌の小さな美術館 ギャラリーMami の町田珠実です。夏の甲子園、終わりましたね。仙台から西宮に移住して10年になるのですが、夏は特に、西宮にいるんだなぁと実感します。さて、表題の件。毎年、近くのホテルには山口県代表校が宿泊しているようです。いつも、歓迎の看板が出ているのでわかります。私の買い物&散歩コースなので、今年は下関国際高校の看板を久しぶりに見ました。4年ぶり3回目だそうです。普段はテレビも持たないので、野球を見る事はないのですが、いつもより長く看板が出ているので、あれ?っと思いながら、前を通っていると、いくつかメッセージが貼られるようになりました。これは応援せねばと、ベスト8になった所からネットで応援。メッセージは日に日に増えて、メッセージを見に来て写真を撮っていく人も増えました。もちろん私もメッセージを作って貼りに行きました!「こんなに長くいてくれて嬉しいですね!」と会話も弾みました。準優勝おめでとうございます!また来年も待っていますね♪8月20日準決勝の日8月21日決勝前の休養日8月22日 決勝の後
2022.08.24
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秋山巌の小さな美術館 ギャラリーMami の町田珠実です。山口県美祢市の前田好昭さんから、1985年の作品を寄贈いただきました。川棚温泉でご縁が出来、秋山巌の酒宴にずいぶんとお付き合いいただいたようです。前田さんからのメッセージ「私、前田好昭、81歳になって思いたちました。 山口県川棚温泉で知人の新聞記者中嶋秀人さんが秋山先生を紹介してくれたのが始まりの縁です。 来山来棚都度、縁がスタートしました。 皆、意気投合、話題は尽きず色気話に及びます。 今回の考えは「こうすることだぞ」と、先生へのご供養になると気付いた事です。 思いついた事は、先生直筆もの、転写もの、いただいたもの、 秋山巌先生自信作自慢のものです! WEBで博物館があることを知りお返しするのが筋と心にきめました。」送っていただいたのは以下の4点です。1.内贈 李白 昭和60年(1985年)夏2.大虎 昭和60年(1985年)3.山は枯れている 昭和60年(1985年)夏4.あふれる朝湯 昭和60年(1985年)初秋山頭火の作品は、山頭火ふるさと館へ。李白と大虎は、竹田市歴史文化館・由学館へ。2点ずつ寄贈させていただきました。川棚温泉1980年(昭和55年)の個展案内状を、こちらに記事にしています。【川棚温泉入り口にあった烏山工芸館での個展】前田さんはじめ、全国各地でご縁をいただいた皆様にも、改めて感謝いたします。・内贈 李白 昭和60年(1985年)夏内贈 李白三百六十日日日醉如泥雖爲李白婦何異太常妻・大虎 昭和60年(1985年)・山は枯れている 昭和60年(1985年)夏山は枯れている酒を食べてゐる 山頭火・あふれる朝湯 昭和60年(1985年)初秋あふれる朝湯のしづけさに浸る 山頭火
2022.08.09
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秋山巌の小さな美術館 ギャラリーMami の町田珠実です。 雲がいそいでよい月にする 山頭火秋山巌「よい月」1983年昭和7年7月17日、川棚草木塔にも収録されている句。山頭火行乞記より七月十七日晴、小月町行乞、往復九里は暑苦しかつたけれど、道べりの花がうつくしかつた、うまい水をいくども飲んだ、行乞はやつぱり私にふさはしい行だと思つた。行乞所得はよくなかつたが、句の収穫はわるくなかつた。――・ぴつたり身につけおべんたうあたゝかい・朝の水にそうてまがる・すゞしく蛇が朝のながれをよこぎつた・禁札の文字にべつたり青蛙・このみちや合歓の咲きつゞき・石をまつり水のわくところ・つきあたつて蔦がからまる石仏・いそいでもどるかなかなかなかな・暮れてなほ田草とるかなかな・山路暮れのこる水を飲み一銭のありがたさ、それは解りすぎるほど解つてゐる、体験として、――しかも万銭を捨てゝ惜まない私はどうしたのだらう!なぜだか、けふは亡友I君の事がしきりにおもひだされた、彼は私の最初の心友だつた、彼をおもひだすときは、いつも彼の句と彼の歌とをおもひだす、それは、――□おしよせてくだけて波のさむさかな 我れんちさう籠るに耳は眼はいらじ 土の蚯蚓のやすくもあるかな労れて戻つて(此宿へは戻つたといつてもいゝ、それほど気安くて深切にして下さる)そして酒のうまさは!・つかれた脚を湯が待つてゐた・雲がいそいでよい月にする以上。月明かりの山頭火がなんともいえない作品です。
2022.07.17
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秋山巌の小さな美術館 ギャラリーMami の町田珠実です。第117回太平洋展が開催中です。一昨年VAN展でお目にかかった、増田郷樹(サトキ)画伯より、招待状いただきました。お礼の電話をしましたら、お母様の澤村みちる画伯がお出になって、お話出来ました!澤村みちるさんは、太平洋美術会の元会長さん、現名誉会長さん。太平洋美術会での秋山巌を知る方です。「豪快な人だった」との事。太平洋美術会は、明治22年(1889年)に日本最初の洋画団体「明治美術会」として誕生。明治35年(1902年)に「明治美術会」から「太平洋画会」となって今年が120年目の太平洋展です。ちなみに、「太平洋美術会」となったのは、昭和32年(1957年)です。120年で、117回とナンバーリングが3少ないのは、上野明治博覧会、大正博覧会で会場確保出来なかった年と、一昨年のコロナ流行の際のみだそうです。有観客で3年ぶり、私もうかがう予定です。そうそう、秋山巌が創設メンバーとなった「版画部」は50年だそうです。国立新美術館も行ったことがないので、楽しみです。第117回太平洋展2022年会場:国立新美術館 東京都港区六本木7-22-2会期:5月18日(水) ~ 30日(月) 10:00AM~6:00PM 最終日 10:00AM~3:00PM見応えありそうです↓到着!写真は先日開場前の展示室、月曜日ですが沢山のお客様がお越しです。ご来場ありがとうございます。#太平洋展 #国立新美術館 pic.twitter.com/2pBdATtYNw— 一般社団法人 太平洋美術会 🎨 (@taiheiyou_1902) May 23, 2022※「太平洋展」の文字は、故高梨潔画伯だそうです。太平洋らしい字で素敵だと感じました!
2022.05.23
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秋山巌の小さな美術館 ギャラリーMami の町田珠実です。ひよいと穴から、とかげかよ 山頭火昭和9年5月19日の其中日記に登場します。ユニークな句なので、ご存じの方も多いと思いますが、秋山巌は版画にしていません。どんな状況で読まれた句かなと、山頭火の日記を読むと、味取を思い出したり、人恋しがったり、肺炎から生還して、思うこと多しなのでしょう。山頭火は、昭和9年4月14日に、木曽から清内路峠を越えて上清内路村に一泊15日に飯田に入りました。その日、今宮の風越館で行われていた句会に臨みましたが発熱、肺炎と診断され入院します。退院してようやく小郡の「其中庵」に戻ったのは4月29日。それを踏まえての、昭和9年5月19日 其中日記 以下↓ 五月十九日頬白が晴々と囀つてゐる、誰かを、何物かを待つてゐる。考へること、読むこと、書くこと、……歩くこと。人生は五十からだ、少くとも東洋の、日本の芸術は!曇つて降りだしさうになつたが、なか/\。昼酌をやりながら、といふよりも、ほうれん草のおしたしを食べつゝ、味取をおもひだした、H老人をおもひだして、彼の生死を案じた、味取在住一ヶ年あまり、よくH老人と飲んだ、そしておさかなはほうれん草のおしたしが多かつた。……△私は毎日これだけ食べる(不幸にしてこれだけ飲みます!)。米 四合、三椀づゝ三回酒 合、昼酌 壱回朝、味噌汁 二杯昼、野菜 一皿晩、同 外に佃煮時々うどん玉まんぢゆうこれで食費一ヶ月まづ五円位。△湯屋で感じた事、――男湯と女湯とを仕切るドアがあけつぱなしになつてゐたので、私は見るともなく、女の裸体を見た(山頭火はスケベイだぞ)、そしてちつとも魅力を感じなかつた、むしろ醜悪の念さへ感じた(これは必ずしも私がすでに性慾をなくしてゐるからばかりではない)、そこにうづくまつて、そして立つてゐた二人の女、一人は若い妻君で、ブヨ/\ふくれてゐた、もう一人は女給でもあらうか、顔には多少の若い美しさがあつたが、肉体そのものはかたくいぢけてゐた、若い女性がその裸体を以ても男性を動かし得ないとしたならば、彼女は女性として第一歩に於て落第してゐる、――私は気の毒に堪へなかつた、脱衣場の花瓶に※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)された芍薬の紅白二枝の方がどんなにより強く私を動かしたらう!(私はまだ雑草のよさを味ふと同様に、女の肉体を観ることが出来ない、修行未熟ですね)△俳人の夥多、そして俳句の貧困。△ながいこと、ぶら/\うごいてゐた前歯(後歯はもうみんな抜けてしまつたが)がほろりと抜けた、抜けたことそのことはさびしいが、これでさつぱりした、物を食べるにもかへつて都合よくなつた(私自身が社会に於ける地位はその歯のやうではないかな)。△ラツキヨウを食べつゝ考へる(私はラツキヨウが好きだ、帰庵して冬村君から壺に一杯貰つたが、もう残り少なくなつた)、人生はラツキヨウのやうなものだらう、一皮一皮剥いでゆくところに味がある、剥いでしまへば何もないのだ、といつてそれは空虚ではない、過程が目的なのだ、形式が内容なのだ、出発が究竟なのだ、それでよろしい、それが実人生だ、歩々到着、歩々を離れては何もないのが本当だ(ラツキヨウを人生に喩へることは悪い意味に使はれすぎた)。たどんはありがたいかな、たどん一つのおかげで朝から夜まで暖かいものが食べられる、その火一つで、御飯もお湯もお菜も、そしてお燗も出来ます。……今日の夕方はさみしかつた、人が恋しかつた、――誰か来ないかなあ、と叫びたかつた、いや、心の中では叫んだのである。寝苦しかつた、一時から三時まで、やつとねむれた。 うちの藪よその藪みんなうごいてゆふべ・空は初夏の、直線が直角にあつまつて変電所・閉めて一人の障子を虫がきてたたく・影もはつきりと若葉・ほろりとぬけた歯は雑草へ・たづねあてたがやつぱりお留守で桐の花・きんぽうげも実となり薬は飲みつゞけてゐる・くもりおもくてふらないでくろいてふてふ この児ひとりこゝでクローバーを摘んでゐる 摘めば四ツ葉ぢやなかつたですかお嬢さん(途上即事) 断想生活感情をあらはすよりも生活そのものをうたふのだ。人生は、少くとも私の生活は水を酒にするのではなくて、酒が水になるのだ。生活事実、その中に、その奥に、その底に人生の真実、自然の真実がある。・誰もたづねて来ない若葉が虫に喰はれてゐるぞ・ひよいと穴から、とかげかよ・雑草が咲いて実つて窓の春は逝く・ねむれない私とはいれない虫と夜がながいかな・夜ふけてきた虫で、いそいで逃げる虫で
2022.05.19
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秋山巌の小さな美術館 ギャラリーMami の町田珠実です。秋山巌「ふるさとの夢」1979年落葉松落葉まどろめばふるさとの夢 山頭火昭和11年5月18日の句この日の旅日記には、他にから松は2句落葉松は晴れ切つてかつこう落葉松落葉墓が二つ三つから松は日本の固有種だそうです。日本産針葉樹の中では、唯一の落葉樹。山頭火、昭和11年旅日記より五月十八日 日本晴。今日も無相庵江畔居滞在。朝から郭公がさかんに啼く。江畔老といつしよに閼迦流山へ遊ぶ、尻からげ、地下足袋、帽子なしの杖ついて、弥次さん喜多さん、とてもほがらかである。長野種馬所の青草に足を投げ出して休む、右は落葉松林、左は赤松林、前は青々と茂る草のむかうに残雪の八ヶ岳蓼科の連峰、よい眺望である。初めて林檎の木と花とを見た。信濃――北国山国はどこでもさうであるが――梅桜桃李一時開で、自然も人間も忙がしい。此地方には山羊が多い、おとなしい家畜だが、あの鳴声はさびしい。一里あまり歩いて、香坂明泉寺。自然石のよい石碑が立つてゐる、曰く南朝忠臣香坂高宗お山へ登る、老樹うつさうとして小鳥がしきりに囀づる。頂上十二丁目、大正十二年八月摂政宮殿下御登臨之処といふ記念碑が建てられてある、眺望がよろしい、白馬連山が地平を白く劃つてゐる。木蔭の若草に寝そべつて、握飯を食べる、一壜を携へて来ることは忘れてゐない、ほろ/\酔ふてうたゝ寝する、まことに大平楽である。一杯の水も仏の涙かな――といふ風の閼迦流山くづしがむき出してある、放浪詩人三石勝五郎さんの作。ぶら/\歩いて戻つたのは四時頃であつた。電報が二通来てゐた、比古君から、澄太さんからである、どちらも有難い通知だつた。こゝで私はまた我がまゝ気まゝな性癖を発揮して、汽車で小諸へ向つた、明後日また引返してくるつもりで。私の滞在もずゐぶん長くなつた、桑が芽ぶいて伸びた。……今日の収穫・あるけばかつこういそげばかつこう・落葉松は晴れ切つてかつこう・若葉したたるながれで旅のふんどしを・お山へのぼる花をむしつてはたべ・岩に腰かけ樹にもたれ何をおもふや・いただきの木のてつぺんで鳥はうたふ・おべんたうをひらくどこから散つてくる花びら・雲かげもない木の芽のしづか・寝ころびたいスロープで寝ころぶ若草・落葉松落葉まどろめばふるさとの夢・落葉松落葉墓が二つ三つ 懐古園三句・浅間は千曲はゆうべはそゞろ寒い風・ゆふ風さわがしくわたしも旅人・その石垣の草の青さも(牧水をおもふ)・浅間をむかうに深い水を汲みあげる・ぞんぶんに水のんで去る藤の花・風かをる信濃の国の水のよろしさ・虱がとりつくせない旅から旅・浅間へ脚を投げだして虱をとる・まんなかに池がある昼の蛙なく(岩村田遊廓)・浅間したしいあしたでゆふべで (此の二句父草居にて)・ゆつくりいくにち桑が芽ぶいて若葉した 江畔老に・けさはおわかれの、あるだけのお酒をいたゞく・草萌ゆる道が分れる角で別れる・逢へば別れるよしきりのおしやべり・さえづりかはして知らない鳥が知らない木に・水はあふれるままにあふれてうららか○自戒一則――貪る勿れ、疑ふ勿れ、欺く勿れ、佞る勿れ、いつもおだやかにつゝましくあれ。
2022.05.18
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秋山巌の小さな美術館 ギャラリーMami の町田珠実です。秋山巌「幸福」2006年生えて伸びて咲いてゐる幸福 山頭火昭和9年5月18日の句。平成18年(2006年)4月27日~5月2日長野県伊那市ベルシャイン伊那店2F文化ホールでの個展案内状山頭火は、昭和9年4月14日に、木曽から清内路峠を越えて上清内路村に一泊15日に飯田に入りました。その日、今宮の風越館で行われていた句会に臨みましたが発熱、肺炎と診断され入院します。4月29日、ようやく小郡の「其中庵」に戻り、落ちついた頃の句です。山頭火其中日記より 五月十八日予期した通りの雨、しかしあまり降らない。ありがたい手紙やら小包やら。青蓋人君からは豊川稲荷の玉せんべい(たゞし実際は、せんべいの断片!)。今日の買物は、――味噌、酒、ふらん草、合して三十銭。放下着。降らないで曇、曇つてゐたが晴となつた。昼食後ふと大田行を思ひ立つた、敬君とゆつくりよい酒を飲みながら話したくなつたのである、学校に樹明君を訪ねて、念のために電話で都合を訊ねて貰つたら、出張で不在といふので止めた(かういふ場合、電話――文明の利器に感謝しないではゐられない)。横臥読書。蕗を摘んで、お菜をこしらへる、茎もうまいし葉もうまい。入雲洞君から借りた「雲水は語る」を読む、前の著作と重複するところはあるが、面白く読ませるところに蓬州和尚の腕がある、大に飲んで大に書いて下さい(もう書きすぎてゐるから!)。可愛らしい鼠がそこらをかけまはつてゐる(これは不思議、いつやつてきたのだらう、これで其中庵も家並の家になつた)、上手な鶯が窓ちかく啼く、なつめの若葉、桐の花、密柑の蕾。……雑炊を味ふ、雑草を眺めつつ!あやめを床に、いばらを机上に活ける、どちらもよい。△業が残つてゐる(死にそこなうた、死ねなかつた)、といふことは、仕事がある、成し遂げるべきものがある、といふことだらう。△木曽路で句作のいとぐちがやうやくほぐれかけたが、飯田で病んでいけなくなつた、そして帰来少しづゝほぐれる。△捨てるも捨てないもない、さういふ考へを捨ててしまへばそれでよいのだ、即今の這箇に成りきればそれでよいのだ。・あさのみちの、落ちてゐる梅の青い実の・あほげば青梅、ちよいともぐ・病めば考へなほすことが、風鈴のしきりに鳴る をさないふたりで、摘みきれない花で、なかよく・ほんにしづかな草の生えては咲く・ひらかうとする花がのぞいた草の中から・芽ぶいて若葉して蓑虫は動かない・いちはやく石垣の茨は咲いた校長さんのお宅 声をそろへて雨がほしい青蛙はうたふ・打つ手を感じ逃げてゆく蚊の、寝苦しい・灯火、虫はからだをぶつつける・生えて伸びて咲いてゐる幸福
2022.05.18
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秋山巌の小さな美術館 ギャラリーMami の町田珠実です。秋山巌「かっこう」2000年あるけばかつこういそげばかつこう 山頭火昭和11年5月17日の句。山頭火旅日記より五月十七日 雨、曇、そして晴。稔郎君、粋花君来訪。終日閑談、悪筆を揮ふ、いつものやうに。――甲州路。信濃路。――・あるけばかつこういそげばかつこう (無相庵)・のんびり尿するそこら草の芽だらけ・浅間をまへにおべんたうは青草の・風かをるしのの国の水のよろしさは歩々生死、一歩一歩が生であり死である、生死を超越しなければならない。転身一路、自己の自己となり、自然の自然でなければならない。自然即自己、自己即自然。 自問自答ゆうぜんとして生きてゆけるかしようようとして死ねるかどうぢや、どうぢや山に聴け、水が語るだらう生の執着があるやうに、死の誘惑もある。生きたいといふ欲求に死にたいといふ希望が代ることもあらう。こちらは、1981年の作品秋山巌「かっこう」1981年ふくろうはかわいいし、こちらは味わい深い。
2022.05.17
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秋山巌の小さな美術館 ギャラリーMami の町田珠実です。秋山巌「豆の皮むく」1990年人をそしる心をすて豆の皮むく 放哉神戸市須磨区「須磨寺太子堂」堂守時代の句。須磨寺にはこんなよい月を一人で見て寝る 放哉の句碑があります。
2022.05.17
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秋山巌の小さな美術館 ギャラリーMami の町田珠実です。秋山巌「両手でうける」1990年入れものがない両手で受ける 放哉尾崎放哉、最後の安住の地小豆島「西光寺」奥の院「南郷庵(みなんごあん)」時代の句です。
2022.05.16
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秋山巌の小さな美術館 ギャラリーMami の町田珠実です。秋山巌「ねぶの花」1989年 象潟や雨に西施がねぶの花 芭蕉 中国古代の美女「西施」と「合歓(ねむ)の花」美しい写真がいっぱい出てきます♪ カラーの作品がまた良いですね。
2022.05.15
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秋山巌の小さな美術館 ギャラリーMami の町田珠実です。秋山巌「衆生済度」1993年 【衆生】生きとし生けるすべてのものを 【済度】迷い苦しみから救い悟りの境地へ導くこと。お寺さんに飾られるのが良いですね。Twitterで繋がっているお友達が、先日菩提寺で作品みたよ!と教えてくれたので、作品ご紹介しておきます。宮城県山元町の徳本寺さんでも飾られています。秋山作品見かけたら、是非教えて下さいね♪
2022.05.15
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秋山巌の小さな美術館 ギャラリーMami の町田珠実です。先日記事でご紹介した山頭火の未発表句は、もともと、山頭火とは知らずに、晩年お世話をした【細川亀吉】さんという方の倉庫に保管されていたものだそうです。記事はこちら↓山頭火、未発表句その1山頭火、未発表句その2細川亀吉さんは松山の方で、山頭火とは知らずに少しの間お世話をしたそうです。未発表句短冊の写真を提供して下さった松山のK氏が、日記の画像と書き起こしを提供して下さいました。前半の6/2~6/4は、実際の日にちとずれがあるそうです。細川亀吉の日記 6/2~6/4六月二日晴れ へんな坊主が来たが、くさくて近よれん風呂へつれて行って、衣もぬがすと蚤がこぼれてはい廻って、みんながよってたかってさわぎまわした。とにかく蚤を殺して、風呂へいれたら、又蚤がうきだした、くさくて近よれんけん客はみんな逃げた。私と息子が浮いた蚤をおけですくって、下水へ入れた、こんなくさくて蚤をつけた乞はよう衣を来ているのじゃろうか、息子に体を洗わして、くさいのをのけるのに難ギをした、新しい湯衣にして顔をまっかにしてちょこんと座って、涼しげな顔しておった。坊主の話をきけば、中国地方の生まれで全国を歩き廻りよるんじゃが、と云つちょる。フロはいっていくんかなと聞けば、あったら行くと云つて大声で笑ったのには全くへんな坊主だなあ、と思って息子と相談して泊まらさうと思って家につれかへった。酒大好物のそうで夜中までのんでいろいろな話を聞いた。名は坊主にだけしかいわん、おそくなったので、泊まらして話おきいたら、とどのつまりは、ここらにある友人の墓参りに来たんじゃと云つた、朝早く坊主のねるへやへ行ったら置手紙がしてあった 一期一会 と書いた紙があった。六月三日くもり ただ一人もんで全国乞い歩いて、おまんまをたべているようで、またくるかないちいち話を聞けばおもしろいだろうな、雨が降るので家の中でボロ紙の整理をしていた、夕暮れに昨日の衣でニコニコしてきた、昨日は大へんごめいわくをかけたと頭をさげた。四国はよいところじゃと笑っていたが涙顔だった今日もフロへ入れて酒をのんでいろいろと話をきけばこの近くに友人のお墓があるようでいつもおがんで、帰り道に立寄つたとのことであつた、又お酒をすすめていろいろ話をきいた、そして十時頃にかえった。六月四日くもり くさい匂いがしたので、ふりむいて見ればいつものぼうさんが来ていたこちらは仕事がいそがしいけん 息子を呼んで息子に相手にさせた。坊さんの家は城山の方であると判つた。 一期一会 と書いたのでもう来ないと思っていたのに度々来るようになってしまったムスコは風呂へ入れて洗ってあげて一杯のまして坊主の話をきいていた、東京のことも京都のことも岡山のことも廣島も九州もいろんなところのこともよく知っていた、うらの川の水の音や鳥の来ることをしきりに気をつけていた。ムスコは今日は用じあるので夕方帰った一体この人はどこのだれかとむすこと話した。前半ここまで、その2で9/15~をご紹介します。
2022.05.11
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秋山巌の小さな美術館 ギャラリーMami の町田珠実です。秋山巌「うれしいことがある」1988年葱坊主、わたしにもうれしいことがある 山頭火昭和9年5月9日の句。山頭火其中日記より五月九日曇、昨夜は眠れた、何よりも睡眠である。初夏の朝、よいたより。ちよつと街へ出て戻ると、誰やら来てゐる、思ひがけなく澄太君だ、酒と豆腐とを持つて。ちび/\やつてゐるところへ、呂竹さんが見舞に来られた、これまた茶を持つて。さらに樹明来、T子さん来庵。風が吹いて落ちつけない、風には困る。澄太来のよろこびを湯田まで延長する、よい湯、よい酒、よい飯、よい話、よい別れでもあつた、澄太君ほんたうありがたう、ありがたう。夕暮、帰庵すると、飲みつゝある樹明を発見する、彼はまことに酒好きだ、少々酒に飲まれる方だが。労れた、よい意味で、――今夜はよくねむれるだらうと喜んでゐると、T子再来、詰らない事を話して時間を空しくする、しめやかな雨となつたが寝苦しかつた、困つた。・生きて戻つて五月の太陽・けさは水音の、よいことがありさうな 葱坊主、わたしにもうれしいことがある 湯あがりの、かきつばたまぶしいな(病後)・竹の葉のうごくともなくしづかなり・土は水はあかるく種をおろしたところ(苗代)こちらの葱坊主は、仙台にいた頃に撮ったmのです。ころころまん丸くて、とっても元気な葱坊主。毎日嬉しい事見つけられるといいですね♪
2022.05.09
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秋山巌の小さな美術館 ギャラリーMami の町田珠実です。秋山巌「月が出ていた」1988年ひよいと月が出てゐた富士のむかうから 山頭火昭和11年5月8日の句。前日7日の日記には、緑平老から旅費を送つて貰ふ。ありがたしかたじけなし。孤独な散歩者として。とあり、8日は心機一転、これから私は私らしい旅人として出立しなければならない。と始まるのが、なんとも山頭火ですね。
2022.05.08
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秋山巌の小さな美術館 ギャラリーMami の町田珠実です。秋山巌「みな芽吹く」1992年山のふかさはみな芽吹く 山頭火昭和11年5月8日の句です。山頭火旅日記より五月八日 曇。心機一転、これから私は私らしい旅人として出立しなければならない。我儘は私の性だから、それはそれとしてよろしいけれど、ブルジヨア的であつてはならない、執着しない我儘でなければならない。・風は五月のさわやかな死にざま・ひよいと月が出てゐた富士のむかうから (甲州から信州へ)・日の照れば雪山のいよいよ白し・尿するそこら草の芽だらけ・こんなに蕎麦がうまい浅間のふもとにゐる 江畔老に鼻頭橋まで見送られて 橋までいつしよに、それからまた一人旅・浅間をまへにまいにち畑打つてふてふ・落花ちりこむ壁土のねばりやう・浅間はつきりとぶてふてふ・芽ぶいて落葉松落葉は寝ころぶによく・新道が旧道に草萌ゆる・袂草のいつとなくたまつてゐる捨てる 碓氷山中雑詠・木の芽あかるい家があつて誰もゐない・道がわからなくなり啼く鳥歩く鳥・遠くなり近くなる水音の一人・山のふかさはみな芽ぶく・誰にも逢はない呼子鳥啼く・はるかにあかるく山ざくら花ざかり・山ふかうしてなんとするどく・足もとあやうく咲いてゐる一りん・春日さんらんとして白樺の肌・ふと河鹿なくたゝずみて聴く (追加)・古びた鯉幟も、屋根には石をおき・はてしなき旅空の爆音を仰ぐ・まともに見えてくる妙義でこぼこ ( 〃 )・行き暮れてほの白くからたちの花・けふは今日の太陽をいたゞいて行く・一人となれば分け入る山のかつこう・うそ寒う夕焼けて山羊がないて 稔郎居・ゆうべいそがしい音は打つてくださる蕎麦で 江畔老と共に岩子鉱泉に・はなしがとだえると蛙げろげろ 自省・衣かへて心いれかへて旅もあらためて・親馬仔馬みんな戻つてくるあたゝかし・桑畑芽ぶく中の奉安殿・浅間朝からあざやかな雲雀の唄です (追加一句)追分・こゝで休むとする道の分れるところ・芽ぶく林の白樺の白く「わびしさも」※草木塔では前書きに「碓氷山中にて路を失ふ」と記されています。秋山巌の表現は、山は深いけれど、芽吹きが背中を押してくれるような、やっぱり素敵な作品です。この日の日記には続きがあります。五月八日(続)高原、山国らしく、かるさん姿のよろしさ。たうとう行き暮れてしまつた、泊めてくれるところがない、ままよ今までの贅沢を償ふ意味でも野宿しよう、といふ覚悟で、とぼ/\峠を登つて行くと、ルンペン君に出逢つた、彼も宿がなくて困つてゐるといふ、よく見ると、伊豆で同宿したことのある顔だ、それではいつしよに泊らうといふので、峠の中腹で百姓家――そこには三軒しかない家の一軒――に無理矢理に頼んで泊めて貰つた。二人の有金持物を合して米一升金五十銭、それだけ全部をあげる。旅烏はのんきであるがみじめでもある。そしてこの家の乱雑はどうだ、きたない子供、無智なおかみさん、みじめな食物、自分の生活がもつたいない、恥づかしいとつく/″\思つたことである。夜ふけて雨、どうやら雪もまじつてゐるらしい、何しろ八ヶ岳の麓だから。いつまでも睡れなかつた。・・・行乞行脚、山頭火が選んだ道だけどちょっと切なくなる日記の続きでした。
2022.05.08
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秋山巌の小さな美術館 ギャラリーMami の町田珠実です。雲の如く行き水の如く歩み風の如く去る昭和8年5月 山頭火の行乞記室積行乞 冒頭に記されています。写真は平成12年(2000年)総本山知恩院 サラナギャラリーでの個展案内状題字は、東近江市法泉寺 増田州明ご住職です。
2022.05.01
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秋山巌の小さな美術館 ギャラリーMami の町田珠実です。山頭火、未発表句その2です。ひけをそる年もいよ々くれる 山頭火I shave my moustachethe year at last coming to close蝉はとこてなくか石切り場 山頭火the cicada where are you singingin the quarry月にほのかなひかり落葉ふる 山頭火subtle light from the moonfalling leaves!ふしの実まわって風がふく 山頭火たいこんのつるされてつ々くいなかみち 山頭火radishes hung and airedalong the country roadまた生きてゐる虫の一ひき 山頭火still aliveone worm秋はなにをもやすいろか 山頭火こヽにおちつき草萌ゆる 山頭火かへるものかない汗をふく 山頭火※こヽにおちつき草萌ゆる は、発表されています。三月もようになった 山頭火the month of marchin the air夕立ちをりてすすしくなつた 山頭火an evening showerit is cool now渡り鳥観へてゐる日くれ 山頭火a flight of geese in my sightevening glowふゆの木立まつすく 山頭火winter treesstand straight in the sunかみそりのひかるはるのひなた 山頭火razor clear and distinctspring day light鳥とんて白い月 山頭火a bird on flightthe pale moon枯木わたしは一人 山頭火the tree witheredme all alone桜のにほうふるさとを歩く 山頭火home town of cherry blossom scentI walk
2022.04.22
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秋山巌の小さな美術館 ギャラリーMami の町田珠実です。松山在住のK氏より、山頭火の未発表句短冊画像を提供いただきましたので、こちらにアップしておきます。発表されている句もありますが、精査顕彰は皆様わいわいやっていただけたら嬉しいです。昭和14年、山頭火だとは知らずにお世話をしていた松山の【細川亀吉】さんという方が、山頭火から預かったたくさんの荷物の一部だそうです。フェイスブックの「山頭火ふるさと会」グループで、Marikoさんが英訳をして下さったので、併せて転載しておきます。雁かへるもう寝よう 山頭火the geese on their flightlet me lie to sleep炭の手を洗う寒き夕空 山頭火I wash my hand sumi stainedin the glow of evening cold枯草のしつまる日かけ 山頭火the withered grass fieldin the shade風ひらひら柿の葉ふる 山頭火wind dances---persimmon leaves fallねむりても蝉のこへ 山頭火in my sleep toothe cicadas' song田んぼ青くして水の音 山頭火paddy field greensound of waterひまわり傾く風かふきたした 山頭火sunflowers slant theirheads in the wind---it started blowing冬の水こほれて凍るか 山頭火winter waterspilled and frozen?三ケ月の夜の雲ひろかり 山頭火the crescent moon nightspread out are the clouds 月かけしつかに柳ちる 山頭火the moon shade tranquilthe willow leaves fall枯野夕日がかかやくところ 山頭火the field of withered grassthe place in the evening glowきた風はけしいやまのはか 山頭火from the north great windthe mountain graveyard 灯りをともせは月かあかるい 山頭火when the lamp lit,the moon bright!まったく月の野となりぬ 山頭火the fieldcompletely in the moon flood!風のとほり道木枯の音 山頭火the passage of wind---the sound of whirling wind 豆は木のしつかに音をたて 山頭火わかれてから月のおちてゆく 山頭火after farewellthe moon descends and fallひかる海みつ々ゆく 山頭火bright sunbeams over the seaI walk by taking glances※豆は木のしつかに音をたて何の豆かわからないので、英訳保留中です。その2へ続きます。
2022.04.22
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秋山巌の小さな美術館 ギャラリーMami の町田珠実です。お山しんしんしづくする真実不虚 山頭火秋山巌「お山しんしん」1978年「草木塔」より、鳳来寺拝登の前置き お山しんしんしづくする真実不虚昭和14年4月22日、山頭火は豊川稲荷と鳳来寺を訪れています。日記では、お山しづくする真実不虚と、「しんしん」は入っていません。【真実不虚】(しんじつふこ)は般若心経からの言葉。以下、山頭火旅日記より四月廿二日 雨――曇。八時の電車で豊川へ、そして鳳来寺へ。水筒には護摩水がいつぱい、辨当行李には御飯がいつぱい、ありがたう/\。豊川稲荷は名高いだけあつて、その堂塔は堂々たるものである、豊川閣へは朝から自動車が横付けになつてゐる、金持がもつと金持になりたくて祈願するのだろう、私などにはおよそ縁のないところだ。街筋は飲食店と土産物店との連続である。お寺では小僧さんが流行唄をうたひながら、何だかなまめかしく掃除してゐた。狐の像が多い、読経の調子も煽動的である。さらに電車で鳳来山へ。――駅からお山まで一キロ、そこからお寺(本堂)まで一キロ。石段――その古風なのがよろしい――何千段、老杉しん/\と並び立つてゐる、水音が絶えない、霧、折からの鐘声もありがたかつた。本堂前の広場でおべんたうをひらいて一杯いただいた。ゆつくりして、二時半の電車で、四時すぎ帰来、よい湯に入れて貰い、おいしい御飯を戴いた。夜は句会、主人、私、僊君、K君。いつしよに出かけて一献酌んで別れた。とかく飲みすぎ食べすぎ、そしてしやべりすぎる自分をあはれむ、あはれまないではゐられない!・しみじみ濡れて若葉も麦も旅人わたしも 雨ふりそゝぐ窓がらすのおぼろ/\に 豊川稲荷 春雨しとゞ私もまゐります どしやぶりの電車満員まつしぐら 鳳来寺 トンネルいくつおりたところが木の芽の雨・ここからお山のさくらまんかい たたずめは山気しんしんせまる 春雨の石仏みんな濡れたまふ・石段のぼりつくしてほつと水をいたゞく・人声もなく散りしいて白椿(薬師院)・霧雨のお山は濡れてのぼる・お山しづくする真実不虚・山の青さ大いなる御仏おはす 水があふれて水が音たてゝ、しづか・山霧のふかくも苔の花 ずんぶりぬれてならんで石仏たちは 水が龍となる頂ちかくも・水音の千年万年ながるる・石だん一だん一だんの水音 霽れるよりお山のてふてふ
2022.04.22
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秋山巌の小さな美術館 ギャラリーMami の町田珠実です。写真は、秋山巌「風は海から」1989年風は海から吹きぬける葱坊主 山頭火昭和14年4月20日 伊良湖崎(いらござき、伊良湖岬に同じ)を訪れた山頭火。以下、山頭火 旅日記より四月二十日 曇――雨。早々出発、伊良湖崎へ、――二里。若葉のうつくしさ、雀のしたしさ。街はづれの潮音寺境内に杜国の墓があつた、芭蕉翁らの句碑もあつた、なつかしかつた。沿道は木立が多い、豌豆の産地である、家はみな相当の大きさで防風林をめぐらしてゐる。伊良湖明神はありがたかつた、閑静なのが何よりだ、御手洗は汲上井戸だがわるくなかつた、磯丸霊神社とあるのもうれしかつた、芭蕉句碑もあつた、例の句――鷹一つが刻んであつた。岬の景観はすばらしい、句作どころぢやない、我れ人の小ささを痛感するだけだ!なまめかしい女の群に出逢つたのは意外だつた、芭蕉翁は鷹を見つけてうれしがつたけれど、私は鳶に啼かれてさびしがる外なかつた。易者さんですか、俳諧師ですよ!――砲声爆音がたえない、風、波、――時勢を感じる、――非常時日本である。今日は道すがら、生きてゐてよかつたとも思ひ、また、生き伸びる切なさをも考へた。岬おこし、磯丸糖、――芭蕉飴などはいかが!伊良湖から日出、堀切、小塩津、和地と歩いた、豌豆の外に花を作つている、金盞花が多かつた、養鶏も盛んである。途中からバスに乗つて、赤羽根といふ漁村のM屋に地下足袋をぬいだ(昨夜の吉良屋老人に教へられた通りに)、予想したよりも、さびしい寒村であつた、宿も何だか変な宿だつたが、それでもアルコールのおかげで、ぐつたり寝た。――たうとう雨になつた。伊良湖の荒磯で貝穀を拾ひ若布を拾うたことは忘れられない。 穂麦まつすぐな道が伊良湖へ 鳶啼くや花ぐもり明るうなる・風が出て来てからたちの芽や花や 道しるべやつと読める花がちるちる 松のみどりの山のむかうの波音・とんびしきりに鳴いて舞ふいらござき・風は海から吹きぬける葱坊主 芽吹いて白く花のよな一枝を・岩鼻ひとり吹きとばされまいぞ (伊良湖岬) 吹きまくる風のなか咲いてむらさき 潮騒の椿ぽとぽと・波音の墓のひそかにも・風のてふてふいつ消えた 波音のたえずして一人(赤羽根の宿) 花ぐもり砂ほこり立てていつてしまつた ――(或る日或る時)――・麦に穂が出るふるさとへいそぐ 伊良湖岬 荒磯ちぎれ若布を噛みしめる 風吹きつのる汽車はゆきちがふ・若葉へ看板塗りかへてビールあります
2022.04.20
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秋山巌の小さな美術館 ギャラリーMami の町田珠実です。秋山巌「春の山から」1998年 春の山からころころ石ころ 山頭火昭和14年4月19日の句。山頭火 旅日記より四月十九日 曇つたり晴れたり、花ぐもりだ。八時出立、礫浦まで送られて別れる、健三君よ、ありがたう、どうぞ幸福であつて下さい。旅立つてから、初めて私の旅らしくなつた。師崎まで海岸づたひに三里強。至るところ、てんぐさが干してある、わかめがほしてある、いかなごが干してある。いたどりの若芽が旅情をそゝる。おかめさん――龍亀大菩薩の墓標。遍路シーズンなので、おへんろさんの群がつゞく。師崎は物価の高い場所らしい、二三杯ひつかける。新四国第三十六番、遍照寺、いやな風景の一つ。三時の船で福江へ、海上二時間の眺望はよかつた。島へ帰る人々、港の女!やうやく福江に着いて、あちこち探して、よさゝうな宿を見つけた、吉良屋。おとなしくやすらかな一夜であつた。・浦波おだやかなてんぐさ干しひろげ 右も左も網干してある花のちる道を・春の山からころころ石ころ・大魚籠はからつぽな春風・歩きつづけて荒波に足を洗はせてまた・春風の声張りあげて何でも十銭 花ぐもりの、病人島から載せて来た 出船入船春はたけなわ・島へ花ぐもりの、嫁の道具積んで漕ぐ・島島人が乗り人が下り春らんまん やつと一人となり私が旅人らしく・波の上をゆきちがふ挨拶投げかはしつつ 春の夜の寝言ながなが聞かされてゐる
2022.04.19
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秋山巌の小さな美術館 ギャラリーMami の町田珠実です。秋山巌「波音も」1984年伊豆はあたたかく野宿によろしい波音も 山頭火草木塔 柿の葉 に収録されている句です。昭和11年4月18日の旅日記には、伊豆はあたゝかく死ぬるによろしい波音と記されています。山頭火旅日記より四月十八日 滞在、休養、整理。伊豆はさすがに南国情調だ、麦が穂に出て燕が飛びかうてゐる。○伊豆は生きるにも死ぬるにもよいところである。○伊豆は至るところ花が咲いて湯が湧く、どこかに私にふさはしい寝床はないかな!大地から湧きあがる湯は有難い。同宿同行の話がなか/\興味深い、トギヤ老人、アメヤクヅレ、ルンペン、ヘンロ、ツジウラウリ。……焼酎をひつかけてぐつすり眠つた。・なみおとのさくらほろほろ・春の夜の近眼と老眼とこんがらがつて・伊豆はあたゝかく死ぬるによろしい波音・湯の町通りぬける春風
2022.04.18
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秋山巌の小さな美術館 ギャラリーMami の町田珠実です。秋山巌「富士をまともに」1992年松並木がなくなると富士をまともに 山頭火昭和11年4月17日、山頭火は茅ヶ崎、熱海、伊東温泉へ山頭火旅日記より四月十七日 伊東温泉伊東屋。晴、うらゝかだつた。茅ヶ崎まで歩く、汽車で熱海まで、そこからまた歩く、行程七里、労れた。富士はほんたうに尊い、私も富士見西行の姿になつた。熱海はさすがに温泉郷らしい賑やかさだつた、伊東も観光祭。今日の道は山も海も美しかつたけれど自働車がうるさかつた。山の水をぞんぶんに飲んだ、をり/\すべつたりころんだりした。旅のおもしろさ、旅のさびしさ。・松並木がなくなると富士をまともに・とほく富士をおいて桜まんかい
2022.04.17
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秋山巌の小さな美術館 ギャラリーMami の町田珠実です。山頭火ふるさと館の館報に、企画展開催の感謝をこめて寄稿しました。ほとんどの方がご覧になれないと思いますので、原稿のまま載せておきます。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~◆寄稿【拝啓 山頭火さま 秋山巌原画展開催に感謝して】はじめまして。版画家 秋山巌の長女、町田珠実と申します。このたびは、秋山巌生誕一〇〇年記念として山頭火ふるさと館での企画展ありがとうございました。父が、旅先で【草木塔】と出会ったのは一九七一年、五十歳の時です。まだ小学生だった私は、山頭火に魅せられのめり込み、足跡を辿り版画に表現するために取材旅行をしていた父を覚えていませんでした。今回の企画展で、防府での秋山巌を知る事が出来、とても嬉しく思うと同時に、山頭火さまが繋ぐご縁の広がりと深遠さに感激致しました。原画展での作品は、父が亡くなる二年前の二〇一二年山頭火生誕一三〇年の時に寄贈したものが中心でした。その時の、護国寺橋本隆通ご住職に宛てた手紙が展示されていて、「ふり返ってみると、防府へもよくお邪魔して浴びるほど痛飲した若い日々を思い出します。・・・」と書かれ、「皆さんともお逢いしたいですが、よろしくお伝え下さいませ」と結ばれていました。当時、療養中の父から電話を貰い、父の代わりに会場に駆けつけたのを思い出します。・分け入っても分け入っても青い山・やまのふかさはみな芽吹く・この道しかない春の雪ふる同じ句で、さまざまな構図の原画、作品に合わせた山頭火さまの短冊など、限られたスペースに、よく考えて工夫された展示の様子は、山頭火ふるさと館の皆様の山頭火愛をひしひしと感じました。山頭火がライフワークとなった父は、八歳の時に母を亡くしています。十歳の時に母を亡くした山頭火と、より深く通じる想いがあったのではないかと、作品を通して感じます。企画展にご来場下さった方々からも、なかなか見ることが出来ない原画がとても興味深く面白かったと、感想いただきました。トークショーでご一緒した護国寺橋本ご住職に秋山巌の山頭火シリーズが全国に広がるきっかけとなった曹洞宗ポスター「生死の中の雪ふりしきる」の実物を見せていただきました。この作品は、岩手県遠野の雪山で、吹雪の中あやうく遭難しそうになった時の実体験がきっかけで創作されました。山頭火句、一つ一つに向き合い創作された作品を秋山巌生誕一〇〇年の昨年から、山頭火生誕一四〇年の今年、山頭火ふるさと館にて展示・ご紹介出来ました事心より感謝いたします。ご来場下さった皆様、展示にご協力いただいた皆様、ありがとうございました。
2022.04.01
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【秋山巌の日記】2002年3月10日三月十日(日)晴(Cntebury-Hotel)※Canterburyかいまはむかし陸軍記念日、サンフランシスコのホテル(カンテブリー)へ移る。シャーマン夫妻とお別れの招待で、夫人は涙をこぼして別れを惜しんだ。ご夫妻とも善人だ、よい人と知り合へた幸運を感謝して合掌一睡して食事へ(イタリヤ料理)以下、孫と長男の話
2022.03.10
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【秋山巌の日記】2002年3月9日三月九日(土)くもり 古川キャスターとの対談もうまくいった朝から入場者多い。広島で会い指揮しを描いたご夫婦や、やはり何処かの会場で会った人々との出会いがあり愉しくなる。おどろいたことは、15年前、唐津の窯 恵日窯に修行に来ていたアメリカの若い娘が、ひょっこり現れたのだ。そのときの窯の若者と結婚し、カリフォルニアで陶房を開いているという。まことに佳き出会いの日。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 秋山巌の小さな美術館 ギャラリーMami の町田珠実です。 海外で再会っていうのは、喜びもひとしおだったでしょう。私は、まだ確定申告もろもろ。昨日がほとんでできなかったので、確定深刻。。。
2022.03.09
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【秋山巌の日記】2002年3月8日 三月八日(金)マーガレットのデザイン会社を訪問する。ビルの一フロアそっくりがアトリエであり事務所。キャスター(サンフランシスコ放送局)古原さんが打ち合わせに来てくれ諸事の事を話し合う。シャーマン山苑へ招待された。そこから画廊へ、少々強行軍、そしてわれわれの歓迎パーティーをコーネル家でやってくれ、愉しき日であった。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 秋山巌の小さな美術館 ギャラリーMami の町田珠実です。旅に慣れているとは言え、80過ぎの父には大変だっったのでは?と思いますが、歓迎されわいわいやるのは大好きだったので、本当に愉しかったんでしょうね。長男と長男の娘にとっても、佳き思い出ですね。今日、夫を迎えに行ったJR西宮駅で、変なやからとトラブルになって、西宮警察に行って来ました。事故係のIさんが、親切な方で不幸中の幸い。まぁ、そんな日もありますね。
2022.03.08
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秋山巌の小さな美術館 ギャラリーMami の町田珠実です。画像は、秋山巌「椿ぽたぽた」1989年ぬくうてあるけば椿ぽたぽた 山頭火昭和10年3月8日 山頭火其中日記より三月八日春が来たことをしみじみ感じる。身辺整理。机を南縁から北窓へうつす、これも気分転換の一法である。在るがままに在らしめ、成るがままに成らしめる、それが私の心境でなければならない。・山火事も春らしいけむりひろがる・ぬくうてあるけば椿ぽたぽた・草へ草が、いつとなく春になつて以上~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~今日は、この作品のように暖かです。山頭火ふるさと館での企画展は、13日(日)までです。
2022.03.08
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【秋山巌の日記】2002年3月7日 三月七日(木)晴/雨 デパートへ孫娘(日記は名前)は大した娘だ。昨日は一人で美術館も行って来た。デパートで買い物、シャレたコートを二人前(オレの祐光氏)それから平嶋氏は裏毛付きのチョッキもアメリカ土産とした。歩き疲れて午睡、夜はイタリヤ料理店でワインを飲む。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~秋山巌の小さな美術館 ギャラリーMami の町田珠実です。確定申告が、企画展で忙しくしていたので、なかなか捗らないでいます。いろいろ出来ない事が多くなったと感じる今日この頃です。
2022.03.07
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秋山巌の小さな美術館 ギャラリーMami の町田珠実です。画像は、秋山巌「春が来たぞな」1992年蓑虫もしずくする春が来たぞな 山頭火昭和9年3月7日 其中日記より 三月七日晴、春風しゆう/\だつたが、午後は曇つて降つた、しかし昨日の雪のとけるといつしよに冬はいつてしまつたらしい。草が萠えだした、虫も這ひだした、私も歩きださう。一片の音信が、彼と彼女と私とをして泣かしたり笑はしたりする、どうにもならない私たちではあるが。街へ出て、米すこしばかり手に入れる、餅ばかりでは困る。心臓がわるい、心臓はいのちだ、多分、それは私にとつて致命的なものだらう。どうせ畳の上では徃生のできない山頭火ですね、と私は時々自問自答する、それが私の性情で、そして私の宿命かも知れない!・晴れて風ふく春がやつてきた風で・日がのぼれば見わたせばどの木も春のしづくして・むのむしもしづくする春がきたぞな・木の実ころ/\ころげてくる足もと・豚の子のなくも春風の小屋で・まがればお地蔵さまのたんぽぽさ以上。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~春はもうそこまで来ているはずですが、今日は寒かったです。夫が、帰宅後ズームミーティングがあり、疲れて帰ってきているのに、さらにストレスでぐったりしてしまいました。明日は元気になってくれるといいのだけれど。
2022.03.07
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秋山巌の小さな美術館 ギャラリーMami の町田珠実です。画像は、秋山巌のポストカード「思ふこと多し」新しくなったお買い物コーナーで販売中です♪昭和12年3月6日 山頭火 其中日記より三月六日 曇。雪もよひが雨になつた。椿赤く思ふこと多し私もとても好きな、句と作品です。
2022.03.06
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