鈍行列車でいいのなら

鈍行列車でいいのなら

げその高校時代

☆げその高校時代☆

私が進んだ高校は、
自宅から約1時間半離れた町にありました。
毎朝6時半に起き、
バス→電車→バスを乗り継いで学校に駆け込んでいました。
勉強はまったく適当にこなし、放課後は演劇部の練習に励む毎日。
下校時間になると一目散に自宅に戻り
制服を着替えるのもそこそこに
ヤマハの2万円のギターを抱えて
再び家を飛び出しました。

向かった先は 町の集会所。
中学時代の仲間が待っていました。

高校に入ってからも、
私は中学時代の音楽仲間3人とともに
「どんこう列車」の活動を続けていたのです。

4人の高校は三つに分かれました。
リーダーはやはり自宅から1時間半かかるけど
方向が私とはまったく逆の高校へ、
あとの2人は地元の高校へ。
それぞれの部活や 中間試験や期末試験の日程もバラバラで、
練習時間の調整にも苦労しました。

そんな中、私たち4人のうち3人が、
地元の市が行っていた音楽の「青年教室」に参加。
そこには市職員のみなさんや学校の先生、
大学生の先輩もいました。
今まで出逢ったことのない仲間に刺激され、
私たちの音楽も 少しずつ「芸風」を広げていきました。

高校1年の秋に「青年教室」は市の公民館で
これまでの成果を発表する「コンサート」を開きます。
観客は150人。
ポプコンのつま恋とは全然違うのだろうけど、
初めて舞台に立った胸の高鳴りは忘れられませんでした。

そして……
「私たち自身のステージをやりたい!」

1年近くを経た高校2年の夏、
私たち「どんこう列車」は市の公民館で
初のライブを敢行!
同じ公民館とはいえ「青年教室」よりずっと小さな集会室で、
観客はわずかに30人。
しかし なぜかこのライブが
某@日新聞の地域面に紹介されてしまい、
私たちは突然
地元の有名人になってしまった(←言い過ぎ?)のでした。

結局高校時代に
私は「どんこう列車」として3回
「青年教室」(のちに「サム・ピック」と改称)として計4回の舞台に立ちます。
決して上手くはなかったかもしれない。
でも私にとって
音楽とともにあった高校時代の想いは
何にも代え難いものです。

この頃聴いていた音楽は
かなり さだまさしと中島みゆき、
ちょっと遅れて松任谷由実とオフコースに
特化していた気がします。
これに 中学時代から好きだった
チャゲ&飛鳥や長渕剛が加わる……といった感じでした。
このあたりの人々については もう片っ端から
アルバムをしらみつぶしに聴いていたように思います。
ただどちらかというと、
この頃の自分は音楽を聴くこと以上に
自分で書くことに夢中になっていたようです。


☆当時の作品☆

たびびと  …私のデビュー曲と言ってもよいでしょう(?)

夢を追い続けて  …「どんこう列車」初ライブで披露しました。

招待状  …そういや演劇部員だったんですね、私は(爆)

あと2年と少し待てば  …これがげそ的「17歳」の表現♪

ゆうびんやさんのうた  …大学3年まで歌い継いだ、かなりお気に入りの作品です。

笑い飛ばして……  …ようやく恋の歌らしきものも出てきましたね(爆)

道化役者の独り言  …「あと2年と……」「ゆうびんやさん」とこれが、げその高校3部作でしょう(爆)






© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: