ぎいさんのまったり毎日

ぎいさんのまったり毎日

自宅療養の日々


療養・・・といってももう動くこともできない状態だったので、ひたすら自分の部屋で寝ていた。睡眠をとるわけでもなく、ひたすら泣いていたと思う。

少しご飯が食べられるようになったら食卓で両親とご飯を食べた。
両親は最初は対応に戸惑っていたようだ。
特に父はまさか私が鬱になるとは思ってもいなかったようで、非難するわけではなかったが、困惑していたように思う。
私の職場はよくテレビに写ることがある。
そんなとき突然泣き出したり、少しでも職場関係のモノを見ると(例えば郵送されてくる給与明細)動揺してしまう私だった。
一度父がふと仕事の話をした瞬間嗚咽してしまい、父から生まれて初めて謝られた。有る意味ショックだった。
私は自分で書くのもなんなんだが、小さい頃から成績優秀、(素行はあまりよろしくはなかったけど)荒れまくっていた兄への反発もあり、イイコをしていたので、オール5の通知表以外を見せたことはなかったと思う。
友人も沢山いたように見えていただろうし、サークル等もさかんにやってたから、父母としては手のかからない子どもだったのかもしれない。
そんな私が突然仕事を放棄した。その事実が父には信じられなかったのだろう。
ただ救いだったのは、兄が精神的に荒れており、通院をしていた(最近知りました)ので、精神疾患に関する偏見はなかったということだろう。
母などは、「人生こういうときもあるよ。」といって言い意味で放っておいてくれた。
このころはひたすら横になっていつが朝なのか、夜なのか分からない生活をしていた。

私の小さい頃からの趣味は読書。
本のない生活なんて耐えられないほどの本好きである。
それなのに本さえ読むことができなかった。新聞なんてもってのほか。
とにかくすべての情報を脳みそがシャットアウトしていたようだ。

医師には一週間に一度母に自動車で送ってもらい通っていた。
医師になにかを聞かれてもだまっているか、泣いているかどちらかだった。
母が初めて付き添ってくれたとき、先生が私の病気について説明をしてくれた。それを聞いているだけでたまらない気持ちになり、また先生にティッシを差し出された。

ある日のこと、いつものように母と病院に向かった。そして診察前の血圧測定のときちらりとカルテが目に入った。
そこには見慣れた名前の名刺が貼り付けてあった。
私の父の名刺だった。
「どうして?どうして父の名刺があるの?」
待合室でそれとなく母に「名刺があったけど」と聞くと、母はちょっと驚いて、実は父と母が一緒に私の病状を個人的に聞きにいったらしいのだ。
今考えれば私を動揺させないためだったのだろう。しかし激しく私は怒った。
なぜならば私の父は某大学の名誉教授で、(医学部ではないが)主治医が開業する前に勤めていた大学病院の精神科部長と知り合いだったからだ。
なにか主治医にプレッシャーをかけたのではないかと父への不信感を募らせてしまった。

父は私が主治医のところに通っていることを知ったとき、過去数年分の職員録を見て経歴を調べ上げていた。ふと私が病院に某大学の名前が入った時計を見つけたことをしゃべってしまったのがきっかけだった。
父は大学病院で看てもらった方がよいと思って大学の精神科に電話をした。
ところが、看護士長から今の臨床医は私の主治医の後輩にあたると言われ、
個人病院に通い続けることを了承した。

「それでも信用ができなかったのか?!」

父よ、今だから言える。調べてくれた通り、よい精神科医だったよあの先生。
世の中にはごまんと適当な診療しかしない医者がいることを後に知ったから・・・。


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