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June 6, 2015
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テーマ: TVドラマ(110)
カテゴリ: ドラマ
American Horror Story (Freak Show)
アメリカンホラーストーリー シーズン4

第2話「殺人事件」(原題: Massacres and Matinees)




あらすじ



おもちゃ店の店主ハンリー(トニー・ベントレー)の首をハロウィン用品の棚に陳列したピエロ(ジョン・キャロル・リンチ)は、店の従業員(デビット・シンプソン)を殺害し、彼の首を持ち去った。

バンチ刑事失踪から二日後、ジュピターでは夜間外出禁止令が発令され、エルサの劇団への捜査の目は一層厳しくなる。深夜、一座のリーダー的存在であるジミー(エヴァン・ピーターズ)は警官殺害の証拠隠滅のため、仲間二人と共に遺体を掘り起こしていた。「彼には子供がいたかもしれない」父親不在の環境で育ったジミーは、仲間を救うためとはいえ初めて人を殺してしまったこと・誰かから家族を奪ってしまったかもしれないことに贖罪の念を感じ始めていた。

怪奇劇場を一夜貸切にしてダンディ(フィン・ウィットロック)を楽しませた母親グロリア(フランシス・コンロイ)だったが、三日と経たないうちに息子の癇癪に手を焼くこととなる。自分の名前の刻まれたガラス細工の哺乳瓶でコニャックを飲んでいたダンディは、夕食の途中、役者になる夢を阻んだ母親に反抗し部屋を出て行った。ダンディが怒っていなくなるといつも残酷なことが起こる。現にいま、物置小屋の裏から動物の毛と歯がみつかり、隣人はいなくなった猫を探し回っていた。グロリアは、息子の退屈しのぎにと道端で見つけたピエロを雇い連れ帰る。

怪奇劇場のキャンプ地に、トレーラーに乗った一組のカップルが現れた。男はエセル(キャシー・ベイツ)の元夫デル(マイケル・チクリス)で、ジミーの父である。ジミーがまだ赤ん坊の頃、「お前のような(奇形の)子は将来苦労する」と息子を絞め殺そうとした過去がある。エセルは夫に銃口を向け、二度と戻るなと警告した。エセルはこのことを誰にも話しておらず、ジミーも自分の父親が誰なのかは知らない。
デルの新しい妻デジレ(アンジェラ・バセット)は三つの乳房を持つ両性具有の人間である。以前シカゴの一座に在籍していたとき、デジレの不倫現場を見たデルが間男を殺したことで、二人は逃げるようにそこを離れエルサの劇団に入団したのだった。



芸能の世界に興味津々で歌唱力に自信を覗かせていたベットの歌は、客前では披露できない代物だった。一方ベットから「全く才能がない」と言われていたドットは、実際の歌声は素晴らしく、その見た目以上に客を沸かせた。自分こそがスターになるという夢を諦めきれないエルサはドットへの嫉妬心からベットをそそのかし、枕元にナイフを置いて立ち去った。

おもちゃ店店員の首を発見し、ピエロの殺人行為に心酔したダンディは、ピエロの所有する朽ちかけた古いバスへと向かう。

無実の罪で警察に捕らえられた怪奇劇場の一員・奇人ミープは拘置所内でリンチにより殺され、その遺体はボロ布に包まれ劇場の入り口に投げ捨てられていた。ミープの無惨な姿に、彼を助け出し罪を償おうとしていたジミーは慟哭した。











感想


役柄を演じているとわかっていながらも、ジェシカ・ラングのエルサ・マーズ、憎たらしいわ〜〜〜。これは私がジェシカ・ラングについて毎シーズン感じていることなので、いかに彼女の演技がすごいかってことでもあると思うんだけど、なんなの〜あの憎たらしさ。殺人鬼とかじゃなく、身近に普通にいるタイプのちょっとしたサイコパスなんですよね......今回のエルサの場合は承認欲求が満たされないことによる他者への嫉妬心が引き金だけど、ナイフを枕の下に忍び込ませるまでのことはしなくとも、こういう人は結構存在するし、ちょっと間違った状況に置かれたら自分ももしかしたらこうなってしまうかもしれない、というところが怖い。良い人の仮面で近づいて、心配する口振りで仲の良い者同士を仲違いさせることが趣味みたいになっている人。彼ら・彼女らの目的はさまざまで、エルサのように自分が目立ちたい(他人がチヤホヤされているのが許せない)人から、自分がイジメのターゲットにならないように立ち回った結果そうなる人もいる。全員に共通しているのは、自分を守るために行動しているということ。誰かが目立ってたり、仲良しグループが存在すること自体が、彼らのなんらかのコンプレックスを刺激するのでしょう。女性同士で仲が良いと、わざわざその中の若い女性「だけ」褒めて、反応を見るおじさんもいたなぁ。その頃私は若い女性側だったので、そのおじさん上司が姿をあらわすたびにイヤ〜な気持ちになったものでした。「女は若い女が嫌いだろう」と考えているであろうところも、「男である自分がジャッジしてやる」という上から目線もすべてが下世話で下品な彼の精神性が生んだ怪物であり、したり顔でそうしたものを見せつけてくるたび、吐き気に襲われたものです。現実の人言関係「だけ」に価値を見出しすぎると、もしかしたら誰しもが陥る病気なのかもしれません。アニメやアイドルなど、夢中になれる趣味があった方が健全な社会生活を送れる気がする。だって自分の思い通りに現実をコントロールできるわけがないのだから。

今回の原題: Massacres and Matinees 、「虐殺とマチネ」。何かの演劇のタイトルのもじりなのかもしれないけれど、言葉通りとらえるとしたら、マチネはフランス語で、朝、昼興行。作品の中でもフリークショーは夜やるものだ、というエルサのポリシーに逆らい、デルは昼の公演スケジュールを決めてしまいます。警察の夜間外出禁止令をかいくぐって商売ができたというメリットもあるが、このことで劇団内のパワーバランスが少しずつ揺らいでゆく。
そして虐殺の方なんですけど、ピエロ、怖すぎないですか?? 昼間殺しまくるっていうのが心底怖いです。私が一度見てトラウマになった映画「テキサス・チェーンソー・ビギニング」みたい。そもそもピエロの顔を見て楽しい気分になったことがない。大きくて赤い鼻、大きな目、大げさに描かれた口、白く塗った肌...おもしろ要素を全部一つにまとめてしまうと、逆に怖い人になる。

エヴァン・ピーターズ演じるジミーですが、彼はリアル版シザーハンズ? と思うところもあった。仲間想いの心やさしき青年。シザーハンズにしてはダイナーのウェイトレスをナンパしまくってたところは「?」と感じるけど、ジミーは今後恋愛するのか、するとしたら相手を傷つけずに愛することはできるのか。

前回ジミーは殺した警官の遺体を前にして「マイノリティである我々より、マジョリティとして暮らしてる奴らの方がよっぽど怪物だ」という内容のスピーチをしていましたが、これはアメリカンホラーストーリーのシリーズにはよく出てくるフレーズでもあるのですが、この考え方って危険な面も孕んでいると私は思っていて、それは、「世間の奴らの方がよっぽど化け物じゃないか」って部分が一人歩きしてしまうと、「フリークとして堂々と生きている自分たちの方が優れている」という選民思想につながりはしないかということ。正義である我々を攻撃するもの(警官)は殺して当然だ、我々を迫害する危険性があるものは絶滅させなければ、という人類の歴史上何度も繰り返されてきた過ちをそのままたどることにつながりかねないから。

そして「世間が怪物と呼ぶならそうなってやる」とシュプレヒコールをあげていた通り、周囲の人が怪物扱いすれば、その人はだんだん怪物になってゆくのですよね。人として尊重され、敬意を払われれば、それにふさわしい人間になろうとするもの。何か物でも扱うように仲間の遺体を放り出されたら、俺たちはこういう扱いを受けて当然の人間なんだ、と思ってしまう。

前回の、ヒゲのエセルが自分の子供に性的奉仕の仕事をさせている、というエピソード。これは、人気ドラマgleeなどを長年手がけてきたライアン・マーフィが数多く出会ってきたであろう、とある種類の人々(非常に礼儀正しいが、こどもを商売の道具とすることに何の良心の呵責も感じていないような人々)のアレゴリーなのでは、と思った。





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Last updated  June 7, 2015 10:47:40 AM
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