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いよいよ明日から日本に帰るのだが、今回の帰国の目的は母親に頼まれた韓流グッズを届ける事にある。以前の日記にも書いたが韓流グッズもいろいろあるが今回は扱わないがカレンダーも実は人気があるようだ。我がウェブショップ「ONLY ONE」では「大極旗を翻して」のカレンダーだけ扱っているが四天王の一人である李炳憲(イ・ビョンホン)のカレンダーも今許可を貰っているところだ。今年の韓流人気がいかにすさまじ買ったかを物語っているニュースがある。朝鮮日報の記事だ。□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□「韓流カレンダー」 アマゾン・ジャパンの予約上位を占拠とどまるところを知らない日本の韓流ブームが来年のカレンダー予約にも影響を与えている。 日本のインターネット書店「アマゾン・ジャパン」が同サイト内の販売を中心に集計して発表した2005年のカレンダー予約販売ランキングで8日現在、『冬の恋歌』(日本タイトル『冬のソナタ』)をはじめとした韓国スターのカレンダーがトップ10のほとんどを占めた。 トップは記録したのは、やはり『冬の恋歌』だった。 日本の韓流ブームの火付け役となったペ・ヨンジュン、崔志宇(チェ・ジウ)、パク・ヨンハが出演した『冬の恋歌』は、カレンダーでも最高の人気を誇っている。 ドラマのカットを中心に構成されたカレンダーは、製作会社が売り切れが予想されるため、早めに購入するよう公式に発表するほどだ。 壁掛け用のカレンダーと共に『冬の恋歌』の卓上用カレンダーも3位に入り、『冬のソナタ』に対する日本の人々の関心の高さをうかがわせる。 2位には李炳憲(イ・ビョンホン)のカレンダーが入った。李炳憲の写真集から抜粋された写真で構成されている。ウォン・ビンとパク・ヨンハのカレンダーが4、6位に入り、韓国の女優として唯一、崔志宇のカレンダーが8位にランクした。トップ10内に日本の芸能人は1人のみがランクインした。人気タレント矢田亜希子のカレンダーが7位に入っているが、彼女もやはり韓日合作ドラマ『フレンズ』に出演したことがあり、韓流と無関係ではない。 この他、トップ10入りしたカレンダーは、『ガンダム』など日本のアニメカレンダーだった。 『スポーツ朝鮮/イ・サブ記者』http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/11/08/20041108000029.html□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□トップ10に日本人一人と言うのがまた寂しいものである。韓流は4,50代の女性が中心化と思ったが、アマゾンでカレンダーを予約するのは若い人が多いのではないかと思われる。まだまだ韓流続きそうである。では、皆さん!行って参ります。しばらく日記はお休みです。
November 8, 2004
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日本のヨン様と冬ソナブームは止まる事を知らない。あまりにもすごい熱なので「ヨンフルエンザ(ヨン様+インフルエンザ)」などと言う流行語も出来たそうである。元NHKソウル支局長の原田令嗣日本衆院議員は「17世紀の熱烈な朝鮮ブームを作った朝鮮通信使以来、最大の韓国ブーム」とまで言っている。その朝鮮日報の記事である。□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□際限なく拡大する日本の韓流ブーム 朝鮮通信使以来最大【日本の中の韓流/1】変わった日本人の「韓国観」韓流ブームで日本が沸いている。 今年4月、『冬の恋歌』(日本タイトル『冬のソナタ』)が地上波のNHK総合テレビで放送されて以降に起ったヨン様ブームと冬ソナブームは、ドラマが終了してから2か月以上が経つが、徐々に収まるところか、むしろ段々と大きくなっている。「ヨンフルエンザ」(ヨン様+インフルエンザ)という言葉まで使われているほどだ。 『冬の恋歌』のロケ地となった京畿(キョンギ)道・加平(カピョン)郡の南怡島(ナミソム)。秋たけなわの7日、数百人の日本人観光客が訪れた。今年、南怡島を訪れた外国人観光客20万人のうち約8万人は日本人だった。 入場収入だけで4億ウォンを超えた。昨年に比べて60%以上の増加率で、そのほとんどが『冬ソナ』ファンの女性たちだ。チュンサンとユジンが初めてキスを交わしたベンチや実物大の立像の前には記念撮影をする人々が長い列を作っている。 日本の韓流ブームは来年の韓日国交正常化40年を控え、また特別の意味を持っている。元NHKソウル支局長の原田令嗣日本衆院議員は「17世紀の熱烈な朝鮮ブームを作った朝鮮通信使以来、最大の韓国ブーム」と話す。 日本国民に韓半島から渡来した文化がこうして肯定的な影響を与えて広がっているのは近世に入って初めてだというのだ。 日本で活動している映画監督のイ・ギュヒョン氏も「韓国ドラマが日本で放送されることで毎日一日に1時間ずつ、韓国を“広告”する効果をもたらした。15年間日本に住んでいるが、今年のように韓国の明るい面が日本で大きく話題になったのは初めて」と喜んだ。 日本の『冬ソナ』ブームは日本経済や政界でも好材料となっている。小泉純一郎首相は『冬の恋歌』のヒロインを演じた崔志宇(チェ・ジウ)を首相官邸に招き、日本でも撮影をするように勧めた。 大衆誌をはじめ『AERA』といった時事週刊誌もペ・ヨンジュンが表紙に登場すれば販売部数が2倍に伸びた。 日本のエンターテインメント業界では「今年のヨン様ブームの経済効果は2000億円(約2兆2000億ウォン)に上る」と予想している。 韓流ブームはやはり『冬の恋歌』とは切っても切り離せないようだ。崔志宇が出演した映画『誰にでも秘密がある』は、先月開催された東京国際映画祭でチケットが2分で売切れる高い人気ぶりを見せ、関係者を驚かせた。 この映画で崔志宇と共演した李炳憲(イ・ビョンホン)の人気も共に上昇した。『冬の恋歌』でペ・ヨンジュンの恋敵を演じたパク・ヨンハもアルバムセールスが30万枚を突破した他、写真集も5万部が発売初日にすべて売り切れた。 東京=崔洽(チェ・フプ)特派員 pot@chosun.com パク・ウンジュ記者 zeeny@chosun.com http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/11/07/20041107000033.html□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□また冬ソナの舞台となったチュンチョン(春川)市と姉妹都市である岐阜県各務原市では「冬のソナタ春川物語」というタイトルで展示会が催された。その記事はこれだ。http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/11/07/20041107000048.htmlとにかくまだまだすごい!来年の夏までと言う噂もあるが、思ったより韓流長く続きそうである。
November 7, 2004
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韓国で非常に人気のあった時代劇「大長今」は日本でも人気があるようであるが、朝鮮時代の王様の水刺床(食膳)を担当するのは並々ならぬ努力が必要であった。当時唯一現代人と同じ位栄養摂取が可能であり、運動不足に激務、ストレス。これは完全に現代の成人病にかかる条件がそろっている。だから王様の周りにいる主治医とお抱えコックは大変である。だが当時最高の知識と技術を持っていたスペシャリストたちだ。まさに日本の大奥の様なものである。その中で王様の重要な仕事の一つは王子を生産することである。そのためにも専門家たちはいろいろな知識を持っていた。今日の東亜日報におもしろい記事が載っている。□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□●朝鮮君主の平均寿命は46歳…概して長寿 「夜の生活」も当然健康に影響を及ぼす大きな要因だった。宮廷の内侍(王に仕える男性)たちは「20歳まで一日に2回、30歳まで一日に1回、40歳まで三日に1回…」に制限する「玉房秘訣」を覚えていた。陽気を掻き立てる代表的な食べ物では雀を入れて作ったもち米おかゆがあった。王様がこのおかゆを食べた日、王に仕える宮女はたいへん苦労したという話も伝わる。 このようにあらゆる真心を尽くしたが、実際朝鮮の君主27人のうち燕山君(ヨンサングン、朝鮮第10代王)、光海君(クァンヘグン、朝鮮第15代王)を除いた25人の平均寿命は46歳余りだった。「王様も大したことないね…」と言うこともできるが、過度な栄養と仕事上のストレスなどを考慮すれば悪くない成績表だった。それに早く亡くなった王様たちは、大部分主治医のアドバイスを無視するか、非専門家を引き入れて寿命を早めたという分析だ。天下を号令する王様でも食べることで自然の理に逆えば害に遇うしかなかったのだ。http://japan.donga.com/srv/service.php3?bicode=130000&biid=2004110691458□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□残念ながら「大長今」には出てこなかった。この料理は実はもっと昔、三国時代にもある。百済の最期の王、ウィジャウァン(義慈王)。この人は非常に立派な人だったが、最期はおかしくなってしまった。だから新羅に滅ぼされるのだが、この義慈王の有名なのは妾の数だ。数百人とも数千人とも言われる。数千人は嘘だろう。ともあれ、韓国では有名である。この義慈王も実は「スズメお粥」を食べていたと言うのである。正確なレシピがあればいいのだが、ただスズメの肉を軟らかくなるまで煮るとしか書いてない。スズメの肉は手に入るのだろうか?在韓の女性の皆さん一度ご主人にお試しあれ!
November 6, 2004
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母親からの要請でお店に置く韓流グッズの仕入れ注文をしておいたのが、今日一気に届いた。15品目くらいになり、特にヨン様愛用マフラーが60枚なので、火曜日に日本に持って行くのだが、とても持ちきれない。それで明日半分はEMSで日本に送る事にした。明日EMSで送れば水曜日か木曜日には着くだろう。金曜日に帰国する予定なので、日本にいる間に受け取れると思う。海苔も1箱EMSで送ったし、それ以外のおみやげの焼酎とユジャ(ゆず)茶、トゥングrレ(あまどころ)茶、天国への階段OST、最後にキムチを持っていけるかどうか?こうなると行商に行くようである。帰りもまた同じである。日本茶、うめぼし、納豆、せんべい、ふりかけ、お吸い物等等、特にせんべいは1万円ぐらい買う。私を含めて家族全員大好きだ。しかし、持ってくるのが大変だ。それプラス昔は子供らがおもちゃを買って来いと言う要求があった。女房は下着とかストッキング、食べ物ではしゃけなど、まるでド田舎から久しぶりに街に買出しに行くようである。それでも最近は韓国でもいろいろと売っているので、品数は大分減った。昔はこれにほんだし、味噌、醤油と言った調味料まであった。必ず韓国の空港で調べられる。今回は特に初めて金浦空港から羽田に行く。羽田からはモノレールと電車だ。2回は乗り換えないといけない。大変な労働だし、恥ずかしい。まあこれも母親のため仕方ない。帰りは金浦から麗水までの飛行機が終わっている時間なので、どういう方法で帰るか悩んでいる。1日仁川の会社に寄るか、光州まで飛行機で行って、タクシー、バス、タクシーと乗り継ぐか?とにかく重労働になるのは必死である。荷物がなければなんでもないが、昔の行商のスタイルと思っていただければ分かると思う。毎回大きな旅行かばんにリュックを背負い、両手にさらにかばんだ。これも子供と妻のためだ。この買出しも麗水に住む後輩に上げたり、子供たちが食べると1週間でなくなる。親孝行、女房孝行、子供孝行、後輩孝行になるなら年に3,4回だ。我慢しよう!皆喜んでくれるかな?
November 5, 2004
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今日の朝鮮日報のニュースだ。□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□宋承憲さんら人気俳優3人の軍入隊が確定兵役免除処分が取り消しされた俳優の宋承憲(ソン・スンホン/28)、張赫(チャン・ヒョク/28)、韓材錫(ハン・ジェソク/31)さんの3人全員が今月中に入隊することになった。 4日、ソウル地方兵務庁で身体検査を受けた結果、宋承憲、張赫さんは現役入隊、韓材錫さんは公益勤務判定を受けた。3人は5日、兵務庁から入隊日の通知を受け、今月中には入隊する予定だ。 3人は腎臓疾患を偽装して兵役免除を受けたが、今回の検査結果、腎臓には異常がないことが確認された。 宋承憲、張赫さんはそれぞれ高血圧による内科疾患で3級現役入隊の判定を受けた。 韓材錫さんは1級判定を受けたが「31歳以上の現役入隊対象者は公益勤務要員となる」という兵役法第71条2項によって公益勤務(入隊対象者のうち、各分野で国威を発揚した若者が、国家機関や地方自治体、公共団体及び、社会福祉施設の公益目的に必要な警備、監視、保護、ボランティアや行政業務の支援業務に5年以上服務する制度)の処分を受けた。 同日午前8時から身体検査を受けた宋承憲さんは「国民の皆さんに心よりお詫び申し上げたい。国に従って誠実に義務を果たしたい」と語った。 午後12時から検査を受けた張赫、韓材錫さんも「遅れた分の義務を誠実に果たしたい」と語った。 厳重な警備の中で行われた身体検査には、100人を超える国内外の取材陣が殺到し、検査を受けた俳優が検査場を去る際には一時騒然となった。 今回、同じ日に3人の身体検査が行われ、全員の今月中の入隊が決定したことから、一連の芸能人の兵役逃れ事件は収拾へと向かう見込みだ。 ドラマ撮影が終わるまでの入隊延期が主張された他、ネット上では賛否両論が繰り広げられ、最近では国会文化観光委員会所属のヨルリンウリ党の一部議員たちが嘆願書を提出して宋承憲さんの入隊延期を要請したが、兵務庁が入隊決定を再確認したことで今回のドラマ出演は不可能となった。 チョソン・ドットコム http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/11/04/20041104000066.html□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□タレントといい、スポーツ選手といい、3年間仕事から離れてしまって除隊後に仕事があるのだろうか?国はこの人達の未来を補償してくれるのか?国民の義務とは言え、もったいない。若い人の一番いい時を奪ってしまう。休戦中の国だから仕方がないのだが、もう少し融通が利かないもののだろうか?上の記事の中にも国会議員が嘆願書を出していると言うがまだだめのようだ。本人たちは法を犯したと後悔しているが、気持ちは誰も分かっているはずだ。除隊してからも頑張ってほしい!
November 4, 2004
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生ゴミ餃子で韓国国内だけじゃなく日本でも話題になったが、もうそんなことは忘れてしまったのか!?今日のニュースによると、不良食品を製造販売して検察に摘発された業者が去年よりかなり増えたと言う。6月から5ヶ月間で620人が検挙され、その内93人が拘束された。その内最も多いのが偽りの原産地表記をした者で161人。中国産などを国産などと表記したものであろう。次に不良食品の製造販売が160人である。塩辛などをドラム缶に入れて保存しておくのだが、人体に有害な化学品を保存しておいたドラム缶を使っていたりした。流通期間をごまかしていたのが117人だ。輸入豚肉の流通期間を1年もごまかし、17億ウォン(約1億7000万円)も販売していた。その他、自然にやさしい食品と言う偽りのスティッカーを貼ったりしているのも多かった。こんなんじゃ何を信じて食べ物を買って食べたらいいのか分からない。食べるものでこういうことはしないでほしいものである。特に学校給食は先生がわいろをもらって品質の悪いものを子供たちに食べさせてる学校も多い。自分の子供の口に入る思わないのだろうか?本当にいつになったら安心して食べられるのだろうか?
November 3, 2004
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母親からの催促で今日はヨン様グッズの仕入れをした。先月末オープンしたお店に母親がコーナーを借りて韓流グッズを販売したいと言ってきた事は以前日記に書いた。忙しさにかまけて神経を使ってなかったら「あんた、いつ送ってくれるの?それとも持ってきてくれるの?」との催促の電話がきてしまった。金曜日くらいにはそろうので土曜日か日曜日にチラッと日本に行って来ようかと考えている。グッズの内容はメモ帳、レターセット、便箋、ハガキ、ストラップ、キーホルダー、ポラリスのネックレス、ポスターなどなど。それに今回はヨン様のマフラーを60枚注文した。売れるかな?これです。↓↓↓↓↓ヨン様マフラー今回特別100アクセスしてくれる人に一つプレゼント!何て言ったら、してくれる人いるかな?3000円で売ってみようと考えている。ちょっと高い?このマフラーはヨン様が街で個人的に買ったらしい。だから特別に有名でも何でもない。似たものを作っていくらでも売っているようだ。事務所でヨン様のサインを印刷して特許を取れば売れると思うのにどうしてしないのか分からない。これに私のウェブショップ「Only One」で販売するパワーストーンも一緒に並べて見ようと思う。人気が出たらスペースを広げて韓国物産も売って見ようと思っている。さらに中国から原料を仕入れてアクセサリーなんかもおもしろい。今回日本にかえるに当たって、商品の他にキムチ、海苔、焼酎の基本三大おみあげも買わなくてはならない。今週は忙しくなりそうだ。
November 2, 2004
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韓国ではご飯が古くなるとヌルンジ(お焦げ)にして食べる。もともと日本でもそうだろうが、電気釜が出る前はどうしても底にお焦げができる。それを取って食べると美味しい。今はわざわざお焦げを作って食べる。そのまま食べるし、煮てお粥にしても食べる。香ばしくて食欲をそそる。何日か前、女房がどこからかたくさんそのヌルンジ(お焦げ)を貰ってきた。どこかの食堂で大量に余ったそうである。最初は子供たちと「うまい!」と言って喜んで食べていたが、2,3日すると飽きて来る。すると今日は女房がそのヌルンジ(お焦げ)を揚げ始めた。これが揚げ餅のようで美味しい。昔、お正月が過ぎてカビが生えてきたお餅を叔母さんが揚げ餅にしてくれ、美味しく食べたあの味が思い出される。こんな感じだ。最近では釜飯のお店もあり、やはり最後はお湯を入れてヌルンジ(お焦げ)粥にして食べる。また韓国では焼肉を食べた後、お店で「ご飯にしますか?冷麺にしますか?」と訊かれるのだが、最近では「ヌルンジ(お焦げ)にしますか?」と訊く店が出てきた。庶民の味、ヌルンジ(お焦げ)お試しあれ!
November 1, 2004
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韓国で初めて行われた米女子プロゴルフツアー(LPGA)CJナインブリッジクラシックが済州島で3日間に渡って行われ、朴祉垠(パkジウン)が見事初優勝し、今期2勝目を上げた。先日の日記に書いたように韓国で初めて開催されたLPGAツアーと言うことで、優勝者には利川(イチョン)陶磁器と韓服が授与された。これが写真だ。やはり韓国人だけに韓服が似合う。中央日報の記事の内容は次のようだ。■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■31日に米女子プロゴルフ(LPGA)ツアー、CJナインブリッジクラシックで優勝した朴祉垠(パク・ジウン)が、韓服(ハンボック)を着て陶磁器でできた優勝カップを手にした後、キスをしている。 2004.10.31 20:09■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■話は悲しいニュースに変わるが、日本は台風による被害に地震による大惨事、そんな中で今度はイラクで人質となっていた香田証生さんが、結局殺害されてしまった。あまりにもいろいろなことがあって、普通より人々の関心が薄かったのではないだろうか?そんな中、寂しく異国の地で悔しい思いで目を瞑ったのではないだろうか?香田証生さんのご冥福を心からお祈りいたします。
October 31, 2004
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昨日済州道庁に勤める文さんと言う友達から突然電話がきた。新潟地震の支援物資として済州島のサンダス(三多水)を送りたいのだが、ルートを調べてほしいと言うのである。昼間、貿易の時に利用しているシッピング会社に調べてほしいと頼んでおいたが、回答が来ない。それで日本にいるパートナーにお願いしたところ、新潟県の災害対策本部に連絡してくれた。結局対策本部では、輸送ラインが非常に混雑していて、貰っても何時現場に到着するか分からない状態であり、今は必要な物資の順番に送っているそうだ。それで水が必要な順番になったらオファーを出したいと言う答えだったそうである。この答えを聞いたとき非常に日本的だと思った。確かに今はいただいても送れないと言うのは分かるが、お隣の国が援助したいと言うのは、日本に物資が足りないからと思って言っているのではないのは明らかなはずである。ただお見舞いの気持ちで送ろうと言うのであるから、その気持ちを汲み取ってたとえ送れなくとも、どこどこへ送ってくださいと言えばいいのではないだろうか?それともあまりにもたくさん送られてきて大変な状態なのだろうか?もちろんそう言う状態なのかもしれないが、そんな風に言われると何か「結構です」と言われたように感じてします。私も済州道庁の友達に連絡した時に、彼の困ったような声を感じた。韓国人には理解できない断り文句だと思う。こちらの気持ちをもう少し考えてもいいのではないだろうか?こんな風に思うのは私だけだろうか?
October 30, 2004
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私が住む麗水を舞台としたSBSの朝の連続テレビ小説「選択」もなかなかの人気で進行している。麗水市役所に勤める主人公の男性が同級生の誘いで、友達の会社に投資したが、友達に逃げられ借金だらけになる。持ち家も手放し、ソウルに住む妹の家に同居することになった。その頃同じ麗水の同級生が成功して、麗水にリゾート開発をするために故郷に帰ってきた。市役所にいる頃、その開発を手伝っていたが、市役所を辞めてソウルに行き、就職して見たが、詐欺まがいの会社だ。そんな時同級生がリゾート開発で知り合った実業家からソウルにある大きなホームショッピングの会社を任される。結局そのホームショッピングとリゾート開発をする同級生の会社のリゾート開発部門の室長として就職する。最後には成功して故郷麗水に戻ると言う話らしい。主人公には小学校に通う娘がいるが、非常に勉強ができる。ソウルの学校に転向しても一番である。ところが娘のクラスの班長(ホームルーム委員?)が外国に移民してしまい、新しい班長を選ぶ事になった。圧倒的な票数で娘が当選し、班長に選ばれたが、娘はどうしても班長になりたくないと言う。父親が訳を娘に訊くと、班長になると学校にたくさんの援助金を出さなくてはいけないし、母親も毎日のように学校に顔を出さなくてはならないからだと言う。その頃母親も父親と同じ同級生の会社のホームショッピング部門の主婦モニターとして働いていた。借金だらけだし、共働きの親を見たとき、とても班長は出来ない事が分かっていたから、娘は班長にならないと言うのである。結局先生と相談し、娘は班長としての仕事をしながら、班長の母親の仕事は副班長の母親にしてもらうことになった。ここで韓国と日本のぜんぜん違うところが、班長になるのは名誉と言うか、偉い事であると言う認識を韓国は持っているということだ。私の記憶では、日本では班長なんて面倒くさいと、皆嫌がっていたような気がする。韓国では、できればなりたいと思うものであり、子供が班長になる事を親は誇らしく思うと言うところである。さすがにチマパラm(教育ママ)の国である。在韓のお母さんの中でお子さんが班長の方がいらっしゃればご意見を聞かせてほしい。うちの長男は中2だが、勉強は出来ないが、異常に人気が高いので、班長にと言う話がある。子供の学校だけではなく、市内の中学でも有名なチャン(番長)だからである。どうして私の子がと思うが、現実にそうだ。だからと言って喧嘩ばかりしているわけではない。時々しては女房が学校に呼ばれるが、友達思いが人気の原因だそうだ。だが私も女房も絶対班長なんかやるなと反対している。勉強でクラスで1番になったらやれと言ってある。まあ今は下から数えて何番だから、絶対無理である。女房も理解できないと言っている。子供が班長になれば成績が上がると思っている母親が多いそうである。とにかく政治の好きな国民性だし、すさまじい競争社会が生み出した結果であろう。
October 29, 2004
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今週末韓国の済州島で米女子プロゴルフ協会(LPGA)ツアーCJナインブリッジクラシック大会が行われる。このツアーが韓国で行われるのは初めてではないだろうか?CJは韓国の大手精糖会社である「チェイルジェダン(第一精糖)」の新しい名前である。CJは昔はサmソングループに所属していたが独立した会社である。サmソングループはこの第一精糖で資金を稼ぎ、半導体産業に乗り出して成功したと聞いたことがある。その話は次にして、このCJナインブリッジクラッシックはLPGAツアーの中でも韓国で行われる事から、優勝者への賞品が非常に韓国的である。その内容、今日の中央日報の記事からである。□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□<ゴルフ>ナインブリッジ優勝カップは利川陶磁器 米女子プロゴルフ協会(LPGA)ツアーCJナインブリッジクラシック大会で、優勝者はLPGA史上初の韓国陶磁器でできた優勝カップを手にすることになる。利川(イチョン)陶芸協会のユン・テウン会長(58)が直接デザインして、ろくろ成形→彫刻→乾燥→素焼き→うわぐすり→本焼きの過程をへて、約1カ月で完成した粉青磁器だ。 雲と鶴が交わった大自然の中で、高句麗(コグリョ)人が馬に乗って虎を追う高句麗の狩猟図を文様にした。高さ40センチ、直径25センチ。 ユン会長は「世界の人々の目が集中するゴルフ大会の優勝カップが、ほとんどクリスタルで作られているのを見て、わが国の陶磁文化を広く知らしめてみたくなり、主催者と協議した結果、無償で制作して寄贈することにした」と話した。 優勝者はまた、授賞式で韓服(ハンボック)を着る。 大会組織委員会は「ソウルにある韓服業者『朝鮮(チョソン)絹織』で優勝者のための韓服を制作した」とし「黄緑色のジャケットを着るマスターズのように、韓服をナインブリッジの伝統にしたい」と語った。厳泰ミン(オム・テミン)記者 < vedia@joongang.co.kr >成昊峻(ソン・ホジュン)記者2004.10.28 18:57http://japanese.joins.com/html/2004/1028/20041028185707600.html□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□この大会の優勝を狙うのは韓国のCJ所属の朴セリ選手とナイキゴルフ所属の朴祉垠(パkジウン)選手だ。しかし、実は二人とも専属のキャディをアメリカからつれて来れなかった。一人はキャディの妻が出産する事ともう一人はキャディ本人が腸炎にかかってしまったからである。優勝を狙う二人には大きなハンディキャップとなる。ところが大会に先駆けて今日行われたプロアマ大会で朴祉垠(パkジウン)選手が17番ホールで生涯初めてのホールインワンを記録した。これで専属のキャディがいない暗い雰囲気を一新させた。さて明日からの大会、この利川陶磁器優勝カップと韓服は誰の手に?楽しみである。
October 28, 2004
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もう季節はずれだし、過ぎた話なのだが書いておきたい内容なので今日の日記に書こうと思う。今月の9、16日に毎年行われる「ソウル世界花火祭り」がヨイド(汝矣島)63ビルの前にあるハンガン(漢江)市民公園で行われた。今年は9日がオーストラリアと中国、16日が韓国とイタリアだった。45000発、費用は8億ウォン(約8000万円)だ。主催は韓国の財閥の一つハンファ(昔の韓国火薬)グループだ。実はこのハンファ(昔の韓国火薬)グループは私の会社の取引先である。中国から私の会社を通して花火を輸入している。もちろんこの会社は優れた花火の技術を持っている。しかし今では人件費の問題などで製造はしていない。しかし、打ち上げの技術は韓国一なので、イベントでの打ち上げはこの会社の煙火事業部が担当している。せっかくだから写真を1枚アップしておこう。写真が小さいので感動は薄れてしまうだろう。皆さんは「わーきれい!」と見て感じられると思うが、私は職業柄見る観点が違う、高さ、大きさ、形、色と言ったものをチェックする。上の写真は真っ直ぐ上がって、高さもいいし、形もほとんどまん丸だ。色も文句ない。花火の仕事で中国に何度も行った。花火はだいたい中国でも南の方だ。花火の中国のパートナーは広東省の東莞市にいる。ここによく行っては何度もデモンストレーションを見た。郊外のレークタウンと言う湖のほとりで打ち上げられる。そこで上に書いた内容をチェックして、輸入する花火を選ぶのだ。私も仕事はしているが、花火は技術的には素人である。ハンファ煙火部の技術者が選ぶわけである。花火の技術は日本が世界一だ。特に世界一の大玉を作る技術は日本の花火職人さんが持っている。確かギネスの記録をもっているはずだ。その技術を火薬を発明した中国に持っていき、いい花火を安く作る事ができるのである。ただ、日本にしても韓国にしても花火の規制がうるさすぎる。それで盛大な花火を見るには、アメリカやオーストラリアの方がいい。おもちゃの花火もそうである。昔のと比べるとおもしろくない。火薬の量、上がる高さの規制が昔より厳しくなってしまった。夏も終わり秋も深まった今、また夏を思い出す話題になってしまった。でも、子供の頃家の庭でした線香花火が懐かしい。皆さんも思い出がたくさんあるのではないだろうか?
October 27, 2004
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今日は第41回目の貯蓄の日だそうだ。この日、表彰された人の中にハンバーガーショップの社長がいる。数年前まで3000万ウォン(約300万円)の借金でブラックリストだったそうだ。当時全財産である22000ウォン(約2200円)と中古のリヤカー1つで始めたハンバーガーショップ、今ではリヤカーではなく店舗を持ち、預金は1億7000万ウォン(約1700万円)。毎日銀行に行くのが日課だそうだ。詳しい内容はなかったが、人に語れない苦労も多かったであろう。まだ30代に見える社長だった。どんな味なのか食べて見たいものである。□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□今日はもう一つニュースがある。昨日の夜中と言うか、今日の1時46分に38線のある最前線中部戦線にバリケードに穴が開いてるのが発見された。当初北朝鮮軍が浸透したのではと言われていたが、軍の最終発表は民間人の越北(北に亡命する事)であると言う。この時発令された「対スパイ浸透警戒態勢」の名前は「チンドケ ハナ、トゥr(珍島犬1、2)」である。しかし、民間人が最前線の警戒の中、どうやって北に行けたのだろうか?北から南への亡命は難しいが、反対はそれほど難しくない。中国から簡単に入れる。どうして一番難しく、危険な道から行ったのだろうか?それより、北朝鮮に何を求めていったのだろうか?北から来たスパイが逃げたのでもないらしい。不思議な事件である。しかし、38線の近くに住んでいる人は大変だったようだ。
October 26, 2004
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昨日の餅の話から、開店祝い(オープンパーティ)に出る食事の話しをする約束であった。その前に韓国で開店祝い(オープンパーティ)に欠かせない儀式がある。コサ(告祀)と言って、シャーマニズムと言えよう。その時の祭壇はこんな感じである。驚かないでほしい。↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓これだ!見ての通り、本物のテジモリ(豚の頭)が乗っている。初めて韓国の在来市場に行って、このテジモリ(豚の頭)が並んでいるのを見て驚いた覚えがある。そうだ。韓国では当たり前のように、市場で売っています。次にテジモリ(豚の頭)の後ろにある四角いのが餅だ。その他、果物やお菓子類、祖先を祭るときと同じように豪華にするところもある。そして、お祝いに駆けつけたお客さんは一人ずつ、祭壇に向かってクンジョr(土下座のようなお辞儀)をする。そして「どうかこのお店が繁盛しますように」と声を出して祈る。すると横から主催者側の人が大きなスープの器にマッコrリ(濁り酒)を写真にある大きなやかんから並々注いでくれる。お客さんは、それを飲み干し、お祝い金を主催者に手渡すのではなく、テジモリ(豚の頭)の鼻や耳、口などにはめる。もちろんこの儀式に参加するのは、家族や親しい友人たちだ。これが終わると、酒盛りが始まる。お酒はビールに焼酎、つまみはさっきのテジモリ(豚の頭)を料理して出す。これがまた美味しい!セウジョs(小エビの塩辛)につけて食べると最高!その他、キムチ、餅、ピーナッツ、するめなどが出る。決められた時間に行われるのではなく、一日中やっている。だから行きたい時に友達と連れ立って行く。お祝いだからたくさん来てもらいたいようだ。記念品を出すところもある。そして、昨日の話しのように、店の近所に餅を配る。まあ私は数え切れないほど行ったけど、皆さんも機会があれば行かれてもおもしろい。できればコサ(告祀)もご覧あれ!
October 25, 2004
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今日は普段お世話になってる方の娘さんの誕生日だ。それでパンガッカン(精米所)に行って餅を買って、プレゼントした。韓国ではお祝いに餅を出す事が多い。餅と言っても日本の餅とちょっと違う。いろいろあるが、今日のは「かぼちゃ餅」である。米はもち米ではなく、普通の米を使う。これにかぼちゃを混ぜて蒸すのである。今は機械だが、昔は土瓶の底に植木蜂のように穴が開いていて、そこに何かで塞いで蒸していたそうである。出来た餅の間に小豆を煮た物を入れる。なかなか美味しい。ところでこのパンガッカン(精米所)だが、「パンガ」は「臼」のことであり、「カン」は「間」のこと。つまり「臼の間」、昔は臼で精米していたからであろう。今は精米はしていない。各種の餅、これには日本のお餅に似たものもある。インジョrミと言う。それに唐辛子をコチュカル(一味唐辛子)にしたりもする。このパンガッカン(精米所)、町を歩いていると見かける。もちろん市場に行けば必ずある。餅を店で小売りしてるところもあるが、普通注文を受け、配達までしてくれるところが多い。ただし、個人の家で食べるのではなく、多くの人に出したり、店を回転した時などは近所に配ったりする。開店祝いには欠かせないのがこの餅だ。その他開店祝いには変わった物が出るがその話は明日しよう。
October 24, 2004
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私の入っているマンションは韓国の財閥の一つであるSKグループが建てたものである。管理費は他よりも少し高いという噂だが、サービスは満足している。今日も家の中を修理する用があるので管理事務所に電話すると、5分も立たずに、技術担当の若いお兄ちゃんが来てくれた。今日お願いしたのは3つである。一つは洗面台のつまりだ。下水溝から割り箸などでつついて見たりしていたが、どうにも気持ちよく流れてくれない。配水管を分解してゴミを取ってくれた。スゴイ量のゴミが出てきた。これじゃ流れない訳だ。次にトイレの入り口の木が腐ってきた。シリコンを持ってきて貼り付けてくれた。もう一つはランドリールームの電気だ。珠が切れたので、変えようと思ったが、どうしても蓋が取れない。結局取ろうとして割れてしまったので、新しいのに変えてくれた。これ全部してくれてタダである。もちろん毎月管理費は払っているが、日本でもこんなにマンションはサービスがいいだろうか?何でもやさんを呼んだら結構取られそうな内容だ。韓国の男性は一応何でもこなせる人が多い。簡単な電気工事、電話の配線、水道の修理くらいは皆やる。私ができなくて、それでもあんた男って言う扱いを受けた事もある。日本では何でも専門家に任せるが、韓国では男の仕事だ。どうしても出来ない事だけ専門家を呼ぶ。以前叔父さんの家に住んでいた時、下宿していた人が、家の外の街灯を点けるのに電信柱から電線を引っ張ってきてしまったのには驚いた。日本では犯罪である。電気泥棒だし、何よりも危険である。こんなのを平気でやるところが韓国である。マンションは昼間は主婦しかいない事が多いので、こう言うサービスがきちんとしていると人気があるようだ。マンション選びはまず第1に建設会社がしっかりしているかだ。小さな会社はつぶれる恐れがあるし、手抜き工事をするかもしれない。また売買する時、絶対有利である。第2に住む事を考えると同時に、次に新しいマンションを買うとき売りやすい坪数を選ぶ事だ。韓国では30坪代が最も売買が盛んである。それだけ上がると言う事だ。もちろん交通が便利なところと言うのも選ぶ基準になるだろう。最後に管理事務所のサービスを入れたいものである。今日は韓国ではめずらしくサービスを受けたと実感できるいい日だった。
October 23, 2004
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今朝、女房はソウルから偉い人が来るので、その接待で早く出勤した。子供たちも学校に行き、一人朝食を取っていると電話がかかってきた。チャンモ二m(妻の母)からだ。ここでちょっとお勉強。韓国と言う国は親戚、氏族のつながりが非常に強い国である。また、その関係を表す言葉も非常に多様である。呼び方一つで、どういう関係にある人か直ぐ分かるようになっている。たとえば「チャンモ二m」だが、日本で「お母さん」と言っても、実のお母さんなのか、義理の母なのか区別がつかない。しかし、韓国語では区別され、全部呼び方が違う。韓国語を勉強される方は、まず兄弟関係の呼び方で苦労されると思う。また、叔父さん叔母さんもたくさんある。これは韓国人と結婚して、そういう関係にならないととても覚えられない。まあ今日はチャンモ二m(妻の母)の話なので、ここでは詳しく書くまい。話は元に戻るが、どうしてチャンモ二m(妻の母)が電話してこられたかと言うと、台風のことで心配されて電話してこられたのである。チャンモ二m(妻の母)には4人の娘がいる。そのうち2番目(うちの女房)と4番目は日本人と結婚している。そして、1番上の娘さんはアメリカに、4番目は日本に住んでいる。だから、アメリカや日本で何か災害や事故があったとテレビで報道されると、電話してこられる。だから今年は大変である。特に日本は台風があまりにも多すぎる。妹は群馬だから浅間山の噴火まであった。情の深い方で、いつも心配されている韓国の代表的なお母さんだ。チャンギンオルン(妻の父)に早く先立たれ、寂しい思いをされていると思う。19日はそのチャンギンオルン(妻の父)の命日であったのに、電話もして差し上げなかった。悪いサウィ(婿)である。私たちが結婚した時、チャンギンオルン(妻の父)は反対されたが、チャンモ二m(妻の母)は暖かく迎えてくださったのを今も忘れられない。家を訪問すると、いつも歓迎してくれ、美味しいものをたくさん作ってくださる。いつも仕事の事や、日本の両親の事を心配してくださる。熱心な仏教徒で毎日お寺に行かれてはお祈りされている。その祈りに守られて、我が家族も皆元気である。実の親はもちろんありがたいが、本当に感謝して止まないチャンモ二m(妻の母)である。皆さんも親を大切にしましょう。
October 22, 2004
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1999年から2000年にかけて会社を起す前に輸入代行の仕事をしていた。韓国海苔が中心だが、インポートコピーもののかばんや財布、アクセサリーなども扱っていた。実は韓国海苔だが、今もそうだが当時凄い人気で、注文がたくさんあった。しかし、この韓国海苔、日本は輸入規制をしている。だから輸入割当のある企業しか輸入できない仕組みである。つまりそれ以外の企業や個人が逆の立場で日本へ原則的に輸出できないのである。しかし、法律で個人輸入に限っては1月に定型(8つ切りでない1枚)100枚まで許可していた。もちろん個人で希望して輸入代行をして差し上げたが、商売で売っている人もいた。実はこれ違法である。個人輸入は販売を目的にしてはならない、自己消費だけである。あまりにも注文が多くなり、税関でストップされる事が多くなり止めてしまった。でも相変わらず人気があるようである。こんな記事を見つけた。□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□政府は二十日、韓国に限定しているノリの輸入先について、来年度から中国など他のノリ生産国からの輸入も認める方針を固めた。近年生産量を伸ばしている中国が「日本のノリ輸入制限は貿易障壁」などとして市場開放を求めているのを受け制限緩和に踏み切る。現在、韓国に適用している輸入割当(IQ)を中国などに対しても維持する方向だが、今回の制限緩和で輸入量が増大するのは避けられず、国内の約三割を生産する九州・山口の生産者などへの影響は必至だ。中略一方、韓国はIQそのものの撤廃を求めており、ノリ自由化要求がさらに強まるのは必至。九州の生産者は「韓国ノリに加え、安価な中国産が大量に輸入されるようになれば影響が出る」と警戒している。(西日本新聞) - 10月21日2時26分更新記事全文:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041021-00000017-nnp-kyu□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□もし、IQが解除されたらまた始めようかと思う。そして、中国物も研究して見よう。でも美味しいかな?
October 21, 2004
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韓国には国際テレフォンカードと言うのがたくさんある。今回知り合いに頼まれて、3万ウォンのカードを買った。カードと言っても契約(入金)すると、番号を教えてくれる。全部使うとまた入金すればその番号で使えると言う仕組みだ。安いのは安い、韓国から日本へ1分64ウォンくらい。それで日本の家にテストで電話して見た。母親が電話に出たが、音質も悪くない。それよりも母親がヨン様グッズを販売したいから送れと言う。なんでもイトーヨーカドーのブース一部を安く借りたから売って見たいと言うのである。ウェブショップでは結構売ってるが、オフラインではあまり販売しているところがないと言うのである。まあ年金暮らしの母親がやって見たいと言うので、10万円くらい送って見ようかと思う。以前にも載せたことがあるが、ヨン様グッズだけでなく、韓流グッズである。完成していない私のウェブショップをご紹介しよう。only one売れそうだろうか?まだまだ完成していないが、いろいろなアイテムを載せて行こうと思う。もちろん韓流グッズだけではないし、小売りだけでなく卸もする予定だ。関心のある方はご連絡あれ!
October 20, 2004
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今日は上の子二人が通う中学校の学園祭だ。私が子供の頃は学園祭なんてしゃれたものは高校からだった。せいぜい学芸会とか学習発表会と言うのしかなかった。それとも最近は日本でも中学校では学園祭があるのだろうか?それもパンフレットもきちんとしている。スポンサー広告を募って作っている。そのパンフレットの中に「遊びの広場」と言うのがある。ミンソkノリ(民俗遊び)と言われる物だ。内容は、セッキッコギ(새끼꼬기):藁で縄を編むものらしい。ペンギチギ(팽이치기):コマ回し。テジッサウm(되지싸움):豚喧嘩?チェギチャギ(제기차기):バトミントンの羽のようなものを足で連続して蹴る。マダンセノリ(마당쇠놀이):マダンセは男の奴碑が使えるヤンバン(両班)の庭を掃くことを言うが、これがどうして遊びになるのか?クrロンセ(굴렁쇠):ゴムのない自転車のタイヤのようなものを棒で回しながら運ぶもの。ソウルオリンピックの最初に男の子がやったもの。トゥホ(투호):矢を丸い棒に投げ入れるもの。チュンマタギ(죽마타기):竹馬。ダンチェチュrノmギ(단체줄넘기):団体縄跳び。コンチュオタmギ(콩주워담기):豆をおそらく箸でつかんで集める。日本と同じものは竹馬ぐらいか?団体縄跳びとか昔からあったのだろうか?いくら考えても民俗遊びと言うのには無理があるのもある。この季節最近は在韓外国人を集めてこのような民俗遊びをやらせるイベントが全国で行われるようになった。皆さんは行かれたか?
October 19, 2004
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町内の空き地にテントが張られた。多くの人たちが出入りし始めた。それは夜中も続き、朝になっても終わらない。夜中なのに大きな声がする。でも誰も注意しない。時々喧嘩も始まる時がある。若い衆が酒と肴を運んでいる。勇気を出して中を覗いて見た。2,30人の人たちが何組かに分かれて何かをしている。酒を飲みながら、笑ったり、怒鳴ったりしたかと思うと歓声が上がり、すると金が行ったり来たりする。どの組も同じようだ。何をしているのか勇気を出して近づき見て見ると、なんと花札である。しまった!ここはやくざの賭場だ!!下手をすると大変なことになるぞ。早く逃げなくては。韓国に来た頃、朝早くジョギングをしていた時、偶然見つけてしまった。やくざの隠れ賭場なら、どうしてこんな目に付くところでやるのだろう?あんなに夜中中うるさいのに町内の人は何故何も言わないのだろう?警察にどうして届けないのだろう?怖くて届けられないのだろうか?警察の巡察があるはずなのに、気が付かないはずがない。これが3日間くらい続く。するとなくなる。またある日別のところで開かれる。もしかしたら韓国ではこう言った賭場が認められているのだろうか?こんな疑問を当時お世話になっていた女房の叔父に勇気を出して訊いて見た。すると叔父は一緒にいた叔母と顔を見合わせ、大声で笑った。さて問題です。いったい何だったんでしょうか?女房の叔父と叔母が大笑いしたことからやくざの隠れ賭場でないことは確かです。では何でしょう?雀荘ならず、花札荘?いいえ、誰もお金払っていません。酒も食事もサービスです。若い衆は一生懸命サービスしてるし、どちらかと言うとありがたいと言った感じです。夜中に大声を出しても近所から苦情が来ません。もちろん警察も何も言いません。何だろう?すいません。かなりじらしましたね。実はここは葬儀の会場なんです。今でこそ斎場が増えて、町内にテントを張ってと言うのは少なくなりましたが、以前はどこの町内でも人が亡くなると家で葬儀をし、お客さんは、このテントで花札をしながら夜を明かすのです。葬式だから町内から文句も出ないし、若い衆は遺族の人で、お客さんをもてなしているのです。葬式の席にお酒は当然ですし、賭け花札と言ってもそれほど大きな金額でなければ問題ありません。酒が入っているので、声が大きくなったり、喧嘩になったりもします。これを二日二晩します。私も女房のおばあちゃんが亡くなった時経験しました。だから遺族は大変です。今は斎場で全部やるので、かなり楽になりました。お国が変わると葬儀事情も大分違いますね。
October 18, 2004
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昨日は4次会までお付き合いで、ホテルに着くと顔を洗って直ぐ寝てしまった。朝目が覚めてシャワーをしようかと浴室に入ると、なんと浴槽が2m四方のばかでかいやつだ。それもジェット噴射付だ。わざわざ会社の近くのビジネスホテルに泊まったが、最近は済州島だけでなく韓国のビジネスホテルは競争が激しいので、非常によくできている。日本のあの狭いビジネスホテルとは考えられないくらい広い。施設もいい!これはおもしろいとお湯をためて、湯船につかりジェット噴射のあんまを受けながら長風呂をしてしまった。本当は中国のお客さんと造園の李社長と一緒にヘジャングk(お酒を飲んだ翌朝に食べるスープ)を食べるはずなのに、電話がかかってきた。何度電話しても出ないので、二人で食べてしまったと言う。お風呂にいて電話のベルが聞こえなかったのだ。ジェット噴射の音もでかかった。ホテル代は70000ウォン(約7000円)だが、いつものように「言って見る事、やって見ることで」20000ウォンまけさせた。やったね!「言って見る事、やって見ること」中国のお客さんと空港で簡単な最終ミーティングをする時、私一人サンドウィチを食べた。お客さんを送り出し、造園の李社長とチャイナレストラン建設の確認と、北京のオリンピック村建設の協力のお願い、済州島での納骨堂販売の可能性の検討をし、レストラン敷地となる候補地を見に行った。そんなことをしてるうちに飛行機の時間になり、空港に向かった。空港で今回パーティで一緒になった順天で設計事務所の社長をしながら、大学の教授でもある丁社長(教授)と飛行機をご一緒することになった。先生はチンジュウ(晋州)空港に車を置いてあると言うことで、一緒にチンジュウ(晋州)空港に飛んだ。チンジュウ(晋州)空港から順天までは40分。先生とは麗水プロジェクトの件でお世話になるかもしれないので順天で遅い昼食を共にした。順天でいつも行く大きなサウナの1階にあるカrグkス屋に行った。前にも書いたがここのシーフードカrグkスとキmチ餃子は最高だ。聞くと、このサウナの設計も先生がされたそうである。順天の大きなビルの設計をたくさん手がけているそうだ。麗水まで送ってくださると言う言葉に甘えて、順天から麗水に向かった。日曜日だし混まないので30分ほどだ。麗水プロジェクトだけではなく中国のオリンピック村建設の時もご協力をお願いした。お陰で行きの苦労とは嘘みたいに楽に麗水に帰ってこれた。今回の出張は短かったけど内容の濃いものだった。
October 17, 2004
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今日は済州島のパートナーの李社長の社長就任パーティに行ってきた。日本の会社の支社の代表に就任したのである。最近は済州島に行くのがとても不便である。私が住む麗水の空港が拡張工事をしているため、麗水ー済州島便が休止している。それで光州から飛行機で済州島に行った。光州まではバスで2時間、バスターミナルから空港まで30分、光州空港から済州空港まで35分だ。麗水空港から直接行けば40分足らずで行くのに大変な道のりになってしまった。空港に着くとスタッフのお迎えで会社に行った。小奇麗にインテリアされていてなかなかいい雰囲気だ。パーティは6時から市内のホテルで行われ、本社からは19人来ていた。来賓は済州市長、済州道議会議長、道議会議員、商工会議所所長、済州大学元総長などだ。本社の会長の済州島での功労と、外国資本投資法人と言うことでそれなりに注目された。それから中国から我々が招待したお客さんもいて、日中韓の3か国によるビジネスが行われると言うわけだ。料理もバイキングだが、刺し身やお寿司もまあまあ美味しかった。パーティの後、本社のメンバーがカラオケでお遊びの間、中国のお客さんと我々はホテルのバーで済州島チャイナレストラン建設の打ち合わせをした。3時間ぐらいして李社長が酔っ払って我々のところにやってきた。まあ今日は彼が主人公なので相当飲まされたようだ。我々だけ打ち合わせで申し訳ないと3次会に行った。そこでいろいろ愚痴を聞いた後、最後に私と李社長の二人だけで4次会だ。そこで二人だけの密談をした後、5次会に誘われたが断り、ホテルに着いたのが3時頃だった。疲れたが、楽しく有意義な一日であった。
October 16, 2004
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今日は15日だ。15日は韓国では「ミンバン」と言って、漢字では「民防」正確には「民主防衛訓練」のことを言う。午後2時からサイレンが鳴り出し、車は一斉にストップだ、歩いている人や外で仕事をしている人も家の中(お店や公共機関)に入らなければならない。うっかり歩いていると民防委員の人に叱られる。約15分間、すべてストップするのである。電車や汽車はどうであったか?飛行機は止まるわけにはいくまい。最近は昔ほど厳しくなくなった。日本の昔の人がサイレンを聞くと空襲警報を思い出されるのではないだろうか?このサイレン何とも言えない嫌な音である。毎月15日のこの時間以外にサイレンが鳴ると大変なことである。過去に私は一度聞いたことがある。サイレンが鳴り、ジェット機がスクランブル発進した。本当に戦争が起きたかと思った。何年前か仁川にいた時、仁川のミサイル基地から誤射でミサイルが北朝鮮の方に発射されてしまった。ミサイルと言っても数百m飛んで落ちただけらしいが、もしものために、サイレンが鳴らされ、スクランブル発進命令が出たらしい。その後韓国に来て初めて、日本大使館から有事の時の「安全マニアル」と言うのが送られてきた。この時初めて、この国が休戦中の国であることを思い出さされた。もし戦争になったらどうしようかと真剣に考えた。私と子供たちは日本国籍なので、大使館が準備した脱出ルートで日本へ逃げることができる。もちろん戦争が酷ければ不可能であるけど、もし脱出できたとしたら女房はどうなるのだろうか?一緒に逃げられるのだろうか?その時は真剣に考えてしまった。日本にいたら考えることもないことを考えさせられた。誰も戦争なんて望まないだろうけど、現実には世界のいたるところで戦争が起きている。ここ韓国と日本だけは起きないでほしいと思うのはエゴだろうか?
October 15, 2004
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新婚旅行から帰ってくると、家探しだ。居候している女房の叔父さんの家の近くに、その地域でも最も古いマンションがある。大韓住宅公社(日本の住宅金融公庫)が建てた築20年以上のボロイマンションである。坪数は13坪だったか?日本式に言うと2LKだ。韓国の賃貸制度にチョンセイ(伝貰)と言うのがある。これは一定の金額を支払って、他人の不動産を一定期間借りると言うものである。普通2年くらいの契約だが、大家との契約次第で1年でも3年でも可能である。大体マンションの価格の半分以上である。その時の相場によって変わる。売買市勢があるように、チョンセイ(伝貰)市勢と言うのがある。ただし、大家が間違ってブラックになったりしたら非常に頭が痛いことになる。だからマンションを借りる時も登記簿謄本を見て大家がそのマンションを担保にたくさんの与信をしている時は契約しない方がいい。また、最初は与信などをしていないのを確認して契約しても、その後大家が銀行から借り入れをしたりする可能性があるので、伝貰金設定と言うのをしなければならない。これをして置くと登記簿謄本にその内容が表記されるので、銀行などはそれを見て、与信の限度を抑える。銀行が優先順位が2番になるためである。これをして置けば基本的に何かあったときに優先的に伝貰金が保証される。それでも何かで大家が倒産したりして、家が競売にかかった時、もちろん優先的に購入することもできる。このように補償されているが、伝貰金設定には結構お金がかかる。もちろん大家が払わない。大家としてはしたくないからである。でも借りる人がしたいと言えばせざるを得ない。それでも伝貰金が大きい時はして置いた方がいい。もし伝貰金が小さい時は引越した時に役所に届けを出すのだが、その時「確定日字」と言うのをして置こう。これは無料であるが、これをして置くと何かあった時に100%ではないが伝貰金が保証されるし、強制的に家を出されたりはしない。最近のような不景気には、できるなら伝貰契約はしない方が良いが買えない時はどうしようもない。ここまで細かく書いたのは、実はこれで詐欺にあったからである。これは4年前の話なのでいつか別の機会にお話しよう。話は元に戻して、その時は当然伝貰金もなかったので、ウォルセ(月貰)と言う、これは日本と同じく、権利金と言われる敷金を出して、月々家賃を支払うのである。その時確か権利金が200万ウォンで月々15万ウォンだった。こうして小さいながらも二人だけの新婚生活が始まった。確か冬だと思ったが、暖房はオンドル(床暖房)だが、ガスでも石油でもない、なんと練炭である。今でこそ少なくなったが、当時はまだまだ練炭が使われているマンションが結構残っていた。これはガスや石油と違って、毎日取り替えなくてはならない。どこか1日泊まりに行って帰ってくると消えているので、部屋は冷凍庫になっている。当時の韓国は今より寒かったような気がする。仁川に住んでいたが、マイナス20度まで下がる日もあった。それよりも練炭は不完全燃焼を起した時、毒ガスを発生する。毎年死亡事故がある。それで最初二人で外出して帰って見ると叔父さんと叔母さんがマンションの前で待っていた。どうしたんですかと伺うと、電話しても出ないので練炭中毒になったのではないかと心配して来たと言うのである。もちろん当時は携帯なんかないので、電話に出ないと心配された。とにかくこうして私は一家の主となったわけである。
October 14, 2004
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こうしてなんとか両方の親と親戚から認められたので、行けなかった新婚旅行に行こうということになった。当時の韓国はまだまだ新婚旅行を海外でと言う人はほとんどおらず、大体が済州島か慶州ってところだ。それで私たちは3泊4日で済州島に行くことにした。飛行機を取り、ホテルを予約し、後は荷物を準備すればOKだ。当時の新婚旅行カップルは99%がハンボk(韓服)を着て旅行した。とても不便であるのにどういう訳か皆そうだ。私たちは私の提案でカップルのダウンジャケットとカップルのニットのセーターを買って、それを着る事にした。良く見えないかもしれないがこんな感じ。済州島では新婚旅行のタクシー観光のパックを二日間予約してあったので、じっくりと観光できた。当時私たちのようにタクシー観光はそれほど多くなかった。おもしろいの団体でバス観光をする。大体見るところは同じだから、バス観光の新婚旅行客と観光名所で出会う。バス一杯にハンボk(韓服)を着た新婚夫婦が乗っていて、写真を撮るところも同じで順番を待っている。写真屋さんが「じゃ、ここで撮ります。さあ二人ポッポ(チュ-)」と言うと、素直にキッスをする。それが団体だから一カップル一カップル順番に同じようにする。非常に滑稽でもあるし、ちょっと異常でもあった。それで私たちはタクシー観光にしてよかったねと話すのだが、結局彼らと同じ場所で、同じようにポッポ(チュ-)を要求されるので、私たちも同じである。場所によっては小高い山の上にも行く、有名なソンサンイrチュrボン(城山日出峰)だ。ここもハンボk(韓服)を着た新婚旅行客が列を作って登っていく。不便だろうなと横目で見ながら、私たちは軽やかに登った。3泊4日の楽しい新婚旅行だが、節約に節約して、全部の費用を537、870ウォン(約5万円)で抑えた。久しぶりに開いた新婚旅行のアルバムの一番最後に女房が記入していたので正確に分かったのである。一生に一度の新婚旅行だが、貧しいので仕方ない。でも若かったのでそんなのはぜんぜん気にしなかった。そして帰ると家探しである。女房の叔父さんの家に居候していたので、安い賃貸マンションを探すことにした。この話はまた明日にしよう。
October 13, 2004
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さてまた昨日の続きだが、両親の勧めにより日本で披露宴をすることになった。親戚だけを集めて田舎の料亭で簡単に行った。父方も母方もみんな集まったが、外国人と結婚したのは私が初めてだし、私の代では私が一番上の男と言う事で親戚中の話題であった。今でこそ韓流と騒がれているが、当時はまだ韓国人に対しての印象があまりよくないころであった。叔父の一人は「hero、お前よりによってどうして朝鮮人なんだ」とこっそり訊いて来た。悲しいけど、まだそういう時代だった。そんな親戚の人たちも、今では定期的に私が送るキムチ、海苔、焼酎を楽しみにしている。そして最近はヨン様グッズまでも送れとうるさい。とにかくいろいろと小言が多かった披露宴も無事済ませた。残念ながらその時は女房のご両親も親戚の方もお呼びできなかった。別に行かないと言われた訳ではない。当時韓国から日本へ行くのも簡単でない時代であった。さて、日本ではこの程度だが、反対に女房の家のほうが大変であった。女房の家は韓国でもヤンバン(両班)と言われる貴族ではないが、それなりの家柄であり、またその本家である。まずはお父さんが大反対した。当然である。それでうちの女房は決意してお父さんにこう言った「結婚を許してくれないなら黒人と結婚する!」別に黒人を差別しているわけではないが、日本人の方がまだましだと思われたようだ。何とか許してもらい、初めて女房の家を訪問した。そのとき私の覚悟は大変なものだった。半殺しに合うかもしれない。事実当時同じようなケースで結婚しようと彼女の家に挨拶に言った日本人の男が袋叩きに合った話を聞いていたからだ。緊張の中玄関に入ると、家族が全員集まっていた。お父さん、お母さん、お婆ちゃん、お兄さん、弟さん、妹が2人の7人だ。男が3人、女が4人だ。心の中で「うまく行けば最悪逃げれるか?」と思いながら、応接間に通された。皆床に丸く座られた。すぐ下の妹が日文科に通っていたので、通訳をした。お兄さんがまず「誠実そうに見える」と言ってくれた。それからお母さんが両親の事を聞いてきて、最後にお父さんが「今日はもう遅いから寝ろ」と言われた。わずか15分くらいだった。もうお父さんは諦めていた様子であった。まあとにかく無事に初日はクリアーした。次の日朝食の後準備してきたプレゼントを渡した。とにかく気に入られるためにはまずできることはプレゼント攻勢しかない。今回は最初なので特に奮発した。当時韓国は日本の電化製品は最高であった。カメラ、時計、髭剃り、電気釜(なぜか象印が人気)など。当時の韓国では金持ちしか持てないものばかりである。これで点数をたくさん取ることができた。次の訪問からは歓迎してもらえるようになった。とにかく訪問するたびにプレゼントだ。もともと韓国は娘婿に対しては「千年の客」と言うくらい歓迎するのが常識だ。一度娘婿と認めると、態度がぜんぜん変わる。とにかく何とか両方の親と親戚から認めてもらえることができた。それで行けないでいた新婚旅行に行くことにした。今日は長くなってしまったので明日にしよう。
October 12, 2004
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さて、昨日の続きだが、こうして私は家を出ると学校に行かずッテンテンチゴ(さぼって)毎日彼女とのデートを繰り返すことになった。この辺昨日誰かに言われたが、まったく冬ソナと同じ事をしていた。昨日の日記に書いた喫茶店に毎日行ってポッポ(チュ-)じゃなくて、愛を語り合った。しかし、まだその頃は私も韓国語が十分でなかったので、知らない単語が出ると、英語でお互いに説明したり、漢字を書いたりして意思疎通を行っていた。お金はなかったけど、青春そのものだった。韓国では今と違って、昔は見合いと言うのは結婚を前提に会うものであった。それでお互いが気に入ると経済事情などを考えて結婚式の日取りを決めるのである。私たちは、それこそ経済事情を考えたら結婚などできる状態ではなかった。それでとにかく籍を入れることにした。と言うのも、その時は語学堂に通っていたので修学ビザが下り、韓国にいることができたが、卒業してからは何の対策もなかったからである。もちろん、その当時はいくら韓国人と結婚したとは言え、男性の場合は同居ピザが下りなかった。しかし、親族訪問ということで単数ではあるが、3ヶ月のピザが降りるのである。1年後の卒業より、あまりにも欠席が多いので、その前に止めることになることも考えていたからである。とりあえず韓国語の勉強を兼ねたアルバイトとして、日本語の個人レッスンや、韓国のニュースの翻訳などをしていた。こんな生活をしていると、日本の親が、式を挙げろと言い出してきた。親としては当然であろう。それで盛大には出来ないが、簡単に親戚だけを集めて披露宴をすることになった。その模様と新婚旅行の話は明日にしよう。
October 11, 2004
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昨日は女房との恋愛時代のラブレターの話をしたが、その続きである。資金をためて89年1月に再び訪韓した。この時は仁川に住む女房の叔父さんの家にお世話になることになった。叔父は教育関係の仕事をしながら、社会奉仕活動をされてる方で、主に軍などに行っては教育をされていた。私は叔父の家から韓国語の勉強のため、ソウルの語学堂に通うことにした。大学は女房の母校である高麗大学だ。久しぶりのスクーリングの生活を始めた。当時女房は夜学を運営していた。当時の韓国はまだ経済的に問題があり、中学校や高校、大学に行けない子供たちがたくさんいて、その子供たちに無料で勉強を教える夜学がたくさんあった。いわゆるボランティアである。女房は地域の会社などを訪問して、夜学の趣旨を説明し、スポンサーになってもらう仕事と、大学や学校などを訪問して、大学生や学校の先生方にボランティアで夜学の先生をしてもらうようにする仕事をしていた。彼女も数学科を卒業してるので、自ら数学を教えていた。最初会った頃は、忠清南道のホンソン(洪城)と言う所でしていた。また洪城には刑務所があり、そこに毎日訪問して、受刑者に数学を教えていた。だから時々当時の受刑者から電話がかかってくることがある。殺人犯もいたが、その人にとって女房は尊敬する先生であった。何人かの刑務所での教え子を紹介されたこともあるし、一緒に刑務所まで行った事もあった。その後、私がいる仁川と洪城は少し離れているので、女房は実家のある京畿道九里市に夜学を移した。九里市はソウルの隣で、仁川と九里市はソウルを挟んで東と西に位置していた。その日からまじめだった私は女房の誘惑から学校をさぼることが多くなってしまった。もともと韓国語は日本で大学時代に勉強していたので、最初の頃授業はつまらないものだった。それでテンテンチゴ(さぼって)喫茶店でデートするようになった。待ち合わせはソウル駅やチョンニャンニ(清涼里)駅などが多かったが、当時は学生運動が盛んな時なので、バスで移動するとデモにぶつかって酷い目に会ったことが何度もあった。まずはバスが動かなくなることと、警察の催涙弾で涙が止まらなくなることだ。約束の時間に遅れたり、目が痛くてたまらないことが何度かあった。そんな時代も何時の間にかなくなってしまった。この日記を読んでいる方の中に語学堂で韓国語を勉強されている方もいるだろう。悪い先輩の真似はしないでいただきたい。「ッテンテンチダ」はあまり言い言葉ではない。もちろん辞書には載っていない。意味は「太鼓を打つ」だが、俗語で「さぼる」になる。当時の喫茶店はカーテンで仕切られる個室がたくさんあった。恋人たちは皆その席に行き、甘い言葉をささやきあったり、ポッポ(チュ-)したりした。もちろん私と彼女もその席に行った。毎日が最高に楽しかった。もちろんお金はなかった。今日はここまでにしよう。明日はいよいよ結婚式とアルバイトの話をしよう。
October 10, 2004
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今日はハングrラr(ハングルの日)だ。1926年に制定されたから78年目となるのか?ご存知のように李氏朝鮮第4代世宗大王の命令で編成され、1446年に発表された。その8回目の還暦(480年)を記念してハングrラr(ハングルの日)が制定されたと言う。北朝鮮では祭日だが、韓国ではただの記念日だ。私のハングルとの出会いは1984年、以前日記にも書いたが、当時韓国はNICSの一つとして非常に注目を浴びていた。その内容はこの日記を見てほしい。NICS大学時代、当時文学部の助教授をされていた渡辺キルヨン先生からハングルを初めて習った。最初からネイティブの先生から学べたのは本当にラッキーであった。なぜならば、ハングルは何よりも発音が難しい外国語であるからだ。何度も何度も先生がチェックして下さったが、なかなかできない発音がたくさんあった。特に濃音(他の表現もある)が難しい。当時何度も練習させられたのが「ッチャジャンミョン(ジャジャ麺)」と「ッタrギ(イチゴ)」だ。頭の部分が濃音になる。今日はハングルの日だから少しハングル講座をして見よう。この濃音を出すコツは上に書いた通り、頭に「っ」が付くと思えばいいわけだ。と言ってもなかなか難しいので何でもいい、日本語の促音便になるもの、例えば「いった」「かった」「あった」などを発音して見よう。その時促音便の所を自分がどのように言っているのか感じながら、次に頭に当たる「い」「か」「あ」を取って、「った」の発音をして見よう。その発音こそが濃音の音である。息が止まる苦しい音になるはずだ。ちなみに、その音を出しながら、舌を上の歯に付けて、韓国語の「リウr」の発音になる。最後に「ぎ」と言えば、立派な「ッタrギ(イチゴ)」の発音になる。お分かりになられたか?次に「ッチャジャンミョン(ジャジャ麺)」の練習をして見よう。まずは頭の濃音「ッチャ」だ。「いっちゃう」「しっちゃかめっちゃか」とか言う時の「ッチャ」の発音である。息を止めながら「チャ」と言う感じだ。次に「ジャン」だが、これはいわゆる「味噌」の意味だが、問題は「ン」である。ハングルのもう一つの難しい発音に「パッチm」があるが、日本語の「ん」に当たる「パッチm」が三つだ。その内の「イウン」パッチmになるのだが、コツは前の母音の発音をしたまま鼻に抜くのである。「ッチャジャンミョン」の場合、「ジャ」の母音は「や(あ)」であるから、その口のまま(「あ」の口を開けたまま)鼻に抜きながら気持ちは「ん」を思っていると言った感じだ。最後の「ミョン」は「麺」の意味であるが、パッチmは「ニウン」である。このパッチmは舌を噛んでしまえば良い。では、「ッチャジャンミョン」やって見よう!簡単でないはずである。日記にもあったが、大学を卒業し、就職したが、韓国への夢が諦め切れず脱サラして、単身韓国に行った。知り合いの紹介でお見合いし、今の女房と付き合うようになった。それから資金作りのため日本に戻り、フリーターをしている時、今の女房がよく手紙をくれた。もちろんハングルである。私たちは恋をしていたので、私も彼女の気持ちが知りたくて必死で手紙を翻訳した。その時が一番必死で勉強したような気がする。あるとき彼女が手紙にこんなことを書いてきた。「ウォ アイ 二」だ。どんな意味か分かる方はいらっしゃるか?私も必死で辞書を引きながら、その意味を知ろうとした。しかし「ウォ」は辞書には適当な意味が見当たらない。それでは「アイ」は何だ?これは「子供、あかちゃん」と出てくる。「二」は「おまえの」と言う意味だ。何だコリャ?文法がおかしいが「お前の赤ちゃんがウォだ」「ウォ」の意味が知りたくてしょうがなかった。勝手に、「ウォ」じゃなくて、「ウォン」じゃないかと思った。「ウォンハダ」は「望む、ほしい」の意味だから、私の知らない活用をして「ウォ」になったのではないか?だとすると「ウォ アイ 二」は「あなたの赤ちゃんがほしい」と言う意味じゃないか?勝手に思い込み、酷く興奮したものである。次に会った時、意味を聞いてみた。皆さん分かりましたか?実はこれ中国語だったんです。中国語をハングルで書いたんです。「我(ウォ)愛(アイ)称(二)」(「称」は人偏)「私はあなたを愛しています」だ。さすがに私が勝手に解釈したことは黙っていたが、それを話す彼女が非常に恥ずかしがっているのが、とても初々しかったのを覚えている。やはりハングrに限らず、外国語は興味だと思う。私も興味があるから、食べるのも、寝るのも忘れて勉強したことを覚えている。今ハングrを勉強している方は頑張ってほしい。ヨrシミ ハセヨ!
October 9, 2004
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韓国紅葉の名所第2弾は全羅北道にあるネジャンサン(内蔵山)である。昨日のソラkサン(雪岳山)同様、韓国の国立公園の一つである。ソラkサン(雪岳山)は北のはずれであるのに比べて、このネジャンサン(内蔵山)は南にある。まずはネジャンサン(内蔵山)国立公園の公式サイトをご覧あれ!内蔵山残念ながら日本語のサイトがないが英語で我慢してほしい。このネジャンサン(内蔵山)の登山口から約100mにわたるもみじ道が有名である。これだ。↓↓↓↓↓非常に平坦な山で登り易いそうだ。ここにはペギャンサ(白羊寺)と言う韓国でも古くて、有名なお寺がある。毎年白羊寺祭りが行われている。そのサイトだ。白羊祭またここにはソkチョン(石汀)温泉と言う、何でも世界で2番目のゲルマニウム温泉らしい。その記事である。石汀温泉ここネジャンサン(内蔵山)は初めに書いたように韓国でも南の方なので、紅葉も始まるのが今月末になる。皆さんにお勧めする前に、今年は私も是非言って見たいと思っている。いつかその報告を日記で書けるといいのだが。こうご期待!
October 8, 2004
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いよいよ秋も本格化してきた。日本の紅葉もいいけど、韓国もいいところがたくさんある。最近は日本国内旅行が高いと言うことと、割安で近い韓国に同じものを求めて訪れる韓国客が多い。もちろん今日の話の紅葉だけではない。スキーなどもそうだし、なんと最近は結婚式を韓国で挙げる人もいる。新婚旅行も兼ねて便利かもしれない。でもお祝いに来るお客さんたちの負担がかかるかもね。まあ今日はこの話じゃなくて、紅葉のお話。いくつか紹介したいと思うけど、やはり紅葉だけではなく、韓国の山の代表であるソラkサン(雪岳山)を今まで一度も紹介していなかったのでしてみようと思う。私も10回くらい行ったけど、実は紅葉の時は一度だけだ。もともと名前の通り『雪の山』なので冬が多い。でも冬のソラkサン(雪岳山)はいいけど、非常に危険だ。山自体もそうだし、行くのも大変だ。いろいろな方法があるが、どの道を通っても峠越えをしなければならない。雪の時は非常に危ない。私も女房と旅行したとき死ぬ思いをしたことがある。まあそれはともかく、秋のソラkサン(雪岳山)は美しい。ソラク山の美しさを良くまとめているサイトがあるのでご紹介しよう。雪岳山もちろん『冬ソナ』のロケ地も近いので見学もできる。一見の価値がある山である。是非一度行ってみよう!
October 7, 2004
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韓国に16年も住んでいると、韓国の友達や知り合いから「heroさんはいつ帰化するの?」と訊かれる事が結構ある。自分としては「帰化」と言うことは全く現実的なものではない。帰化すれば便利なこともあるが、不便なこともたくさんある。それは日本国籍が便利だからである。ほとんどどこの国でもビザなしに行くことができるのは日本国籍のお陰である。それは母国の国力を意味している。そういう意味では世界に通用する国力を作ってくれた先祖と先輩に感謝したい。これは外国で暮らして見ないと分からないことだと思う。同じ韓国に住む外国人はたくさんいるが、母国の国力の差で韓国の人がその人に対する態度がぜんぜん違う。いくら日本は韓国人がもっとも嫌いな国とは言え、日本の国力は認めざるを得ないため、日本人であると言う事でそれなりの扱いをしてくれる。もしこれで韓国が日本より国力が強い国であるとしたら、自分は帰化していただろうかと考えることもある。今現在私が帰化しない理由は、第1にまだ両親が日本で健在であると言うこと。そして私が長男であると言うこと。第2に日本の国力だと思う。だからいつか両親が亡くなり、韓国の国力がもっと強くなっていたら、その時考えて見るかもしれない。とにかく私の場合後3年程で永住権が取れるので、それを待っている。永住権さえ取れれば、今ほど不自由なことはないからである。最近「宿命と運命」と言う話題で人と話したことがある。「運命」は切り開くことができるものだから、変わることができるが「宿命」はそうはいかない。変えることが出来ない。それを受け入れ、それこそ「運命」を切り開いていかなければならない。もし私が北朝鮮で生まれていたら、その「宿命」をどう受け止めることだろうかとよく考える。最近は特に北朝鮮から脱出し、韓国や第3国への亡命を希望する人が多い。今では亡命のブローカーまでいるそうだ。亡命しようとしている北朝鮮の人がどこにブローカーに渡すお金があるかと疑問に思ったが、それは亡命後に韓国政府から出るお金で支払われるらしい。だから韓国に亡命しても文化や思想の違いよりも、食べていけずに苦労している亡命者が多いらしい。今はただ頼もしい母国日本に感謝したい。この日本のために何ができるのであろうか?帰化すると言うことは裏切りになるのだろうか?このテーマはまだまだじっくり考えていかなければならないようである。これを考え始めると、自分の正体論や人生論まで考えるようになる。だんだん哲学的になってきた。今日はこれくらいにしよう。
October 6, 2004
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韓国の偉人シリーズ第3弾と行きたいのだが、偉人と言えるのか分からない。その人物はホンギrトン(洪吉童)である。以前韓国の観光地カンヌン(江陵)の話を日記に書いたが、カンヌン(江陵)出身で朝鮮時代の小説家であるホギュン(許均)がハングルで書かれた初めての小説が「ホンギrトン(洪吉童)」である。ただ実在の人物らしい。この人物を例えるとこうなる。1.石川五右衛門2.ロビンフッド3.桜花子などなど何のこっちゃ?と思われると思う。まずは「石川五右衛門」。彼は誰もが知っているように日本の大泥棒である。実はホンギrトン(洪吉童)もそうだ。日本の室町幕府のように悪政と言われた朝鮮時代、誰もが悪政からの解放と英雄の登場を願っていた。しかし、朝鮮には残念ながら織田信長のような人物は現れなかった。いや、現れたのだが皆失敗してしまった。そして、その多くがソジャ(庶子)と言われる妾腹の子として生まれた。日本なら妾腹の子とは言え大名の子であればそれなりの待遇を受けられるが、朝鮮ではそうではなかった。父親を父親とも呼べず、ナウリ(ご主人)と呼ばなければならなかったし、いろいろと実子との差別が激しかった。ホンギrトン(洪吉童)もソジャ(庶子)出身だ。ぐれてしまう子がたくさんいたわけだ。ホンギrトン(洪吉童)もぐれて、山にこもり、仙人から武術を学んだ。大きくなって山にこもり盗賊となるが、ロビンフッドのように金持ちから巻き上げては貧しい人に分けてあげた。だから朝鮮では「義の盗賊」と言われた。じゃ、「桜花子」はなんじゃい?別に「桜花子」じゃなくても言いのだが、今も日本に「さくら銀行」があるかどうか知らないが、銀行やお役所で提出する書類を書き込む時に必ず例文が書いてあって、「さくら銀行」なら、名前が「桜花子」になっている。韓国では「さくら銀行」でも「トマト銀行」でも例文の名前はどうしてか全部ホンギrトン(洪吉童)である。さて、このホンギrトン(洪吉童)の時代、朝鮮は倭寇に悩まされていた。それを退治してくれたのがホンギrトン(洪吉童)であった。その功績を称えて望みを叶えてくれると言うので、ホンギrトン(洪吉童)の身分では考えられない王女を嫁にしたいと要求した。しかし、結局それは叶えられず、彼は新天地を求めて、大海原へ出て行った。ここまでがホギュン(許均)が書いた小説「ホンギrトン(洪吉童)」である。実はこの後ホンギrトン(洪吉童)は沖縄にたどり着く。沖縄で「オヤケアカハチ ホンガワラ」という名前の尊敬される民権運動の指導者として活動していたと言うのである。その記事である。アカハチおもしろい話である。もっとも韓国と沖縄は似ているところがたくさんある。まあこの話はまた別の機会にしよう。現代も英雄の登場が望まれる時代である。現代のホンギrトン(洪吉童)は現れるであろうか?
October 5, 2004
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今日はちょっと固いお話になるが、韓国の宗教、その中でも仏教のお話をしようと思う。6世紀に日本へ仏教を伝えたのは百済である。韓国への仏教伝来は6世紀だ。その後李氏朝鮮時代の16世紀に儒教の勢力が強くなるまで、仏教は韓国の国教であった。18世紀に入ってキリスト教が入ると瞬く間に広がったものの、韓国における仏教の基盤と言うのは非常にしっかりとしたものである。その中でおもしろい話を一つ今日はして見たいと思う。韓国の硬貨をご覧になったことがあるだろうか?韓国は日本と同じく硬貨は1,5,10,50,100,500ウォンの6種類がある。ただし、1,5ウォン硬貨はほとんど使われていない。今日はその内の10ウォン硬貨のお話をしよう。まずは写真を見ていただこう。これは10ウォン硬貨のうちでも古いもので、1966年~82年まで発行されたものである。次にこれを見ていただきたい。 これが83年以降発行された新10ウォン硬貨である。大分すっきりした。同じなのは国宝である仏国寺の多宝塔がデザインとなっているところだ。ただし、多宝塔もあたらしいのは横を向いていて、昔のは正面から写したものだ。さらによ~く見ていただきたい。何か気づかれないか?だんだんクイズになってきた。そうだ。新しい10ウォン硬貨には、多宝塔の入り口に何かいるのだ。では実際の仏国寺の多宝塔の写真を見てみよう。 見えるだろうか?そうだ!こま犬がいる。でも新10ウォン硬貨を何度見ても、それがなんだか分からない。もちろん仏国寺の多宝塔にはこま犬がいることを知っている人は見えなくてもイメージするでしょうが、知らない人は分からないので、何だろうと言うことになる。それで、この新しい10ウォン硬貨が出た83年から2~3年過ぎた頃、不思議な噂が流れるようになった。当時の韓国はチョンドゥファン(全斗煥)の軍事政権に反対する学生デモが激しい時代であった。そして、その不思議な噂と言うのが、当時次期大統領候補であったノテウ(盧泰愚)を大統領にするために新10ウォン硬貨に仏像を入れたと言うものであった。それもノテウ(盧泰愚)が仏教徒であったからなのかは定かでない。しかし、政権末期には統一薬師大仏を建立していることから仏教徒であるようだ。それで仏像を入れたと言う噂になったかどうかは定かでないと言うことである。韓国では政治に絡んだこのようなエピソードがたくさんある。また機会を見ておもしろいエピソードをお話ししよう。
October 4, 2004
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今日はケッチョンジョr(開天節)と言う韓国ではなく古朝鮮の建国記念日である。だから韓国だけでもなく北朝鮮も同じくお祝いをする。建国の年はなんと紀元前2333年というからすごい!さて次に誰が立てたかというと檀君という人だ。この檀君神話というのがおもしろいので書いてみよう。■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ むかしむかし、天地をつかさどる神が自分の息子を地上に遣わしました。 息子、桓雄(ファンウン)は地上に降りて、人々を治めるようになりました。そんなある日、熊とトラが、「お願いです。私たちをどうか人間にして下さい」と桓雄にお願いしてきました。それを聞いた桓雄は、「では、よもぎ一たばとニンニク20個を授けよう。これを食べながら、百日間日光をさけて洞窟にこもりなさい。そうすれば人間になるであろう」と言いました。熊とトラは早速洞窟に入りましたが、トラはガマンできずにすぐに逃げ出してしまいました。ですが熊はしんぼう強く洞窟の中にこもり、21日目にとうとう美しい女の人間の姿に変わることができました。 今度は「人間になることはできましたが、子供が生まれません。どうか、子供を授けてください」と熱心に祈り始めました。その願いを聞いた桓雄は熊女をめとり、2人から男の子が産まれました。その子は檀君(タングン)と名づけられました。その後、檀君は国を建て、「朝に鮮やかなる地」という意味で名を「朝鮮」とし、都を平壌(ピョンヤン)に定めた。(朝鮮建国はB.C.2333と言われています) 開天節 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 上の神話によると韓国人の祖先は熊になってしまいますね。この日は毎年韓国の仁川広域市の江華にあるマニサン(摩尼山)で祭壇が設けられ、檀君に感謝を捧げる儀式が行われる。この摩尼山の不思議なところは韓国では父の山と言われるぺkトゥサン(白頭山)と母の山と言われるハンラサン(漢拏山)のちょうど中間にあると言うところです。昔は祝日でしたが、何時の日から祝日が多すぎると言うことで大分減らされた時がありました。その一つが開天節です。
October 3, 2004
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イチロー選手が大記録を達成したニュースは直ぐに入ってきた。本当にすばらしい記録だ。イチロー選手はまるで漫画の主人公だ。いやもしこれを漫画として60年代に「巨人の星」が流行ったように書いたら、皆あまりにも現実と隔たりがあり、シラーっとしてしまったことだろう。そのくらいの大記録である。60年代、大リーグは夢のまた夢であった。もっとも飛雄馬の父である一徹が中日の監督となり、息子である飛雄馬を鍛えるために大リーグの選手アームストロング・オズマを連れてきた。この時のオズマは飛雄馬以外の選手とは相手にならない存在であった。このような時代に日本の選手が大リーグに入ること自体夢であった。ましてやイチロー選手は新人王は取るは、リーディングヒッターになるは、今回の大記録と言い、漫画を越えてしまっている。今日までの成績は、打率:.373 本塁打:8 打点:60そして世界記録を越えた259安打である。子供の頃はアメリカやヨーロッパに憧れたものだ。しかし、それは逆に「アメリカには勝てない、どうして日本は弱いんだ。」と言う劣等感を持っていた。なんで自分は日本人に生まれたのだろう?こんな卑屈な少年だった。しかし、時代が流れエコノミックアニマルと言われながらも、ソニーやトヨタは日本を世界一にしてくれた。そして今スポーツの世界でもイチロー選手が日本人は凄いんだと言うことを見せてくれた。本当にありがたいものである。さて一方のイスンヨp(李承火+華)選手だが、王さんのホームランの記録を破り、韓国国民の英雄となった。それが韓国でだからではなく、日本でも通じるはずだと韓国民は期待していただろう。鳴物入りで千葉ロッテに入団した。監督は王さんだ。しかし、全く振るわず2軍落ち、また1軍に復帰したものの、今日までの成績は打率:.236 本塁打:8 打点:33だ。韓国国民の失望は見ていられないほどであった。ネット上では李選手を応援するサイトが生まれ、たくさんのファンたちが応援している。もちろん比較して李選手を批判しようとしているのではない。必ず李選手はこれで終わらないと信じている。頑張ってほしい!いつか彼も日本で記録を作ってほしいものである。彼が韓国人なら底力があるはずだ。ガ★ン★バ★レ!イスンヨp!!お★め★で★と★う!イチロー!!
October 2, 2004
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今日は韓国の国軍の日だ。日本にはない記念日である。それもそのはず日本には軍隊がない。もちろん自衛隊はあるが韓国の軍隊とは違う。何度か日記でも書いてるように芸能人やスポーツ選手の不正問題で最近はやかましい。このニュースを聞くたびにかわいそうに思う。彼らは普通の人にない才能を持っていて、それを維持するために必死の努力をしている。その前にそこまでたどり着くのに人の何倍もの努力があったはずである。それを守るために仕方なく不正をしてしまったのだろう。この国では軍隊に行くことが国民の義務であるからである。休戦中の国だから仕方ない。最近ニュースで北朝鮮から脱出して中国にいる人たちがたくさん亡命しようといろいろな国の施設に逃げ込む。どうして彼らは北朝鮮で生まれてしまったのか?どうして韓国に生まれて生きたくない軍隊に行かなければならないのか?イラクの人たちはどうして悪い指導者のいる国、時代に生まれてしまったのか?今の日本に生まれたことを感謝せざるを得ない。その日本も戦争していた時代があったし、貧しかった時代があった。でも私が生まれた時は戦争をしていなかったし、それなりに食べることが出来た。日本にいた時は考えもしなかった。そういう意味では先祖と先輩方に感謝したい。そういう平和で豊かな日本になるため戦争で死んでいった人たちを祭る所を参拝して何がいけないのか?戦争自体の正当性は歴史に判断を仰ぐとして、純粋に国のために亡くなった人たちの精神は美しいものだと思う。国軍の日などと言うのは早くなくならなければならない。若い人たちの才能を摘んでしまう軍隊など早くなくならなければならない。そのために何ができるのだろうか?考えさせられた1日であった。
October 1, 2004
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韓国の偉人伝、第2弾は東洋のジャンヌダルクと言われた三・一独立運動の烈女ユグァンスン(柳寛順)である。詳しく書かれた内容はあまりない。三・一独立運動にソウルで参加後、故郷の天安(チョナン)で運動を組織して万歳をさけび16歳で獄死した。柳寛順は逮捕後、法廷で裁判長に椅子を投げつけ抵抗し、獄中でも拷問に耐えぬき、死ぬ直前まで「独立万歳(マンセ)」を叫びつづけた。特に主張の内容は二の次で死ぬまで徹底的に抵抗しつづけたことを評価されているようだ。それでも詳しくはやはり独立記念館の資料がある。柳寛順「独立運動家」→「独立運動系列」→「3・1運動」→4ページの40番が柳寛順だ。最近の若い人はどうか知れないが、40代以上の男性は柳寛順は「ヨヌウォンナン(永遠なる)ヌナ(姉)」と言って追慕している。韓国の偉人伝を見ると体制に対抗して殉教している人が多い。ハングルを編集した「セジョン(世宗)大王」、秀吉軍と戦った「イスンシン(李舜臣)」、昨日の日記に書いた「アンジュングン(安重根)」、今日の「ユグァンスン(柳寛順)」、「キンク(金九)」、「ユンボンギル(尹奉吉)」、「イボンチャン(李奉昌)」。後ろの5人は独立運動家だ。だから韓国の人は日本に対する感情があるのは止むを得ない気がする。悲しいが仕方ない。
September 30, 2004
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アンジュングン(安重根)は知らないけどアンジョンファン(安貞桓)は知ってる人は多いかもしれない。でも今日は横浜Fマリのスのアンジョンファン(安貞桓)選手の話ではない。歴史にちょっと詳しい方はご存知だと思う。日本の初代総理大臣である伊藤博文を中国のハルビンで暗殺した韓国独立の義士である。詳しくはこれを読んでいただきたい。■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■1879~1910 朝鮮独立運動の闘士。平安南道鎮南浦の出身。17歳のときキリスト教信者となった。1905年(明治38),韓国の日本への従属を規定した乙巳保護条約に反対し,以後独立運動に従った。1907年,元山から北間島をへて,ウラジヴォストークに亡命し,排日朝鮮人団体に加入した。1909年,中国吉林省ハルビンに潜入し義勇軍を募り,自ら参謀中将となって,抗日軍を指揮し,中国と朝鮮の国境の会寧に進出したが,敗北してウラジヴォストークに逃走した。同年,初代韓国統監伊藤博文がロシア旅行のためハルビンを訪れたとき,仲間とともに暗殺を計画し,10月26日,ハルビン駅頭で拳銃弾3発を伊藤に命中即死させた。世界を驚かせる大事件であった。翌年2月14日死刑判決,3月16日旅順刑務所で処刑された。■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■さてこのアンジュングン(安重根)とは少し縁がある。大学卒業後、短い期間だがサラリーマンをしていた頃、職場の先輩が会社を辞め、新聞社に務めていた。その時その先輩が書いた記事が、なんと安重根の記事であった。それもシリーズものだった。その中で安重根の獄中の生活を注目していた一人の看守の話が出ていた。千葉十七と言う人だ。残念ながらその記事は今はないが、その話が本になっている。「わが心の安重根―千葉十七・合掌の生涯」斎藤 泰彦 (著) 内容はこうだ。■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■内容(「BOOK」データベースより)1909年10月、韓国の独立運動家・安重根は日本の元老伊藤博文をハルビン駅頭において射殺した。死刑の判決を受けた安重根は、処刑直前、それまで"獄中の身"をいたわってくれた看守の千葉十七に感謝を込めて、「為国献身軍人本分」の遺書を贈った。千葉十七は、この遺墨に終生合掌し、安の冥福を祈った。そして死後も、千葉の遺言に従い遺墨は大切に供養されてきた。70年後の1979年安重根生誕百周年に当たり、遺墨は故国韓国へ返還された。それを機に、この遺墨を刻んだ「安と千葉の記念碑」が、日韓両国の友好を祈念し千葉の眠る宮城県若柳町の大林寺に建立された。以来、大林寺住職の著者らを中心に多くの日韓人によって、亡き二人の心情を偲びつつ「日韓永遠の平和」を祈る追悼法要が毎秋つづけられている。それは、また日韓善隣関係の大切さを痛切に感じた千葉の心を通し、歴史を厳粛に問い直そうとする多くの人々の思いのときでもある。日韓問題の原点に鋭くメスを入れた切々たる歴史小説。内容(「MARC」データベースより)伊藤博文を殺害した安重根を、日本は死刑に処した。だが、本当に裁かれるべきは誰だったのか。いま改めて歴史の審判が下されねばならない。日韓問題の原点に鋭くメスを入れた切々たる歴史小説。■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■そして、その先輩の記事を韓国の仏教界の人が偶然見ることになる。上の内容にあるように、日本の大林寺で今は亡き千葉十七が安重根を祭っていたのである。当時は密かにしていたことと思われる。そして、彼もまた大林寺に眠ることになったが、これを先輩が記事にしたわけだ。1991年3月26日、この日は安重根の81周忌の日、ソウル南山にある安重根記念館で行われる式典に、大林寺の住職と先輩が招待され、私は通訳として参加した。その時の写真である。13年前の写真だ。私も若かった。一番右に座っている。隣が先輩で、上の袈裟を着ておられるのが、大林寺の住職だ。これがきっかけとなり、上の本の内容にある「安と千葉の記念碑」が立つことになる。歴史的と言えばそうだ。私ももう少し安重根の「東洋平和論」勉強して見ようと思う。
September 29, 2004
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今日は陰暦8月15日韓国のお盆、チュソk(秋夕)である。もともと収穫に感謝し、先祖に捧げる祭りであると言う。そしてその祭りのことをチェサ(祭祀)と言う。祭りと言っても夏祭りや村祭りの意味ではなく、基本的には家で行う法事のようなものである。基本的には1年に8回である。6回は先祖(曾曾祖父母、曾祖父母、祖父母)の命日、2回はミョンジョr(名節)と言われる、今回のチュソk(秋夕)と日本の旧正月に当たるソrである。祭壇を設けて、先祖の位牌を置き、海のものと山のものの料理を並べる。特に名節では特別にソンピョン(松餅)と、ットックk(お雑煮)が並べられる。先祖にお酒と料理を捧げ、クン(大きい)ジョr(礼)と言われる形としては土下座をするような礼を捧げる。基本的には男性だけが参加する。いろいろと地方によりやり方も違うが、30分もかからない。この後捧げた食べ物を朝食に食べる。朝食と書いたのは名節の時のチェサ(祭祀)は朝行われるからである。命日の時のチェサ(祭祀)は夜である。うちの場合9時ごろから始まるので、ご飯を食べると10時だ。するとまた昨日と同じく花札が始まる。どこの家もそうだと言うわけではない。家によって違うゲームをしたり、外に遊びに行くところもある。うちがそうだと言うだけである。遅いお昼を食べ、3時過ぎに出発した。今年は帰郷ラッシュは日にちが分散されてそれほど酷くないが、帰省ラッシュは集中するのでかなり込むと言われていた。やはりその通りであった。うちの場合上り下りが反対なので一般的にそれほど込まないのだが、高速道路のソウル料金所から渋滞であった。もっともうちはバス専用車線を利用できるので、渋滞を横目にスムーズに行けた。大田の叔父の家で一休みして、夕食をごちそうになり8時半に出発した。帰りは南原まで高速道路を利用し、南原から17号国道を使った。南原の少し手前辺りから雨が降ってきたので、スピードが出せず0時前につく予定が0時を回ってしまった。家に着くや否や家族皆疲れ果て熟睡した。これで今年のチュソk(秋夕)は終わりである。
September 28, 2004
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いよいよ出発だ。本来予定では朝6時に出発するはずだったのに、いつもの事ながら送れて、7時過ぎに出発となった。距離的には約500km、途中女房の叔父さんの住むテジョン(大田)による予定だ。隣町のスンチョン(順天)に出れば、そこから大田まで高速道路で行けるが、あえて景色のいい国道を選ぶ。17号国道はとても景色がいい。麗水は海がきれいなところだが、この17号国道を利用すると、山と川の美しい景色を楽しませてくれる。神秘の山チリサン(智異山)と韓国で最も汚染されていないと言われる川ソンジンガン(蟾津江)、その合間は稲が実を結び黄金色である。この景色を楽しみながら1時間半でナモン(南原)に到着する。この智異山と南原の話は以前した。智異山南原この南原からは19号国道に乗り換える。ここから30分ほどでチャンス(長水)と言う小さな町まで行く、ここから高速道路に乗り換える。約1時間でテジョン(大田)だ。この高速道路も新しく出来たものだが景色がよい。まずはあの「夏の香り」のロケ地となったムジュ(茂朱)リゾートのあるトギュウサン(徳裕山)国立公園がある。次に高麗人参で有名なクmサン(錦山)のサービスエリアは名前がインサmレンドゥ(高麗人参ランド)と言い、各種高麗人参で作られたいろいろなものが販売されているし、サービスエリア自体も大きく美味しいものもたくさん売っている。ここでちょっと一休みして、大田の叔父さんの家にはお昼に到着した。叔父さんの家で叔母さんの作ってくれたキムチチゲをいただき、お墓参りに行った。もともとここ大田が女房の故郷であるので、ここに先祖代々のお墓がある。今でこそ大田広域市に入るが、昔の行政区域は忠清南道のシンタンジン(新灘津)と言う小さな町である。この町からさらに車で20分ほど山に入るとテチョンホ(大清湖)がある。この湖から韓国でも有名な川の一つクmガン(錦江)が流れている。この湖の側に小さな村があった。その村はほとんどがヨン(延)氏が住んでいた。女房はその村で生まれ、農家であった。タバコの産地であるため、畑でタバコを作っていた。女房が中学生までは電気も通っていなかった。ある時、このテチョンホ(大清湖)にダムの建設の話が来た。今の大清ダムである。そのため村全体が引っ越すことになった。女房の家は今の実家である京畿道九里市に引っ越した。しかし、このヨン(延)氏村の代々の墓はここにある。数にすると200以上もあるだろうか?その中で曾曾じいちゃん、ばあちゃん、曾じいちゃん、ばあちゃんじいちゃん、ばあちゃん、そして3年前に亡くなった女房のお父さんのお墓までお参りした。韓国の場合まだまだ土葬である。だいぶ火葬文化に移行してきた。韓国の土葬の場合、夫婦は一つにしてしまう場合と別々の場合がある。仲良く二つ並んでいるのは別々の場合で、一つの場合は一緒になっている。女房のところは曾じいちゃん、ばあちゃんのところは別々だ。別々だと墓参りも2ヶ所となる。だから今回は5ヶ所であった。それでも割と近くなので30分ほどで済んだ。これがそれぞれ離れていると大変である。一日がかりになりかねない。お墓参りもすんで、また移動の始まりだ。ここからはソウルと釜山を結ぶキョンブ(京釜)高速道路だ。今回は従兄弟(叔父さんの長男)が引っ越したので、従兄弟の家に寄った。そこに従兄弟たち(3兄弟)が集まっている。従兄弟の家は京畿道アンサン(安山)市にある。そこに5時少し前に到着した。久しぶりに集まって話しに花が咲いたが、韓国では人が集まると必ず始まるのが花札である。この花札は日本から来たものなので、図柄もルールも似ている。韓国では特に花札の中でも「gostop」と言うのをよくする。日本で言う「こいこい」である。これを二時間ほどして夕ご飯を食べ、出発した。全員行くと寝るところがなくなるので、うちの家族と叔父さん夫婦と2番目の従兄弟の家族だけ行くことにした。ここから九里市までは約1時間。9時少し前に到着した。久しぶりに親戚が集まり、果物と、チュソk(秋夕)には欠かせないソンピョン(松餅)を食べながら話をした。ソンピョン(松餅)は餅(韓国は小麦粉で作る)の中に栗や蜂蜜が入っている。何故松餅と言うのかと言うと、この餅を松葉で飾るからである。こんな感じ。小1時間も話すと、男たちはまた花札を始める。もちろん私も参加する。夜中の2時半までやった。長い一日だった。
September 27, 2004
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今日はうちのちびの11歳の誕生日だ。韓国の歳では12歳だ。韓国はお母さんのお腹の中にいる期間も数えるので1歳多いわけだ。韓国では誕生日に必ず食べる料理がある。それはミオグk(ワカメスープ)である。これはお母さんが子供を産むと産後料理として1ヶ月近くミオグk(ワカメスープ)ばかり食べるので、それを記念して食べるのである。韓国で子供を産んだ方はうんざりするくらい食べた経験がおありであろう。それで誕生日には食べるのが一般的だが、うちは違う。だいたい子供たちが好きなものだ。最初はケーキも買って、ろうそくを立ててムードを出していたが、ケーキは高いだけなので、最近はピザやチキンとなってしまった。今日はチキンがいいと言う主人公の希望であったが、明日からチュソk(秋夕)でお店が休みだ。それでピザになった。韓国では子供が生まれると、日本のように「お七夜」と言うのはない。それどころか、昔は21日間他人を家の門内に入れもしなかった。今でも田舎ではそんな習慣があるところがある。家の門に藁のロープを張り、子供が生まれたから入らないで下さいと言うサインである。そのくらい昔は子供が死んだ。食べれないからだが、そのためペギr(100日)のお祝いは盛大にする。死なずに良く大きくなってくれたと言うことだ。そんなことがあって今でも年寄りのいる家に子供が生まれると、あまり人は行かない。何かあった時、あの人が来たからだと言うことになるからである。さて、おもしろいのは家の門に張る藁のロープにあるものをぶら下げる習慣がある。ある時は唐辛子をロープにくくり付けるし、ある時は炭の穴にロープを入れてぶら下げる。この唐辛子と炭の違いをご存知だろうか?もちろん韓国に住んでいる方は聞いたことがあるだろう。日本の方は知らないと思う。答えは、赤ちゃんの性別である。どっちがどっちかと言うのは言うまでもないと思う。おもしろいものだ。私はすぐヘンなことを考える方なのだが、もし男の子と女の子の双子の時はどうしただろう?あとで年寄りに訊いて見よう。そして1歳の誕生日も盛大にやる。これは以前ウィハヨさんが日記に書いていたので持ってこよう。韓国式一歳の誕生日「トrジャンチ」上の日記に詳しく書いてある。まあチョソk(秋夕)の前日で慌しかったが、家族で楽しいバースディパーティができた。
September 26, 2004
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不景気だ不景気だと言いながらも、先月(8月)の海外旅行客が急増し、旅行収支赤字が地上最高値を記録した。また高油価の影響で貿易収支も13ヶ月ぶりに最も低かった。韓国銀行によると先月の韓国人の出国者数が史上初めて90万人を突破し、旅行収支が7億3000万ドル赤字となった。不景気不景気と言いながら、海外旅行に行ってはバカスカお金を使うのが韓国人だ。訪問してくれる国にとってはこれほどいいお客さんはいない。一番よく分かるのが、韓国の航空会社の飛行機で日本から韓国に行く時だ。大部分は韓国のお客さんと言うことと、飛行時間が短いと言うことで、免税品の機内販売が大繁盛だ!後ろの席にいるとまず間違いなく買えない。それだけたくさん買う。皆金持ちなのだろうか?それともクレジットカードで買って、不渡り?とにかくここでは不景気など夢のようである。今年は最悪の不景気で、それでも普段は盆正月には福祉施設にいろいろなものが届くのだが、今年はほとんどないと言われている。そんな中、ある人は海外で豪華ショッピングだ。もちろんこれが資本主義だから仕方がないのだが、何か間違ってないだろうか?寂しいチュソk(秋夕)を向かえる人がいるかと思うと、何か考えさせられる一日であった。
September 25, 2004
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今年のチュソk(秋夕)連休は27~29日、月火水だ。最近は週休2日の企業が多いので今日(金)から移動が始まった。しかし、28日のチュソk(秋夕)の日まで4日あるので、大分分散されるであろう。反対に帰郷の日が28日か29日の二日に絞られるので、大混雑が予想される。私は今年は27日に女房の実家に行って、28日に戻ってくる予定だ。28日が問題である。女房の実家は京畿道九里市と言うところにある。ソウルの東隣だ。普段は麗水から車で6時間かかるが、さてさてどのくらいかかるであろうか?幸い私の車は9人乗りのRV車なので、バス専用車線を利用できる。これが出来てからは本当に便利になった。他の車線が渋滞しているのを横目に見ながら快適に走れるのは気分のいいものだ。まあ詳しくはチュソk当日の日記に書こうと思う。
September 24, 2004
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昨日の統計庁の発表によると、昨年自殺した人は1万1000人、一日平均30人が自ら命を絶つと言うことだ。これにより昨年の自殺率(人口10万人当たりの自殺人口数)は24人と、1983年統計作成を始めてからの最大値を記録した。性別は男性が女性の2倍以上、年齢別には20代と30代の死亡原因の1位となり、若い人の自殺問題が深刻な水準であることが現れた。またOECDの基準に換算すると2002年は自殺率は18.7人で、ハンガリー(23.2人)、日本(19.1人)、フィンランド(18.8人)に続いて4番目に高い。これは2002年の統計である。2003年は24人と言うことは、もしかすると世界第1位になってしまっているかもしれない。統計庁の関係者によると「生命軽視風潮などと共に、景気沈滞による生活苦などが自殺率の増加の原因と思われる」と言う。「生命軽視風潮」と言うのが恐ろしい。日本でも同じかもしれない。自殺サイトが流行ったり、子供がゲーム感覚で人を殺してしまう事件が起こっているからである。「景気沈滞による生活苦」はIMFの時より酷いと言われるここ3年間だ。自殺率もIMFの時よりも高いという数字が証明している。またぜんぜん違う観点だが、韓国人の民族性、これは歴史性から来ているのであろうが、「何が何でも食べて、生き残らなければ」と言うのがある。これは歴史的に外国からの侵略を多く受けたと言う歴史性から来ていると思われる。このことを考えても日本のような「最後はきれいに花を散らせる」と言う「いさぎよさ」が美徳のようになっている日本では逆に自殺が多いのは納得がいくところであるが、韓国の場合、全くその反対であるのに、この自殺率の高さは何を物語っているのであろうか?それほど深刻だと言うことではないだろうか?確かに本当に食べていくのが大変だし、金持ちはもっと金持ちになってしまった現在、それだけ立ち直る可能性(機会)が薄いと言うことではないだろうか?子供たちも昔のスポ根漫画が流行った時代とは違う。生きるためには負けてはならない。勉強しないと落ちこぼれる。落ちこぼれると食べていけない。だから勝たねばならない。きびしい世の中だ。日本では競争をする時の応援は「がんばれ!」と言う。これは「最善を尽くせ!」と言う意味だ。韓国は違う。「イギョラ(勝て)!」と応援する。最善を尽くしても負けたら(死んだら)何にもならないのだ。やさしさが失われてしまった時代である。こういう中でどのように生きるかが問われるのではないだろうか?今日は久しぶりに深刻に「生きる」と言うことを考えさせられた。
September 23, 2004
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麗水市は2010年海洋博覧会を誘致するために努力してきたが、結局上海に負けてしまった。その大きな理由の一つに宿泊施設とセミナー施設がないと言う事であった。もちろん上海のような大都市と争うにはかなり力不足であった。今麗水市は2012年の海洋博覧会誘致を目標に動いている。もちろん立候補している状態だ。今度はどこの国の都市との争いになるかまだ分からないが、2008年には視察団が訪問する予定である。だから後4年で、どこの国のどこの都市にも負けない内容を作っていかなければならない。その中で一番期待されるのが、経済特別区に指定されたファヤンミョン(華陽面)のリゾート開発であるが、これが進めば大きなセールポイントとなるのは間違いない。後は市内に大きな特級ホテルと、国際会議が可能なコンベンションセンターができれば鬼に金棒である。そんな中で今日毎月一度市から発行されている機関紙「美港麗水」の第一面にこんな記事が載っていた。★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★麗水ソホドン(蘇湖洞)に地上33階145mタワー型超大型特級観光ホテル建立I投資会社と2000億規模の投資協約(MOA)締結2007年までにコンベンションセンター・コンドミニアム・ウォーターパークなど★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★これが鳥瞰図だ。ホテルは256室、コンドミニアムは240室、合わせて496室だ。これはソウル、釜山を除くと済州島、慶州、江原ランド、五台山、蔚山に続くものである。さらに一千名の収容が可能なコンベンションセンターはソウル、釜山以外にはない。これが完成すると、国際的なイベントを行うことができることになる。前回上海に負けたが、この上海はOPEC会議を開くことによって世界的な都市になったと聞いたことがある。このコンベンションセンターの完成により、国際イベントを誘致でき、麗水も世界的に有名な都市になる条件がそろうと言うわけだ。これが2007年に完成されれば視察団が来る2008年に間に合うことになる。投資会社は既に敷地の確保が出来ている状態であるので、許可が下り次第起工することが出来ると言うわけだ。19日の日記に書いたクルーザー観光はホテルがないためであろうか、日本の観光客はクルーザー内に宿泊するとある。もしこのホテルが完成すればその観光客も泊まれることになるであろう。早く完成して日本からもお客さんがたくさん来られるとうれしいのだが。
September 22, 2004
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私の日記によく遊びに来てくれるアイーダさんが「ポカポカ地球家族」に出演された。彼女は韓国にお嫁に来た人だ。残念ながら日記は書かれていない。もちろん今回は主演ではなかった。主演は韓国のプロサッカー選手と結婚したタレントの阿部美穂子さん。その内容はここだ。ポカポカ地球家族何人かの韓国にお嫁に来た日本人が出演したがその一人である。彼女は実は昔私が住む麗水の隣町の順天に住んでいて、その時も麗水MBCにも出演したことがある。このときは主演である。これだけ有名だからお顔を公開しちゃえ!彼女が送ってきた写真だ。左から、司会の中山秀征氏、阿部美穂子さん、そしてアイーダさんだ。上の「ポカポカ地球家族」の中にも出ている。ここにいると見れないのが残念だ。いつか誰かが内容を日記に書いてくれることを期待したい!
September 21, 2004
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ミュージックビデオ撮影のためオーストラリアに滞在して、今日帰国した「秋の童話」「夏の香り」のソンスンホン(宋承憲)さんが兵役不正容疑で警察に出頭し、調査を受けることになった。最近はソンスンホン(宋承憲)さんだけでなく、多くの韓国のタレントが同じ容疑で警察に出頭、調査を受けている。ブローカーに金を渡し、兵役を免除してもらったと言う容疑である。どうしてこうまでして兵役を免れたいかは、この日記を読んでほしい。韓国の若者にとって軍隊とは?確かにタレントだがら、スポーツ選手だからと言って特別扱いは良くないかも知れない。軍隊は韓国国民の義務である。しかし、彼らは国を守るため、国益のため軍隊に行くのであるなら、タレントやスポーツ選手の中でも外貨を獲得できるだけの実力のある人なら免除してもいいのではないだろうか?以前2002年ワールドカップの韓国の選手はベスト4進出と言う偉業を果たしたと言うことで、兵役を免除されたと言う話を聞いたことがある。その位のレベルなら免除になると言うのであれば仕方ないが、国益全体を考えた時、適材適所で、その若者の才能を活かせるようにしてあげることは出来ないのであろうか?もちろん、そのような才能が無いため、行きたくない軍隊に行かなければならない人たちは、言いたいことがたくさんあるのであろうが、もったいないような気がする。こんなこと言ったら、軍の人に怒鳴られるかもしれない。外国人が干渉するなと言われるかもしれない。いずれにしても犯罪はいけない。本人も「償いはします」と言っているようだ。
September 20, 2004
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