元気力UP!

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2015年01月30日
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カテゴリ: 吾輩は猫である



苦沙弥さんに、よく伺おうと思って上ったら、生憎あいにく迷亭が来ていて茶々を入れて何が何だか分らなくしてしまったって」
「あんな鼻をつけて来るから悪るいや」
「いえ君の事を云うんじゃないよ。
あの迷亭君がおったもんだから、そう立ち入った事を聞く訳にも行かなかったので残念だったから、もう一遍僕に行ってよく聞いて来てくれないかって頼まれたものだからね。
僕も今までこんな世話はした事はないが、もし当人同士が嫌いやでないなら中へ立って纏まとめるのも、決して悪い事はないからね――それでやって来たのさ」
「御苦労様」と主人は冷淡に答えたが、腹の内では当人同士と云う語ことばを聞いて、どう云う訳か分らんが、ちょっと心を動かしたのである。
蒸むし熱い夏の夜に一縷いちるの冷風れいふうが袖口そでぐちを潜くぐったような気分になる。
元来この主人はぶっ切ら棒の、頑固がんこ光沢つや消しを旨むねとして製造された男であるが、さればと云って冷酷不人情な文明の産物とは自おのずからその撰せんを異ことにしている。
彼が何なんぞと云うと、むかっ腹をたててぷんぷんするのでも這裏しゃりの消息は会得えとくできる。
先日鼻と喧嘩をしたのは鼻が気に食わぬからで鼻の娘には何の罪もない話しである。
実業家は嫌いだから、実業家の片割れなる金田某も嫌きらいに相違ないがこれも娘その人とは没交渉の沙汰と云わねばならぬ。
娘には恩も恨うらみもなくて、寒月は自分が実の弟よりも愛している門下生である。
もし鈴木君の云うごとく、当人同志が好いた仲なら、間接にもこれを妨害するのは君子のなすべき所作しょさでない。
――苦沙弥先生はこれでも自分を君子と思っている。
――もし当人同志が好いているなら――しかしそれが問題である。
この事件に対して自己の態度を改めるには、まずその真相から確めなければならん。

「君その娘は寒月の所へ来たがってるのか。
金田や鼻はどうでも構わんが、娘自身の意向はどうなんだ」
「そりゃ、その――何だね――何でも――え、来たがってるんだろうじゃないか」鈴木君の挨拶は少々|曖昧あいまいである。
実は寒月君の事だけ聞いて復命さえすればいいつもりで、御嬢さんの意向までは確かめて来なかったのである。
従って円転|滑脱かつだつの鈴木君もちょっと狼狽ろうばいの気味に見える。
「だろうた判然しない言葉だ」と主人は何事によらず、正面から、どやし付けないと気がすまない。

「いや、これゃちょっと僕の云いようがわるかった。
令嬢の方でもたしかに意いがあるんだよ。
いえ全くだよ――え?――細君が僕にそう云ったよ。
何でも時々は寒月君の悪口を云う事もあるそうだがね」
「あの娘がか」
「ああ」
「怪けしからん奴だ、悪口を云うなんて。
第一それじゃ寒月に意いがないんじゃないか」
「そこがさ、世の中は妙なもので、自分の好いている人の悪口などは殊更ことさら云って見る事もあるからね」
「そんな愚ぐな奴がどこの国にいるものか」と主人は斯様かような人情の機微に立ち入った事を云われても頓とんと感じがない。

「その愚な奴が随分世の中にゃあるから仕方がない。
現に金田の妻君もそう解釈しているのさ。
戸惑とまどいをした糸瓜へちまのようだなんて、時々寒月さんの悪口を云いますから、よっぽど心の中うちでは思ってるに相違ありませんと」
主人はこの不可思議な解釈を聞いて、あまり思い掛けないものだから、眼を丸くして、返答もせず、鈴木君の顔を、大道易者だいどうえきしゃのように眤じっと見つめている。
鈴木君はこいつ、この様子では、ことによるとやり損なうなと疳かんづいたと見えて、主人にも判断の出来そうな方面へと話頭を移す。

「君考えても分るじゃないか、あれだけの財産があってあれだけの器量なら、どこへだって相応の家うちへやれるだろうじゃないか。
寒月だってえらいかも知れんが身分から云や――いや身分と云っちゃ失礼かも知れない。
――財産と云う点から云や、まあ、だれが見たって釣り合わんのだからね。
それを僕がわざわざ出張するくらい両親が気を揉もんでるのは本人が寒月君に意があるからの事じゃあないか」と鈴木君はなかなかうまい理窟をつけて説明を与える。
今度は主人にも納得が出来たらしいのでようやく安心したが、こんなところにまごまごしているとまた吶喊とっかんを喰う危険があるから、早く話しの歩を進めて、一刻も早く使命を完まっとうする方が万全の策と心付いた。

「それでね。
今云う通りの訳であるから、先方で云うには何も金銭や財産はいらんからその代り当人に附属した資格が欲しい――資格と云うと、まあ肩書だね、――博士になったらやってもいいなんて威張ってる次第じゃない――誤解しちゃいかん。
せんだって細君の来た時は迷亭君がいて妙な事ばかり云うものだから――いえ君が悪いのじゃない。


本連載は青空文庫収録ファイル「吾輩は猫である」(新字新仮名、作品ID:789)から引用・編集し提供させて頂いています。
夏目 漱石
慶応3年1月5日(新暦2月9日)江戸牛込馬場下横町に生まれる。本名は夏目金之助。帝国大学文科大学(東京大学文学部)を卒業後、東京高等師範学校、松山中学、第五高等学校などの教師生活を経て、1900年イギリスに留学する。帰国後、第一高等学校で教鞭をとりながら、1905年処女作「吾輩は猫である」を発表。1906年「坊っちゃん」「草枕」を発表。1907年教職を辞し、朝日新聞社に入社。そして「虞美人草」「三四郎」などを発表するが、胃病に苦しむようになる。1916年12月9日、「明暗」の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳であった。







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Last updated  2025年04月12日 16時56分49秒
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