元気力UP!

元気力UP!

2015年02月26日
XML
カテゴリ: 吾輩は猫である
と、幸い主人が寝る時に解 きすてた縮緬 の兵古帯 がある。
陰士は山の芋の箱をこの帯でしっかり括 って、苦もなく背中へしょう。
あまり女が好 く体裁ではない。
それから小供のちゃんちゃんを二枚、主人のめり安 の中へ押し込むと、股のあたりが丸く膨 れて青大将 が蛙 を飲んだような――あるいは青大将の臨月 と云う方がよく形容し得るかも知れん。
とにかく変な恰好 になった。
嘘だと思うなら試しにやって見るがよろしい。
陰士はめり安をぐるぐる首 っ環 へ捲
その次はどうするかと思うと主人の紬 の上着を大風呂敷のように拡 げてこれに細君の帯と主人の羽織と繻絆 とその他あらゆる雑物 を奇麗に畳んでくるみ込む。

それから細君の帯上げとしごきとを続 ぎ合わせてこの包みを括 って片手にさげる。
まだ頂戴 するものは無いかなと、あたりを見廻していたが、主人の頭の先に「朝日」の袋があるのを見付けて、ちょっと袂 へ投げ込む。
またその袋の中から一本出してランプに翳 して火を点 ける。
まそうに深く吸って吐き出した煙りが、乳色のホヤを繞 ってまだ消えぬ間 に、陰士の足音は椽側 を次第に遠のいて聞えなくなった。
主人夫婦は依然として熟睡している。
人間も存外|迂濶 なものである。

吾輩はまた暫時 の休養を要する。
のべつに喋舌 っていては身体が続かない。
ぐっと寝込んで眼が覚 めた時は弥生 の空が朗らかに晴れ渡って勝手口に主人夫婦が巡査と対談をしている時であった。

「それでは、ここから這入 って寝室の方へ廻ったんですな。
あなた方は睡眠中で一向 気がつかなかったのですな」
「ええ」と主人は少し極 りがわるそうである。

「それで盗難に罹 ったのは何時 頃ですか」と巡査は無理な事を聞く。
時間が分るくらいなら何 にも盗まれる必要はないのである。
それに気が付かぬ主人夫婦はしきりにこの質問に対して相談をしている。

「何時頃かな」
「そうですね」と細君は考える。
考えれば分ると思っているらしい。

「あなたは夕 べ何時に御休みになったんですか」
「俺の寝たのは御前よりあとだ」
「ええ私 しの伏せったのは、あなたより前です」
「眼が覚めたのは何時だったかな」
「七時半でしたろう」
「すると盗賊の這入 ったのは、何時頃になるかな」
「なんでも夜なかでしょう」
「夜中 は分りきっているが、何時頃かと云うんだ」
「たしかなところはよく考えて見ないと分りませんわ」と細君はまだ考えるつもりでいる。
巡査はただ形式的に聞いたのであるから、いつ這入ったところが一向 痛痒 を感じないのである。
嘘でも何でも、いい加減な事を答えてくれれば宜 いと思っているのに主人夫婦が要領を得ない問答をしているものだから少々|焦 れたくなったと見えて
「それじゃ盗難の時刻は不明なんですな」と云うと、主人は例のごとき調子で
「まあ、そうですな」と答える。
巡査は笑いもせずに
「じゃあね、明治三十八年何月何日戸締りをして寝たところが盗賊が、どこそこの雨戸を外 してどこそこに忍び込んで品物を何点盗んで行ったから右告訴及 候也 という書面をお出しなさい。
届ではない告訴です。
名宛 はない方がいい」
「品物は一々かくんですか」
「ええ羽織何点代価いくらと云う風に表にして出すんです。
――いや這入 って見たって仕方がない。
られたあとなんだから」と平気な事を云って帰って行く。

主人は筆硯 を座敷の真中へ持ち出して、細君を前に呼びつけて「これから盗難告訴をかくから、盗られたものを一々云え。
さあ云え」とあたかも喧嘩でもするような口調で云う。

「あら厭 だ、さあ云えだなんて、そんな権柄 ずくで誰が云うもんですか」と細帯を巻き付けたままどっかと腰を据 える。

「その風はなんだ、宿場女郎の出来損 い見たようだ。
なぜ帯をしめて出て来ん」
「これで悪るければ買って下さい。
宿場女郎でも何でも盗られりゃ仕方がないじゃありませんか」
「帯までとって行ったのか、苛 い奴だ。
それじゃ帯から書き付けてやろう。
帯はどんな帯だ」
「どんな帯って、そんなに何本もあるもんですか、黒繻子 と縮緬 の腹合せの帯です」
「黒繻子と縮緬の腹合せの帯一筋――価 はいくらくらいだ」
「六円くらいでしょう」
「生意気に高い帯をしめてるな。
今度から一円五十銭くらいのにしておけ」


本連載は青空文庫収録ファイル「吾輩は猫である」(新字新仮名、作品ID:789)から引用・編集し提供させて頂いています。
夏目 漱石
慶応3年1月5日(新暦2月9日)江戸牛込馬場下横町に生まれる。本名は夏目金之助。帝国大学文科大学(東京大学文学部)を卒業後、東京高等師範学校、松山中学、第五高等学校などの教師生活を経て、1900年イギリスに留学する。帰国後、第一高等学校で教鞭をとりながら、1905年処女作「吾輩は猫である」を発表。1906年「坊っちゃん」「草枕」を発表。1907年教職を辞し、朝日新聞社に入社。そして「虞美人草」「三四郎」などを発表するが、胃病に苦しむようになる。1916年12月9日、「明暗」の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳であった。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2015年02月26日 21時45分00秒
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X

Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: