元気力UP!

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2015年05月12日
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カテゴリ: 吾輩は猫である
まった、こちらの刃の先は錐 に出来ている。
ここん所 は書き損いの字を削 る場所で、ばらばらに離すと、ナイフとなる。
一番しまいに――さあ奥さん、この一番しまいが大変面白いんです、ここに蠅 の眼玉くらいな大きさの球 がありましょう、ちょっと、覗 いて御覧なさい」「いやですわまたきっと馬鹿になさるんだから」「そう信用がなくっちゃ困ったね。
されたと思って、ちょいと覗いて御覧なさいな。
え? 厭 ですか、ちょっとでいいから」と鋏 を細君に渡す。
細君は覚束 なげに鋏を取りあげて、例の蠅の眼玉の所へ自分の眼玉を付けてしきりに覘 をつけている。
「どうです」「何だか真黒ですわ」「真黒じゃいけませんね。
も少し障子の方へ向いて、そう鋏を寝かさずに――そうそうそれなら見えるでしょう」「おやまあ写真ですねえ。
どうしてこんな小さな写真を張り付けたんでしょう」「そこが面白いところでさあ」と細君と迷亭はしきりに問答をしている。
最前から黙っていた主人はこの時急に写真が見たくなったものと見えて「おい俺にもちょっと覧
「おいちょっと御見せと云うのに」「まあ待っていらっしゃいよ。
美くしい髪ですね。
腰までありますよ。
少し仰向 いて恐ろしい背 に急 き込んで細君に食って掛る。
「へえ御待遠さま、たんと御覧遊ばせ」と細君が鋏を主人に渡す時に、勝手から御三 が御客さまの御誂 が参りましたと、二個の笊蕎麦 を座敷へ持って来る。

「奥さんこれが僕の自弁 の御馳走ですよ。
ちょっと御免蒙って、ここでぱくつく事に致しますから」と叮嚀 に御辞儀をする。
真面目なような巫山戯 たような動作だから細君も応対に窮したと見えて「さあどうぞ」と軽く返事をしたぎり拝見している。
主人はようやく写真から眼を放して「君この暑いのに蕎麦 は毒だぜ」と云った。
「なあに大丈夫、好きなものは滅多 に中 るもんじゃない」と蒸籠 の蓋 をとる。
「打ち立てはありがたいな。
蕎麦 の延びたのと、人間の間 が抜けたのは由来たのもしくないもんだよ」と薬味 をツユの中へ入れて無茶苦茶に掻 き廻わす。
「君そんなに山葵 を入れると辛 らいぜ」と主人は心配そうに注意した。
「蕎麦はツユと山葵で食うもんだあね。
君は蕎麦が嫌いなんだろう」「僕は饂飩 が好きだ」「饂飩は馬子 が食うもんだ。
蕎麦の味を解しない人ほど気の毒な事はない」と云いながら杉箸 をむざと突き込んで出来るだけ多くの分量を二寸ばかりの高さにしゃくい上げた。
「奥さん蕎麦を食うにもいろいろ流儀がありますがね。
初心 の者に限って、無暗 にツユを着けて、そうして口の内でくちゃくちゃやっていますね。
あれじゃ蕎麦の味はないですよ。
何でも、こう、一 としゃくいに引っ掛けてね」と云いつつ箸を上げると、長い奴が勢揃 いをして一尺ばかり空中に釣るし上げられる。
迷亭先生もう善かろうと思って下を見ると、まだ十二三本の尾が蒸籠の底を離れないで簀垂 れの上に纏綿 している。
「こいつは長いな、どうです奥さん、この長さ加減は」とまた奥さんに相の手を要求する。
奥さんは「長いものでございますね」とさも感心したらしい返事をする。
「この長い奴へツユを三分一 つけて、一口に飲んでしまうんだね。
んじゃいけない。
噛んじゃ蕎麦の味がなくなる。
つるつると咽喉 を滑 り込むところがねうちだよ」と思い切って箸 を高く上げると蕎麦はようやくの事で地を離れた。
左手 に受ける茶碗の中へ、箸を少しずつ落して、尻尾の先からだんだんに浸 すと、アーキミジスの理論によって、蕎麦の浸 った分量だけツユの嵩 が増してくる。
ところが茶碗の中には元からツユが八分目|這入 っているから、迷亭の箸にかかった蕎麦の四半分 も浸 らない先に茶碗はツユで一杯になってしまった。
迷亭の箸は茶碗を去 る五寸の上に至ってぴたりと留まったきりしばらく動かない。
動かないのも無理はない。
少しでも卸 せばツユが溢 れるばかりである。
迷亭もここに至って少し※躇 の体 であったが、たちまち脱兎 の勢を以て、口を箸の方へ持って行ったなと思う間 もなく、つるつるちゅうと音がして咽喉笛 が一二度|上下 へ無理に動いたら箸の先の蕎麦は消えてなくなっておった。


本連載は青空文庫収録ファイル「吾輩は猫である」(新字新仮名、作品ID:789)から引用・編集し提供させて頂いています。
夏目 漱石
慶応3年1月5日(新暦2月9日)江戸牛込馬場下横町に生まれる。本名は夏目金之助。帝国大学文科大学(東京大学文学部)を卒業後、東京高等師範学校、松山中学、第五高等学校などの教師生活を経て、1900年イギリスに留学する。帰国後、第一高等学校で教鞭をとりながら、1905年処女作「吾輩は猫である」を発表。1906年「坊っちゃん」「草枕」を発表。1907年教職を辞し、朝日新聞社に入社。そして「虞美人草」「三四郎」などを発表するが、胃病に苦しむようになる。1916年12月9日、「明暗」の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳であった。





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Last updated  2015年05月12日 23時21分11秒
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